KAKUBARHYTHM Presents "Weekend Opener!" と副題されていて、音楽プロダクション/レーベルのカクバリズム所属の2人による、ダブル・ビルの公演となる。丸ノ内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。それぞれ、45分づつする。開演は2時45分。このおり席配置は間引きされているとはいえ、平日なのにほぼ満席だった。

 先発は、昨年初アルバム『Triptych』をリリースしている、cero(2016年6月16日)の髙城晶平のソロ・プロジェクト。ギターを手に歌う当人に加え(ある曲の短いソロで、ぶっ壊れ演奏をする。フフ)、アコーディオンやトランペットやコーラスの中山うり、アルト・サックスやフルートのハラナツコ、キーボードとコーラスの伴瀬朝彦、ダブル・ベースの秋田ゴールドマン(2005年7月29日、2007年5月6日、2009年6月12日、2011年1月30日、2011年6月23日、2012年3月3日。2012年9月9日、2015年9月27日、2018年6月2日、2019年7月22日、2019年11月26日、2021年4月25日)、でかい口径のキックやシンバル用いるドラムの光永渉 ( 2019年3月16日)、パーカッションの松井泉 という面々がサポート。なるほど趣味の良い、落ち着いたなかに棘を抱えるポップ・ミュージックを送り出す。

 その新作はもわーんとした現代的と言いたくなる覚醒感が付帯していたが、実演ではそれを出しておらず。すると残念ながら、髙城のヴォーカルが音程を外しているのが気になってしまう。難しい旋律取りをする曲群ではあるのだが。とはいえ、MCはとても好ましい人間性を持っているように思えもし、差し引きチャラと感じた? 細野晴臣曲カヴァーの際は、ダブル・ベース奏者を起用する意義が出ていた。また、ソロとしても活動する中山うりは、結構きいていた。なんにせよ、随所に大人の趣味性の高い興味のゆくえがいろいろな表情を持つ楽曲に昇華されていたのは間違いない。

▶︎過去の、髙城晶平/cero
https://43142.diarynote.jp/201606171730294884/
▶過去の、秋田ゴールドマン/SOIL & “PIMP” SESSIONS
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/
http://43142.diarynote.jp/200705181805330000/
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
https://43142.diarynote.jp/201806051311346158/
https://43142.diarynote.jp/201907230915151851/
https://43142.diarynote.jp/201911270846588562/
https://43142.diarynote.jp/202104270842552952/
▶︎過去の、光永渉
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/

 ステージ上の楽器を転換、20分の間をおいて 二階堂和美(2017年7月8日)と松下マサナオ(2013年8月22日、2017年6月21日、2017年7月8日、2020年1月19日)のデュオが始まる。舞台設定はこのままに、セカンド・ショウは二階堂×松下が先発となるようだ。

 白い不思議目のドレスをまとった二階堂が歌い始めると即、意思が込められた歌が全開。おお、個と力があるとすぐに思ってしまう。その際、松下は手でタムらを叩く。その後、二階堂はベースやギターを手にしながら歌うのだが、二階堂印というしかない、スッコーンと抜けた味が舞いまくり。スキャットをかましたりする一方、和的な色も出したりするのだが、それらはどれも彼女の音楽としての普遍性を求めたものだのだ思わされる。松下はそれらに優しく寄り添う。

 先の髙城晶平の曲で、彼も披露していた「ミッドナイト・ランデヴー」を彼女たちもやる。リハの際、この曲に8割の時間を使ったと言っていたか? このスウィートな情緒を持つ曲の際、ドラムを叩きつつ松下は右手で小鍵盤も抑えた。また、過去共演をしている渋谷毅(2005年12月20日、2011年6月23日、他)がメロディを書き、二階堂が歌詞を書いたというTV用に作ったという曲もあった。

▶︎過去の、二階堂和美
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
▶︎過去の、松下マサナオ/Yasei Collective
http://43142.diarynote.jp/201308251333326263/
https://43142.diarynote.jp/?day=20170621
https://43142.diarynote.jp/?day=20170708
https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
https://43142.diarynote.jp/202104270842552952/
▶︎過去の、渋谷毅
https://43142.diarynote.jp/200512231956580000/
https://43142.diarynote.jp/201107020946473690/

<今日の、アフター>
 コットンクラブに行く際、毎度のように有楽町線有楽町駅から、東京国際フォーラム突っ切って行こうとしたら、地下も地上も封鎖されている。ここ、五輪の何かの競技の会場になっているはずだが、そのため? 地下通路には飲食店が入っているが、休業させるためにお金をはらっているのだろうな。しょうがないのでJR横を歩いて会場に向かったのだが、ハンパな昼下がりに高架下に並ぶ飲食店はけっこうやっていた、しかも、ハッピー・アワーで半額だの、500円で1時間飲み放題とか、魅力的な表示看板が出ている。
 けっこうな降雨。長靴を履いて出かけました。ライヴを見た後は、神楽坂・K-Westに回る。プーさんのラスト・アルバム『花道-The Final Studio Recordings』(Red Hook、2021年)のアナログがあるというので、それを真空管アンプのもと聞きたかった。CDは持っていたものの、そこは……。7,500円の値付けがされた日本流通元を介した帯付きのそれには、ジャケ大のモノクロ写真ブックレットが付いていた。しかし、飲み代はともかく、アルバム1枚に7000円出すのには躊躇すると思うオレって。だって、プールさんだよ。ともあれ、この前人未到の音楽家のプロダクツをリアル・タイムで享受でき、幸運にも3度インタヴューできた僥倖を改めて胸に刻み直す。どういう流れか、その後、セシル・マクビー(1999年11月10日、2018年11月2日)のインディア・ナヴィゲイション盤で、盛りがった。ぼくが行ったとき、お客さんが一人。途中から、お客はぼく一人……。カウンター内には二人。贅沢なり。
▶︎過去の、セシル・マクビー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
https://43142.diarynote.jp/201811031304537727/
 まず、ピーター・バラカンズ・ミュージック・フィルム・フェスティヴァル開催中の角川シネマ有楽町に行く。2015年アメリカ映画「ジャズ・ロフト」(原題:The Jazz Loft According to W. Eugene Smith)を見る。日本とも多大な関わりを持つ写真家のユージン・スミス(1918年12月30日〜1978年10月15日)を題材に置くこの映画の情報は断片的に知っていたが、ほうこんなん。素晴らしいモノクロームの作品だった。フェス日間中にはあと1回上映されて、最終日の15日の最終回(18時20分〜)だ。

 スミスはカンザス州ウィチタ生まれ(ネイティヴ・インディアンの血も少し継ぐ)で、ハタチ頃からニューヨークで写真家として活動をはじめ、第2時世界大戦中は従軍カメリマンとして沖縄にも行き、その後ライフ誌に文章込みの連載を持つなどもして写真ジャーナリストの地位を獲得。そして、1971年から3年間は水俣病の実態を世界に知らせる記録を撮ろうと水俣市に住みもした。

 そんな彼は1957年から1970年ごろにかけて、当初は花屋の問屋街でもあったという6番街にあるアバンダンなビルのロフトに住んでおり、彼はそこから見える風景や事象を撮り、記録マニアであったのだろうテープレコーダーで周りの音〜電話の会話までも〜を録音していた。その一方、スミスはジャズ・エンスーで、彼のロフトを訪れるジャズ・マンを快く迎え、交流やリハの場を与え、当然のことながら彼はそんな面々を撮影したり、演奏を録音していた。この映画は、そうしたスミス周辺のロフト模様(1950年代が中心となる)を材料にする。当時、彼はライフ誌と喧嘩して縁を切っていたが、ロバート・キャパらが設立した権威ある写真家集団であるマグナム・フォトの正会員にもなっていた。

 カーラ・ブレイやフィル・ウッズ(2011年3月26日)、スティーヴ・ライヒら当時出入りしていた音楽家や関連者の証言映像もいろいろ入れられるが、誰が撮ったものかスミスのロフトでの姿を押さえた写真もたくさん出てくる。そう、この映画の主役はまぎれもなくスミスで、彼の人となりも紹介しながら、米国のアートや報道を育んだ環境の一端もわずかだが示唆もする。当時の彼の活動や作品も紹介され、スミスは紙焼きやトリミングには凝りまくる、周到なポスト・プロダクションを介してストーリー・テリングする写真家であったことも語られる。彼、その作業がもっと自在となるデジカメ時代に生きていたら、どうしただろう?

