ヤエル・ナイム

2012年8月1日 音楽
 チュニジアの血をひき、フランス生まれながら、多感な時期はイスラエルで育っているという、いろんな文化に触れているフランス人シンガー・ソングライター(2008年8月23日、他)。グランド・ピアノや各種ギターを弾きながら歌う彼女に加え、電気ベーシストと旦那でもあるお馴染みのドラマーがついて、ショウは進められる。中盤では、ピアノやギターを一人弾きがたりする場面も。渋谷・クラブクアトロ。

 今回の彼女の公演は、フジ・ロック・フェスティヴァル出演を経てのものであるのだが、これまで以上に動的な印象を与える実演に触れ、今回はロック・フェス仕様なのかともふと思う。なんかこれまで以上に声を張り上げたり、ソウルっぽいこぶしをこめるときもあったし、仕草や受け手にたいする働きかけがメリハリがついてて派手目。まあ、しなやかさや文学少女型柔和さも残していなくはないのだが。観客と歌の掛け合いをやったり、客を3つにわけ三声でハモらせたりすることって、過去もやっていたっけ? そのオーディエンスの歌、ナエムたちが考えていた以上にいい感じであったようで、本人たちも大喜び。なにかと得難い、送り手側と受け手の気持ちの交感があったのは間違いない。見た後に、優しく、生理的に身軽になれる、いいショウでした。

<今日の、流れ>
 会場ではバーボンのソーダ割りを数杯。その後、バーでビールと焼酎、台湾料理屋で紹興酒、また別のバーで白ワインと飲む。滅茶苦茶。だいぶ、お酒もまわってきたので、サッカー五輪の試合を見ていた途中で帰路に。それにしても、世にオリンピック好きが多くて驚く。前回開催時には、こんなこと(2008年8月23日)を書いている私ではありますが。

YUKARI

2012年8月4日 音楽
 NY在住フルート奏者(2012年6月25日、参照)の、菱山正太(ピアノ、電気ピアノ)、安田幸司(ベース)、大村亘(ドラム)という面々とのカルテットによる実演。新宿ピットイン、夜の部。演目は考えた設定を持つスタンダードと自作、半々ぐらいか。どこかに広がりある窓をかかえた演奏。とともに、どこか凛とし、清潔感があるのは、彼女の表現のポイントだろうか。ところで、彼女、自分の演奏が終わると、完全に袖(客席から見えない所)に引っ込んでしまう。エスタブリッシュされている人でそういう所作をする人をぼくは知らない。どの人もさすが中央から横の方には退くが、客からはちゃんと見える位置で、バンドの演奏を見守る。照れ屋なのかもしれないが、彼女の“消えいり”は違和感を覚えるし、受け手がグループとしてのまとまった像を作るのを妨げる。改めたほうがいいと、ぼくは思う。

 久しぶりのピットイン行きだったが、各席フロアの横に、ターンテーブル2とCDJ2のDJ卓がおいてあって、びっくり。おお、ついに真性ジャズ・クラブもDJイヴェントをやるようになったの?

<今日の、向こうの野外フェス>
 起きてメールを見ると、シカゴでのロラパルーザ、Uストリームでやってますよという、注進メールが。コーチェラとかニューオーリンズのジャズ&ヘリテッジとかのそれをありがたやーと見たりして、ぼく的に2012 年はフェスのUストリーム中継をきっちり享受した年として記憶されるな。シカゴ・ブルース・フェスと同じく、NYのセントラル・パークみたいな街中の公園でやっているらしいが、なるほどすぐ背後にはビル群が見える。日本でも、もっと身近な公園でフェスが開催されるといいのになー。けっこう、素朴フォーキィな担い手も出ているか。しかし、冷静にお茶の間で見ると歌が下手に聞こえる人もいるわけで、ミュージシャンにとっては大変な時代になったもんです。

 元10cc(2010年5月23日)/ゴドリー&クリームのロル・クリームがあんなにちゃらい、いや、あれほどまで気さくでエンターテインメント精神を持つ人であるとは思わなかった。

 なんて、書きたくなってしまうのは、彼の1980年代までの活動の尖り具合があまりにも鮮烈であったからだ。ザ・ビートルズの延長にあったと言いたくなる超ポップ・バンドの10ccは1976年に娯楽派の2人(エリック・スチュワートとグレアム・グルードマン。2人で10ccの名を引き継ぐ)と実験派の2人(ケヴィン・ゴドリーとロル・クリーム)に分裂。後者のご両人はポップ精神とあくなき冒険精神を見事拮抗させたゴドリー&クリーム作品を出すとともに、映像の分野にも進出し、80年代中期以降は一時ミュージック・クリップ作りにおける最たる敏腕クリエイター集団になってしまったりもした(高橋幸宏が彼らのミュージック・クリップをもろパクリしたこともあった)。ぼくはそんなゴッドリー&クリームが大好きで、彼らの『グッバイ・ブルースカイ』(ポリドール、1988年)が出た際ライナー・ノーツを頼まれたときには、本当にうれしかったし、ああ俺はプロの書き手なんだなと自負を持てた。その原稿依頼を振ってくれたKさんはいまや日本のユニバーサル・ミュージックのCEOとして君臨している。なんてことはともかく、すんごくアーティスティックでツっぱていると思っていたクリームは、態度の軽いカヴァー・バンドの一員であることを満面の笑みで楽しむだけでなく、一人で愛想ふりまき、客に働きかけようとしていた。うひょー。でも、初期の「ラバー・バレッツ」とかのファルセットを用いていたレトロ調曲は、彼が歌っていたのがこの日のパフォーマンスで分った。彼、大昔の10ccの曲はやっても、ゴドリー&クリームの曲はやらなかった。

