トレインさんはブルーノートが送り出した米国南部育ちのシンガー・ソングライター。いい感じの癒し味を持つ人で、アーティスト自我の拡大とともに生理的にどんどんコワれ気味となり一般的好みから遠ざかって行くノラ・ジョーンズ(2010年1月20日、他)の後釜となることをおおいに期待されて同社から送り出されたのが、随所からよく分かる人。そのセルフ・タイトルのデビュー作(プロデュースはスザンヌ・ヴェガ;2008年1月24日のブルーノートからの復帰盤をソツなく手がけた英国人ジミー・ホガース)を聞くと、絶妙にいい曲といい歌声(スモーキーという、形容もアリか)が重なった視野の広い表現が並んでいて、大人ポップの好盤として胸を張って推せます。

 オープナーは、ぼくがアルバムのなかで一番好きだった「コール・イン・ザ・メイカー」でびっくり。悠然としたなかからソウルネスや情がすうっと浮き立つ、物凄い好曲(3月中旬にDJをやり、リサンドロ・アリスティムーニョらと一緒にかけたときも評判良かった)。うーん、もう少し、盛り上がってから聞きたかったかも。

 ステージに登場した彼女はけっこう大柄で、見栄えもする人であったか。まだ、20代半ばだろうが、悠々とワタシを開いて行く様は新人離れしている。パフォーマンスはピアノ/キーボード、ギター、女性コーラス(影が薄い)という布陣によるもの。2、3曲で、彼女はヴァイオリンを手にして(どっちかというと、フィドル的なサバけた奏法を見せたか)歌ったりもしたが、もう少し厚いバッキング音で歌ってほしかったという感想も持つ。奏者たちは楽譜を前に置いていなかったので、それなりに一緒に場数を踏んでいる人たちと思われる。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 横浜・サムズアップ。すごく混んでいると言われていたが、パパ・グロウズ・ファンク(2009年7月27日、他)のときよりは混んでいなかったような。ま、今トップに通受けしている米国人個性派アーティストであり、人気プロデューサーの初来日公演だもの、混んで当然か。小津や黒沢映画や俳句をはじめ、日本の文化にも多大な興味を持っているにもかかわらず、よく今までやって来なかったものだ。今回の編成はドラムレス編成(なんか、ジャズ大好きゆえか、そんときでいろいろと編成は変わってもOKだし、それに合わせてギグは出来ると、彼は考えている。日本にやってくる前に、ブルーノートNYでやった公演にはマーク・リーボウ;2009年12月13日他は当然のこと、ドン・バイロンやアーロン・パークス;2008年11月22日らがゲスト入りしたという。やはり共演した息子であるリード奏者のリヴォン・ヘンリーは高校を出て今はNYの学校でシャズを勉強中で、パークスは彼の紹介だそう)で、ベース奏者のデイヴィッド・ピルチとキーボード奏者のパトリック・ウォーレンという近年のヘンリー関与作の常連さんを連れてのもの。90年代に何度もホリー・コール(2007年1月15日)のバッキングで来日していたピルチはジャズ・フュージョン畑から出てきて今はポップ仕事が多くなっている人で、ウォーレンは西海岸ポップ系レコーディングのファースト・コールと言える有名人の仕事をいろいろしている。

 2本のヴィンテージ・ギター(一つは、オープン・チューニングをしていたよう)を弾きつつ、まっすぐに(ときに、暑苦しく)歌を開いて行く。アルバムを聞くとけっこうシアトリカルというか、けっこう芝居気たっぷりに歌うという感じもあるのだが、生のほうが素直に歌っているという感想も得る。ピルチはウッド・ベースだけを弾くものの、時にはボディを叩いたりするのを含め、多彩な弾き口で伴奏をつける。ウォーレンのキーボード音はコードをがんがん押えて曲の骨格を作るというよりは、ヘンリーのギター弾き語りにいろんなヴァリエーションを付けんとするように趣味良く音を足していくという感じ。ヘンリーはアコースティック・ギター(一本はけっこうボディが薄め)にプラグしての演奏。ギターは古いものが好きで25本ぐらい持っているという。一つ驚いたのは、ピルチが足でシェイカー音を曲によっては出していたこと。が、それがけっこうズレていたりするわけで、気持ち悪いし、一度気になるとほんと気になってしょうがなかった。ヘンリーさん、意外にライヴでは鷹揚/無頓着な人なのかな。なんでも、ピルチは先にあった大阪公演ではベース・ドラム音も足で出していたというが。

 それから、ピアノを弾きながら歌う曲(しんみり同数が増す?)も数曲。なんにせよ、簡素な編成できっちり1時間半強を見せきる力と気持ちの強さには感服。誠実な感じも出ていたし。

