東京ジャズのプリイヴェントとして催された、渡辺香津美(2004年12月15日)を中心とする出し物。ヤマハ銀座・スタジオ。1部は納浩一(縦/電気ベース。2010年2月17日)とレニー・ホワイト(ドラム)のトリオにて。昨日、コーネル・デュプリーで聞いた「フリーダム・ジャズ・ダンス」を彼らもやる。MCによると、渡辺の初NY録音作品『ロンサム・キャット』のレコーディングの際にやりたいと切望したドラマーがホワイトで、今回はあのとき以来の顔合わせなのだとか。で、3人はそのタイトル・トラックもやったが、それは、いい感じの前を見た立ったジャズ曲。そのとき、彼は24才であったのか。ちょい手探りのところもあったが、それぞれの力量で噛み合う剛毅な実演。
第2部は、渡辺と24歳のフランス人ギタリストのダヴィッド・ラインハルトのデュオ演奏から始まる。ダヴィッドはその姓が示すように、ジャンゴ・ラインハルトの孫。彼の父親はジャンゴの次男の、01年に亡くなってしまったバビック・ラインハルト。かなりジャズ・フュージョン的なアルバムもリリースしているバビックだが、本当はトニー・ガトリフの映画「僕のスウィング」(2003年1月8日)に主演する予定だったと聞いたことがあるナ。が、亡くなってしまい、チャボロ・シュミット(2008年6月23日、他)が代わりに出演したそう。澱みない渡辺のMCによれば、98年のジャンゴ・ラインハルト・フェスティヴァルに出演したさい(ジャンゴが住んだフランスのサモアで行われているよう)、ビバックも出演し、子供だったダヴィッドも父親にtついてきていたのだそう。その際のことを、両者ともに覚えているという。ジャンゴ曲をデュオで2曲。ダヴィッドはちょい緊張している感じもあったが、なるほどよく指が動く。このとき、渡辺はマヌーシュのギター奏者が持つタイプのギターを持ち(ダヴィッドは普通のセミアコ)、堂にいってそっちのほうのマナーを繰り出す。ほんと、なんでもできちゃうよなー。デヴィッドもはみ出す行き方は嫌いじゃないだけに、両者は絡まりながら、どんどん螺旋状の弧を描きながら舞い上がって行く。ヒヒヒ。そのうち、一緒にアルバムを作るのもアリなのでは。そして、リズム隊が加わり、ウエス・モンゴメリー曲など、さらに2曲、3曲。その後、また1部と同じ布陣で少しやり、アンコールではまた4人で演奏した。それにしても、ギターの上手い人が本当にそれを愛でている感じの演奏の様に触れると、どうしてギターに無心で対峙していた子供の頃の姿が容易にに透けて見えるんだろう?
そして、丸の内・コットンクラブに移動。イタリア系アメリカ人女性ピアニストのレイチェル・Zと、彼女の教え子でもあったそうな25歳になる(でも、高校生にしか見えない)女性電気アップライト・ベース奏者のメイヴ・ロイス、そして百戦錬磨ドラマーのオマー・ハキム(2006年4月16日)からなるピアノ・トリオの出演。レイチェル・Zの新作での顔ぶれだが、今回は熟練組二人の名前の一文字を持ってきて、ザ・トリオ・オブ・オズ(OZ)と名乗っている。録音してみたら、いい感じなのいで、ちゃんとグループ名にしてみましたという感じだろうか。
ステージに出てきたレイチェル・Z(ニコラッゾ)にはあらあら。白のかなりミニのワンピースをお召しになっている。ベースのロイス嬢も膝上丈の黒いワンピース。ちなみに、レイチェル・Zはステップス・アヘッドやウェイン・ショーター(2004年2月9日)表現に関与するとともに、ミレニアム後のピーター・ゲイブリエル・バンドにも入っていたりもする奏者。そんな彼女はロック曲をどジャズ・アレンジで聞かせることを長年リーダー作で披露しているが、この晩もアリス・イン・チェインズの「アングリー・チェアー」など、その手の曲もスタンダード曲などともに悠々と披露。きっちりジャズだけど、いろんな風通しやもう一つの意思が見え隠れ……。
終演後、ハキムが入り口のところで誰かとじゃれている。おやおや、さっき叩いていたレニー・ホワイトではないか。ハキムはハキムで、東京ジャズの日曜夜のプログラムで渡辺香津美と一緒にやりますね。
第2部は、渡辺と24歳のフランス人ギタリストのダヴィッド・ラインハルトのデュオ演奏から始まる。ダヴィッドはその姓が示すように、ジャンゴ・ラインハルトの孫。彼の父親はジャンゴの次男の、01年に亡くなってしまったバビック・ラインハルト。かなりジャズ・フュージョン的なアルバムもリリースしているバビックだが、本当はトニー・ガトリフの映画「僕のスウィング」(2003年1月8日)に主演する予定だったと聞いたことがあるナ。が、亡くなってしまい、チャボロ・シュミット(2008年6月23日、他)が代わりに出演したそう。澱みない渡辺のMCによれば、98年のジャンゴ・ラインハルト・フェスティヴァルに出演したさい(ジャンゴが住んだフランスのサモアで行われているよう)、ビバックも出演し、子供だったダヴィッドも父親にtついてきていたのだそう。その際のことを、両者ともに覚えているという。ジャンゴ曲をデュオで2曲。ダヴィッドはちょい緊張している感じもあったが、なるほどよく指が動く。このとき、渡辺はマヌーシュのギター奏者が持つタイプのギターを持ち(ダヴィッドは普通のセミアコ)、堂にいってそっちのほうのマナーを繰り出す。ほんと、なんでもできちゃうよなー。デヴィッドもはみ出す行き方は嫌いじゃないだけに、両者は絡まりながら、どんどん螺旋状の弧を描きながら舞い上がって行く。ヒヒヒ。そのうち、一緒にアルバムを作るのもアリなのでは。そして、リズム隊が加わり、ウエス・モンゴメリー曲など、さらに2曲、3曲。その後、また1部と同じ布陣で少しやり、アンコールではまた4人で演奏した。それにしても、ギターの上手い人が本当にそれを愛でている感じの演奏の様に触れると、どうしてギターに無心で対峙していた子供の頃の姿が容易にに透けて見えるんだろう?
そして、丸の内・コットンクラブに移動。イタリア系アメリカ人女性ピアニストのレイチェル・Zと、彼女の教え子でもあったそうな25歳になる(でも、高校生にしか見えない)女性電気アップライト・ベース奏者のメイヴ・ロイス、そして百戦錬磨ドラマーのオマー・ハキム(2006年4月16日)からなるピアノ・トリオの出演。レイチェル・Zの新作での顔ぶれだが、今回は熟練組二人の名前の一文字を持ってきて、ザ・トリオ・オブ・オズ(OZ)と名乗っている。録音してみたら、いい感じなのいで、ちゃんとグループ名にしてみましたという感じだろうか。
ステージに出てきたレイチェル・Z(ニコラッゾ)にはあらあら。白のかなりミニのワンピースをお召しになっている。ベースのロイス嬢も膝上丈の黒いワンピース。ちなみに、レイチェル・Zはステップス・アヘッドやウェイン・ショーター(2004年2月9日)表現に関与するとともに、ミレニアム後のピーター・ゲイブリエル・バンドにも入っていたりもする奏者。そんな彼女はロック曲をどジャズ・アレンジで聞かせることを長年リーダー作で披露しているが、この晩もアリス・イン・チェインズの「アングリー・チェアー」など、その手の曲もスタンダード曲などともに悠々と披露。きっちりジャズだけど、いろんな風通しやもう一つの意思が見え隠れ……。
終演後、ハキムが入り口のところで誰かとじゃれている。おやおや、さっき叩いていたレニー・ホワイトではないか。ハキムはハキムで、東京ジャズの日曜夜のプログラムで渡辺香津美と一緒にやりますね。
マレー・ラーナー。東京ジャズ。メイシオ・パーカー。
2010年9月3日 音楽 怒濤の3日間のはじまり……。明日取材とバッティングして見ることができないので、東京ジャズの出し物であるマーカス・ミラー(2009年9月15日、他)・バンドとNHK交響楽団の共演のリハを午前中に少し覗かせてもらう。広い東京国際フォーラムのホールAのステージにフルのオーケストラ員がどばあっといるのは壮観。で、その人たちが一斉に音をだしたら、やっぱ誘いあるよなー。指揮はデイモン・ガプトンというアフリカ系の人物、ミラー側が用意したという。コンサート・マスターは昨年のMONOのオーケストラ付き公演(2009年12月21日)にも関与していた人、特徴的な風貌なので判る。リハ自体は昨日もやっているそうで、それでだいぶ決まったのか、ストレスなく音の流れをチェックしている感じか。今年リリースされたモナコでの同様のライヴ盤はあまり興味ひかれなかったが、これなら、見てえ、と思った。ゲスト出演することになっているクリスチャン・スコットはリハの最後の方に殿様のように来て、ププイっと鳴らす。痩身で小顔のミラーはやっぱ格好いいな、と再認識。
晴天にて、相変わらず暑い。ご飯を食べ、西新宿5丁目に移動し、音楽ドキュメンタリー映画の大家マレー・ラーナーが講演/対談をするのを覗く。この3、4、5日に新宿のいろんなライヴ・ハウスを舞台に行われる音楽見本市、Tokyo Boot Upがはじまるのに際しての、オープニングの特別催し。西新宿5丁目・東放学園映画大学校。
ラーナーさんはもう80歳とかの、白髪の好々爺。奥さんも同行、横に座っている。ロック映画だと、ワイト島のフェスのドキュメンタリーや近年のザ・フーの「アメイジング・ストーリー」(2008年10月1日)などを撮っている人。大学時代は音楽好きの文学青年だったようであり、映像美学にはかなりのこだわりと周到さを持っていたのが伺える。また、彼は3D映像にも目を向けている人のようだ。その後に、やはり彼が監督した60年代上半期のニューポート・フォーク・フェスティヴァルのモノクロ記録映画「フェスティヴァル」を上映、時間の許す限り見る。字幕付きDVDも出ているようだが、フォークが苦手の僕は初めて見る。が、当時の自由を標榜するフォーク・フェスの常なのかどうかは知らないがブルース・マン(サン・ハウスが出てくるシーンは、ラーナーのお気に入りの箇所のよう)やザ・ステイプル・シンガーズらゴスペル勢もいろいろ出ていて、4分の1の出演者は黒人。隔世の感アリの観客の風体を見れば判るように、ニューポートは裕福な東海岸白人の避暑地なわけで、リベラルな理念のもと同フェスが運営されていたのかもしれないけど。ともあれ、映画を見ていてそっかあと感じたのは、日常とは線を引いた所にあるワクワクしちゃうものとして、40年前にも音楽フェスはしっかり機能していたこと。マウンテン・ミュージックのダンス・グループ等も出てきて、それはアフリカ系アクトとともに今で言うところのワールド・ミュージック的な広がりをフェスに与えていたかも。人間の趣向/営みなんて、変わらない部分も多いんだろうなあ。なんか、少し感傷的なキブンにも。ジョーン・バエズの動く姿にはじめて触れた(音楽を聞くのも初めてかな。けっこう肌の色が黒く写っていたけど、何系なんだろう)が、ちゃんと才を持つ人なんだな。