 バグルスやイエスのメンバーを経て、1983年にZTTを立ち上げ、斬新な音像と通俗的な大衆性を掛け合わせた作風でUK売れっ子プロデューサーになり、その後もずっと業界に君臨しているトレヴァー・ホーン(1949年生まれ)を中心とする、娯楽ユニットの実演は、前述のクリーム(ギター、ベース、キーボード、歌)を筆頭に、2人の女性シンガーを含める全9人にて。ギターは70年代後期からUKロック界の売れっ子セッション・マンであり続けるフィル・パーマー。ドラムはアデル他で叩く、やはり売れっ子のアッシュ・ソーン。それと、クリームもそうだが、彼らをはじめ5人はホーンがずっと関わり続けているシールの新作『シール2』の参加者たち。あのレコーディングで盛り上がり、このプロジェクトは始まったのか。参加者は誰一人譜面台を置く人はいなかった。けっこう、向こうでもギグをやっているのだと思う。なお、ロル・クリームとトレヴァー・ホーンの共通項の一つはポール・マッカトニーとやりとりを持っていること。マッカトニーはゴドリー&クリームの1979作『フリーズ・フレイム』にヴォーカル参加し、ホーンはマッカートニーの1989年作『フラワーズ・イン・ザ・ダート』に制作関与している。

 バグルス、イエス、シールなどの有名曲が次々に披露される。ホーンがベースを弾きながら歌う場合もあるが、シールの曲その他は、無名のピーター・ゴーディノという人がキーボードを弾きながら歌う。彼はトム・ウェイツの「ダウンタウン・トレイン」も歌ったが、そのロッド・スチュワートのヴァージョンはホーンが関与していたんだっけ? 最終曲は、やはりゴーディノが歌うティアーズ・フォー・フィアーズの「エヴリバディ・ウォント・トゥ・ルール・ザ・ワールド」。これをやった理由は、フィル・パーマーがオリジナルで弾いているからとMCで説明された。この曲とか、10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」はうろ覚えながら一緒に口ずさめたりして、けっこう昇天キブンを味わってしまったな。いい曲は魔力を持つ。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。演奏時間は90分、声援が熱かった。


<今日の移動>
 六本木→青山→渋谷と、一軒づつ、家に近づいて流れる。最後の店で、五輪の女子サッカーの準決勝を見る。よく勝ったなあ。こういうのを見ると、フットボールは内容と結果が大きく離れることもある、おおいにファジーなスポーツであると思わされる。だからこそ、世界で一番愛好されるスポーツになったのかもしれぬが。そういえば、女子の代表の試合でも勝利したら今、渋谷駅前のスクランブル交差点は“祭”状態になるのだろうか?

 へえええー。ミシェル・ペトルチアーニってこういう人物であったのか。そのピアノ演奏にある“これみよがし”の様がぼくの好みではなく(別に、これみよがしを出すのは悪いことではない。というか、音楽に限らず、人にアピールせんとする行為はすべからくこれみよがしの集積と言えなくもない。ただ、ペトルチアーニの出し方がぼくの口にいまいちあわないだけ)、そんなに聞いている奏者ではないが、興味深く見れたな。

 骨がもろく、伸長は1メートルと子供のまま、だが老化はそれなりに早いという障害を背負いつつも、雄弁きわまりないジャズ・ピアニストとして大成したフランス人のミシェル・ペトルチアーニ(1962〜1999年)の生涯を扱った映画「情熱のピアニズム」(2011年、仏/独/伊、103分。11月から一般公開)を六本木・シネマートで見る。監督はマイケル・ラドフォード(1946年インド生まれ、英国で映画の道に進む)。本人がペトルチアーニに興味を持っていたのではなく、頼まれて映画作りに着手したようだが、生前の映像がいろいろとあったことも幸いし、よく作られている。

 本人の演奏やインタヴュー映像、父(南仏で楽器屋をやっていたよう)や兄(ジャズ・ギタリスト)、付き合いのあったいろんなミュージシャン(バリー・アルシュトルが出てきたのが、うれしかった)や関係者の発言映像なんかを編んだ映画だ。音楽性や奏法の分析はほとんどなく、ペトルチアーニの障害を持っていたからこその生き方に焦点をあわせたストーリー展開がされる。ながら、そこで描かれるペトルチアーニの姿がいじけてなく、往々にしてお茶目であるため、暗い感じは皆無だ。まず、驚かされたのは、最初のほうの映像から、骨が弱いにも関わらず、彼がとんでもなく強いタッチでピアノを弾いていたのが分ること。それ、ファンの間では周知の事実であったのかもしれないが、ファンでないぼくにはかなり驚きを与える。事実、演奏していて、骨折してしまうこともあったという。