 ハイライトは、セロニアス・モンクが7人の管楽器奏者を擁する10人編成のバンドでライヴ録音された『The Thelonious Monk Orchestra at Town Hall』(Riverside, 1959年) の3週間にわたるリハの模様を伝える終盤のシーン。そのアレンジに寄与したホール・オヴァートンの存在は、これを見るまでぼくは知らなかった。
 
 一人の偏屈な我が道を行くクリエイターと、その周りにいたジャズ・ミュージシャンやジャズ表現のさりげなくも、さりげある交錯……。ロフト・ジャズというとフリー・ジャズ・ムーヴメント流れの1970年代に入ってからの動きを思い浮かべるが、そのずっと前から安く住めるロフトという場はあり、同時代の表現は育まれていたのだ。スミスは1960年代中期まで録音は続けていたようだ。

 なお、ジョニー・デップがスミス役を務める2020年米国/英国映画『Minamata』が9月に日本上映されるのに合わせて、この映画はまた公開される予定もあるようだ。

▶過去の、カーラ・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶︎過去の、フィル・ウッズ
https://43142.diarynote.jp/201103271555032719/

 その後は、近くの丸ノ内・コットンクラブに。セカンド・ショウ。リード奏者の西口明宏(2016年7月21日、2019年1月21日)のリーダー・グループの公演を見る。ピアノのハクエイ・キム (2010年11月26日、2011年2月19日、2011年4月10日、2011年8月6日、2013年9月13日、2020年9月9日 )、エレクトリック・ベースのマーティ・ホロベック (2019年3月16日、2021年4月11日)、ドラムの吉良創太 ( 2021年4月8日)を擁してのもの。実は、そのFOTOSは2管編成を取り、ホロベックと同じく日本に住む豪州人トロンボーン奏者であるジェームス・マコーレーもメンバーだが、帰国して戻ってこれなくなり、この日はカルテットでの演奏となった。面々は、現在ツアー中という。

 西口というとテナー・サックスというイメージを持つが、結構ソプラノ・サックスもこの回は吹く。また、一部フルートも吹いた。オリジナルのもと、気概ある現代ジャズを志向する。ただし、ホロベックがいろんな弾き方(一部エフェクターも通す)のもとエレクトリック・ベースを弾く(実演に触れるたびにいい奏者だと思います)のと、ハクエイ・キムが時々右手でアナログ・シンセサイザーの単音演奏を入れるのは何気に効く。それが普通の今のジャズからもう一つ別な位置に行きたいという感覚を与える。確かな手応えを受けた。

▶︎過去の、西口明宏
https://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
▶︎過去の、ハクエイ・キム
http://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
http://43142.diarynote.jp/201102190813437159/
http://43142.diarynote.jp/201104142208096884/
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
http://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
https://43142.diarynote.jp/202009100827229764/
▶︎過去の、マーティ・ホロベック
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
https://43142.diarynote.jp/202104121207459452/
▶︎過去の、吉良創太
https://43142.diarynote.jp/202104100834546125/

<今日の、あ“—>
 ぼくは予定の管理は、完全アナログ。事あるごとに、小さなカレンダーに予定を書き込む。のだが、なんのこっちゃという記載があって戸惑う。この11日の枠に16時20分と書いて、わざわざその日を囲んである。少し、重要案件? 時間が半端なのは面妖な。まったく、なんの予定か思い出せない。このまま行けば、どこに行くのかも分からないのでスルーするしかないが、はたして? →ワクチン注射の予定でした。もっと早い予約が別に取れたので、そちらはキャンセルしていた。

 ところで、日本と縁がある一人の女性シンガー・ソングライター/ギタリストがお亡くなりになったのを、少し遅れて知った。エレン・マキルウェイン。1945年10月1日〜2021年6月23日。ナッシュヴィル生まれながら宣教師の養子となり、神戸で育ち高校までカナダ系インターナショナル・スクールに通った。そんな彼女は日本のラジオでかかる曲でブラック・ミュージックに目覚めた。帰国後、彼女はアトランタに居住したが、1966年にはNYグルニッジ・ヴィレッジのカフェ・オー・ゴー・ゴーでジミ・ヘンドリックスとお手合わせしたこともあったという。
 たっぷりスライド・バーも用いる土臭かったりサイケだったりするロック盤をポリドール他から10数枚リリース。なんかファンキーでもある、竹を割ったような感覚を抱える人でした。最終作になるのか、自主リリースの『Mystic Bridge』(2007年)はエスノ性やジャズ性も抱えたアーシー盤だった。オーストラリアでは人気でライヴのために結構行ったりもしていたようだが、途中で日本に寄ったこともあったんだろうな。一度、お会いしてみたかった。1987年に、カナダのカルガリーに引っ越していたという。


<New York On Our Mind>
1 Broadway / Diana Krall 『Trust Your Heart』 (GRP,1995年)
2 Indian Summer / Chris Botti 『A Thousand Kisses Deep』 (Columbia,2003年)
3 Monday Night Village Gate / Terumasa Hino ‎『Spark』(Blue Note,1994年)
4 West 42nd Street / Deodato『Whirlwinds』(MCA,1974年)
5イングリッシュマン・イン・ニューヨーク/仲宗根かほる『フラグランス』(M&I,2000年)
6 53丁目のブルース/小曽根真 ザ・トリオ『スリー・ウィッシズ』(ポリドール、1998年)
7 Franklin Avenue / Brad Mehldau 『Largo 』(Nonesuch,2002年)
8 Big City Blues / Gerry Mulligan Concert Jazz Band 『Jazz Masters 36 』(Verve,1961年)
9 Lullaby Of Birdland / Ella Fitzgerald『First Lagy Of Song』(Decca,1958年)
10 Taxi Driver / Terence Blanchard 『Jazz In Film』(Sony,1999年)

<今日の、追記>
 選曲の流れと縛りは、以下のような感じかな。まず、一般性のある〜非ジャズ・リスナーにも興味を持ってもらえるような〜テーマを決める。当然、音のよくない古いものや、フリー・ジャズっぽいものは外される。とともに、フュージョンやヒップホップぽい今様なのもあまり聞かれないというデーターがあるので、考慮に入れる。結果、わりとアコースティックで、メロディ性とジャズをジャズ足らしめる閃きや風情を併せ持つ曲を集めようとするか。現在、曲数は10曲となっている。そして、ソースはジャスラック登録してある曲であるのが必須で、7分以内のものというのが大前提としてある。その後、曲と曲順を決めると、該当曲の入ったCDを現物提出する(→それを用いて、先方でオーディオ・チャンネルで流れるものは作られる)。のだが、この後がなかなか大変でもある。それをJAL側が各レコード会社に使用許諾を求めるのだが、すると許諾がおりない曲が多々あるのだ。契約ライセンスが切れていそうなものははなから選んでいないが、原盤をきっちり持っていそうなものでも許諾がおりない場合が出てきて、そのおりるおりないの傾向はまったく???  今回は最初組んだ曲目の半数がNGとなり、なかなか大変だった。最初の曲順に自信があったりすると、ダメージが大きい。とはいえ、部屋とトランクルームに溜め込んでいるCDが再活用される機会ができて、精神衛生上とても良い。

 ピーター・バラカンズ・ミュージック・フィルム・フェスティバル開催中の角川シネマ有楽町で、ファニア制作の1972年米国映画「アワ・ラテン・シング」を見る。当時のNYサルサの中心レコード会社が作った、ドキュメンタリー調の映画だ。その柱となるのは、1971年8月26日にマンハッタンの中心部にあったダンス・クラブ“チーター”で行われた、ファニア・オールスターズの公演だ。そこ、2000人収容とも言われる。

 ニューヨーク・サルサ、同ラティーノの興隆を切り取る映画だ。これを見たのははるか昔であったが、演奏シーンとともに、スパニッシュ・ハーレムのストリート模様をいろいろと伝える映像に胸が高鳴ったことはよく覚えている。とともに、そんなに映し出される訳ではないが、サルサはダンス・ミュージュックなんだと痛感させられたことも蘇る。とはいえ、多くの詳細は忘れていて、ワワワとなりながら見た。途中にラリー・ハーロウ(1999年8月28日、2014年1月25日、2014年1月28日、2015年1月15日、2016年3月30日)楽団の多数の人を前にする野外コンサートの模様も入れられるが、街頭映像の記憶が強いためか、ぼくはそのことを忘れていた。そのシーンで原始的なかき氷売りをしていたのは、打楽器奏者のレイ・バレットであったのか。また、バタ・ドラムや大きなシェケレ(と言っていいのか)が使われるサンテーリアの儀式も紹介されるが、いろいろ知識を重ねた今こそ分かる部分もいろいろあるナ。

 映画には、ジャズの人気ラジオDJだったシンフォニー・シド(シド・トーリン。1909〜1984年)も出てくる。彼の名前を冠した名テナー・サックス奏者のレスター・ヤング作曲の「ジャンピング・ウィズ・シンフォニー・シド」はスタンダードになっている。ぼくがその曲を知ったのが、ジョー・ジャクソンが『ジャンピン・ジャイヴ』(A&M、1981年)のオープナーに置いたから。彼はラテン・ジャズの紹介にも力を注いだので、その流れの登場だろうか。担い手たちはやはり広く自分たちの音楽が聞かれてほしいと思っていたはずで、そんな彼らにとってシンフォニー・シドはとても歓迎すべき存在であったのは想像に難くない。ちょいワルおやじな感じのシド・トーリンはこの2年後に引退し、フロリダ州で余生を送った。

 ↑というのは、やはり大昔映画を見たときには一切わからなかった事項だが、もう一つ今見て合点がいったのは、サルサがトロンボーンを重用する表現であるということ。ジャズだとまずトランペットやサックスのような音の輪郭のはっきりした楽器が前面に出るところ、サルサでは音の輪郭がメロウで流動的なパッセージを出すトロンボーンがまず主役となる。バリー・ロジャースやウィリー・コローンらの勇士を認め、ぼくはサルサが熱と乖離しないロマンティックな表現なのだと再確認した。

