サム・ムーア(2006年11月14日、2008年8月31日、2010年12月15日、2011年7月27日)御大は、80歳なのだとか。ショウの最中に。それを祝うセレモニーも持たれた。その元気なショウにふれながら〜オフ・マイクで歌う時もあり〜、彼のこれまでの道程に思いを巡らし、、、、。ムーアが30歳のころ組んでいたサム&デイヴの全身ゴム毬のような1960年代の白熱ライヴ映像は本当に“ダイナマイト・デュオ”という異名がぴったり。(スタックスの欧州パッケージ・ツアーで一緒だった)あのオーティス・レディングが彼らと一緒にやるのをイヤがったという話もさもありなん。その陽性さはマイアミ生まれという出自は関係ありか。なお、サム&デイヴのもう一人、デイヴ・プレイターは1988年に亡くなっている。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
まさに、レジェンド。バンドの前奏のあと、まずコーラス隊がステージに上がり、その後に御大が出て来たのだが(ワイヤレスのマイクを持っていて、上がる前に少し歌っていた)、そこで観客はもう総立ち。終演後の熱い拍手歓声も含めて、それはおおおって思わせるものであったな。
サポートは、キーボード、ギター、ベース(ガンバの宇佐美をなんか思い出させる細長い顔の彼は毎度来ていて、ミュージカル・ディレクターを務める。本日のJ1のシーズン優勝を決める二分の一の試合で、サンフレッチェが勝って良かった)、ドラム、4管(2人が日本人)、3コーラス。ぼくが見た過去公演はドラマーだけがアフリカ系だったが、今回は全員非アフリカ系。でも、それでなんの問題もない。ギタリストもずっと来ている人のような気もしたが、彼が1曲でスライド・バー使用のソロを取る局面があった。その様は故デュエイン・オールマンのそれをいろいろコピーしましたというものでニコッ。デュエインもマッスル・ショールズでいろいろなソウルのレコーディングに参加していましたね。→http://43142.diarynote.jp/201406270933515875/ 参照。
演目は「ソウル・マン」や「ホールド・オン」や「アイ・サンク・ユー」といったサム&デイヴの黄金曲に加え、例によりソウル名曲のオン・パレード。それらは、例えば……
▶亡くなってそれほどたっていないアラン・トゥーサン(2006年5月31日、2006年6月1日、2007年10月21日、2009年5月29日、2011年1月10日、2012年10月15日、2013年10月22日、2015年1月21日)が1966年にリー・ドーシーのために書いた、「ゲット・アウト・オブ・マイ・ライフ、ウーマン」。ブルース・コード発展曲なので、この表題もしっくり来ますね。▶ハイ・サウンド発のソウル・スタンダード「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」。もともとは1973年にアン・ピープルズがヒットさせ、この前来日したグラハム・セントラル・ステイション(2009年9月29日、2010年9月9日、2012年11月24日、2014年5月4日、2014年5月5日、2015年11月11日)も披露していた(彼らも、1975年作でヘヴィ・ファンク化し取り上げている)。共作者のドン・ブライアントはお元気なのかなあ。▶やはり、ハイ派生のソウル・スタンダード「テイク・ミー・トゥ・ザ ・リヴァー」。1974年アル・グリーン作であるこの曲はフォガット(昔、英国人にフォグハットと読むと言われたことがあるが)、故リヴォン・ヘルム、ブライアン・フェリー(2010年7月31日)、トーキング・ヘッズ(2009年1月27日。2013年5月21日)他、ロック・ミュージシャンからもいろいろ取り上げられている名曲ですね。▶ムーアがいつも歌っている、故ビリー・プレストンの1974年曲「ユー・アー・ソー・ビューティフル」。しかし、曲調もばっちりのこのパートナー讃歌曲はすごい。故マイルス・デイヴィスはずばり「ビリー・プレストン」という曲を1972年に録音している。
3分の2を過ぎたあたりで、トータス松本が出て来て、その後はずっとムーアと絡む。彼が出てきてまず嬉しそうに歌ったのは、故ボビー・ウォマック(2013年5月12日)がいたザ・ヴァレンチノズが1962年にヒットさせた「アイム・ルッキン・フォー・ア・ラヴ」(プロデゥーサーは故サム・クック)。これは、J.ガイルス・バンド(2013年11月22日、参照)のライヴ・ヴァージョンでばくは何より親しんだ曲なんだよなあ。
最後(だったかな?)はスライ&ザ・ファミリー・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日、2015年5月18日)の1968年曲「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」。うーむ、ザ・ファミリー・ストーンのシンシア・ロビンソンも今年の11月23日に亡くなっってしまった。この曲ではオリジナルの構成を咀嚼し、ドラム、ギター、ベース、オルガンのソロを回す。ギターは故アイザック・ヘイズ(2007年7月18日)の1971年映画曲「テーマ・フロム・シャフト」の印象的なイントロをそこで弾く。ヘイズはスタックスのソング・ライター/プロデヴューサーもしていて、サム&デイヴも世話になっている。それら各曲はソウルの積み重ねを俯瞰するような感じで適切にリアレンジもなされ、サム&デイヴと同時期のスタックス/アトランティック同僚のエディ・フロイド(2007年7月18日、2012年5月11日)の1967年ヒット曲「ノック・オン・ウッド」なども巧みにインサートされたりもした。
