数年前までだったら、絶対に見に行ってないだろう公演ですね。過激だっ
たり、変テコだったりするものが好きだったぼくは、AORを腰抜けの音楽
としてきらっていたもの。とくに、学生時代までは例外はあるものの、ブラ
コンとAORとフュージョンを自分の領域からかなり排除していた。口当た
りのいい無味乾燥気味の表現を黒人がやるとブラコンと呼ばれ、白人がやる
とAORとなり、その伴奏を共通して担うのはフュージョン/スタジオ系の
人たち……ゆえに、筋は合っていなくてもないのだが。丸の内・コットンク
ラブ。

 所謂、AORと呼ばれた表現の立役者たちが大集合といった感じの、けっ
こう豪華な出し物。デュプリー(ヴォーカル、ハープ)と、途中から加わっ
たラバウンティ(ヴォーカル、キーボード)はヒット曲も持つ文句なしのA
OR名士。パーカッション担当で2曲ほど歌ったレスリー・スミスも黒人な
がらAORのファンからよく知られる人だろう。そして、リズム隊はそのレ
スリー・スミスと一緒にクラッキンというバンドを組み、バンド解散後はA
OR系リズム・セクション/プロデューサー・チームとしてけっこう注目さ
れる存在でもあったリック・チューダコフとピーター・ブネッタ。各々、過
去に彼らは付き合いを持っていて、一緒にライヴをやる必然性を持つ。

 そんな6人をバック・アップするキーボード奏者はデイヴィッド・サンシ
ャス(彼も黒人)。もしかすると、彼が出るからぼくは見にいったのかもし
れない。サンシャスはスタン・クラークのバンドとかフュージョン系、ジャ
クソンズ他のブラコン系でも活躍してきた人だが、ぼくにはとってはスティ
ング、ピーター・ゲイブリエル、ブルース・スプリングスティーン他、ロッ
ク・キーボード奏者として印象が強い人(実は、ジミヘン・タイプのギター
もごっつい上手い人でもある)。ソロ作もいろいろと出している。とくに、
イタリアン・ロッカーのズッケロ表現でのバッキング演奏は大好きだな。今
回はまあソツのないサポート演奏に止まったが、ぼくはその弾いている姿が
見れるだけで嬉しかった。

 いい曲を、歯切れと成熟を併せ持つサウンドで送りだす……。上記の人た
ちが和気あいあいと重なったパフォーマンスはかなり楽しめた。なんの、問
題もなく。ぼくも、大人になったにゃー。なるほど、曲名までは分からない
が、聞いたことがある曲、素直にいいナと思える曲がけっこうあった。上質
の薄いソウル感覚もしっかりあって、AORというのは80年前後のブルー・
アイド・ソウルだったのだナなんて、再確認させられるところも。でも、ス
ピナーズ(「アイル・ビー・アラウンド」)やマーヴィン・ゲイ(ホワッツ
・ゴーイン・オン)ら他人のヒット曲を堂々とやってしまうのはいかがなも
のか。ドサ回りしている、トップ40バンドの色彩が多少でてきてしまう。

 お休みの日で最終日の最終セットなのに、それなりにすいていたのはびっ
くり。このヴェニュー、ソウル系だといい入りなのに、AORのファンって
薄情なのか(数年前のフジ・スピードウェイでやった音楽フェスに同様の顔
ぶれで来日したことがあったそうだ)。それだけに、当人たちがとても光栄
そうにやっているのは印象深っかた。

 その後、有楽町からだと地下鉄1本で行ける要町にあるソウル・バー“フ
ィリーズ”に連れていかれる。アナログ盤使用、リクエストも募り1曲づつ
こまめに曲をかけるお店。すぐに、和む。実は店主の吉岡さんは、ぼくが学
校を出てちょい勤めた出版社の営業部にいた先輩。当時乗っていたホンダ・
シビックを買い換えるので、彼に売ったことあったっけ。やっぱり、いろん
な生き方、人生があるよなー。ぼくは、この9月15日でフリーランスになっ
て20周年を迎える。

 夜中に帰って、サッカーをやってないというのはなかなか寂しい。もう、
残りは準決勝と決勝(と、3位決定戦)か。
 ニューヨーク、東京、名古屋、神戸と、4つの場のオースケスラ作を同日
に4種類出した、藤井“百手観音”郷子の東京オーケストラと名古屋オーケ
ストラの合同ライヴ。新宿・ピットイン。彼女はライヴも海外、日本問わず
いろいろやっていて、多分この<ライヴ三昧>でも一番登場しているんじゃ
ないかなあ。出演者は総勢28人とかで、大きくステージをはみ出した配置な
り。ピアノは置いてない。

