1932年生まれ(今回のツアーは、80歳を祝うという副題つき)の、フランスの名映画音楽作曲家/ジャズ・ピアニスト(2011年9月3日)の特別仕立て公演。錦糸町・すみだトリフォニーホール。2部形式で、1部はピアノ・トリオにて。2部は新日本フィルハーモニー交響楽団との共演を見せる。
会場でもらったリーフレットにドラマーのフランソワ・レゾーは仏プログ(レッシヴ)・ロックの雄であるマグマにいたと書いてあったような気がするが、マグマはドラム他の絶対的リーダーであるクリスチャン・ヴァンデが率いるバンドであるはずだから??? でも、そのヴァンデはジャズ・フリークだったんだっけ? 20世紀最良の都市型アフリカン・アメリカン表現であるジャズが世界中にまいた種は本当に膨大で、末広がりだ。
公演1部では、自作曲をやっているからでもあるだろうが、本場のジャズとは異なる佇まいをもつ、多分にメロディアスでもある演奏を披露。確か、昨年の公演では、ルグランは指をペロペロなめながらピアノを弾いたと記憶するが。今回それはなし。また、曲によってはスーダラな感じで、ルグランは歌もうたう。すると、一気に我が道を行く、オイラ好々爺濃度がぞわ〜んと高まる。その様は、2日前にここで見た東欧ジプシー軍団(2012年9月30日)のはっちゃけ具合と同じではと、思わずにはいられず。上品洒脱と目を輝かせる聞き手はこういう記載を見ると、ムカつかくのかな。まあ、もともと持って生まれたものもあるだろうし、洒脱なのは間違いないが、少なくても年配になったルグランはある意味お高くなく、下世話になっているところがあるんかないか。
ステージ背後にオーケストラ員をどかんと従えた(ある曲では、打楽器系奏者が4、5人いたな。ピアノ・トリオのリズム隊もそのまま参加)2部はルグランも蝶ネクタイを付け、ジャケットを羽織って出てくる。長めの1曲目の「シェブールの雨傘」では指揮を取る。彼がピアノを弾く場合は、竹本泰蔵(2012年8月28日)が指揮。ステージ中央前面にはハープがおいてありハテナと思っていたら、途中でキャサリン・ミシェルという上品なおばあさんが出て来て、それを弾く。MCによれば奥様だそうで、若い頃はさぞや上玉だったんだろうと思わせるものあり。その演奏についてどうこう言う知識も経験も持っていないが、達者な指さばきで、情実出演という言葉は思い浮かばず。彼女のハープ音が活きる映画「おもいでの夏」のテーマ曲はルグランの作曲であったか。ぼくが中学生のとき最初に友達と映画館に行って見た洋画(「小さな恋のメロディ」の併映作品)で、甘酸っぱい気持ちになった。
終演後は、クラシック系公演特有の、“しつこい儀式”が続く。でも、観客も本人もうれしそう。その際、ルグランに花やプレゼントを手渡す人もいた。
<今日の、ナミダ>
今週2度目の、錦糸町行き。帰りに、近隣在住の舎弟ラッパーを呼び出して飲む。ビッグ・ダディ・ケイン(2012年4月26)を一緒に見に行っていらい会うか。そして、清澄白河駅近くの中華料理店にはいったのだが、ここがとんでもないへでなし。なんだ、あの一品料理の情けなさ、まずさは。値段は普通に取るのに、なぜに潰れず商いできている? 下町、イケてねー。実は帰宅してから、オレはどうしてあの店で飲食してしまったのかと、悲しみをおおいに覚えた。そりゃ、飲食店に当たり外れはあるが、今日日あそこまでエエエなのはちょい記憶がない。店に入ったとき、違和感を感じたのは確かで、なぜ本能に従わなかったか。舎弟も途中から、なんじゃあこの店と言っていたが、駅から近いしここでいい?と店を選んだのは彼のほう。下町に過度のプライドを持っている御仁ゆえ、痛恨の極みと思いつめ、自決しないか心配である。
会場でもらったリーフレットにドラマーのフランソワ・レゾーは仏プログ(レッシヴ)・ロックの雄であるマグマにいたと書いてあったような気がするが、マグマはドラム他の絶対的リーダーであるクリスチャン・ヴァンデが率いるバンドであるはずだから??? でも、そのヴァンデはジャズ・フリークだったんだっけ? 20世紀最良の都市型アフリカン・アメリカン表現であるジャズが世界中にまいた種は本当に膨大で、末広がりだ。
公演1部では、自作曲をやっているからでもあるだろうが、本場のジャズとは異なる佇まいをもつ、多分にメロディアスでもある演奏を披露。確か、昨年の公演では、ルグランは指をペロペロなめながらピアノを弾いたと記憶するが。今回それはなし。また、曲によってはスーダラな感じで、ルグランは歌もうたう。すると、一気に我が道を行く、オイラ好々爺濃度がぞわ〜んと高まる。その様は、2日前にここで見た東欧ジプシー軍団(2012年9月30日)のはっちゃけ具合と同じではと、思わずにはいられず。上品洒脱と目を輝かせる聞き手はこういう記載を見ると、ムカつかくのかな。まあ、もともと持って生まれたものもあるだろうし、洒脱なのは間違いないが、少なくても年配になったルグランはある意味お高くなく、下世話になっているところがあるんかないか。
ステージ背後にオーケストラ員をどかんと従えた(ある曲では、打楽器系奏者が4、5人いたな。ピアノ・トリオのリズム隊もそのまま参加)2部はルグランも蝶ネクタイを付け、ジャケットを羽織って出てくる。長めの1曲目の「シェブールの雨傘」では指揮を取る。彼がピアノを弾く場合は、竹本泰蔵(2012年8月28日)が指揮。ステージ中央前面にはハープがおいてありハテナと思っていたら、途中でキャサリン・ミシェルという上品なおばあさんが出て来て、それを弾く。MCによれば奥様だそうで、若い頃はさぞや上玉だったんだろうと思わせるものあり。その演奏についてどうこう言う知識も経験も持っていないが、達者な指さばきで、情実出演という言葉は思い浮かばず。彼女のハープ音が活きる映画「おもいでの夏」のテーマ曲はルグランの作曲であったか。ぼくが中学生のとき最初に友達と映画館に行って見た洋画(「小さな恋のメロディ」の併映作品)で、甘酸っぱい気持ちになった。
終演後は、クラシック系公演特有の、“しつこい儀式”が続く。でも、観客も本人もうれしそう。その際、ルグランに花やプレゼントを手渡す人もいた。
<今日の、ナミダ>
今週2度目の、錦糸町行き。帰りに、近隣在住の舎弟ラッパーを呼び出して飲む。ビッグ・ダディ・ケイン(2012年4月26)を一緒に見に行っていらい会うか。そして、清澄白河駅近くの中華料理店にはいったのだが、ここがとんでもないへでなし。なんだ、あの一品料理の情けなさ、まずさは。値段は普通に取るのに、なぜに潰れず商いできている? 下町、イケてねー。実は帰宅してから、オレはどうしてあの店で飲食してしまったのかと、悲しみをおおいに覚えた。そりゃ、飲食店に当たり外れはあるが、今日日あそこまでエエエなのはちょい記憶がない。店に入ったとき、違和感を感じたのは確かで、なぜ本能に従わなかったか。舎弟も途中から、なんじゃあこの店と言っていたが、駅から近いしここでいい?と店を選んだのは彼のほう。下町に過度のプライドを持っている御仁ゆえ、痛恨の極みと思いつめ、自決しないか心配である。
三輪洋子トリオ。坂田明+ホッピー神山
2012年10月3日 音楽 まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、ボストンに15年居住し、現在は出身校でもあるバークリー音楽大学の助教授も勤めているという、1970年生まれジャズ・ピアニストのトリオを見る。リズム・セクションの白人2人はやはりボストン在住のようで、MCによれば、ドラマーのスコット・ゴウルディングは8度目の来日であるという。関西出身の三輪は日本の音大を出たあと、小曽根真(2012年9月8日)の父や本人と親交を持っていたようだ。
まっとう。普通に、何気なくいい、ピアニスト。通算6作目となるようなスタンダード主体の新作(過去作はオリジナルでせめているよう)より、ずっと印象がいい。やっぱ、生を見たほうが、本質や魅力はよく伝わる。アルバムを聞いてもちゃんとした指さばきができる人だなと感じたが、実演だと、そこからジャズへのひたむきさや本人の凛と輝きや細やかさが浮き上がって来て、聞く価値があると思える。とともに、ライヴのほうがレッド・ガーランドからマッコイ・タイナー(2011年1月12日、他)まで、いろんなノリの指さばきを溢れさせる人なんだなとも思った。
その後、渋谷に移動。バー・イッシーで興味深い顔合わせの即興演奏に接する。一緒にやったことはあるものの、デュオは初めてのよう。ちょうどセカンド・ショウが始まったときに、入店。坂田明(2011年4月1日、他)はアルト・サックスを吹き、キーボードやパッド他いろんなものを並べたホッピー神山(ぼくは昔、日本のバーニー・ウィレルみたいな印象を彼に持っていたときがある)は発展や変化を促す効果音/打楽器的音を出している。ホッピー神山は壁に映し出される映像も、再生用のビデオ・カメラを3台ならべ、オペレートしていた。
続くは、なんとCDも出ている坂田版『平家物語』+。わーい。坂田は語りと鳴り物、ホッピーは効果音に加え、鳴り物とかけ声を少し。ああ、サカタ・ワールド。3曲目になると坂田はクリネットを持ち、ホッピーはキーボードで音階を持つ合いの手をフレキシブルに入れる。また、見たいな。会場で売っていた、坂田明の金色と銀色パッケージのCDジャケットが、ディープ・パープルのそれみたいだった。
<今日の、通り模様>
先日もふと感じたんだが、バー・イッシーに行く際の渋谷のセンター街通り、なんか飲み屋の客引き(バイトだろう青年)が増えていて、雰囲気悪くなったなと思う。ま、1人のとき声をかけられることはないが。また、アフリカ出身とおぼしき人も立っているが、それは昔から。彼らはなにの客引きなんだろう。これが六本木だと、シャチョーとか、すぐに日本語で話かけてくるところだが。多少、慎ましやかなシブヤ……? そういえば、センター街横の田園都市線出口横路上にはクスリ販売の中東系の人があからさまによくいたが、いつの間にか見かけなくなった。取り締まりが厳しくなったのかな。センター街は街頭スピーカーからつまらないJ・ポップが流されていて、それも本当にイヤだ。
まっとう。普通に、何気なくいい、ピアニスト。通算6作目となるようなスタンダード主体の新作(過去作はオリジナルでせめているよう)より、ずっと印象がいい。やっぱ、生を見たほうが、本質や魅力はよく伝わる。アルバムを聞いてもちゃんとした指さばきができる人だなと感じたが、実演だと、そこからジャズへのひたむきさや本人の凛と輝きや細やかさが浮き上がって来て、聞く価値があると思える。とともに、ライヴのほうがレッド・ガーランドからマッコイ・タイナー(2011年1月12日、他)まで、いろんなノリの指さばきを溢れさせる人なんだなとも思った。
その後、渋谷に移動。バー・イッシーで興味深い顔合わせの即興演奏に接する。一緒にやったことはあるものの、デュオは初めてのよう。ちょうどセカンド・ショウが始まったときに、入店。坂田明(2011年4月1日、他)はアルト・サックスを吹き、キーボードやパッド他いろんなものを並べたホッピー神山(ぼくは昔、日本のバーニー・ウィレルみたいな印象を彼に持っていたときがある)は発展や変化を促す効果音/打楽器的音を出している。ホッピー神山は壁に映し出される映像も、再生用のビデオ・カメラを3台ならべ、オペレートしていた。
続くは、なんとCDも出ている坂田版『平家物語』+。わーい。坂田は語りと鳴り物、ホッピーは効果音に加え、鳴り物とかけ声を少し。ああ、サカタ・ワールド。3曲目になると坂田はクリネットを持ち、ホッピーはキーボードで音階を持つ合いの手をフレキシブルに入れる。また、見たいな。会場で売っていた、坂田明の金色と銀色パッケージのCDジャケットが、ディープ・パープルのそれみたいだった。
<今日の、通り模様>
先日もふと感じたんだが、バー・イッシーに行く際の渋谷のセンター街通り、なんか飲み屋の客引き(バイトだろう青年)が増えていて、雰囲気悪くなったなと思う。ま、1人のとき声をかけられることはないが。また、アフリカ出身とおぼしき人も立っているが、それは昔から。彼らはなにの客引きなんだろう。これが六本木だと、シャチョーとか、すぐに日本語で話かけてくるところだが。多少、慎ましやかなシブヤ……? そういえば、センター街横の田園都市線出口横路上にはクスリ販売の中東系の人があからさまによくいたが、いつの間にか見かけなくなった。取り締まりが厳しくなったのかな。センター街は街頭スピーカーからつまらないJ・ポップが流されていて、それも本当にイヤだ。
ザ・インスペクター・クルーゾ
2012年10月4日 音楽 渋谷・クラブクアトロ。いやー、楽しかったなー。鼓舞され、身体が揺れたなー。
<発散系ロック←→ジャンピー&スウィートなソウル>掛け合わせ的音楽性を持つ、歌/ギターとドラムという内訳のフランス人デュオ・ユニットの公演で、与える所感は前回公演(2010年5月7日)とほぼ同様。なんだけど、今回は半数強の曲に2人の管奏者(テナー・サックスとトランペット)が加わっているのが目新しい。やっぱ、それはカラフルさや肉感性を高めるとともに、見た目でも貢献。まあ、ウマのあうファンキーな奴らを誘っているんだろうけど、彼らはメンバーの2人に合わせ、崩し気味にスーツを身につけていた。