とかなんとか、絶対的なソウル・マンのもと、R&Bの“正”の積み重ねがこれでもかと開かれる。ワクワク、そして満たされまくる。ああ、”ソウル図鑑”。それにしても、上記の原稿でかなり物故者の名前が出てしまい、変わらなくていい成熟のソウル表現に触れるのは今のうちかもしれないとも思え、少ししんみり。滅茶楽しく、高揚させつつも、いろいろと考えを巡らせもするショウでした。
▶過去の、サム・ムーア
http://43142.diarynote.jp/200611190319380000/
http://43142.diarynote.jp/201012160928249431/
http://43142.diarynote.jp/201107310730365740/
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
▶過去の、アラン・トゥーサン
http://43142.diarynote.jp/200606071933120000/
http://43142.diarynote.jp/200606071936190000/
http://43142.diarynote.jp/200710221206190000/
http://43142.diarynote.jp/200906051614524790/
http://43142.diarynote.jp/201101111202336229/
http://43142.diarynote.jp/201210201217291727/
http://43142.diarynote.jp/201310241000242214/
http://43142.diarynote.jp/201501220923108418/
▶過去の、ラリー・グラハム
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201009171755535759/
http://43142.diarynote.jp/201211261639115632/
http://43142.diarynote.jp/201405071010101908/
http://43142.diarynote.jp/201405071013173150/
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/
▶過去の、ロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリー
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
▶過去の、デイヴィッド・バーンやトム・トム・トム√・クラブ/トーキング・ヘッズ関連者
http://43142.diarynote.jp/200901281359552953/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/
▶過去の、J.カイルズ・バンド/マジック・ディック
http://43142.diarynote.jp/?day=20131122
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201505201630381899/
▶過去の、アイザック・ヘイズ
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶過去の、エディ・フロイド
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
http://43142.diarynote.jp/201205131715485366/
<今日の、クリスマス・キャロル>
まず、ポーランド広報センター主催の<ポーランド風忘年会>というのに、顔をだす。目黒・ポーランド共和国大使館のホール。ポーランドではクリスマス・イヴから2月2日の聖しょく〜漢字は火ヘンに蜀〜祭までの2月2日までの間に、コレンドヴァニェというキリスト教に根ざしたパーティが教会や家庭や職場や仲間内でもたれるという。そのコレンドヴァニェでは、キリスト生誕を祝うコレンダと呼ばれるクリスマス聖歌を皆で歌うらしい。そして、招待者にコレンダに触れてもらいつつ、ささやかな労いの師走の宴を、とうのがこの催しの主旨のよう。