 初体験は18歳で、普通の若者と同じように悶々としていた、なんて自ら語るように、セックス/おんな好きであったよう。その方面を、奥さんだった人や愛人など複数の女性が証言。だが、ペトルチアーニと付き合いを持ったことを皆肯定しているので(最初の女性は、セックスはうまかったとも発言。男冥利につきますね)、イヤな感じはない。彼と同じ障害を持つ息子も出てくる。この前のボブ・マーリー映画(2012年7月17日、参照)といい、昨年に日本公開されたグレン・グールド映画(2011年10月12日)といい、ファックした相手が風通しよく関係を語り、主役の女癖や性癖をそんなに美化せず浮き上がらせるというのは、今の偉人を扱ったドキュメンタリー映画のトレンドなのかとふと思う。ペトルチアーニは酒も薬も大好きで、どこかで死に急いでいたということも、映画は示唆する。

 演奏シーンで一番好きなのは、彼がアメリカに渡ってそんなにたたない時期、チャールズ・ロイド(2008年4月6日、他)のバンドでの、カラフルなヒッピー野外パーティでの実演の模様。ペトルチアーニはサックス偉人であるロイドの家に居候し、彼のバンドで演奏することで、広くジャズ界で知名度を得たという印象をぼくは持っている。だが、それ以前のロイドと言えば、誰にも負けないジャズの才や閃きを持つにも関わらず、いやある意味そうであったからこそ、彼はヒッピー文化にはまりジャズ界とおさらばした生活(そのかわり、一部のロック界とは付き合いを持った)を求めた人でもある。そして、そんな彼が再びジャズの世界に毅然と戻ってきたのは、ペトルチアーニという掛け替えのない才能と出会い、触発を受けたことによる……という所感もぼくは持っているのだが。今度、ちゃんと検証しよう(それによっては、加筆するかも)。ペトルチアーニは、ぼくが大好きなチャールズ・ロイド(彼は60年代後半に、若き日のキース・ジャレットを顎で使った)をリアル・ジャズの世界に引き戻した怪物くんであったのだよなー。

 これを見たから、ぼくのペトルチアーニのジャズ・ピアニストとしての評価が変わるなんてことはない。だけど、ふむふむと見きった。当たり前だが、いろんな生き方をしたミュージシャンがいる。ああ、人生って、音楽って、世の中って……。

<今日の、電車>
 試写に行くため、たまたま乗った電車が、冷房がきいてなく、送風のみ。暑いが、それでも乗っている人はいる。隣の車両に移ったら、フツーに冷房が効いている。そんなこともあるんだア。1両だけ、冷房嫌いの人のため、非冷房車を置いている、なんてことないよな? 弱冷房車はあっても。以上、15時ごろの田園都市線/半蔵門線にて。そういえば、少し前から東急電鉄は、アルファベットの略号を案内看板に掲げるようになった。TY=東横線、OM=大井町線、KD=こどもの国線といったように。田園都市線はDTと表示されている。それを受けて、田園都市線を道頓堀線と呼ぶ知人がいる。そしたら昨日、童貞線と呼ぶ乱暴なおねえさんがいることを知った。人それぞれ。

オシビサ

2012年8月8日 音楽
 わー、オシビサ。

 ニュー・ロック旋風吹きまくる英国ロック界から1960年代後期に出て、“アフロ・ロック・バンド”としてけっこうな話題を呼んだグループだ。英国に居住するアフリカ、および西インド諸島出身者たちにより組まれたバンドで、70年代初頭はとうぜん日本盤も出されていた(し、ロックの広がりを伝える変わった存在という捉えられ方をしたのではないか)。彼らはメンバーを代えつつずっと存在し、アルバムも今までコンスタントに出して来たらしい。今の日本では、マット・ビアンコ(2001年2月5日)がカヴァー・ヒットさせた「サンシャイン・デイ」のオリジナルのバンドと言ったほうが、通りはいいかもしれない。蛇足だが、同時期やはり英国から出て、似たような位置で活動したバンドに、アサガイというバンドがいた。そちらは長続きしなかったようだが、そこにいたドゥドゥ・プクワナ(アルト・サックス)やルイス・モホロ(ドラム)は、その後はみだしジャズの世界でいろいろと活躍した。

 ステージに登場したのは、9人のミュージシャン。事前情報だと8人だったが、1人増えている(笑い)。一番リード・ヴォーカルを取り、MCも担当する人物(テディ・オセイ)は車椅子にて、壇上にあがる。昔から彼がリーダーで、現在残る唯一のオリジナル・メンバーらしい。皆、アフリカを想起させる衣装や帽子を身につけている。それだけで、どこか華やいだ印象を与えられる。……うーぬ、やはり日本人は海外でステージにあがるとき、キモノを着た方が受けはいいか。と、一瞬おもいかけたが、すぐに頭のなかからそれを追い出す。

 アタマはアフリカン・フュージョンぽいなと感じるものが2曲続き、渡辺貞夫が出てきても違和感ないゾ、などとも思う。が、総じてはいろんな要素を持つ、娯楽性に富んだアフロなビート表現を披露。地域性をあまり限定させない総花的な表現であるというのは、グループの成り立ちにも表れているように、当初からだったのではないか。MCによれば、新旧オリジナル曲をやったよう。奏者では、ドラマーとパーカッションはなかなかいい感じ。また、チャントと打楽器だけの曲はぼくの好み。ナイジェリアのハイ・ライフと言ってやった曲も伸びやかでいい感じだった。そして、「サンシャイン・デイ」はやはり起爆力あり。どんどん後半に向かって、盛り上がっていったな。アンコールなし(一度ひっこんだリーダーにまた出てこいというのは酷)、ながら90分越えの、色彩感豊かなパフォーマンス。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。