1曲、カーティス・メイフィールドのカヴァーも披露。あと、メンバー2人はシンバルをスタンドごとぼんぼんぶん投げたりも。そんなこと、前回しなかったよな。客扱いは相変わらずうまく、それは彼らの心意気や諧謔の存在を教えもする。なお、彼らはスペインとの国境に近い南仏の町をベースにするバンドで、今回ステージ横に同地に根ざした旗を飾り、その非パリ地元愛の姿勢をきっぱりアピールしたりもしていた。
<今日の、サッカー放映>
昼間、スポーツ・チャンネルで、プレミア(イングランド)とJ(日本)のリーグの試合放映を1つづつ見ちゃう。とくに、後者のヴィッセルとセレッソの試合(1人たりないセレッソが逆転勝ち)は何気に面白かった。すくなくても、9月19日にブラジルのゴイアニアであったブラジルとアルゼンチンの国際試合(南米スーベル・クラシコ)よりは。その第2選はアルゼンチンで10月3日行われるはずだったんだが、照明が落ちて中止になったみたいだ。気候もよくなったし、あースタジアム、行きてえ。そういえば、ザ・インスペクター・クルーゾの2人はサッカーの小話もしたな。
あ、それと、彼らの事務所はミレニアム後にフィッシュボーン(2011年8月8日、他)のブッキングやアルバム発売を行っていた。彼らはちゃんとビジネスもコントロールしている人たちなんですね。だが、2012年7月30日の項に記しているように、フォッシュボーンの現在のマネージメントは米国の会社に移っている。
<発散系ロック←→ジャンピー&スウィートなソウル>掛け合わせ的音楽性を持つ、歌/ギターとドラムという内訳のフランス人デュオ・ユニットの公演で、与える所感は前回公演(2010年5月7日)とほぼ同様。なんだけど、今回は半数強の曲に2人の管奏者(テナー・サックスとトランペット)が加わっているのが目新しい。やっぱ、それはカラフルさや肉感性を高めるとともに、見た目でも貢献。まあ、ウマのあうファンキーな奴らを誘っているんだろうけど、彼らはメンバーの2人に合わせ、崩し気味にスーツを身につけていた。
1曲、カーティス・メイフィールドのカヴァーも披露。あと、メンバー2人はシンバルをスタンドごとぼんぼんぶん投げたりも。そんなこと、前回しなかったよな。客扱いは相変わらずうまく、それは彼らの心意気や諧謔の存在を教えもする。なお、彼らはスペインとの国境に近い南仏の町をベースにするバンドで、今回ステージ横に同地に根ざした旗を飾り、その非パリ地元愛の姿勢をきっぱりアピールしたりもしていた。
<今日の、サッカー放映>
昼間、スポーツ・チャンネルで、プレミア(イングランド)とJ(日本)のリーグの試合放映を1つづつ見ちゃう。とくに、後者のヴィッセルとセレッソの試合(1人たりないセレッソが逆転勝ち)は何気に面白かった。すくなくても、9月19日にブラジルのゴイアニアであったブラジルとアルゼンチンの国際試合(南米スーベル・クラシコ)よりは。その第2選はアルゼンチンで10月3日行われるはずだったんだが、照明が落ちて中止になったみたいだ。気候もよくなったし、あースタジアム、行きてえ。そういえば、ザ・インスペクター・クルーゾの2人はサッカーの小話もしたな。
あ、それと、彼らの事務所はミレニアム後にフィッシュボーン(2011年8月8日、他)のブッキングやアルバム発売を行っていた。彼らはちゃんとビジネスもコントロールしている人たちなんですね。だが、2012年7月30日の項に記しているように、フォッシュボーンの現在のマネージメントは米国の会社に移っている。
<琉球の音楽>という括りで、休憩なしで2時間半強、4組の沖縄県絡みのアクトが出てくる公演。いわきアリオス・中ホール。出演者は順に、プリセットのサウンドを流しながら今様アイドル沖縄歌謡といった感じの親しみやすい表現を聞かせた女性3人組(1人は、三線を持つ)のサンサナー。このなかで一番の大御所であり、坂本龍一と絡んだこともあった元ネーネーズの古謝美佐子(彼女が三味線弾きながら、「アメイジング・グレイス」やアイルランド民謡を歌うとは思いもしなかった。と、そのときは思ったが、後から彼女がザ・チーフタンズ〜2000年5月20日〜カルロス・ヌニェス〜2001年10月9日〜のショウに出ていることを思い出した)。宮古島の方言“ミャークフツ”を全面的に歌詞に用いつつ、ウッド・ベース奏者や打楽器奏者とグローバルな観点を持つフォーキー・ミュージックを聞かせる下地勇。そして、6人のバンド編成でポップな味付けを介するパーシャクラブ。普段、あまり沖縄音楽に触れないぼくにとっては古謝いがいは、まったく初めて知る人たち。まあ、古謝もネーネーズ時代に触れただけだから、そうとう昔となる。
というわけで、ポイントは純トラッド派ではなく、発展派が集められていること。普段、いろんなものを聞いている者としては、交じり気のない伝統的な表現に触れたいとはまず思う。それゆえ、当初は出演者たちの音楽性に慌てたし、たとえばパーシャクラブにしても古謝にしても、そのサポートのキーボード演奏/音色だけを取ると広い世界を見ているとはいえ、かなりオールド・スクール。普段、モダンなポップ・ミュージックを愛好している耳には逆に古くさく感じてしまう。だが、そうであっても、根っこにある伝承されてきたものの強さやしなやかさはちゃんと表われ出るわけで、それには大きく頷くしかない。くわえて、やっぱりそれぞれに、今の自分を投影したい、後ろ向きではない音楽を送り出したいという澄んだ意思が出ているのは間違いない。
それから、いいぞと思ったのは、古謝美佐子と下地勇、下地勇とパーシャクラブの新良幸人、パーシャクラブとサンサナー、そしてアンコールでは全員といったように、出演者たちはいれかわり立ち代わり、ステージをなんなくシェアしたこと。その際の素材は、有名曲「安里屋ユンタ」をはじめ、トラッド曲であったろう。そのおおらかにして、ポジティヴな協調の様は彼の地の音楽受容の様をくっきりと浮かび上がらせるとともに、場を共有する歓びや映えを存分に指し示した。観客もまた多くが立ち上げっていた(けっこう、ノリノリ)が、それもまたシェアしあう素敵を、濃いものにしていたと思う。
<昨日の、たあいのない話>
流れた先で、資格の話になる。一人ぐらい、なんか変わった資格を持っていても良さそうなところ、みんなフツーどころか、プア。教職さえ、持っているものおらず。ぼくの学生のころはホケンでとっていた人はけっして少数派ではなかったような気もするが。だけど、そんなツブシのきかない輩の集まりのなか、防火管理士の資格を持っている者が3人。みんな、居住マンションの管理組合がらみでしょうがなく取得した。それを取るには、初台だか笹塚だかあのあたりの消防員養成学校みたいなところで2日間講習を受けさせられる。うち一人は放水の実地講習も受けさせられたと言っていたが、ぼくはそんなことやらされた記憶がない。ぼくは2月に講習に行ったので、野外教習を受けさせられたら寒さでしっかり覚えているはずだ。でも、放水訓練、意外に楽しかったと聞き、すこしやってみかったと思うぼく……。
というわけで、ポイントは純トラッド派ではなく、発展派が集められていること。普段、いろんなものを聞いている者としては、交じり気のない伝統的な表現に触れたいとはまず思う。それゆえ、当初は出演者たちの音楽性に慌てたし、たとえばパーシャクラブにしても古謝にしても、そのサポートのキーボード演奏/音色だけを取ると広い世界を見ているとはいえ、かなりオールド・スクール。普段、モダンなポップ・ミュージックを愛好している耳には逆に古くさく感じてしまう。だが、そうであっても、根っこにある伝承されてきたものの強さやしなやかさはちゃんと表われ出るわけで、それには大きく頷くしかない。くわえて、やっぱりそれぞれに、今の自分を投影したい、後ろ向きではない音楽を送り出したいという澄んだ意思が出ているのは間違いない。
それから、いいぞと思ったのは、古謝美佐子と下地勇、下地勇とパーシャクラブの新良幸人、パーシャクラブとサンサナー、そしてアンコールでは全員といったように、出演者たちはいれかわり立ち代わり、ステージをなんなくシェアしたこと。その際の素材は、有名曲「安里屋ユンタ」をはじめ、トラッド曲であったろう。そのおおらかにして、ポジティヴな協調の様は彼の地の音楽受容の様をくっきりと浮かび上がらせるとともに、場を共有する歓びや映えを存分に指し示した。観客もまた多くが立ち上げっていた(けっこう、ノリノリ)が、それもまたシェアしあう素敵を、濃いものにしていたと思う。
<昨日の、たあいのない話>
流れた先で、資格の話になる。一人ぐらい、なんか変わった資格を持っていても良さそうなところ、みんなフツーどころか、プア。教職さえ、持っているものおらず。ぼくの学生のころはホケンでとっていた人はけっして少数派ではなかったような気もするが。だけど、そんなツブシのきかない輩の集まりのなか、防火管理士の資格を持っている者が3人。みんな、居住マンションの管理組合がらみでしょうがなく取得した。それを取るには、初台だか笹塚だかあのあたりの消防員養成学校みたいなところで2日間講習を受けさせられる。うち一人は放水の実地講習も受けさせられたと言っていたが、ぼくはそんなことやらされた記憶がない。ぼくは2月に講習に行ったので、野外教習を受けさせられたら寒さでしっかり覚えているはずだ。でも、放水訓練、意外に楽しかったと聞き、すこしやってみかったと思うぼく……。
ザ・ダーティ・プロジェクターズ、ダスティン・ウォン
2012年10月9日 音楽 このNYの男女混合6人組バンドのことを、前回公演(2010年3月15日)の際もベタほめしているが、今回も本当にイケてる実演だった。より我が道を行く感覚とともに、成長した姿をだしまくり。視点と才が自在に活きた現代ロックの白眉! 多くの今のロックの担い手は過去の焼き直し(それでも、若い聞き手はとびついて当然と思う。動かない過去の人たちのものより、動く同時代の人たちの音楽のほうが価値があるのは、ある意味当然のことと思う)に終始するなか、彼らは本当にいろんな表現を知りつつ、新しいアイデア(ちょっとした手拍子の使い方にも感激しまくり)を散りばめたフレッシュなロック表現を提出し、それを生の場でも有機的に開いているのだから、言う事ない。間違いなく、今年のベスト5のなかの一つ。
渋谷・0-イースト。満員。素晴らしいバンドがちゃんとした評価を受けて、そのライヴにきっちり人が入っているとうれしくなるとともに、胸を撫で下ろす。
<今日の前座>
ザ・ダーティ・プロジェクターズの公演はアンコールを入れて70分。でも、無駄をそいだことをやっているので、短さはみじんも感じない。それもまた、彼らの毅然としたクリエイティヴィティを感じる。なんて書いたら、贔屓の倒しになるだろうか。そんなわけで、パフォーマンスの時間が長くないためか、前回もそうだったが、彼らは前座の人を連れてきた。今回はスリル・ジョッキーからアルバムを出している、ギタリストのダスティン・ウォン。ステージ上で裸足になり、ギター1本とエフェクター使いで40分ぐらいのソロ・パフォーマンスを彼は聞かせた。基本は、いろんな音色やフレイジングのギター音をループさせて、音を重ねていく。アルバムを聞くと、繊細な音響的ギター表現者と言う感じもあるが、実演はけっこう旧流儀のプログ・ロックぽいところも。だから、マイク・オールドフィールドやロバート・フリップ(フリッパトロニクス)を思い出す人がいたかも。最後には一部コブシの効いた詠唱もギターを弾きながらかます。彼、小さい頃から高校までは日本に住んでいたとも聞くが。
渋谷・0-イースト。満員。素晴らしいバンドがちゃんとした評価を受けて、そのライヴにきっちり人が入っているとうれしくなるとともに、胸を撫で下ろす。
<今日の前座>
ザ・ダーティ・プロジェクターズの公演はアンコールを入れて70分。でも、無駄をそいだことをやっているので、短さはみじんも感じない。それもまた、彼らの毅然としたクリエイティヴィティを感じる。なんて書いたら、贔屓の倒しになるだろうか。そんなわけで、パフォーマンスの時間が長くないためか、前回もそうだったが、彼らは前座の人を連れてきた。今回はスリル・ジョッキーからアルバムを出している、ギタリストのダスティン・ウォン。ステージ上で裸足になり、ギター1本とエフェクター使いで40分ぐらいのソロ・パフォーマンスを彼は聞かせた。基本は、いろんな音色やフレイジングのギター音をループさせて、音を重ねていく。アルバムを聞くと、繊細な音響的ギター表現者と言う感じもあるが、実演はけっこう旧流儀のプログ・ロックぽいところも。だから、マイク・オールドフィールドやロバート・フリップ(フリッパトロニクス)を思い出す人がいたかも。最後には一部コブシの効いた詠唱もギターを弾きながらかます。彼、小さい頃から高校までは日本に住んでいたとも聞くが。
ジョン・スコフィールド・トリオ。トーキョー・ワッショイ!!