 この前日には、ヘンリーにインタヴュー。さすが、取材する人はいろんなことを聞きたくなるようで、1時間おして取材は始まる。おかげで、後に入れていた予定を一つ飛ばさざるをえなかった。彼には米国ツアー中の3月初旬にもメール・インタヴューをしていたのだが、ほうこんな人なのかあ。一言でいえば、大人で紳士。彼は高校時代の学友と結婚していて、相手はあのマドンナ(2005年12月7日)の妹さん。ばしっと格好を決めていて、絶対にLAでは浮きそうなその体に触れラルゴで見たジョン・ブライオン(2007年7月19日)の様を思い出し、それを伝えると「僕はあんな安い格好してないと思うけど」。二人は、それぞれにエイミー・マン(2009年8月25日、他)の制作をしていますね。好きなブランドは、ポール・スミス。プラダも好きだけど、あれを日常で用いるほど若くないとのこと。

 彼の作風は映像的で文学的(けっこう、プロデュース作でライナー・ノウツまで担当していたりもする)なことで知られるが、今回はレナード・コーエンの「ビューティフル・ルーザー」という古い本と14世紀の詩集を持ってきているとか。新作『ブラッド・フロム・レターズ』を作るときに録音参加者のイメージを統一するために皆に配った映画はフランス産の「チルドレン・パラダイス」(英題では。彼は、フランス語の原タイトルも流暢に言った。フランス語はできるんですかと訊ねたら、知っている単語はコレだけ、とか言っていましたが)という45年の作品だそう。そんなところにも表れているように、彼は古いものの価値をきっとり確かな審美眼で見分け、また愛でている。それは、音楽ももちろん同様で、“ジャズやブルースやR&Bといった豊かな米国の財産を、今の視点で捉え直して、今後に繋ぐ”というような回路を彼のプロダクツは持つと言っていいのかもしれない。それについての答えも興味深かったが、雑誌記事掲載は先なので伏せておこう。

 歌う事は=役者をすること、プロデューシング=映画監督そのもの、とか。高校のころは演劇部にも入っていた彼だが、お兄さんは文章を書く仕事をしていて、一緒にリチャード・プライヤーを扱った脚本を書いたこともあるという。来世はミュージシャン以上に、映画監督になることを切望とか。そういう話を聞きながら、サッカー第一主義者で、サッカー監督になりたくて、プロデュースもすべて監督の考え方でやっていると言っていたキップ・ハンラハン(2003年3月8日、他)のことを思い出す。ハンラハンは笑っちゃうぐらいに、欧州フットボールのエンスー。彼、ロシアの血をひくからサッカー好きなんじゃないかとか、言っていましたが。

 マドンナとオーネット・コールマン(2006年3月27日)、それぞれのプロデュース作を聞いてみたいです、と最後にヘンリーに伝える。ちなみに、前者は二人で意欲的に話していて、実現性大。後者は、本人も本当にやってみたい最たる人であるとか。そんな彼、まず良き家庭人であらんと心がけている(今回、ローティーンの娘を連れて来日)そうで、自宅スタジオ作業は11時〜7時に限定しているとのこと。その話を聞いて、大昔に取材した際の、ランディ・ニューマンの話を思い出した。「僕は作曲用にオフィイスを借りていて、毎日そこに出向くんだ。9時〜5時、と決めてね。会社員みたいだろ」。

 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。定時にステージに出てきたミュージシャンは4人。女性がバングルズにいたスザンナ・ホフスというのは、すぐに了解。そして、彼女の中央側横に座った男がいたんだが、これが巨漢。感じとしては、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズが相当に太ったと言いたくなる感じ。衣服はイージーにして、ムサい。でも、MCは彼がこなしていくし、コノ人ガましゅー・すうぃーとニ違イナイ、となる。かつての印象(90年代前半に、ライヴを見たことがあるように記憶するが)とは、まったくもって別人。彼の渡日の航空機の席がビジネス・クラス以上でありますようにと、祈らずにはいられなかった。あまりにびっくりして、余計なこと考えちゃったよ〜。

 バンドを経て80年中期からパワー・ポップの才人としてリーダー作を発表、近年はLAの自己スタジオをもちいた裏方仕事もしているためか、レギュラーなリーダー作を挟んで、ホフスと一緒に息抜き的カヴァー・アルバムを2枚もリリースしたりもし、今回の来日はその路線を踏むもの。で、ほとんどノリ一発みたいな、肩の力がぬけた素直なカヴァー実演を飄々と披露する。男性陣3人(うち一人は、元ヴェルヴェット・クラッシュ、ニュー・ルインズのポール・チャステイン)は基本生ギターをじゃかじゃか弾き、ホフスも生ギターを手にする曲もある。歌はホフスとスウィートがけっこう一緒に取り(ハモりながら、という場合が多いか)、基本は笑顔の和みの場を提供しましょうというもの。リトル・フィート(2000年12月8日)の「ウィーリン」からバングルズの「マニック・マンデイ」(プリンスが変名で提供した曲ですね)までいろいろやったが、驚いたのはトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)の美曲「ハロー・イッツ・ミー」のとき。この曲だけ、ホフスのハーモニー・ヴォイスはちょい狂いがちで、男性陣のギター・コードの付け方もなんか違和感あり。ラングレンの微妙な才が活きまくった、難しい曲なんだとアと実感させられました。