<今日の、気候>
 温度がそんなに高くない(そりゃ、昼間に陽のあたると、暑いが)。そして、かなり湿度が低目。それゆえ、どこか秋っぽい日という印象も受けた、過ごしやすい1日。このぐらいだと、多くの人はアエコンなしでも過ごせたのではないか。みんなニッコリの一日、たぶん。
 新木場・夢の島公園陸上競技場で毎年開かれている、YMOがトリで出る邦人アーティストの音楽フェス。開演前に一雨あったようだが、ぼくが行ってからは晴天。途中、近くにある都立の夢の島熱帯植物館に和みに行く。3つの透明のドームをくっつけたような建物で、都で育った人は小学生のとき、けっこう行く施設らしい。熱帯と謳っているぐらいだから、施設内は暑そうだが、少し冷房が入っているようで、外よりは涼しい。普段見ない植物や葉や木を見る。なんか、うれしくなる。大人250円のところ、この日は無料(とともに、夜は20時までやっていたよう)でした。

 前日は、同じ場所で同じステージ設定で、やはり日本人たちが出る別の音楽フェスが開かれて、ラッパー(けっこう歌ってもいたが)のKREVAは両方にでたらしい。あらら、大胆ね。知人に、彼は元キック・ザ・カン・クルーであることを教えてもらう。へえ〜大昔、キック・ザ・カン・クルーには取材したことがあったなー。皆、ナイス・ガイだったことは記憶に残っている。カーリー・ジラフはいい意味で手慣れた、とっても和めるポップ・ロックを送り出していてにっこり。よく洋楽を知っているナ。


 岡村靖幸の実演はもう敬礼。やっぱ、この人すごい。すぐに震え、感動を覚える。管付き(聞こえにくかったが)のバンドとともに、よくできたソウル/ファンク傾向にある日本語の楽曲を、あまりに魅力的に披露。端々に、わーこの人は持っていると、感じずにはいられず。とともに、(ステージ横に置かれたヴィジョンの映像から)本当に誠心誠意、気の入ったパフォーマンスをしていることも伝わり、それにもグっと来る。素晴らしいっ。そういえば、先日のフジ・ロック中日の深夜に彼も一員となるDJユニットのOL KILLERをレッド・マーキーで見たが、激混みで(その後は、電気グルーヴの出演だった)、映像以外は何も見えなかったんだよなー。

 グレイプヴァインはこういう晴れの場なんだから、もっと明るい、弾けた曲をやればいいのにと思わずにはいられず。自分を通したとも言える? そして、最後の還暦超えのファンキーなサイバーポップ・トリオのYMO(+小山田圭吾、高田蓮、権藤知彦)は横綱相撲。他のアクトは20〜40分の演奏時間(割り切った設定ね。一つが終わると、すぐに次のアーティストが音を出す)与えられるなか、彼らは1時間超えの時間が取られていた。ヴィジョンに映し出されるライヴ映像にデザイン処理が加えられていた。


<今日の月島>
 帰り、月島に途中下車。駅外に出ると、あれれ。再開発された? 以前の記憶と感じが異なる。前に月島に行ったのは15年前、取材だった。当時、山本耀司さんのロフトっぽい音楽スタジオがここにあって、ディキシー・タンタス(1999年9月30日、他)のインタヴューをそこでやったのだ。すんごくひさしぶりな月島。もんじゃ(完全に、お店の人におまかせ)、お好み焼き、ゲソ焼き……。楽し。

 えええっ、こんなに歌のうまい、度量のデカい人だったの。このところ、毎年来日しているシェリル・リンだが、ぼくは彼女の生に今回初めて触れる。ディスコ・クラシックス「ガット・トゥ・ビー・リアル」(1978 年デビュー曲で、R&Bチャート1位曲)という訴求力抜群の持ち曲を持つ現在55歳のアフリカ系女性シンガーだが、デイヴィッド・フォスター(2011年10月19日)とデイヴィッド・ペイチ(トト、2011年9月27日)とシェリル・リンという同曲のコンポーザー内訳に示されているように、米国西海岸の洗練されたスタジオ・ミュージシャン制作回路の黄金期に乗じるように表舞台に引っぱりだされた明快な魅力を持つ歌手という印象を、ぼくはシェリル・リンに持ったりもする。1980年代まで、同地発のブラコン、AOR、フュージョンのアルバム演奏参加者の顔ぶれはかなり重なっていた。リンがこの日歌った曲にも、ボズ・スキャッグスが歌いそうだなと思わせられるものがあった。

 けっこう巨体、顔はそんなに老けておらず、喉はぜんぜん衰えていない。もう1曲目から、すごい声をギンギンにサウンドにのせる(チャカ・カーンもびっくりのアクロバティックな歌い方を誇示したのはその曲だけだったが)。音程もくるわないし、すごいな。バック・コーラスは4人。彼女の声量に見合うようにするには、そのぐらい人数がいると納得させられた? そして、演奏陣は5人、うちギタリストは彼女の3作目『イン・ザ・ナイト』(コロムビア、1981年)をプロデュースしているレイ・パーカーJr.(2011年5月17日、他)。いろんな部分で所感を新たにしつつ、堪能。