2012年10月10日 音楽 現代ジャズ・ギターの実力者(2008年10月8日、他)の今回の来日公演はトリオ編成にて。ベースはフレット付き電気ベースをジャズっぽく弾く事においては当代唯一のスティーヴ・スワロウ(すっかりおじいちゃん。でも、椅子に座らず、ちゃんと立って演奏。ピック弾きしていてびっくり)とドラムはビル・スチュワート。ブルーノートやエンヤ他から何作もリーダー作を出しているスチュワートだが、なるほど良識派なようでいて、いろいろひっかかりのある妙味をさりげなく出していて、何気に感心した。
シンプルなトリオ編成なので、いろんなサウンド設定を謳歌するスコ表現のなかでは、けっこうジャズっぽいほうの行き方を取るものとは言えそう。だが、だからこそ、スコフィールドのソリストとしての実力や持ち味は目一杯アピールされたと言えるのではないか。久しぶりに彼の実演に接したせいもあるかもしれないが、どこかタガが外れつつ、刺と悦楽の感覚を求める、そのいろんな指さばきにぼくは膝を打った。やっぱ、いい。とともに、やはり、どこか定石から離れるリズム・セクションの演奏も、スコフィールドの得難い味を引き出していたと思う。
曲は「チキン・ドッグ」(ザ・ジョン・スペンサー・ブルース・イクスプロージョンのとは同名異曲。R&B好きのスコフィールドゆえ、”動物諧謔シリーズ”で売ったルーファス・トーマから持って来たタイトルだろう)や「トゥワン」といったオリジナルから、チャーリー・パーカーやカーラ・ブレイ(2000年3月25日、他。別れてなきゃ、スワロウは彼女の旦那)らの曲まで。実のところ、この3人は『アンルート』(ヴァーヴ、2004年)と同じ録音メンバー。でも、当然のごとく(?)、自由自在に行く彼らはあのアルバムに入っていた曲はやらなかったはずだし、あんときより奔放な絡み方を見せたはずだ。あ、それと、ほんの一部でスコフィールドはギター音をサンプリングして、ループ音として控え目に使った。
次は、南青山・月見ル君想フで、トーキョー・ワッショイ!!というイヴェント。今年2度目になるよう。会場はとても盛況。おもしろがりたい人が来ているという感じも得る。
会場入りすると、アラゲホンジの演奏が始まっている。ほう、こんなん。ステージ上には、ギターを弾きながら歌う(1曲はキーボードを弾きながら歌った)斎藤真文を中心に、横笛(なかなかの使い手。効いている)、太鼓やなりもの各種、ベース、ドラムなど、ステージ上には男女(7人か8人いたかな)が笑顔でずらり。リーダーは秋田県出身とのことで、東北圏の民謡と末広がりなロック/ポップ様式を巧みに重ねたことをやる賑やかしのバンドなのだが、その言葉で書き表す以上に、しなやかにして、うれしい跳躍力を持っている。接している端から、ニコニコできる。カラフルな和の格好、顔にも目立つペイント(それは、アフリカ的?)を皆していて、そういう“企業努力”もまたがんばっているナと思わせ、応援したくなる。彼ら、海外進出しているのだろうか?
続くは、OKI DUB AINU BAND(2007年1月26日)。ドラムの沼澤尚(2011年10月8日、他)に加え、現在のベース奏者は中条卓でそのコンビはシアターブルック(2003年6月22日、他)やブルース・ザ・ブッチャー(2010年1月12日、他)と同じですね。肉感性抜群のビートのうえに、アイヌの5弦楽器であるトンコリ音や肉声が自在に泳ぐ。トンコリという楽器音の幅のためだろう、曲は1コードだが、そうした素朴さやシンプルさが、現代ビート・ミュージック要素という触媒を介して、生気と奥行きあるものとして広がっていく様はなかなか比肩すべきものがない。伝統に根ざしつつ、自分を出して、モダン・ミュージックたらんとする太い意思、過去もそうだが、溢れていた。
<今日の、心残り>
知人からOKI DUB AINU BANDのショウにレゲエDJのランキン・タクシーがシットインするみたいと聞いたが、ちょっと回りたい店があったので、途中で退出。といっても、22時半を過ぎていたが。祭りは長丁場、ね。そして、緑色のボディのタクシーを止めると、扉横のピラーに<タクシー・ランキングAA>と記されている。ゲっ。それを見て、最後までいるべきだったかと少し後悔。ランキンはDUB AINU BANDとの共同名義で、昔発表したユーモアに満ちた反原発ソングの新ヴァージョンを昨年公開したが、それやったかなー。
シンプルなトリオ編成なので、いろんなサウンド設定を謳歌するスコ表現のなかでは、けっこうジャズっぽいほうの行き方を取るものとは言えそう。だが、だからこそ、スコフィールドのソリストとしての実力や持ち味は目一杯アピールされたと言えるのではないか。久しぶりに彼の実演に接したせいもあるかもしれないが、どこかタガが外れつつ、刺と悦楽の感覚を求める、そのいろんな指さばきにぼくは膝を打った。やっぱ、いい。とともに、やはり、どこか定石から離れるリズム・セクションの演奏も、スコフィールドの得難い味を引き出していたと思う。
曲は「チキン・ドッグ」(ザ・ジョン・スペンサー・ブルース・イクスプロージョンのとは同名異曲。R&B好きのスコフィールドゆえ、”動物諧謔シリーズ”で売ったルーファス・トーマから持って来たタイトルだろう)や「トゥワン」といったオリジナルから、チャーリー・パーカーやカーラ・ブレイ(2000年3月25日、他。別れてなきゃ、スワロウは彼女の旦那)らの曲まで。実のところ、この3人は『アンルート』(ヴァーヴ、2004年)と同じ録音メンバー。でも、当然のごとく(?)、自由自在に行く彼らはあのアルバムに入っていた曲はやらなかったはずだし、あんときより奔放な絡み方を見せたはずだ。あ、それと、ほんの一部でスコフィールドはギター音をサンプリングして、ループ音として控え目に使った。
次は、南青山・月見ル君想フで、トーキョー・ワッショイ!!というイヴェント。今年2度目になるよう。会場はとても盛況。おもしろがりたい人が来ているという感じも得る。
会場入りすると、アラゲホンジの演奏が始まっている。ほう、こんなん。ステージ上には、ギターを弾きながら歌う(1曲はキーボードを弾きながら歌った)斎藤真文を中心に、横笛(なかなかの使い手。効いている)、太鼓やなりもの各種、ベース、ドラムなど、ステージ上には男女(7人か8人いたかな)が笑顔でずらり。リーダーは秋田県出身とのことで、東北圏の民謡と末広がりなロック/ポップ様式を巧みに重ねたことをやる賑やかしのバンドなのだが、その言葉で書き表す以上に、しなやかにして、うれしい跳躍力を持っている。接している端から、ニコニコできる。カラフルな和の格好、顔にも目立つペイント(それは、アフリカ的?)を皆していて、そういう“企業努力”もまたがんばっているナと思わせ、応援したくなる。彼ら、海外進出しているのだろうか?
