通算二度目となるトゥーサンの今回の来日はコステロの来日公演に合わせ
てユニバーサル・ミュージックがプロモーション目的で呼んでいるのだが、
この日の一般公開のトゥーサンのソロ公演は、せっかく来たんだからライヴ
をやりたいという本人の申し出を受けて実現したのだという。で、7時と9
時に入替え制にて、原宿・ブルージェイウェイ。
  
 ぼくが行ったのは、9時の回のほう。開演間近に店に入ると、なんと客席
にコステロがちょこんとしおらしく座っている。ありゃりゃ。

 前日とは異なる紺色ストライプのスーツを着たトゥーサンがグランド・ピ
アノの前に座ってパフォーマンスは始まった。なるほど、トゥーサンはプロ
フェッサー・ロングヘアやジェイムズ・ブッカー、ドクター・ジョン(20
00年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日)などの秀でたニュー
オリンズ系ピアニストと比べるとタッチが弱い。それは年をとったからで
はなく、ある程度昔から。でも、彼の表現はにはそんなピアノの質感に違和
感を覚えさせないメロウネスやメロディ感覚があるのがポイントなのだ、と
そのパフォーマンスは了解させる。そして、その伸びやかな歌声ともども、
そうした彼の持ち味はロック・ファンにも共有し易いものでもあると今回、
再確認。とともに、そうした味は混血音楽の権化のようなニューオリンズ音
楽のある種の側面をずっぽり体現する人(実際、肌はそれほど黒くない)で
もあるのだな、とも。弾き語りの大メロウ曲「サザン・ナイト」には失禁しそ
うだった。でも、美曲「フリーダム・フォー・ステイリオン」は教会ではや
ったけど、このセットではやらなかったんじゃなかったか(正確なところ、忘
れている)。

 話は前後するが、このセットは中島美嘉も見にきていて、3曲目だったか
は彼女に鬼のように温かい言葉を送りつつ、「ホワット・ア・ワンダフル・
ワールド」をピアノ・ソロで崩し気味に演奏。で、一方のコステロはアンコ
ールあたりで加わるのかと思ったら、本編でしっかり2回登場し、3曲ぐら
いづつ歌う。おお。ここでも本気で彼は歌声を張り上げる。だが、それが自
分を出したいというエゴではなく(自分の喉の訴求力には多大な自信を持っ
ているという事だが)、本当にトゥーサンの持ち味やピアノが好きで、彼と
やるのが嬉しくてしょうがないんだというのを伝えるものだった。
 
 二日間、手が届くような距離でコステロのパフォーマンスに触れて痛感さ
せられたのは、彼は本当に音楽が好きで好きでしょうがない、音楽馬鹿なの
だナということ。その顔つきから、どこか斜に構えたシニカルな人という印
象をずっとぼくは持っていたが、そうじゃないんじゃないか。ちょっと例え
は外れてるかもしれないが、松岡修造のような、なりきり熱血漢系全力投球
型のまっすぐ好漢なんではないのか……、コステロという人は。ぶっちゃけ
、トゥーサンがソロ・パフォーマンスに終始した7時の回を見たほうが良か
ったかもと思ったワタシではあるが、コステロの真実に触れられたような気
分になって、なんかえも言われぬ気持ちになったのも事実なのだ。
 
 “オールマイティ”コステロ、フル・オーケストラ(東京シティ・フィルハ
ーモニック管弦楽団)を起用しての公演、有楽町・東京国際フォーラム・ホ
ールA。壮観じゃ。あのだだっぴろいステージが全部、オーケストラ員が座
る椅子や譜面台で占められているんだもの。本編が始まる前から、ひょえ〜
って気持ちになっちゃったな。事前にもらったセット・リストにはきっちり
と各曲ごとの尺の長さ(○分○秒と、細かく。単位は5秒きざみ)が書いてあ
ってまたびっくり。当然プログラム・ビートを用いているわけではない。ク
ラシックのほうの設定ってそんなに厳密なの?