ポーランド国立シロンスク歌舞団のテノール歌手のビュートル・ニキエルが出ていて、歌う。まだ30ちょいほどと見受けられるイケ面の彼は民俗衣装のようなものを身につけ、見事に朗々とした喉を披露する。もちそんアンプラグドで、ピアノ伴奏はポーランドで10年強学んだり教鞭を取ったりしたという栗原美帆が務める。クラシック流れの、清らかな(どこか牧歌的な部分もあるかもしれない)短い歌曲というのが、2人によって送り出されたコレンダの印象。確かに彼の地の文化に触れたという思いと、ポーランドのクラシック教育の高さの片鱗を感じたか。クラシックの分野では、日本居住のポーランド人音楽家もいるという。
サーヴされた食べ物のなかには、ポーランドの煮込み料理もあり。ビゴスというやつなのかな? なお、来年1月14日から、ポーランド航空が成田に乗り入れ、ワルシャワとの直行便が実現するそう。今なら往復7万円でチケットが購入できると、小耳に挟みました。
まさに、レジェンド。バンドの前奏のあと、まずコーラス隊がステージに上がり、その後に御大が出て来たのだが(ワイヤレスのマイクを持っていて、上がる前に少し歌っていた)、そこで観客はもう総立ち。終演後の熱い拍手歓声も含めて、それはおおおって思わせるものであったな。
サポートは、キーボード、ギター、ベース(ガンバの宇佐美をなんか思い出させる細長い顔の彼は毎度来ていて、ミュージカル・ディレクターを務める。本日のJ1のシーズン優勝を決める二分の一の試合で、サンフレッチェが勝って良かった)、ドラム、4管(2人が日本人)、3コーラス。ぼくが見た過去公演はドラマーだけがアフリカ系だったが、今回は全員非アフリカ系。でも、それでなんの問題もない。ギタリストもずっと来ている人のような気もしたが、彼が1曲でスライド・バー使用のソロを取る局面があった。その様は故デュエイン・オールマンのそれをいろいろコピーしましたというものでニコッ。デュエインもマッスル・ショールズでいろいろなソウルのレコーディングに参加していましたね。→http://43142.diarynote.jp/201406270933515875/ 参照。
演目は「ソウル・マン」や「ホールド・オン」や「アイ・サンク・ユー」といったサム&デイヴの黄金曲に加え、例によりソウル名曲のオン・パレード。それらは、例えば……
▶亡くなってそれほどたっていないアラン・トゥーサン(2006年5月31日、2006年6月1日、2007年10月21日、2009年5月29日、2011年1月10日、2012年10月15日、2013年10月22日、2015年1月21日)が1966年にリー・ドーシーのために書いた、「ゲット・アウト・オブ・マイ・ライフ、ウーマン」。ブルース・コード発展曲なので、この表題もしっくり来ますね。▶ハイ・サウンド発のソウル・スタンダード「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」。もともとは1973年にアン・ピープルズがヒットさせ、この前来日したグラハム・セントラル・ステイション(2009年9月29日、2010年9月9日、2012年11月24日、2014年5月4日、2014年5月5日、2015年11月11日)も披露していた(彼らも、1975年作でヘヴィ・ファンク化し取り上げている)。共作者のドン・ブライアントはお元気なのかなあ。▶やはり、ハイ派生のソウル・スタンダード「テイク・ミー・トゥ・ザ ・リヴァー」。1974年アル・グリーン作であるこの曲はフォガット(昔、英国人にフォグハットと読むと言われたことがあるが)、故リヴォン・ヘルム、ブライアン・フェリー(2010年7月31日)、トーキング・ヘッズ(2009年1月27日。2013年5月21日)他、ロック・ミュージシャンからもいろいろ取り上げられている名曲ですね。▶ムーアがいつも歌っている、故ビリー・プレストンの1974年曲「ユー・アー・ソー・ビューティフル」。しかし、曲調もばっちりのこのパートナー讃歌曲はすごい。故マイルス・デイヴィスはずばり「ビリー・プレストン」という曲を1972年に録音している。
3分の2を過ぎたあたりで、トータス松本が出て来て、その後はずっとムーアと絡む。彼が出てきてまず嬉しそうに歌ったのは、故ボビー・ウォマック(2013年5月12日)がいたザ・ヴァレンチノズが1962年にヒットさせた「アイム・ルッキン・フォー・ア・ラヴ」(プロデゥーサーは故サム・クック)。これは、J.ガイルス・バンド(2013年11月22日、参照)のライヴ・ヴァージョンでばくは何より親しんだ曲なんだよなあ。
最後(だったかな?)はスライ&ザ・ファミリー・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日、2015年5月18日)の1968年曲「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」。うーむ、ザ・ファミリー・ストーンのシンシア・ロビンソンも今年の11月23日に亡くなっってしまった。この曲ではオリジナルの構成を咀嚼し、ドラム、ギター、ベース、オルガンのソロを回す。ギターは故アイザック・ヘイズ(2007年7月18日)の1971年映画曲「テーマ・フロム・シャフト」の印象的なイントロをそこで弾く。ヘイズはスタックスのソング・ライター/プロデヴューサーもしていて、サム&デイヴも世話になっている。それら各曲はソウルの積み重ねを俯瞰するような感じで適切にリアレンジもなされ、サム&デイヴと同時期のスタックス/アトランティック同僚のエディ・フロイド(2007年7月18日、2012年5月11日)の1967年ヒット曲「ノック・オン・ウッド」なども巧みにインサートされたりもした。
