この日もフジ・ロックに出た、米国からの女性アーティストを二組見る。
ライロ・ケリーというグループもやっているルイス嬢のパフォーマンスは一
緒にレコードを作ったワトソン姉妹(コーラス)、さらにギター、ベース、
ドラム、キーボードという布陣にて。

 女性3人のアカペラで始まったパフォーマンスは、手作り気分に満ちたフ
ォーク・ロック的路線を行く。どこか古き良きアメリカを思わせるところも
あるし、オルタナ・カントリーという言い方がピンと来る局面も。だが、そ
ういう音楽性を書くだけでは、その不思議な魅力は伝わらない部分もあるか
。彼女たち、見てくれが変。ルイスは超ミニ・スカートだし、ワトソン・ブ
ラザースも大昔のガールズ・グループが着そうな派手な色のミニのワン・ピ
ースを身につけて、今っぽいタイムレス加減があるような。なんか逆に病ん
だ感覚というか、不思議な騙し絵的構造も感じたりして。キャラ込みでの、
私の考える音楽……。最後の2曲は、ルイスはピアノを弾きながら歌う。

 続いて、LAの白人女性3人組のザ・ライク。歌とギターがプロデューサ
ーのトニー・バーグ(マイケル・ペン、エイミー・マン、エディ・ブリッケ
ル他)、ベースがミッチェル・フルーム、ドラムがエルヴィス・コステロ・
バンド他の名ドラマーのピート・トーマス、それぞれの娘なのだとか。チャ
ーリー・ヘイデンやレニー・ワロンカーの娘たちはザット・ドッグというグ
ループを組んでいたが、有名人二世たちでちゃらちゃら行こうというノリは
西海岸的ということができるのだろうか。

 オルタナっぽいポップ・ロックからニュー・ウェイヴっぽいのまで、いろ
いろ。ハード・ロック的な部分は皆無。ベース奏者が技量的には一番まっと
う。ま、音楽だけ聞くぶんには絶対に父親たちの名前は思い出すことがない
だろうけど、若い娘たちが一生懸命やっている様になんの文句があろうか。

 ここに来る前にビヨンセの新作をソニー・ミュージックで聞いてきたのだ
が、鼓動と肉声が見事に対峙する、かなりな傑作。いやあ、メインストリー
ム/売れることを前提に置くアーティストにして、このかっとび/フログレ
具合。一部の黒人は凄いことになってる。その点、白人は保守的なほうが多
いのだろうか。
 ブルーノート東京が毎夏くんでいる<ルーツ・ミュージック・フェスティ
ヴァル2006>の一環にて、キング・オブ・カリプソが出演。すでに、70才を
超えているはずの御大だが、見た目はそこまで爺には見えない。歌い方はビ
ミョーに荒いが、それも魅力的ながらっぱちな味と繋がるものか。サックス
とトランペット、女性ヴォーカル、ベース音も器用に左手で出すキーボード
、ギター、ドラムをバックに、スパロウはぐいのりで歌う。ときに、お笑い
系の歌い方も見せ、カリプソはノベルティ色の強い表現なのだなとも思う。
また、終わりそうで、どんどん煽りつつ曲が終わらないというのも、ライヴ
・ミュージックとしてのカリプソの醍醐味なのだとも知る。一度ぐらい、ト
リニダード・トバゴにも行ってみたいなー。南青山・ブルーノート東京(フ
ァースト)。

 実は、この前に、映画『クリムト』を東銀座・メディアボックス試写室で
見る(秋に公開)。もちろん、画家のクリムトを扱ったもので、チリ出身の
ラウル・ルイスが脚本・監督、ジョン・マルコヴィッチ(なんとなくジーコ
に似ていると思える瞬間があって、ちょっとイヤな気分になった)主演の多
国籍映画。かなりの美意識を貫いた、非一般性を持つ、完成度の高い映画。
クリムトが持っていた世界観やそれを取り巻く社会/時代とまったく正反対
の生理を持つような音楽をその後にすぐに享受できる、美味しい目茶苦茶な
環境に幸せを覚えたか。
    

サード・ワールド

2006年8月3日
 アイランド・レコードからおくりだされて、一時はもっともインターナ
ショナルなレゲエ・バンドでもあった(今回の来日は、大々的な欧州ツアー
のあとのものらしい)サード・ワールドのことは、大昔(84年ごろかな。
誰に誘われて行ったんだろ?)中野サンプラザで見て以来。グループを結成
して、すでに30年越え。ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード2(内ひと
りは非常に外様っぽい)、ドラムという布陣にて、うちオリジナル・メンバ
ーはキャット・クーアだけのよう。彼、あんまし老けている感じなかったな
ー。

 バンド音が出たとたんドキドキっ、来て良かったァと確信(一発で、この
ハコの音の良さも再認識)。切れがある、重みがある、力がある。68年以降
NYに住んでいるらしいリード・シンガー(彼、インナー・サークルにいた
ことがあって、そのときサード・ワールドを組む前のキャット・クーアもメ
ンバーだったらしい)の声もよい。ギター・ソロ(彼はアンコールで、エレ
クトリック・チェロでマーリー曲を演奏)、ベース・ソロ、ドラマーのパー
カッション・ソロは生理的に“観光地的”と思わせ、全体の塊感を削ぐもの
ではあったけど。