 ホフスはスウィートに比べると外見上の劣化は少なく、いかにもアメリカのサバけたロックおばさんという感じ。全米1位曲も出しているバングルズを育てたのは後のフィッシュボーン(2007年4月6日、他)の育ての親でもあるCBSコロムビアの社員A&Rでもあったデイヴィッド・カーン(彼、近年はポール・マッカートニーと仲良し)。で、スウィートの86年コロムビア発の初リーダー作を制作したのもカーン。というのはともかく、いまだ眩しさをほのかに持つホフスの歌に触れて、ぼくはナタリー・アークエンジェルのことを思い出さずにいられなかった。アークエンジェルはやはりカーンが87年にコロムビアから送り出した自作派女性歌手だったのだが、ぼくはそのデビュー作がもう大好きで大好きで♡。プリンス並みの才を持つ、なんてのぼせたはずだもの。綺麗な人で、胸もデカかった(ちゃんと、プロモ来日したことあり)。ぼくは痩せた女性が好きで胸の大きさにはこだわらない人だったが、彼女に会っていこう、胸が大きいのもいいかもしれないと思うようになった(かな?)。90年代に入ると彼女はMCAからアルバムを出したりもしたが、それはだいぶ魅力は減じていた。ナタリーさあん、今どーしてますかあ?

 仕事を受けすぎていて、朝6時から殊勝に原稿打ち。そりゃ、3時を回るころには、精力使い果たすわな。ふう。ゆっくり、日比谷野外大音楽堂に向かい、去年からやっているフェス(2009年4月4日)を見る。内外6アーティストが出る催しだが、そんなわけなんで、最後の訪日米国人2アーティストを見れればOKという思いナリ。会場に着くと、ラスト3番目のハンバート・ハンバート(2009年10月7日)がやっている。

 それにしても、寒かった。真冬の格好をしていったのに、ブルブルしっぱなし。当然、お酒を飲むスピードは上がり……。会場うしろのほうは適度に空席があり、そこで酒盛りをやっている知人グループが複数いて、誘われるまま気ままに混ざったりもし、どんどん飲んじゃう。う〜、楽しくて楽しくてしょうがねえ。それため、公演の様の記憶はいつもにも増して薄いのだが、いやあいいイヴェントだなあという思いだけはしっかり残る。それは、終演後に楽しく流れることができたこともとてもプラスに働いているか。

 トリのジョー・ヘンリーは、横浜公演のとき(2010年4月1日)より、力が強かったような。まあ、寒いなか沢山の聞き手が温かく聞いてくれているということで、本人も気張ったところはあったのではないだろうか。一方、その前に登場したジェシー・ハリスはパーカッション奏者を伴ったデュオでのパフォーマンスながら、前回のときのようにギター・バンジョーを多用せずにエレクトリック・ギターを持っての実演。この気候では、そのほうが明解なメリハリがつくのでありがたい。一緒に飲んでいた彼の歌を初めて聞いた年配の方が、「なんか、ポール・サイモンを思い出すなあ」。ハイ、その感想は間違いないと思います。かつて、彼に取材したとき、同様のことを本人に指摘したことがあった。「そんなにポール・サイモンは聞いてはいないんだけど、でも、二人とも生粋のニューヨーカーだから持ち味が重なるんじゃないかな」、という答えを彼は返してきましたが。

 後日、ハリスに今回もインタヴューしたら、△×○さんの前座ツアーで電気ギターを持ってやったら、また今はエレクトリック・ギターのモードに戻ったのだそう。で、09年作『ウォッチ・ザ・スカイ』(←フェス名は、ここから)はバンジョー基調のサウンドで自分の曲を開くという内容を持っていたが、三度バハマのコンパス・ポイントに出向いた新作(『スルー・ザ・ナイト』。発売はそのうち、とか)はエレクトリック・ギターを全編的に用いたもの。フォホー・イン・ザ・ダークというブラジル人ユニットらサポート奏者もバハマに連れていったそうで、さすが「ドント・ノウ・ホワイ」の印税は途切れていないようで羽振りはいいナ。もちろん、同作の共同プロデュース/アレンジはバハマ在住のスタックス・レコード育ちのテリー・マニング。じつはそのなかにあるスタックス風のホーン・セクション音がついた曲「オール・ザット・ハプンド」は、少し「ドント・ノウ・ホワイ」の続編といったメロディ感覚を持つ。ハリスはもう1枚、トニー・シェアー(2009年5月8日、他)らが参加したインスト作も作っていて、それはジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)のレーベルからリリースされるそう。ニッキ(2009年8月3日。閉会式で歌ってため、今年の冬期五輪をよく見ていた人には著名なようね)のプロデュースも大御所フィル・ラモーンと分け合っているそうだし、悠々といろんなことにあたっているな。別れ際に「じゃ、また来年」と言ったら、「今年になるかもね」。ハリスの彼女は綺麗なアメリカ人だが、ほんと日本が好きらしい。

