洒脱な“ジャズ・ビヨンド”表現の担い手(2006年4月9日、2007年1月15日、2008年3月17日)の今回のショウは<ザ・ナルディス・リズム&ジャズ・レヴュー>という名目がついてのもの。ナルディスというのは現在シドランが所有するレーベル名であり、リズム&ジャズというのはリズム&ブルースのもじり、なのだろう。事実、今回のパフォーマンスにおいてシドランはピアノは触らずにハモンド・オルガンだけを弾き、ドラマー(息子のリオ・シドラン)とパーカッション奏者(モーゼズ・パトロウ)を併置していることに伺えるように、程よくグルーヴィ&アーシーな行き方を標榜したと言えるか。ギター奏者は90年代にサンフランシスコでチャーリー・ハンター(2009年1月16に血、他)らとT.J.カークを組み、現在はスタントン・ムーア(2007年12月11日、他)らとも付き合いを持つウィル・バーナード。さすが達者、いろんな弾き方できるなー。ベースレス編成で、ベース音はすべてシドランが左手で担う。彼がそんなことするのを初めて聞いたが、まっとう。
パフォーマンスは演奏部に力を入れつつ、けっこうシドランの語りと歌の中間を行くようなヴォーカルを聞かせる形で進む。本人曰く、そんな歌い方は「モーズ・アリソンやボブ・ディラン愛好から来たんだろうね」。臨機応変、たぶん綴られる内容はウィットが利いたものなのだろう。セロニアス・モンクの「ブルー・モンク」の応用リフで始まり、最後にはボブ・ディランの「追憶のハイウェイ61」になって終わるなんてものも彼はやった。後半はリオ・シドランとジョイ&ザ・ボーイという洒脱ポップ・ユニットを組んでいる女性歌手のジョイ・ドラグランドが出て来て、フィーチャーされる。リオとジョイはウィスコンシン州マディソン(それは、シドランがずっと居住している街)にあるウィスコンシン州立大学時代からの知り合いとか。
そのマディソンは学生街であるがゆえライヴ環境は悪くないそうで、だからこそかつてはオーティス・レディングもギグのために訪れたりもした。67年12月10日にツアー中のレディングは亡くなっているが、それはマディソン空港手前の極寒のモノナ湖にチャーター小型飛行機が墜落してしまったからだった。その悲劇が起きたとき、若きシドランは好奇心向くまま英国に住んでいた(蛇足だが、一時UKにいたことはキャピトル発の71年デビュー作『フィール・ユア・グルーヴ』に反映された。そこには、チャーリー・ワッツ、ピーター・フランプトン、グリン・ジョーンズら英国勢も関与している)そうだが、湖岸には碑があるという。その時マディソンで予定されたレディングのショウの前座でブッキングされていたのはチープ・トリックの前身バンドで、シドランの奥さんになる女性もその公演に行こうとしていたという。
パフォーマンスは演奏部に力を入れつつ、けっこうシドランの語りと歌の中間を行くようなヴォーカルを聞かせる形で進む。本人曰く、そんな歌い方は「モーズ・アリソンやボブ・ディラン愛好から来たんだろうね」。臨機応変、たぶん綴られる内容はウィットが利いたものなのだろう。セロニアス・モンクの「ブルー・モンク」の応用リフで始まり、最後にはボブ・ディランの「追憶のハイウェイ61」になって終わるなんてものも彼はやった。後半はリオ・シドランとジョイ&ザ・ボーイという洒脱ポップ・ユニットを組んでいる女性歌手のジョイ・ドラグランドが出て来て、フィーチャーされる。リオとジョイはウィスコンシン州マディソン(それは、シドランがずっと居住している街)にあるウィスコンシン州立大学時代からの知り合いとか。
そのマディソンは学生街であるがゆえライヴ環境は悪くないそうで、だからこそかつてはオーティス・レディングもギグのために訪れたりもした。67年12月10日にツアー中のレディングは亡くなっているが、それはマディソン空港手前の極寒のモノナ湖にチャーター小型飛行機が墜落してしまったからだった。その悲劇が起きたとき、若きシドランは好奇心向くまま英国に住んでいた(蛇足だが、一時UKにいたことはキャピトル発の71年デビュー作『フィール・ユア・グルーヴ』に反映された。そこには、チャーリー・ワッツ、ピーター・フランプトン、グリン・ジョーンズら英国勢も関与している)そうだが、湖岸には碑があるという。その時マディソンで予定されたレディングのショウの前座でブッキングされていたのはチープ・トリックの前身バンドで、シドランの奥さんになる女性もその公演に行こうとしていたという。