 まず、オーケストラ名古屋の演奏。こちらは、番頭役の臼井康浩(200
5年11月28日、2005年12月11日)によるエレクトリック・ギターが入り、
ベースは電気だ。リズムの立ちにも留意した、冒険心のある大所帯ジャズ表
現……。指揮は藤井や田村夏樹や臼井がする。演奏が乱れ気味なところもあ
り、ありゃりゃと感じたところもあったけど。ただ、藤井という外と繋がっ
た“行動の人”が関与しているとはいえ、スウィング・ジャズ系の後ろ向き
なビッグ・バンドではないこういう集団を地方で維持していくのは大変だろ
うとも思うし、意義はデカいはず。サッカー・クラブがそれぞれの地に必要
なように、地方を拠点とする酔狂な音楽団体があるという事が大切なのだと
思う。地元の子供たちが彼らの演奏に触れる可能性が生まれるだろうし、彼ら
の演奏を見た子供のなかに年に一人でも前向きなジャズに夢中になる人が出
てきて……20年後に、名古屋は強腕ジャズ奏者を何人も排出するようになる
かもしれぬ、なんてことを夢想した。

 2部はオーケストラ東京(こっちは生のベース)。こちらでは普段藤井は
ピアノを弾くはずだが、今回は指揮のみに専念。でもそれもいいかも、びっ
くりするぐらい良かったから。酷い書き方になるかもしれないが、名古屋と
はタマが違うナと感じさせられもした。やっぱり、連続して聞いてしまうと
、その差は歴然と出てしまう。アンサンブル、リズムの設定、ソロ、バンド
員のサバけた態度(みんな、声を無礼講気味に出し合ったりして)、なにも
かもがうまく重なって、加速度や哲学を得た集合表現に昇華していく様をぼ
くは大堪能。当初は、もう少しフリー・ジャズ的なオーケストラの語彙から
抜けた新しい大地をもっと目指して欲しいなと思って聞いていたのだが、な
んか生理的に鼓舞されるものがあって、そんな疑問は途中からどーでもよく
なってしまった。いやあ、藤井オーケストラってこんなに良かったっけか、
なんて失礼な感想も得た。いや、そうじゃなく、この日のパフォーマンスは、
ぼくが見たジャズのビッグ・バンド表現のなかで一番共感できるものだった
のだと思う。藤井郷子オーケストラ東京、いま最高に乗りに乗っている!
自主制作のくだらねー(多分に、褒め言葉)多重録音CDを毎度おくってく
れる(ありがとうございます!)アルトの泉邦宏もいい味だしていた。

 で、3部は名古屋と東京が一緒のパフォーマンス。で、どーなることかと
思ったら、これが良い。ひゃひゃ、音がデカい。リズムも2ドラムス/2ベ
ースとなり、よりロッキッシュな感じでどどんと迫る。大きい事はいい事だ
、と無条件に思わすものあり? 書き下ろしで曲名も決まっていないという
曲をまずやったが、いい出来だった。そのとき、トロンボーン・セクション
は他人のソロのときにウェイヴ(一人つづ立って、それが流れていく)をや
ったり、別の箇所では皆でもぐら叩きのもぐらのようにランダムに立ち上が
ったり。ベース・ソロのときは、みんな思い思いに手拍子をしたり、楽器を
ボコボコ叩いたり。自由な発想と諧謔あり。マーシュー・ハーバード(20
00年9月15日)も刺激を受けまくる内容だったのは間違いない。