 ノルウェイ出身の、人の良さそうなフォーキィ・デュオ。なんかサイモン&ガーファンクルを思い出させるものから、もっと今様な視座を感じさせるものまで、基本ギターを弾きながら歌う二人ですべてはまかなわれるわけだが、ちゃんとワクワクしたショウをきっちり遂行できちゃっているのは素晴らしい。まあ、ギターの噛み合いを見ても、相当吟味されているゾとは思わされるわけだけど。驚かされたのは、人見知りが強そうな彼ら、相当に客扱いがうまいこと。客席をいくつかに分けて、コーラスを付けさせたりする場もあるが、それも立派なもんだあ。

 渋谷・O-イースト。近所の馴染みの店に流れたら、日本代表サッカー・チームの対セルビア戦の終わりのほうが流れている。おお、完全に終わっている。こんな試合、会場で見せられたら……。監督はかえられるべき。本戦で勝てないにしても、新統率者に少しでもワクワクできるほうがまだマシではないか。


 昨年3作目『テイク・ラヴ・イージー』を出したものの、あっさり結婚して(新作タイトルに引っ掛けて、本人は「テイク・マリッジ・イージー」なぞとも言っていた)新婚休暇に入っちゃっていたカナダ在住ユダヤ系女性ジャズ歌手(2007年8月24日)のショウはなかなかに充実したものだったな。若手ジャズ歌手のなかでトップに成功を収めている人とも言えそうだが、キラキラと生理的に輝いているパフォーマンスに触れると(よりあか抜けて、可愛らしくなっているとも思えたりも)、それも当然のことと思えたりしますね。

 カナダ人だろうピアノ、サックス、ベース、ドラムを従えてのもので、けれん見なく、娯楽性とふくよかさと一握りの現代性を持つジャズ・ヴォーカル表現を開く。アンコールは、ピアニストとのデュオでオスカー・ピーターソンに捧げてのスタンダード「テンダリー」。旧ソ連〜イスラエルを経てカナダに移住して、最初に触れたジャズのライヴが父親に連れていかれたピーターソンの公演。そして、彼女はジャズ、そして自由の素晴らしさを実感し、天にも登る気持ちになったのだった。……洗練と隣り合わせの真心であり、ジャズへの純真。やはり、それが彼女の表現を支える肝と言えるかな。近作でも取り上げていたブルース・スプリングスティーン曲(「アイム・オン・ファイア」)も披露していたが、まるで違和感なし。ぼく、スプおやじが相当に苦手(だって、辛気くさいぢゃん)でなんも興味を持てなかったりするのだが、少し身近に感じた? って、おいおい。

 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。その後、某誌の某氏の社内異動に際してのおつかれさま会。4軒流れて、朝の8時すぎに店を出たら、晴天かつとってもあったかい。わーい、春だあと浮かれたが……。

 甲高いいい声、グビっとくるギター・ソロ、やっぱ、いいじゃん! 80 年代中期にブレイクした好ブルース・マンの実演は、相当に良かった。精気があり、余裕もあり。53年生まれだから、四捨五入すれば還暦という歳だが、そんなに老けた感じもなく、ぐぐいっと、聡明さを散りばめつつ飛ばす。とっても久しぶりに来日した昨年のとき(2009年5月24日)よりも、ハコの音がいいせいもあるが、印象がかなり良い。もう、びんびんブルースの良さが伝わってきました。一時クレイはかなりハイ・サウンド系R&B色が強い表現を志向していたことがあったが、今回の実演では純ソウル調曲は一曲のみで、ストレートなブルースのコード進行曲は少なかったものの、ブルース基調曲で突っ走ってくれたのも、ぼくは嬉しかった。