 ファニア共同設立者のジョニー・パチェーコや色男然としたエクトル・ラボーをはじめ、輝ける名手たちに胸高鳴る。最後のメンバー紹介の際のに、出演者の映像が静止画像になるのは格好いい。とかなんとか、その様に触れながら<PCが介在しない時代の、確固としたコミュニティに根ざしたアナログ表現の精華>なんて言い方もぼくはしたくなる。それほどサルサを聞いていないためかもしれないが、ぼくはサルサというと。1971年8月26日録音のファニア・オールスターズの『ライヴ・アット・チーター』をまず思い浮かべる人間だ。

▶過去の、ラリー・ハーロウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm オーシャン・ブルー・ジャズ・フェスティヴァル
http://43142.diarynote.jp/201401271737069409/
http://43142.diarynote.jp/201401291105093975/
http://43142.diarynote.jp/201501161004061742/
http://43142.diarynote.jp/201603310813244084/
▶︎今年の、ジョニー・パチェーコの訃報
https://43142.diarynote.jp/202102161541047237/

<今日の、追記>
 8月26日は、ぼくの誕生日でもある。そして、このファニア・オールスターズのチーターでのライヴが行われた、その1年前の同日には、ジミ・ヘンドリックスのエレクトリック・レディ・スタジオのオープニング・パーティが開かれた。
 グリニッジ・ヴィレッジにある同スタジオはその後もヘンドリックス流れの創造性が宿るスタジオとして稼働し(1977年にはヘンドリックス財団が売却)、今も残っている。1970年9月18日のヘンドリックスの死後、ストーンズやパティ・スミスほか様々な人たちがそのスタジオを用いているが、ぼくはまずスティーヴィー・ワンダーが1970年初頭のクリエイティヴィティ爆発3部作を録ったスタジオとして思い浮かべる。また、1990年後期から2000年代前期にかけてはクエストラヴやジェイ・ZやJ・ディラやジェイムズ・ポイザーらのソウルクエリアンズが拠点とにしていたことも思い出す。面々の手により、エリカ・バドゥやデイアンジェロらの好作が送り出され、いろんな妄想が溢れ出るコモンの『エレクトリック・サーカス』(MCA、2002年)はぼくの中ではいかにもエレクトリック・レディ録音の作品という印象を得ている。当時の華々しいソウル・クエリアンズのプロダクツは同スタジオでのちんたらしたセッションが不可欠なものであった。
 2000年代以降も持ち主が変わるなか同スタジオはミキシング・ルームを併設するなど規模を拡大し、稼働している。その内装はヘンドリックスのモヤモヤを引き継ぐようなサイケデリックなそれが取られているようだ。

 やっとピアニストのアーロン・チューライのライヴが見ることができた。4年前に豪州人ジャズ・ピアニストのポール・グラボウスキー(2017年9月2日、2017年9月5日)絡みで立ち話したことがあって、気にはなっていた。そして、かなりヒップホップに接近したアルバムなども出しトラック・メイカーの活動もしていることは認知していたが、これまで実演を見る機会には恵まれなった。

 パプア・ニューギニア生まれで10代に豪州に移住し、大学でポール・グラボウスキーにピアノを習った人物。その後は、ニューヨークに渡る。そんな彼の(おそらく)デビュー作『Place』(Sunnyside,2003年)はジェイムズ・ジナス(2012年1月13日、2012年3月3日 、2013年9月3日、2014年9月7日、2015年3月3日、2017年9月12日、2018年9月1日)とクラレンス・ペン(2012年12月17日、2013年12月17日、2015年3月5日、2017年6月7日)のリズムに、ティム・リース(2005年7月3日)とスコット・ウェンドルトの2管がのる、視点のある大真面目ジャズ盤だ。そんなニューヨークに居場所を得た彼がどうして日本に来たかは知らないが、もともと大好きだったらしいヒップホップに拠ることで今は異彩を放っている。

 グランド・ピアノを弾く当人に加え、テナー・サックスの吉本章紘 (2020年8月16日)、トロンボーンの治田七海、ベースの須川崇志 (2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日、2020年10月29日、2021年4月6日、2021年4月19日)、ドラムの石若駿 ((2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日、2020年10月29日、2021年4月11日、2021年4月19日)、MCの仙人掌 という面々。頭と途中はインストゥメンタルの曲もあったが、3分の2はラップ入り。うち、1曲はラップ・チームのMONJUの二人も入り、3MCで繰り広げられた。

 スタンダードの「ムーン・リヴァー」から今様メロウなR&Bコード使いに流れる曲もあったが、曲はチューライのオリジナルだったのかな。サウンド自体は全アコースティックで、電気的な処理やPCを介する部分はなし。だが、ラップ入りの場合、今のもう一つの快活な日本のヒップホップ表現となっているわけであり、またクールなジャズ感性、技量もそこからはおおいに透けて見える。いい担い手を括っているし、それぞれのアンサンブルやソロは確か。『VADA TAUDIA』(アポロ・サウンズ、2017年)のようなジャズ・アルバムもあったよなと、そのライヴに触れながら思い出した。

▶︎過去の、アーロン・チューライ
https://43142.diarynote.jp/201709101059289712/ 最後の番外
▶︎過去の、ポール・グラボウスキー
https://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
https://43142.diarynote.jp/201709110824329582/
▶︎過去の、吉本章紘
https://43142.diarynote.jp/202008171907569224/
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
https://43142.diarynote.jp/202104211350032210/
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170621
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▶過去の、ジャイムス・ジナス
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http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/ ハービー・ハンコック
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▶︎過去の、クラレンス・ペン
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▶︎過去の、ティム・リース
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<今日の、追記>
 チューライはしきりに、右手を宙に降ったり、肘の上のほうを抑えたりしていた。それ、右手に違和感を覚えていたから? というのも、途中演奏部が前に出るときに、彼は弾かないときもあったから。ソロもそれほど取ったは言えない。でも、トロンボーン(結構、ソロをフィーチャーされていた)とドラムのデュオの部分があったりとか、それも構成通りであったのかもしれない。ラップが入る曲の場合、須川はすべてエレクトリック・ベースを弾いた。少し後に新宿ピットインのスケジュールには、大友良英とチューライのデュオ公演が入っている。
 ギタリストの笹久保伸(2013年8月29日、2014年5月24日、2014年12月12日、2017年2月4日、2018年6月3日、2019年11月24日、2020年9月18日、2021年2月14日)は6月に、魔法のアルバム『CHICHIBU』(Chichibu、2021年)を出した。それにはブラジルのミュージシャンを中心に米国や日本の逸材たちとも1曲づつデーターの交換を1度だけした(ようは、笹久保のオリジナル曲のギター演奏を送り、それを受けて相手は楽器音や歌を入れて戻した)曲群が収められているが、その作法は大成功していて、ぼくは“魔法の”という形容をつけたくなる。

 『CHICHIBU』に収録されていたモニカ・サルマーゾ(2017年10月8日)との協調曲や、やはり1曲参加していたミナス派ベース奏者/シンガー・ソングライターのフレデリコ・エリオドロ(2018年7月26日)がインスタで発表していた曲なども、笹久保は漂う歌唱つきで披露する。詠唱をするというのは、過去のライヴではなかったことではありますね。また、ペルーのフォルクローレや過去のオリジナル曲なども演奏される。なんにせよ、独特の揺れと引っかかりが高度な次元で折り合うギター演奏はスペシャルにして清新であると痛感させる。

 そして、この晩はトーク・ショウとも銘打たれており、しっかりトークの時間を設けるのかと思いきや、曲間のトークを長めにするのに留める。ぼくは日本人のペラペラ喋るMCがとても苦手(ということは、過去何度も書いている)なのだが、彼は例外。シニカルにして率直、興味深い人間性が現れる彼の話は大好きなんだよなあ。もっと喋っていいとも、思えたもの。37歳の彼だが、40歳までに40枚目となるアルバムを出したいとの発言もあった。次作はまた大きく表現が変わるという話もある……。『CHICHIBU』はちょうど30枚目のアルバムとなる。

 終盤に中学生のころからの付き合いを持つサンポーニャの青木大輔(2020年9月18日)も加わり、一緒にフォルクローレ曲を演奏する。彼も、なにげな実力者。そして、彼も人間として面白そう。30代なかばの彼は携帯を所持していないようだ。

▶過去の、笹久保伸
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https://43142.diarynote.jp/202102151301034903/
▶︎過去の、青木大輔
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▶︎過去の、モニカ・サルマーゾ
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▶︎過去の、フレデリコ・エリオドロ
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<今日の、ココロの揺れ>
 うわー、夏だぁ。という、1日。一杯目のビールがたいそう美味しゅうございました。なんかすべてが、多数が歓迎しない五輪の犠牲になっており(というのは、東京に住んでいると感じさるを得ない)、来週頭からは緊急事態宣言が8月下旬までしかれる。無観客とはいえ、そういう状況下で五輪が開かれるというのはおかしすぎる。コロナに打ち勝てなかったことを、そんなに派手に宣言したいのか。しかし、IOCってのもほんとロクでもないなあ。関係者みんなにバチがあたらないかああ。なんにせよ、再び店舗での酒類販売御法度になるわけであり、また公演にもいろいろと影響を及ばしそう。一緒にキューバに行ったこともあるという笹久保と青木は、7月下旬だか8月に一緒にロードに出るという。それが、ちゃんとできますように。ともあれ、会場で『CHICHIBU』のアナログを購入。それには、うしし。DJするときに使いたいという願望あり。

