シャ/ザ(Szs/Za)。チャカ・カーン
2014年9月10日 音楽 東京ジャズ最終日の<ザ・プラザ>の締めの出し物に出ていた、パヴュウ・シャムブルスキとパトルィック・ザクロスキが組むユニットがシャ/ザ。その名前は両者の名字の頭のほうを連ねたのか。その自由闊達なお二人は1950〜1970年代の同国のカルト的アニメーションに自ら生演奏の音楽をつけ、再提示する活動を行っていて、この日の催しはそれを見せんとするもの。目黒・ポーランド大使館。
まず、おおおっとなったのは、そのモノクロ主体のアニメ映像のおもしろさ。1970年代のものが主となるらしいが、そのスタイリッシュな作風/味わいはちょいとしたもの。1番目の優れたコラージュ作法を持つ映像は、もろにモンティ・パイソンのそれを想起させる内容(会場で会った知人は映画「イエロー・サブマリン」を思いだしたと言う。なるほど)。それらの影響下にある見事なアニメ映像と言いたくもなるが、なんとポーランド作家によるこれは1962年の作のよう。わわわ、ポーランド人クリエイターのほうが早いじゃないか! また、最後に流れた作品は実写映像にアニメを書き込みつつ、ほのぼの諧謔と味わいに満ちた展開をみせる。ほう。まだ当時、ソ連支配下/共産主義下にあったはず。だが、それらを見て、ポーランドには刮目すべきポップ文化がちゃんとあったと、痛感しちゃう。
もちろん、それらは現在見ても多大な魅力を持つのだが、それを助けているのはシャ/ザのその場でつける音楽であるのは疑いがない。クラリネット(一部、ハーモニカ)を吹くパヴュウ・シャムブルスキとヴァイオリンを多彩に扱うパトリィク・ザクロスキはエレクトロニクス音も介し(その足元には、いろいろな装置があった)、見所ある映像により輝きや奥行きやストーリー性を加えていた。言うななれば“音楽弁士”といった感じだが、その自在にして雄弁な音楽は、彼らが秀でた音楽家であることもあっさりと浮き彫りにするだろう。その音に接しながら、彼らはクラブ・ミュージックの文脈でもオーガニック派として勝負できるとも、ぼくは思った。そして、さらには、ポーランドのアート/創造に対する正の妄想をごんごんかき立てられてしまうわけだ。ああ、ワルシャワに行ってみたい……。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、チャカ・カーン(2003年10月10日、2008年6月5日、2012年1月10日、2014年9月6日)を見る。セカンド・ショウ。超満員。やはり、姉御の人気はハンパないと実感。ショウの内容は4日前の東京ジャズ出演時と同じだが、ここでの公演だと彼女は楽屋に一度下がるときがあり(衣替えはしない)、その際はサポート陣がジャズ有名曲「チュニジアの夜」を長めに、それほどジャズ臭くなく演奏する。それを聞くと、ロブ・ベイコン(2012年12月9日)やロナルド・ブルーナーJr.( 2009年9月15日)ら、演奏陣の味も確認できる。
ロナルド・ブルーナーJr.の弟は、スティーヴン・ブルーナー=サンダーキャット(エレクトリック・ベース、歌)。LAのクラブ・ミュージック界隈の闊達さを伝えるブレインフィーダー派にしてソロ活動も好評の彼は16歳にしてスイサイダル・テンデンシーズに加入し10年近く在籍していたが、最初にスイサイダル・テンデンシーズに関与したのは兄のブルーナーJr.なんだよね。蛇足だが、フィッシュボーン(2000年7月28日、2007年4月5日、2007年4月6日、2009年11月25日、2010年7月31日、2011年8月8日、2013年6月3日)のギタリストであるロッキー・ジョージは1990年代から約10年間、オルタナ・ロック・バンドであるスイサイダル・テンデンシーズに所属していた。
なんて散り具合も、不思議なスケール感を持つチャカらしいか。まあ、それが何より表われるのは、時空をかっとぶと書きたくなる、その歌唱であるわけだが。ジョニ・ミッチェル大好きの彼女は、ミッチェルの「マン・フロム・マース」も歌う。『テイミング・ザ・タイガー』(リプリーズ、1998年)収録の素直なラヴ・ソング歌詞を持つこの曲を、彼女はだいぶ前からライヴで披露したりしている。チャカは、ジョニ・ミッチェル曲集を作りたいという気持ちを持っています。
▶過去の、カーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200806121525370000/
http://43142.diarynote.jp/201201131546344144/
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
▶過去の、ベイコン
http://43142.diarynote.jp/?day=20121209
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
▶過去の、ブルーナーJr.