 クレイというとすぐに思い出すのは、彼はブルース・サークルでは育っておらず、彼が最初にハマったのはザ・ビートルズとかのロックで、十代半ばにしてブルースを発見し、夢中になった……つまり、白人ブルース・マンと同じ筋道でブルースの道に入っているということ。それゆえの明解さもあるし、ブルース・バンドとしては構成員が破格にちゃんとしているのもそれゆえのことと思わせる(ギターを指弾きではなくピックで弾くのも、ロック系の出だと思わせるか。また、チューニングのわずかな狂いも嫌ってだろう、1曲ごとにギターを換えるのも……)。そのバック・バンドは、白人のキーボード奏者とドラマー、そしてイカれた感じなから堅実な演奏を聞かせる有色のベーシスト。本当に彼らは確かで、好印象はそのサポートゆえの部分も少なくなかったはず。また、彼らが本当に仲が良さそうで、それもいい感じ。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 現代ロックの重要人物、ジム・オルーク(2009年5月31日、他)が主導する、いろんな人がほんわかお手合わせした出し物。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 20世紀下半期の米国ポップ音楽界においてもっとも洒脱な作曲/編曲作業をしたと言えるかもしれないバート・バカラックの曲を日米の精鋭たちとカヴァーしたトリビュート作をオルークは出したばかりだが、これはそれを継ぐものとなる。その出演者は、オルーク(ギター、歌)に加え、クリヤ・マコト(ピアノ。2010年2月19日)、パニック・スマイルの石橋英子(キーボード。2008年1月30日、他)、青山陽一(ギター、歌、シェイカー)、須藤俊明(打楽器、ベース)、シカゴ音響/ジャズ系のダーリン・グレイ(ベース、打楽器)、ウィルコ(2003年2月9日)のグレン・コッチェ(ドラム)にプラスして、佐々木史郎(トランペット)、坂田明(歌、クラリネット、アルト・サックス。2009年7月19日、他)、細野晴臣(歌、ベース、ギター。2009年10月12日、他)、カヒミ・カリィ(歌。2009年5月31日、他)、ビューティフルハミングバードの小池光子(歌)、相対性理論のやくしまるえつこ(歌)、山本達久(打楽器。2010年1月9日、他)という面々が曲により出てきて関わる。オン・フィルモアという不思議系デュオ・ユニットを組んでもいる米国人の二人はともに、オルークのシカゴ時代の古い知己ですね。

 青山が歌うオープナーが始まったときは、全体的にまとまりがなく、素人っぽくもあり、達者な人が揃っているのに、どうなることかと少し思った。リハ不足は明らか。レコーディングはけっこう別録りで、PC技術を駆使しているのかな。3曲目で坂田明が登場したとたん、場にプロっぽい雰囲気や余裕が表れて、さすが坂田御大と敬服。歌は、彼と小池光子(初めてきいたが、いい歌手)と宮沢喜一になんか似てきたと言われる細野晴臣はさすがと唸らせるものあり。オルークはけっこうバック・コーラスも取り、一曲ではしっかりリード・ヴォーカルも取ったが、けっこう声も出ていて訴求力を持つ。まあ、前衛/冒険方面作だけでなく、『ユリイカ』や『インシグニフィカンス』とかとても優れた歌心が息づく純ポップ作も彼は出しているわけだし、なんの不思議もないわけだけど。あ、このプロジェクトはあの路線の延長というか、バカラック愛好がそのポップ路線には素直に出ているとも言えるか。

 素直な愛とちょっとした新たな視点の追加を少し加えた、甘美なバカラック派生表現の夕べ。古典との距離、米国人と日本人の邂逅、とか、いろんな視座を持ち込めるものでもあり、やはり触れられてうれしいという気持ちは得たし、オルークにはこれからもいろんなことをやってほしと切に思う。

 それから、日本在住のオルークはほぼ1曲ごとにMCをしたが、それはすべて日本語にて(うち、小坂忠;2001年12月16日、の『ほうろう』が一番好きな日本のポップ・アルバムという発言あり)。で、端々から、腰の低いいい人ぶりが驚異的に伝わってくる。へえ〜。そりゃ、こんな人ならアメリカにはいづらいはずだよなー、と思わずにはいられず。とともに、なのにあれだけ、音楽の世界でのしあがれたなーとも。それこそは、秀でた音楽の才ゆえ? 

松田美緒

2010年4月19日 音楽
 ポルトガル語圏音楽が持つ揺らぎやしなやかさを自在のスケール感のもと自分のヴォーカル・ミュージックとして送り出している女性シンガー(2005年7月11日)、青山・プラッサオンゼ。セカンド・ショウから見る。ショーロ・クラブ(2002年3月24日)の澤田穣治(ウッド・ベース)と阿部篤志(キーボード)をサポート奏者に迎えてのもので、3人流でトム・ジョビン曲を紐解くというユニットのよう。実は、サポートのお二人はかなり我のある演奏をする人たち、でもだからこそ私は自分を投げ出せるという感じで、自在に彼女は肉声を舞わせていく。そんなわけだから、材料はボサノヴァの巨匠曲だが、ここで繰り広げれられるものは一般のボサノヴァからは離れたものになっていた。それも、また興味深し。

 この晩がこのユニットでの初ライヴのようだったが、まだ当人たちも今後どう動いて行くのか不明の部分があり、その揺れ具合が“生の場”の出し物としての意義につながっていた、とも書けるか。(このユニットでは)コンサートごとにいつでも違う曲をやりたいといったようなことを松田はMCで言っていたが、決まったことを排して、音楽を育んでいきたいという気持ちは正しい。ジョビン曲って一杯あるだろうし。