 公演は2部構成。まずは、シェイクスピアの何かを元にコステロがスコア
を書いたオーケストラ作品『イル・ソンゴ』の組曲を35分。とうぜんコス
テロ抜き、オーケストラだけで披露される。へえ。ぶっちゃけ、良く分から
ない部分が多いが、すげえなという気にも少しはなる。場合によっては、サ
ックスやトンボーン・ソロを浮き上がらせるときも。また、ドラムを使う箇
所もあり、それは日本人を雇っていた。で、その長尺曲が終わると、2曲目
はコステロだけによる、生ギター弾き語り曲「ザ・リヴァー・イン・リバ
ース」(この最新曲を、今公演で本人が歌う最初の曲に持ってくるところに
、彼の新作に対する意気込みが感じられる?)。そして、オーケストラをバ
ックに、「オール・ディス・アンレス・ビューティ」と「ザ・バーズ・ウィ
ル・スティル・ビー・シンギング」と、彼は続ける。指揮者は1947年生まれ
でニュージーランド出身、歌モノ伴奏も得意な瀟洒系ジャズ・ピアニストの
アラン・ブロードベント。チャーリー・ヘイデン(2001年8月3日、2005年
3月16日)のカルテット・ウェストのメンバーでもある人だが、オーケスト
ラ表現に強い人というのは初めて知りました。

 休憩を挟んで2部へ。「スティル」や「シー」とかの人気曲をはさみつつ
、大がかりなコステロ曲といったノリで12曲が披露される。こっちのセット
はグランド・ピアノ(スティーヴ・ナイーヴ:2002年7月5日、2004年
9月19日、2004年12月8日)とアコースティック・ベース(グレッグ・コ
ーエン:1999年9月24日、2006年3月27日)も指揮者とともに中央前面に
位置する。こちらは、ステージ背景に少しカラフルな照明などもあてられ、
1部よりも多少柔らかい感じで進められる。

 とにもかくにも、大がかり。この日の公演は、2月に予定されていたものが
順延になったものだが、さぞや人々の再手配は大変だったろうなあと思う。
でもって、どのぐらいオーケストラ陣とのリハをやったのか? それなりに
無理なく重なっていた公演に触れているとそうも思わずにはいられない。ま
た、フル・オーケストラ音と威風堂々渡り合うコステロの姿に触れて、オー
ケトラの団員の方々もポップ・ミュージック側でもスターになる人はさすが
に存在感あるのだなあと思ったのではないか。

 それから、この日のコステロの圧倒的な勇士に触れながら、ぼくはジョー
・ジャクソンのことをちょっと思い出した。実のところ、同時期出たジョー
・ジャクソンのほうがぼくは昔、好きだった。JJのほうがより広がりがあ
り、明快なつっぱっりやこだわり(全曲新曲の、一発ライヴ・レコーディン
グの『ビッグ・ワールド』の実行等)を出していたし。クラシックやジャズ
的要素の導入も、彼のほうがずっと早かった。ジャクソンはさらに、ラテン
やエレクトロニクス要素のマジカルな拮抗都市ポップ作『ナイト・アンド・
デイ』という傑作もモノにした。だが、90年代に入るとジャクソンは一気に
降下線を辿ってしまう。一応、ここのところの作品も聞いてはいるが、昔の
ことが嘘みたいに冴えないもんなあ(でも、今でも、ぼくはJJに多大な何
かを抱きつづけているところがなくはないが……)。だが、コステロはます
ます胸を張り充実し、気持ちを込めた活動を本当に多方面に渡って繰り広げ
ている。あっぱれ。うーむ、人の一生って、才のあり方って本当に分からな
い。