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、毎年夏にやってきている、ブラジルはリオの卓越した個性を持つ女性シンガー/ギタリスト(2011年8月3日、他)を見る。彼女はいつもゲストを招いてブルーノートのショウをやっていたが、今回は自己ピアノ・トリオ(もちろん、ドラマーは旦那さん。ベースはエレクトリックを弾く)を率いて、今のジョイスをたっぷり見せますという設定。ゲストがはいれば多彩さはでるが、こっちのほうがじっくり彼女を受け取るには適している。まいど清新、くつろいでいても切れ味ばっちり、内なる密度やテンションの高いことには驚かされる。とともに、ジャズ語彙〜ジャズ的回路の介し方もまったくもって多大にして自然。彼女のグループ表現はブラジリアン・ポップとジャズの見事な出会いを見せる得がたいサンプルなのではないか。とかなんとかで、彼女の表現はけっこう独特なもので、いまやボサノヴァという言葉を使うべきではないとも、ぼくはなんとなく思った。

<今日の失敗>
 ちょっと時間があるナと思って、ブルーノート東京に行く前に、なじみのお店に寄る。そこで、少しサッカー(日本代表とベネズエラの試合)を見て行ったら……なんと、ジョイスのパフォーマンスは佳境。わー。お盆なので、日曜と同じ開演時間だった。でも、ちょっと触れただけでも、ジョイスの魅力は身体に染み入リマス。

 幕張メッセとQBC(ぼくの知り合いで、なんの屋号〜略?〜か知っている人はゼロだった)マリンフィールド。雨の降らなかったフジと交換するかのように、両日とも、雨が降る時も。少なくても2日目はまったく晴天の予報だったはずで、こんなこともあるんだー。しかし、今回、ぼくは雨に濡れるのがそうとう嫌いなのを再認識。とほっ。盛況だったフジにならうように、こちらも二日目はソールド・アウトになっていたようだ。

 1日目のミステイクは、会場外でゆったり知人と飲食していたら、ネリー・ファータドをミスしてしまったこと。でも、そういう想定外になっちゃうのも、またフェスと割り切れちゃうわけで……。今年「サムバディ・ザット・アイ・ユースト・トゥ・ノウ」が米国で超ヒットしてしまった豪州ベースの男性歌手であるゴティエは思っていた以上にきっちりサウンドを作り、自分のメロディや心持ちを丁寧に披露。感心。かつて勉強していたらしい、達者な日本語MCにもへ〜え。

 球場の横に作られたレインボー・ステージは中国、台湾、韓国、インドネシアなどの東/東南アジアのアクトが出るステージ。この日見た、イエロー・ファンというタイの女性3人組バンドは、感覚が今っぽい。なんでも、ノルウェーのキングス・オブ・コンビニエンス(2010年4月7日)のメンバーが新作録音に関与しているとか。

 2日目でまず印象に残ったのは、昼下がりから、室内会場で横になり寝ている人が散見されること。なんでー、と思ったら、オールナイトでいる人なんだそうな。そうなのか。アーティストだと、ケシャ、フォスター・ザ・ピープル、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ニュー・オーダーなどは、印象に残った。さて、日経新聞評には、どれをピックアップしようか。

<今日の、悲しみ>
 なんと、オフィシャルの販売ビールが、薄くてまずいバドワイザーとなっていて、驚愕。過去のそれだったハイネケンも過剰に好みのビールではない(カールスバーグよりは好きだけど)けど、バドワイザーはきっちり嫌いと言い切れる。なので、オフィシャルで販売していたジャック・ダニエルを飲むか、オフィシャル・バーではないメッセや球場に入っている売店で国産ビールを買う。それにしても、ドウシテコウナッタ? 
 2010年にLAで結成。アルバムは1作のみながら、英国で評価を集め、午前中の出演ながらサマーソニックのスタジアム会場にもでてしまった、ソウルフルなヴィンテージ・ロック・バンドの単独公演。渋谷・デュオで満員。

 アルバムだけだと、絵に描いたような(既知感山ほどの)オールド・スクール一辺倒のロック・バンド(←それはそれで、立派ではあるが)なんだけど、生だと、今こういうバンドをやる意義がもあもあ出ていて、よりにっこりなれちゃう。いや、立派なライヴだったな。

 メンバーのなかで唯一のアフリカ系であるヴォーカリストのタイ・テイラーは完全に一級のソウル歌手。彼はかつてエレクトラと契約していたダコタ・ムーンというソフト・ロック・バンド(テイラーはそれで来日経験もあるという)をやっていたが、その前歴がウソのように本格派。ぼくの見立てでは、ライアン・ショウ(2008年3月1日、2010年6月17日)より上かも。そんな歌い手を中央におきつつ、アーシーなバンド・サウンドで実直に疾走するのだから、こりゃたまらん。皆ちゃんとお洒落に、ロック的に着飾っているのも、好ポイント。それについては、バンド・マンとして当然の所作、とのこと。

<今日の、取材>
 昼間に、好漢ぞろいの彼らにインタヴュー。ぼくの質問の仕方が連中に受ける。テイラーはその模様をi-フォンで撮っていた。彼らはきっちり4人で取材に応じ、それぞれ均等に自分の意見を言う。まっとうなバンドという印象を受けました。