 とことろで、先週からのアイスランドの火山噴火で欧州の空路が閉じていて、複数のメールに“still stuck”という単語を認め、すっかり頭のなかがフィッシュボーン祭りになっている。←彼らは06年に『スティル・スタック・イン・ユア・スロート』というアルバムを出しているのダ。単純な、オレ。足止めをくらっている知人も何人かいるみたいだし、逆に帰れなくなった英国人をとめてあげたりしている知り合いもいる。今、出演者(オランダ人歌手のトレンチャ)が来日できずにブルーノート東京の営業は止まっているようだが、これが夏のサマーフェスのシーズンだったらとんでもないことになるだろうな。

 ぼくが万が一、こういうアクシデントに見舞われたら……けっこう楽しんじゃおうとするかな。だって、帰れなくて仕事をとばしてもこういう状況なら間違いなくみんな許容せざるをえないはずで、開き直ってエクストラ滞在を楽しんでしまうはず。まあ、ちゃんと宿泊場所が確保できているのが前提だが。ぼくは海外でトラブったことは皆無で、飛行機の大幅な時間遅延もない(あ、2000年8月11日に書いていることぐらいかな)。過去、ぼくは仕事したくないから海外にPCを持って出たことはない(メールなんて、ホテルのビジネス・センターや街のネット・カフェでいくらでもチェックできるし)、でもこんなことが起きた時のストレスなしの連絡や情報を容易に取れるようにするためには、考え方を改めておいたほうがいいのかもしれないナ。

追記)わあ、さすが百戦錬磨の、田村夏樹/藤井郷子夫妻(2010年1月9日、他)。二人はちょうど英国をまわっているときに空路閉鎖にあったが、臨機応変に電車にかえてスコットランドからブリストルに移ってギグをし、フランスにもちゃんと渡りリールでの最後のライヴをやり、見事に正しい選択のもとミュンヘン空港が開いてすぐの便で帰国。そのまま、二人は間に合わなかったma-doのツアーの初日だけをキャセルしただけで、元気に日本を回るようだ。その感動的な手際のよさは、二人のHPのツアー・ブログにくわしい。リアル・ジャズの人はほんと強い!

 ジャズとエンターテインメントが同義であるような、寛いだなかに、お茶目さと滋味がにじみ出るような表現をきっちり提示。あまりこのおじいさんに親しんで来ているわけではない。ながら、一度ぐらいは触れてもよかんべえという軽い気持ちで見に行ったら、望外にいい感じだった。それは、熟練ソウル系実演に触れたときの所感とも重なるか。やっぱり、彼もいっぱい日々の営業をこなしているんだろうな。大人向けの米国エンターテインメント業界はやはり、本当にぬかりない。

 フレディ・コールは故ナット・キング・コールの一回り違いの弟、ようはナタリー・コール(2008年6月28日、他)のおじさんでもある、シンガー/ピアニスト。ギタリストとウッド・ベース奏者とドラマーがサポート、彼の最新作はライヴ盤だが、そこでのパーソネルと同じ顔ぶれによる。ドラマーがアフリカ系で、ギタリストはけっこう若め。ものすごーく、チーム・ワーク良好。

 偉大な兄と同じ持ち楽器だが、兄の威光を寄りかかろうともせずに(前には、兄のレパートリーで固めるようなこともやった、とは聞くが。それに、ギター付きの編成というのも、兄が得意としたものだよな)、悠々とスタンダード曲を取り上げつつ、おいらの洒脱でくつろいだ節回しや指さばきを開いていく。もう、ちょいとした間の取り方や、客への働きかけもとっても巧み。場所場所でピアノを弾くのをやめて歌ってみたりもするので、そうしたとき、堅実に刻みを入れるギタリストは役割が高まる。終盤の2曲はピアノから立ち、中央に出て、彼は歌った。本編が終わると嬉しそうにお客さんに微笑みかけ、頃合いを見て人差し指を一本立てもう1曲ききたいと問うて、ステージを降りることなく効率的にアンコールに行く様もとてもお上手。何からなにまでそういう感じで、場を掌握したスウィンギンな娯楽ショーとしてはほぼ非の打ち所がないんじゃないか。80歳目前の彼だが、猫背ぎみな所いがいは矍鑠、元気そう。年季って大事、そいういう芸能を自然体でやっている素敵がそこにはあった。

 終わったあと、2冊目となる自著本のプローモーションのためすでに20年以上住むNYから帰国している音楽カメラマンの常磐武彦と飲む。その本は、「ニューヨーク アウトドアコンサートの楽しみ」(うわ、長いタイトル。俺が編集者だったら却下だと思うが、なるほど内容は著すか)という、長年現地に身をおいてこその写真と情報と蘊蓄をいろんな角度のもと散りばめたもので、おおオール・カラーじゃないか。140頁強で1.300円、情報出版センター出版部刊。で、本に挟まっていた同社出版案内のチラシを何気に見たら、知り合いのカメラマンのMIKA POSAも「パリの子供の一週間」という写真本を、同じ<私のとっておき>というシリーズで出しているじゃん。常磐くんも彼女のことを知っているというので、さっそく電話。よくパリに行っているみたいだけど、今回は空路閉鎖の前に帰国していたホっとしているよう。ともあれ、常磐本もPOSA本も、興味ひかれた方はよろしくされたい。