続くは、OKI DUB AINU BAND(2007年1月26日)。ドラムの沼澤尚(2011年10月8日、他)に加え、現在のベース奏者は中条卓でそのコンビはシアターブルック(2003年6月22日、他)やブルース・ザ・ブッチャー(2010年1月12日、他)と同じですね。肉感性抜群のビートのうえに、アイヌの5弦楽器であるトンコリ音や肉声が自在に泳ぐ。トンコリという楽器音の幅のためだろう、曲は1コードだが、そうした素朴さやシンプルさが、現代ビート・ミュージック要素という触媒を介して、生気と奥行きあるものとして広がっていく様はなかなか比肩すべきものがない。伝統に根ざしつつ、自分を出して、モダン・ミュージックたらんとする太い意思、過去もそうだが、溢れていた。
<今日の、心残り>
知人からOKI DUB AINU BANDのショウにレゲエDJのランキン・タクシーがシットインするみたいと聞いたが、ちょっと回りたい店があったので、途中で退出。といっても、22時半を過ぎていたが。祭りは長丁場、ね。そして、緑色のボディのタクシーを止めると、扉横のピラーに<タクシー・ランキングAA>と記されている。ゲっ。それを見て、最後までいるべきだったかと少し後悔。ランキンはDUB AINU BANDとの共同名義で、昔発表したユーモアに満ちた反原発ソングの新ヴァージョンを昨年公開したが、それやったかなー。
事前のアナウンスでは、ファースト・ショウは他者へ書いた曲を披露し、セカンド・ショウは人気作『サザン・ナイト』(リプリーズ、1975 年)を再演するという触れ込み。それゆえ、ならば両セットを通して見なきゃとなったワタシ。
六本木・ビルボードライブ東京。サポートはお馴染みのレナード・ポーシェ(ギター。「ビッグ・チーフ」のリフをちょいやったときだけ、トロンボーンも吹く。以前はジョニー・ギター・ワトソンみたいな外見だったのに、今回はスキンヘッドになっていてビックリ。なんかいい人な感じが出ていた)をはじめ、電気6弦ベース、ドラム、サックス(テナー、アルト)という布陣。バンドの面々は皆、コーラスも取る。
トゥーサン(2011年1月10日、他)、本当に嬉しそうにやっていたな。彼、鮮やかな赤基調でそこに金色の刺繍が入ったような派手派手のスーツで登場。それ、往年の漫才師みたいと書くと、雰囲気が伝わるか。ファーストとセカンド、ともに同じ格好をしていた。
ところで、実はファーストもセカンドも『サザン・ナイツ』収録曲をきっちりやって、事前情報ほど演目違いではなかった。なんでも、面々が勘違いし、セカンドの演目をファーストでやってしまい、セカンドのお客は『サザン・ナイツ』曲を目当てで当然来ているから、当初の予定通りまたそれで行ったというのが真相のようだ。<ビッグ・イージー>とその気質が言われるニューオーリンズ勢らしいと書いてしまうのは、贔屓の倒しになってしまうかもしれないが。
まあいろんな曲を聞きたかったことは確かだし、ファースト・ショウの際は、接しながらなんか変だな、カヴァーが少ないなと思ったのは確かだったのだが、音楽は生き物であるし、ぼくはそっかそっかと接しちゃった。ファーストとセカンドでぜんぜん違う位置で見ていたこともあり、いろいろと異なる感興をぼくは得たのも確かだ。
双方の違いを書いておくと、演奏時間はファーストが1時間15分で、セカンドは1時間30分。演奏やコーラスのまとまり具合/濃さはセカンドのほうが上だったか。ボーシェはセカンドでは縦笛やフルートも少々吹いた。でもって、実はカヴァーもセカンドのほうはザ・ポインター・シスターズの「イエス・ウィ・キャン」とか、ロバート・パーマーのカヴァーが良く知られる「スニーキン・スルー・ザ・アリー」とか多かったはず。それ、本来ファーストでやるべき曲をすまんのうとやったのかもしれない。後者の方はバンドでやるのは初と言っていたが、前にもやっているよな。ああ、ビッグ・イージー。かわりに、ニューオーリンズ曲とクラシック曲などを気分でソロ演奏主体で一筆書きでやっていく洒脱を集約したようなカタマリは、ファーストでは2つやった。また、ファーストではジョー・ヘンリー制作の『ザ・ブライト・ミシシッピー』(ノンサッチ、2009年)に入っていたブルース曲をやったりもした。
声はいままでで、一番良い感じで出ていたか。前に少し耳が遠くなっていると聞いたことがあるけど、それが表に出ることはないし、いい顔つきで、元気そう。なんだかんだ御大、いい状況にあるのは間違いないし、これからも彼のニューオーリンズっ子たる美点には良いあんばいで何度も触れることができるはずと、確信した。
<今日の、もろもろ>
ファースト・ショウのほうで『ザ・ブライト・ミシシピッピ』を語るのに、そのプロデューサーであるジョー・ヘンリー(2010年4月4日、他)の名をトゥーサンはMC で出していた。そしたら、セカンド・ショウの途中で、ツアー中&レコーディング中のジョー・ヘンリーご一行が入ってくる。今日、昼間は中野でレコーディングし(わざわざ、ヘンリーお抱えのエンジニアをそのために米国から呼び寄せた)、夜はツアー・メンバーのジョン・スミス(2010年7月14日)の単独公演を皆で見に行き、そのままスミスも含め皆で六本木にやってきたらしい。お洒落であれを是とするヘンリーはちゃんとシャツ、ネクタイ、ジャケットを着用(下半身はジーンズとブーツ)。ヘンリー付きの人に一緒に楽屋行きましょうよと誘われたが、知人もいたので断る。その後、1、2杯だけ飲んで帰るつもりが、なぜかワインを3本も開栓するのにつきあってしまう。だらだら飲みたい知人の“おごるから”という引き止め作戦に乗ってしまったYO。あー、流されることを良しとするワタシ。
六本木・ビルボードライブ東京。サポートはお馴染みのレナード・ポーシェ(ギター。「ビッグ・チーフ」のリフをちょいやったときだけ、トロンボーンも吹く。以前はジョニー・ギター・ワトソンみたいな外見だったのに、今回はスキンヘッドになっていてビックリ。なんかいい人な感じが出ていた)をはじめ、電気6弦ベース、ドラム、サックス(テナー、アルト)という布陣。バンドの面々は皆、コーラスも取る。
トゥーサン(2011年1月10日、他)、本当に嬉しそうにやっていたな。彼、鮮やかな赤基調でそこに金色の刺繍が入ったような派手派手のスーツで登場。それ、往年の漫才師みたいと書くと、雰囲気が伝わるか。ファーストとセカンド、ともに同じ格好をしていた。
ところで、実はファーストもセカンドも『サザン・ナイツ』収録曲をきっちりやって、事前情報ほど演目違いではなかった。なんでも、面々が勘違いし、セカンドの演目をファーストでやってしまい、セカンドのお客は『サザン・ナイツ』曲を目当てで当然来ているから、当初の予定通りまたそれで行ったというのが真相のようだ。<ビッグ・イージー>とその気質が言われるニューオーリンズ勢らしいと書いてしまうのは、贔屓の倒しになってしまうかもしれないが。
まあいろんな曲を聞きたかったことは確かだし、ファースト・ショウの際は、接しながらなんか変だな、カヴァーが少ないなと思ったのは確かだったのだが、音楽は生き物であるし、ぼくはそっかそっかと接しちゃった。ファーストとセカンドでぜんぜん違う位置で見ていたこともあり、いろいろと異なる感興をぼくは得たのも確かだ。
双方の違いを書いておくと、演奏時間はファーストが1時間15分で、セカンドは1時間30分。演奏やコーラスのまとまり具合/濃さはセカンドのほうが上だったか。ボーシェはセカンドでは縦笛やフルートも少々吹いた。でもって、実はカヴァーもセカンドのほうはザ・ポインター・シスターズの「イエス・ウィ・キャン」とか、ロバート・パーマーのカヴァーが良く知られる「スニーキン・スルー・ザ・アリー」とか多かったはず。それ、本来ファーストでやるべき曲をすまんのうとやったのかもしれない。後者の方はバンドでやるのは初と言っていたが、前にもやっているよな。ああ、ビッグ・イージー。かわりに、ニューオーリンズ曲とクラシック曲などを気分でソロ演奏主体で一筆書きでやっていく洒脱を集約したようなカタマリは、ファーストでは2つやった。また、ファーストではジョー・ヘンリー制作の『ザ・ブライト・ミシシッピー』(ノンサッチ、2009年)に入っていたブルース曲をやったりもした。
声はいままでで、一番良い感じで出ていたか。前に少し耳が遠くなっていると聞いたことがあるけど、それが表に出ることはないし、いい顔つきで、元気そう。なんだかんだ御大、いい状況にあるのは間違いないし、これからも彼のニューオーリンズっ子たる美点には良いあんばいで何度も触れることができるはずと、確信した。
<今日の、もろもろ>
ファースト・ショウのほうで『ザ・ブライト・ミシシピッピ』を語るのに、そのプロデューサーであるジョー・ヘンリー(2010年4月4日、他)の名をトゥーサンはMC で出していた。そしたら、セカンド・ショウの途中で、ツアー中&レコーディング中のジョー・ヘンリーご一行が入ってくる。今日、昼間は中野でレコーディングし(わざわざ、ヘンリーお抱えのエンジニアをそのために米国から呼び寄せた)、夜はツアー・メンバーのジョン・スミス(2010年7月14日)の単独公演を皆で見に行き、そのままスミスも含め皆で六本木にやってきたらしい。お洒落であれを是とするヘンリーはちゃんとシャツ、ネクタイ、ジャケットを着用(下半身はジーンズとブーツ)。ヘンリー付きの人に一緒に楽屋行きましょうよと誘われたが、知人もいたので断る。その後、1、2杯だけ飲んで帰るつもりが、なぜかワインを3本も開栓するのにつきあってしまう。だらだら飲みたい知人の“おごるから”という引き止め作戦に乗ってしまったYO。あー、流されることを良しとするワタシ。
ジョー・ヘンリー&リサ・ハリガン(さらに、ジョン・スミス)、エミ・マイヤー
2012年10月16日 音楽 渋谷・デュオ・ミュージック・イクスチェンジ。前座で、エミ・マイヤー(2012年6月4日、他)が出てくる。ベースやギターを弾く男性を従えての20分ほどのショウ。ジョー・ヘンリーのファンで、自分のアルバムのリミックスを、ヘンリーが使っている人に彼女は頼んだこともあるのだとか。英語曲による新作が来年3月に出るそう。
そして、米英手作り音楽の担い手一座のショウがはじまる。ロック界きっての売れっ子プロデューサーたるジョー・ヘンリーだけが米国人で、他の3人はアイルランド人か英国人。その組み合わせは、ヘンリーが1昨年にリチャード・トンプソン(2012年4月13日、他)だかがキュレイターを勤めた英国でのイヴェントに呼ばれたことによる。で、その一環で彼はハニガンのショウに触れ、一発で魅了されてしまい、あなたの表現作りにはなんだって助力したいことを申し出る。そして、彼は彼女の2011年作『Pssenger』を英国で録音プロデュース。参加奏者たちは彼女人脈の人たちで、今回同行している、すでに日本で紹介されている才人シンガー・ソングライターのジョン・スミス(2010年7月14日)とドラマーのロス・ターナーはそのアルバムに入っている。
というわけで、リサ・ハニガン的単位にヘンリーが加わり、ヘンリー、ハニガン、スミスという秀でたシンガーソングライターの才を持つ三者が和気あいあいリード・ヴォーカルを取り合うという感じでショウは進む。3人は生ギターのほかにも、マンドリンその他の弦楽器を手にし、一部ドラムが入らないときはターナーも弦楽器を手にしたりも。彼、シンプルなセットながら口径の大きなバスドラを置いていた。また、ハニガンは手で空気を送る小さなオルガン(と言っていいのかな)も曲により弾く。そんな彼らは北米ツアーを行っていて、この渋谷・デュオ公演が日本ツアーの最終日となる。
アイルランド系の女性歌手というとすぐに透明感を持つタイプを思い出すが、ハニガンの声は適切な濁りを抱えた歌声の持ち主で、それロック的とも言えるのか。なんにせよ、ナチュラル度の高い2人の歌に触れると、ヘンリーの歌は少し芝居っ気/気取りを持つと感じる。が、それこそが、彼の美意識の発露であるとも。
歌心、歌を育む心、同志とともに音楽を紡ぐ歓び、そうした掛け替えのない<正>が息づきまくる公演。実は彼らは北米と日本で積み重ねた結果の宝石をまとめあげたくなり、東京で2日間レコーディングを行っており、それは商品化されるはずだ。ヘンリーは今回のツアーでより日本に親近感を持ち、日本のアーティストもプロデュースしたいとも、言っていたそうな。
<今日の、最後の曲>
ステージ前面に皆で並んで、ザ・バンドの「オールド・ディキシー・ダウン」を脇和気あいあいと歌う。いいナ、いいナ。やっぱ、ザ・バンドはいいな。これ、リサ・ハリガン・バンド(とうぜん、ヘンリー抜き)もアンコールでやったりしているらしい。上で触れた今回のレコーディングでも、この曲を録音したという。
そして、米英手作り音楽の担い手一座のショウがはじまる。ロック界きっての売れっ子プロデューサーたるジョー・ヘンリーだけが米国人で、他の3人はアイルランド人か英国人。その組み合わせは、ヘンリーが1昨年にリチャード・トンプソン(2012年4月13日、他)だかがキュレイターを勤めた英国でのイヴェントに呼ばれたことによる。で、その一環で彼はハニガンのショウに触れ、一発で魅了されてしまい、あなたの表現作りにはなんだって助力したいことを申し出る。そして、彼は彼女の2011年作『Pssenger』を英国で録音プロデュース。参加奏者たちは彼女人脈の人たちで、今回同行している、すでに日本で紹介されている才人シンガー・ソングライターのジョン・スミス(2010年7月14日)とドラマーのロス・ターナーはそのアルバムに入っている。