 アンコールも「アリソン」他、4曲。最後は客席側に下りて、横の扉から
退出したりも。こんなに大がかりなことをやっているのに、その前夜は音楽
ファンとして一般客と同じように客席に平然と座り、ニューオリンズR&B
曲を心の限り絶唱する。その落差、すごすぎ。その余裕ぶちかまし、自分に
自信を持っているんだぞという意気軒昂、正々堂々ぐあいにゃ驚嘆。我が道
を行くコステロ。自分を信じるコステロ。自分をまっすぐに出すコステロ。
姿勢が太すぎるコステロ。なんか、連続で彼を見て、楽しめるか楽しめない
かとかそういう部分を通り越して、このオヤジは鬼のように尊いと肌で痛感
。なんか、生理的にひどく澄んだもの、その洪水にぼくは言葉にならない感
動を覚えた。

 06年の、ぼくの<ミュージシャン・オブ・ジ・イアー>はこの人になるの
かな。3日間、続けてコステロに接してぼくはそんなふうに今、感じている。
 一昨年のフジ・ロックに来て以来の来日となるのかな。青海・ゼップ東京
。本編は1時間40分。それはすべて、ギター、キーボード、ベース、ドラム
、パーカションという布陣のバンドにて。過剰に自分のギター演奏の妙味に
寄り掛からず、集団表現のなかから浮かび上がる自分の歌声で勝負しようと
する意思をそれは感じさせるものだった。そして、その奥にはブラインド・
ボーイズ・オブ・アラバマ(2004年9月17日)とのいろいろな絡みが跳ね
返ったものであるようにも、ぼくは思えた。彼もエルヴィス・コステロ
(2006年5月31日〜6月2日)のように、オフ・マイクで歌ったときがあ
った。

 アンコールになって、初めて彼はギターやワイゼンボーンの一人弾き語り
表現をたっぷり聞かせる。そして、またバンドによる演奏。一時、ジャム・
バンド的だなと思わせるときもあったが、今のベン・ハーパー&ジ・インノ
セント・クリミナルズはもっと王道の、塊感を重視する土着性たっぷりのア
メリカン・ロック・バンドという印象が強いように思う。1曲、ニール・ヤ
ングの「ハート・オブ・ゴールド」も披露。彼はよくカヴァーも披露する人
だが、マジ白人ロッカーのそれは初めて聞くような……。最初から終わりま
で、客席側からは熱い反応。ある種の人達にはって、ベン・ハーパーがます
ます特別銘柄になっているんだなと思わずにはいられず。

Ne-Yo

2006年6月7日
 ソングライターとして業界入りしたあとデフ・ジャムからデビューした、
23歳の新進R&Bシンガー。渋谷・Oイースト。とっても満員、ステージが
見えないよ〜ん。カラオケをバックにときにダンサーと絡みつつ、30分ほど
(!)のパフォーマンス。ちゃんとしたライヴ・パフォーマンスはまだやっ
てないということだが、伸びのある歌声と、アトラクティヴな個体をソツな
くアピール。さすが、全米1位獲得者と思わせるところもあったかな。

 ビリー・プレストンが亡くなった。何度でも書こう、ぼくはストーンズの
黄金期はプレストンがレコーディング関与していた時期(70年代初頭〜中期
)だと確信する。
 まず、オーサカ=モノレール(2002年7月25日)がザ・JBズのエッセン
スを纏めたような演奏をする。あれ、彼らってあんましうまくない……んだ
。でも、気持ちは十分って感じね。

 休憩を挟んで、オーサカ=モノレールがバッキングするマーウァ・ホイッ
トニーのパフォーマンスがはじまる。ジェイムズ・ブラウン・ファミリー/
ザ・JBズに関与したシンガーのなかで一番張りのある歌声を聞かせていた
ホイットニーを、まさか見れるなんて。青い服を着た彼女はパっと見はそん
なに老けてはいない。妙に老けこんでいたり、あまりに現役感がない感じだ
とちょっとナと危惧するところはあったが、考えて見れば活躍していたのが
60年代の後半だから、そのころハタチちょいだとすると(あの頃の写真、可
愛い〜)60歳ぐらいなんだよな。             

