とっても見たかった映画(08年米国映画。8月15日より、日本公開)を6時半より、新橋のFSホールで見る。シカゴ・ブルース(乱暴に言ってしまうなら、都市型のバンド編成のブルース。南部からの黒人労働者を集めた北部都市のシカゴは戦後モダン・ブルースの中心地となった。だから、映画「ブルース・ブラザース」は同地を舞台とするわけですね)の総本山、チェス・レコードの誕生から終焉に向けてのストーリー(40年代後期から60年代後期にかけて)を追ったもの。チェス・レコードの創始者であるポーランド移民のレナード・チェス(オスカー受賞俳優、エイドリアン・ブロディ)と同社の中心アーティストでありブルース界大御所のマディ・ウォータース(映画「バスキア」で主役だったジェフリー・ライト)という白い肌と黒い肌の二人のやりとりを中心に、リトル・ウォルター、ウィリー・ディクソン、ハウリン・ウルフ、チャック・ベリー、エタ・ジェイムスといったチェスを根城としたブラック・アクトが実名のもと登場し、録音シーンやライヴ・シーンなどもいろいろ再現される。脚本を書き監督をしているダーネル・マーティンはけっこうTVドラマなんかも作っている64年生まれの黒人女性だそう。
 
 マディ・ウォーターズ役のジェフリー・ライトは話が進むにつれて、どんどん本人に顔が似てくる。わあ。リトル・ウォルター役のコロンバス・ショートやハウリン・ウルフ役の英国人俳優イーモン・ウォーカーもかなりいい感じ。また、チャック・ベリー役はラッパーのモス・デフ(2001年7月27日)、ロック好きでもある彼は水を得た魚のように嬉しそうにベリー役をやっている。そして、エタ・ジェイムス役はビヨンセ・ノウルズ(2006年9月4日、他)、薬中毒の汚れ役をきっちり演じているが、ジェイムスに合わせて少し腰回りを太くした? 彼女が出てくるのは、映画が三分の二を過ぎたあたりからだが、彼女の名前は制作総指揮としてもクレジットされている! ほう。また、驚かされるのは、役を演じる人たちが原典に合わせて音楽を吹き込み直していること。それらの音楽監督をやっているのは、米国音楽セレブのスティーヴ・ジョーダン(2006年12月22日、他)。彼は数年前にに少し話題になったマーティン・スコセッシ監督総指揮のブルース映画群のそれにも大きく関与していましたね。本映画はソニーの配給、チェスのカタログの権利は現在ユニヴァーサル・ミュージックが所有している。多くの人がそれらオリジナルに触れんことを。

 マディが電気ギターを手にするようになった理由は、南部のプランテーションからシカゴに出てきたら街の音がうるさくてそれまでの生ギターでは音がかき消されてしまうから。それ、コンゴのコノノNo.1(2006年8月26、27日)が電気リケンベを使うようになったのと同じ理由だァというのはともかく、そういうこともちゃんと描かれるシカゴの街頭のシーンをはじめニヤリと出来るところは随所に。ブルースという歪んだ唸り歌が出てきた背景もある程度、皮膚感覚で伝えるところもあるか。実は構成や脚本はアレレと感じさせる部分もある。マーティンさん、少し駄目監督ね。ただの映画ファンだと不満を感じる部分も出てきそうだが、やっぱり、ぼくは高揚し、そわそわし、ウルっとしかけちゃう。もちろん、米国音楽に興味を持つ人にはとても勧めます。

 ドキュメンタリーではない、米国黒人音楽を扱う純映画としては、近年だとアトランティックが舞台の「レイ」(2004年11月16日)、モータウンがネタの「ドリームガールズ」(2007年1月18日)に続くものと言えるのか。ああ、次はスタックス・レコードかな(おおいに、願望)。音楽産業にまつわる数奇なストーリーや人間模様に、ぼくはもっと触れたいっ。