 彼らを熱心に聞いたのは、アイランド在籍時の初期3枚のみ。濃ゆーいバ
ンドの質量感には目をみはりつつ、マイナー・キー基調の曲があまり好みで
はなく、どんどん洗練スウィート指向(だからこそ、スティーヴィ・ワンダ
ーと共演したりもしたわけだ)になっていくにつれ、疎遠になった人たちでは
あったが、実演は確か。レゲエという項目を抜きにしても、彼ら聞きどころ
あるロッキン・ソウルをやっていたと思う。いや、ラスタなロッキン・ソウ
ルと書いたほうが適切かもしれないが。丸の内・コットンクラブ(ファース
ト)。


 南青山・ブルーノート東京(セカンド)。西アフリカのギニア生まれのグ
リオ出身、80年代後半のワールド・ミュージック期の代表的アーティストだ
が、いやあほんとこの人、ちょっととぼけた性格の良さそうな顔しているな
あ。アコースティック・ギターを弾きながら歌う(ときに、コラも持つ。も
っと弾いて欲しかったかな)本人に、女性バック・ヴォーカル、バラフォン
、アフリカン・ドラムス(ベース・ドラム、ハイハット、コンガとジャンベ
っぽいのを組み合わせる。シンバル類はなし)、パーシカッション、ベース
、ギター、アフリカン・フルート奏者たちが加わる。何人かは肌の色が白い人
たちで、パリ在住なのだろうか。その楽器群の微妙な噛み合いから生まれる
ポリリズムのビートはやはり興味深い。張りのある歌声はやはり嬉しい。やいろ
んな感興や誘いはあったナ。普段、会場にいると体が冷えてきて上着を着た
くなるのが常だが、この日はずっと半袖のまま。それは、会場の体感温度が
高かったためか。

 英国の温故知新型ファンク・バンドのザ・ニュー・マスターサウンズのベー
シストとキーボード奏者、それにギタリストとドラマーが合流したバンド。ダ
ブという名前がユニット名につけられているが、ダブ風味はあまりなかったも
のの、多くの曲がレゲエ・ビートを基調としていた。初老の一番年齢がいってい
るギタリストはけっこうジャジーな弾き方を見せ大々的にソロを取り、大昔の
ジミー・クリフ・バンドにおけるアーネスト・ラングリンのごとし、かな。途
中から、一時けっこう脚光をあびかけたLSK(2000年10月14日、2001年
1月10日)が)がステージ中央にあがり、しなやかに歌う。横浜赤レンガ倉
庫のモーション・ブルー・ヨコハマ。

Nori Naraokas’93D

2006年8月8日
 ここにはベーシストも、ギタリストも一杯いるの知っているよ。みんな上が
りなよ、さあジャム・セッションだ! みたいな、MCとともに始まったアン
コールはお客が出演者の楽器を演奏し、肝心のメンバーの4人はステージ中
央で踊ってる。いやあこんな光景、初めて見た。

 ニューオリンズでずっと腕を磨いていた(ハリケーン来襲の直前から、NY
在住という)日本人ベースト率いるセッション・バンド。なんと、ドラマーは
ヴァイダ・ブルー(フィッシュのキーボード奏者のペイジ・マッコールとジ・
オールマン・ブラザーズのオテイル・バーブリッジとのトリオ・バンド)やザ
・ファンキー・ミーターズのラッセル・バティーステ、ギターは山岸潤史(19
99年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日)も認
めるというやはりあちら在住のノリ・キクタという日本人、そして、キーボー
ドは痩身長身白人のブライアン・クーガンという人。なんか同胞(彼ら、30代
ちょいと20代といった感じかな)ゴコロもくすぐられるし、嬉しい編成だな。

 場所は赤坂・Bフラット。入替えはないが、その前にすでに1件はいってい
た(某レコード会社を退職する役員プロデューサーを送る会。坂田明が司会を
つとめ、渡辺貞夫、日野テル<あるはずだが、変換の漢字見つからず。すみま
せん>正、小曽根真らいろんなミュージシャンたちが演奏する。六本木・スイ
ート・ベイジル139 )ので、セカンド・ステージから見る。普段と異なり、ス
テージ向かいの客席中央部は机や椅子は置かれておらず、スタンディングのダ
ンス・スペースになっている。ナラオカはジャズもやるようだが、ここでは全
編エレクトリックを手にする。冒頭、2曲はあまりニューオリンズが入ってい
ない(といっても、バティーステがドカスカ叩くとそういうニュアンスがほの
かに出てくるが)重めのファンク曲。ソロをあまり回さず、リフの延々の繰り
返し(そこから生まれる微妙なニュアスの追求)に終始してほしいと、ぼくは
少し思ったかも。途中から、日本人パーカッションが控えめに加わったりも。

 3曲目からは、「ヘイ・ポッカウェイ」「シシィ・ストラト」「アイコ・ア
イコ」のニューオリンズ・セカンドライン(ザ・ミーターズ)・ファンク名曲
を三連発。ひゃはははは。もう、歌は歌うし、MCも主にするし、バンドのリ
ーダーはバティーステと言ってもいいのでは? 