 画像解像度磨きとオノ セイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日、2016年7月26日、2017年5月7日、2018年6月7日、2018年11月12日、2019年9月27日、2020年9月4日)の5.1チャンネル・サラウンド処理のもと来月にBlu-rayが発表される、1959年米国の著名ジャズ映画「真夏の夜のジャズ(原題:Jazz On A Summer’s Day)」の試写を見る。飯田橋・角川本社ビル。回数は多くないが、今開催中のピーター・バラカンズ・ミュージック・フェスティヴァルでも上映された。

 避暑地でもあったロードアイランド州ニューポートのアクィドネック島で毎夏行われていたジャズ・フェスの1958年の模様を収めたフィルムだ。とっても久しぶりに見たが風情に満ちた映画であり、ある意味アメリカの幸せな時代の、豊かで洒脱な部分を切り取った作品である。上映はシネスコープではなく、いわゆるTV的な画面サイズにて。オリジナルもそうであったのか。なお、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルは一時はニューヨークでも開かれ、日本ビクターが冠についた。また、長野県斑尾でもそのライセンスを受けたジャズ・フェスがずっと持たれたこともあった。

 監督は、広告カメラマンのバート・スターンと映像作家のアラム・アヴァキアンのお二人。アヴァキアンはジャズに理解があったらしいが、スターンはジャズになんの思い入れもなかったと伝えられる人物であり、それが功を奏した作品であったとも言われる。冒頭に出演者たちのクレジットが出されるなか(どのリーダーのサポートかは分からないものの、サイド・マンの名前もちゃんと出される)、ジム・ホール(2005年1月18日、2012年6月4日)入りのジミ・ジュフリーの音楽が流れ、ステージの実写になったと思ったら、演奏は終わる。昼の部の演奏は大げさに言えば、おしなべてそんな感じ。演奏された音楽はちゃんと流れるものの〜それに触れると、各楽器のバランスがとてもよく、どう録ったかは分からぬがもともとサウンドがちゃんとした映画なのではないかとも思わされる〜、ちゃんとステージの演奏の模様を伝えようとする気持ちははなかっらないようなカット割り映像が続く。

 2番目に登場するセロニアス・モンクなんて、ベースのヘンリー・グライムスの姿はかろうじて映るが、ドラムを叩くロイ・ヘインズは写っていなかったかもしれない。この翌年のモンクの姿が、映画『ジャズ・ロフト』(2021年7月3日)には出てくるわけですね。という按配で映画は演奏音だけは残し、その島に来ている人たちのいろんな所作を追う。だが、それがなんかいい感じで当時のアメリカの環境やジャズの受け入れられ方を(恵まれた白人のそれであるが)すうっと浮かび上がらせて、大きくうなずかせるのだ。ザ・ドキュメンタリー。昼の部の出演者では、ちゃんとパフォーマンスを伝えるアニタ・オデイのステージは良い。いろんな意味で実力者、才を再確認した。

 夜の部になると周りが暗いこともあり、もっとステージを写す映像が多くなるが、随時音楽に反応する観客の姿はやはり入れられる。ほとんどが白人客(そのなかにマックス・ローチもいたらしい)だが、その様を見るのは楽しい。そして、ブルース曲を歌うビッグ・メイベル、純ジャズ・マンのリズム隊演奏のもと「スウィート・リトル・シックスティーン」を俺様で披露するチャック・ベリー(なんと中間部にはクラリネット奏者のソロも入る)など音楽の幅が広げられる。マレー・ラーナー(2010年9月3日)監督の1960年代上半期のニューポート・フォーク・フェスティヴァルのモノクロ記録映画「フェスティヴァル」もそうだが、昔から音楽フェスティヴァルは幅を太っ腹にとるアーティスト集めがされていたんだよな。

 なかなかオルタナティヴとも言えるチコ・ハミルトン・クインテットはエリック・ドルフィー入り。その後任が、チャールズ・ロイド(2005年5月11日、2008年4月6日、2013年1月6日、2017年1月12日、2017年1月13日、2019年9月2日、2019年9月3日)であったわけだ。ラストの二つは、オールスターを謳うルイ・アームストロング、そしてマへリア・ジャクソン。もちろん歌も歌うアームストロングは、ニューオーリンズ/スウィングというには何気にそれを超える設定も見せている。ジャクソンは今聞くと少し味が薄いかなと思った。ぼくたちはその後、ゴスペル経験をしかと持つシンガーを山ほど触れてしまっているわけで、それは致し方ないか。

 終演後、オノはアニタ・オデイの出演部を使いDVD で選択可能なモノラル・サウンドも聞かせる。そちらも、彼が擬似ステレオであったものを本来のモノに調整し直したよう。彼もモノラルの音の方も良いと言っていたが、ぼくはモノラルのほうが安心して聞ける。聞き比べると面白そう。大昔、セイゲンに勧められてSACDのハードを買って、名作のサラウンド・サウンドを聴き漁った日々が懐かしい。仕事場にSACDのオーディオをもう一つ置くのは窮屈で、ぼくは寝室にそれをセットしたんだよな。リリースの数も減り、いつの間にかリア・スピーカーを外してしまった。。。

▶過去の、オノセイゲン
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▶過去の、ジム・ホール
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▶︎過去の、ヘンリー・グライムス(訃報)
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▶︎過去の、映画「ジャズ・ロフト」
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▶︎チャック・ベリーの訃報と映画
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▶︎過去の、マレー・ラーナー
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▶︎過去の、チャールス・ロイド
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<今日の、TV>
 10時ぐらいだったか。ガーッとやっていた原稿を終え、ふとネット・ニュースを見る。すると、野球の大谷選手が参加している大リーグのホームラン大会の速報があり、その4つの組のなか大谷が入っている対戦だけ結果が載っていない。ふむ。見れるかなと思い、光ファイヴァー通信のスポーツ・チャンネルをつけると、ちょうど大谷が打っている。シード1位とシード8位との組み合わせ。2度タイとなり、その後の延長で8位選手が規定の3球をすべてホームランし、その後の大谷が1球目を打ち損じて幕。あらら。どうして、参加選手たちは自分のチームのユニフォームでありつつ、みんな44番をつけているのだろう。最初、大谷はエンジェルスで44番をつけているのかと思ってしまった。←たぶん、最初から放映を見ていればその説明を聞くことができたのだろう。お祭りなのに大谷が1回目で負けて、番組の日本人解説の方々はどうしてあんなにバツが悪そうに、暗い顔つき&どうでもいい取り繕い話をするのだろう。その生理的なトホホさのため、ぼくはすぐにTVを消した。すごい話題になっているのはもちろん知っていて、少しは興味を持っていたが、地上波はうちでは映らないし(ニュースも見ることができない)、大谷の勇姿をTVで見るのは初めてだった。なんか健やかな感じのルックスでとっても親近感を持つが、わざわざ出場試合日/放映時間を調べて試合を見るほどではなかった。サッカーと違い野球はどーでもいいぼくは、大谷選手の背番号どころかフル・ネームをちゃんと認知していない。これ、野球や大谷に興味を持っている人には、コイツ何阿呆なことを書いてるんだと思ってしまう記載だろうな。人の興味や問題意識なんて、それぞれ。逆のことをしないように自戒したい。今の大谷は大リーグで一番の選手なはずで(でしょう?)するとサッカーならクリスチャン・ロナルドやリオネル・メッシ級となるのか。いや、わりと新進ということで、ドルトムンドのアーリング・ハーランドの名前を出すべきか。それはすごいよなあ。今日は火曜日、夜はナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでアリサ・フランクリンの伝記番組だあ。今晩は5〜6話の放映だ。何気にフランクリン以外の効果音的芸中歌の使い方もイケてるんだよな。そこでは、市井の人々だけでなく、当時のアフリカ系成功者への白いアメリカの仕打ちも伝えられる。2話だったかには、キング牧師と彼女が心を通わせたことも描かれていた。
 5話には、ライヴ盤にもなったフィルモア・ウェストのライヴの模様も出てくる。そして、バック・バンドを率いたキング・カーティスに、あなたのサックスは私の第2の声よ、といった彼女の発言も出てくる。その5話の最後はそのライヴの少し後にカーティスが刺殺されてしまったことを伝えて終わる。……。そして、第6話は全面的に、一昨年やっと公開された映画「アメイジング・グレイス」にもなった、1972年LAの教会でのゴスペル公演のことに全編割かれる。かつて世話になったジェイムズ・クリーヴランド牧師とともに彼の教会でゴスペル公演をやりたいというフランクリンの提案に最初はなんで後戻りするんだと難色を示したアトランティックのジェリー・ウェクスラーだったが、思い直してもっとデカい会場で映画も撮っちゃおうと提案したのは彼だった。そのリハのときに、ベースを弾くチャック・レイニーに彼女が指示を出す場面もある。映画を見ると緊張している様が窺えるが、それはウェクスラーが用意したシドニー・ポラック側撮影陣の使えなさに対する苛立ちや、わだかまりを持ち呼んでいなかった俗物エロ牧師たる父親のC.L.フランクリンが2日目に教会に現れたことと関係しているのかもしれない。客席にいたミック・ジャガーには触れられていない。なお、効果音的挿入音楽は、テレンス・ブランチャード(2002年7月3日、2005年8月21日、2009年3月26日、2013年8月18日)が担当しているようだ。
▶︎過去の、映画「アメイジング・グレイス」
https://43142.diarynote.jp/201909260737052277/ 下部のほう
+テレンス・ブランチャード
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http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
https://43142.diarynote.jp/201903050842467108/ 映画音楽