 ときに話は飛ぶが、60年代のチェスのハウス・エンジニアにデイヴ・パープルという人がいた。まだUKロック・バンドのディープ・パープル(2006年5月21日)が大好きだった学生時代にその名前を複数のチェス発のレコードに見つけたときはなんか嬉しかったけなー。そのパープル氏、チェスが身売りした後(70年代初頭ぐらいかな)メンフィスに引っ越し、なんとスタックスのエンジニアに収まってしまう。そのスタックスの叩きあげハウス・エンジニアであるテリー・マニング(彼は70年にスタックス傍系のエンタープライズからソロ作を出したことも。それは、アル・ベル主導で新生スタックスに移行する際にタマ数を確保しなければならなかったためだった。それで、アイザック・ヘイズも大ブレイク作『ホット・バタード・ソウル』をリリースできた)はスタックス崩壊後、ZZトップ他を扱うどすこいロック系の敏腕プロデューサーとなったが、いつの間にかバハマのコンパス・ポイントに拠点を移してしまった。実はブッカー・T&ザ・MGズ(2008年11月24日)の68年トロピカル曲「ソウル・リンボー」でその曲趣を醸し出すマリンバを叩いていたのは彼なんだよね。マニングさん、最近だとジェシー・ハリス(2009年4月4日、他)の新作をプロデュースしています。

 なお、“キャデラック・レコード”とタイトル付けされた理由はレナード・チェスは金持ちになってキャデラックに乗りたいがためにレコード会社を立ち上げ、アーティストにも売れると次々にキャデラックを買い与えたことに由来する(そのぶん、ギャラ支払いはいい加減だったようだが)。貧乏から逃れようとした人たちによる移民の国であるアメリカにおいて、そして車産業が国の柱となった同国において、立派な車がもっとも分かりやすく手っ取り早い成功の証、見栄の手段だったのはよく分かる。そういえば、LAのスタジオ・ミュージシャンで売れっ子になる秘訣は目に見えて腕が立つことやちまちま愛想よく振る舞えることなどともに、高級車に乗ることだと同地のミュージシャンから聞いたことがある。急にいい車に乗るとアイツ最近売れっ子なんだと思われ、仕事のオファーが相次ぐようになるのだという。あ、もう一つ車ネタを思い出した。90 年前後に大ブレイクをしたラッパーのMCハマー(後に、破産しちゃったっけ?)はいい人でちゃんと入ってきたお金を音楽仲間やスタッフに分け与えたという。その分配金は相当な額だったが、皆がまずしたのは車を買い替えること。関係者が一堂に揃うツアーのリハのときなんかはその駐車場はピカピカの車だらけで、それは高級車ディーラーが突然表れたみたいだったんだそう。ハハハ。

 試写を見たあと、丸の内・コットンクラブに行って、70 年代中期から80年代頭にかけてヒットを出した、チェスとはもちろんなんの関連を持たないアトランタのファンク・グループであるブリック(2007年9月22日)を見る。セカンド・ショウ。ステージに出てきた面々には日本在住のフィリップ・ウー(2007年6月6日)も。なんでも、一ヶ月前ほどにオファーがあったようだが、メイズにいた彼のほうが格上だったりして。さすがの彼も譜面を見つつ、控え目な演奏……。

 そうした事情とは関係がないだろうが、こんなにロックっぽかったっけ。前回も荒めの演奏とは感じたが、もうがちんこで、力いっぱいな演奏をずっと続けたもの。あ、ギタリストは左利きのストラトキャスターを逆さにして(もちろん、ジミ・ヘンドリックス愛好の発露ですね)嬉しそうに弾いていたな。前回は普通に右利きギターを弾いていたはずだが。そして、出音がバカでかいのもそういう印象を高める。レゲエ勢をのぞいては、ここで聞いたなかで一番大きな音だったかも。とかなんとか、退きの局面やまったり抑制の態度はぜんぜん見せない。還暦近くにはなるだろうフロントに立つジミー・ブラウン(歌と管楽器4種を担当)はなんか見ていていい味だしてんなと思わずにはいられないが、愛嬌たっぷりに、やっぱし非大人でイケイケ。笑いました。