 肝心の歌は、かつて多くの人をゆさぶった“鉄砲喉”の片鱗は出していた
。とくに、アップ目だと生える。ただし、コクには欠け、また音程も甘いと
ころがあるので、スロウ目のほうは辛い。でも、あの強い声は文句なしに嬉
しいものだったし、彼女自身も嬉しそうにパフォーマンスしていたのが何よ
りだった。

 一度マーヴァは引っ込み、オーサカ=モノレールの単独演奏をはさんで、
終盤また登場する。“It’s Her Thing”という,スタージ後方に張られた垂
れ布もいい感じ。両者は、一緒にスタジオにも入るようだ。

レット・ミラー

2006年6月9日
 久しぶりの、千葉県舞浜・クラブイクスピアリ。ジ・オールド97ズのメン
バーでもある、テキサス州在住の軽快ロッカー。前回(2003年2月21日)
と同様に、バンド抜きの生ギターの弾き語りによるパフォーマンス。まず、
思うのはやはりルックスが良い人であるということ、そして、性格も良さ
そうということ。誠意を持ち、ちゃんと客席を見てやっていたよな。持ち
味や楽曲に関しては、ぼくの好みとピタリというわけにはいかないけれど。
ヴァーヴに移って久しぶりに出したソロ新作はジョージ・ラドクリアス、
前作を手掛けたジョン・ブライオン、マット・チェンバレイン(2004年
6月14日)らそうそうたる人達が関与。やっぱ、レコード会社受けもいい
んだろうな。彼、夏のウドー・フェスでまたやってくる。
 女性アーティストを集めた公演。春にP−ヴァインからアルバムを出した
万波麻希しか、事前に音は聞いていない。表参道・EATS and MEATS
Cay 。店名が少し変わったが、内装も新たになっていた。店内の壁という壁
に書かれていた出演者たちのサインはすべて消されていた。

 木下ときわ はボサノヴァ系楽曲をすうっと歌うシンガー。ガット・ギタ
ー奏者とハーモニカ奏者をバックに置く。オリジナルとブラジル曲カヴァー
の2系統でやっているのかな。MCの声が小さくて聞き取れなくて困った。
サポートのハーモニカ奏者がなかなか表現豊かで耳奪われる。そこそこ若い
ようにも見えたが、知られた奏者なんだろうか。50分ぐらいやったかな。

 2番目は、野崎美波。ピアノを弾く本人に加え、女性チェロ奏者、ガット
・ギター奏者、フルート奏者の計4人で表現にあたる。全員譜面を前にしな
がらの演奏。基本的には瀟洒な室内楽的演奏を展開。クラシックの素養は活
かされているだろうが、上品ではあってもそんなに型苦しくはない。曲によ
ってはボサ色が強いラウンジ・ミュージックみたいな行き方をするものも。
その場合は、野崎はスキャットも聞かせる。あと、ピアソラの先進性をや
んわりとデフォルメしているように感じる曲もやったな。1時間ぐらいは、
平気でやったはず。半年ぶりのライヴと言っていたが、NHKの土曜のドラ
マの音楽も担当しているみたい。

 そして、万波麻希。往年のスピリチュアル・ジャズとちょいクラブ・ジャ
ズとエスノ・ミュージックがくっついたような表現を鋭意やる人。ピアノを
弾き歌う彼女に加え、ベース(通常の電気と電気アップライトの両刀)、ト
ランペット、ドラム、パーカッション奏者による。アルバムはほとんど一人
で作ったということだが(でも、過剰に打ち込みっぽくはない)、違和感な
くバンド表現に移していたのではないか。身体は華奢だが、声もでかいし、
ピアノのタッチも強い(まあ、PAの使い方もあるだろうけど)。MCの声
も大きくていいのだが、ちょい喋りすぎ。ガサツなところもあるが、勢いや
迸りや、私はワタシという意思は強く出ていて、ぼくは感心した。が、10時
に知り合いと合流することになっていて(こんなにゆったりやるとは思わな
かった。6時スタートなので、9時くらいには全部おわると思ったよォ)、
前半のほうしか見れず。でも、触れるべきものがある人であるのはよ〜く実
感できました。
   