というわけで、リサ・ハニガン的単位にヘンリーが加わり、ヘンリー、ハニガン、スミスという秀でたシンガーソングライターの才を持つ三者が和気あいあいリード・ヴォーカルを取り合うという感じでショウは進む。3人は生ギターのほかにも、マンドリンその他の弦楽器を手にし、一部ドラムが入らないときはターナーも弦楽器を手にしたりも。彼、シンプルなセットながら口径の大きなバスドラを置いていた。また、ハニガンは手で空気を送る小さなオルガン(と言っていいのかな)も曲により弾く。そんな彼らは北米ツアーを行っていて、この渋谷・デュオ公演が日本ツアーの最終日となる。
アイルランド系の女性歌手というとすぐに透明感を持つタイプを思い出すが、ハニガンの声は適切な濁りを抱えた歌声の持ち主で、それロック的とも言えるのか。なんにせよ、ナチュラル度の高い2人の歌に触れると、ヘンリーの歌は少し芝居っ気/気取りを持つと感じる。が、それこそが、彼の美意識の発露であるとも。
歌心、歌を育む心、同志とともに音楽を紡ぐ歓び、そうした掛け替えのない<正>が息づきまくる公演。実は彼らは北米と日本で積み重ねた結果の宝石をまとめあげたくなり、東京で2日間レコーディングを行っており、それは商品化されるはずだ。ヘンリーは今回のツアーでより日本に親近感を持ち、日本のアーティストもプロデュースしたいとも、言っていたそうな。
<今日の、最後の曲>
ステージ前面に皆で並んで、ザ・バンドの「オールド・ディキシー・ダウン」を脇和気あいあいと歌う。いいナ、いいナ。やっぱ、ザ・バンドはいいな。これ、リサ・ハリガン・バンド(とうぜん、ヘンリー抜き)もアンコールでやったりしているらしい。上で触れた今回のレコーディングでも、この曲を録音したという。
デューク・エリントン・オーケストラ・ウィズ・メイシー・グレイ。ザ・クッカーズ
2012年10月17日 音楽 親分が死んだ後もずっと続いている米国名門ジャズ・ビッグ・バンド(2005年4月13日、2009年11月18日、2010年11月24日)の今回公演を聞いていて、あれれこんなに派手というか、クダケていたっけかと思う。ときにがやがや声を構成員があげたり、みんなで立ってみたり。それは、ブラック・ミュージック的な美味しい娯楽感覚を高める方向にあるものだ。とともに、一部はけっこう今っぽい楽器の重なりを感じさせる曲も。やんちゃなトミー・ジェイムズ(ピアノ)がバンド・リーダーになって、どんどん風通しが良くなっているのかと感じたりもした。
そして、今回のゲスト歌手は、個性派R&Bシンガーのメイシー・グレイ(2012年1月4日)。終盤目に出て来た彼女はビッグ・バンド陣のノリに合わせるように黒のドレスを着ており、トレードマークの羽のショールも黒。“クラッシィな私よ!”という感じで、明快に存在感を出せるのはさすがと思わせる。
厳密に言えば、ヴィヴィッドにビッグ・バンドと渡り合うわけではなく、まさに色を添えるというものだったが、それはそれでちゃんとジャズ曲を歌っていたし、これまでいろいろとグレイに触れて来た者としてはうれしい。で、普段は能面のごとく無表情で歌う彼女が、うれしそうに笑顔を見せていたのは意外。かなり汗を拭っていて、緊張している素振りも一方ではあったが。彼女が歌ったのは、「ソリチュード」他、4曲(だったよな?)。もっと曲数が多いほうが良かったが、やはりうれしい重なりではあった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
そして、丸の内・コットンクラブに移動し、経験豊かな辣腕ジャズ・マンたちが組んでいる7人組重量級ジャズ・バンドのザ・クッカーズを見る。ビリー・ハーパー(テナー)、エディ・ヘンダーソン(トランペット)、クレイグ・ハンディ(アルト)、デイヴィッド・ウェイス(トランペット。唯一の白人で、MCを勤める)、ジョージ・ケイブルズ(ピアノ)、セシル・マクビー(ベース)、ヴィクター・ルイス(ドラム)という面々、みんなリーダー作を持つ実力者たち。お、ジャズ版トラヴェリング・ウィルベリーズ、なんちって。白人トランペッターとアルト奏者を除いてはみんな60代後半以上で、とくに豪腕ビリー・ハーパーに日本で今触れることができようとは。けっこう、感激だな。
曲はハーパーやケイブルズらメンバーのオリジナルをやったが、ソロうんぬん言う前に、テーマ部や曲構造がとても格好いい。そして、もちろん、延々とのせられるソロも的確。結果、これはジャズだああ、朽ちることない、本能とワザと英知とほんの少しの気取りがきいたジャズだあと、膝をうつこととなる。とにかく、ジャズの正義がありまくり。ぼくは、先のワールド・サキソフォン・カルテット(2012年9月28日)の実演より、こっちのほうがグっと来た。
残念だったのは、名作曲家でもあるヴィクター・ルイス(1970年代後期のころ、コロムビアと契約していたウディ・ショウのグループ表現で、彼の優れた作曲能力を認知しました)の曲はやらなかったこと。まあ、3作出ているザ・クッカーズのアルバムはどれも名士ビリー・ハート(エスペランサの2012年新作で少し叩いていて、彼の参加をエスペランサはとても誇りに思っている)が叩いていて、ルイスはトラ(代役)であったのかもしれないが。でも、彼の立った叩き方はふむふむと頷かせるものだし、やはり美味しい引っかかりを持つセシル・マクビーとの噛み合いもおおいに笑顔をさそう。ウディ・ショウの77年作『アイアン・マン』(ミューズ)のリズム・セクションはこの2人。昔、大好きでよく聞きました。
<今日の、悲喜こもごも>
昼間は雨が降っていたが、家を出る時にはやんでいて、雲の感じもうすめ。で、傘を持たずに外出したら、ブルーノート公演後はかなりの降雨。こういう見立てが外れるのは悲しい。そしたら、台風が来ているというニュースが流れているでしょと、友人から言われる。確かに、風も強いな。有楽町から帰りに乗った終電に近い電車、横に20代とおぼしき、カジュアルな格好した3人組がいる。1人は日本人のようだが、2人はアジア系ながら日本人ではないみたい。3人は一緒にバイトの帰りだろうか、それとも学生/研究職についている? そんな彼らは器用に日本語で会話していて、思わず彼らをさりげなく見つつ、聞き耳を立ててしまう。なんか、いろいろ地下鉄の乗り換えについて、あーだこーだと言っている。とくに、1人はイントネーションもほぼ完璧で感服。その彼、英語の単語に関しては、英語のイントネーションで話していた。その後、最寄り駅から地上に出ると、パジャマ姿(でも、革靴をはいていた)で傘2本を持ち誰か(家族なのかな)を待っている親父に遭遇。おとうさーん、着替えてよ〜。いやー、自由だなー。ぼくはマンションのゴミ置き場にも、パジャマで出られません。
そして、今回のゲスト歌手は、個性派R&Bシンガーのメイシー・グレイ(2012年1月4日)。終盤目に出て来た彼女はビッグ・バンド陣のノリに合わせるように黒のドレスを着ており、トレードマークの羽のショールも黒。“クラッシィな私よ!”という感じで、明快に存在感を出せるのはさすがと思わせる。
厳密に言えば、ヴィヴィッドにビッグ・バンドと渡り合うわけではなく、まさに色を添えるというものだったが、それはそれでちゃんとジャズ曲を歌っていたし、これまでいろいろとグレイに触れて来た者としてはうれしい。で、普段は能面のごとく無表情で歌う彼女が、うれしそうに笑顔を見せていたのは意外。かなり汗を拭っていて、緊張している素振りも一方ではあったが。彼女が歌ったのは、「ソリチュード」他、4曲(だったよな?)。もっと曲数が多いほうが良かったが、やはりうれしい重なりではあった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
そして、丸の内・コットンクラブに移動し、経験豊かな辣腕ジャズ・マンたちが組んでいる7人組重量級ジャズ・バンドのザ・クッカーズを見る。ビリー・ハーパー(テナー)、エディ・ヘンダーソン(トランペット)、クレイグ・ハンディ(アルト)、デイヴィッド・ウェイス(トランペット。唯一の白人で、MCを勤める)、ジョージ・ケイブルズ(ピアノ)、セシル・マクビー(ベース)、ヴィクター・ルイス(ドラム)という面々、みんなリーダー作を持つ実力者たち。お、ジャズ版トラヴェリング・ウィルベリーズ、なんちって。白人トランペッターとアルト奏者を除いてはみんな60代後半以上で、とくに豪腕ビリー・ハーパーに日本で今触れることができようとは。けっこう、感激だな。
曲はハーパーやケイブルズらメンバーのオリジナルをやったが、ソロうんぬん言う前に、テーマ部や曲構造がとても格好いい。そして、もちろん、延々とのせられるソロも的確。結果、これはジャズだああ、朽ちることない、本能とワザと英知とほんの少しの気取りがきいたジャズだあと、膝をうつこととなる。とにかく、ジャズの正義がありまくり。ぼくは、先のワールド・サキソフォン・カルテット(2012年9月28日)の実演より、こっちのほうがグっと来た。
残念だったのは、名作曲家でもあるヴィクター・ルイス(1970年代後期のころ、コロムビアと契約していたウディ・ショウのグループ表現で、彼の優れた作曲能力を認知しました)の曲はやらなかったこと。まあ、3作出ているザ・クッカーズのアルバムはどれも名士ビリー・ハート(エスペランサの2012年新作で少し叩いていて、彼の参加をエスペランサはとても誇りに思っている)が叩いていて、ルイスはトラ(代役)であったのかもしれないが。でも、彼の立った叩き方はふむふむと頷かせるものだし、やはり美味しい引っかかりを持つセシル・マクビーとの噛み合いもおおいに笑顔をさそう。ウディ・ショウの77年作『アイアン・マン』(ミューズ)のリズム・セクションはこの2人。昔、大好きでよく聞きました。
<今日の、悲喜こもごも>
昼間は雨が降っていたが、家を出る時にはやんでいて、雲の感じもうすめ。で、傘を持たずに外出したら、ブルーノート公演後はかなりの降雨。こういう見立てが外れるのは悲しい。そしたら、台風が来ているというニュースが流れているでしょと、友人から言われる。確かに、風も強いな。有楽町から帰りに乗った終電に近い電車、横に20代とおぼしき、カジュアルな格好した3人組がいる。1人は日本人のようだが、2人はアジア系ながら日本人ではないみたい。3人は一緒にバイトの帰りだろうか、それとも学生/研究職についている? そんな彼らは器用に日本語で会話していて、思わず彼らをさりげなく見つつ、聞き耳を立ててしまう。なんか、いろいろ地下鉄の乗り換えについて、あーだこーだと言っている。とくに、1人はイントネーションもほぼ完璧で感服。その彼、英語の単語に関しては、英語のイントネーションで話していた。その後、最寄り駅から地上に出ると、パジャマ姿(でも、革靴をはいていた)で傘2本を持ち誰か(家族なのかな)を待っている親父に遭遇。おとうさーん、着替えてよ〜。いやー、自由だなー。ぼくはマンションのゴミ置き場にも、パジャマで出られません。
SOUL REBEL
2012年10月20日 音楽 オーヴァーヒートが企画する日本のレゲエの担い手が大挙参加する野外イヴェント、日比谷野外大音楽堂。2000年から続いていており、今回は”ノー・ニュークス”をサブ・タイトルとして大きく掲げている。
4時間の予定でかなりな数の出演者、前半はターンテーブルを使う人たち。そして、後半はホーム・グロウンがハウス・バンドとなり、そこにDJやシンガーたちが乗るという、流れ(らしい)。とあるパーティと重なったため、最後の1時間強しか見れなかったが、レゲエはいいなあ、野外の音楽の催しはいいなあと、単純に高揚。もちろん、場(観客。子供づれも散見)の盛り上がりも凄かった。なんでも、寄付に回す物販売り上げは100万円を超える額となったよう。
なじみあるこだま和文(2001年3月30日)やリクル・マイ(2011年12月9日)は前半部で出演したよう。ぼくが見た時は、生バンドのサウンドをバックに、DJが次々出て、重なる。皆レゲエ愛を露にするだけでなく、まっすぐに反原発をMCやDJで表明。おお。昔から反原発ソングを歌っているランキン・タクシーも登場して、もちろん場を盛り上げ、一つにする。そして、トリはPUSHIM(2006年4月2日)。大昔、ブルース・インターアクションズから出たスパークルという雑誌(創刊号のときだったかな?)で、まだ初々しかった彼女にインタヴューしたことがあった。アリサ・フランクリンも好き、って言っていたっけか。ぼくはまるで変化ないが、彼女はどんどん成熟し、支持層を広げている。素晴らしいな。
最後は皆出て来て、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」をやる。
<今日の、橙色>
月末のハロウィンに向かい、ちまたにはカボチャ関連アイテムがあふれている。それとともに、気温や湿度は下がって来て、秋が来ていることを実感させもするわけだ。そのハロウィンが、元々はケルト系のお祭りと知ったのはいつごろかなあ。というのはともかく、その色が与える感覚もあるかもしれない(それに、なんかユーモラスだよな)がクリスマス関連のものが街に溢れる様より、ぼくは好きかも。食べ物としては、あまりカボチャって好きじゃないけれど。そういえば、去年の今頃、いつも髪の毛をカットしてくれる人がシーズンだし、カボチャのシルエットと色にしましょうという提案を受けたな。その後、そのカットの求めるところを指摘した人が3人ぐらいいた。
