ワールド・ビート2010
2010年10月11日 音楽 ものすごーく、晴天。これ以上望むべくもなく、と、躊躇なく言うことができる天気。もう、フェス楽しんじゃおう度数は100 パーセント増し。ありがたやー。会場となった日比谷公園野外大音楽堂、人が入っていたなー。のっけから、うれしいヴァイブ、横溢しまくり。今回(2年強ぶり)の同イヴェントはアフリカ勢が3組の出演なり。
最初の出演者は、ジャスティン・アダムス&ジュルデー・カマラ。アダムスはロバート・プラント(レッド・ツッペリンのシンガーにして、音楽的には愛すべき変わり者)と仲良しで彼の表現に関与するとともに、北アフリカ発の所謂“砂漠のブルース”に強く、ティナリウェン(2005年9月2日)のプロデューサーを勤めるなど、ロック的価値観のもとワールド・ミュージック的表現興隆に寄与している人物。いかにもロック出身の英国人というか、いまだ朽ちぬロック的美意識(だからこそ、脱ロックの広角型姿勢を取るとも言えるのではないか)を持つ人なんじゃないかとアーティスト写真を見て感じていたのだが、ショウでの妙な気取りゼロの振る舞いには少々おどろく。でっかい仕草で手を打ったり、どんくさいという感想も導くかもしれない大仰なアクションをとってみたり。でも、その底にしっかりと真心が透けて見えた。とはいえ、そんな彼はあくまで触媒/仲介者、その表現の核にいるのは、アフリカ大陸のもっとも西に位置するガンビア生まれのシンガー/弦楽器奏者であるジュルデー・カマラだ。
前者は電気ギターや変な民俗楽器、後者はリッティという一弦楽器やアフリカン・バンジョーを手にする。そのベースレスの重なりに、たぶん英国人だろうデイヴ・スミスというドラマーが重なる。ようは、美と突き抜けが交錯するマカラの弾き語り的なパフォーマンスにロック文脈にあるギター・リフやビート感覚を足して、押し出し/取っ付き易さを強化した表現を彼らは広げる。円満な顔つき(なんか、ぼくはアフリカ調相撲取り顔とも言いたくなるか)でいかにもな民俗衣装に身をまとったカマラは悠々。西側に大々的に知られるきっかけはビル・ラズウェル(2007年8月3日,他)のレーベルから出たラズウェルとフォディ・ムサ・スソ(2005年8月20日)主導の『Aincient Heart;Mandlinka & Fulani Music of the Gumbia』(Axiom,91年)だったわけで、そういう他要素と重なるのは慣れているし、抵抗もないんだろう。最後から2番目の曲はもろにジョン・リー・フッカーのマナーにあるダーティなギター・リフを下敷きにし、最後の曲はボー・ディッドリー(2004年4月12日)のジャングル・ビートを重ねてゴー! 二人は、この後ロバート・プラントと一緒に欧州ツアーをすることになっている。
2番目は西アフリカの海に面していない国であるブルキナファソ(かつて日本のサッカー代表チームの監督をやったフィリップ・トルシエが、日本に来る前にやはり代表チームの監督を務めていた国として、記憶にある人もいるだろう。他のアフリカ諸国と比べ、真面目で思慮深い人が多いそうで、“アフリカの日本”という言われ方もあるそう)のおじさんヴィクター・デメ(歌、ギター)が、ギター、打楽器、コラ、電気ベースという編成の4人組バンドでパフォーマンス。グリオの家系に生まれながら音楽嫌いで仕立て職をしていた父親に音楽をやることを禁じられた彼は、それでも音楽をしようとしてきた苦労人。コンゴら他国の音楽を歌ったこともあり、父親にミシン使いを仕込まれて裁縫は得意(自分の服だけでなく、メンバーの服も縫ってあげるそう)とも言う彼が広く西側に出て数年しかたっていないが、そのインターナショナル感覚に満ちた鮮やかな広がりを持つ表現にはちと驚く。それは往年のワールド・ミュージック大御所が持つ感触にも似ていると書きたくなるもので、親しみ易くも堂々としていたな。蛇足だが、彼は二人の子供を設けた奥さんがなくなり、今は籍は入れていないもののパートナーと暮らし、養子も何人か育てている。悩みは、有名人になってしまったので、昔のように飲んだくれられなかくなったこと、とか(笑い)。