  

ジェイミー・カラム

2006年6月13日
 2004年1月28日、そして触れてはいないが同年のフジ・ロック(かな
り、インパクトのあるパフォーマンスだった)に続く来日公演。渋谷・ク
ラブクアトロ。

 ところで、前回と今回の間に一つ大きな事があった。それは、彼のユニヴ
ァーサル内で扱いがジャズ部門からポップ部門に移ったこと。つまり、より
非ジャズ・リスナー層をターゲットにすることが徹底されたわけだ。英国キ
ャンディド(セシル・テイラー、エリック・ドルフィー、ドン・エリスなど
をリリースし60年代初頭に異彩を放った、あのキャンディドのプロデューサ
ーだった英国人アラン・ベイツがやはり率いる)がリリースした彼の02年デ
ビュー作『ポイントレス・ノスタルジック』はタイトル・トラックこそわり
かしポップな自作曲だが、モンク曲やガーシュイン曲などの他人曲を歌った
り演奏したりする完全にジャズ路線にあるアルバムだったことを考えると、
隔世の感があるなあ。ってほどでもないか。

 で、その変化はパフォーマンスにも如実に表れる。ベース奏者は電気ベー
ス主体となり、ときにプリセット音を噛ませることもあったし、新たにギタ
リストやキーボード/パーカッショニストも雇う(その二人はそれぞれトラ
ンペットとサックスも吹いて、ときにセクション音を出したり、ちょいソロ
を取ったりも)など、サウンドには厚みが付けられていたのだ。彼はピアノ
を弾かずに、中央に立って歌う場合もあったしな。ヒップホップ的なビート
のもと、ヒューマン・ビート・ヴォックスを噛ますときもありました。そう
したなかちょろっといかにもジャズっぽいピアノを弾いたり、ジャズ・バ
ラードを歌ったりすると、それはそれで起爆力抜群。やはり、彼はポップ愛
好者にとってのジャズ入門アーティストになるよなとも思わせられる。とと
もに、ジャズはもうちょと歳をとってからまたちゃんとやればいいぢゃんと
も。

 タイムリーに、ワールド・カップねたをかまし(前日の、ワールドカップ
の日本の初戦敗退にも上手に触れる)、客から受けたりも。また途中、好き
なアーティストの名前を言ったりも。冒頭に名前を出したハービー・ハンコ
ック以外は、ベック、ビョーク、ダニー・ハサウェイ、スライ・ストーンな
ど、みんなポップ側の人。そして、エルトン・ジョン(「ロケット・マン」)
やレイディオヘッド等のカヴァー曲も。

 とかなんとか、とっても楽しく、味もあり、かなりいいライヴ・パフォー
マンスだったと思う。
 まず、ソニー・ミュージックの乃木坂ビルで、NY出身のシンガーソング
ライターのショー・ケースを見る。88年9月生まれ、まだ17歳なんだとか。
でも、スキルは確か。2曲はピアノの弾き語りで歌い、残りの3曲はギター
の弾き語り。どっちにしろ、曲作りは確かで、声も太くよく出ている。ブラ
インドで聞いたら、10歳上に感じるかもしれない。