 2014年グリーンランド/デンマーク/ノルウェー映画「サウンド・オブ・レボルーション グリーンランドの夜明け(原題:Sume: Mumisitsinerup Nipaa)」を角川シネマ有楽町で見る。

 1970年代上半期にデンマークのコペンハーゲンで活動し、3作のアルバムを出したスミ(Sume)というフォーク・ロック・バンドがいた。彼らはデンマーク統治下にあるグリーンランド(元は植民地。世界一大きな島ながら、人口は56000人とか。点在する集落は道がないので船での移動の手段となる)から大学に通うためにコペンハーゲンに出てきたグリーンランド出身の学生たち。彼らはロック・バンドとして初めてグリーンランド語で歌い、グリーンランドの自立や自尊心を歌詞にもりこんだ。そんな彼らの短い活動を追ったドキュメンタリー・フィルムで、当時のスミを抑えた映像(よく、こんなに残っていたなと、それは思わせよう)やその後のメンバーやマネージャーなど関係者たち、「各家庭に1枚、彼らのレコードがあった」などスミはいかに人気があったかを語るファンたちへの取材映像などを映画は重ねている。活動晩期には英国人気バンドだったプロコル・ハルムから半年ものツアーの前座としてのオファーがあったというので、グリーンランドやデンマーク以外でもそれなりに評判を呼んでいたのかもしれない。グリーンランドは1978年にデンマークから自治権を認められた(翌年に施行)が、それはスミの活動が大きく影響したようだ。彼らは大学を卒業しグリーンランドに戻ることで解散した(1988年に再結成したことがあったよう)が、グリーンランド語で歌うナヌーク(2015年3月26日、2016年11月6日、2017年2月10日)がスミを継ぐ存在として、出てくる。

 イヌイットの人たちが住むグリーンランドの人々や環境については2017年仏映画「北の果ての小さな村で」(2019年5月24日)を見て多少は知識があったものの、グリーンランドのちょっとした映像だけでも感興あり。社会的な影響力を持つ彼らに、デンマーク側からの負の働きかけがあったというようなことは語られない。とにかく、支持を受け、影響力も持っていたのに、あっさりやめてしまうあたりの感覚はどこかで極北の地の感性とつながっているのかもしれない。訳詞付きでまるまる1曲流される曲が何曲もある(そこに興味深い映像が乗るので飽きない)が、ぼくとしてはメロディやアレンジに100%共感できなくても、歌詞については確かによくできていると思わされる。ラヴ・ソングもあるがそれも自然的な事象と重ねて普遍的なものにしていて、本当に巧み。歌詞とメロディは別々のメンバーが作り(ともにギターを弾きながら、歌う)、必ずしも音楽面を主導する方は社会的な歌詞を載せることに積極的ではなかったよう。だが、現在グリーンランドで歌詞担当者はサウンド・エンジニア、メロディ担当者は議員をしているという。逆じゃないか。短髪になった歌詞担当者の今の顔つきは少しトム・クルーズっぽい?

 映画の監督も制作者もグリーンランド在住の人のよう。上映後のトーク・ショウで、その監督は2012年スウェーデン/イギリス映画「シュガーマン 奇跡に愛された男(原題:Searching for Sugar Man )」を意識したところがあったということが伝えられる。あら、楽曲と音楽の数奇な伝搬と影響力を描いたあの映画を見ているはずだが、そのブログ表記が見つけられない……。以上、ピーター・バラカンズ・ミュージック・フェスティヴァルのなかの上映。その京都編は、8/6〜19に開催される。

▶︎過去の、映画「北の果ての小さな村で」
https://43142.diarynote.jp/201905250820424812/
▶︎過去の、ナヌーク
https://43142.diarynote.jp/201503271611494171/
https://43142.diarynote.jp/201611101508243962/
https://43142.diarynote.jp/201702110915407607/

<今日から、嘗胆>
 駅のホームで電車待ちの間、メールをチェックし、スパムを消そうとしたら、間違ってそこに入っているリンクを押してしまう。そしたら、1時間100本かという勢いでスパムがごんごん入ってくるようになってしまい。あ“———。もう、悪夢。それらを消去する際に、マジなメールも消しそう。放っておくと忘れてしまいそうなので、ぼくは95パーセントはメール返信をすぐにする人間だ。もし、ぼくにメールを送って返事がないなあと思っているあなた、読む前に間違って削除している可能性大であります。前にもそういうことがあって、耐えていると、そのうちスパムの数が減った。なにか、データーが悪用されたということもなかった(はず)。我慢の日々だな。

 ジャズ・ベース奏者のジュニ・ブースが亡くなった。ニューヨーク州バッファローの生まれ。2004年に亡くなったモータウンのスターであったリック・ジェイムズは同じ年と街の生まれとなる。かたや中学を出て入隊した海軍をすぐに脱走→カナダ逃亡(その時期にニール・ヤング〜2001年7月28日〜と一緒にバンドを組む)を経てファンカーになり、こなたピアノを経て12歳からコントラバスを弾き出し、高校卒業後にニューヨークに出てすぐにエディ・ハリスをはじめ実力者たちとやる機会に恵まれた。

 ブースは1970年代に入る頃から、ゲイリー・バーツ、マッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日、2011年1月12日)、エルヴィン・ジョーンズ、チコ・フリーマンなどのアルバム録音に入るようなったが、それら顔ぶれを見ると当時旬のジャズ・グルーヴを弾くことができた人物という所感を得る。一時期は、それになりにダブル・ベース音にブーストをかけることもあった。そんな彼に着目したのが渡米後の菊地雅章であり、ブースとウェザー・リポートにいたエリック・グラヴァットのリズム隊で来日してレコーディングしたり、本田竹広もそのリズム隊と録音した。1980年頃からバッファローに戻って活動をしたようだが、1990年前後はサン・ラー・アーケストラ(2000年8月14日、2002年9月7日、2003年7月25日、2014年7月4日)とも関係を持ったと言われる。

 6週間前に自宅で転倒して大腿骨を骨折し寝たきりになっていたが、その前から病を患っていたとう話もある。

▶過去の、ニール・ヤング
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▶過去の、マッコイ・タイナー
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https://43142.diarynote.jp/202003120731162119/ 訃報
▶過去の、サン・ラー亡き後のサン・ラー・アーケストラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/201407051336285619/

 また、個性派&破格の憎めなさを持つ、ニューヨーク生まれで同地で活動したラッパー/DJのビズ・マーキーの訃報も届いた。喉を多彩に用いる、肉声のエンターテイナーという感じもあったか。ヒューマン・ビートボクサーの走りで、裏方としてその能力を出した後に独立した。そんな彼は、ヒップホップ第2世代とも言えそうで、ラップのオーヴァーグラウンド化に貢献した一人とも言いたくなる。4枚のアルバムをリリースし、1990年前後の全盛期に彼が所属していたコールド・チリン・レーベルはワーナー・ブラザーズが配給したいた。

 親しみやすさの追求と重なる多彩なネタ使いもする人物で、1991年曲「アローン・アゲイン」はギルバート・オサリヴァン(2008年8月15日)の同名曲を用いた。そして、その使用はオサリヴァン側から訴えられ敗訴、サンプリング許諾にも気を使わなけらなならなくなった第一世代という印象も持つ。1990年代を回ると映画、テレビ、ラジオ方面にも進出し、タレント的な需要も得たようだ。2020年4月に重度の糖尿病で入院、脳卒中も併発したりもし、病院で亡くなった。

 彼は人付き合いも広かったのだろう、スピン・ドクターズ、SWV(2012年8月21日、2016年8月21日、2019年10月16日)、ドン・バイロン、デジタル・アンダーグラウンド、テイ・トーワ(2011年8月7日、2016年8月21日)、ジェイ・Z(2010年8月7日)、ブッカーT・ジョーンズ(2007年7月18日、2008年11月24日、2009年7月25日、2010年2月8日 、2011年9月12日、2012年5月11日、2013年10月29日、2017年4月13日)他のアルバムにも客演している。