以前にも少し触れたがTokyo Boot Upは、日本人アクトも多数出ているテキサス州オースティンのサウス・バイ・サウスウェストの日本版をめざすような、今年から始まった催し。地域内にあるいろんなライヴ・ヴェニューに明日を見つめんとするバンドが次々と出演し、逆に送り手側にいる人間や好奇心おう盛な聞き手が有望な担い手をリサーチする……。80年代NYのニュー・ミュージック・セミナーや90年代NYのCMJミュージック・マラソンなど、米国には本当に規模の大きな地域一括型ロック見本市があったわけで、そういうものが東京でも開かれるのはおおいに楽しそう。が、東京ジャズともろにバッティングしていて、接せられな〜い。
が、変わりに、ではないけれど、ちょいシンクロニシティ的なことも。ぼくはニュー・ミュージック・セミナーは一度、CMJミュージック・マラソン(当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったCMJ=カレッジ・ミュージック・チャートが大々的にスポンサードしていた)は2度行ったことがあった。それぞれにいろんな感興があり、出会いがあったわけだが、そうしたなか、大きな思い出として残っているのは、90年上半期に行った1度目のCMJミュージック・マラソンのとき。そのとき、ぼくは当時活動休止中だったノーナ・ヘンドリックスとスカンク・アナウンシーのライヴ会場で邂逅、元祖女性黒人ロッカーたる彼女は英国新進の女性ブラック・ロック歌手がフロントにいる同バンドを見に来ていたのだった。そのアトラクティヴな風貌はすぐに彼女と判るもので,大感激しつつぼくは大ファンであることをつげ、名刺を交換したりした(そのとき、ミュージシャンじゃない名刺を彼女は持っていたんだよなー)。そしたら、東京ジャズに出演のため来日(84年のパルコ主催の来日公演いらい?)していた彼女と夕方に会うことがきて、ぼくは感無量……。昔のNYでの顛末のことを言ったら、彼女は覚えてはいなかったが。
夜は有楽町・東京国際フォーラム(ホールA)で、東京ジャズの初日プログラムの、クリスチャン・スコット(2009年9月15日、他)とケニー・バロン(2009年1月7日、他)、二つの出し物に触れる。スコット・グループの演奏にはタップダンサーの熊谷和徳がゲストで入り、要所で打楽器奏者のように足さばきによる音を加える。クリスチャンはレディオヘッド信奉者だが、彼はついにトム・ヨークのアトム・フォー・ピースとNYで共演したらしい。おめでとう! 後者はロン・カーター(2010年5月6日、他)とレニー・ホワイト(2010年9月1日)とのトリオにて、堂々ひたひたの演奏。その途中で、向かいにあるコットンクラブに。
そちらの出演者は明日の東京ジャズの昼の部の出演者である、メイシオ・パーカー(2010年2月16日、他)。バンドの顔ぶれはまったく前回と同じ、ながら(基本構成は同様ながらも、変えたり、自然発生的に変わっている部分も)やはり高揚。。。。
晴天にて、相変わらず暑い。ご飯を食べ、西新宿5丁目に移動し、音楽ドキュメンタリー映画の大家マレー・ラーナーが講演/対談をするのを覗く。この3、4、5日に新宿のいろんなライヴ・ハウスを舞台に行われる音楽見本市、Tokyo Boot Upがはじまるのに際しての、オープニングの特別催し。西新宿5丁目・東放学園映画大学校。
ラーナーさんはもう80歳とかの、白髪の好々爺。奥さんも同行、横に座っている。ロック映画だと、ワイト島のフェスのドキュメンタリーや近年のザ・フーの「アメイジング・ストーリー」(2008年10月1日)などを撮っている人。大学時代は音楽好きの文学青年だったようであり、映像美学にはかなりのこだわりと周到さを持っていたのが伺える。また、彼は3D映像にも目を向けている人のようだ。その後に、やはり彼が監督した60年代上半期のニューポート・フォーク・フェスティヴァルのモノクロ記録映画「フェスティヴァル」を上映、時間の許す限り見る。字幕付きDVDも出ているようだが、フォークが苦手の僕は初めて見る。が、当時の自由を標榜するフォーク・フェスの常なのかどうかは知らないがブルース・マン(サン・ハウスが出てくるシーンは、ラーナーのお気に入りの箇所のよう)やザ・ステイプル・シンガーズらゴスペル勢もいろいろ出ていて、4分の1の出演者は黒人。隔世の感アリの観客の風体を見れば判るように、ニューポートは裕福な東海岸白人の避暑地なわけで、リベラルな理念のもと同フェスが運営されていたのかもしれないけど。ともあれ、映画を見ていてそっかあと感じたのは、日常とは線を引いた所にあるワクワクしちゃうものとして、40年前にも音楽フェスはしっかり機能していたこと。マウンテン・ミュージックのダンス・グループ等も出てきて、それはアフリカ系アクトとともに今で言うところのワールド・ミュージック的な広がりをフェスに与えていたかも。人間の趣向/営みなんて、変わらない部分も多いんだろうなあ。なんか、少し感傷的なキブンにも。ジョーン・バエズの動く姿にはじめて触れた(音楽を聞くのも初めてかな。けっこう肌の色が黒く写っていたけど、何系なんだろう)が、ちゃんと才を持つ人なんだな。
以前にも少し触れたがTokyo Boot Upは、日本人アクトも多数出ているテキサス州オースティンのサウス・バイ・サウスウェストの日本版をめざすような、今年から始まった催し。地域内にあるいろんなライヴ・ヴェニューに明日を見つめんとするバンドが次々と出演し、逆に送り手側にいる人間や好奇心おう盛な聞き手が有望な担い手をリサーチする……。80年代NYのニュー・ミュージック・セミナーや90年代NYのCMJミュージック・マラソンなど、米国には本当に規模の大きな地域一括型ロック見本市があったわけで、そういうものが東京でも開かれるのはおおいに楽しそう。が、東京ジャズともろにバッティングしていて、接せられな〜い。
が、変わりに、ではないけれど、ちょいシンクロニシティ的なことも。ぼくはニュー・ミュージック・セミナーは一度、CMJミュージック・マラソン(当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったCMJ=カレッジ・ミュージック・チャートが大々的にスポンサードしていた)は2度行ったことがあった。それぞれにいろんな感興があり、出会いがあったわけだが、そうしたなか、大きな思い出として残っているのは、90年上半期に行った1度目のCMJミュージック・マラソンのとき。そのとき、ぼくは当時活動休止中だったノーナ・ヘンドリックスとスカンク・アナウンシーのライヴ会場で邂逅、元祖女性黒人ロッカーたる彼女は英国新進の女性ブラック・ロック歌手がフロントにいる同バンドを見に来ていたのだった。そのアトラクティヴな風貌はすぐに彼女と判るもので,大感激しつつぼくは大ファンであることをつげ、名刺を交換したりした(そのとき、ミュージシャンじゃない名刺を彼女は持っていたんだよなー)。そしたら、東京ジャズに出演のため来日(84年のパルコ主催の来日公演いらい?)していた彼女と夕方に会うことがきて、ぼくは感無量……。昔のNYでの顛末のことを言ったら、彼女は覚えてはいなかったが。
夜は有楽町・東京国際フォーラム(ホールA)で、東京ジャズの初日プログラムの、クリスチャン・スコット(2009年9月15日、他)とケニー・バロン(2009年1月7日、他)、二つの出し物に触れる。スコット・グループの演奏にはタップダンサーの熊谷和徳がゲストで入り、要所で打楽器奏者のように足さばきによる音を加える。クリスチャンはレディオヘッド信奉者だが、彼はついにトム・ヨークのアトム・フォー・ピースとNYで共演したらしい。おめでとう! 後者はロン・カーター(2010年5月6日、他)とレニー・ホワイト(2010年9月1日)とのトリオにて、堂々ひたひたの演奏。その途中で、向かいにあるコットンクラブに。
そちらの出演者は明日の東京ジャズの昼の部の出演者である、メイシオ・パーカー(2010年2月16日、他)。バンドの顔ぶれはまったく前回と同じ、ながら(基本構成は同様ながらも、変えたり、自然発生的に変わっている部分も)やはり高揚。。。。
アーリル・アンダーシェン。「アポクリフ」。モザイク・プロジェクト
2010年9月4日 音楽 11時半から某ホテルで、エスペランサ・スポルディング(2008年9月5日)の取材。わあ、気だて良く、頭の回転も早そう。完全、スッピンでした。前回同様に、テリ・リン・キャリントンのバンド(2008年12月1日)の一員として来日。東京ジャズに出演するキャリントン・バンドは全員女性で、モザイク・プロジェクトと名付けられている。
午後1時半から代官山・晴れたら空に豆まいて。基本ECMと契約するノルウェイ人重鎮ベーシスト(これまでは、アリルド・アンダーセンと日本では表記されてきた)の公演を見る。テナー・サックス奏者とドラマーを率いてのパフォーマンス。剛毅に疾走したりアウトしたりするするものから、メロディアスなぽわーんとしたものまで、臨機応変に自分たちの信じるジャズの形を人間味を出しつつ送り出す。うぬ、さすがの実力者たちではありましたね。実は午前中の同所には、今年のフジ・ロックに出演したジャガ・ジャジストのメンバーで、ECMからリーダー作も出しているマティアス・アイクのグループが出演したはず。彼ら、今朝の9時半に成田に着くとの話をきいたが。両方を見た過剰なジャズ・ファンじゃない知り合いはマティアスのほうが面白かったと言っていた。アンダーシェンのバンドもアイクのバンドも明日の東京ジャズの無料ステージの出演者ですね。