 矢野顕子(2011年12月11日、他)の新作『荒野の呼び声-東京録音-』はここのところのライヴ曲を集めたもので、その半数は2009年と2010年にブルーノート東京で録られたブツだ。その曲群のパーソネルはいずれも矢野にくわえ、ベースのウィル・リー(2009年8月19日、他)とクリス・パーカー(2009年8月19日)。そして、この晩の顔触れもまったく同じ。そして、そんな不動の3人できっちりと“トリオ”と名乗り、彼女たちは生の場で自在かつやんちゃに協調表現を育むことを楽しみながら求めている。……そう、書いてもなんら嘘にならない起伏とウィットに富むパフォーマンスを享受。途中、彼女は中央に出てきて、マイクを持って歌ったりもした。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 そして、続いて六本木・ビルボードライブ東京で、1990年代にソウル・シーンを席巻し、解散をはさみ今年5年ぶりのアルバムをリリースした女性コーラス・グループを見る。ぼくは基本、そんなにコーラス・グループに熱を上げたりはしないのだが、彼女たちは別格。とにかく、天使の歌声といいたくなる清らかなソウル・ヴォイスが思うまま重なるそれは、誘い度抜群だもの。同時期の同系のグループのなかでは一番好きだな。

 少しは腰回りが太めになったシスターたち(グループ名は、シスターズ・ウィズ・ボイシズの略)だが、やっぱり無条件ににっこりできちゃう、絹の手触りのような感触をそのコーラスは持つ。ゆえに、ヒップホップ要素が入っていないしっとり目の曲のほうが、ぼくの頷き度は高い。バンドは簡素に、キーボード、ベース、ドラム。そりゃ、もっと奏者がいたほうが細やかさや密度の濃さは出るだろう。だが、3人の魅惑の声の重なりを存分にアピールするためには、この行き方もマイナスではないと好意的に思えた。それにしても、中央に立つココの声の輝きにはためいき。

<今日の、お答え>
 ときに、ブログに写真はいれないんですか、と問われる。ハイ、入れる気ゼロです。入れたほうが、絶対に分りやすくなるとは思う。が、入れれば、それにたより、文章が雑になる。間違いなく。もともと外国に行ったときにも、写真を撮らない〜だって、写真を撮る事が第一義になってしまっている???な人を見たりして、ああはなりたくないと思うから〜人間であるし、ライヴに行って写真を撮らなきゃと思うのもイヤ。メンドクセー。だいいち、PCにいまだ不慣れなぼくは、ここへの写真の入れ方もよくわからない。いや。分らないようにしている? ともあれ、ちゃんと文字だけで完結する文章を書きたい。決して保守的なほうではないと思うが、それが文章を書いて生計を立てているぼくのささやかな自戒だということにしておこう。

塩谷哲トリオ

2012年8月24日 音楽
 大昔オルケスタ・デ・ラ・ルスで弾いていたこともあるオープン・マインドなジャズ・ピアニスト、ずっと維持している井上陽介と山木秀夫とのトリオ(2008年8月19日)による実演で、曲はそのトリオ作に限らず、塩谷のオリジナルが演奏されたよう。1曲あった“ハーレクイン・ロマンス”と言いたくなる曲調のもの以外は美意識や野心や技や諧謔がクールに投影された曲で、そこに込められた襞を通し、闊達なインタープレイ/ピアノ演奏を浮き上がらせる。アンコールの「マシュケナダ」では、小曽根真(2011年8月6日、他)が飛び入りしてピアノを弾き、本人は横でニコニコ。南青山・ブルーノーと東京、セカンド・ショウ。

<今日の、広告>
 電車内の壁ばり広告スペースが完全には埋まっていない。少なくても、ぼくが良く乗る田園都市線/半蔵門線の場合は、そういう状況が続いている。別に埋まることを正とすることもないのだが、景気が良くはないままなのか、とは感じるな。ぼくは車中での手持ちぶさたを解消するために、よく車内広告を見るので、にぎやかなほうがいい。そういえば、一時はバスの外ボディのペイント広告がかなり盛況だったが、今はやはり不況なためか、あまり見なくなった(ぼくが触れるのは、渋谷起点の東急バス)。今日、1台ペイント車を見たが、それはヒカリエ(東急経営)の広告。なんだ、自社広告じゃないか。

 11月から半月間、結成50周年記念ツアーで日本を回るザ・チーフタンズ(2007年6月1日、他)の中心メンバーのパディ・モローニ(イーリアン・パイプ、ホイッスル。1938年、ダブリン生まれ)がプロモ来日し、ついでにくだけたトーク・ショーをやった。渋谷・アップリンク・ファクトリー。なんでも、10公演が予定される次のツアーで、10度目の来日公演となるという。相手役はピーター・バラカン、話に沿ってへえという映像もいろいろ流される。

 一つ仕事をこなして遅れて会場につくと、ちょうど休憩中。後半には、次のツアーで共演することになっている新日本フィルを指揮する竹本泰蔵(なかなかサバけた感じの人)、和太鼓の林英哲(2007年6月1日)、矢野顕子(2012年8月21日、他)らも加わる。彼らはそれぞれ、別の公演日に加わることになっている。今のポップ・ミュージックの小さくない源流の決定的な味を出せるアイリッシュ・トラッドのグループとして、ストーンズ(2003年3月15日)やライ・クーダーをはじめいろんな人たちと共演して来ているモローニたちだが、もう話も悠々。まだまだ元気だし、お茶目。いろんなものを話から受けるとともに、今度の公演がとっても楽しみになった。