 残念に感じたのは、学生ふうの人を見かけなかったこと。大学のジャズ研
にいる人にとって、それはそれは刺激的にして、真似したくなる局面は多々
あるだろう出し物だと思うけどなあ。いったい、今のフルバンやっている青
年たちは何を聞いているのか。単に情報が行き届かないだけかもしれないが
、今日日のジャズ学生のアンテナの鈍さ/趣味の悪さを想起させられました。
 W杯でのアルゼンチンの結果は残念だった。やっぱり、一次リーグをぐいの
りで勝ち上がるチームは最後まで行けないのかなー。ついでに、もうひとつ
サッカーねた。今回の日本チームのフォワードを見てぼくが感じたのは、も
しかして鈴木隆行(一部の人のように“師匠”とは言うまい)って実は素晴
らしいフォーワードではなかったのかということ。実は、柳沢ほどではない
にせよ、昔からあまり好ましいとは思えなかった選手だったんだけど……ネ
。でも、どうせゴール決められないのなら、得点の可能性は減らしてでも彼
のようにしゃかりきに前線からディフェンス的行動を取り、相手のディフェ
ンダーをいらつかせ時にファウルをもらったほうが(そういう、行動が鈴木
はまたうまい)、全然ましではないか。ただでさえ、日本は中盤のほうが充
実しているのだらして。だったら、前線が身体を張って捨て石となり、得点
機会は第2列に委ねるほうが絶対に勝利に繋がると思う。実は、トルシエ、
ジーコをはじめ、外国人関係者から鈴木は意外なくらい評価が高かった。現
在はセルビア・モンテグロのレッドスター・ベオグラードに属するが、それ
も同代表を勤めるストイコビッチが望んだからだと思う。決定力にかけるF
Wとしての一つのあるべき姿なのではないのか。そして、全員サッカーたる
現代サッカーにとってそれは日本に限らずアリだろう。鈴木ぃ全日本カムバ
ック、と思ってしまった。話は飛ぶが、次の全日本の監督はオシムがなるよ
うだが、それは望外に嬉しい。すごい好きな監督で、彼の全日本が見たいと
結構昔から思っていたから。

 フェルナンド・カブサッキ(ギター、2002年9月7日、2002年9月15
日)、アレハンドロ・フラノフ(キーボード他、2002年9月7日、2002
年9月15日、2003年7月29日)、サンチャゴ・バスケス(打楽器。アオ
ラから出ているリーダー作『ラーモン』は変な、愛らしい出来だ)、ア
ルゼンチン音響派などとも呼ばれる3人のプレイヤーに彼らと何かと絡ん
でいる勝井祐二(2006年5月30日、他)や山本精一(2004年5月31日)
らのROVO(2004年11月19日、他)の面々が絡んだもの。鶯谷・東
京キネマ倶楽部。鶯谷はお祭りをやってたナ。この日、七夕なのを会場
入りしてから知る。いかんいかん、余裕がないなあ。 

 休憩をはさみ、40分強ぐらいの切れ目なしのセットを2本。そして、アン
コール。その場の気分の流れを積み重ねるような悠々としたセッションを見
せる。人力トランス系ビートのりはほとんどなく、ROVOのファンだと新
鮮と感じる人と、らしくないという人の二つに分れたのではないか。

 ちょっとレトリックも混ざるが、ぼくはジャズとロックの違いを以下のよ
うに説明したりする。瞬間瞬間の流れや瞬発力が重要視されるジャズは“点
”の繋がりからなる直線的音楽であり、一方ロックはより具体的に“面”で
表現しようとする表現である……。だが、この日の即興演奏は間違いなく、
ある意味“面”であることに留意したものだったのではないのか。意見の交
換や表出はするが、それは過度に個人プレイに走るものではなく、協調表現
のなかでそれを展開して行こうという意思を感じさせるものだったから。だ
から、会話はしているけど、過剰な突出を与えるものではない。当然、血や
涙や精液の感覚を持つものでもない。それはそれで、不満を覚える部分もな
くはないが、そういうある種まろやかだったり清らかだったりする即興表現
があってもいいだろう。誇張して言えば、川のせせらぎのような自然音のよ
うなもので会話しあっているような感じがそこにはあった(そんな音をちゃ
んと扱っていた卓担当者はZAK)。かつてカブサッキにインタヴューしたと
き、ジャズや実験音楽は嫌いだと言っていことにも、それは符号する。

 アルゼンチン・サッカーは清らかとは言えないだろうけど、この日の演奏
に触れると、アルゼンチンは相当にピースフルな人たちが多いのかもと思わ
せられるかも。まあ、カブサッキは俺たちは少数派というようなことも言
ってたはずだが。アルゼンチンと言えば、この10月には、全然音響派ではな
いが、アルゼンチンの不思議な磁力を伝える女性アーティストがシンガー・
ソングライターの鈴木亜紀さんにの招きによって、全7公演を行う。個性と
味豊かな、広がり豊かなフォークロア新伝承派。伴奏はアルゼンチン勢と日
本勢の混合による。また、国立大学の哲学の教授であもあるという彼女は上
智大学他で講演も行うようだ。
 代官山・ユニット。大儀見元(2006年2月16日、他)率いる、サルサ・
バンド。男性ヴォーカル2、打楽器系3、トロンボーン系4、キーボード、
ベースという11人編成。うち、歌と打楽器の一人づつはラテン系の外国人。
ここに来る前に、トム・モレロ(2000年6月24日)立会いのオーディオス
レイヴの新作試聴会というのに行ったのだが、なかなかサバけた受け答えを
していたモレロさんももろにラテン系顔つきの人だったな。

