マスター・オブ・グルーヴ。デイヴィッド・リンドレー、ジョン・ハモンド
2006年7月26日 マスター・オブ・クルーヴという大上段に構えたグループは、60年代後半
のブルーノートからいろいろとリーダー作を出しているオルガン奏者のリュ
ーベン・ウィルソン(1935年生まれ)や、ブルーノートが最厚遇したギタリ
ストのグラント・グリーン(ウィルソンの大きな仕事のデビューは彼のバッ
キングだったのでは……)の息子であるグラント・グリーンJr.(年齢不肖な
がら、おやじくさい)らが集ったグループ。その名前でアルバムをすでに2
枚出している。本来はバーナード・パーディがそこでドラムが叩いていたが
、今回の来日公演はジェイムズ・ブラウンの黄金期の屋台骨をジャボ・スタ
ークスとともに担ったクライド・スタブルフィールド(1943年生まれ)がな
んと同行。彼への声援が一番大きかった事実のが示すように、彼が一等集客
力を持っていたのではないか。スタブルフィールド(1999年10月25日)
はここ10年で最低2枚のリーダー作を出していて、1枚はかつてJ.B.ホーン
ズもプロデュースしたことがある英国人のリチャード・マツダ、もう1 枚は
ベン・シドラン(2006年4月9日)のプロデュースによるもの。シドランは
スタブルフィールドのことを大好きで、70年代初頭から自己作品レコーディ
ングに彼を呼んだり、90年代のゴー・ジャズ録音作で彼を起用したりしてい
るんだよな。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
偉大なマスターたちとやりとりするグリーンJr. が前に見た自己公演( 20
03年4月18日) より格段にうまく聞こえたのには驚いた。共演者マジック
、と言っていいのかな。長身のリューベンはほんといい感じ。フット・ベー
スにも感心。最初は4ビートのブルース曲をやる。だが、あとはモータウン
曲あり(グリーンJr. はテンプス他で知られる「ジャスト・マイ・マジネー
ション」で朗々とヴォーカルを取る)、アイズリー・ブラザーズ曲あり、ジ
ェイムズ・ブラウン曲あり。余裕と笑顔がある(3人で顔を見合わせて、ニ
コニコしていたな)の、米国黒人流儀/因子の包括的活用……。
移動して、南青山、ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。まず、出て
きたのはホワイト・ブルースの大御所、ジョン・ハモンド(1942年生まれ)
。米国でもっとも権力あるジャズ・プロデューサー(CBSとの関わりも深
く、初期ボブ・ディランも手掛ける)であり、もともと大富豪の出という恵
まれた立場が導いたであろうリベラルさで米国黒人地位向上のために尽力し
た名士の趣味人たる息子(それゆえ、かつてはジョン・ハモンド・シニアと
区別できるように、ジョン・ハモンドJr. と表記されたりも) 。白人ゆえの
薄いブルースをやるというイメージから、ぼくはちゃんと彼の表現に触れて
きていないが、ブルース基調の白人弾き語り表現として聞けばぜんぜん問題
はない。生ギターやドブロ、そしてハープを用いて、アーシーさと軽妙さを
自在に行き来。羨ましい、悠々自適さもやはり感じたな。
そして、デイヴィッド“化け物”リンドレー(1944年生まれ)。こちらも
、ソロ・パフォーマンスにて。ドラマーのウォリー・イングラムとのデュオ
であった前回の来日公演(2003年5月21日)のときとはけっこう印象が違
う。でも、やはり妙味に富んだマスターであり、アメリカの奥深さをしかと
感じさせる人のは間違いない。ウードみたいなのを弾くとき以外はワイゼン
ボーンを膝において演奏し、美味しい癖を持つ声で歌う。
最後は、和気あいあいと一緒にやる。実は、リンドレーとジョン・ハモン
ドは同じエイジェントがついているらしい。ビル・フリゼール(2000年7月
21日、2006年5月14日)やアラン・トゥーサン(2006年5月31日、6
月1日)やチャーリー・ワッツ(2001年10月31日、2003年3月15日
)やブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ(2004年9月17日、他)らも