とかなんとか、絶対的なソウル・マンのもと、R&Bの“正”の積み重ねがこれでもかと開かれる。ワクワク、そして満たされまくる。ああ、”ソウル図鑑”。それにしても、上記の原稿でかなり物故者の名前が出てしまい、変わらなくていい成熟のソウル表現に触れるのは今のうちかもしれないとも思え、少ししんみり。滅茶楽しく、高揚させつつも、いろいろと考えを巡らせもするショウでした。
▶過去の、サム・ムーア
http://43142.diarynote.jp/200611190319380000/
http://43142.diarynote.jp/201012160928249431/
http://43142.diarynote.jp/201107310730365740/
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
▶過去の、アラン・トゥーサン
http://43142.diarynote.jp/200606071933120000/
http://43142.diarynote.jp/200606071936190000/
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http://43142.diarynote.jp/201501220923108418/
▶過去の、ラリー・グラハム
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201009171755535759/
http://43142.diarynote.jp/201211261639115632/
http://43142.diarynote.jp/201405071010101908/
http://43142.diarynote.jp/201405071013173150/
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/
▶過去の、ロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリー
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
▶過去の、デイヴィッド・バーンやトム・トム・トム√・クラブ/トーキング・ヘッズ関連者
http://43142.diarynote.jp/200901281359552953/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/
▶過去の、J.カイルズ・バンド/マジック・ディック
http://43142.diarynote.jp/?day=20131122
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
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▶過去の、アイザック・ヘイズ
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶過去の、エディ・フロイド
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
http://43142.diarynote.jp/201205131715485366/
<今日の、クリスマス・キャロル>
まず、ポーランド広報センター主催の<ポーランド風忘年会>というのに、顔をだす。目黒・ポーランド共和国大使館のホール。ポーランドではクリスマス・イヴから2月2日の聖しょく〜漢字は火ヘンに蜀〜祭までの2月2日までの間に、コレンドヴァニェというキリスト教に根ざしたパーティが教会や家庭や職場や仲間内でもたれるという。そのコレンドヴァニェでは、キリスト生誕を祝うコレンダと呼ばれるクリスマス聖歌を皆で歌うらしい。そして、招待者にコレンダに触れてもらいつつ、ささやかな労いの師走の宴を、とうのがこの催しの主旨のよう。
ポーランド国立シロンスク歌舞団のテノール歌手のビュートル・ニキエルが出ていて、歌う。まだ30ちょいほどと見受けられるイケ面の彼は民俗衣装のようなものを身につけ、見事に朗々とした喉を披露する。もちそんアンプラグドで、ピアノ伴奏はポーランドで10年強学んだり教鞭を取ったりしたという栗原美帆が務める。クラシック流れの、清らかな(どこか牧歌的な部分もあるかもしれない)短い歌曲というのが、2人によって送り出されたコレンダの印象。確かに彼の地の文化に触れたという思いと、ポーランドのクラシック教育の高さの片鱗を感じたか。クラシックの分野では、日本居住のポーランド人音楽家もいるという。
サーヴされた食べ物のなかには、ポーランドの煮込み料理もあり。ビゴスというやつなのかな? なお、来年1月14日から、ポーランド航空が成田に乗り入れ、ワルシャワとの直行便が実現するそう。今なら往復7万円でチケットが購入できると、小耳に挟みました。