 あと1曲、グラハム・セントラル・ステーション風のリフを持つ曲を披露す
る。本編は45分ぐらいで幕。そして、その後に、バティーステのMCにより、
冒頭に書いたアンコールが始まったのだ。バティーステは演奏の最初のほうは
ドラムを叩いたのだが、日本人に変わるとまず音の大きさが全然違う。デカい
音を出せる奴は偉い、ニューオリンズにはそういう価値観がしかとあると思う
ことにした。そのバティーステは終始はしゃいでいて、他の楽器もつまみぐい
的に演奏したりも。演奏した日本人のなかでは女性キーボーディストが一番弾
けてたような気がした。翌日のギグは、横浜のサムズアップ。より、盛り上が
るんだろうなー。

 ライジング・サン・ロック・フェスの事前盛り上げ東京公演にて、PE’Z
とUKしなやかソウル・マンのネイト・ジェームス(2006年4月2日)が共演
するというので、その出演時間に合わせてTVサッカー観戦を後半途中で切り
上げ恵比寿・リッキッドルームに行く。

 まずは、お揃いの夏仕様の恰好をしたPE’Zの面々が登場して、過去の持ち歌
や日本の印象深い曲をカヴァーしたアルバムの収録曲を軽快に演奏。そして、
ネイト・ジェイムズを招き入れ、一緒にきっちり3曲を披露する。その内訳は
、ネイトのデビュー作のなかに入っていた「ユニヴァーサル」、ブラック・ク
ロウズ(2001年7月25日、2005年8月14日)もカヴァーしたことがあるオ
ーティス・レディング曲「ハード・トゥ・ハンドル」、そして両者共作という
「リヴ・フォー・ザ・グルーヴ」。ほうって感じの、組み合わせ。ごつごつし
てたり、伸びやかだったり、有意義な発展あり。ジェームスは現在シンプリー
・レッド(1999年7月31日、日本に住むようになった屋敷豪太は不参加だが
、ケンジ・ジャマーはちゃんと参加しているそう)とツアー中で、そのブレイ
クを利用しての来日とか。
 この耳慣れないユニット名はアメリカ人有色女性4人が集ったグループだ。
その内訳はプリンス・ファミリーの出で(でも、70年代後半に高中正義のツア
ーで来日したことがあったらしい)一時はピンとしても多大な人気を誇ったシ
ーラE.(2002年8月12日)、ベーシストのローンダ・スミス(90年代中後期
から少し前までプリンス表現に係わる)、ギタリストのキャスリーン・ダイソ
ン(シンディ・ローパー・バンド。やはり、かつてプリンスのバンドにも関わ
り、そのときはキャットというアーティスト表記がなされた)、キーボードの
カサンドラ・オニール(ピンクやベイビーフェイス作に参加)という面々が、
その内訳。うち、オニール以外はスミスの04年リーダー作で顔を合わせている。

 シーラ・Eの近年のコンコード・ジャズ発のリーダー作群が腑抜けなスムー
ス・ジャズ調だったので、そういう路線もあるかもしれぬと覚悟して行ったら
(でも、彼女たちを見たいと思って行ったのだなー)、これが1曲以外はどれ
もちゃんと歌をフィーチャーしたポップ・ファンク路線(大まかに言うなら。
あまりプリンス色は強くない)にある表現を聞かせてくれてニッコリ。インス
ト曲もけっこう仕掛けがあって、ユニットとして私たちはがっつり絡んでいく
のよという意思があふれる。

 中心となるのは一番年長者でもあるだろうシーラ・E.(けっこう、綺麗でし
た) で、ドラムを叩きながら彼女が歌う曲が多かった。かつてのプリンスのツ
アーで驚愕のドラミングを披露していた彼女だが、すぐ側で叩く姿を見てちょ
い不器用ぽいんだけどきっちりとサウンドを締めるドラミングに少し胸キュン
。他のメンバーもそれぞれリード・ヴォーカルも取り、それぞれにソロ・パー
トも与えられる。さすが男性優位社会の荒波に揉まれつつ生きている人たち、
皆しっかり腕が立ちますね。それから、何かと彼女たちが嬉しそうに笑顔を交
わしながらパフォーマンスしているのが、とっても良かった。

アンコール前の後半2曲は、黒人女性が更に加わりリード・ヴォーカルを取
る。うち、1曲は親しみのある曲で一緒にうろ覚えで口づさんだが、なんの曲
だったかはもう忘れちゃった。最後はティンバレスのセットを前に出して、全
米トップ10内に入ったシーラ・Eの「グラマラス・ライフ」。やっぱり、彼女
のティンバレス演奏も人の気持ちをノックするものあり。往年のように赤いス
ティックを持たないのがちと残念ではあったが。丸の内・コットンクラブ( フ
ァースト) 。