 昨日は久しぶりに陽光が射す温かい日、なんと今年初の夏日であったのだとか。ホっとしていたら、今日はまたおおいに寒い。おまけに、雨天だ。起床してプルル、迷うことなく、エアコンの暖房を入れちゃったよー。先週土曜のように雪は降らないが、槍でもナンでも降ってこーいという気持ちに悲しみを通り越して生理的になる。トホホ。なんでも、昨日とは20度近くも温度差があったらしい。

 20年ものキャリア中、もっとも時間をかけてスタジオ・レコーディングしたという新作『渋夜旅』をフォロウする不破大輔率いる大集団(2009年9月27日、他)のライヴ、渋谷・クラブクアトロ。約30名によるパフォーマンス。例により、きらびやかに無礼講。場や参加者の顔ぶれやそのときのキブンとかで、同じ曲や仕掛けであっても振幅あり。そういう部分が、ジャズだなとふと思う。

 ずっと野外での実演に触れていて、なんか室内でのもの(しょっちゅう、やっているけど)に触れるのは久しぶりという感じ。ぐびぐび飲みながら気ままに見ていたら、なんか、MC渡部の冴えもあり、どんどん渋谷じゃない感じにもなっていき、彼らが渋谷でやるときは、<渋さ知らズ>ならぬ<渋谷知らズ>と名乗ればいいナ、なんて思ったりも。あ、おやじギャグな物言いで失礼。書いて、少し顔が赤らんでいます。2時間半強のパフォーマンス、外に出て歩くと、なんと吐く息が白い。わ。

ウィルコ

2010年4月23日 音楽
 おー、今日も寒い。真冬でもほとんど使わないのに、リモコンも目の前にあるし、即エアコンを入れちゃう。なんでも、今日は4月の寒さとしては、58年ぶりぐらいのものとなるそう(と、ニュースが報じていたような)。もう、一つ泣き言。最寄り駅直結の、そこそこの広さを持つ本屋さんが3月いっぱいで閉じてしまった。まあ、一駅で複数の大型店があるターミナル駅があるとはいえ、地元に本屋がないとうのは意外に不便だ(思っていた以上に、使ってもいたのだナ)。閉まって少し後から、なんか寂寥感まがいのようなものがじんわり出てきた。えーん。

 この米国ロック界英知のバンドが初来日公演をやった(2003年2月9日)のはもう7年間も前となるのか。会場のゼップ東京はかなりデカい箱である(と、今回あらためて思いました。ステージも広いし、天井も高い。隣にいた知人と、フェス出演者として前回出たあの広い幕張メッセと見え方にそれほど開きがあるわけではないね、なぞと言葉をかわす)のに、もうフル・ハウス。かなりな、動員。センセーショナルな話題を持つバンドではないものの、良質なバンドにはちゃんと支持者がついて、ライヴの需用がちゃんとあることを痛感させられ、良かったァという思いをおおいに得る。フロア後方には、ジャム・バンドのようにテーパーズ・セクション(私家用途の演奏録音者のためのスペース)が設けられていたとも聞く。でも、こんなに混んでいると、その区画も普通のオーディエンスが入りこまざるをえなかったのでは。どーだったたんだろ? ともあれ、アナタタチヲ我々ハ心カラ待ッテイタという気持ちを外にすんなり出していたオーディエンスはときに合唱したりもし、繰り返しにはなるが、客の熱烈歓迎同数はそうとう高かった。

 北(シカゴ)で結成された、一味違った視点を持つオルタナ・カントリー・ロックのバンド。当初(90年代中期結成)、彼らはそんなノリを持っていたはずで、前回来日時もフロントに立つジェフ・トゥイーディが生ギターを持つ場合はそういう残り香を感じさせたりもしたのだが、今はそういう感触は与えないバンドになっていたか。乱暴に言ってしまえば、UKロック界にはレディオヘッド(2008年10月4日、他)がいて、南米にはカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)がいて、USロック界には彼らがいる……。