 続いて、じじいになってレゲエと繋がったジャズ表現を求めるようになっ
ているジャマイカ生まれジャズ・ピアニストの公演を丸の内・コットンクラ
ブ(セカンド)で見る。こうしたノリになった彼を見るのは、今回で3度目
。1999年8月18日のときは自己のジャズ・バンドとレゲエ・バンド(ガン
プション)を一緒に起用してのスリリングなジャズ/レゲエ交錯表現を聞か
せ、2002年7月24日ののときはレゲエ調バンドだけをバックにピアノを
弾いたのだが、今回はその中間にあったような感じかな。

 まずはピアノ(には、ジャマイカの旗がかけられていたりもした)・トリ
オで1曲披露し、そこにギター(味気のない歌を歌ったりも)、電気ベース
、ドラム、キーボード、パーカッションというレゲエ・サイドのバンドが加
わる。ベースが掛け合いしたりとか、1999年夏のときより両傾向バンドは重
なり気味だったときも。ザ・スタイリッティックスの名曲でいろんな人が取
り上げている「ピープル・メイク・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」もいい
感じで延々とやる(彼、アルバムでやってたかな?)。もちろん、ボブ・マ
ーリー曲も演奏。過去同様、ときにピアニカを吹いたり、ちょい歌ったりも
したアレサキサンダーだが、鮮やかなピアノの手腕は今回一番アピールされ
ていたかもしれない。

塩谷哲

2006年6月15日
 南青山・ブルーノート東京(セカンド)。元オルケスタ・デ・ラ・ルスの
(って、古い)人気日本人ピアニスト、ブラッド・メルドーのモダン路線指
針とも少し重なる新作『グイードの手』を受けてのライヴ。バックは田中義
人(ギター)他4人で、ベースは全編アコースティック。アイデア、豊富。
MCはしゃべり過ぎ。全編、新作からやったよう。音がけっこうくっきり、
大きく聞こえた。
 新譜はある意味レトロなビート・ポップ作となっていた、日本が世界に誇
る集団(2002年1月13日、2003年11月8日)の実演は恵比寿・リキッドル
ームにて。前回見たライヴが同様に、メタルチックスがオープニング・ア
クトを勤める。

 冒頭のほう、ムーグ山本が中央前に出て大々的に歌ったりも。その様は、
トーキング・ヘッズ/デイヴィッド・バーンを彷彿とさせるもので、なんと
なくヘッズの偉業に思いをはせたりも。数年前に彼らのベスト盤が出たとき
、その表現を聞き直したら、デイヴィッド・バーンの歌のヘタさ〜それを補
うためのワザとらしい歌い方に閉口したことがあったが(その点、R&Bを
白人的な喉で歌おうとして、独自の美味しい歌唱方を初期からちゃんと提出
していたブライアン・フェリーは凄かった)、グループのあり方としては素
晴らしい集団だったと思わずにはいられないな。ときに、バーン以外の元メ
ンバーたちは今何をやっているんだろう。

 なんとドラマーがザゼン・ボーイズ(2005年7月16日)に去ってしま
ったとかで、最初期にいたという女性ドラマーが叩いていた。これで、男性
一人と女性たちという布陣になったわけだ。ああ、俺も一回ぐらいは女性に
囲まれたバンドをるんるんとやってみたいものだにゃー、と愚にもつかない
事を思う。と、本題から外れることをグダグダ書いているが、パフォーマン
スはやはり素晴らしかった。2時間ぐらいやったかな。
 ロシア生まれ、ガキの頃からジャズ・ピアノの才をあらわし、10歳から米
国カンサス・シティに引っ越して、達者ぶりをアピールしてきているピアニ
スト。現在は19歳で、ソニー・ミュージック所属となっている。普段やって
いる人たちらしいリズム体とともに、トリオ編成にて。二部構成で、2時間
弱ぐらいやったか。アンコールはソロ・ピアノにて。