 クラブ・ミュージックがある時代のストレート・アヘッド・ジャズを標榜
するスリープ・ウォーカーを見るのは、2002年12月6日いらい。場所は渋
谷・クラブクアトロ。かなり、混んでいる。で、うおっていう歓声や拍手の
熱烈なことにはマジびっくり。アコースティックなジャズの行き方を標榜し
つつも、持って行き方によってはこんなに熱烈な反応(客はクラブに行くよ
うな人たちだろう)が受けられるんだと、かなり感心。セカンド作リリース
をフォローする公演だが、アルバム以上にまっつぐに、局地的にはちょいフ
リー気味に事にあたる。また、本編1曲とアンコールでは、UKからやって
きたベンベ・セグエがヴォーカルで参加。スキャットを多用する彼女は細い
身体に似合わずなかなか鉄砲喉の持ち主、いいんじゃないでしょうか。しか
し、本当に熱い反応が渦巻く会場であったなあ。

 そして、深夜に南青山・マンダラへ。こちらも金曜なのでけっこう混んで
いる。恒例の、<ナッシン・バッド・ザ・ミッドナイト・フラッシュ・グル
ーヴ>(2001年12月19日、2002年7月21日、2005年2月15日、
2005年10月30日、他)と名付けられたマルコス・スザーノと沼澤尚(前
回の一晩、スザーノx沼澤x内田直之の魔法のような演奏の模様は『ネニュ
ーマ・カンサフォン,ソー・ムジカ』IDCF−1003に纏められている)が
主宰する深夜セッション。この晩は二人に加えて、ブラジル人鍵盤奏者のフ
ェルナンド・モウラとトンコリ奏者のOKI(2004年8月27日)、そし
て映像の山田秀人という顔ぶれによるもの。とにもかくにも、スザーノと沼
澤のコンビネーションは鉄壁。美味しく、興味深いったらありゃしない。そ
こに、他者が自在に乗り、その総体は例によって気分でどんどん切れ目なし
に流れていく、という内容を持つ。その奥にあるのは、音楽家としての自由
を求める意思の確認のようなものもあるか。モウラはピアノとともに、キー
ボードやラップトップもいじり、ときに不思議な音を出す。OKIはトンコ
リを4本置いていた。中盤延々と使ったのはベースのような音が出ていたな
。とにかく、こういうのに触れると、ミュージシャンっていいナと思わずに
はいられない。<ナッシン・バッド・ザ・ミッドナイト・フラッシュ・グル
ーヴ>は同所で23日と24日もあります。

サマーソニック

2006年8月12日
 久しぶりに、晴天ではないサマソニ。昼下がりに幕張メッセに着くと、一
番大きい駐車場用の案内表示に“満車”と出ている。別の駐車場に止めるつ
もりだったので別にどうでも良かったのだが、そういうことは過去なかった
ような。今年はより入りが良かったのか。恐竜展とボリショイバレエも、同
じくメッセでやっていたようだが。一時、落雷でJR山の手線は大変だった
らしいが、幕張も一時はすごい雷雨。

 この日はなんといっても、初来日となるスクリッティ・ポリッティ(マウ
ンテン・ステージ)がぼくの目玉出演者。デビュー作を出したラフ・トレイ
ドから唐突に新作を出した彼ら(というか、スクリッティはグリーン・ガー
トサイドのソロ・プロジェクトなわけだが)だが、もともとライヴ・パフォ
ーマンスをする人たちというイメージはないし、ライヴを見れるということ
でけでOK? 木曜に渋谷クアトロでやった単独公演もフル・ハウスだった
というが、会場はその前に(横の同クラスの大きさのソニック・ステージで
)見たダニエル・パウター(こなれたバンドとともに、なかなか良かったん
じゃないでしょうか。2006年3月24日)の半分の入り以下でちょい寂しい


 髭面になった元美青年のガートサイドを中心に、ギター、女性のベース、
キーホード、ドラム、キーボードと打楽器という6人編成で事にあたる。お
お、グリーン(と、やっぱりファースト・ネームで書きたくなるな。普通、
ぼくは原稿の場合、フル・ネームで書かないときは襟をただしてファミリー
・ネームを書くようにしている。なんか、ファースト・ネームだとなあなあ
な感じが出るような感じがして。でも、やはり一部の特別銘柄のアーティス
トは愛着を込めてファースト・ネームで記したくなるな。2年半前にぐらい
に、彼らのファースト再発盤のライナー・ノーツを書いたときは嬉しかった
にゃー)の声、まんまじゃないか。レコードで聞ける声は多少加工している
のかなという所感もあったけど、けっこう素がああいう感じの声質なのかな
と思えたりも。彼は大半の曲でギターを弾きながら歌う。彼はギターでモノ
を考える人だったのだな(と、初めて認知)。

