晩年のオスカー・ピーターソンにかわいがられもした、新進のジャズ歌手。ジャスティン・タイムからジョン・ピザレリ(2008年1月14日)のプロデュースでデビュー・アルバムをリリースしている。基本ニューヨーカーで、素はあっけらかんとしたアメリカンな人。
表参道・カワイ楽器のパウゼと名付けられたコンサート・サロンにて(置いてあるピアノはカワイ最高級のものなんだろうな。そーいえば、学生時代にカワイのプリアンプ付きの電気ベースを弾いていたことがあり、それはまだ持っている。ずううっと触ってねー)のショーケース・ライヴ。場所柄、生音勝負のホールゆえ、PAを通すと音が響き過ぎなのは否めない。本人は地声がデカそうな感じもあったし、ノーPAで行ったほうがその真価が伝わるような気もしたが、いろいろ試した結果のものだったのかな。
マンハッタン音楽院に作曲専攻で入ってからジャズ・ヴォーカル表現に没入したという人のようだが、堂々まっとう。井上陽介(2008年8月19日、他)をはじめ日本人のカルテット(ギター奏者入り)の伴奏のもと、スタンダードやジャズ・ヴォーカル曲として知られる曲を悠々と歌う。一曲はピアノの弾き語り、問題ない。歌の描く放物線が綺麗なため、もう少し素直な歌のおばさんとして行っても吉かも。とにかく、ジャズという米国が生んだアート・フォームを愛で、自分もその環の中の一員になれる歓び、それをできるだけ多くの人に伝えたいという気持ちはよく伝わってくる。会場には、プライヴェイトで滞日中の老成若手ジャズ・トランぺッターのドミニク・ファナリッチも。コールは彼の新作にゲスト入りしていたが、米国で同じ事務所に所属しているらしい。なお、コールの綴りの頭はよくあるCではなく、K。コールはコー△×□と続く苗字の略で、ロシア/ドイツの血をひいているそう。
表参道・カワイ楽器のパウゼと名付けられたコンサート・サロンにて(置いてあるピアノはカワイ最高級のものなんだろうな。そーいえば、学生時代にカワイのプリアンプ付きの電気ベースを弾いていたことがあり、それはまだ持っている。ずううっと触ってねー)のショーケース・ライヴ。場所柄、生音勝負のホールゆえ、PAを通すと音が響き過ぎなのは否めない。本人は地声がデカそうな感じもあったし、ノーPAで行ったほうがその真価が伝わるような気もしたが、いろいろ試した結果のものだったのかな。
マンハッタン音楽院に作曲専攻で入ってからジャズ・ヴォーカル表現に没入したという人のようだが、堂々まっとう。井上陽介(2008年8月19日、他)をはじめ日本人のカルテット(ギター奏者入り)の伴奏のもと、スタンダードやジャズ・ヴォーカル曲として知られる曲を悠々と歌う。一曲はピアノの弾き語り、問題ない。歌の描く放物線が綺麗なため、もう少し素直な歌のおばさんとして行っても吉かも。とにかく、ジャズという米国が生んだアート・フォームを愛で、自分もその環の中の一員になれる歓び、それをできるだけ多くの人に伝えたいという気持ちはよく伝わってくる。会場には、プライヴェイトで滞日中の老成若手ジャズ・トランぺッターのドミニク・ファナリッチも。コールは彼の新作にゲスト入りしていたが、米国で同じ事務所に所属しているらしい。なお、コールの綴りの頭はよくあるCではなく、K。コールはコー△×□と続く苗字の略で、ロシア/ドイツの血をひいているそう。
ウォッチング・ザ・スカイ・フェス
2009年4月4日 音楽 会場は、上野恩賜公園野外ステージ。うわーい、花見をかねられるゾ。会場の周辺は、花見の人でいっぱい。例年ならこの頃はだいぶ散っているはずだが、ずっと寒い日が続き、へえ〜こんなこともあるんだァという感じで、ちょうど桜はまさに満開だあ! オー・イエイ!