 へえ、トロンボーンが4本という編成。サルサじゃ珍しくないの? と、
素人まるだしの感想がまず出てくる。70年初頭のブラス・ロック全盛期、ト
ランペットだけのセクションで気張ろうとしたビル・チェイス率いるチェイ
スってバンドがあったよなー。なんにせよ、金色に光る楽器がステージにず
らりと並ぶのはときにいろいろと想像力を喚起する場合がある。いや、打楽
器のほうがそうかなー。そういえば、昨日は日曜にも係わらず下北沢でブラ
ック・ボトム・ブラス・バンド(2002年10月16日、他)の取材をやって
、その後に大勢のアマチュアのブラス奏者や打楽器奏者たちと一緒に彼らが
街頭を練り歩く(下北沢音楽祭の一環らしい。毎年やっているらしい)とい
うものに少しだけ触れた。セカンドライン的発想の活用ですね。関係ないけ
ど、100 人超えるサックス奏者がぼわーって吹くアーバン・サックスとい
う名前のフランスのアート集団が昔あったな。

 もっと音質のヴァリエーションが欲しいかもと感じるときもあったが、大
儀見がリード・ヴォーカルを取ったザ・ビートルズ曲カヴァーのときのソロ
回しから4人全員の咆哮に至るまでの怒濤のトロンボーン表現はお見事。っ
て、一応トロンボーン所有者なもんで過剰に反応していますね。ともあれ、
いろいろな曲調のもと、ラテン・ミュージックの楽しさや芳しさや胸騒ぎ感
をはじめ、いろんな感興を誘う手触りあり。ただ、ヴォーカルの音量はもう
少し大きくてもいいと感じた。


ヘンリー・バトラー

2006年7月14日
 丸の内・コットンクラブ(ファースト)。ステージ上にフル・サイズのグ
ランド・ピアノがどーん。スタンウェイだったような気がしたが、彼がライ
ヴ・パフォーマンス時に弾いたピアノのなかでは物理的に一番高い方のピア
ノだったのではないか。

 盲目のニューオリンズのピアニスト(2004年9月17日)。最近ではBMG
/ソニーからリリースされたニュー・オリンズ系名手満載の大型プロジェク
トであるザ・ニューオリンズ・ソシアル・クラブの一員に入ったりしていて
(アルバムは『シング・ミー・バック・ホーム』。カトリーナ被災後のその
手の企画アルバムのなかでは、一番ニューオリンズ・ファンク色が強いと思
う)、ナイスなタイミングでの来日と言えるのではないのか。頭から3分
の2ぐらいは、一切歌わずピアノ・ソロで通す。ときに、やんわりクラシッ
ク調の楽曲を披露(ウィンダム・ヒル時代の曲とか言ってたけど、あんな曲
やってたっけかな?)したりも。ちょい勝手が外れるところもあったが、歌
も歌う(結構、野太い声の持ち主)ようになってからのほうが俄然、味が良
くなったのは間違いない。プロフェッサー・ロングヘアーやジェイムズ・ブ
ッカーら先達派生/カヴァー曲もコメント付きで後半に登場。1時間半ぐらい
パフォーマンスしたかな。彼はワンタッチ式(と、言いたくなる)の折り畳
みの杖を使用していた。      

コールドプレイ

2006年7月18日
 ひどく雨の降る日(でも、久しぶりに涼しい)、九段下・日本武道館。2
日間公演のうちの初日。満員。やっぱ人気あるのだなー(駐車場には、非首
都圏ナンバーの車もそれなりに留まっていた)。でも、ぼくにとって、彼ら
はいまいち縁遠いバンドだった。なんか、きっちりと聞く機会もなく、勘(
ぼくを、動かしている一番大きなもの?)により多大な興味も持てず、なん
となくぼくは傍観者でいいやと思うまま現在にいたっていたのだ。プロの言
いぐさではないかもしれぬが、でも、そういう事ってあるよな。人間、すべ
てをカヴァーするのも無理だし。

 結論から言うと、とっても感心した。やっぱり、売れているバンドは本当
にすごいとも思えた。まず、見せ方が適切、いや卓越していた。客電が消え
る前には地味な配置だなと思えたステージ・デザインであったが、暗くなっ
て始まるとうわあ。背後に置かれた細長いヴィジョン(映される映像も非常
に素晴らしい)や多彩な照明の用い方(それは、渋さと派手さをうまく行き
来するもの)なんかが絶妙にかみ合って、今のロック・バンド像をうまく表
出すことに成功していた。途中に2階後方から、ドデカい風船がいっぱい落
ちてきたりとか、エンターテインメント性を持たせることにも抜かりない。
なんか、レイディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日)やシ
ガー・ロス(2003年4月14日、2006年4月5日)らが持つ今様な美意識をも
っと砕けた感じで出すことが出来ていた、とも書けるかな。しかし、すごい
な、コイツらまだ20代だもんな。