 バンドはそれなりにまとまっている。特に、若い、なかなかカッコいいド
ラム奏者は腕がたつ。面白いのは、そのドラマーが曲趣によって、普通のド
ラムとエレクトリック・ドラムを使いわけて(2台、併置されていた)いた
こと。それは、スクリッティの音を知っている人なら、非常に納得ですね。
グリーンだけが前に譜面台を置いていたけど、それは歌詞を見るためか。面
白いのは、大学生風の非常に喧嘩の弱そうなキーボード/打楽器担当(そん
なに、演奏に貢献はしていなかったような)の眼鏡青年が甲斐甲斐しく1曲
ごとに、譜面台にシートを置きにいっていたこと。その風情、付き人のごと
し。グリーンがゲイという話は聞いたことがないが(そういう話題について
、ぼくは非常に疎いのだが)、二人はできてるんですよと言われれば信じそ
う。

 けっこう新作『ホワイト・ブレッド・ブラック・ビアー』からの曲をやっ
たのかな。ファースト作の「ザ・スウィーテスト・ガール」、セカンド作の
「ウッドビーズ」をやったときには夢心地。ま、パーフェクト・サウンドが
付けられていた後者の再演は知らない人が聞いたらどんな曲調かよく分から
ないモノになっていたかもしれないが。横で一緒に見ていた彼らのことを全
然知らないという娘が、良かったあCD買いますと言っていて、とても嬉ぴ
ー。まず買うなら、ファーストかセカンドだよと念をおす。

 スクリッティ・ポリッティをリアル・タイムで聞けたということは、本当
に幸せなこと也。
 
 純粋な見地に立てば、それ以上に良かったと思えたかもしれないのは、フ
レイミング・リップス(ソニック・ステージ)。夢と手作り的創意がいっぱ
い。とっても飛ばされる七色の帯(上部の鉄筋にまで届いていたものな)、
光る紙吹雪、客フロア側にまかれた大きな風船、ステージ上に登場するデカ
い風船人形、沢山のコスプレの人たち、などいろんな小道具や仕掛けを通し
て、ピースフルで夢のあるパフーォマンスをハートフルに展開。素晴らしい
。そして、愛と平和をアピールしつつ、ブッシュに対するバッシグもありで
にっこり。物理的にも生理的にも、あんなにカラフルで、満ち足りたステー
ジもそうはないのではないか。唯一、違和感があったのは「サンキュー」と
いうお礼の言葉を必ず、裏声で言っていたことぐらいか。パフォーマンスに
対する自覚と真心、鬼のようにあり。接っせれて、本当に良かった。

 今年は川の横にリバーサイド・ガーデンという簡素な小ステージが新設。
あと球場横のダンス・テント(アーバン/ダンス・ステージ)がとってもで
っかく立派になっていてびっくり。ビーチ・ステージも少し拡大し、その近
くにもデカい野外ステージ(かつて、メッセ側に設けられていたアイランド
・ステージ)が新設されていた。千葉マリーン・スタジアムは相変わらず。
リバーサイド・ガーデンとビーチ・ステージはチケット購入者でなくても観
覧可能。前にも書いたけど、中学生は電車賃とコンビニ代を持ってそこに行
け! とは、言いつつ今の中学生はお年玉とかでけっこうお金ためているか
ら、余計なお世話か。

 メッセ内で飲み物を買うと、カジノ券をくれる。で、たまったのでルーレ
ットをやっていたら、意外にあたってびっくり。楽し。博才のないぼくには
珍しいこと。まあ、お金がかかってないからな。前にルーレットをやったの
って遙か昔。オーストラリアのブリスベンのカジノでやっていらいか。

サマーソニック

2006年8月13日
 2日目。マリーン・スタジアムの横でバイク・レースをごんごんやってて
驚いた。この日はちと精神的に辛かった部分も。夕方のマウンテン・ステー
ジのフォート・マイナー(リンキン・パークのMCのユニットで、3MC、
3コーラス、DJ、ドラム、2ヴァイオリン、チェロ、打楽器という編成。
リンキンのシンガーが加わったりも)、DJシャドウ(やっぱり映像との絡
みは面白い。ラッパーとシンガーを連れてきて、絡んだりも。妙にまっつぐ
な感じを持つ人だよな)、マッシヴ・アタック(今回はツイン・ドラムにて
。照明はちと違和感を覚えたが、音の部分では今回が一番確かだったのでは
)という出演者3連発ライヴ・レヴューを頼まれて。ぎりぎりでネリー・フ
ァタードが見れなかったり(出演が遅れて、イントロだけ聞いた。今回、時
間が遅れるステージもけっこうあったな)、最後のマッシヴ・アタック(20
03年3月25日、DJシャドウも)ぐらいは混むかも(入場規制がかかって
入れなくなったらマズい)と、横でやっているハーバートやトゥールにも行
かなかったから。一か所にずっといるのは辛い。だが、その3組はどれもい
いパフォーマンスだったので、何よりではあったが。終了は10時少し前。帰
り高速は、渋滞で辟易。12時近くに帰宅し、1時間で速攻の原稿を書き、Z
ZZZ。