フェス名はジェシー・ハリス(2009年3月31日、他)の新作タイトルを冠したもの(それについて本人、素直にうれしい、とのこと)で、他は日本人アクト。かつて彼との共演作を作った畠山美由紀(2009年3月31日)の母体ユニットであるポート・オブ・ノーツ、彼とリチャード・ジュリアン(2008年6月6日、他)のプロデュースでNY録音作を作っていて他の会場でも複数共演公演をするおおはた雄一、今回3週間滞在するジェシーの日本各地を回るツアーに同行するキセル(2001年5月14日)、そして彼とはこれまで(これからも?)付き合いはないだろうサニー・デイ・サーヴィス。そうそうにチケットはソールドアウトになったらしい。
かつて上野の野外公演会場に来たのは四半世紀ぐらい前だったが、少し場所が移動し、客席も屋根付きになるなど新しくなっていた(椅子は木製で、それがいい感じ)。日比谷野音ほどは広くはないが、よろしいんではないでしょうか。なんか、音の大きさには神経質な会場ではあるようだけど。<レゲエ、ラップ、ヒップホップ、和太鼓の集団演奏、客席後部で80デシベルを超える恐れの強い音楽は御法度>と、ステージ裏にパネルが張ってあるという。
一番客がわいたのは中盤で登場した、東京では9年弱ぶりに見れる事となったらしいサニー・デイ・サーヴィス。本来は現在ソロとして活動している曽我部恵一単独の出演予定だったらしが、唐突に再結集がなされることとなり、ファンの間で大騒ぎになったらしい。じっさい、彼らのパフォーマンス中、会場柵の外でこぼれる音を聞こうとする人がたくさんいた。そういう人たちにはごめんなさいなのだが、縁がなくてぼくは今回初めてその音楽に触れる。が、なるほど無理なく心地いいと思えました。ふんわり日本語が乗る様に触れていると、なんとなく はっぴいえんど というバンド名も頭に浮かんだりして。MCもほのぼの。彼らはいろんな旧曲に加え、新曲も何曲か披露。接することができて、良かった。
初めてといえば、ぼくにとってはおおはたの実演もそれに近いが、ざっくりとした生ギター弾き語り表現の達者な様にも少しびっくり。彼もちゃんと洋楽の蓄積があることを思わせる、力のあるステージ運びをしていたな。基本、ギター弾き語り表現を必要としないぼく(好みだから、しょうがない)だが、これはいていい味を持った人だと思えました。
優男ジェシーはベース奏者と打楽器奏者を従えて、最後の出演者として登場。その新作はサウンド的にはバンジョーの素朴な響きや打楽器の柔らかで含みある揺れをうまく介そうとする指針を持つが、なるほどギター・バンジョーを手にする比率は高い。地味で柔和な奥からいろんなものを控え目ながら、でもしかと浮かび上がらせていく様は彼ならではのものと言いたくなる。とはいいつつ、お祭り感覚の野外公演でもあるし、終盤はもっとはっちゃけたパフォーマンスをしても良かったかも。夕方から雨になるかもという予報もあったが、それはセーフ。気候がいいときの野外ライヴはとてもいい。飲み物/食い物には鷹揚な会場で、近隣環境もあってかけっこう客の酔っぱらい比率は高めだったかも。
フェス名はジェシー・ハリス(2009年3月31日、他)の新作タイトルを冠したもの(それについて本人、素直にうれしい、とのこと)で、他は日本人アクト。かつて彼との共演作を作った畠山美由紀(2009年3月31日)の母体ユニットであるポート・オブ・ノーツ、彼とリチャード・ジュリアン(2008年6月6日、他)のプロデュースでNY録音作を作っていて他の会場でも複数共演公演をするおおはた雄一、今回3週間滞在するジェシーの日本各地を回るツアーに同行するキセル(2001年5月14日)、そして彼とはこれまで(これからも?)付き合いはないだろうサニー・デイ・サーヴィス。そうそうにチケットはソールドアウトになったらしい。
かつて上野の野外公演会場に来たのは四半世紀ぐらい前だったが、少し場所が移動し、客席も屋根付きになるなど新しくなっていた(椅子は木製で、それがいい感じ)。日比谷野音ほどは広くはないが、よろしいんではないでしょうか。なんか、音の大きさには神経質な会場ではあるようだけど。<レゲエ、ラップ、ヒップホップ、和太鼓の集団演奏、客席後部で80デシベルを超える恐れの強い音楽は御法度>と、ステージ裏にパネルが張ってあるという。
