彼らを扱った映画(2010年6月30日)も大好評、どんどん話題を呼んでいるスタッフ・ベンダ・ビリリがただ今ツアー中。東京公演まで待てなくなり(?)、いわき公演に行っちゃう。いわき芸術交流館アリオス・中劇場。この日の公演は17時からで、約1時間40分の公演時間。上野への特急の最終が20時20分(22時36分着。いわき駅と会場は徒歩15分)、なんと公演後に東京に戻る知人がいた。そうか、十分に日帰りできるんだな。

 判っていたつもりだったが、びっくりした。音楽に在する言葉を超えたものに接して、頭が真っ白になり、気持ちが沸騰した。それは、4曲目にやったもっともファンキーな(スラッピング調のベース演奏から始まる!)、後半はよりジェイムズ・ブラウン調になったりする「ジュ・テーム」のとき。ぼくは後ろのほうで最初から立って見ていたのだが、このファンキー曲の途中で、横のほうにいた車椅子の方が拍手しながら立ち上がったのを目撃してしまった。それに触れたとたん、ぼくは胸が一杯になって、グっと来てしまったんだよな。いやー、まいった。

 前に車椅子に乗った5人が位置し、後ろに健常者の3人。楽器はギター(ときに2本)、ベース、ドラム(本当に手作りといった感じ。曲中展開の変化は、ここから合図される場合が多い)、そして世界で一人だけ演奏する(?)サントゲ(一弦のハンド・メイドの楽器)。サウンド面での要を担うベース奏者以外は皆ヴォーカルを取り、曲によってはリードは代わり、ときに所謂ラップもかまされる。……んだが、おお。その肉声の絡みはより重厚かつ多彩になっているし、しっかりたリズム隊に支えられたサウンドがとにかく逞しくもぶっとい。「トンカラ」をはじめ曲は共通する物が多いが、09年までの姿を収めた映画(そして、クラムド発のアルバム)での姿が頭にあると、これは間違いなく驚く。うーぬ、数を重ねた欧州ツアーでどんどんサウンドは強化され、PAの用い方も巧みになり(コンソールを扱う白人くんは2度目の来日で、前回はコノノNo.1;2006年8月26日&27日、で来たそう)、今っぽい輝きや立ちをました表現を送り出すようになっているのは間違いない。アンプリファイドされたサントゲ音もよりパワーアップ、ときにテルミン化している? ホームレスだった彼らはみんな家を買えるようになったそうだが、それがいい方に働いている、という見解がとれる。

 そして、見え方というか、振る舞いもよりアトラクティヴ。思い思いの格好はそれぞれにカッコいいし(車椅子もそれぞれにデコレーションされている。それは、日本の各地のサポーターが各々つくったものだという)、イナセというか、まったくもっていい感じ。で、ステージを走り回り、ときに客席側に降りるサントゲのロジェは当然の事、車椅子の方々も巧みにそれを操り、動きまくる。わあ。それぞれがちゃんと見栄の切り方を知っていて、決まるというか。いや、心からの感情の出し方/他者への振る舞い方を本能として持っていて、それがくっきり受け手に伝わると書いたほうがいいか。

 それから、オーディエンスに大きくアピールしたのは中央メンバーの一人(テオ)の訴求力たっぷりの、大きな手振り。それ、まじにパラパラのごとし。おれ、すんごくパラパラ踊りのことを馬鹿にしましてましたが、今回印象が変わったかも。あ、盆踊り的なフリとも言えるかな。彼をまねて、踊る人多数。それにしても、あれはコンゴの伝統的な何かと結びついてのものか。昨年夏にパリで彼らの事を見た人が言うには、そのときはあそこまで明解な動きは見せていなかったという事だが。やっぱり、彼らは状況の好転とともに、どんどん変わってきているのだと思う。

 会場の前方横のほうにはお立ち台的なスペースがあって、そこでは高校生たちが大盛り上がりで踊りまくっていたこともあり、その両端から高揚のヴァイブは会場に広がって行き、もちろん最後の方は総立ちの体。ぼくの近くにいたご老人も中盤からこりゃたまらんという感じで立ち踊りまくり、かけ声もあげる。いいぞいいぞ。マニアックな音楽ファンだけでなく、初めて接したような人をも見事アゲアゲにする、その純なパワーは本当にすごい。観客のする手拍手はけっこうズレていたりもするのだが、いつもだったらイラっと来そうなそれも、この日はイエイと心から思っちゃう。そんなのビリリの前では、些細な問題。とにもかくにも、聞き手の鎧をといでいく様、ステージと客席側の一体感のあり様には、正の感情いがい持てません。←いやあ、音楽の捉え方が少し変わりそう? 暴言をはくなら、そのサウンドはポリリズムな感覚ももちろん持つから、ズレていてもなんか合ってくるか。それに彼らの雑草のような表現はそれを無理なく飲み込んじゃう。なんか、ライヴの美しい光景を目の当たりにしまくっているという気持ちを、反すうしまくり……。

 音楽の神から祝福されまくった公演だったのだと、痛感。あら、大げさ? 長丁場の日本ツアー、残りは6公演。日比谷野外大音楽度でのアフリカ勢が複数出る<ワールド・ビート>はいったいどうなることやら。メンバーも発する合い言葉は、スタッフ・ベンダ・ビリリ、トレ・トレ・フォール。それ一緒に連呼すると、超ほこらしげな気持ちになる。

 翌日、ベンダ・ビリリは車椅子の子供たちが通う地元の擁護学校(立派な建物だったなあ)に慰問。のぞかせて、いただく。全校生徒が100人ほど集まった体育館で、完全ノー・PAにて、彼らは2曲演奏。「ポリオ」と「ママ・アフリカ」だったけかな。ドラムのモンタナは片手に小さな鳴り物を持つ。かなり音が小さいためか、アンプラグドでもベースの音やサントゲの音は意外に聞こえる。おお、これはこれで貴重なパフォーマンスではあるなあ。とともに、改めて、PAを介しての彼らの起爆力も思い知らされる。生徒たちとの質疑応答ももちろんあり、こういうときリーダーのパパ・リッキーの返事は正しくも含蓄深し。さすが。そして生徒が数グループに分かれての記念写真もし、メンバーは低学年の子供たちをそれぞれ抱いたりもする。その写真が皆の宝物になりますように。その前には、生徒たちが作ったいろんなプレゼントがビリリの面々に贈られたりもした。

 改めて、裸に近いビリリの音に触れられて興味深さを思えるとともに、ハンディを背負った子供たちの元気な姿や、コンゴ勢との交流の様に触れ、いろいろな思いが身体の中で渦巻く。うん、いろいろ考えよう!

 ビリリの控え室になっていたのは、音楽室。交流が終わった後も、面々は嬉々として、そこにある楽器をいじる。音楽発生の原点。ギター、キーボード、電気パーカッション・パッドなど、それらを扱う様を、うれしそうに覗く子も。数年後、この日に受けた衝撃を根におき音楽の才を大きくアピールする人が出て来たなら。。。

 いろんな感慨を受け取ったあと、すぐに雨のなか東京に。気が弾んでいたためかパーキングにはよらず、常磐自動車道/首都高がすいていたためもあり、2時間で家に着く。そして、↑