 で、音楽のほうも悪くない(なんで、ぼくは敬遠していたのか)。まず感
心したのは、きっちりバンドの演奏をしていたこと。なんとなく、テクノロ
ジー音も多用するバンドというイメージを持っていたが、ちゃんと生身の人
間が演奏しているという質感をしっかりと出していた。それは、彼らが(ギタ
ー・バンドとしての)U2に強く影響を受けている事実をぽっかりと浮き彫
りにするものでもあった。フロント・マンのクリス・マゥーティンの裏声も
うまく使う歌声も良く聞こえたナ。彼(キーボードやギターを持って歌う時
も。全ては彼を中心にショウは展開する)、今時珍しいぐらいに(レトロな
タイプとも言える)ステージ上を動き、見栄を切ったポージングをする。で
も、それも全然ワザとらしいものではなく、ロック様式としてこういうモノ
もアリだと思わせられた。

 終盤2曲、U2やストーンズ(2003年3月15日)がそうであるように、
ステージ前方にメンバーが出てきて中央に固まり、アコースティックのりで
演奏。それを見て、本当はステージの出島のようなところでそれが行われる
のかとも感じ、海外ではもっと大きなスタジアム級の会場で彼らはライヴを
しているのかもと思う。曲によっては、観客は当人たちに合わせてけっこう
合唱状態。

 知人にコールドプレイに行くんだと聞いたら「あ、そう」とつれない返事
を過去は返したと思うが、今だったら「いい、ライヴ・バンドだよねえ」と
笑顔でぼくは応えを返すと思う。また来たら、また見に行きたい。

 夜半、帰宅して、なに気にTVをつけると、この前教会でやった(2006年
5月31日)中島美嘉とアラン・トゥーサン(2006年6月1日)の共演ライヴ
の模様を放映してて、びっくり。その来日時に収録しただろう対談の映像も
。芸能界流儀にソツなく合わせるトゥーサンって、度量がデカいな。
 ノラ・ジョーンズ(2002年5月30日、2002年9月14日他)らとのリ
トル・ウィリーズの活動で一気に名前を知られるようになった、シンガー・
ソングライター。ショーケース・ライヴで、六本木・スーパーデラックス。
達者に、訥々と生ギターの弾き語りを披露。ぼくはアルバムで聞くことがで
きる、バンド付きの表現のほうが好きだ(まったく逆の感想をもらす、識者
もいましたが)。というか、ぼくはあのEMI作(『スロー・ニューヨーク
』)をとても買っているのだ。もしかすると、サーシャ・ダブソン(2006年
4月22日)とともに11月か12月に一緒に来日公演ができるんじゃないか、と
のこと。


 毎年やっているブルース・カーニヴァル(2005年6月4日、他)が、上記
の名前に変更になって、今年も開かれた。毎度のごとく、日比谷野外音楽堂
。今週はずっと雨が降っていた(長野県や九州はひどい災害を受けている。
地球温暖化とともに、悲劇はどんどん増えていくのか……)ものの、この日
はかろうじて降雨をまぬがれる。

 まず、元ブレイク・ダウンの近藤房之助。ブルース曲だけでなく、ブルー
ス・ビヨンド曲も余裕でかます。ものすごーく前に偶然な流れで一緒に飲ん
だことがあって、そのとき「キミはオンナにもてるでしょ」と言われて以来
、ぼくのなかで彼はとってもいい人になっている。彼はギターもギュンギュ
ン弾く。

 続いて、ヴァン・ハント。彼の来日は超うれしかった。だって、スライ・
ストーンへの良質な憧憬表現曲を何曲もアルバム(2枚出している)で聞か
せる彼、新世紀に入ってから出たR&B系の新人のなかではもしかして一番
いいゾとぼくが思えた人であるから。おお、長身な人なんだあ。混合型の音
楽性を持つ米国黒人って、比較的小柄な人が多いというイメージをぼくはな
んとなく持っているのかな? あと、肌の色も薄目。その恰好は帽子をかぶ
り、ネクタイ/ジャケットを見につけるとともに、ロング・ブーツをはく。
ちょっと、イカれた感じは出ている。ギターを持ちながら歌う本人に加え、
キーボード、ギター、ベース、ドラム、コンガ奏者を従える。うち、鍵盤と
ベースは白人女性。3曲目あたりでスライの「ハイヤー」を挿入。だけど、
それ以外はスライ風な部分はあまりなく、その代わり(?)プリンス風、フ
ァンカデリック風、アイズリー・ブラザーズ風といった感じの曲をやる。ま
あ、まっとうな好みを持つ、変な有色の人というイメージは増幅されますね
。アルバムで感激しちゃったほどの味を感じさせる人ではなかったが、また
来日したらもちろん見に行きたい。現在28才の彼は、10年前にサポートで東
京に来た事があるそうだ。