 驚愕するほどではないが、よく指が動き、しっかり腕がたつ人。左右の手
の絡みでグルーヴを生む人ではないが、白人だし、ジャズ・ピアノの妙味は
それだけではないしナとも思わせる人。ちゃんと、お金を取っていい人。1
曲目はスリリングにリズム設定も変わっていくオリジナルで、それはワーキ
ング・グループでやるのっていいナと思わせる。オリジナルと他人曲(ホビ
ー・ティモンズやコール・ポーター他)は半々ぐらいづつ。笑ったのは、一
応オリジナルとなっていた「ウォーターメロン・アイランド」という曲。こ
れ、「ウォーターメロン・マン」と「カンタロープ・アンランド」、似たモ
チーフを持つハービー・ハンコックの2曲をくっつけちゃったような曲なん
だもの。あははは、でした。

 草月ホール。相変わらず、ときにホールの横を通る地下鉄の音が漏れてく
る。銀座線は大昔からあるので、半蔵門線が新たに出来て響くようになった
のかなと思ったら、事情通の人に言うには、今のホールは二代目だそうで、
初代のときも地下鉄の音が聞こえたとか。なんか、乱暴な話にふふとなる、
いい加減で、意地悪なワタシであった。
 丸の内・コットンクラブ。現役バリバリの、セルフ・コンテンド・グルー
プの最終日の最終セット。熱心そうなファンで一杯、混んでました。

 ミネアポリス近郊で結成され、90年初頭にジミー・ジャム&テリー・ルイ
スのパースペクティヴからデビューしたバンド。一時は活動を休止していた
らしいが、また元気な姿を見せている。かなりリーダーシップも取るヴォー
カル(もともとドラマーでドラム・ソロも披露)、ベース、キーボード2、
ドラムスという布陣にて。ベースとセカンド・キーボーディスト(彼はテナ
ー・サックスも吹いた)はコーラスもとる。ヴォーカリストも良く動くが、
彼らもまたよく動く。それがとってもいい!

 また、恰好/見てくれもよろしい。ヴォーカル、ベース、主キーボードは
ラフな恰好にうまくジャケットを組み合わせる。おやじには非ヒップホップ
的なお洒落感覚が嬉しいナ。とくにヴォーカリスト君はルックスも良く、な
るほど。でも、ぼくは彼の喉のほうがもっといいぢゃんと思えたか。アップ
からスロウまでちゃんと肉感的に歌えて、ときにスキャットなんかも器用に
かます。そうした器楽的な歌い方をすると、アフリカ人の歌唱法(たとえば
、ちょいユッスー・ンドゥールとか)を思い出せるところがあるのもポイン
トが高い。一方、演奏もちゃんとしているし、そのグループ一丸の表現に触
れると素晴らしいアメリカの表現、今のR&Bが聞けたナという感謝の気分
で一杯になってしまったナ。1曲だけ、ベーシストがギターを持って歌った
曲は、全盛期のリヴィング・カラーがやりそうなミディアムのブラック・ロ
ック曲でした。ひひひ。
 ブラジル発の今様天衣無縫ポップ感覚を体現する仲良し3人組+2、計5
人によるユニット。うち、中心となる3人は、2001年(5月18日参照) に来日
ライヴを行っている。その前回と同じく、なあなあな温ま湯的なノリで始ま
り、サウンドがまとまり濃くなっていくにつれて、どんどん音のやんちゃさ
が増していき、こっちの笑顔もどんどん増えるという感じの実演を展開。

 ギターだけを弾いていたモレーノ以外は、みんな微妙にステージ上の立ち
位置を変え、持ち楽器を代える。たとえば、リズム音にしてもドラムとパー
カッションが重なるものから、シンセ・パッドを二人が抑えてリズムを形作
るものまでいろいろ。ときに変テコなシンセ音も聞こえたり、打ち込みっぽ
い音も聞こえたけど、とにかく自由にして臨機応変。変テコなギターやベー
スを淡々と弾いていたペドロ・サー(昨年の、モレーノの父親であるカエタ
ーノ・ヴェローゾの来日公演にもギタリストとして同行していたようだ:2
005年5月23日)をはじめ、+2のほうも連係ばっちり。たしかにヴォー
カルの質(ヴォーカルは名前が出ている3人が代わる代わる取る。モレーノ
の歌が一番ちゃんとしている)をはじめ素人っぽさ(初々しさ、と書いたほ
うがいいのかな) もあるのだが、それが見事に茶目っ気やポップな気分や枠
から逃れた自由の発露に繋がっているんだから言うことない。そして、その
奥に幾重にも見えるブラジル的機知がまた嬉しい気持ちにさせてくれるんだ
よなあ。