そして、最後のアクトは、アフリカの中央部の面積の大きな国コンゴからやってきたスタッフ・ベンダ・ビリリ。すぐに、多くの人が立ち上がる。先に見たいわき公演(2010年10月3日)との明白な違いは以下のもの。1)ロジェは客性側に降りなかった。それはこの会場の厳禁事項になっているからのよう。それは別にしても、いわきのロジェは相当にのりのりでステージを動き、客席に何度も降りたナ。2)テオのパラパラ調の振りがちょい小さく、地味になっているように感じたこと。それ、前よりデカい会場で見ている距離感があるかもしれない。3)それから、<スタッフ・ベンダ・ビリリ,トレ・トレ・フォール>のかけ声をあまりしなかったこと。いわき公演はなんだかんだ、5回ぐらいやっていたと思うけどなあ。4)それから一番大きな違いは、膝だかを痛めて車椅子にてパフォーマンスしていたカポセが元気にいつものように杖をつきつつ立ってショウを行っていたこと。やっぱ、彼は立ってパフォーマンスをしてこそ、格好いいし、見る者をひきつける。5)あ、それから何気に、ステージ後方に出される、曲の内容紹介がヴァージョン・アップしていた。字幕はほんと、好評のよう。
あとは、いわき公演の醍醐味/質を引き継ぐものだが、2500人もの人が最初から高揚しまくってステージに熱い気持ちを送りまくり、彼らもそれを受けて、ぶっとばしたところはあったのではないか。曲目なんかはずっと変化はないようだが、やっぱりノリで尺や歌のやりとりやグルーヴの感覚は微妙に変わっていただろう。クローザーの「トンカラ」のときには、先に出た二組やスタッフが出てきて、後ろにずらりと並び、踊る。場内はよりわき上がる。野外の快感、ありまくり。うーん。お酒が弾む。気持ちいい。楽しい。グっとくる。これ以上、何を求めるというのだ。最高だア!
知人らと流れるが、何か外のままがいいなと、公園内で飲むことを提案。一時は20人近くいたんではないか。宴はいいなー。
最初の出演者は、ジャスティン・アダムス&ジュルデー・カマラ。アダムスはロバート・プラント(レッド・ツッペリンのシンガーにして、音楽的には愛すべき変わり者)と仲良しで彼の表現に関与するとともに、北アフリカ発の所謂“砂漠のブルース”に強く、ティナリウェン(2005年9月2日)のプロデューサーを勤めるなど、ロック的価値観のもとワールド・ミュージック的表現興隆に寄与している人物。いかにもロック出身の英国人というか、いまだ朽ちぬロック的美意識(だからこそ、脱ロックの広角型姿勢を取るとも言えるのではないか)を持つ人なんじゃないかとアーティスト写真を見て感じていたのだが、ショウでの妙な気取りゼロの振る舞いには少々おどろく。でっかい仕草で手を打ったり、どんくさいという感想も導くかもしれない大仰なアクションをとってみたり。でも、その底にしっかりと真心が透けて見えた。とはいえ、そんな彼はあくまで触媒/仲介者、その表現の核にいるのは、アフリカ大陸のもっとも西に位置するガンビア生まれのシンガー/弦楽器奏者であるジュルデー・カマラだ。
前者は電気ギターや変な民俗楽器、後者はリッティという一弦楽器やアフリカン・バンジョーを手にする。そのベースレスの重なりに、たぶん英国人だろうデイヴ・スミスというドラマーが重なる。ようは、美と突き抜けが交錯するマカラの弾き語り的なパフォーマンスにロック文脈にあるギター・リフやビート感覚を足して、押し出し/取っ付き易さを強化した表現を彼らは広げる。円満な顔つき(なんか、ぼくはアフリカ調相撲取り顔とも言いたくなるか)でいかにもな民俗衣装に身をまとったカマラは悠々。