一息入れて日暮れに、渋谷・オーチャードホール。ベルギー王立モネ劇場制作とお題目された「アポクリフ」という、3人の踊り手による舞台を見に行く。演出と振付をシディ・ラルビ・シェルカウイというモロッコの血の入ったベルギー人ダンサーが担い、さらに日本人の首藤康之とフランス人のディミトリ・ジュルドが絡む。で、そこに音楽担当者として登場するのがア・フィレッタ(2010年8月25日)の面々、ということでぼくは見に行ったのだ。ア・フィレッタの面々はデザインされた空間のいろんな所に出てきて(←それが、とても効果的。動的であったり、空間的であったりする変化/風通しを何気に舞台に与える)アカペラで歌うわけだが、なるほどコレは見ることができて良かった。宗教的な事を題材とするようだが、そんなの抜きに(いや、暴言を吐くなら、知らない方が吉と出るのではないか)、発想と肉体力の限りを尽くしたコンテンポラリー・アート表現に野郎7人の歌唱行為は合うし、よりエッジィかつ人間的な感興をそこに加えていたのではないか。いや、彼らがいてこその出しモノと感じる人も少なくなかったのでは。やはりア・フィレッタは、島の伝統的歌唱グループではなく、先にごんごんと飛び出して行くクリエイティヴ集団なのは間違いなし。そんな彼らをかなり感心しちゃう使い方で起用したシェルカウイという人も鋭い。まあ、かように欧州の進歩的なアート・サークルにおいてア・フィレッタの神通力は認知されているということかもしれないが。
そして、またハシゴで、南青山・ブルーノート東京に。「アポクリフ」が60分ちょいで終わったので、余裕でセカンド・ショウ(土日は8時45分からと早い)に間に合う。ニっ。こちらの出演者は翌日の東京ジャズの昼の部に出る、冒頭で触れたテリ・リン・キャリントンの女性バンド。受け付け階に降りて行くと、エミ・マイヤー(2010年5月31日、他)がニコニコいる。あれ、なんでいるの? なんでも、米ワシントン州で開かれているジャズのサマー・キャンプみたいのに今年も含めずっと参加していて、そこでの彼女の先生であるイングリッド・ジェンセンがモザイク・プロジェクトの一員ゆえに見に来たのだとか。彼女、エスペランサは素敵♡と言ってました。
出演者の内訳は、ドラマーのキャリントンに加え、ベース奏者(もちろん、一部では歌う)のエスペランサ・スポルディング、米国人トランぺッターのイングリット・ジャンセン(とても毅然とした人。結構、マイルス・デイヴィス・マナーを持つ)、オランダ人サックス奏者のティネカ・ポスマ(2007年10月10日)、ピアノやキーボードを弾くヘレン・サン(ウェイン・ショーターのグループに抜擢されてもなるほどと思わせる指さばき也)という演奏陣に、我が最愛の女性歌手の一人であるノーナ・ヘンドリックス、そしてブラジル人新進のパトリシア・ロマニアというシンガーも加わる。二管をフィーチャーしたもろジャズ演奏(芸がないと言えなくもないか)から、ノーナ(60歳半ばは行っててもおかしくないのに、そんなに老けていない)の芸人感覚爆発のR&B曲までいろいろ。盛りだくさんすぎたが、ヘンドリックス姐さんの勇士が見れてこの私になんの文句がありましょうか。どんッ。
午後1時半から代官山・晴れたら空に豆まいて。基本ECMと契約するノルウェイ人重鎮ベーシスト(これまでは、アリルド・アンダーセンと日本では表記されてきた)の公演を見る。テナー・サックス奏者とドラマーを率いてのパフォーマンス。剛毅に疾走したりアウトしたりするするものから、メロディアスなぽわーんとしたものまで、臨機応変に自分たちの信じるジャズの形を人間味を出しつつ送り出す。うぬ、さすがの実力者たちではありましたね。実は午前中の同所には、今年のフジ・ロックに出演したジャガ・ジャジストのメンバーで、ECMからリーダー作も出しているマティアス・アイクのグループが出演したはず。彼ら、今朝の9時半に成田に着くとの話をきいたが。両方を見た過剰なジャズ・ファンじゃない知り合いはマティアスのほうが面白かったと言っていた。アンダーシェンのバンドもアイクのバンドも明日の東京ジャズの無料ステージの出演者ですね。
一息入れて日暮れに、渋谷・オーチャードホール。ベルギー王立モネ劇場制作とお題目された「アポクリフ」という、3人の踊り手による舞台を見に行く。演出と振付をシディ・ラルビ・シェルカウイというモロッコの血の入ったベルギー人ダンサーが担い、さらに日本人の首藤康之とフランス人のディミトリ・ジュルドが絡む。で、そこに音楽担当者として登場するのがア・フィレッタ(2010年8月25日)の面々、ということでぼくは見に行ったのだ。ア・フィレッタの面々はデザインされた空間のいろんな所に出てきて(←それが、とても効果的。動的であったり、空間的であったりする変化/風通しを何気に舞台に与える)アカペラで歌うわけだが、なるほどコレは見ることができて良かった。宗教的な事を題材とするようだが、そんなの抜きに(いや、暴言を吐くなら、知らない方が吉と出るのではないか)、発想と肉体力の限りを尽くしたコンテンポラリー・アート表現に野郎7人の歌唱行為は合うし、よりエッジィかつ人間的な感興をそこに加えていたのではないか。いや、彼らがいてこその出しモノと感じる人も少なくなかったのでは。やはりア・フィレッタは、島の伝統的歌唱グループではなく、先にごんごんと飛び出して行くクリエイティヴ集団なのは間違いなし。そんな彼らをかなり感心しちゃう使い方で起用したシェルカウイという人も鋭い。まあ、かように欧州の進歩的なアート・サークルにおいてア・フィレッタの神通力は認知されているということかもしれないが。
そして、またハシゴで、南青山・ブルーノート東京に。「アポクリフ」が60分ちょいで終わったので、余裕でセカンド・ショウ(土日は8時45分からと早い)に間に合う。ニっ。こちらの出演者は翌日の東京ジャズの昼の部に出る、冒頭で触れたテリ・リン・キャリントンの女性バンド。受け付け階に降りて行くと、エミ・マイヤー(2010年5月31日、他)がニコニコいる。あれ、なんでいるの? なんでも、米ワシントン州で開かれているジャズのサマー・キャンプみたいのに今年も含めずっと参加していて、そこでの彼女の先生であるイングリッド・ジェンセンがモザイク・プロジェクトの一員ゆえに見に来たのだとか。彼女、エスペランサは素敵♡と言ってました。
出演者の内訳は、ドラマーのキャリントンに加え、ベース奏者(もちろん、一部では歌う)のエスペランサ・スポルディング、米国人トランぺッターのイングリット・ジャンセン(とても毅然とした人。結構、マイルス・デイヴィス・マナーを持つ)、オランダ人サックス奏者のティネカ・ポスマ(2007年10月10日)、ピアノやキーボードを弾くヘレン・サン(ウェイン・ショーターのグループに抜擢されてもなるほどと思わせる指さばき也)という演奏陣に、我が最愛の女性歌手の一人であるノーナ・ヘンドリックス、そしてブラジル人新進のパトリシア・ロマニアというシンガーも加わる。二管をフィーチャーしたもろジャズ演奏(芸がないと言えなくもないか)から、ノーナ(60歳半ばは行っててもおかしくないのに、そんなに老けていない)の芸人感覚爆発のR&B曲までいろいろ。盛りだくさんすぎたが、ヘンドリックス姐さんの勇士が見れてこの私になんの文句がありましょうか。どんッ。
この日は、ずっと有楽町の東京国際フォーラム界隈にいて、東京ジャズの出しものに触れる。明るいうちは地上広場と名付けられたスペースで開かれている無料ステージでうだうだ。まず、昼下がりダヴィッド・ラインハルト(2010年9月1日)のトリオ。オルガン奏者(普段はピアノを弾いているそう)とドラマーを率いて、懐古主義に陥らない、ギターが前にいるオルガン・ジャズ表現を正々堂々繰り広げる。それ、もう何年も続いているワーキング・バンドだそうだ。奏者としてのエゴをだしつつも、ちゃんと聞き手に対して腕を広げる柔らかさもあり、彼らはアンコールにも応えていた。ダヴィッドは今年1月に同い年のマヌーシュの女性と結婚したばかり、秋にニューカレドニアで演奏することになっていて、2時間だけ成田に滞在するそう。他にも、マダガスカルでもやるとか、いろんな所から呼ばれるんだな。
その後に登場したのは、NYフリー・ジャズ系ヴァイオリン奏者のビリー・バン(1999年12日12日、参照)。彼は今、羽野昌二(ドラム)とトッド・ニコルソン(ベース)と日本ツアー中で、その単位での出演。アヴァンギャルドな演奏もやればベタなスタンダード演奏もあり(それで、保守的な聞き手に対するツカミはOK)、いろいろ場数踏んでいるんだろうなと思わせる演奏を“いいオヤジ”度数(キャップとシャツはNYヤンキースのロゴ入り。日本だと、読売巨人軍の帽子をかぶって場外馬券場にいそうな風情?)横溢のもと披露。蛇足だが、いまビル・ラズウェル(2007年8月3日、他)も東京にいる(彼も、東京ジャズに出ちゃえば良かったのに。2005年には大々的にかかわっているし)が、ビリー・バンもノーナ・ヘンドリックス(2010年9月4日)も80年代上半期にラズウェルにはたいそう世話になっていますね。彼らは今回、東京で会っているだろうか。
やはり、暑い。知人たちとまったり飲食をしたのちまた広場に行くと、アイヴィン・オールセット(2003年6月28日、2008年11月14日)がやっている。お、ツイン・ドラムの変則編成でレディオヘッドみたいなことやってんじゃん。興味深〜いと思ったら、最後の曲で、演奏は終わってしまった。残念! この後、ここの無料ステージには前日に触れたアーリル・アンダーシェンやマティアス・アイク(彼もツイン・ドラム編成だったそう)が登場したはずで、今年のこの日の、東京ジャズの無料ステージの顔ぶれの充実し具合は尋常ではない。よくぞ、ブッキングしたな。近くの丸ビルでもフリー・ステージが開かれていたはずだし、送り手側はその太っ腹さをもっとアピールしてもいいのでは。ジャズに興味を持つ背伸びしたい中坊が友達と気軽に見に来るというのは大あり。斑尾のジャズ・フェスに子供のころ家族と見に行きヤラれPe’zのリーダーはジャズ・トランぺッターを志したように、そこからまた新しい芽が出たらいいよなー。