▶︎過去の、ギルバート・オサリヴァン
https://43142.diarynote.jp/200808161038430000/
▶︎過去の、SWV
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/
https://43142.diarynote.jp/201910170731042901/
▶︎過去の、デジタル・アンダーグラウンドのショックDの訃報
https://43142.diarynote.jp/202104242232506727/
▶︎テイ・トーワ
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/
▶過去の、ジェイ・Z
http://43142.diarynote.jp/201008261617154352/
▶過去の、ブッカー・T・ジョーンズ
https://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/200812110456078867/
http://43142.diarynote.jp/201002090914248826/
http://43142.diarynote.jp/201109151819433479/
http://43142.diarynote.jp/201310301217408539/
http://43142.diarynote.jp/201704161228187684/

<明日の、必須な予定>
 ミスしないように、書いておく。正午から、大手町でCovid-19の2回目のワクチン注射。接種権が届き、サクッと連絡し予約を取っただけだが、ぼくの周りの同年代のなかでは一番早い感じかも。接種2度目は何かと副作用が出るとも言われているので、念のため一応月曜と火曜日は予定を入れていない。ナンもなかったら、それはそれで解放感を得るナ。お調子者なので、その10日後にはオレは怖いもんなしだぁとか言い出しそうだが、変異株にはかなり効き目が落ちるという話もあるし、基本これまでと同様の行動を取ることになるのかな。でも、忌まわしいオリンピック期間中にゃ東京にいたくない。どっかに逃亡したいなーーー。

 米国でもこの7月初旬に劇場/Hulu で同時公開されたばかり、日本では8月27 日から公開される2021年アメリカ映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』をネット配信試写で見る。原題は、「Summer Of Soul (Or, When The Revolution Will Not Be Televised) 」。その副題は、ギル・スコット・ヘロンの第2作『Pieces of a Man』(Flying Dutchman、1971年)のオープナー「The Revolution Will Not Be Televised」から取られた。邦題、ちゃんとそれを出していて偉い。

 マテリアルは、著名ロック・フェスのウッドストックが開かれた同じ年である1969年夏場、NYハーレムのマウント・モリス公園(今は、マーカス・ガーヴェイ公園となっている)で開かれた“ハーレム・カルチャル・フェスティヴァル”というフリー・コンサート群。2年前から企業の支援やNYCの援助で催され、3回目(この年で終わったという話もある)となる1969年は大規模に6月末から8月にかけての日曜日の昼間(うち、1日はちょうどアポロ11号の月面着陸の日と重なった)に6度持たれた。うち、作品化を目指して5回分の映像がしっかりと撮影されたが、うまく商品化の話は成就せず、50年間眠っていたという。奥には小山もある公園にはぎっしりと人、人、人。もちろん彼らはほぼ黒人で、5万人入っていたという。

 出演者の興味深さやパフォーマンスの確かさ、そして映像や音も悪くなく、いろんな掘り起こし音楽映画が出されてきたなか、よくもまあずっと眠ってきたなと思ってしまう人は多いはず。ゴスペル、ソウル、ジャズ、ラテン、アフリカ……、ブラック・カルチャー〜持たざる者の創造性や意識高揚を指し示す出演者たちは、スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ザ・フィフス・ディメンション、ステイプル・シンガーズ、ザ・エドウィン・ホウキンス・シンガーズ、マヘリア・ジャクソン(気張って歌い、11年前の『真夏の夜のジャズ』出演時と全然違う。ある意味、フェスのノリに合わせていてプロだな)、ハービー・マン、ロイ・エアーズ、ソニー・シャーロック(実はエアーズとシャーロックは、ハービー・マン・グループで出演している)、デイヴ ィッド・ラフィン、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、モンゴ・サンタマリア、レイ・バレット、マックス・ローチ、アビー・リンカーン、ヒュー・マセケラ、ニーナ・シモーンなどなど。特にスライやニーナ・シモーンは鳥肌ものだな。もう、僕は身体を揺らし、掛け声あげまくりで、これは外の試写会では不可能なことであった。

 ジェシー・ジャクソン牧師(公民権運動家の彼は1980年代に2度、民主党の大統領候補指名の予備選に出ている)も出てきて、颯爽と観衆に語りかける。このハーレム文化祭はその前年に殺されたキング牧師の追悼も兼ねていて、ジャクソン牧師はその悲劇に際に一緒に食事をとっていたようだ。進行役はこのハーレム文化祭の企画者で、クラブ・シンガーやプロモーター(NYCともパイプを持っていたよう)であったトニー・ローレンス。彼は回によっていろいろ見栄えのする衣服を着て、けっこうアフリカンとしての自負を促す煽りを入れる。このときのニューヨーク市長は、共和党所属で白人ハンサム中年のジョン・リンゼイ。ステージでも紹介される彼は、アフリカンやラティーノの存在にも配慮する人物として紹介される。だが、当初NYPDはフェスの警備を拒否したため、それをブラック・パンサー党が担ったという。

 さて、この貴重なフェスの掘り起こし映画の監督として白羽の屋が立てられたのが、ザ・ルーツのアミール・“クエストラブ”・トンプソン(2002年12月29日、 2003年12月2日、 2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)。映像の分野には明るくなく、当初は躊躇したらしいが、映像のプロのサポートを得ての映像使い/編集は賞賛に値する。なんでも、フェスの記録半分、その時代の黒人を取り巻く状況を伝えることが半分、という指針を立てたようだが、その目論見は大成功。それが1969年の出来事を、今に持ってくる意義を存分に出している。

 とにもかくにも痛感させられ、感心せざるを得ないのは、クエストラヴがヒップホップの秀でた音楽家/クリエイター/ドラマーであるということ。リズムの扱いに自覚的で、編集もテンポよし。出演者は時系列には従わず、恣意的に配置されるが、それも適切で、幅広い出演者は違和感なく並び、皆横並びのブラック・ミュージックという真実も浮かび上がる。あの時期の状況を示す映像や写真(よく集めている)、当時の出演者をはじめとする生きている関係者(出演者の子息も出てくる)の証言などの入れ方もほぼパーフェクト。それ、エンド・ロールにおいて膨大な名前の中に出てくるスパイク・リーよりかうまいんじゃない? また、昔このフェスに行った一般の人々の証言映像も随時効果的に使い、その指針もお見事。それは、本当にハーレムに住む人たちための市井のフェスであったことを伝える。とかなんとか、秀でたDJ感覚に則ったクエストラヴの映像/音楽構成は冴えまくり、音楽はつながったものであり、それは過去のものではなく今も生き続けるものであり、また当時の持たざる者を取り巻く問題は今も変わりがないということを伝えるのだ。再び言うが、クエストラヴすごいっ! そんな本映画、配給はディズニーだ。

▶︎過去の、クエストラヴ/ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/

<今週、前半のダメダメ>
 いやー、まいった。日曜日正午に2度目のワクチン注射を受けたが、今回は翌日に見事に副反応が出た。接種当日は開放感もあり飲みて〜という気持ちを律するなど、フツーだったのにな。解熱剤のカロナールを用意しており飲んだのに、38度近くまで熱が出た。また、両肩にものすごい重量がかかったようになるなど徒労感ハンパない。月曜日は完全に寝たきりにすることにしちゃったよー。水曜ぐらいまで、微熱は続いた。これで、抗体が体内にできていると思うことにする。何かを犠牲にすることで利は得られる、とオトナの考え方をするナリ〜。

 ギタリストの渡辺香津美(2004年12月15日、2010年9月1日、2010年9月5日 、2010年11月20日、2012年3月20日、2016年6月4日、2016年9月4日、2017年9月2日、2018年4月6日、2013年8月1日)がデビュー作『Infinite』(東芝音工)を出したのが17歳のときで、それが1971年。川崎駅近くのミューザ川崎シンフォニーホールで、その50周年を冠する何気に幅の広い設定を持つ公演を見る。

 いろいろなギターを手にする当人に加え、クラシックのフルート奏者である荒川洋(綺麗にソロを取っていた)、エレクトリック・ベースのコモブチキイチロウ(2011年1月21日、2012年4月10日、2012年11月10日、2012年11月25日、2013年7月10日、2013年7月27日 、2018年10月6日、2019年10月6日、2021年6月23日 )、フラメンコ・ギターの沖仁(2011年1月21日、2013年8月1日)という陣容なり。ただし、ポイントはこの4人で一緒にやる曲もあるのだが、それぞれのデュオ、渡辺以外の一人が抜けて3人でやったりと、曲ごとに様々な編成で演奏したこと。ドラムレスなので室内楽的志向を取ると書けなくもないのだが、実はけっこう演奏に内在するテンションは高く、場合によってはダイナミックという形容も可能だったか。

 1部はすべて渡辺曲を演奏するが、たとえば沖の個性も介した著名曲「ユニコーン」なんて、完全に「哀愁のユニコーン」とも言うべき聞き味になっていた。2部はベートーヴェンの「悲壮」やラヴェルの「ボレロ」、さらに谷川公子の曲も悠々と演奏する。また、2部ではヴォーカリストのSHANTI( 2012年3月23日、2015年7月23日 )が出てきて、4曲歌う。