 そして、左利きブルース・マンのエディ・クリアウォーター。たしか、15
年ぐらい前に来日したことがあったよなー。MCで“チーフ”というミドル
・ネームを入れて紹介された彼はインディアン風の羽飾りを頭につけて登場
するのがならわし(すぐに、それは外されるが)。で、ギターを手に、煽情
的なブルースを聞かせる。歌声は朗々、ギター・ソロも目鼻だちがくっきり
。バックはサイド・ギターとベースとドラム。いろんなヴァリエーションを
けれん見なく、颯爽と披露していく彼は、白人にも受けそうだと感じる。そ
の明快さが、乱暴な野外の場では映えるとも思う。そういえば、この12月に
P−ヴァイン発で、TSUTAYA独占発売のブルースのコンピレーション
(『ブルース虎の穴』というシリーズ名になるはず)を2作品出す予定。5
月にその選曲をしたのだが、それを組みながら今のぼくはいかに定型のブル
ース・コードや単音ギター・ソロをかったるく感じる人間であるかを痛感し
たのだけど、彼のパフォーマンスは鼻をつまむことなく接することができま
した。

 そして、名士(70年代後半に、かなり日本でも人気を博した)オーティス
・クレイ。白色のパンツとシャツ、少し痩せたかな。いやあ朗々の声、重量
級のソウル・ショー。スリルには欠けるとどこか感じさせる部分もあるが(
逆に言うと、安定感たっぷり)、実にはまったR&B表現を展開。ゆったり
したリズムの曲を中心に取り上げていることもあるが、本人の節回しの妙を
バンド音とかみ合わせながら悠々と出していく様式を持つ各曲はかなり長め
。バンドも良く、ずっと日本には来ていなかったと思うが、現役バリバリで
あることを痛感。女性コーラス2、管楽器(トロンボーン、トランペット、
バリトン・サックス)、キーボード2、ギター、ベース、ドラムという布陣
。ずっとシカゴをベースとする彼、なんとキーボードの一人は名アレンジャ
ーのトーマス・ワシントン(2002年6月23日の項、参照)。へ〜え。

ザ・ダズ・バンド

2006年7月24日
 オハイオ州クリーブランド(と、書くだけでちょいうれしくなるなあ。R
&Bもロックもいろんな人を輩出している街だ)で組まれたセルフ・コンテ
インド・グループ。モータウンと契約し、80年代を代表するブラコン系グル
ープ表現を送りだした集団だ。もう30年近いキャリアを持つグループだが、
出てきた連中はけっこう老けていない。おなじみのボビー・ハリス(ヴォー
カル、サックス)と、一時クール&ザ・ギャングに入ったこともあったスキ
ップ・マーティン(ヴォーカル、トランペット)を中心に、ギター、ベース
、キーボード、ドラムという布陣。なんと、ドラマーはずっとギャップ・バ
ンドで叩いていた人だという。

 楽しかったのは当然として、相当に興味深いパフォーマンスだった。まず
は、その恰好。R&Bグループの場合、けっこう恰好を揃える場合が多いの
だが、彼はみんなバラバラ(といっても、汚い恰好ではない)。それはそれ
で、彼らの自由闊達さ、その流儀を感じさせるものであった。きっちりと噛
み合うバンド・サウンドにのる管楽器も担当するフロントの二人の歌は、オ
ーティス・クレイの熱唱に触れた後だと軽量級だと感じさせはするものの、
もちろん悪いものではない。

