何も事前の知識がないままに接し、ぎゃははは。なんじゃコレ。そして、その後はと言えばぐいぐい引き込まれ……。。

 主役のディエゴ・エル・シガーラ はフラメンコ界トップに立つ歌手であるそう。1968年生まれで、ワイルドな風貌を持つ。ショウは20分はおして始まり、本編は治まりの悪いカタチで終わる(客の多くは戸惑っていた)など、後で触れる我が道を行く音楽性ともども整った表面に留意しない、鷹揚な部分がいろいろと目についた。けっこう進行もキブンだった感じがあって、ある種のスパニッシュ・マナーに触れたと思えたかもしれぬ。渋谷・Bunkamura オーチャードホール。

 まず、ピアノ、電気ギター、ウッド・ベース、大きめのキット(複数のシンバル付き)を用いるパーカッション奏者の4人が出てきて演奏するのだが、これがどう聞いてもラテン調。ピアニストはキューバ人だそう。ギター奏者はヘラヘラよがったジャズ的ギター奏法を見せる。が、彼にソロを嬉しそうにふるなど、シガーラはそのギタリストを喜んで起用している感アリ。実はそのカルテット演奏は少し落ち着きの悪さを感じさせる。後から、来日直前になってピアニストとギタリストが変更になったことを知り、納得した。

 そして、シガーラが千両役者的に出てくるのだが、不用意に髪が長くて、なんかぼくは爆笑。それがスペインの色男の一つの流儀なのだろう(?)。後から生ギターを持ったフラメンコ・ギター奏者も出てくるが、カルテットと一緒にやっているときはそんなに目立たず。なんにせよ、バンドはやはりラテンっぽい演奏をし、そこにフラメンコ的厚かましさは持つもののくだけた感じで、シガーラはフラメンコ調の歌を流していく。最初、それにぼくは違和感を覚えたが、このサウンドは俺が掌握しているというシガーラの風情に接するとこれもありなのだろうと思えてくる。ようは、妙な説得力があったということか。

 また、ぼくは以下のようなことも思った。たとえばジャズの世界を見てみると、才と創造性を持つ働き盛りジャズ・マンが4ビート/定型のジャズ様式に飽きてはみ出さんとしているように、フラメンコの担い手のなかにもトラディッショナルな行き方に萎えている人もいるんだろうな。。。。で、シガーラはフラメンコとちょいジャジーなラテンの不思議な重なりに自分の歌を載せるのををおおいに楽しみ、意義を覚えている。当然そこにフラメンコの感覚はあるものの、それらは固有の掛け声や手拍子は似合わない感じの表現になっている。だが、同じスペイン語の音楽だしくっつけたっていいぢゃんと彼はあっけらかんと言っているようにも、ぼくには思えた。あぁ汎スパニッシュ音楽、ってか。

 3分の2が終わったころだったか、最初に出て来た4人がステージからはけ、フラメンコ・ギター奏者が残り、基本シガーラとデュオでパフォーマンスする。すると、やはりフラメンコ濃度は高くなるが、それもぼくの耳には正調のフラメンコからは離れていると感じた。とにかくデュオになって分ったのは、ディエゴ・デル・モラオというギタリストが異様に腕が立つということ。ぼくのツボと合致したからかもしれないが、これまでぼくが触れたフラメンコのギタリストのなかで一番ドキドキできた。そんな彼のギター演奏とオイラの歌の有機的な重なりはやはりどこかでジャジーという言葉をぼくには思い浮かべさせるものでもあり、当然曲は長目。各曲、10分ぐらいあったのではないか。その様、シガーラとモラオがもう一つの空間と余韻を共有しあっていたと書けるものであった。ああ、スペース・フラメンコ!

 そんなことを悠々と求める人がトップに君臨するフラメンコ界って、おもしれえ。全然なめてはいないんだけど、フラメンコってぼくが考えていた以上に、しなやかで深みを持つものなんだろうなと実感してしまった。あまりシガーラの歌唱については触れてませんが、それがいい味だしていたからこその、今晩のぼくの肯定的所感でもあります。

<今日の、アフター>
 シガーラ公演は急遽見ることにしたのだが、見に行って大正解。お座敷予定があったために1時間だけ見ようと思っていたのだが、興味深くて、席を立てなかったのココロ。本編が終わり、意を決して会場を後にしましたが。その後、駆けつけた先で、この我が道を行く“スペーシーな、ラテン・フラメンコ”の様を説明したのだが、分ってもらえない。ま、ぼくも同じ立場になったら、いまいちイメージできないだろう。うーぬ、シカーラの既発作をほじくり返したくなった。創造性と好奇心をかけて変なこと、はみ出したことをやってるブツがいろいろとありそうじゃ。あ、それから、デュオになってから、曲が終わるごとにシガーラとモラオは芝居っけたっぷりに熱い抱擁をかわす。そういう突っ込みどころがいろいろあるというのも、確かなエンターテインメントなり。