西側に大々的に知られるきっかけはビル・ラズウェル(2007年8月3日,他)のレーベルから出たラズウェルとフォディ・ムサ・スソ(2005年8月20日)主導の『Aincient Heart;Mandlinka & Fulani Music of the Gumbia』(Axiom,91年)だったわけで、そういう他要素と重なるのは慣れているし、抵抗もないんだろう。最後から2番目の曲はもろにジョン・リー・フッカーのマナーにあるダーティなギター・リフを下敷きにし、最後の曲はボー・ディッドリー(2004年4月12日)のジャングル・ビートを重ねてゴー! 二人は、この後ロバート・プラントと一緒に欧州ツアーをすることになっている。
2番目は西アフリカの海に面していない国であるブルキナファソ(かつて日本のサッカー代表チームの監督をやったフィリップ・トルシエが、日本に来る前にやはり代表チームの監督を務めていた国として、記憶にある人もいるだろう。他のアフリカ諸国と比べ、真面目で思慮深い人が多いそうで、“アフリカの日本”という言われ方もあるそう)のおじさんヴィクター・デメ(歌、ギター)が、ギター、打楽器、コラ、電気ベースという編成の4人組バンドでパフォーマンス。グリオの家系に生まれながら音楽嫌いで仕立て職をしていた父親に音楽をやることを禁じられた彼は、それでも音楽をしようとしてきた苦労人。コンゴら他国の音楽を歌ったこともあり、父親にミシン使いを仕込まれて裁縫は得意(自分の服だけでなく、メンバーの服も縫ってあげるそう)とも言う彼が広く西側に出て数年しかたっていないが、そのインターナショナル感覚に満ちた鮮やかな広がりを持つ表現にはちと驚く。それは往年のワールド・ミュージック大御所が持つ感触にも似ていると書きたくなるもので、親しみ易くも堂々としていたな。蛇足だが、彼は二人の子供を設けた奥さんがなくなり、今は籍は入れていないもののパートナーと暮らし、養子も何人か育てている。悩みは、有名人になってしまったので、昔のように飲んだくれられなかくなったこと、とか(笑い)。
そして、最後のアクトは、アフリカの中央部の面積の大きな国コンゴからやってきたスタッフ・ベンダ・ビリリ。すぐに、多くの人が立ち上がる。先に見たいわき公演(2010年10月3日)との明白な違いは以下のもの。1)ロジェは客性側に降りなかった。それはこの会場の厳禁事項になっているからのよう。それは別にしても、いわきのロジェは相当にのりのりでステージを動き、客席に何度も降りたナ。2)テオのパラパラ調の振りがちょい小さく、地味になっているように感じたこと。それ、前よりデカい会場で見ている距離感があるかもしれない。3)それから、<スタッフ・ベンダ・ビリリ,トレ・トレ・フォール>のかけ声をあまりしなかったこと。いわき公演はなんだかんだ、5回ぐらいやっていたと思うけどなあ。4)それから一番大きな違いは、膝だかを痛めて車椅子にてパフォーマンスしていたカポセが元気にいつものように杖をつきつつ立ってショウを行っていたこと。やっぱ、彼は立ってパフォーマンスをしてこそ、格好いいし、見る者をひきつける。5)あ、それから何気に、ステージ後方に出される、曲の内容紹介がヴァージョン・アップしていた。字幕はほんと、好評のよう。
あとは、いわき公演の醍醐味/質を引き継ぐものだが、2500人もの人が最初から高揚しまくってステージに熱い気持ちを送りまくり、彼らもそれを受けて、ぶっとばしたところはあったのではないか。曲目なんかはずっと変化はないようだが、やっぱりノリで尺や歌のやりとりやグルーヴの感覚は微妙に変わっていただろう。クローザーの「トンカラ」のときには、先に出た二組やスタッフが出てきて、後ろにずらりと並び、踊る。場内はよりわき上がる。野外の快感、ありまくり。うーん。お酒が弾む。気持ちいい。楽しい。グっとくる。これ以上、何を求めるというのだ。最高だア!
知人らと流れるが、何か外のままがいいなと、公園内で飲むことを提案。一時は20人近くいたんではないか。宴はいいなー。