一番客がわいたのは中盤で登場した、東京では9年弱ぶりに見れる事となったらしいサニー・デイ・サーヴィス。本来は現在ソロとして活動している曽我部恵一単独の出演予定だったらしが、唐突に再結集がなされることとなり、ファンの間で大騒ぎになったらしい。じっさい、彼らのパフォーマンス中、会場柵の外でこぼれる音を聞こうとする人がたくさんいた。そういう人たちにはごめんなさいなのだが、縁がなくてぼくは今回初めてその音楽に触れる。が、なるほど無理なく心地いいと思えました。ふんわり日本語が乗る様に触れていると、なんとなく はっぴいえんど というバンド名も頭に浮かんだりして。MCもほのぼの。彼らはいろんな旧曲に加え、新曲も何曲か披露。接することができて、良かった。
初めてといえば、ぼくにとってはおおはたの実演もそれに近いが、ざっくりとした生ギター弾き語り表現の達者な様にも少しびっくり。彼もちゃんと洋楽の蓄積があることを思わせる、力のあるステージ運びをしていたな。基本、ギター弾き語り表現を必要としないぼく(好みだから、しょうがない)だが、これはいていい味を持った人だと思えました。
優男ジェシーはベース奏者と打楽器奏者を従えて、最後の出演者として登場。その新作はサウンド的にはバンジョーの素朴な響きや打楽器の柔らかで含みある揺れをうまく介そうとする指針を持つが、なるほどギター・バンジョーを手にする比率は高い。地味で柔和な奥からいろんなものを控え目ながら、でもしかと浮かび上がらせていく様は彼ならではのものと言いたくなる。とはいいつつ、お祭り感覚の野外公演でもあるし、終盤はもっとはっちゃけたパフォーマンスをしても良かったかも。夕方から雨になるかもという予報もあったが、それはセーフ。気候がいいときの野外ライヴはとてもいい。飲み物/食い物には鷹揚な会場で、近隣環境もあってかけっこう客の酔っぱらい比率は高めだったかも。
南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。わあ、ステージ左右横と客席部後方上部には桜のけっこうな量の枝が置かれている。花屋さんて、桜も調達してくれるの? 日本に住んでいてよかったァと思える筆頭が、春に桜に触れられること、也。
全10人編成、ジェリー・バーンズ(2008 年3月15日、他)やベースやテナー・サックスのビル・ホロマンのような長年つきあっている人もいれば、シンガーほか新たに加わった人もいる。いろんな変化を受けつつバンドは続くわけだが、これまで(2003年4月15日、2003年8月24日、2006年4月11日)で一番、カジュアルなのりを持つパフォーマンスだったのでは。客を何人か上げてギターを弾かせるギター大会をやってみたり(オーディエンスの拍手の大きさで勝者を決める。それ、アポロ・シアターのアマチュア・ナイト〜2004年9月15日〜の要領ね)。また、デイヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」やマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」などのナイル・ロジャース制作関与の断片もリクエストの声に従い次々にやる。この晩、外国人比率が少し高めで、毎度以上に声が飛び交った。実はワタシも一瞬、「(故ロバート・パーマーの)アディクテッド・トゥ・ラヴ」と声をかけたいと思ったけど、あれを制作したのは故バーナード・エドワーズのほうでしたね。なお、黄金のシック男性三人衆のもう一人、強力ドラマーのトニー・トンプソンも03年にカリフォルニア州エンシノで亡くなってしまっている。
例により、次から次へと耳なじみあるビート・ナンバーが送り出される。ロバート・ワイアットのカヴァー名歌唱でも知られる超感動スロウ「アット・ラスト・アイム・フリー」は今回はやらず。聞きたかったが、パーティ度数の高い今回のノリでは浮いちゃうか。なんにせよ、熱気と良質なエンターテインメント性、渦巻く。そして、その中心にいるのは(一人サヴァイヴしている)ナイル・ロジャース、その人。80年前後のNYダンス・ポップ・サウンドを一新させ、いろんな有名人を料理した珠玉のキャリアを持つ彼はショービズをなめておらず、観客をリスペクトしている! ほんと、接しているとそう思わずにはいられない。そんな人が掌握するショウが悪いはずがないし、何度触れたって熱く感動できるのは当然じゃないか!
