ブラジリアン・オリエンテッドな音楽性を持つスケール感豊かな女性歌手と、マリア・ヒタのバンドで活躍するブラジル人鍵盤奏者のデュオ公演。chie umezawa(かつては、chieというアーティスト名でアルバムを出していた)は才人ヘナート・モス(数日後にパトリシア・ロバートと来日し〜昨年録られたライヴ盤『イン・マントラ』も好評〜、ツアーをする。28日の彼女の公演にもゲスト入りするよう)のプロデュースによる『Flor de Mim』を出したばかりで、同作をフォロウするツアーの一環。チアゴ・コスタはもちろん、そのブラジルのミナス録音作に参加している。

 この晩21時から米日の音楽セレブが一緒になったバンド(26日に見る予定)の取材があり、最後のほうしか二人の協調を見ることができなかったので、書くのは憚れるが……。でも、ちょっと聞いただけでも、感興を受けた。umezawaは歌声の輪郭が綺麗で、得難い誘いを持つと、一聴して了解。一方、普通の電気キーボードを弾くコスタの演奏も歯切れとまろみを併せ持っていていい感じ。そして、そんな両者のさりげない重なりは魅力的な粒立ちを持つものとして、聞き手に向かう。場内には、綺麗な小さな音塊がいっぱい浮遊。へえーと、感心。青山・プラッサオンゼ。まさにフル・ハウスで、幸せな空間になっていた。

 ところで、ぼくの音楽享受歴にきっちりと刻まれている、米英のアーティストがなくなった。ので、書き留めておこうか。

 一人はアヴァンギャルド・ジャズ系リード奏者のマリオン・ブラウン。1931年9月8日−2010年10月18日。実は、彼の息子のヂンジ・ブラウンは広角型ヒップホップ系クリエイターで、数枚のリーダー作を出している。2000年代前半にヂンジにメール・インタヴューする機会があって、その際にお父さんの事を尋ねたら、病で演奏できる状態にないとの答えで、病気なのは知っていたが。70 年代にはスピリチュアル・フュージョン的な表現を出したりもして、そこらあたりはクラブ・ミュージック愛好者からの再評価があったはずだし、大学の先生をいろいろしていたことでも知られるはず。ニューヨークに住んでいた彼だったが、晩年はフロリダの療養所にいたそう。

 それからもう一人は、ポップ・ミュージック史上もっとも革新的なガールズ・バンドであったザ・スリッツのアリ・アップ(アリアン・ダニエル・フォースター)。1962年1月17日−2010年10月20日。元々、彼女の家系はドイツの新聞財閥で、お母さんのノラはロッカーといろいろ浮き名を流し、UKロック業界で良く知られた人物。ジョン・ライドン(セックス・ピストルズ、PIL)と結婚したので彼はアリにとっては継父、癌による彼女の死の最初の発表はライドンのホームページでなされた。彼女が10代で見せた、”感性”の鮮やかな飛翔の様を、ぼくは忘れない。