 <確かすぎる歌心>と<今を闊歩したいという思いと繋がる前進精神>が有機的に綱引きする、才気にも富むが実直でもあるバンド表現を、大人のやり口で悠々と開いて行く様はホント圧巻。すげえ。味わい深い。刺激をたんまり受ける。うれしすぎる。ロック界の至宝、そんな大仰な形容もアリではないか。セット・リストによれば25曲ほどはやっているはずだが、いろんな情報をみごとに孕むパフォーマンスには息を飲みまくり。きっちり心に嵐を持ちつつ、曖昧な効果音的な音を使うことを良しとせず(さっき、レディオヘッドの名を挙げたが、彼らの場合は意図的にそういう音を用いる)、意思を持った生身の人間力の拮抗で日常や常識から越境する音を出していることの素晴らしさたるや! 書き遅れたが、現在彼らは、ヴォーカル/ギター、ギター、2キーボード、ベース、ドラムという6人編成。メンバーのグレン・コッチェ(2009年4月15日。今日は、デカいキットを用いていた)とネルス・クライン(2009年1月9日)は今年別の単位による演奏も見る機会を得ているわけだが、その後だと余計にウィルコが持つ“美味しい回路”が分かりもする。なんにせよ、視野の広いアメリカの大人のミュージシャン、凄すぎ。

 ところで、会場で知り合いと話していたら、彼に英国調英語を話す外国人がはなしかけてくる。プライマル・スクリーム(2009年1月28日、他)のマニがアジアに来ていたものの、英国に帰れなくなって東京に来ているらしい。で、金、土、日は各所(南青山。下北沢、新木場など)でDJやりまくるらしい。ここにも、アイスランド噴火による欧州空路封鎖の影響が。

シック

2010年4月30日 音楽
 ベースのジェリー・バーンズやサックスのビル・ホロマンなどおなじみの人もいるがフロントの人たちは変わり……って、前回来日の項(2009年4月6日)の記載と同じじゃん。ナイル・ロジャースの両側に立つ女性シンガーのうち一人、ヒメネス嬢は少しスペイン語の単語もMCで用いたりもするが、ラテン系の綺麗な人。ロジャースもそれを強調するように、彼女をフーチャーする曲のカウントのとき、スペイン語でやったりも。ともあれ、今回一番印象に残ったのは、ナイル・ロジャースが少し若返った感じを与えたことかな。いい人で、元気そう。それ、開演前に会場内を歩いていた彼と少し言葉を交わしての所感です。白いスーツでばしっと決めた彼(メンバーもみんな白い衣服で統一)、なかなかに格好よかった。

 秀でたグルーヴと華のある、保証付きのソウル・ショウであるのは毎度のことだが、かつては断片だけ披露していたロジャースのプロデュース曲、たとえばマドンナ(2005年12月7日)の「ライク・ア・ヴァージン」(先の、ヒメネスが歌う)やデイヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」(ドラマーがリード・ヴォーカルを朗々取った)などはフルで今回は披露。ま、ショウの演目は日によっても臨機応変に変わるのかもしれないが。また、客の声に従い、デュラン・デュランの「ノトリアス」の一節をやったりも。あのロバート・ワイアットも認めるようにシック自身の曲にも名曲は多いし、ほんとうにロジャースと故バーナード・エドワーズというシックのツイン・トップは時代を彩るいい曲をごんごん送り出したんだなと痛感。キップ・ハンラハン(2003年8月9日、他)は「(多くの人にとって)スライ・ストーンの曲は人生のサウンドトラック」というような言い方をしていたが、シックがそれに相当する人も沢山いるんだろうなと思うことしきり。

 それから、前回同様にお客をステージにあげてのギター・コンテスト(素材は「おしゃれフリーク」)もあり、今回は参加者に60歳という会社員(隣にいた、外国人にバカ受けしていた)や女性もいたりして、よりアトラクティヴ。とかなんとか、山盛りの90分。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 世は、ゴールデン・ウィーク入り。なんか、人口密度が少し低くなり(それは、電車に乗って感じたか)、すこしテンポがゆったりしたようなのは気のせいか。やはり、不況とはいえ、普段の東京の商ベースのエネルギーは破格のものがあるようだ。……って、ぼくの家の周辺は少し騒がしかったりもするんだけどね。今、離婚騒動の渦中にある沢尻エリカ嬢の実家がぼくの住むマンションの3軒となりで、連日マスコミの人たちがいっぱい道ばたに張っている。最初、なんかの撮影やっているのかと思った。雨の日でもいつでも、トイレどうしているんだろ? 一瞥しただけでも、彼らはとんでもなく不毛で非人間的なことをやらされていると感じずにはいられず。

 話は飛ぶが、かつてスペインで名刺を交換したティナリウェン(2005年9月2日)の関係者から一斉メールが。なんでも、ひどい旱魃がトゥアレグ族にとんでもないダメージを与えているそうで、寄付を募っているということ。
http://www.tamasheq.net/northern-mali-drought-appeal.html
 ティナリウェンは6月10日にヨハネスブルグで行われるFIFAワールドカップのキックオフ・イヴェントにもアリシア・キーズ(2008年8月10日)やフアネス(2006年11月9日)やアンジェリック・キジョー(2007年12月12日、他)やブラック・アイド・ピーズ(2001年2月2日、2004年2月11日、2007年8月8日)らとともに出演することになっている。あと、40日か。うーん、今年のワールドカップは比較的平常心で見れそうだよなー。