<今日の、びっくり>
 なんと、アヌーナ(2011年12月10日、他)のフェイスブックで、このブログの彼らのことを書いた項(2009年12月12日)が紹介されていると、会場で会った知人から教えられる。なぜ、今になって? どうやって、完全日本語のブログの内容を知った? 家に帰って見てみたら、確かにそれ経由でヒット数が増えている。そこでぼくはリーダーのマイケル・マクグリンへのインタヴューも載せているのだが、アヌーナのfbページには、以下のような文章が添えられていた。Although this interview dates back a few years, you might like to have a read. Its in Japanese. お墨付きのインタヴューといっていいの? そこで、マクグリンのしゃべる様はオカマ風、すごい変人、などとも、ぼくは記しているのだが。

 10月6〜12日の東京(渋谷・ユーロスペース)をはじめ、大阪、京都、浜松と11月2日まで各都市で開かれる<ブラジル映画祭2012>の上演作品を2つ、北青山・ブラジル大使館で見る。どちらも実在の人物を題材とするドキュメンタリーとドラマで、前者は作詞家/弁護士/国会議員(1915〜1979年)で後者はサッカー選手(1920〜1959年)が主人公。ともにリオに住んだ人たちで、彼らが音楽やサッカ−で活躍した1940年代後期はブラジリア遷都前で、リオがブラジルの首都であったのだなあと思いつつ、その2つの映画を見た。

 映画「バイアォンに愛をこめて」はバイアォンの代名詞的偉人シンガー/アコーディオン奏者/作曲家のルイス・ゴンザーガ(1912〜1989年)の作詞パートナーとして知られるウンベルト・テイシェイラの生涯を追うドキュメンタリ−映画。興味深い往年の映像や娘をはじめいろんな証言者映像を組み上げ、インテリでもあったテイシェイラ、ひいてはバイアォンという北東部に根を持つ表現のブラジル音楽にしめる存在のデカさを語っていく。とにかく、見ているといろんな扉があけられる思いも得たし、自分がブラジル文化初心者であることを思い知らされた。

 会場で会った伊藤温仁さん(今はブラジル音楽探求家だが、かつてはUKバブ・ロック大家だった)は、バイアォンはアメリカのR&Bヘ影響も及ぼしたはずで、それを研究してみたいんだよね、なぞと言っていた。へえ、そうなの。なるほど、著名米国音楽データーのサイトであるAMGをひくとゴンザーガの詳細なバイオと膨大なディスコグラフィーが出てくるわけで、けっこう米国でバイアォンが流通したのは間違いのないことのよう。

 一方、映画「サッカーに裏切られた天才、エレーノ」はボタフォゴの天才型スター選手(アタッカー)だったエレーノ・ヂ・フレイタスの光と影を描く映画。ぼくは彼の存在をこの映画で初めて知ったが、へーえ。リオの風土を満喫していた彼は1948年にボタフォゴの経済的事情でアルゼンチン・ブエノスアイレスの人気クラブであるボカ・ジュニアーズに移籍させられちゃい、そこから女と酒を愛した、この色男のボタンはかけ違えられ……お、まさに映画を感じさせるストーリーだな。ボタフォゴもリオの名門チームとして知られるが、映画ではボカ・ジュニアーズ(かつてマラドーナが欧州で活躍する前後に所属したチーム。2000年代アタマにはドイツに行く前の高原直泰も1年所属)がお金を持っていたチームに描かれる。その時期のアルゼンチンは、“アビータ”と呼ばれた嫁を持つフアン・ペロンが大統領として独裁政治をやっていた時代だった。

 ボタフォゴのチーム・カラーは白と黒だが、映像もモノクロ。まあ、それは1940〜50年代をスタイリッシュに描かんとするとともに、ヂ・フレイタス(死因は、梅毒のよう。時代を感じさせますね)のある種の優美さや闇を表現しようとするためであると推察する。ともあれ、サッカー選手が主人公の映画なのに、チャラチャラ遊ぶシーンはいろいろ出てくるのに、サッカーの場面はあまり出てこない。それだけ数奇なキャリアや人間性に焦点をあてきっているとも言えるのかもしれない。

 そして、夜は、“スキヤキ・トーキョー”という昨年から開かれているワールド・ミュージックの帯公演に行く。渋谷・クラブクアトロ。

 まず、GOMA& The Jungle Rhythm Sectionが出て来て実演。疾走する3人の打楽器/ドラム演奏にディジュリドゥ。GOMA(2006年11月26日、他)は2009年に首都高での追突事故で記憶を失い(一方、それまで絵筆を握ったことがなかったのに、印象的かつ訴求力ある絵を描くようになった)、それはいまだ完治していないようではあるが、よりフィジカルなパフォーマンスを見せるようになっていると感じる。快活に客をあおるとともに、ヨガ流れの三角倒立を彼はしたりもする。MCによれば、秋に彼を追った3Dのドキュメント映画「ブラッシュバックメモリーズ」が公開されるという。

 その後は、昨年に続き、アルジェリアの凸凹をフランスから送り出すアマジーグ・カテブ(2011年8月24日)の出演。ただし、ソロ名義ではなく、今回は彼がリーダーだったグナワ・ディフュージョン(2004年6月10日)を再結成してのもの。そのショウは、会場後ろのドアから登場したメンバーたちが鳴り物(カルカベ)をならしフロアを歩くことから始まった。

 意気とスキルに富んだグナワの現代的展開、とうぜんアリ。プリミティヴな民俗弦楽器ゲンブリを弾きながら歌うカテブに加え、7人のバンド員がつく。演奏時間は約90分と(昨年と比すなら)おさえ気味だったが、なんか前回よりも、ぼくは質が高いと感じた。前回あまり聞こえなかったDJ音も今回は聞こえたし、カデブの声も心なしか今回のほうが説得力を持っているようにも思えた。彼は曲のなかにフクシマという言葉を歌い込んだりもした。