4時間の予定でかなりな数の出演者、前半はターンテーブルを使う人たち。そして、後半はホーム・グロウンがハウス・バンドとなり、そこにDJやシンガーたちが乗るという、流れ(らしい)。とあるパーティと重なったため、最後の1時間強しか見れなかったが、レゲエはいいなあ、野外の音楽の催しはいいなあと、単純に高揚。もちろん、場(観客。子供づれも散見)の盛り上がりも凄かった。なんでも、寄付に回す物販売り上げは100万円を超える額となったよう。
なじみあるこだま和文(2001年3月30日)やリクル・マイ(2011年12月9日)は前半部で出演したよう。ぼくが見た時は、生バンドのサウンドをバックに、DJが次々出て、重なる。皆レゲエ愛を露にするだけでなく、まっすぐに反原発をMCやDJで表明。おお。昔から反原発ソングを歌っているランキン・タクシーも登場して、もちろん場を盛り上げ、一つにする。そして、トリはPUSHIM(2006年4月2日)。大昔、ブルース・インターアクションズから出たスパークルという雑誌(創刊号のときだったかな?)で、まだ初々しかった彼女にインタヴューしたことがあった。アリサ・フランクリンも好き、って言っていたっけか。ぼくはまるで変化ないが、彼女はどんどん成熟し、支持層を広げている。素晴らしいな。
最後は皆出て来て、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」をやる。
<今日の、橙色>
月末のハロウィンに向かい、ちまたにはカボチャ関連アイテムがあふれている。それとともに、気温や湿度は下がって来て、秋が来ていることを実感させもするわけだ。そのハロウィンが、元々はケルト系のお祭りと知ったのはいつごろかなあ。というのはともかく、その色が与える感覚もあるかもしれない(それに、なんかユーモラスだよな)がクリスマス関連のものが街に溢れる様より、ぼくは好きかも。食べ物としては、あまりカボチャって好きじゃないけれど。そういえば、去年の今頃、いつも髪の毛をカットしてくれる人がシーズンだし、カボチャのシルエットと色にしましょうという提案を受けたな。その後、そのカットの求めるところを指摘した人が3人ぐらいいた。
ブラジルの新世代シンガー・ソングライターの無料ステージを東京駅八重州口・タワーレコードで見る。プロデューサーとしても注目を浴びる弟のグスタヴォ・ルイス(7弦ギター)とベーシストのマルシオ・アランチス(実は、他の楽器もお茶目にいろいろ操る御仁らしい)を率いた、アコースティック・セットによる。
そりゃ、とっても簡素な設定にはなっているが、ちゃんと美味しい広がり、手触りは伝わる。その一部は今の先鋭アルゼンチン勢が放つ感触ともつながるとぼくは感じるが。主役のトゥリッパ嬢はアーティスティックな感じをおもむろに出すのかと思えば、生の場だと気さくな肝っ玉お姉さんという感じ。和気あいあいと、両手を広げて、彼女のことを知らない通行人をも相手にするようにショウをすすめた、とも書けるか。でも、最後の曲で、ヨーコ・オノ風の奇声をゴンゴンかましたりも、タハハ。また、見れるといいな。
<今日の、やりとり>
週末や来週頭にも表参道近辺でトゥリッパ・ルイスたちがパフォーマンスを披露する機会はあるのだが、予定が入ってしまっている。でも、新たな才能をチェックしておきたいということで、演奏時間は短めなのを承知で、東京駅へ。そのあと、赤坂で飲み会があったし。タワーレコードとは言えかなり小さめの店舗で、密な感じで実演に接することができて、少し贅沢だなと思ったか。見ていたらアレレと知人から声をかけられて、思わず「鉄ちゃんで、週に一度は東京駅に来るんですよ」と言ったが、さすが信じてもらえなかった。皆が納得しそうな、東京駅にいる説明とは?と、3秒考えたが、すぐに他のことに興味が移った。
そりゃ、とっても簡素な設定にはなっているが、ちゃんと美味しい広がり、手触りは伝わる。その一部は今の先鋭アルゼンチン勢が放つ感触ともつながるとぼくは感じるが。主役のトゥリッパ嬢はアーティスティックな感じをおもむろに出すのかと思えば、生の場だと気さくな肝っ玉お姉さんという感じ。和気あいあいと、両手を広げて、彼女のことを知らない通行人をも相手にするようにショウをすすめた、とも書けるか。でも、最後の曲で、ヨーコ・オノ風の奇声をゴンゴンかましたりも、タハハ。また、見れるといいな。
<今日の、やりとり>
週末や来週頭にも表参道近辺でトゥリッパ・ルイスたちがパフォーマンスを披露する機会はあるのだが、予定が入ってしまっている。でも、新たな才能をチェックしておきたいということで、演奏時間は短めなのを承知で、東京駅へ。そのあと、赤坂で飲み会があったし。タワーレコードとは言えかなり小さめの店舗で、密な感じで実演に接することができて、少し贅沢だなと思ったか。見ていたらアレレと知人から声をかけられて、思わず「鉄ちゃんで、週に一度は東京駅に来るんですよ」と言ったが、さすが信じてもらえなかった。皆が納得しそうな、東京駅にいる説明とは?と、3秒考えたが、すぐに他のことに興味が移った。
都筑章浩(パーカッション)をリーダーに、トニー・グッピー(スティール・パン)、グレッグ・リー(ベース)、鈴木よしひさ(ギター)という面々のカルテット。青山・プラッサオンゼ。
セカンド・ショウの頭の方から見る。トリニダード出身のグッピーのスティール・パン音が全体の親しみやすくもくつろいだトーンを規定する所もあるが、カリビアン/ラテン色が過剰に濃いわけではなく、ソウルやジャズなども俯瞰した、字義通りのフュージョンをやっていると説明したくなるか。ジョージ・ベンソンの「マスカレード」のカヴァーでは途中の部分は延々とダニー・ハサウェイの「ゲットー」になえり(それは、グレッグ・リーが導いた)、楽しくなる。アンコール前にやった鈴木が書いたという曲は非レギュラー・チューニングのギターが使われる曲で、藤本一馬のソロに入っていても不思議はないような曲だった。
<来月の、プラッサオンゼ>
開店30年+1年を大々的に祝い、来月の大半はアニヴァーサリー・ライヴが行われる。お洒落なほうのカメラマンをしつつ、ブラジル育ちであることもあり中南米の音楽関連の写真もお撮りになっていた故浅田英了さんが1981年にブラジル音楽を愛好するサロンのような感じで開き、そして現在も同じ場所(!)で営業が続いている。まさにブラジル音楽発信の日本の拠点のような場所であり、フェイジョアーダやカイピリーニャなどのブラジル関連飲食アイテムもこの店から広まった感じもあるのではないか。
セカンド・ショウの頭の方から見る。トリニダード出身のグッピーのスティール・パン音が全体の親しみやすくもくつろいだトーンを規定する所もあるが、カリビアン/ラテン色が過剰に濃いわけではなく、ソウルやジャズなども俯瞰した、字義通りのフュージョンをやっていると説明したくなるか。ジョージ・ベンソンの「マスカレード」のカヴァーでは途中の部分は延々とダニー・ハサウェイの「ゲットー」になえり(それは、グレッグ・リーが導いた)、楽しくなる。アンコール前にやった鈴木が書いたという曲は非レギュラー・チューニングのギターが使われる曲で、藤本一馬のソロに入っていても不思議はないような曲だった。
<来月の、プラッサオンゼ>
開店30年+1年を大々的に祝い、来月の大半はアニヴァーサリー・ライヴが行われる。お洒落なほうのカメラマンをしつつ、ブラジル育ちであることもあり中南米の音楽関連の写真もお撮りになっていた故浅田英了さんが1981年にブラジル音楽を愛好するサロンのような感じで開き、そして現在も同じ場所(!)で営業が続いている。まさにブラジル音楽発信の日本の拠点のような場所であり、フェイジョアーダやカイピリーニャなどのブラジル関連飲食アイテムもこの店から広まった感じもあるのではないか。
菊地雅章(サウンド・ライヴ・トーキョー)
2012年10月26日 音楽 こんなにすぐに、在米ジャズ・ピアニストの菊地雅章(2012年6月25日、他。愛称、プーさん)の公演に接することができようとは。しかも、今回はソロのパフォーマンスだ。公演のことを書く前に、この6月にやったインタヴューのさわりを出しておく。
——その後(高校卒業以降。彼の父は日本画家。父親ゆずりの才があったためか、彼が通っていた東京芸大付属高校の美術の先生はそちらのほうで将来を嘱望したという)、もう絵筆は握らないんですか。
「やっぱり、絵は見ていたほうが楽しいよね。だから、良く見に行っている。俺、シャガールにすごい影響を受けたの。というのは、耳に限界が来ているから、別な音が聞こえないのかなと、どうすればそれは可能なのかとと、ずっと何年か悩んでいたわけ。それで、ソロを始めて、ちょうど4年前ぐらい前かな、シャガールの絵にすごいショックを受けた。それから、シャガールの絵をたくさん見始めたんだけど、俺が影響を受けたのは、例えば、あの人の描いている腕があるじゃない、それ途中でねじれているの。本来の腕(の形)じゃないわけ。で、俺はそれを見て突然、これでいいんだと思ってさ。既成概念にとらわれる理由はどこにもないんだと思い、それで俺は開眼した。それが、4、5年前だよね。それからだよ、俺が自由になったのは。うれしかったねえ」
——『サンライズ』(ECM発の新作)はそれを経ての録音になりますよね。
「そう。シャガールにはほんと啓発されたよね。あれを見なかったら、もうちょっと違っているはず」
——シャガールの絵って、NYにいろいろあったりするんですか。
「ところがさあ、それで全集とか集めると、作品数は多いの。だけど、あっちこっち探したんだけど、ないんだよね。確か、アメリカですごい売れたのは15年か20年前。最初メトロポリタンに原画を見たくて行ったんだけど、1点か2点しか飾ってない。それでは物足りないから、そのうちロシアでもなんでもいいんだけど、シャガールの絵を集めているところに行って、できるだけ沢山見たいなと思っている。シャガールの絵を見て、ああコレでいいんだと思って、ホントそれからだよね」
——意外な話です。ぼくは、最初から既成概念取っ払った所で、プーさんは音楽し続けているように思っていますから。
「やっぱり音楽っていうのは、倍音の構成を基本にしているじゃない? だから、それにずっと俺は囚われてきたわけ。それを、どう自分なりに踏まえて、超えるか。それが出きる感覚/方法みたいなものが、シャガールを見て分ったわけ。それからだよ、俺が徹底的に(ピアノを?)さわりだしたの」
——(ブルーノート東京公演をした)今回、ぼくは日曜と月曜のセカンド・セットを見ましたが、倍音のえも言われぬ新鮮な響きで場内が満たされるようなときがあって、ぼくは息を飲みました。
「それは、シャガールの影響だね。それ以降、倍音関係の音の処し方が分ったから。それを乗り越えられた。シャガールの影響はすごいと思うね。自分で確信できる、見えだしたと。だから、俺は今すごい自由よ」
——基本は完全にインプロヴィゼーションで事にあたる今は、曲を書いたりしなくなったんですよね。
「書かない。昔は書いていたけどね。だから、楽よ」
そんな話をしていると、これはソロ演奏が楽しみになるではないか。
約1時間のセットを、2つ。もう気負いなく、楽に指を動かしていく。刺を散らすところもあるが、基本肩のこらないプーさん表現だ。確かに、おおいに演奏観が変わっているのは感じる。1時間少し欠けのファースト・ショウは少なくても10曲は演奏。とくに、前半部は短い曲(3分ぐらいで終える曲もあったか。なにげに、新鮮)が多かった。最終曲は「オルフェ」を気持ちのいいコード使いで開く。この曲はブルーノート公演のときもやりましたね。
マナーは同じものの、セカンド・ショウ(こちらはアンコール1曲を含め、1時間10分近く)はもう少し長めの曲がおおく、少しゆったり目の曲にぼくは誘われる。ぼくは休憩時間にホワイエでワインを飲んで気が緩んだためもあってか、ポーンと気持ちが持って行かれる部分はセカンドのほうが多かったかも。ときに足を踏む音が加味されたり、うなり声があがりもするが、それはファースト・ショウのほうが多かった。また、少し腰を浮かしたのも、ファーストだけだったか。セカンド・ショウを終えてお辞儀するプーさん、とてもうれしそうだった。
今回のソロ公演は、東京都が企画する土日のイヴェント<サウンド・ライヴ・トーキョー>の前夜祭として組まれた。会場は、上野・東京文化会館の小ホール。サウンドにまわるいろんな表現を多角的に提供する催しで、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(2004年3月18日、2004年8月31日) や、タイのイスラム・コミュニティに根ざすバンドのベイビー・アラビア他が出演する。
<今日の、東京文化会館>
上野公園の入り口にあるが、前に来て一瞬????となる。だって、灯りが暗くて、開いているかイマイチ不明な感じを得てしまったから。なるほど建設されて50年たつそうだが、灯りの明るさもそのころを引き継ぐものなのか。ちょいダークな印象は受けるものの、今の建物は明るすぎるよなとは認知する。大ホールはキース・ジャレット・トリオ公演(2007年5月8日)で行ったことがあるが、小ホールに入るのは今回が初めて。扇型の客席がステージを囲む設計で、天井も高い。この会館はもっとも初期に立てられたクラシック専用ホールだそうだが、お金をかけて作ったんだろうなというのはよく分る。そして、実際、ピアノの音も自然で、望外に良かった。ステージ後方にマイクが2本立てられていたが、レコーディングしたのだろうか。
<もう一つ、付録>
上と同じインタヴュー・ソース。
ーーもともと、ジャズにはいつ頃から興味を持ちだしたんですか?