 で、印象に残ったのは、ディスコ・ミュージック風のエンターテインメン
ト性をアピールしたり、一方ではスムース・ジャズ風のインスト(個人的に
は嫌いだ)を長めにかましたりとか、けっこういろんな米国黒人音楽のヴァ
リエーションを総花的に俯瞰している所が伺えたこと。それは絶対に、80年
代に彼らが展開していたパフォーマンスとは別モノのはずで、そのことは彼
らが現役バリバリであり、懐古的ではない今のパフォーマンスをしっかりと
やっていると認識させる。拍手。で、恰好もそれに合っている。丸の内・コ
ットンクラブ、セカンド・ショウ。
 マスター・オブ・クルーヴという大上段に構えたグループは、60年代後半
のブルーノートからいろいろとリーダー作を出しているオルガン奏者のリュ
ーベン・ウィルソン(1935年生まれ)や、ブルーノートが最厚遇したギタリ
ストのグラント・グリーン(ウィルソンの大きな仕事のデビューは彼のバッ
キングだったのでは……)の息子であるグラント・グリーンJr.(年齢不肖な
がら、おやじくさい)らが集ったグループ。その名前でアルバムをすでに2
枚出している。本来はバーナード・パーディがそこでドラムが叩いていたが
、今回の来日公演はジェイムズ・ブラウンの黄金期の屋台骨をジャボ・スタ
ークスとともに担ったクライド・スタブルフィールド(1943年生まれ)がな
んと同行。彼への声援が一番大きかった事実のが示すように、彼が一等集客
力を持っていたのではないか。スタブルフィールド(1999年10月25日)
はここ10年で最低2枚のリーダー作を出していて、1枚はかつてJ.B.ホーン
ズもプロデュースしたことがある英国人のリチャード・マツダ、もう1 枚は
ベン・シドラン(2006年4月9日)のプロデュースによるもの。シドランは
スタブルフィールドのことを大好きで、70年代初頭から自己作品レコーディ
ングに彼を呼んだり、90年代のゴー・ジャズ録音作で彼を起用したりしてい
るんだよな。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 偉大なマスターたちとやりとりするグリーンJr. が前に見た自己公演( 20
03年4月18日) より格段にうまく聞こえたのには驚いた。共演者マジック
、と言っていいのかな。長身のリューベンはほんといい感じ。フット・ベー
スにも感心。最初は4ビートのブルース曲をやる。だが、あとはモータウン
曲あり(グリーンJr. はテンプス他で知られる「ジャスト・マイ・マジネー
ション」で朗々とヴォーカルを取る)、アイズリー・ブラザーズ曲あり、ジ
ェイムズ・ブラウン曲あり。余裕と笑顔がある(3人で顔を見合わせて、ニ
コニコしていたな)の、米国黒人流儀/因子の包括的活用……。

 移動して、南青山、ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。まず、出て
きたのはホワイト・ブルースの大御所、ジョン・ハモンド(1942年生まれ)
。米国でもっとも権力あるジャズ・プロデューサー(CBSとの関わりも深
く、初期ボブ・ディランも手掛ける)であり、もともと大富豪の出という恵
まれた立場が導いたであろうリベラルさで米国黒人地位向上のために尽力し
た名士の趣味人たる息子(それゆえ、かつてはジョン・ハモンド・シニアと
区別できるように、ジョン・ハモンドJr. と表記されたりも) 。白人ゆえの
薄いブルースをやるというイメージから、ぼくはちゃんと彼の表現に触れて
きていないが、ブルース基調の白人弾き語り表現として聞けばぜんぜん問題
はない。生ギターやドブロ、そしてハープを用いて、アーシーさと軽妙さを
自在に行き来。羨ましい、悠々自適さもやはり感じたな。

 そして、デイヴィッド“化け物”リンドレー(1944年生まれ)。こちらも
、ソロ・パフォーマンスにて。ドラマーのウォリー・イングラムとのデュオ
であった前回の来日公演(2003年5月21日)のときとはけっこう印象が違
う。でも、やはり妙味に富んだマスターであり、アメリカの奥深さをしかと
感じさせる人のは間違いない。ウードみたいなのを弾くとき以外はワイゼン
ボーンを膝において演奏し、美味しい癖を持つ声で歌う。

 最後は、和気あいあいと一緒にやる。実は、リンドレーとジョン・ハモン
ドは同じエイジェントがついているらしい。ビル・フリゼール(2000年7月
21日、2006年5月14日)やアラン・トゥーサン(2006年5月31日、6
月1日)やチャーリー・ワッツ(2001年10月31日、2003年3月15日
)やブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ(2004年9月17日、他)らも
同じようだ。リンドレーはこの後すぐに朋友のジャクソン・ブラウン(20
03年5月2日)とともに、欧州ツアーに入る。