全10人編成、ジェリー・バーンズ(2008 年3月15日、他)やベースやテナー・サックスのビル・ホロマンのような長年つきあっている人もいれば、シンガーほか新たに加わった人もいる。いろんな変化を受けつつバンドは続くわけだが、これまで(2003年4月15日、2003年8月24日、2006年4月11日)で一番、カジュアルなのりを持つパフォーマンスだったのでは。客を何人か上げてギターを弾かせるギター大会をやってみたり(オーディエンスの拍手の大きさで勝者を決める。それ、アポロ・シアターのアマチュア・ナイト〜2004年9月15日〜の要領ね)。また、デイヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」やマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」などのナイル・ロジャース制作関与の断片もリクエストの声に従い次々にやる。この晩、外国人比率が少し高めで、毎度以上に声が飛び交った。実はワタシも一瞬、「(故ロバート・パーマーの)アディクテッド・トゥ・ラヴ」と声をかけたいと思ったけど、あれを制作したのは故バーナード・エドワーズのほうでしたね。なお、黄金のシック男性三人衆のもう一人、強力ドラマーのトニー・トンプソンも03年にカリフォルニア州エンシノで亡くなってしまっている。
例により、次から次へと耳なじみあるビート・ナンバーが送り出される。ロバート・ワイアットのカヴァー名歌唱でも知られる超感動スロウ「アット・ラスト・アイム・フリー」は今回はやらず。聞きたかったが、パーティ度数の高い今回のノリでは浮いちゃうか。なんにせよ、熱気と良質なエンターテインメント性、渦巻く。そして、その中心にいるのは(一人サヴァイヴしている)ナイル・ロジャース、その人。80年前後のNYダンス・ポップ・サウンドを一新させ、いろんな有名人を料理した珠玉のキャリアを持つ彼はショービズをなめておらず、観客をリスペクトしている! ほんと、接しているとそう思わずにはいられない。そんな人が掌握するショウが悪いはずがないし、何度触れたって熱く感動できるのは当然じゃないか!
ザッパ・プレイズ・ザッパ
2009年4月7日 音楽 ヴィデオがリリースされることはなく、かといって来日するはずもなく。そんな時代、レコードを聞きながら、その表現を生み出す音場やライヴの有様を鋭敏に想像しようとしていた。それ、80年代中期ごろの話ね。そんな時期、一番ライヴ・ヴィデオをぼくが切実に欲したのはフランク・ザッパとP-ファンク。ともに、入手できたときはうれしくてうれしくて、そして音楽のあまりに口惜しいマジックを感じて、より彼らのことを大好きになったっけ。今はいろんな手段で楽勝にマニアックな人々の映像に触れられる……ああ、隔世の感ナリ。
というわけでザッパは間違いなく私のアーティスト五指に入る存在だったはずだが、(前にこの欄で書いたこともあるはずだが)この15年ぐらいはほとんど聞いていない。もの凄い才と閃きと修練を孕む表現であるのを鬼のように認めつつ、あの壮絶な仕掛けや変拍子がダルく感じるようになってしまって、山ほどあるそのアルバム群になんら手が伸びなくなってしまったのだ。あの子供ぽくもあるエログロ歌詞ゆえ、英語がわかっていたらもっと遠のいてる?
<ザッパ・プレイズ・ザッパ>は息子のドゥイージル・ザッパが父親フランク・ザッパ(1940年〜1993年)の残した財産=あまりに生理的に美しくもある複雑怪奇な楽曲群を父のバンドにいた人たちも少し交えて演じます、てな出し物。ドゥイージルは10代半ばのころから父親の表現に関与しているわけで、その諸々にはたっぷり触れているはず。オーネット・コールマンにおけるデナード・コールマン(2006年3月27日。2001年5月3日参照)みたいなもんとも言える?