 久しぶりに復活なった、野外レゲエ・フェスティヴァル。同祭のホームペ
ージをひいても会場への地図やタイムテーブルなど出ておらず不安を抱かせ
るものであったが、まったく問題なし。ぼくは、レゲエ・フェスの心地よさ
を十分に満喫した。会場は横浜みなとみらい・新港埠頭特設ステージ。赤レ
ンガ倉庫の隣の先のほうで、場所は非常に便利。かつて、横須賀のほう(ジャ
パンスプラッシュ)でやってたときは遠かったもんなあ。

 晴天。ぼくはフレディ・マクレガーから見る。先に行っていた知人がいる
ところに合流。すでに、そのころには会場は満員。会場内ブロックに入りき
れない人が、会場の回りの売店などがあるスペースにとても沢山たむろ。会
場のキャパに対して、入場者が勝っている。だけど、そのことにあんまりい
らついている人がいないようだったのは、幸いだ。客の平均年齢はそんなに
低くない。そして、やっぱりロックのフェスとは雰囲気がぜんぜん違う。ゆ
るゆる。もっと、ピースフルで、横にいる人たちとのやりとりもジェントル
に仲良しぽく。大げさに言えば、ココニ来テイル人ハ皆友達、みたいな雰囲
気がただよっている。それは、ジャム・バンド系フェス以上だな。開放的で
、男女ともに肌の露出度が高い(水着基調の人も少なくない女性の場合は、
Tシャツ&ジーンズという恰好だと、重装備すぎて浮き気味に感じますね)
のも、夏フェスという気分をもりあげる。なんか、音楽以外の部分で、ぼく
はとても和めた。

 マクレガーに続き、ウェイン・ワンダー、ルチアーノ、ジミー・クリフ(
2004年9月5日)と次々にのど自慢が登場したわけだが、驚いたのはみんな
それぞれ自分のバンドを率いてパフォーマンスしていたこと。かつてレゲエ
のフェスというと、ハウス・バンドが二組いて、フロントに立つシンガーた
ちを交互にバックアップするという体裁がとられていたように思うが。とも
あれ、それはより密度の濃い実演に繋がるわけで、とても嬉しい。ジャマイ
カからやってきた人たちは総勢100人を超えているかもしれないが。それ
ぞれに好演、一番良かったのはときにメンフィス・ソウルみたいにもなるル
チアーノだったかな。

 それにしても、レゲエの人は歌も演奏もうまいなあと痛感。そして、レゲ
エのフェスはいいなあとも実感。いろんな趣向がこらされた今時のロック・
フェスと違ってステージは一つだけ。一つが終わると少しセット・チェンジ
の時間があって、また別のアーティストが登場する。それを、仲間同士で和
気あいあいと受け取る。音楽フェスなんて、それでいいのではないかと、ぼ
くは思ったりも。繰り返すが、それぐらいぼくの満喫度、楽しいなあという
思いは高かった。

 トリのジミー・クリフだけはアンコールがあって、そのときは他の出演者
も出てきて、皆でフィナーレ的に「ハーダー・ゼイ・カム」を歌う。場所が
場所だけに終演時刻厳守だったのだろうけど、午後8時1分前にきっちり終
わったのにはびっくり。ちゃんとしてるう。でも、どの人たちもきっちり自
分を出すパフォーマンスをしていて、時間を気づかってパフォーマンスして
いたという感じは全然なかったのだけど。


越路姉妹、しまさい

2006年8月22日
 代官山・晴れたら空に豆まいて という、開いて間もない、新しいライヴ
・ハウスに行く。駅近くの一等地、テナント料の高そうな建物の地下2階に
あった。その前もライヴ・ハウスを営業していた場所というが、それなりの
高さを持たせたステージを持つハコ。大きさはアストロ・ホールぐらいか。
お座敷席もあって(全体的に和っぽい、かも)、そこはとても見やすそう。
場内禁煙なのも、ぼくにはうれしい。南青山の月見ル君想フ系列だそうで、
飲み物とかはちゃんとしている。月見ルより落ちついていて、大人向きとい
う感じもあるかな。

 2006年3月6日でも見ている、2組を見ました。両者は途中にちょっと重
なったりも。
 まず、渋谷・JZブラット(ファースト)で、30年前強に非常に通受けし
た人気を得ていた(いや、デビュー作は全米総合で3位となった)米国ヴェ
テン女性歌手を見る。キーボード(ベース音も左手で兼任)、ギター、ドラ
ムを率いてのもの。ジャズやルーツ・ミュージック要素をポップ・フォーマ
ットにおいて魅力的に(たぶんに、ノスタルジックな情緒を出しながら)と
り入れた事をやった先駆者的存在と言うこともできるのかな。
 