 彼女はこの2月にお母さんになったそう。ここのところはあまり歌っていないのか、音程が不安定に聞こえて少し気の毒になった。のではあるのだが、その一方で立派だなとぼくは頭を垂れた。というのも、彼女が歌ったのはフォスターの「ハード・タイムス・カム・ノー・モア・アゲイン」やスコットランド民謡発祥の「ウォーター・イズ・ワイド」というメッセージ性の強い古曲。ノーベル文学賞受賞者のボブ・ディランもその2曲をカヴァーしているわけだが、マスクなしでは外出できないこの困難な状況にあってはやはり意味のあるものとして届く。これらヒューマン曲を誰が選んだのかは知らないが、彼女が入ったヴォーカル曲ががこの公演をぐっと意味深いものにしていたのは確かだ。また、彼女は渡辺の求めに従い彼と谷川の共作曲「Soleil」にも急遽英語詞をつけたとのことだが、そちらも人間愛に満ちたものだった。

 あっさり聞こうと思えばそれも可能ながら、いろいろと情報と襞を持つ公演ではなかったろうか。

▶過去の、渡辺香津美
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/201009030955539620/
http://43142.diarynote.jp/201009171511588216/
http://43142.diarynote.jp/?day=20101120
http://43142.diarynote.jp/201203260803216950/
http://43142.diarynote.jp/201606121224129353/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
https://43142.diarynote.jp/201804071041255956/
▶︎過去の、コモブチキイチロウ
http://43142.diarynote.jp/201101231224498510/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120410
http://43142.diarynote.jp/?day=20121110
http://43142.diarynote.jp/?day=20121125
http://43142.diarynote.jp/?day=20130710
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201910291633402258/
▶︎過去の、沖仁
https://43142.diarynote.jp/201101231224498510/
https://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
▶︎過去の、シャンティ
https://43142.diarynote.jp/201203260806527228/
https://43142.diarynote.jp/201507251003319800/

<今日の、会場>
 川崎駅に降りる。きょろきょろ。等々力競技場での川崎フロンターレの試合は見に行ったことはあったが、それは武蔵小杉駅からだからなあ。前にブーツィ・コリンズ(2011年8月12日、2012年5月31日)を川崎チッタに見に行ったのが2011年なので、ちょうど10年ぶりのカワサキ行き? そのときは車で行っており、それ以前もそうなので、もしかすると電車で川崎駅に行くのは初めてか? 30年前ぐらいはけっこうスマッシュがチッタで公演をやっていたことがあり川崎に出向くこともあったが、そのときの街の印象とはあまりに違うので驚く。実際、チッタはJRの線路を挟んで反対側であるのか。初めて行く会場は駅そばのデカいビルの中にあった。場内は楕円の形が取られており、一番下のフロアは半分がステージになっていてかなり広い。木の質感も活かしつつ、ステージを楕円形の各席スペースが段となり囲むと言う感じ。立派なパイプ・オルガンも設置されていた。開館以来何度ちゃんと使用されたのだろう。
▶過去の、ブーツィ・コリンズ
http://43142.diarynote.jp/201108131129381378/
http://43142.diarynote.jp/201206011834355756/
 LA音楽界の大きな実力者、クラレンス・マクドナルドの訃報が届いている。LA生まれで様々な楽器を手にした後にピアノを選び、2年間のヴェトナム派遣兵役を経て、1960年代後半から堂々の活動を見せるようになる。その頃は、アーニー・ワッツ(2005年6月20日、2009年9月10日)のワールド・パシフィック・ジャズ発の真面ジャズ盤でピアノを弾くなど、ジャズ側でも活動もしていた。

 だが、とっても円満なルックスを持つ彼はポップ・ミュージック側で何より名を出し、ピアノ/キーボード奏者、ソングライター、アレンジャー/プロデューサーと、本当なマルチに活躍。ビリー・プレストン、ウィリー・ハッチ、ティナ・ターナー、アリーサ・フランクリン、デニース・ウィリアムズ、ジ・エモーションズ、ビル・ウィザーズ、レイ・チャールズ、パティ・ラベルなどなど。また、それと同じぐらい白人アーティストのレコーディングにも関与していて、パパス&ママス、マーク・ベノ、ジェイムズ・テイラー、シールズ&クロフツ、リンダ・ロンシュタット、アンドリュー・ゴールド、ダリル・ホール&ジョン・オーツ(2011年2月28日)、ボズ・スキャッグス(2019年5月7日)、ダン・ヒックス(2009年5月27日、2010年6月18日)、他。

 彼はモータウンのLA録音セッションにもいろいろ参加していて、その際に出会っただろうデイヴィッド・T・ウォーカー(2007年12月18日、2010年12月11日、2011年6月21日、2013年10月17日、2015年8月3日、2018年1月5日)のレコーディングにもいろいろ関与するとともに、彼とも複数回来日しているはずだ。そんな彼は親日家でもあり、2011年の震災をベネフィットするプロジェクト"Jazz for Japan"に3つ曲も提供。彼はエヴォルーションというバンドを率いた『Live from Hollywood』というアルバムを2009年に発表していて、見事な音楽セレヴのりを受けることができる。なお、死因は明らかにされていないが、住んでいたラスヴェガスで亡くなった。

▶︎過去の、アーニー・ワッツ
https://43142.diarynote.jp/200507021254310000/
https://43142.diarynote.jp/200909120650273142/
▶︎過去の、ホール&オーツ
https://43142.diarynote.jp/201103031015296753/
▶︎過去の、ボズ・スキャグス
https://43142.diarynote.jp/201905080904334080/
▶︎過去の、ダン・ヒックス
https://43142.diarynote.jp/200906051613277417/
https://43142.diarynote.jp/201006200650338483/
▶過去の、デイヴィッド・T・ウォーカー
http://43142.diarynote.jp/200712190953140000/
http://43142.diarynote.jp/201012131713443911/
http://43142.diarynote.jp/201106270438075311/
http://43142.diarynote.jp/201310181020496675/
http://43142.diarynote.jp/201508091203108498/
https://43142.diarynote.jp/201801061716036258/

 また、米国最強のトリオ・バンドと言えるだろうZZトップのベーシスト/次席シンガーであるダスティ・ヒルもお亡くなりになった。デビュー以来、ZZトップはずっと変わらぬメンバーでことにあたり、1970年中期以降ほぼほぼメガ・バンドであり続けたアーシーで強固なバンドだった。ダラスで生まれ、グループ結成の地でもあったヒューストンで死ぬ。生粋のテキサス人でしたね。

 ぼくがそんな彼らのことを一番聞いていたのは1970年代→そのときは、猛獣を帯同させてツアーをする、なんても言われていたか。様々なブルースのヴァリエーションを工夫たっぷりに押し出す様はまさしく正義だった。長い立派なヒゲに表れているようにおおらかな南部人のネタを巧みに介するバンドでもあった。1980年代に入るとうまくエレクトロなシーエンス音/ビートを取り入れたりして、同時代化も彼らは成功させた。

 ヒルは2021年7月に腰(股関節という記載もあり)を痛め、ベーシストの座を同バンドのギター・テクニシャンのエルウッド・フランシスに譲った。就寝中に自宅で亡くなったという彼の死が、その関節系の障害と関係あるのかは明らかになっていない。ギターと歌のビリー・ギボンズはヒルの意思に従い、フランシス入りのもとZZトップを続けることを表明している。

 それから、キャラクタリスティックということではもっとイっているかもしれないスリップ・ノット(2000年2月7日)に2013年まで在籍したドラマーのジョーイ・ジョーディンソン(1975年4月26日〜2021年7月26日)も亡くなった。また、47歳だった。彼は2010年ごろから複数のユニットを抱え、そこではドラム以外の楽器を担当したりもしたが、彼はそのころから神経性障害を患い、左足が使えなかったという。彼もヒルと同様に死因は発表されていない。

▶︎過去の、スリップ・ノット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm

 渋谷・映画美学校試写室で、2019年コロンビア/米国映画「MONOS 猿と呼ばれし者たち(原題:MONOS)」を見る。おお、これは緊張ある作風で、けっこうヘヴィな映画だ。撮影はコロンビアの人里離れた高地とジャングルでなされており、俳優もコロンビアで調達した人が多いよう。たくさんの人たちをオーディションし、専任の俳優は少ないようだ。言語はほんの一部の無線における英語の会話を除いてはスペイン語が用いられているが、特定の国や時制から逃れる設定となっているようだ。

 日常と断絶した場で8人の少年少女ゲリラ兵が共同生活をしながら、アラフォーの人質として監禁された女性米国人博士を武器片手に監視している。ある事故を受けリーダーが自殺してしまうことから、残された兵士7人の力学や人質との関係性が変わるとともに、敵が襲来。そのため、彼らは拠点を捨て、山を下りて過酷なサヴァリヴァルを図ることを強いられ……。

 若年ゲリラ兵たちを主人公に据えているが、それは実際に同様の状況がコロンビアにあることから持って来た、という側面もあるようだ。大自然での風景や生活を描くこの映画は荒唐無稽なようでいながら、良いとは言えない現況を鑑みるに何が起こっても不思議はないといった感じで、なんか妙な説得力を孕んで流れていく。その総体は、ぎりぎりな現況を描いた不条理にして普遍的な寓話と言いたくなるか。