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
▶過去の、フィッシュボーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/ 豪バイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/ 豪ベイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200911281704335025/ アンジェロ単独
http://43142.diarynote.jp/?day=20100731 フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/201108101638376353/
http://43142.diarynote.jp/201306060729285922/
<今日の、チャカ>
本来の彼女の読みはシャカ・カーンだが、大昔取材したときに「日本でチャカと呼ばれているのは知っている。アメリカ人でもシャカと読まない人もいるし、私とわかれば、シャカでもチャカでもどっちもいいのよ」てなことを言っていたので、ぼくは日本通名のチャカといつも記すようにしている。そんなチャカに、夕方にインタヴュー。2年半ぶり、相変わらず、最高のキャラと人柄。接していて、もうウキウキしちゃう。タバコをすいつつ、健康には気を使うようになったと語る彼女は、ただいまガーデニングに興味を持っているとか。欧州の家は去年まで持っていたそうで、余分なものはどんどん処分しなきゃねえ〜。ボナルー(米国最大のロック・フェス)は大好きという話の流れから、縁の人や彼女を慕うシンガーたちを招いて“チャカ・カーン・フェスティヴァル”をやりましょうと、と提案。考えたことなかったそうだが、けっこう乗り気? ヴァーヴ会長についたデイヴィッド・フォスターの制作でセルフ・カヴァー作を出す話もあったがそれはなくなり、彼女はブルーノートと契約しかけている(ブルーノート所属のいろんなアーティストと絡むアルバムを作るプランがあるそう)。亡くなった(彼女をプロデュースした)アリフ・マーディンの名を出したら、彼女の目が少し潤む。炎のオンナは、情に厚い。蛇足だが、会場にはベーシストのネイザン・イーストもいた。この後、モスクワに行くんだそう。ミュージシャンは忙しい。チャカも1年のうち9ヶ月はツアーよ、と言っていた。
まず、おおおっとなったのは、そのモノクロ主体のアニメ映像のおもしろさ。1970年代のものが主となるらしいが、そのスタイリッシュな作風/味わいはちょいとしたもの。1番目の優れたコラージュ作法を持つ映像は、もろにモンティ・パイソンのそれを想起させる内容(会場で会った知人は映画「イエロー・サブマリン」を思いだしたと言う。なるほど)。それらの影響下にある見事なアニメ映像と言いたくもなるが、なんとポーランド作家によるこれは1962年の作のよう。わわわ、ポーランド人クリエイターのほうが早いじゃないか! また、最後に流れた作品は実写映像にアニメを書き込みつつ、ほのぼの諧謔と味わいに満ちた展開をみせる。ほう。まだ当時、ソ連支配下/共産主義下にあったはず。だが、それらを見て、ポーランドには刮目すべきポップ文化がちゃんとあったと、痛感しちゃう。
もちろん、それらは現在見ても多大な魅力を持つのだが、それを助けているのはシャ/ザのその場でつける音楽であるのは疑いがない。クラリネット(一部、ハーモニカ)を吹くパヴュウ・シャムブルスキとヴァイオリンを多彩に扱うパトリィク・ザクロスキはエレクトロニクス音も介し(その足元には、いろいろな装置があった)、見所ある映像により輝きや奥行きやストーリー性を加えていた。言うななれば“音楽弁士”といった感じだが、その自在にして雄弁な音楽は、彼らが秀でた音楽家であることもあっさりと浮き彫りにするだろう。その音に接しながら、彼らはクラブ・ミュージックの文脈でもオーガニック派として勝負できるとも、ぼくは思った。そして、さらには、ポーランドのアート/創造に対する正の妄想をごんごんかき立てられてしまうわけだ。ああ、ワルシャワに行ってみたい……。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、チャカ・カーン(2003年10月10日、2008年6月5日、2012年1月10日、2014年9月6日)を見る。セカンド・ショウ。超満員。やはり、姉御の人気はハンパないと実感。ショウの内容は4日前の東京ジャズ出演時と同じだが、ここでの公演だと彼女は楽屋に一度下がるときがあり(衣替えはしない)、その際はサポート陣がジャズ有名曲「チュニジアの夜」を長めに、それほどジャズ臭くなく演奏する。それを聞くと、ロブ・ベイコン(2012年12月9日)やロナルド・ブルーナーJr.( 2009年9月15日)ら、演奏陣の味も確認できる。