で、夜はメインとなる会場である、国際フォーラムのホールAに。まず、出てきたのは、欧州フリー・ジャズの大御所である、オランダ人ドラマーのハン・ベニンク。アイデアと茶目っけと技量がすうっと重なる、独創的にして人間味あふれるソロ・パフォーマンスを披露。これも、敏感なコドモが見たら無限大の啓発を受けるだろうなーと思わずにはいられず。やっぱ、イバラの世界で突出できた人は凄いと実感。
2番目はジョシュア・レッドマン(2003年1月16日)の、マット・ペンマン(2008年11月19日、他)とグレゴリー・ハッチンソン(2008年9月29日、他)というリズム隊を率いたピアノレス・トリオ。ストロング、甘さを排し、ときに思索しつつ疾走。
3番目は、渡辺香津美のマイク・マイニエリが制作した80年名作『TO CHI KA』を20年ぶりに再現する、いや同作をフォロウする日本ツアーを同様のメンバーで今に持ってこようとする出し物。ヴァイブラフォンのマイク・マイニエリ(サイド・ギターならぬ、サイド・ヴァイブと言った感じの演奏にはかなり感心させられた。都会性がすうっと出る。やっぱ、才あるんだ)、キーボードのウォーレン・バンハート、ベースのマーカス・ミラー(2010年9月3日、他)、ドラムのオマー・ハキム(2010年9月1日、他)という顔ぶれによる。MCによれば、マーカスと竹馬の友であったハキムはスティーヴ・ジョーダン(2006年12月22日、他)の代役で、その来日ツアーが初の華々しい活動だったよう。渡辺は「マイニエリは尊父のような存在で、ハキムは可愛い息子のよう」なんても、言っていたか。当時フリー・ジャズやブラック・ジャズは片手間に聞いていても、フュージョンにはほとんど触れていなかったぼくではあったが、同作のリード曲「ユニコーン」はリアルタイムで耳馴染み。というのも、当時オーディオ・コンポのTV-CMに使われ、本人も画面に登場していたから。飲み屋で隣のおじさんからまじまじと見つめられたりして、(お茶の間に顔を出した)あの頃は恥ずかしかった、なんて、彼は言っていたこともあったはず。サイド・メンは本当に20年ぶりに演奏する曲だろうが、きっちり重なる。それなりにリハもやったのだろうけど、みんなプロ。それは『Tochika』の真価や20年という時の流れの襞を浮かび上がらせるものでもあったか。とともに、あの頃の渡辺はかっとぶ鮮烈ギタリストとというだけでなく、ギターの素敵を出しまくれる好フックを持つ曲や美曲を作れる作曲家として冴えまくっていたのではないか、なんてことも、ぼくはこの晩の演奏に触れて思った。
トリはザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)。喉を潤したくて目がかすんできたので、退出。いっぱいライヴ見たなー。
その後に登場したのは、NYフリー・ジャズ系ヴァイオリン奏者のビリー・バン(1999年12日12日、参照)。彼は今、羽野昌二(ドラム)とトッド・ニコルソン(ベース)と日本ツアー中で、その単位での出演。アヴァンギャルドな演奏もやればベタなスタンダード演奏もあり(それで、保守的な聞き手に対するツカミはOK)、いろいろ場数踏んでいるんだろうなと思わせる演奏を“いいオヤジ”度数(キャップとシャツはNYヤンキースのロゴ入り。日本だと、読売巨人軍の帽子をかぶって場外馬券場にいそうな風情?)横溢のもと披露。蛇足だが、いまビル・ラズウェル(2007年8月3日、他)も東京にいる(彼も、東京ジャズに出ちゃえば良かったのに。2005年には大々的にかかわっているし)が、ビリー・バンもノーナ・ヘンドリックス(2010年9月4日)も80年代上半期にラズウェルにはたいそう世話になっていますね。彼らは今回、東京で会っているだろうか。
やはり、暑い。知人たちとまったり飲食をしたのちまた広場に行くと、アイヴィン・オールセット(2003年6月28日、2008年11月14日)がやっている。お、ツイン・ドラムの変則編成でレディオヘッドみたいなことやってんじゃん。興味深〜いと思ったら、最後の曲で、演奏は終わってしまった。残念! この後、ここの無料ステージには前日に触れたアーリル・アンダーシェンやマティアス・アイク(彼もツイン・ドラム編成だったそう)が登場したはずで、今年のこの日の、東京ジャズの無料ステージの顔ぶれの充実し具合は尋常ではない。よくぞ、ブッキングしたな。近くの丸ビルでもフリー・ステージが開かれていたはずだし、送り手側はその太っ腹さをもっとアピールしてもいいのでは。ジャズに興味を持つ背伸びしたい中坊が友達と気軽に見に来るというのは大あり。斑尾のジャズ・フェスに子供のころ家族と見に行きヤラれPe’zのリーダーはジャズ・トランぺッターを志したように、そこからまた新しい芽が出たらいいよなー。
で、夜はメインとなる会場である、国際フォーラムのホールAに。まず、出てきたのは、欧州フリー・ジャズの大御所である、オランダ人ドラマーのハン・ベニンク。アイデアと茶目っけと技量がすうっと重なる、独創的にして人間味あふれるソロ・パフォーマンスを披露。これも、敏感なコドモが見たら無限大の啓発を受けるだろうなーと思わずにはいられず。やっぱ、イバラの世界で突出できた人は凄いと実感。
2番目はジョシュア・レッドマン(2003年1月16日)の、マット・ペンマン(2008年11月19日、他)とグレゴリー・ハッチンソン(2008年9月29日、他)というリズム隊を率いたピアノレス・トリオ。ストロング、甘さを排し、ときに思索しつつ疾走。
3番目は、渡辺香津美のマイク・マイニエリが制作した80年名作『TO CHI KA』を20年ぶりに再現する、いや同作をフォロウする日本ツアーを同様のメンバーで今に持ってこようとする出し物。ヴァイブラフォンのマイク・マイニエリ(サイド・ギターならぬ、サイド・ヴァイブと言った感じの演奏にはかなり感心させられた。都会性がすうっと出る。やっぱ、才あるんだ)、キーボードのウォーレン・バンハート、ベースのマーカス・ミラー(2010年9月3日、他)、ドラムのオマー・ハキム(2010年9月1日、他)という顔ぶれによる。MCによれば、マーカスと竹馬の友であったハキムはスティーヴ・ジョーダン(2006年12月22日、他)の代役で、その来日ツアーが初の華々しい活動だったよう。渡辺は「マイニエリは尊父のような存在で、ハキムは可愛い息子のよう」なんても、言っていたか。当時フリー・ジャズやブラック・ジャズは片手間に聞いていても、フュージョンにはほとんど触れていなかったぼくではあったが、同作のリード曲「ユニコーン」はリアルタイムで耳馴染み。というのも、当時オーディオ・コンポのTV-CMに使われ、本人も画面に登場していたから。飲み屋で隣のおじさんからまじまじと見つめられたりして、(お茶の間に顔を出した)あの頃は恥ずかしかった、なんて、彼は言っていたこともあったはず。サイド・メンは本当に20年ぶりに演奏する曲だろうが、きっちり重なる。それなりにリハもやったのだろうけど、みんなプロ。それは『Tochika』の真価や20年という時の流れの襞を浮かび上がらせるものでもあったか。とともに、あの頃の渡辺はかっとぶ鮮烈ギタリストとというだけでなく、ギターの素敵を出しまくれる好フックを持つ曲や美曲を作れる作曲家として冴えまくっていたのではないか、なんてことも、ぼくはこの晩の演奏に触れて思った。
トリはザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)。喉を潤したくて目がかすんできたので、退出。いっぱいライヴ見たなー。
2007年アルバム・デビューの英国ロック・バンド、フェスを含め2、3度来日しているはずだが、ぼくは今回初めて見る。渋谷・クラブクアトロ。客層、若い〜。
妖艶ロック味と刹那的ダンス衝動を繋いだデビュー作1枚できっちりと立ち位置を確保した彼らの、やっとリリースされた2作目発表後のライヴ。補助キーボード奏者を入れた5人による実演で、声質の似たベース奏者とシンセ奏者がけっこうユニゾンで歌う。へえ、それだと押し出しは強くなり、無理なく歌力をアピールできるよなー。それに噛み合うように、演奏も凝ってはいないが十分に歌を支え、聞き手を鼓舞する。実は彼らについては、ヘタくそという物言いもあったわけだが、ほぼ生音で勝負したはずのこの晩のライヴはかなりまっとうなものであり、客の熱い受け方もアリだなと感じた。発散のロックの美学、なんて書くと大げさだけど、そういうものを、彼はちゃんと出していたもの……。
妖艶ロック味と刹那的ダンス衝動を繋いだデビュー作1枚できっちりと立ち位置を確保した彼らの、やっとリリースされた2作目発表後のライヴ。補助キーボード奏者を入れた5人による実演で、声質の似たベース奏者とシンセ奏者がけっこうユニゾンで歌う。へえ、それだと押し出しは強くなり、無理なく歌力をアピールできるよなー。それに噛み合うように、演奏も凝ってはいないが十分に歌を支え、聞き手を鼓舞する。実は彼らについては、ヘタくそという物言いもあったわけだが、ほぼ生音で勝負したはずのこの晩のライヴはかなりまっとうなものであり、客の熱い受け方もアリだなと感じた。発散のロックの美学、なんて書くと大げさだけど、そういうものを、彼はちゃんと出していたもの……。
ラリー・グラハム&ザ・グラハム・セントラル・ステーション
2010年9月9日 音楽 昨年見たの公演の中で一番ぼくが感激し、昇天しちゃったのが、ブライアン・カルバートソンのショウの特別ゲストで出たグラハムのパフォーマンス(2009年9月29日)。もう、思い出しただけでも、カアっとなる。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