 監督や脚本や制作は1980年ブラジル生まれ(親はエクアドル人とコロンビア人)で、米国の大学で政治経済を学んだアレハンドロ・ランデス。彼はジャーナリストを経て映像の世界に入ったが、作品数は多くないものの業界内評価は高いようだ。そんな“モノ”じゃない属性を持つ監督を助ける人たちも、あっという多国籍の方々でほうと頷く。

 共同脚本を担当する普段は映画監督もしているというアレクシス・ドス・サントスはアルゼンチン人、編集と共同プロデューサーを務めるフェルナンド・エプスタインはウルグアイ人、さらにもう一人のプロデユーサーのサンティアゴ・サパタはコロンビア人であり、撮影監督のヤスペル・ウォルフィはオランダ人だそう。そして、勘所抜群にして場にバチっとハマる音楽をつけているミカ・レヴィは英国人だ。

 そのレヴィさん、ちゃんとクラシック教育を持つ人ながら、ミカチュウ&サ・シェイプスという今様ニュー・ウェイヴ(・ロック)のバンドを組んでいたことがありキッチュなよれよれ感も持つアルバムも複数出しているが、今は映画音楽の世界を軸に置いているよう。ネオ・クラシック風からエスニックだったり、効果音的なものまで、何もかもが的確という音が入っていて、ぼくは少し驚いた。音色にもかなり自覚的だよな。

 設定、ストーリー、ロケーション、キャスティング、音楽……。様々な点で、秀でた技量や発想を抱えた映画であるのは間違いない。10月から、シアター・イメージフォーラム他で公開される。

<今日の、びっくり>
 7月中頃の知人との会話で8月には感染者数が2000人いくと言っていたが、昨日、今日と3000人越え。いや、4000人近い。これが、昨年の同時期だったら、超絶望的な心持ちになり家に籠もりっぱなしになりそうなところだが。多少案じつつ、出かける。バルコニーに出たらそんなに暑くなく、これなら試写場と自宅の往復は徒歩にて可能と思えたことはあるか。五輪のTV観戦で家にいる人が増えるという説を取る人もいるが、あんなイヴェントを横でやられているのに自粛を求められるなんてありえないと感じる人の方が多くはないか。真っ当な対策なし(その際たるものが五輪をすること?)の緊急事態宣言はアルバイ作りに過ぎないと思っている人が多数派ではないだろうか。こんなおりだけに空いているかなと思っていたら、試写場にはそれなりに人がいたなあ。キャパの半分以下ではあったろうけど。すぐ近くあるクラブ・エイジアの向かいの矢澤ビルの1階はネヴァーランドという名前のクラブに変わっていた。
 試写の後には、近辺を少しパトロールする。8月に入ると感染者はもっと増えるだろうし、クソ暑さもあり(とはいえ、今年は過剰に暑いとは感じていない。今のところ、日が暮れるとエアコンを使わない日が多い)、今後外出する回数は減りそうで、せっかく外出した際は少し外の模様を頭に入れたほうがベターと思えてしまい……。百軒店の知人のお店は閉まっていた。17時過ぎだったが、やっているお店はどれもお酒を出している感じだ。まあ、そんなこんなんで人出はなかなかのもん。一応2回のワクチン接種を終えているし、いろんな意味で東京脱出してー。

 挾間美帆(2014年7月10日、2015年10月15日、2016年10月28日、2017年9月3日、2019年2月6日、2020年8月16日)率いるm_big bandと東京フィルハーモニー交響楽団(2008年7月3日。2015年9月5日、2020年8月16日)の流麗にして、ダイナミックな重なり合い……。それを繋ぐ中央には、凛として指揮をする狭間がいる。池袋・東京芸術会館が主宰する今年で3度目となる出し物で、同会館のコンサートホール。すっかり世界的な作編曲家/指揮者となった挟間だが、自身のMCによればニューヨークにわたり10年がたつのか。

 今回のm_big bandの顔ぶれは以下のとおり。サックス・セクションは池田篤と辻野進輔(2020年8月16日)と吉本章紘 (2020年8月16日、2021年7月9日)と西口明宏(2016年7月21日、2019年1月21日、2021年7月3日)と竹村直哉(2019年2月6日、2020年8月16日)、トランペット・セクションは真砂陽地(2018年8月31日、20年8月16日)と広瀬未来(2020年8月16日)と河原真彩と石川広行(2017年6月15日、2020年8月16日)、トロンボーン・セクションは半田信英(2016年10月28日、2017年7月28日、2017年11月8日、2018年6月8日、2019年1月7日、2020年8月16日)と高井天音(2020年8月16日)と高橋真太郎(2020年8月16日)と野々下興一(2017年7月28日 )という面々。そして、ピアノの佐藤浩一(2014年10月22日、2016年7月11日、2017年10月27日、2018年1月7日、2018年4月7日、2018年6月4日、2019年1月5日、2019年10月30日、2020年8月16日)、ダブル・ベースの須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日、2020年10月29日、2021年4月6日、2021年4月19日、2021年7月9日)、ドラムの高橋信之介(2018年2月8日、2019年1月3日、2019年1月7日、2020年8月16日)。東京フィルハーモニー交響楽団のほうは弦楽器奏者を中心に40人強いたか。

 さらに、ヴォーカルの吉田沙良(2014年2月20日、2016年8月10日、2018年5月13日、2020年1月19日 )の名前が出されていたが、アンコール曲も含め全8曲中4曲で彼女は歌った。彼女がやっているモノンクル(平仮名から片仮名表記になったのだな)の曲二つだけでなく、現ベルギーきってのジャズ・ピアニストという評価も持つイヴァン・パドゥアの「メランコリー・ブルー」(狭間が学んだマンハッタン音楽院で彼女に作曲を教えたジム・マクニーリーが編曲)、マリア・シュナイダー(2012年12月17日、2013年12月17日、2017年6月7日)の1992年曲「グリーン・ピース」(オーケストレイションは狭間)の大作でも彼女は歌う。おぉ自力あり、健闘していたな。

 他に演目は、デューク・エリントンの「ブラック・ブラウン・アンド・ベージュ」(編曲はクラシックの指揮者だったモーリス・ペレスが1970年に行ったもの)や穐吉敏子(2013年4月30日)の1974年曲「ロング・イエロー・ロード」(オーケストションは狭間)、ブライアン・ブレイド(2000年12月6日、2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月9日、2008年9月4日、2009年7月20日、2011年5月12日、2012年1月16日、2012年3月15日 、2012年5月22日、2014年2月12日、2014年4月14日、2015年5月27日、2016年5月18日、2017年12月16日、2018年5月22日 )の1998年曲「レッド・リヴァー・レヴェル」(同)、そして挟間の新曲「スプラッシュ・ザ・カラーズ」。そう、今回は “色”縛りの選曲がなされていた。

 大掛かりにして、静謐。音楽にまつわる豊穣な誉がいろいろ、と。それから、穐吉とシュナイダーという、自己曲を介し創造的なビッグ・バンド表現を創出し続けてきたニューヨークに居住する女性先達お二人の曲を狭間が取り上げるのは、とても意味のあることのように思えた。

▶過去の、挾間美帆
http://43142.diarynote.jp/201407111305232157/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201902071836593799/
https://43142.diarynote.jp/202008171907569224/
▶︎過去の、東京フィルハーモニー交響楽団
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https://43142.diarynote.jp/202008171907569224/
▶︎過去の、辻野進輔
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▶︎過去の、吉本章紘
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▶︎過去の、西口明宏
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▶︎過去の、竹村直哉
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▶︎過去の、真砂陽地
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▶︎過去の、石川広行
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▶︎過去の、半田信英
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▶︎過去の、高井天音
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▶︎過去の、高橋真太郎
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▶︎過去の、野々下興一
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▶︎過去の、佐藤浩一
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https://43142.diarynote.jp/202008171907569224/
▶︎過去の、須川崇志
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▶︎過去の、高橋信之介
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▶︎過去の、吉田沙良/ものんくる
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▶︎過去の、デューク・エリントン・オーケストラ
https://43142.diarynote.jp/200911212112151307/
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▶過去の、秋吉敏子
http://43142.diarynote.jp/201305071422511328/
▶︎過去の、マリア・シュナイダー・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/201212190844487864/
http://43142.diarynote.jp/201312181034409673/
http://43142.diarynote.jp/201706081034584863/
▶過去の、ブライアン・ブレイド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
http://43142.diarynote.jp/200809071429250000/
http://43142.diarynote.jp/200908061810483865/
http://43142.diarynote.jp/201105140859559227/
http://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
http://43142.diarynote.jp/201203161146266803/
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140212
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
http://43142.diarynote.jp/201605240831421865/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160803
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
https://43142.diarynote.jp/201805230726481296/

<今日の、公演後>
 平日なので開演は、19時。90分強のショウの後、知り合いたちと流れる。計6人。外飲みしている人はいない。だが、20時を過ぎても飲食店はやっており、フツーにお酒も提供しているようだ。そして、ある居酒屋の前に出ている、外テーブル席で飲む。中は密っぽいので、これは良かった。途中、パトロール員が横を通ったが、何も言わなかった。とっても、楽しかった。