ヒャハ。アイルランドからやってきた、かつてはプランク・シティというバンドを一緒にやったこともあったお二人の公演、日本語があふれていたな。初期の「リヴァーダンス」ショウの音楽的な要であったアーヴァインの今の奥さんは日本人で、ラニーは日本人と結婚していたことがありかつて沖縄に住んでいた。そりゃ、日本語フレンドリーになるよな。とくに、ラニーは手慣れた感じがあった。現代アイルランド・トラッド音楽の重鎮二人が何かと日本と近いというのは、ちょいうれしい? 

 最初に、日本人3人組のジョン・ジョン・フェスティヴァルが少しパフォーマンス。フィドル/ヴォーカル、アコースティック・ギター、バウロンという編成で、アイリッシュ・ミュージックに感化された表現を聞かせる。フツーにいい感じで、好感を持つ。女性フィドラーが「ジョンです」とおっとりと自分の名前としてそれを言った際には、ギャフンとなったが。彼女たちは最後に、巨匠たちの演奏にも加わった。

 ラニーとアーヴァインのパフォーマンスは、培ってきたものを、我々なりに悠々と……という説明ができようか。ただ、そのためてきたもの、当人たちのタマが違う。面々はアコースティック・ギター、ブズーキ、マンドラなどを持ち替えつつ重なるわけだが、ただ聞くと気持ちいいが、細かく接しようとすると、もう1つの部屋に入り込んでしまう感じになるか。素材は古い楽曲群だが、それをときに清新なフォーキィ曲にまですうっと移行させるような動的な力はすごい。ヴォーカルはアーヴァインが取るものの方が多いが、彼の歌はハマった味あり。一方、ラニーは少し下手ウマ的で、ペーソスあり。

 代官山・晴れたら空に豆まいて。15時からの追加公演。入りはきっちり。今回、彼らは日本数カ所のツアーを行なっている。家からテクテク目黒川沿いを歩いて会場に行ったが、花見客ですごい混雑。3〜5部咲きか? 今週末まで持つかな。

<今日の、記憶>
 ぼくのアイリッシュ・ミュージックへの垣根を下げてくれた最たる人が、ドーナル・ラニーだった。1998年にサンフランシスコのアイリッシュ・ミュージック・フェスティヴァルを複数日覗いたいたことがあって、それでその酒飲み文化にも触れ、同地の音楽がちかしく思えるようになったんだよな。その場所は海沿いのかつて倉庫だったバカでかい会場で持たれていて、そのフェスの成り立ちや来ている人の様に触れて、ウシシシとなったのだった。いろんな人が出ていたのだが、ラニーのバンドやキーラ(2004年2月8日、2004年8月28日、2006年9月24日)が一番印象に残った。実はその渡米は、スティーヴィー・サラス(2004年7月29日、2004年8月3日、2004年8月27日、2004年9月1日、2006年9月24日)がプロデュースした自作派日本人シンガーのTAISUKEの取材でのLA行き。PVをハリウッドのスタジオで撮っていて、そのシチュエーションはとても興味深かった。TAISUKEくん、ナイス・ガイだったな。そして、ついでに単身シスコに飛んで、そちらも覗いたわけ。あの体験がなかったら、アイリッシュ音楽にはもっと外野の態度を取っていただろう。いや、今も詳しいとかは思っていませんが。
▶︎過去の、キーラ
http://43142.diarynote.jp/200402121447380000/
http://43142.diarynote.jp/200408281712140000/
http://43142.diarynote.jp/200408270900140000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20040901
http://43142.diarynote.jp/?day=20060924
▶︎過去の、スティーヴィー・サラス
http://43142.diarynote.jp/200407290730290000/
http://43142.diarynote.jp/200408030059330000/
http://43142.diarynote.jp/200705181808030000/