唯一無二の御大に加え、ギター、2キーボード、ドラム、女性コーラスという布陣。グラハムはここんとこ12年間はミネアポリス(プリンスん家の隣)に住んでいるが、他の人は皆オークランド在住とか。イエイ。あら、モニターの上にはデカい時計がおかれている。許される範囲内で目一杯長くやりましょうという配慮のもとか。そういえば、90年代前半の来日公演(そうだ、mimi;2006年12月16日他がメンバーだったんだ)は3時間たっぷりやったしな。でも、今でも彼は事情が許せば、3時間のショウをやるという。蛇足だが、ミネアポリスに住む前の7年間は家族とともに、ジャマイカに居住。日本公演をやってしばらくして、彼は音楽界を離れ、聖書の解説/販売のためにカリブ海の島に住んだのだった。
ファンクのオン・パレード。誠心誠意の、正のミュージシャンシップ行使のてんこ盛り。80年代中期にはバラーディアーとして天下もとった彼だが、そんなの見向きもせず(?)、立った曲を次から次へと繰り出して行く。前回やった事を自己バンドで2倍強の長さで届けたという感じか。終盤、もう一人派手なアクションをかます女性が出てきて、誰かなあと思ったら……。翌日、取材して判ったのだが、それは彼の奥さん。ほんと仲良さそうで、彼女もちゃんと旦那の事を理解していて、という感じで、ぼくが知るミュージシャン夫婦のなかではもっともいい感じのカップルなんじゃないだろうかと思った。服はいっぱい持ってきているそう。オフはまた善人かつ、クールなお人でした。ポっ。
唯一無二の御大に加え、ギター、2キーボード、ドラム、女性コーラスという布陣。グラハムはここんとこ12年間はミネアポリス(プリンスん家の隣)に住んでいるが、他の人は皆オークランド在住とか。イエイ。あら、モニターの上にはデカい時計がおかれている。許される範囲内で目一杯長くやりましょうという配慮のもとか。そういえば、90年代前半の来日公演(そうだ、mimi;2006年12月16日他がメンバーだったんだ)は3時間たっぷりやったしな。でも、今でも彼は事情が許せば、3時間のショウをやるという。蛇足だが、ミネアポリスに住む前の7年間は家族とともに、ジャマイカに居住。日本公演をやってしばらくして、彼は音楽界を離れ、聖書の解説/販売のためにカリブ海の島に住んだのだった。
ファンクのオン・パレード。誠心誠意の、正のミュージシャンシップ行使のてんこ盛り。80年代中期にはバラーディアーとして天下もとった彼だが、そんなの見向きもせず(?)、立った曲を次から次へと繰り出して行く。前回やった事を自己バンドで2倍強の長さで届けたという感じか。終盤、もう一人派手なアクションをかます女性が出てきて、誰かなあと思ったら……。翌日、取材して判ったのだが、それは彼の奥さん。ほんと仲良さそうで、彼女もちゃんと旦那の事を理解していて、という感じで、ぼくが知るミュージシャン夫婦のなかではもっともいい感じのカップルなんじゃないだろうかと思った。服はいっぱい持ってきているそう。オフはまた善人かつ、クールなお人でした。ポっ。
フェリックス・キャヴァリエ
2010年9月10日 音楽 アトランティック・レコードは、かつて黒人音楽を送り出すレーベルだった。そんなアトランティックにとって初の白人アーティストが66年にデビューしたザ・ヤング・ラスカルズで、キャヴァリエはその中心人物だったシンガー/キーボード奏者。ザ・ヤング・ラスカルズはとってもソウル・オリエンテッドな音楽性を持っていたことで、アトランティックは契約することに踏み切ったわけだが、キャヴァリエはずっと“ブルー・アイド・ソウル”と呼ばれる語彙の代表者でありつづけている名士ですね。近年、彼はザ・MGズ(2008年11月24日)のスティーヴ・クロッパー(2009年7月19日、他)との双頭名義作を2枚、新生スタックスからリリースしている。
キーボードを弾きながら歌う彼(ハモンド・オルガン演奏はさすがの味を持つ)に加えて、ギター、ベース、ドラム、女性コーラス(キャヴァリエの娘さん)という布陣にてパフォーマンス。けっこうまとまっていて、この編成で普段ライヴをやっているのかと思わせる。当のキャヴァリエはそんなに老けていなくてスタックス発アルバムを聞いても判るように、喉が衰えていない。その歌はスティーヴ・ウィンウッドと結構似ているナと思わせたりするのだが、今回の生だとなんかフィル・コリンズを思い出させたりも。なんにせよ、黒人音楽に耽溺した白人のワビサビをたたえたその歌は、それだけでお金が取れる。演目はザ・ヤング・ラスカルズの曲が比率的には高かったはずだが、随所でオーティス・レディング曲やモータウン曲やマイケル・ジャクソン曲など著名ソウル曲断片を挟み込んだりも。また、終盤にジミ・ヘンドリックスやアトランティック・レコードの白人後輩であるレッド・ツェッペリンのカヴァーもやる。ザ・ヤング・ラスカルズも60年代後半に入るとサイケ・ロック色を強めたりもしたが、そのうれしそうなカヴァー披露に触れて、キャヴァリエはアート・ロック(60年代後半の意気揚々なロック勢に昔用いられたターム)隆盛に一役買ったという自負を持っているのかもナと、ぼくは感じたのだった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
キーボードを弾きながら歌う彼(ハモンド・オルガン演奏はさすがの味を持つ)に加えて、ギター、ベース、ドラム、女性コーラス(キャヴァリエの娘さん)という布陣にてパフォーマンス。けっこうまとまっていて、この編成で普段ライヴをやっているのかと思わせる。当のキャヴァリエはそんなに老けていなくてスタックス発アルバムを聞いても判るように、喉が衰えていない。その歌はスティーヴ・ウィンウッドと結構似ているナと思わせたりするのだが、今回の生だとなんかフィル・コリンズを思い出させたりも。なんにせよ、黒人音楽に耽溺した白人のワビサビをたたえたその歌は、それだけでお金が取れる。演目はザ・ヤング・ラスカルズの曲が比率的には高かったはずだが、随所でオーティス・レディング曲やモータウン曲やマイケル・ジャクソン曲など著名ソウル曲断片を挟み込んだりも。また、終盤にジミ・ヘンドリックスやアトランティック・レコードの白人後輩であるレッド・ツェッペリンのカヴァーもやる。ザ・ヤング・ラスカルズも60年代後半に入るとサイケ・ロック色を強めたりもしたが、そのうれしそうなカヴァー披露に触れて、キャヴァリエはアート・ロック(60年代後半の意気揚々なロック勢に昔用いられたターム)隆盛に一役買ったという自負を持っているのかもナと、ぼくは感じたのだった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
エクストリーム・ナイトVol.15
2010年9月11日 音楽 定期的に開かれているインプロ系てんこもりイヴェント、渋谷・青い部屋。ここでやるのは今回が最後で、次からは別の会場で開かれるという。主催者のBar Isshee(2010年5月12日、他)店主の石田さんの思いつきで参加者は呼ばれ、組み合わされるよう。だから、そんなに事前リハは行われてないはずだが、担い手がちゃんとしていれば、即興音楽ならなんも問題ないですね。
4つの組み合わせが披露される。1番目は当の石田俊一(電気ベース)率いるギター・トリオのFilth と、歌+αのヒグチケイコ(2010年5月15日)が渡り合う。続く2つも女性ヴォーカリストが絡むもので、次は蜂谷真紀(2009年1月8日、他)+キーボードの坂口光央+ウッド・ベースの瀬尾高志+ドラムの湊雅史(2007年1月8日) という単位。実にいけてるフリー・ジャズ演奏に蜂谷がもうグイ乗りで挑み、反応し合う。蜂谷、声でけ〜。彼女、真夜中に西荻でまたギグをやるそうな。すげー。
3番目は歌のイーヨ+アコーディオンの佐藤芳明(2009年10月8日)+ギターの大島輝之(2006年10月19日)+ドラムの千住宗臣 (2009年10月31日、他)という組み合わせ。不思議ちゃんヴォーカルがちょい演奏陣と合わなかったような。そして最後は、ドラムの山本達久(2010年6月7日、他)+ギターの内橋和久 (2009年9月27日、他)のデュオ。それぞれに自分の個とつながる即興表現ヴァリエーションを山ほど持っていて、それを無理なく、効果的に繰り出しあう。エフェクター経由の内橋のギター表現の幅の広さはひきつけられるな。
4つの組み合わせが披露される。1番目は当の石田俊一(電気ベース)率いるギター・トリオのFilth と、歌+αのヒグチケイコ(2010年5月15日)が渡り合う。続く2つも女性ヴォーカリストが絡むもので、次は蜂谷真紀(2009年1月8日、他)+キーボードの坂口光央+ウッド・ベースの瀬尾高志+ドラムの湊雅史(2007年1月8日) という単位。実にいけてるフリー・ジャズ演奏に蜂谷がもうグイ乗りで挑み、反応し合う。蜂谷、声でけ〜。彼女、真夜中に西荻でまたギグをやるそうな。すげー。
3番目は歌のイーヨ+アコーディオンの佐藤芳明(2009年10月8日)+ギターの大島輝之(2006年10月19日)+ドラムの千住宗臣 (2009年10月31日、他)という組み合わせ。不思議ちゃんヴォーカルがちょい演奏陣と合わなかったような。そして最後は、ドラムの山本達久(2010年6月7日、他)+ギターの内橋和久 (2009年9月27日、他)のデュオ。それぞれに自分の個とつながる即興表現ヴァリエーションを山ほど持っていて、それを無理なく、効果的に繰り出しあう。エフェクター経由の内橋のギター表現の幅の広さはひきつけられるな。