「芸大の付属にいるころだよね。1年か2年のころ、渋谷(毅)とクラリネットの橋本とかと、水道橋にあったジャズ喫茶に行ってね。そこにはマイルスが出て来たころのレコードが入っていたりして、俺と渋谷と橋本と3人でよく授業をさぼって、行っていた。それからだよ、ジャズにひかれたのは。いやあ、あれは不思議な音楽だったよね。それで、ああいうふうに弾きたいなあと思ってね。ちょうどモンクの何が出た頃かな。モンクもあったし、あの印象は強烈だからねえ」
ーー同じようなことを、ぼくはプーさんの『バット・ノット・フォー・ミー』(1978年)を聞いて感じたような。あれを聞いて、わーなんでこうなるのと思い、感激しまくり、俺はジャズを聞くべきなんだと思いましたからね。
「あー、あれはある種の失敗作だよ」
ーーえー、ぼくは大好きです。嫌いですか?
「いや、ゲイリー(・ピーコック)がなんか違うんだよね。それがミスキャストだよね。ドラムはアル・フォスターでしょ。サックスはいなかったよな?」
ーーええ。バーダル・ロイとか打楽器は複数いましたが。
「あれ、まあまあのアルバムじゃない?」
ーーでは、プーさんをして、これはいいというアルバムは?
「『ススト』(1981年)は良くできているよね」
ーーだって、あれは一番調子のいいときのプリンスを凌駕するような出来ですから。
「いやいや、プリンスは凄いよ。まあ、『ススト』は時間がかかっているからねー」
ーーやっぱり、『ススト』はお好きですか。
「あれは凄いと思う。あのリハーサルを始めたとき、なんかのセット・アップを川崎僚に頼んだんだけど、あいつがそれをやらなかったから、エレヴェイターのなかでアイツを殴っちゃったんだ。そしたら、俺が手を折っちゃった。それで、1ヶ月以上レコーディングが延期になったりもした」
ーーあれ、レコーディング参加のミュージシャンの数が多いですよね。
「だから、鯉沼がよくお金を使わせてくれたよね」
ーーあれは、後から相当編集しているんですよね。
「うん、ずいぶん。それには俺もたちあっている。あれ、伊藤潔がやっている」
ーー『ススト』って、日野さんの『ダブル・レインボウ』なんかとわりと平行して録っているんですか。
「いや、『ダブル・レインボウ』は少し後だな。あれは100%、俺がコントロール持っていないから。ハービー(・ハンコック)入れてLAと同時録音したじゃない? そういうやりかた、俺はあんまり好きじゃない。ドラムが2ドラムだよね」
ーー『ススト』のテープはソニーのどこかにあるんですかね。まとめて、編集前のものやアウト・テイクを出さないかなと。
「あると思うよ。でも、今レコード業界がないに等しいじゃない。(それを実現させるのは)大変だよね」
——その後(高校卒業以降。彼の父は日本画家。父親ゆずりの才があったためか、彼が通っていた東京芸大付属高校の美術の先生はそちらのほうで将来を嘱望したという)、もう絵筆は握らないんですか。
「やっぱり、絵は見ていたほうが楽しいよね。だから、良く見に行っている。俺、シャガールにすごい影響を受けたの。というのは、耳に限界が来ているから、別な音が聞こえないのかなと、どうすればそれは可能なのかとと、ずっと何年か悩んでいたわけ。それで、ソロを始めて、ちょうど4年前ぐらい前かな、シャガールの絵にすごいショックを受けた。それから、シャガールの絵をたくさん見始めたんだけど、俺が影響を受けたのは、例えば、あの人の描いている腕があるじゃない、それ途中でねじれているの。本来の腕(の形)じゃないわけ。で、俺はそれを見て突然、これでいいんだと思ってさ。既成概念にとらわれる理由はどこにもないんだと思い、それで俺は開眼した。それが、4、5年前だよね。それからだよ、俺が自由になったのは。うれしかったねえ」
——『サンライズ』(ECM発の新作)はそれを経ての録音になりますよね。
「そう。シャガールにはほんと啓発されたよね。あれを見なかったら、もうちょっと違っているはず」
——シャガールの絵って、NYにいろいろあったりするんですか。
「ところがさあ、それで全集とか集めると、作品数は多いの。だけど、あっちこっち探したんだけど、ないんだよね。確か、アメリカですごい売れたのは15年か20年前。最初メトロポリタンに原画を見たくて行ったんだけど、1点か2点しか飾ってない。それでは物足りないから、そのうちロシアでもなんでもいいんだけど、シャガールの絵を集めているところに行って、できるだけ沢山見たいなと思っている。シャガールの絵を見て、ああコレでいいんだと思って、ホントそれからだよね」
——意外な話です。ぼくは、最初から既成概念取っ払った所で、プーさんは音楽し続けているように思っていますから。
「やっぱり音楽っていうのは、倍音の構成を基本にしているじゃない? だから、それにずっと俺は囚われてきたわけ。それを、どう自分なりに踏まえて、超えるか。それが出きる感覚/方法みたいなものが、シャガールを見て分ったわけ。それからだよ、俺が徹底的に(ピアノを?)さわりだしたの」
——(ブルーノート東京公演をした)今回、ぼくは日曜と月曜のセカンド・セットを見ましたが、倍音のえも言われぬ新鮮な響きで場内が満たされるようなときがあって、ぼくは息を飲みました。
「それは、シャガールの影響だね。それ以降、倍音関係の音の処し方が分ったから。それを乗り越えられた。シャガールの影響はすごいと思うね。自分で確信できる、見えだしたと。だから、俺は今すごい自由よ」
——基本は完全にインプロヴィゼーションで事にあたる今は、曲を書いたりしなくなったんですよね。
「書かない。昔は書いていたけどね。だから、楽よ」
そんな話をしていると、これはソロ演奏が楽しみになるではないか。
約1時間のセットを、2つ。もう気負いなく、楽に指を動かしていく。刺を散らすところもあるが、基本肩のこらないプーさん表現だ。確かに、おおいに演奏観が変わっているのは感じる。1時間少し欠けのファースト・ショウは少なくても10曲は演奏。とくに、前半部は短い曲(3分ぐらいで終える曲もあったか。なにげに、新鮮)が多かった。最終曲は「オルフェ」を気持ちのいいコード使いで開く。この曲はブルーノート公演のときもやりましたね。
マナーは同じものの、セカンド・ショウ(こちらはアンコール1曲を含め、1時間10分近く)はもう少し長めの曲がおおく、少しゆったり目の曲にぼくは誘われる。ぼくは休憩時間にホワイエでワインを飲んで気が緩んだためもあってか、ポーンと気持ちが持って行かれる部分はセカンドのほうが多かったかも。ときに足を踏む音が加味されたり、うなり声があがりもするが、それはファースト・ショウのほうが多かった。また、少し腰を浮かしたのも、ファーストだけだったか。セカンド・ショウを終えてお辞儀するプーさん、とてもうれしそうだった。
今回のソロ公演は、東京都が企画する土日のイヴェント<サウンド・ライヴ・トーキョー>の前夜祭として組まれた。会場は、上野・東京文化会館の小ホール。サウンドにまわるいろんな表現を多角的に提供する催しで、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(2004年3月18日、2004年8月31日) や、タイのイスラム・コミュニティに根ざすバンドのベイビー・アラビア他が出演する。
<今日の、東京文化会館>
上野公園の入り口にあるが、前に来て一瞬????となる。だって、灯りが暗くて、開いているかイマイチ不明な感じを得てしまったから。なるほど建設されて50年たつそうだが、灯りの明るさもそのころを引き継ぐものなのか。ちょいダークな印象は受けるものの、今の建物は明るすぎるよなとは認知する。大ホールはキース・ジャレット・トリオ公演(2007年5月8日)で行ったことがあるが、小ホールに入るのは今回が初めて。扇型の客席がステージを囲む設計で、天井も高い。この会館はもっとも初期に立てられたクラシック専用ホールだそうだが、お金をかけて作ったんだろうなというのはよく分る。そして、実際、ピアノの音も自然で、望外に良かった。ステージ後方にマイクが2本立てられていたが、レコーディングしたのだろうか。
<もう一つ、付録>
上と同じインタヴュー・ソース。
ーーもともと、ジャズにはいつ頃から興味を持ちだしたんですか?