同じようだ。リンドレーはこの後すぐに朋友のジャクソン・ブラウン(20
03年5月2日)とともに、欧州ツアーに入る。
のブルーノートからいろいろとリーダー作を出しているオルガン奏者のリュ
ーベン・ウィルソン(1935年生まれ)や、ブルーノートが最厚遇したギタリ
ストのグラント・グリーン(ウィルソンの大きな仕事のデビューは彼のバッ
キングだったのでは……)の息子であるグラント・グリーンJr.(年齢不肖な
がら、おやじくさい)らが集ったグループ。その名前でアルバムをすでに2
枚出している。本来はバーナード・パーディがそこでドラムが叩いていたが
、今回の来日公演はジェイムズ・ブラウンの黄金期の屋台骨をジャボ・スタ
ークスとともに担ったクライド・スタブルフィールド(1943年生まれ)がな
んと同行。彼への声援が一番大きかった事実のが示すように、彼が一等集客
力を持っていたのではないか。スタブルフィールド(1999年10月25日)
はここ10年で最低2枚のリーダー作を出していて、1枚はかつてJ.B.ホーン
ズもプロデュースしたことがある英国人のリチャード・マツダ、もう1 枚は
ベン・シドラン(2006年4月9日)のプロデュースによるもの。シドランは
スタブルフィールドのことを大好きで、70年代初頭から自己作品レコーディ
ングに彼を呼んだり、90年代のゴー・ジャズ録音作で彼を起用したりしてい
るんだよな。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
偉大なマスターたちとやりとりするグリーンJr. が前に見た自己公演( 20
03年4月18日) より格段にうまく聞こえたのには驚いた。共演者マジック
、と言っていいのかな。長身のリューベンはほんといい感じ。フット・ベー
スにも感心。最初は4ビートのブルース曲をやる。だが、あとはモータウン
曲あり(グリーンJr. はテンプス他で知られる「ジャスト・マイ・マジネー
ション」で朗々とヴォーカルを取る)、アイズリー・ブラザーズ曲あり、ジ
ェイムズ・ブラウン曲あり。余裕と笑顔がある(3人で顔を見合わせて、ニ
コニコしていたな)の、米国黒人流儀/因子の包括的活用……。
移動して、南青山、ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。まず、出て
きたのはホワイト・ブルースの大御所、ジョン・ハモンド(1942年生まれ)
。米国でもっとも権力あるジャズ・プロデューサー(CBSとの関わりも深
く、初期ボブ・ディランも手掛ける)であり、もともと大富豪の出という恵
まれた立場が導いたであろうリベラルさで米国黒人地位向上のために尽力し
た名士の趣味人たる息子(それゆえ、かつてはジョン・ハモンド・シニアと
区別できるように、ジョン・ハモンドJr. と表記されたりも) 。白人ゆえの
薄いブルースをやるというイメージから、ぼくはちゃんと彼の表現に触れて
きていないが、ブルース基調の白人弾き語り表現として聞けばぜんぜん問題
はない。生ギターやドブロ、そしてハープを用いて、アーシーさと軽妙さを
自在に行き来。羨ましい、悠々自適さもやはり感じたな。
そして、デイヴィッド“化け物”リンドレー(1944年生まれ)。こちらも
、ソロ・パフォーマンスにて。ドラマーのウォリー・イングラムとのデュオ
であった前回の来日公演(2003年5月21日)のときとはけっこう印象が違
う。でも、やはり妙味に富んだマスターであり、アメリカの奥深さをしかと
感じさせる人のは間違いない。ウードみたいなのを弾くとき以外はワイゼン
ボーンを膝において演奏し、美味しい癖を持つ声で歌う。
最後は、和気あいあいと一緒にやる。実は、リンドレーとジョン・ハモン
ドは同じエイジェントがついているらしい。ビル・フリゼール(2000年7月
21日、2006年5月14日)やアラン・トゥーサン(2006年5月31日、6
月1日)やチャーリー・ワッツ(2001年10月31日、2003年3月15日
)やブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ(2004年9月17日、他)らも
同じようだ。リンドレーはこの後すぐに朋友のジャクソン・ブラウン(20
03年5月2日)とともに、欧州ツアーに入る。