本編、最後には高野寛がギターで加わる。そして、アンコールはカシンの
プロデュースのアルバムを出しているSaigenjiが中央に座り、また高野も加
わる。そういう皆で行こうよ的な、鷹揚なところも彼ららしい。それからけ
っこうちゃんとしたアクセントで日本語の単語を言うなあと思っていたら、
カシンの奥さんは日本人だそう。

 楽しかったあ。当然、普通だったらアフタアワーズで弾けるところだが、
ワケありですぐにタクって帰宅。実は会場の代官山ユニットへ来る前にイン
タヴューを二本やってきたのだが、そのうち一本の方が途中でいつの間にか
MD録音が止まっていたのだ。そのアーティストは文筆家として日本人音楽
家中一番の評価を得ている人なので余計に冷や汗。で、急いで帰って起こし
てみなきゃ、となったわけ。そしたら、そんなに消えている部分はなくてホ
っ……。

 本当はコロムビア出身のスーパースター/ポップ・ロッカー、フアネスの
1時間やる予定だというショーケース・ライヴ(渋谷・アックス)も見る予
定だったが、バンド機材のトラブルで開演が長引き、ライヴが始まる前に泣
く泣く会場を後にする。

 そして、南青山・ブルーノート東京で、80年代初頭からNYで活動するブ
ラジル人女性ジャズ・ピアニストのショウを見る。ここのところは、とって
も歌のほうに比重を置いているので、なんとなく聞いてみたくなった。で、
そのパフォーマンスに触れながら、不思議なヴォーカル表現だなと軽くうな
ずく。米国に渡る前はビニシウス・ジ・モライスやトッキーニョからの覚え
もめでたかったという彼女だが、過剰にボサノヴァに寄り添うでなく。かと
いって、通常のジャズ・ヴォーカルからも離れるし、不思議なクールネスを
持つ、大人のヴォーカル表現を彼女は淡々と展開するのだ。サンタナのカヴ
ァーでも知られる「オエ・コモ・ヴァ」やボブ・マーリーの「ジャミン」も
歌う。マーリー曲のほうは先日のモンティ・アレキサンダーもやってたな。

 サポートはECMとソロ契約を結ぶベーシストのマーク・ジョンソン(な
んか、曲によってはさりげなくハーモニー・ヴォーカルを取っていた)や武
石聡(2004年5月28日。弟はブランドン・ロスの来日公演に同行している
武石務;2005年6月8、9日)、そしてぼくは初めて聞く名前のルーベン・
デ・ラ・コーデ(ギター)。

 ところで、イリアスはブラジル人らしく、サッカーのワールドカップのこ
とにもMCで触れる。今回のW杯のことについて、ぼくはここであまり触れ
てないけど(前回は本当にのぼせていろんな事かいているもんなー)、それ
はワザとそうしている。現地に行こうと思ってて、チケット取り損ねて行く
のをやめにしたことでどこかでイジけ/サメてる自分がいるのだなー、多分
。でも、そんなに強いとは思っていなかったものの、現地で日本の体たらく
を見てたら、一人フーリガンになりたくもなるよなあ。ぼくの本能が今回は
日本に踏みとどまらせたと思いたい。

 ぼくがブタと憎まれ口をきいている友人が飼っている猫(名前は、小太郎
という)は、ここのところロナウドと呼ばれている。