「芸大の付属にいるころだよね。1年か2年のころ、渋谷(毅)とクラリネットの橋本とかと、水道橋にあったジャズ喫茶に行ってね。そこにはマイルスが出て来たころのレコードが入っていたりして、俺と渋谷と橋本と3人でよく授業をさぼって、行っていた。それからだよ、ジャズにひかれたのは。いやあ、あれは不思議な音楽だったよね。それで、ああいうふうに弾きたいなあと思ってね。ちょうどモンクの何が出た頃かな。モンクもあったし、あの印象は強烈だからねえ」
ーー同じようなことを、ぼくはプーさんの『バット・ノット・フォー・ミー』(1978年)を聞いて感じたような。あれを聞いて、わーなんでこうなるのと思い、感激しまくり、俺はジャズを聞くべきなんだと思いましたからね。
「あー、あれはある種の失敗作だよ」
ーーえー、ぼくは大好きです。嫌いですか?
「いや、ゲイリー(・ピーコック)がなんか違うんだよね。それがミスキャストだよね。ドラムはアル・フォスターでしょ。サックスはいなかったよな?」
ーーええ。バーダル・ロイとか打楽器は複数いましたが。
「あれ、まあまあのアルバムじゃない?」
ーーでは、プーさんをして、これはいいというアルバムは?
「『ススト』(1981年)は良くできているよね」
ーーだって、あれは一番調子のいいときのプリンスを凌駕するような出来ですから。
「いやいや、プリンスは凄いよ。まあ、『ススト』は時間がかかっているからねー」
ーーやっぱり、『ススト』はお好きですか。
「あれは凄いと思う。あのリハーサルを始めたとき、なんかのセット・アップを川崎僚に頼んだんだけど、あいつがそれをやらなかったから、エレヴェイターのなかでアイツを殴っちゃったんだ。そしたら、俺が手を折っちゃった。それで、1ヶ月以上レコーディングが延期になったりもした」
ーーあれ、レコーディング参加のミュージシャンの数が多いですよね。
「だから、鯉沼がよくお金を使わせてくれたよね」
ーーあれは、後から相当編集しているんですよね。
「うん、ずいぶん。それには俺もたちあっている。あれ、伊藤潔がやっている」
ーー『ススト』って、日野さんの『ダブル・レインボウ』なんかとわりと平行して録っているんですか。
「いや、『ダブル・レインボウ』は少し後だな。あれは100%、俺がコントロール持っていないから。ハービー(・ハンコック)入れてLAと同時録音したじゃない? そういうやりかた、俺はあんまり好きじゃない。ドラムが2ドラムだよね」
ーー『ススト』のテープはソニーのどこかにあるんですかね。まとめて、編集前のものやアウト・テイクを出さないかなと。
「あると思うよ。でも、今レコード業界がないに等しいじゃない。(それを実現させるのは)大変だよね」
サウンド・ヴィジョン・トーキョー。カンタス村田とサンバマシーンズ
2012年10月27日 音楽 上野・東京文化会館での、都が企画する複合イヴェント。なかなかに説明しづらい、ようはいろんな要素の重なりや含みを内にかかえた3組が登場。
1番目は、肉声のPhew(2004年2月29日)と映像の小林エリカによるProject UNDARKとクラスター(2010年7月3日)のデューター・メビウスという組み合わせの出し物。けっこうがっつり噛み合い、何かを飛翔させようという気のようなものが仁王立ち。
2番目は山下残の振り付け/演出による、2人の男性によるパフォーマンスによる『ヘッドホンと耳の間の距離』。効果音は会場のあちこちおかれた小スピーカーからサラウンドなノリで出される。
そして、工藤冬里の定石を崩した先に美学が炸裂するユニット、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(2004年8月31日、他)。10人くらいステージにいたっけか。今回は、いつも以上に“言葉”を引き金とする音楽をやっていたと言いたくなるか。
その後、渋谷と表参道の間にあるクロコダイルに行って、カンタス村田とサンバマシーンズ(2011年5月8日、他)の最後のほう見る。会場、ど盛り上がり、けっこう無礼講状態。なるほど、見せ方に進歩ありと感じる。
<今日の、月>
ほぼ、満月じゃ。どうして、満月を見るとうれしくなるのだろう?
1番目は、肉声のPhew(2004年2月29日)と映像の小林エリカによるProject UNDARKとクラスター(2010年7月3日)のデューター・メビウスという組み合わせの出し物。けっこうがっつり噛み合い、何かを飛翔させようという気のようなものが仁王立ち。
2番目は山下残の振り付け/演出による、2人の男性によるパフォーマンスによる『ヘッドホンと耳の間の距離』。効果音は会場のあちこちおかれた小スピーカーからサラウンドなノリで出される。
そして、工藤冬里の定石を崩した先に美学が炸裂するユニット、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(2004年8月31日、他)。10人くらいステージにいたっけか。今回は、いつも以上に“言葉”を引き金とする音楽をやっていたと言いたくなるか。
その後、渋谷と表参道の間にあるクロコダイルに行って、カンタス村田とサンバマシーンズ(2011年5月8日、他)の最後のほう見る。会場、ど盛り上がり、けっこう無礼講状態。なるほど、見せ方に進歩ありと感じる。
<今日の、月>
ほぼ、満月じゃ。どうして、満月を見るとうれしくなるのだろう?
ニッキー・パロット。トゥリッパ・ルイス。カーリーン・アンダーソン
2012年10月29日 音楽 居場所がまるっきり異なる、3人の女性のリーダー公演をハシゴ。
まず、丸の内・コットンクラブで、オーストラリア出身のウッド・ベーシスト/シンガーのリーダー・グループ公演を見る。お、パロットさん、金髪で奇麗。サポートのピアノ、ギター、ドラムはともに各々リーダー作を出している米国居住者。ギタリストのジェイコブ・フィッシャーはクリス・ポッター(2012年5月28日)のアルバムに入っていたこともある。ま、彼女の音楽性は和み傾向にある、小粋な穏健ジャズなので、サイド・マンの優秀さはなかなか顕われにくいが。
インストもやるが、やはりベースを弾きながら歌うパフォーマンスが耳をひく。過剰にうまくないが、奇麗な女性がウッド・ベースを抱えて、けなげに歌う姿にはやはりほのかに感興を覚えるな。もっと、“ベースを弾きながら歌う”路線を前面に出したほうが吉と出ると思った。
次は、原宿・VACATEでブラジル人歌手のトゥリッパ・ルイス(2012年10月23日)。会場入りしたときはすでに始まっていたが、終了までの1時間ほどを見ることができた。7弦ギターとベースやギターを弾く男性2人を従え、伸びやかな、どこかに冒険心や飛びを持つ流動性ある清新ポップを開いていく。やはり、いろいろ思いを抱かせる。
その後は、ヤング・ディサイプルズや一時ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(2010年2月22日、他)のメンバーだったこともあるカーリーン・アンダーソン(1999年8月2日)の、トリオ編成のリーダー・グループ公演を南青山・ブルーノート東京で見た。なんと、サポートは才女RAD(2007年9月6日、2008年4月1日)。さらには、グイド・メイという男性ドラマー。その2人は、米国人だろう。2011年から、アンダーソンはこのトリオを組んでいるということだが。
米国生まれながら、その後英国ソウルの決定的シンガーとして高い評価を受けた彼女がピアノを弾きながら歌うというのはとんと知らなかった。が、それは数曲のみで、後はRADのベース音も出すキーボード演奏に乗って、中央に立って歌う(一部、ラップっぽいときも)。今回彼女の歌に触れ、意外に歌い口の幅が狭い、喉に負担のかかる歌い方をするんだなと感じたが、それこそは彼女に凛とした風情や風を切る佇まいを与えていたものだとも再確認。とにかく、やはりぼくとしては、何をやってもOK! ブルーノート東京はよくぞ呼んでくれましたと、頭を下げる。
<昨日の悲報。今日の吉報>
フォーク+ジャズ+R&B+サムシング。そんなふうに説明できそうな、在シカゴのアフリカ系シンガー・ソングライター、テリー・キャリアがずっと住んでいたシカゴで亡くなった。享年、68歳。ぼくが彼を見たのは、2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日、2009年9月15日。もちろん、ぼくが見れなかった来日公演もある(はずだ)。取材で会っても、本当に雰囲気のある、静か目で、なんとも優しい人……。
ところで、な、なんとこの12月にコートニー・パインがやってくる。2004年まではブルーノート東京にほぼ毎年やってきていた(ぼくは見ていないが、その後ビルボードライブ東京にも一度出演している)、UKジャズのNo.1リード奏者。来日しなくなって以降も比較的ちゃんとアルバムは出していて、2011年作『Europea』(Destin-E)は確かユーロ人としてのパインを突き詰めた怪作だった(はず。現物、見つからねえ)。とにかく、旧友に会うような親近感もおおいにありで、とても楽しみ。
まず、丸の内・コットンクラブで、オーストラリア出身のウッド・ベーシスト/シンガーのリーダー・グループ公演を見る。お、パロットさん、金髪で奇麗。サポートのピアノ、ギター、ドラムはともに各々リーダー作を出している米国居住者。ギタリストのジェイコブ・フィッシャーはクリス・ポッター(2012年5月28日)のアルバムに入っていたこともある。ま、彼女の音楽性は和み傾向にある、小粋な穏健ジャズなので、サイド・マンの優秀さはなかなか顕われにくいが。
インストもやるが、やはりベースを弾きながら歌うパフォーマンスが耳をひく。過剰にうまくないが、奇麗な女性がウッド・ベースを抱えて、けなげに歌う姿にはやはりほのかに感興を覚えるな。もっと、“ベースを弾きながら歌う”路線を前面に出したほうが吉と出ると思った。
次は、原宿・VACATEでブラジル人歌手のトゥリッパ・ルイス(2012年10月23日)。会場入りしたときはすでに始まっていたが、終了までの1時間ほどを見ることができた。7弦ギターとベースやギターを弾く男性2人を従え、伸びやかな、どこかに冒険心や飛びを持つ流動性ある清新ポップを開いていく。やはり、いろいろ思いを抱かせる。
その後は、ヤング・ディサイプルズや一時ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(2010年2月22日、他)のメンバーだったこともあるカーリーン・アンダーソン(1999年8月2日)の、トリオ編成のリーダー・グループ公演を南青山・ブルーノート東京で見た。なんと、サポートは才女RAD(2007年9月6日、2008年4月1日)。さらには、グイド・メイという男性ドラマー。その2人は、米国人だろう。2011年から、アンダーソンはこのトリオを組んでいるということだが。
米国生まれながら、その後英国ソウルの決定的シンガーとして高い評価を受けた彼女がピアノを弾きながら歌うというのはとんと知らなかった。が、それは数曲のみで、後はRADのベース音も出すキーボード演奏に乗って、中央に立って歌う(一部、ラップっぽいときも)。今回彼女の歌に触れ、意外に歌い口の幅が狭い、喉に負担のかかる歌い方をするんだなと感じたが、それこそは彼女に凛とした風情や風を切る佇まいを与えていたものだとも再確認。とにかく、やはりぼくとしては、何をやってもOK! ブルーノート東京はよくぞ呼んでくれましたと、頭を下げる。
<昨日の悲報。今日の吉報>
フォーク+ジャズ+R&B+サムシング。そんなふうに説明できそうな、在シカゴのアフリカ系シンガー・ソングライター、テリー・キャリアがずっと住んでいたシカゴで亡くなった。享年、68歳。ぼくが彼を見たのは、2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日、2009年9月15日。もちろん、ぼくが見れなかった来日公演もある(はずだ)。取材で会っても、本当に雰囲気のある、静か目で、なんとも優しい人……。
ところで、な、なんとこの12月にコートニー・パインがやってくる。2004年まではブルーノート東京にほぼ毎年やってきていた(ぼくは見ていないが、その後ビルボードライブ東京にも一度出演している)、UKジャズのNo.1リード奏者。来日しなくなって以降も比較的ちゃんとアルバムは出していて、2011年作『Europea』(Destin-E)は確かユーロ人としてのパインを突き詰めた怪作だった(はず。現物、見つからねえ)。とにかく、旧友に会うような親近感もおおいにありで、とても楽しみ。