<今日の、突発的行動>
 渋谷で飲み屋をハシゴしたあと、3時を回った深夜に、なぜか元気に歩いて帰る。家の近くまで来て、暑いィ〜喉もかわいたぜえ〜という感じで、24時間営業のマクドナルドに入り、唐突にマック・シェイクを購入しちゃう。おいちい、退行している(^.^)。マック・シェイクをすするのって、いつ以来か。その微妙なお店の雰囲気で、ぼくは大昔からマクドナルドが好きじゃないんだよなー。
 昨日に続いてブラジル映画祭に出展される映画の1本を、やはり北青山・ブラジル大使館で見る。昨日の2作品はブラジル映画だったが、こちらは日本人監督(中村真夕、津村公博の連名による)による日本の作品。スズキやヤマハを抱える浜松市が舞台で、そこに住む日系ブラジル人の若者たちを追ったドキュメンタリーだ。興味をひかれる題材ではあり、無理矢理時間を作って見に行く。これ、夏前に渋谷や浜松で公開されていたようだ。

 親の出稼ぎについてきて日本で育ち、宙ぶらりんな状況で働き、娯楽を享受している数人の男女の発言や日常映像をまとめる。やはり、ぼくが普段触れている日常とは離れているのは確か。なんか、日本じゃないみたいと書くと、誇張にすぎるが。当初、映画は浜松の取材で完結するはずであったよう。だが、2008年のリーマン・ショックに端を発する不況で多数の出稼ぎ労働者が帰国をしいられ、それを受けて家族とともにブラジル各地に戻った彼らの生活も追っている。結果、両方の属性を持ち、双方の文化をかかえる若者たちが背負わざるを得ないブラジルと日本の距離はより見えやすくなったのかもしれぬ。

 ここに出てくる数人の青少年はみんなポルトガル語も日本語も上手にしゃべるが、多くのジャパニーズ・ブラジリアンは日本語が不自由であったりもするそうで、この映画に出てくる人たちは少数派だろうと、映画が終わった後に雑談しているとき数人の識者が言っていた。なんにせよ、ボランティアをしたり英語も学んでいそうだったりと一番ツカえそうだった青年がマリファナで捕まり、強制送還のための出頭日の朝にトンずらしちゃうという事実(その前夜の取材映像も収められる)に、言葉や生理を超えた彼らをとりまくモヤモヤを実感させられたか。

 そして、夜は昨日に続き<スキヤキ・トーキョー>で、渋谷・クラブクアトロ。この晩はコロンビアの電波系現代クンビアの担い手、ペルネットの出演。PCと小鍵盤を前に歌う彼に加え(ときに、縦笛を吹くときも)、ベース(鍵盤ベースを弾く曲のほうが多い)、打楽器、ドラム奏者を擁しての実演だったが、アルバム音に比すと、PC音も下敷きにしているのに、かなり生っぽく、どんくさくて下世話で……。歌も飾り気なく、うまくない。と、書いて行くと、なんか否定的な思いを受けているような感じになるが、実際は逆。なんか、妙にまっつぐで、ドキドキするぐらい民衆のポップ・ミュージックという手応えを感じさせられ、ぼくはゲラゲラ笑いながら感じいっってしまった。楽しく、身体も揺れた。そこには、音楽の不思議な素敵があったなー。

<今日の、移動販売車>
 昼間映画を見に行ったブラジル大使館前に、ブラジルの食べ物からDVDまでを品ぞろえした移動販売車が来ていた。丸の内のブラジル銀行前とか、いろんな所に出没するらしい。大使館勤務らしい人も、それを利用していた。そのカスタム店舗車は、やはりブラジルからの出稼ぎ者が多い地域がある群馬のナンバー。売っているパンは浜松製だった。

 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。ジャマイカのダンス・ホール・レゲエの怪物制作者コンビ、スティーリー&クリーヴィーの名を出した公演だ。スティーリーは2009年に亡くなってしまったが、ジャマイカの音楽シーンをぐいぐいと牽引した実績を山のように持つゆえ、1人だけでも、その財産を糧に興行をやる資格は十分あるだろう。で、ぶっとい低音を浴びることができればOKと思って行ったら、きっちりドラムを叩くクリーヴィーのもとに、かなり実績ある奏者陣やシンガーが集結。想像した以上に、バンド+歌手の噛み合いを出したショウを見せたし、このコンビが作ったビートや楽曲群を明解に示していたはず。結果、ジャマイカという国のポピュラー・ミュージック、ビート・ミュージックの創出能力の高さをさらりと思い知らされた。

<今日の、記憶>
 イケイケだったころのエイベックストラックスが彼らと契約してきたことがあって、そのころ、スティーリー&クリーヴィーにインタヴューしたことがあった。その流れで、日本でアイドルも手がけると、2人はなんかうれしそうだった。が、その細かいパーソナリティまでは覚えていないな。そういえば先日、引き出しを整理していたら、キングストンのミュージック・ワークスで録った写真がでてきた。卓の前に座っているオレ、なんかうれしそう。でも、そのときの爆発した髪型には、うーむ。1990年代上半期? 調べれば分るだろうが、よく覚えていない。どんどん記憶は薄れて行き、悲しい。でも、そのぶんいろんなことを積み上げているのだと思うようにしよう。