越境と創意をすばらしく美的感覚に満ちた形で聞かせるピアニストの橋本一子(2009年11年19日、他)の、ストリング・カルテットと重ならんとした公演。弦担当は金原千恵子ストリング・カルテット、そこにこれまた越境し漂える驚異のシンガーである橋本眞由己が重なったり、橋本と現在はUb-X(2006年10月25日)という名前で活動している縦ベースの井野信義(2005年8月19日)とドラムの藤本敦夫(少し前に『どこにもないランド』という、マルチ奏者である美点が生きた歌モノ主体アルバムを出した。多彩な興味と音楽経験が活かされた、笑顔の“なんちゃって”が弾む小品が20曲以上入った玩具箱的作品。解き放たれたしなやかなさやお茶目さが横溢)が入ったり。20年以上前に書いたスコアを元にするものもあるようだが、楽譜を整えたり、リハやったり大変だろうな。と、少し思う反面、実演には歓びや輝きが満ちているので、心地よい刺激を受けつつ、なんのストレスもなく、うっとりと聞いちゃうわけだが。しかし、きっちり自分の考える研ぎすまされた(と言いつつ、ストリングを介する表現は十分にメロウで浸り易くもある)大人の音楽を毅然と押し出そうとする姿勢には感服至極……。
渋谷・Jzブラット。バー・カウンターの後ろにステージの模様が映されるのだが、橋本の手元もちょくちょく映されていて、興味深い。大昔、モーション・ブルーの菊地雅章公演でも終始手元がステージ背景に映し出されて膝を打った事はあったが。なぜ、ステージの絵が映し出せる会場はもっと積極的に客席側から見えにくい奏者の手元を見せてあげようとしないのか。音楽によってはそれが味わいを減らす場合もあるかもしれないが(奏者によっては映されるのを嫌がる人もいるかもしれないが、基本そういう担い手はライヴ・アーティストとしては淘汰されるべき)、大方はその方がその場で送り出される音楽をリアルに感じ取れるはず。旧来の送り方をのうのうと踏襲せず、もっと音楽ヴェニューは実演提供の改新を模索してもいいのではないか。
渋谷・Jzブラット。バー・カウンターの後ろにステージの模様が映されるのだが、橋本の手元もちょくちょく映されていて、興味深い。大昔、モーション・ブルーの菊地雅章公演でも終始手元がステージ背景に映し出されて膝を打った事はあったが。なぜ、ステージの絵が映し出せる会場はもっと積極的に客席側から見えにくい奏者の手元を見せてあげようとしないのか。音楽によってはそれが味わいを減らす場合もあるかもしれないが(奏者によっては映されるのを嫌がる人もいるかもしれないが、基本そういう担い手はライヴ・アーティストとしては淘汰されるべき)、大方はその方がその場で送り出される音楽をリアルに感じ取れるはず。旧来の送り方をのうのうと踏襲せず、もっと音楽ヴェニューは実演提供の改新を模索してもいいのではないか。
ハラール・ハウゴーwithヘレーネ・ブルーム
2010年9月15日 音楽 日本に何度も来ていたハウゴー&ホイロッップ(2005年12月10日、2008年12月13日)の1/2、育ち良さそうなフィドル青年を中心とするショウ。渋谷・クラブクアトロ。彼に加えて男性ギター/マンドリン奏者、女性チェロ奏者、そしてハウゴーが可愛がっている歌/ギター/フィドルのヘレーネ・ブルームという女性が加わって華を添えたりも。みんなデンマーク人のよう。で、清らかなトラッド〜ケルト系フォークといったアコースティック表現を細やかに編み上げる。ハウゴーのフィドルの艶やかさ/まろみは相当なもん、と、改めて思う。それを認知し、これまでそれほどデンマークに行きたいと思ったことはないが、行ったら心地良さそうだなと思えたりもしたか。
2部構成のショウ。1部ではハンバート・ハンバート(2009年10月7日、他)、2部では大貫妙子(2009年1月16日、他)が入って部分的にデンマーク勢と絡む。ちょっと一緒にやってみましたという水準を超えた細やかな重なり方にも、デンマーク勢の真摯さが表れる。でもって、ジャズ的なインタープレイという文脈とは別のところで、他者と敷居低く協調できちゃったり、歩み寄り合ったりできちゃうのが、フォーク・ミュージックの美点なのだと思わせられた。
また、大貫はアンコールで、日本の古い歌「この道」(作詞/北原白秋、作曲/山田耕筰)を、ハウゴーたちをバックに歌う。ヘレーネ・ブルームも歌で加わる。すうっと時間が止まる。うわああ、耳に自然に入る歌詞も含め、いい歌なんだあ。なんか、感じ入ってしまったな。そして、それが地域/文化違いの担い手たちが重なって無理なく重なり、新たに開かれる風情のいい感じといったなら。先(2010年8月24日)の「上を向いて歩こう」もそうだが、トップ級にイケてる日本の歌なのではとも酔っぱらった頭で思った。流れた先に博識な方がいて、山田耕筰は軍歌や校歌なんかもいろいろ作っていたそうだが、ちゃんと海外で学んだクラシック畑の御仁だと知る。でもって、お金と女性にきれいではない、山っけたっぷりの人だったんだよとも教えられる。そうなのか。なんにせよ、この晩の「この道」はぼくの胸にするりと入り、大きな波紋を残したのは間違い。ぼくにとってのこの晩のハイライトは、間違いなくこの曲を披露した場面でした。
2部構成のショウ。1部ではハンバート・ハンバート(2009年10月7日、他)、2部では大貫妙子(2009年1月16日、他)が入って部分的にデンマーク勢と絡む。ちょっと一緒にやってみましたという水準を超えた細やかな重なり方にも、デンマーク勢の真摯さが表れる。でもって、ジャズ的なインタープレイという文脈とは別のところで、他者と敷居低く協調できちゃったり、歩み寄り合ったりできちゃうのが、フォーク・ミュージックの美点なのだと思わせられた。
また、大貫はアンコールで、日本の古い歌「この道」(作詞/北原白秋、作曲/山田耕筰)を、ハウゴーたちをバックに歌う。ヘレーネ・ブルームも歌で加わる。すうっと時間が止まる。うわああ、耳に自然に入る歌詞も含め、いい歌なんだあ。なんか、感じ入ってしまったな。そして、それが地域/文化違いの担い手たちが重なって無理なく重なり、新たに開かれる風情のいい感じといったなら。先(2010年8月24日)の「上を向いて歩こう」もそうだが、トップ級にイケてる日本の歌なのではとも酔っぱらった頭で思った。流れた先に博識な方がいて、山田耕筰は軍歌や校歌なんかもいろいろ作っていたそうだが、ちゃんと海外で学んだクラシック畑の御仁だと知る。でもって、お金と女性にきれいではない、山っけたっぷりの人だったんだよとも教えられる。そうなのか。なんにせよ、この晩の「この道」はぼくの胸にするりと入り、大きな波紋を残したのは間違い。ぼくにとってのこの晩のハイライトは、間違いなくこの曲を披露した場面でした。
キャミオ。ザ・サウンド・スタイリスティックス
2010年9月17日 音楽 スワンプ・ドッグでもいいし、ジョニー・ギター・ワトソンでもいいし、チャールズ・ミンガスでもいい。ツっぱって、自分の音楽/領域を持ったアフリカン・アメリカンには変てこさ〜強固な個性と表裏一体のクールネスをたたえた人が散見されのは間違いない。ちゃんと見えているからこそ、ストリートに根ざしたところで頭が切れるからこそ、彼らは一見突拍子もない諧謔を伴った蛮行(それは、良質のエンターテインメント感覚に転化する場合が多い)に撃って出て、それは妙味と視点ある音楽として花開く。やはり、それを導く最大の要因は白いアメリカのカラードに対する差別であるのか。
70年代後半から80年代にかけてきっちり天下を取っていたキャミオを率いるラリー・ブラックモンもまた、酔狂さ/マンガの奥に抗しがたいクールネスを感じさせる人物だ。アトランタ・アーティスツという事務所を持っていた(いや、今も持っているのかな?)彼は、90年前後に同社の日本部門を設立したがっていて(日本人ソウル系アクトを制作したり、サポート奏者を仕出しするという、目論みを持っていた。結局、実現しなかったはず)、公演とは別に複数回来日した事があった。そうしたおり、一度インタヴューする機会を得たが、趣味の良いチェックのシャツを着た彼はこなれた黒人エグゼクティヴ感覚がむんむん。ステージでの姿との落差は清々しいぐらい大アリ。そして、きっりちと視点(と、確かな音楽知識。彼はブラック・ミュージックのメインストリームの変遷にも確かな見識を持っていた)を抱えて音楽活動にあたっているのが手に取るように判る発言を連発してくれたっけ(←そういう人が繰り出すファンクだけに、アンダーワールドのカール・ハイドも大好きだったはず。2010年6月24日、参照)。その尽きぬ意欲の様に、すでにちゃんとエスタブリッシュされているのに凄いですねみたいなことをぼくが言うと、「いや、マイケル・ジャクソンみたいな成功を収めないと、成功したとは言えない」と、真顔で答えたのは印象に残っている。で、彼はまだまだ上昇していくはずと思っていたら、すうっと前線から消えてしまったんだよなー。
丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。個人的には、90年代初頭に横浜で公演をやったとき以来(きっちりショウアップされていたはずの実演のことよりも、帰りに車に乗せてほしいという人が複数いて定員オーヴァーで東京に戻ってきたこと、第3京浜をおりてからの深夜の環八がハンパなく渋滞していたことのほうが、鮮明に覚えているなー)見るキャミオのショウ。ステージ後方に位置するドラマーと二人のキーボード以外、フロントに立つ2ヴォーカル、2ギター、ベースは全盛期の顔ぶれ。もう、ぼくはジミ・ヘンドリックス耽溺野郎のチャーリー・シングルトン(昔は、左利き用のストラトを逆さにして、弾いていた。右利き用ギターを逆さにして弾いていたサウスポーのヘンドリックスの逆ですね。関係ないけど、ブラック・ロック・バンドの24-7スパイズのギタリストはヘンドリックスとエディ・ヘイゼルの名を取り、ジミ・ヘイゼルと名乗っている)がいるだけで大盛り上がり。そのシングルトンは右利き用のギターを持っていたものの、それはバンジョーをサイバーに加工したような特注ギター。でもって、メタリックの仮面をしつつ、上半身ははだけていて、ツっぱった変な黒人度数はぜんぜん衰えておらす、感激。演奏はヘンドリックス調ギター・ソロをとってもいたって危なげない常識的演奏でガッカリさせてくれたが。当のブラックモンはあんまし老けたという感じはないが、少し太っていた。股間にはかつてのトレードマークであった赤色のカップを未だ付ける。また、ベースのアーロン・ミルズは頭に王冠をつけていて、ベース・ソロは首の後ろにジミ・ヘンドリックスのようにベースを回し、涼しい顔して手弾き演奏をする。おお、ベースでそういうことをやる人を見るのは初めてのような。拍手。