 週末にどうしても外せない用事があって、車も新しいし行きたい気持ちは
あったものの、今年はフジ・ロックはパスする(一度行かないと行かなくな
りそうで怖いにゃー)。……今年のフジ・ロックに出演した英国人たちを2
か所で見る。恵比寿・リキッドルームのほうは<フジ・ロック・ブリティッ
シュ・アフター・パーシティ>と題されていて(昨年も行われた。2005年8
月2日)、英ニュー・ミュジカル・エキスプレス誌が主催しているようだ。

 まず、渋谷・クラブクアトロで、中国系の血も入っているというUK女性
シンガー・ソングライターのケイティ・タンストール。本国でかなりのセー
ルスをあげているそうだが、ジェイムズ・ブラントをはじめ、英国ってなん
か今シンガー・ソングライター系に対する需要があるんだよなー。
 
 おお、才ある人。ちゃんとした曲を書き、ひっかかりのある声で歌え(主
に、アコースティック・ギターを持って歌う)、バンドともにそれを開ける
人ですね。そして、きっちり公の場で自分を出せて、くだけた態度で客とち
ゃんとコミュニケートもできる人。繊細な情緒を持ついかにも弾き語り基調
の曲から、オールド・ロックっぽい曲(ザ・ウィングスの『バンド・オン・
ザ・ラン』を思わすような、単音のシンセ音が用いられる曲も)、黒っぽい
曲まで、いろんな引出しを持つ。カーキ・キング(2004年8月3日、200
5年3月26日)のようにギターのボディを叩く音やギターのストローク音を
サンプリングし、それを基調の音に設定してから始まる曲もあった。とにか
く、適切で、まっとう。ギター、ベース、ドラム、キーボードがサポートす
るが、バック・バンドというよりはカンパニーと言ったほうがいいと思える
雰囲気があってそれもマル。彼女は、いいバンド経験も持っているはず。こ
こ数年ライヴ・パフォーマンスに触れた新進の女性シンガー・ソングライタ
ーのなかで、一番共感が持てる人だった。

 会場はゲキ込み。800 人ぐらいは入っていたのではないか。クソ暑くて参
った。40分見て、後ろ髪ひかれる思いで移動するが、苦行にならない環境だ
ったら、もっといたかも。

 そして、恵比寿・リキッドルーム。最初に登場したイアン・デューリーの
息子であるバクスター・デューリーは見ることが出来なかったが、2番目の
フィールズはけっこう見れた。キーボードとヴォーカルの女性を含む、5人
組。実際のところは知らないが、大学の同好会あがりみたいな風情を持って
いる連中。基本は、ほのかな青春的な手触りを感じさせるかもしれない飄々
ギター・ロック。けっこう男性と女性が一緒にリード・ヴォーカルを取るの
が面白い。ときに、シューゲイザー的轟音が入るときも。

 続いて、4人組のザ・ライフルズ。基本はパンク・ロック期の心意気あり
きのギター・バンド的表現。リードをとるギタリスト君はU2のエッジのよ
うな奏法をうまいだろ的にかましたりも。そこここ、青い。途中で、飽きる。

 最後は、ミステリー・ジェツ。父親と息子が一緒にやっている、という事
でも話題を呼んでいるが、なるほどねえ。パーカシッョン(中央前方に堂々
とパーカショッン・キットが位置する)、ギター、リード・ヴォーカル担当
の小僧と横でキーボードやギターを弾くちょい渋おやじが親子なのだろうか
。他に、ギター、ベース、ドラム、若いほうはみんなハタチぐらいらしい。
耳年増のお父さんがどのぐらい音楽的イニチアシヴを持っているのかは知ら
ないが、けっこう皆で歌ったりする怒濤のポップ・ロック表現は確かな訴求
力あり。随所に妙な過剰さがあって、それが導く美味しい違和感のようなも
に、なぜか方向性は違うのにぼくはマーズ・ヴォルタ(2004年1月7日)の
ことを思い出したりも。不可解な回路を経由しながら発散に至る感覚や、わ
が道を行くしなやかな強さ〜自由が介在していると思わせるところが重なる
からか。

 こちらの会場は混んでいなくて、途中から冷房がきつくてたまらなくなっ
たナ。そういえば、どのバンドもバスドラの音がボディ・ソニック的に床を
通してどすんどすんと伝わる。この前のバッファロー・ドーターのときもそ
うだったが、ここ(新宿時代から、音は良かった)のPAって普段からクラ
ブ・ミュージック的な仕様でロック・ライヴも行っていたっけか。不自然だ
という声もあるかもしれないが、今の時代、それもありだろうとは思う。

 梅雨明けて早々の今日、昼間もかなり過ごしやすかったが、外に出ると異
常に涼しい。フジの夜もびっくりの肌寒さ、なり。