NYサルサの大御所ピアニスト(2009年9月24日、他)にプラスして、ヴォーカル2人、トレス/ヴォーカル、トランペット2人、トロンボーン2人(ジミー・ボッシュとともに吹いていたのは、梶原徳典という日本人。普段からNYのラテン・シーンで活躍している人のよう)、電気アップライト・ベース、パーカッション3人という布陣でことにあたる。これだけ奏者数がいるとトレスの音は聞こえにくいが、その名手ネルソン・ゴンザレス(2009年9月24日)はリード・ヴォーカルを取る曲ではそのソロもきっちり披露し、その際にはばっちり音が聞こえた。ほう、この楽器であることが活きた妙味溢れ出る。やるなー。

 満面の笑顔の持ち主パルミエリはピアノ音色のキーボードを弾く。前の公演でもそうだったような気もするが、グランド・ピアノを弾かないのはどうしてだろうと、パフォーマンスの最中に少し考える。やはり、電気キーボードの音は深みや立ちや艶に欠ける。で、導きだされたのは以下のようなもの。1)奏者数が多いので、場所を取るグランド・ピアノを用いない。まあ、もっとでかい編成のビッグ・バンド公演のときでも、グランド・ピアノは使われたりもするが。2)より密接な距離感のもと、バンド員たちと阿吽の呼吸の演奏を繰り広げたい。グランド・ピアノだと、とうぜん他の奏者とは遠くなる。3)音質にけっこう無頓着&電気キーボードのほうが楽にアンプリファイドできる。

 正解はよく分らないが、本人がいいなら、まいっかという気になるか。それと、パルミエリは曲の始まりの前に何気に、ときにクラシック的というかお涙頂戴的なしけたピアノのソロをピラピラ弾いたりもする。それ、ぼくにはどうでもいいものと聞こえるが、そういうパートを経て弾む重厚バンド・サウンド音になると、ラテン音楽のありがたみ、この奏者たちの秀逸さが対比的によく伝わる。まさか、それ、狙ってないよな? ともあれ、美味しいラテン音楽に触れ、どこか耳の洗濯をしている自分がいるのは間違いない。南青山・ブルーノート、ファースト・ショウ。

<今日の、わっ>
 家の近くの本屋の文庫本の平積みを見て、ぎょ。そのなかの1冊の表紙にでっかく、FRANZ KAFKAと印刷されている。それが、フランク・ザッパに見えてしまったのだ。あーびっくりした。カフカの名前は子供ころから知っているが、その作品は読んだことがない。