演奏曲は当然、ヒット曲群連発。それをノンストップ気味に、開いて行く。ちょいスロウ目の曲にはホーン音が欲しいと感じたりもしたが、すうっとマイルズ・デイヴィスのミュート音が聞こえてくる気がした局面も。それ、88年作『マチズモ』にデイヴィスが客演していた事実が頭にあるからか。ブラックモンの父親が体つき貧相コンプレックスだったデイヴィスのボクシングの先生をしていたことがあって、両者は顔見知りであることから、その共演は実現したんだっけか。演奏時間は60分ちょうどで、アンコールはなし。ブラックモンが“ナショナル・アンセム”と言ってやった「ワード・アップ!」が最後の曲。アメリカの「名前のない馬」と並ぶ、史上最も単純な構造を持つ(ある意味、魔法が働いている)大ヒット曲。さすが、このあたりで場内はほぼ総立ちになったが、このハコのブラック・アクト系オーディエンスには珍しく、お客さんはけっこうおとなし目。こういうときもあるんだァという感じ。
この後に南青山・ブルーノート東京で見たUKインスト・バンドのザ・サウンド・スタイリスティックスは知名度ということにかけてはキャミオの足元にも及ばないが、熱心な聞き手がついているのか、最初から客席側がわいていたな。
英国のセッション系奏者が集まっているんだろう、6管(2トロンボーン、2トランペット、2サックス〜うち、一人はバリトンを多用)を持つ大所帯バンド。打楽器奏者を除いては皆30代か。MCは手慣れた感じでトランペット奏者がするが、タイト&ファンキーなビートのもと、菅のセクション音が屈託なく踊る様には、難しいこと考えることなく、のせられる。テナー・サックス、キーボード、ギター、ベース、ドラムあたりはなかなかの手練。イギリス人もやるな。好ファンク曲の要素を上手く抽出した(たぶん)オリジナル曲をやるなか、ジャクソン5の「ウォント・ユー・バック」とアイズリーズの「イッツ・ユア・シング」のメドレーも。前者は少し手を加え過ぎで、少し気持ち悪かった。
70年代後半から80年代にかけてきっちり天下を取っていたキャミオを率いるラリー・ブラックモンもまた、酔狂さ/マンガの奥に抗しがたいクールネスを感じさせる人物だ。アトランタ・アーティスツという事務所を持っていた(いや、今も持っているのかな?)彼は、90年前後に同社の日本部門を設立したがっていて(日本人ソウル系アクトを制作したり、サポート奏者を仕出しするという、目論みを持っていた。結局、実現しなかったはず)、公演とは別に複数回来日した事があった。そうしたおり、一度インタヴューする機会を得たが、趣味の良いチェックのシャツを着た彼はこなれた黒人エグゼクティヴ感覚がむんむん。ステージでの姿との落差は清々しいぐらい大アリ。そして、きっりちと視点(と、確かな音楽知識。彼はブラック・ミュージックのメインストリームの変遷にも確かな見識を持っていた)を抱えて音楽活動にあたっているのが手に取るように判る発言を連発してくれたっけ(←そういう人が繰り出すファンクだけに、アンダーワールドのカール・ハイドも大好きだったはず。2010年6月24日、参照)。その尽きぬ意欲の様に、すでにちゃんとエスタブリッシュされているのに凄いですねみたいなことをぼくが言うと、「いや、マイケル・ジャクソンみたいな成功を収めないと、成功したとは言えない」と、真顔で答えたのは印象に残っている。で、彼はまだまだ上昇していくはずと思っていたら、すうっと前線から消えてしまったんだよなー。
丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。個人的には、90年代初頭に横浜で公演をやったとき以来(きっちりショウアップされていたはずの実演のことよりも、帰りに車に乗せてほしいという人が複数いて定員オーヴァーで東京に戻ってきたこと、第3京浜をおりてからの深夜の環八がハンパなく渋滞していたことのほうが、鮮明に覚えているなー)見るキャミオのショウ。ステージ後方に位置するドラマーと二人のキーボード以外、フロントに立つ2ヴォーカル、2ギター、ベースは全盛期の顔ぶれ。もう、ぼくはジミ・ヘンドリックス耽溺野郎のチャーリー・シングルトン(昔は、左利き用のストラトを逆さにして、弾いていた。右利き用ギターを逆さにして弾いていたサウスポーのヘンドリックスの逆ですね。関係ないけど、ブラック・ロック・バンドの24-7スパイズのギタリストはヘンドリックスとエディ・ヘイゼルの名を取り、ジミ・ヘイゼルと名乗っている)がいるだけで大盛り上がり。そのシングルトンは右利き用のギターを持っていたものの、それはバンジョーをサイバーに加工したような特注ギター。でもって、メタリックの仮面をしつつ、上半身ははだけていて、ツっぱった変な黒人度数はぜんぜん衰えておらす、感激。演奏はヘンドリックス調ギター・ソロをとってもいたって危なげない常識的演奏でガッカリさせてくれたが。当のブラックモンはあんまし老けたという感じはないが、少し太っていた。股間にはかつてのトレードマークであった赤色のカップを未だ付ける。また、ベースのアーロン・ミルズは頭に王冠をつけていて、ベース・ソロは首の後ろにジミ・ヘンドリックスのようにベースを回し、涼しい顔して手弾き演奏をする。おお、ベースでそういうことをやる人を見るのは初めてのような。拍手。
演奏曲は当然、ヒット曲群連発。それをノンストップ気味に、開いて行く。ちょいスロウ目の曲にはホーン音が欲しいと感じたりもしたが、すうっとマイルズ・デイヴィスのミュート音が聞こえてくる気がした局面も。それ、88年作『マチズモ』にデイヴィスが客演していた事実が頭にあるからか。ブラックモンの父親が体つき貧相コンプレックスだったデイヴィスのボクシングの先生をしていたことがあって、両者は顔見知りであることから、その共演は実現したんだっけか。演奏時間は60分ちょうどで、アンコールはなし。ブラックモンが“ナショナル・アンセム”と言ってやった「ワード・アップ!」が最後の曲。アメリカの「名前のない馬」と並ぶ、史上最も単純な構造を持つ(ある意味、魔法が働いている)大ヒット曲。さすが、このあたりで場内はほぼ総立ちになったが、このハコのブラック・アクト系オーディエンスには珍しく、お客さんはけっこうおとなし目。こういうときもあるんだァという感じ。
この後に南青山・ブルーノート東京で見たUKインスト・バンドのザ・サウンド・スタイリスティックスは知名度ということにかけてはキャミオの足元にも及ばないが、熱心な聞き手がついているのか、最初から客席側がわいていたな。
英国のセッション系奏者が集まっているんだろう、6管(2トロンボーン、2トランペット、2サックス〜うち、一人はバリトンを多用)を持つ大所帯バンド。打楽器奏者を除いては皆30代か。MCは手慣れた感じでトランペット奏者がするが、タイト&ファンキーなビートのもと、菅のセクション音が屈託なく踊る様には、難しいこと考えることなく、のせられる。テナー・サックス、キーボード、ギター、ベース、ドラムあたりはなかなかの手練。イギリス人もやるな。好ファンク曲の要素を上手く抽出した(たぶん)オリジナル曲をやるなか、ジャクソン5の「ウォント・ユー・バック」とアイズリーズの「イッツ・ユア・シング」のメドレーも。前者は少し手を加え過ぎで、少し気持ち悪かった。
日比谷野外大音楽堂、<渋路宴夜>と題されている。今回はいつもと趣向を変え、ゲスト陣をいろいろ迎えて、それぞれにコラボするといったお膳立てで4時間。サイプレス上野とトロベルト吉野やRINO LATINAⅡやShingo02(2010年5月31日、他)らのラッパー、ヒューマン・ビート・ボクサーの太華、ヴェテラン情念フォーク歌手の三上寛やフォーキーなノリで歌ったザゼンボーイズ(2005年7月16日)の向井秀徳、テニスコーツ(2008年10月9日、他)、ソイル&ピンプ・セッションズ(2009年6月12日、他)の管二人、Keycoや小島真由美ら女性歌手らが前に出て、渋さと絡む。この日のために組まれたみたいなHBY24というアイドル・ユニットのパロディはカラオケにて。「ウィ・アー・フィッシャーマン」や「天城越え」などの渋さの人気ヴォーカル曲もゲストなしで、冒頭のほうでもちろんやる。
きっちりリハをやっているとも思えないが、けっこうソツなく重なる。とともに、特に歌モノのバッキングをやっていると、渋さはやはり腕は立つのだなあとも思わせる。随所でオルガン音が効いているナと感じたが、それは今回の公演に参加(したはずの)エマーソン北村(2005年2月15日)が弾いていたのだろうか。リーダー/コンダクターの不破大輔はマイクを差し出され(テニスコーツのとき?)、少し歌ったりも。彼、マメに絡みを掌握しつつ、途中からは結構出来上がっていた? 観客は前回の日比谷野音のとき(2009年9月27日)より狼藉する人が少な目。それはゲストという中和剤があったため?
きっちりリハをやっているとも思えないが、けっこうソツなく重なる。とともに、特に歌モノのバッキングをやっていると、渋さはやはり腕は立つのだなあとも思わせる。随所でオルガン音が効いているナと感じたが、それは今回の公演に参加(したはずの)エマーソン北村(2005年2月15日)が弾いていたのだろうか。リーダー/コンダクターの不破大輔はマイクを差し出され(テニスコーツのとき?)、少し歌ったりも。彼、マメに絡みを掌握しつつ、途中からは結構出来上がっていた? 観客は前回の日比谷野音のとき(2009年9月27日)より狼藉する人が少な目。それはゲストという中和剤があったため?