ロナルド・ブルーナーJr.の弟は、スティーヴン・ブルーナー=サンダーキャット(エレクトリック・ベース、歌)。LAのクラブ・ミュージック界隈の闊達さを伝えるブレインフィーダー派にしてソロ活動も好評の彼は16歳にしてスイサイダル・テンデンシーズに加入し10年近く在籍していたが、最初にスイサイダル・テンデンシーズに関与したのは兄のブルーナーJr.なんだよね。蛇足だが、フィッシュボーン(2000年7月28日、2007年4月5日、2007年4月6日、2009年11月25日、2010年7月31日、2011年8月8日、2013年6月3日)のギタリストであるロッキー・ジョージは1990年代から約10年間、オルタナ・ロック・バンドであるスイサイダル・テンデンシーズに所属していた。
なんて散り具合も、不思議なスケール感を持つチャカらしいか。まあ、それが何より表われるのは、時空をかっとぶと書きたくなる、その歌唱であるわけだが。ジョニ・ミッチェル大好きの彼女は、ミッチェルの「マン・フロム・マース」も歌う。『テイミング・ザ・タイガー』(リプリーズ、1998年)収録の素直なラヴ・ソング歌詞を持つこの曲を、彼女はだいぶ前からライヴで披露したりしている。チャカは、ジョニ・ミッチェル曲集を作りたいという気持ちを持っています。
▶過去の、カーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200806121525370000/
http://43142.diarynote.jp/201201131546344144/
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
▶過去の、ベイコン
http://43142.diarynote.jp/?day=20121209
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
▶過去の、ブルーナーJr.
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
▶過去の、フィッシュボーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/ 豪バイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/ 豪ベイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200911281704335025/ アンジェロ単独
http://43142.diarynote.jp/?day=20100731 フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/201108101638376353/
http://43142.diarynote.jp/201306060729285922/
<今日の、チャカ>
本来の彼女の読みはシャカ・カーンだが、大昔取材したときに「日本でチャカと呼ばれているのは知っている。アメリカ人でもシャカと読まない人もいるし、私とわかれば、シャカでもチャカでもどっちもいいのよ」てなことを言っていたので、ぼくは日本通名のチャカといつも記すようにしている。そんなチャカに、夕方にインタヴュー。2年半ぶり、相変わらず、最高のキャラと人柄。接していて、もうウキウキしちゃう。タバコをすいつつ、健康には気を使うようになったと語る彼女は、ただいまガーデニングに興味を持っているとか。欧州の家は去年まで持っていたそうで、余分なものはどんどん処分しなきゃねえ〜。ボナルー(米国最大のロック・フェス)は大好きという話の流れから、縁の人や彼女を慕うシンガーたちを招いて“チャカ・カーン・フェスティヴァル”をやりましょうと、と提案。考えたことなかったそうだが、けっこう乗り気? ヴァーヴ会長についたデイヴィッド・フォスターの制作でセルフ・カヴァー作を出す話もあったがそれはなくなり、彼女はブルーノートと契約しかけている(ブルーノート所属のいろんなアーティストと絡むアルバムを作るプランがあるそう)。亡くなった(彼女をプロデュースした)アリフ・マーディンの名を出したら、彼女の目が少し潤む。炎のオンナは、情に厚い。蛇足だが、会場にはベーシストのネイザン・イーストもいた。この後、モスクワに行くんだそう。ミュージシャンは忙しい。チャカも1年のうち9ヶ月はツアーよ、と言っていた。