 終演後、ヴェニュー向かいの東京国際フォーラム敷地のだだっ広い中庭を有楽町方面に向かって通るとメルセデス・ベンツのEクラスの新型モデル(左ハンドル)が宣伝のためだろう、何台も置かれている。なんかフォルムや顔つきが現行のキャデラックと似てないか。気のせいか? ふむ、エタ・ジェイムズを信奉したジャニス・ジョプリンは<神様、私にメルセデスを買って>という歌詞を持つその名も「メルセデス・ベンツ」という曲を歌ったことがあったな。ポルシェという固有名詞も出てくるその歌は70年発表。そのころイケてる白人層はアメ車ではなくドイツ車に憧れを持っていたということだろうか。そういえば、ブルーノート・レコードのスタイリッシュな往年のジャケット・カヴァーには一部イカしたクルマが用いられることもあったが、メルセデス(58年ドナルド・バード作。同社の車ジャケの第一弾かな)やジャガー(60年ジミー・スミス作)やボルシェ(63年ドナルド・バード作)など高級外国車が用いられていたっけ。それはブルーノートのジャケットをデザインしていたリード・マイルスの意向が強く出たからかもしれぬ(ちなみに、社主/プロデユーサーのアルフレッド・ライオンと元カメラマンの番頭役のフランシス・ウルフはドイツからの移民)が、その事実はジャズが当時ハイセンスな先端を行く音楽だったことも示唆するだろうか。60年前後のスター・ジャズ・マンはどんな車に乗っていたのかな。運動神経があまり良くないマイルス・デイヴィスは70年代前半にフェラーリかなんかのスティック・シフトのスポーツ・カーを運転し事故って骨折したことがあった。スマートなようでデイヴィスはどんくさい。禿じじいとなった80年代以降は日本のなんとかというお笑いの人と彼はそっくりだったそうだ。そういう笑いをとれるのも大スターの条件でしょうか。

 なんか、とりとめもないことをつらつら書いているナ。ならば、もう少し。マイルス・デイヴィスは本当に人気が高い。それをひょんなことで痛感させられたことがありました。90年代後半に英国に行ったとき、マンチェスターをベースとする男女ユニットのラム(音楽性はもろに当時旬だったブリストル系。メジャーのフォンタナと契約していて、そこそこ注目の存在だった)を同地で取材し、その後にツアーのリハーサルを見せてもらったことがあったのだ。それには何人かのサポート奏者も加わっていて、ミュート演奏が印象的だったトランぺッターは若い太っちょの黒人だった。帰り際、出口の横にいたトランペット君に、何の気なしに(語呂もいいので)「グッバイ、マンチェスター・マイルス」と声をかけた。そしたら彼、目をキラキラ輝かせて握手をもとめ、「光栄です。そう言う、あなたは?」と猛烈な勢いで言葉を返してきた。そのあまりな感激の様に、ぼくはデイヴィスの撒いた種の圧倒的な広がりや影響力を実感。って、このネタ、過去書いていないよな? マンチェスターという都市名を見るとぼくはサッカー・チームやロック・バンドの名前ではなく、あの日の純な青年を思い出す←なんては、嘘ですが。でも、ぼくが文化の受け継ぎや人と人の繋がりの素敵を実感できるのは間違いなく、音楽を通してのようだ。あ、「キャデラック・レコード」にはチェスのブルース群を聞き込み、マディ・ウォータースの曲名からグループ名を付けた若き日のザ・ローリング・ストーンズがチェス・スタジオ詣でをする場面もちらり出て来る。そのセカンド作『12×5』(64年)と次作『ナウ!』(65年)の2作品に2度に渡るチェス・スタジオ録音曲が収められている。前者に入っているインスト曲「南ミシガン通り2120」は同スタジオの住所を冠したものだ。

 映画「キャデラック・レコード〜音楽でアメリカを変えた人々の物語」を見て、ぼくの心の隙間にある何かが疼いてしまい、それがとりとめもないことをいろいろ書かせている……。