 簡素な音で、アーシーだったりジャジーだったりする曲をこぶしを込めた
りして歌う。この世で一番好きなソングライターという紹介とともに、ボブ
・ディランの曲も歌唱。実は、彼女の新作はボブ・ディラン曲集なのだ。最
後の方で、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(1999年8月2日)も取り上げ
た、彼女の十八番曲「ミッドナイト・アット・ジ・オアシス」も披露。ぬめ
ぬめした感じのこの曲、初めて聞く人だといまいち曲の輪郭がつかめないも
のになっていたかも。やはり、魅力的にして、難しい歌だな。アンコールに
も応え、一人で出てきて彼女はアカペラで1曲歌う。

 “オールド・タイム・レディ”は本当にオールド(60歳すぎてるしな)に
なっていた。でも、お茶目な感じは悪い印象を残すものではとなかったし、
なにより少ない観客(30人ぐらい)にも係わらず、ちゃんと客とコミューニ
ケートしようとしていて、偉いなとも思った。

 そして、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、スピリチュ
アル・ジャズの大巨匠ファラオ・サンダース(2003年4月22日)を見る。
ピアノ・トリオを率いてのもの。ラヴィ・コルトレーンを従えた二管編成に
よる前回のブルーノート東京公演は見ていないが、けっこう2年前(2003年
4月22日)のときとはやっている曲調が大きく違う。前回はフツーのジャズ
曲をやったという印象が強いのだが、今回は全部コルトーン派生の太平楽系
スピリチュアル曲に終始していたんだもの。全日見た人によると、曲目はど
のセットも違い、フツーに4ビート曲をやった時もあり、このセットのほう
が例外らしい。なんにせよ、それゆえに(今の耳においては)聞きやすさ/
とっつき易さは倍増し、満員の客(非ジャズ・リスナー的風情の人が多かっ
た)も大喜び。最後の曲は踊ったり、客とコール&スポンスをしたり。1時
間45分ぐらいやったかな?

 テナー・サックス自体のフレイズは衰えを感じる部分がほんの少しあった
かも。でも……、見てくれ/風情だけでお金がとれる人であり、米国黒人音
楽のワケの判らぬ何かを確かに体現する人。それが、ファラオ・サンダース
なり。
 まず、渋谷・クラブクアトロでマデリン・ペルーを見る。ユニヴァーサル
・ミュージックがわざわざ打った公演、この大人のヴォーカル表現は売れる
と大いに踏んでいるんだろうな。ぜんぜんステージ上の姿が見えなかった昨
年の来日公演(2005年5月10日)と異なりばっちり見える。バッキングは
キーボード、縦ベース、ドラム。キーボード奏者はピアノも弾くが、オルガ
ンを弾いたときのほうがより印象的。と思ったら、MCで紹介れた名前は、
ジョシュア・レッドマン(2003年1月16日)やビル・フリゼール(2006年5
月14日)でブルーノート公演に同行しているサム・ヤエルだ。ノラ・ジョ
ーンズもお気に入りのヤエルはペルーのアルバムに参加しているが、リズム
隊の人たちもそうなのだろうか。

 その3人による、腹6分目のように非常に抑制されたバッキング音になぜ
か感心。だって、それがちょい醒めた彼女の歌(ギターを持って歌う場合が
多い)に合う。へえ、こんな妙味を持つ人であったのか。その感じにルック
ス(大昔から見ると、痩せたという印象を得る)やちょい斜に構えたような
キャラも合っていて、こりゃなかなかのタレントではないかと思った次第。
不思議に今っぽい、誘いがあった。昔から知っているが、初めてペルーを心
底いいと思ったナ。終盤はスタンダードっぽい歌を歌って、彼女がジャズ畑
出身であることを認識させる。

 そして、深夜に南青山・マンダラへ。この8月11日にもやっている、恒例
<ナッシン・バット・ザ・ミッドナイト・スペシャル>。この晩は、沼澤、
スザーノ、モウラに加え、エマーソン北村(2003年3月11日、他)と大
儀見元(2006年2月16日、7月10日、他)が加わる。ようは、打楽器系奏
者3人と鍵盤系奏者が2人という内訳のセッション。沼澤とスザーノ以外に
打楽器奏者が入ることは珍しいような……。

 当初、キーボード奏者二人によるニュー・エイジ風の調べから、打楽器奏
者が入っていき、演奏は加速度を増し、いろいろと局面を鮮やかに変えてい
く。2時間ほどの、ノンストップ・セッション演奏。音に絡む映像は迫田遙
(2006年5月30日、他)。ステージ背景に映る絵と天井部に映る絵は同じ
ものながら映り方が違うなと思ったら、3つのプロジェクターを使っている
とか。なるほど。
 デビュー・アルバムが英国1位になったそうな、21歳という英国人シンガ
ー・ソングライター。恵比寿・リキッドルームでの、ショーケース・ライヴ
。とっても地味な弾き方をするキーボード奏者をバックに、アコースティッ
テック・ギターを弾きながら7曲披露する。