外し(自在の羅針盤を持つ、なんて言い方もアリか)&洒脱のインスト系バンドのサケロックで”谷啓”(トロンボーン)をやっている浜野謙太が中央に立ちヴォーカルを取るファンク・バンドのワンマン・ライヴ。こちらでは、ジョン・ベルーシ(cf.「ブルース・ブラザース」)をまっとうしている、な〜んて。新代田・フィーヴァー。2部構成、合わせて1時間半ぐらいの尺か。
ウワサには聞いていたが、なるほどこんなん。うれしく、身体が揺れました。三管とリズム隊(皆、おそろいの格好をしている)をバックに弾ける。キーボードレスの編成、通常ファンクはキーボード付きでなされる場合が多いが、よく整備されたバンド・サウンド(けっこう、曲趣を支えるホーン・アレンジとか感心)に過不足は感じない。JB の美味しいアクセントや癖を拡大抽出し、日本人たる凸凹(確かな語呂/言葉遊びの感覚や振る舞いの機微など)を介してうまく押し出す。浜野の笑えるキャラやMCもあって、しっかりと日本人としてあってしかるべきファンク表現を作っている。あり、大アリですね。「キズ」という曲のAメロというかAラップ部はなんかアヴェレイジ・ホワイト・バンド(2007年11月26日)の「カット・ザ・ケイク」を思い出させた。
1部のほうは、けっこうメロディアスというか、日本のポップス的なメロディを持つミディアムを連発してびっくり。広がりを求める処方としてはよく判るし、やるべき。ながら、そっちの方をやると、浜野の歌もホーン音なども(ファンク曲に比すと)下手に聞こえた。
ウワサには聞いていたが、なるほどこんなん。うれしく、身体が揺れました。三管とリズム隊(皆、おそろいの格好をしている)をバックに弾ける。キーボードレスの編成、通常ファンクはキーボード付きでなされる場合が多いが、よく整備されたバンド・サウンド(けっこう、曲趣を支えるホーン・アレンジとか感心)に過不足は感じない。JB の美味しいアクセントや癖を拡大抽出し、日本人たる凸凹(確かな語呂/言葉遊びの感覚や振る舞いの機微など)を介してうまく押し出す。浜野の笑えるキャラやMCもあって、しっかりと日本人としてあってしかるべきファンク表現を作っている。あり、大アリですね。「キズ」という曲のAメロというかAラップ部はなんかアヴェレイジ・ホワイト・バンド(2007年11月26日)の「カット・ザ・ケイク」を思い出させた。
1部のほうは、けっこうメロディアスというか、日本のポップス的なメロディを持つミディアムを連発してびっくり。広がりを求める処方としてはよく判るし、やるべき。ながら、そっちの方をやると、浜野の歌もホーン音なども(ファンク曲に比すと)下手に聞こえた。
まずは、前回の来日時の記載(2009年8月29日)を見ていただけたなら。あんな事書いたら(って、ことはないけど)、彼はプライドと意気に溢れた出し物をわざわざ用意してきた。編成はトリオ、ラリー・グレイ(ベース)とリオン・ジョイス(ドラム)という、ここのところ不動の顔ぶれによる。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
今回のショウは<Colors-The Ecology of Oneness:A Suite for Jazz and New Media>となづけられた、複合的組曲を披露するもの。オレンジ色や水色や赤といった色と、地球や植物や時間や空や人類とかいった概念を組み合わせた8つの曲からなる完全書き下ろしの曲が悠々と演奏され、ステージ後方には込めた意思を具視化させんとする映像も映される。これ、今回が世界初お披露目とか。入場前には、かなり練られた組曲の説明(先人の言葉もいろいろ引用されている)が印刷されたカラー印刷の説明書が配られたが、それはそうとう気合いを入れ、時間をかけて作られたよう。同チラシには音楽を担当するトリオの3人の名前の他にも、リサーチや能書きや映像を担当する4人の名前も出されている。なるほど。また、公演最終日の10月2日の昼下がりには、今回の組曲にまつわるトーク・ショウを彼は行い、それはユーストリーム(www.ustream.tv/channel/bluenotetokyo)で中継されるという。
過去いろんなことをやってきたことを示唆するようないろんな要素/構成が入ったピアノ・トリオ演奏(ベース奏者の多彩な演奏を聞いても、それは判るだろう)群が流れて行く。あんまり楽譜に頼るという感じはなかったから、相当リハもつんだのではないか。ぶっちゃけ、音楽だけで楽しめといったら、手放しで入り込めない部分もあるかもしれない。能書きだって、感覚一発が善と考える場合が大半のぼくにはよく判んねーやという感じもある。だけど、意欲満々、誠意や問題意識たっぷりに事に当たる姿、何かを伝え作りたいという強い気持ち、大がかり&酔狂なことを出来る境遇のまっすぐな行使の様に、ぼくは大きく頷いた。ルイスはエスタブリッシュされた音楽家として、彼なりに澄んだ姿勢で、落とし前を付けている! そして、こういう人が音楽の深みを増させたり、領域を広げてきたのだとも思ったりした。
ちょうど1時間の組曲を終えた後、そのまま本来はアンコールとして用意されただろうファンキー十八番曲「ザ・イン・クラウド」を披露。そして、アンコールでは、どこかニューオーリンズ・ジャズ調とも言いたくなる感じで開かれた自作「モーメント・スピリチュアル」も、彼らは悠々演奏した。
今回のショウは<Colors-The Ecology of Oneness:A Suite for Jazz and New Media>となづけられた、複合的組曲を披露するもの。オレンジ色や水色や赤といった色と、地球や植物や時間や空や人類とかいった概念を組み合わせた8つの曲からなる完全書き下ろしの曲が悠々と演奏され、ステージ後方には込めた意思を具視化させんとする映像も映される。これ、今回が世界初お披露目とか。入場前には、かなり練られた組曲の説明(先人の言葉もいろいろ引用されている)が印刷されたカラー印刷の説明書が配られたが、それはそうとう気合いを入れ、時間をかけて作られたよう。同チラシには音楽を担当するトリオの3人の名前の他にも、リサーチや能書きや映像を担当する4人の名前も出されている。なるほど。また、公演最終日の10月2日の昼下がりには、今回の組曲にまつわるトーク・ショウを彼は行い、それはユーストリーム(www.ustream.tv/channel/bluenotetokyo)で中継されるという。
過去いろんなことをやってきたことを示唆するようないろんな要素/構成が入ったピアノ・トリオ演奏(ベース奏者の多彩な演奏を聞いても、それは判るだろう)群が流れて行く。あんまり楽譜に頼るという感じはなかったから、相当リハもつんだのではないか。ぶっちゃけ、音楽だけで楽しめといったら、手放しで入り込めない部分もあるかもしれない。能書きだって、感覚一発が善と考える場合が大半のぼくにはよく判んねーやという感じもある。だけど、意欲満々、誠意や問題意識たっぷりに事に当たる姿、何かを伝え作りたいという強い気持ち、大がかり&酔狂なことを出来る境遇のまっすぐな行使の様に、ぼくは大きく頷いた。ルイスはエスタブリッシュされた音楽家として、彼なりに澄んだ姿勢で、落とし前を付けている! そして、こういう人が音楽の深みを増させたり、領域を広げてきたのだとも思ったりした。
ちょうど1時間の組曲を終えた後、そのまま本来はアンコールとして用意されただろうファンキー十八番曲「ザ・イン・クラウド」を披露。そして、アンコールでは、どこかニューオーリンズ・ジャズ調とも言いたくなる感じで開かれた自作「モーメント・スピリチュアル」も、彼らは悠々演奏した。
初めての光景を見た。終盤、名手ライリー(2010年6月16日、他)が袖にいた(のだろう)日本在住ドラマーのトミー・キャンベルを呼び、交代する。ありゃあ。なんでも、腕がつって叩けなくなったという。え、そんなことあるのか。経験豊富なプロフェッショナルなドラマーさえも常軌を逸する負担を抱えずにはいられないほど、ステージ上には熱い何かが渦巻いていたというのか。
気鋭の管楽器奏者をフロントに3人並べ、多くはツイン・ベースで事に当たった新作『バロック』をフォロウする一回こっきりの公演。渋谷・オーチャードホール。大西順子(ピアノ、2007年9月7日、他。マダムな髪型/格好してました)、ジェイムズ・カーター(リード)、ニコラス・ペイトン(トランペット、2010年7月24日)、ワイクリフ・ゴードン(トロンボーン)、レジナルド・ヴィール(ベース、2007年9月7日他)、ハーマン・バーニー(ベース)、ハーリン・ライリー(ドラム)、ローランド・ゲレロ(パーカッション)。バーニー以外はすべてアルバムで弾いていた人、よくぞスケジュールをそろえましたね。
一部チャールズ・ミンガス表現に対する愛をにじませた同作は手練なんだか青いんだかよく判らぬ、でもようやったなーとコックリさせるパワーと醍醐味あふれる仕上がりを見せていたが、それをもとに、再度開き直そうとした実演。もうごんごん、尋常ならぬ何か、ジャズたる凸凹があったのは間違いない。
開演前に、隣の東急本店に開店したマルゼンとジュンク堂のコラボ書店に寄る(HMV渋谷店の閉店と重なるようにできた、という印象をぼくは持つかな)。ほう! 海外に行って、こんな本屋に出あったらドキドキしてずっといるかも。あまり本を必要としないぼくだが、海外に行ったときはけっこう本屋をのぞくよなー。だって、その国の何かに如実に触れることが出来るし、お土産も買えるし。ともあれ、都会に住む恩恵をかなり感じさせる店舗なり。
気鋭の管楽器奏者をフロントに3人並べ、多くはツイン・ベースで事に当たった新作『バロック』をフォロウする一回こっきりの公演。渋谷・オーチャードホール。大西順子(ピアノ、2007年9月7日、他。マダムな髪型/格好してました)、ジェイムズ・カーター(リード)、ニコラス・ペイトン(トランペット、2010年7月24日)、ワイクリフ・ゴードン(トロンボーン)、レジナルド・ヴィール(ベース、2007年9月7日他)、ハーマン・バーニー(ベース)、ハーリン・ライリー(ドラム)、ローランド・ゲレロ(パーカッション)。バーニー以外はすべてアルバムで弾いていた人、よくぞスケジュールをそろえましたね。
一部チャールズ・ミンガス表現に対する愛をにじませた同作は手練なんだか青いんだかよく判らぬ、でもようやったなーとコックリさせるパワーと醍醐味あふれる仕上がりを見せていたが、それをもとに、再度開き直そうとした実演。もうごんごん、尋常ならぬ何か、ジャズたる凸凹があったのは間違いない。
開演前に、隣の東急本店に開店したマルゼンとジュンク堂のコラボ書店に寄る(HMV渋谷店の閉店と重なるようにできた、という印象をぼくは持つかな)。ほう! 海外に行って、こんな本屋に出あったらドキドキしてずっといるかも。あまり本を必要としないぼくだが、海外に行ったときはけっこう本屋をのぞくよなー。だって、その国の何かに如実に触れることが出来るし、お土産も買えるし。ともあれ、都会に住む恩恵をかなり感じさせる店舗なり。