 甘いマスクの人であり、ちゃんとパフォーマンスの出来る人。ぼくの好み
では陰影をあまり持たないレット・ミラー(2003年2月21日、2006年6月
9日)より魅力的、となるかな。曲はこの前のテディ・ガイガ(2006年6月
14日)ーのほうが好きか。でも、枯れ気味の声も悪くないし、パフォーマン
ス能力は彼のほうがある。最後にキーボードだけの音で歌った「ザ・ラスト
・グッバイ」はなかなかスタンダード的な曲。けっこう、そういう曲が似合
う人なのだな。

コノノNo.1

2006年8月26日
 デカい音を出せるヤツが偉い! といった具合で、伝統的なパーカッショ
ンのアンサンブルに原始的手段でアンプリファイドしたリケンベ音(親指ピ
アノ)を注ぎ込んだら、なんとも胸の空くイってるダンス・ビート送出グル
ープに、という図式を持つ、アフリカのコンゴ民主共和国のリケムベ・グル
ープの代表格。もともと、結成されたのは35年強も前だという。その電気化
音はチープな装置経由ゆえノイズまじり(現在は他の経路でも音を出してい
るが、彼らは30年前の学校が使っていたような大きな朝顔型のスピーカーを
拡声手段として用いている。今ツアーにも彼れらはデコボコになったそれを
二つ持ってきてステージ左右に並べているが、一つは壊れてしまってダミー
となっていた)。だが、それが逆にいい味/いい感興を導き出したりする。
その面白さは、レゲエのダブ誕生過程やハウスの808使用法の妙味にも繋
がる、ポップ・ミュージックの美味しくも不思議なツボでありますね。

 今回の来日メンバーは、グループ創始者で70歳を越えているマウング・ミ
ンギエディを中心にリケムベ奏者が3人、打楽器奏者が3人という布陣。多
くは歌も烏合の衆的に歌う。オリジナル・メンバーは戦争によって多くが行
方不明になってしまったというバイオどおり、ミンギエディ以外の人たちは
若めだ。リケンベのうち一つは強力なベース音担当でまるでベース奏者がい
るみたい。打楽器奏者のうち、前方中央に位置する女性(紅一点)は複数の
カウベルのようなものを叩き、後ろに位置する男性二人は手作りっぽい銅の
長い太鼓を二つ並べたもの、スネアと錆びたボロボロの鉄板を重ねたシンバ
ルをそれぞれに叩く。パフォーマンスだと、ミンギエディは後ろのほうで地
味にリケムベを弾いているだけで、現在の生演奏の主導は若い人たちが取っ
ているように見える。

 メンバーの「踊ッテクダサイ」という日本語の掛け声もなかなか(そうい
うえば、マイクで拾う人の声も最初から濁っていました:笑い)。当初はま
ばらだった会場も音と歌声が出たとたんに人がどばあって集まり、大ダンス
大会に。アルバムで聞けるまんま、それ以上何を欲する? 脳味噌とろけそ
うな快感とダンス衝動がそこにはたっぷり。途中出てきて女性奏者とダンス
で絡んだ人は、コンゴ出身日本在住のミュージャン/ダンサーであるそう。
ステージ下手には手書きの“雰囲気な" 看板が立てかけられている。客席側
から見ると、その上にターンテーブルが置いてあるようにも見えて、いつDJ
が出るのかと期待した人がいたかも。その雑食狼藉音はDJでもなんでも来い
! というものであったし。

 この日のパフォーマンスは修善寺・サイクリングセンターにおけるメタル
モルフォーゼ06への出演(ソーラー・ステージ)。会場横には、スポンサー
ドしているローランドやコーグなどの、最新の技術をいかにフィードバック
しようかと奮闘している電気楽器/装置メイカーの看板が出ているわけで、
その対比も実に愉快。酔っぱらった頭で、ひゃははははあとなった私であっ
た。全体にPA音が小さすぎるような感じがしたが? 卓は同行の若い欧州
人がやっていた。
 日比谷野外音楽堂。順に、渋さ知らズ、ROVO、コノノNo.1(2006年8月
26日)が出演するという、豪華イヴェント。もちろん、立ち見も沢山出ての、
満員。

 渋さ(2006年1月14日、21日、他)は楽曲にマンネリ感はあるものの
、かなりの好演。もう、聞き手はしっかりついている。だったら、レパート
リーでもっと冒険すべきではないか。って、そうすると、きちんとリハが必
要になってくるのかな? 相変わらず腰が低く見える不破大輔(2005年12
月22日)がスケージ上でかけているダサいショルダー・バッグが気になっ
た。

 続いて、近くスタジオ新作(非常に、大人な仕上がりという印象を得た)
を出すROVO(2006年7月7日、他)。別に派手な動きをするわけではな
いが、6人がタペストリーのように絡んでいく様を目の当たりにできる実演
はみらりおいしい。勝井祐二(2006年5月30日、他)は自己バンドのほう
に備えて、渋さのほうには出ていなかった。

 そして、コノノNo.1。偶然もらったホイッスルをピーピー吹きながら見る
。超たのしかった。それに関して、今年一番。もう、イっちゃったナ。そし
て最後には、ROVOや渋さの人たちも参加してて、和気あいあいの怒濤。