今回は2度目の来日となるものだが、初回のときはあまり見たいと思わなかった。それは、齢を重ねるとともにフランク・ザッパの音楽が聞けなくなっているというよりも、息子が親父の財産をコピーするという行為イメージが、フランク・ザッパが持っていたあまりに崇高なノリ(ロック史において、もっとも常規を逸して、それを抱えた表現を提出していた人と言えるはず)とあまりに離れているような気がして、違和感を覚えてしまったからだった。ところが、後日に同名/同志向のライヴDVDを見たらなんか感動しちゃって(やっぱり、壮絶で、うれしい磁力がそこにはあった)、今回はぜひ見ねばと、ぼくはいきり立ってしまったのだった。
前回のときは父親の映像と共演というシーンもあったようだが、今回は映像は用いず、自分たちの演奏だけで勝負。とともに、往年のザッパ・バンドの経験者比率はどんどん減っていき、今回も参加するはずだった70年代からザッパ・グループに在籍したキャラも立つギタリストのレイ・ホワイトも直前にバンドから逃亡したとかで、ドゥイージル以外はほぼ父とはやりとりを持たぬ奏者だけのプロジェクトになった。
感想は、嬉しさも中ぐらいなり。みんな達者なんだけど、やっぱ父親が有していたブラックホール的なヤバさがそんなになくて、普通のプログ・ロック〜ジャズ・ロックになっちゃている所もあったよなー(その観点だけで取れば、出来のいいものであるのは間違いないが)。今回の編成はドゥイージルに加えて、サイド・ギター、キーボード/サックス、打楽器(マリンバが主)、ベース、ドラムという6人(みんな、前回も来日している人たち)。うーむ、やっぱり6人では、めくるめくあの人の世界をなぞるには編成が小さすぎる。酔狂さがあんまし出ない。それに、肉声群の重なりも少なすぎ。歌はドラマーか紅一点の女性キーボード/サックス奏者が取り、ドゥイージルはあまり歌わない。ギター・ソロも親父のそれを思い出すと……。なんか、ドゥイージルのかつての穏健な(?)彼女選びにも納得したか。彼の元カノはリサ・ローブ(2008年12月4日、他)。去年、ローブに取材したおり、悪い思い出はないらしく、婚約している余裕か彼女はドゥイージルの名前も気軽に(?)出していました。
熱心なファンが多いだろうオーディエンスは熱狂的に反応していたが、本当にコレでいいのと、なんか思ってしまった私。自覚している以上に、フランク・ザッパの表現は自分にとって神聖なものだったのダとも、ぼくは痛感した。うひい。ただただ、打楽器奏者やキーボード/サックス奏者からほとばしる澄んだミュージシャンシップには降参す。ああ、音楽の道はけわしい、でも彼らにもっともっと脚光があたりますように、なんて甘酸っぱい気持ちになれたのは大マル。とともに、もしかすると今回は父親の毒の回路から離れて、レパートリーはマニアックに求めつつも、このメンバーとしての演奏を前向きに求めようとしたのではないか。そう思えるところもあって、そうすると、ぼくは接していてだいぶ楽になった。
昨日に続いて、客の外国人比率が高いのか、曲リクエストを伝える声が飛び交う。それに受け答えするドゥイージルは、昔のCDのカヴァーで見せた美少年ぶりは遥か昔な感じ(でも、40歳ぐらいだから、それも当然か)ではあったが、とてもいい人そう。事実、彼は終演後にステージ前に出てきてファンとの交歓をはかる。うーん、そんなの見ると、ぼくは何も言えなくなっちゃう。ドゥイージルに、幸あれ。渋谷・Oイースト。
渋谷・Oイースト。その東京2公演のあと、ご一行は豪州ツアーをし、そのまま相当な数の欧州ツアーに入る。
というわけでザッパは間違いなく私のアーティスト五指に入る存在だったはずだが、(前にこの欄で書いたこともあるはずだが)この15年ぐらいはほとんど聞いていない。もの凄い才と閃きと修練を孕む表現であるのを鬼のように認めつつ、あの壮絶な仕掛けや変拍子がダルく感じるようになってしまって、山ほどあるそのアルバム群になんら手が伸びなくなってしまったのだ。あの子供ぽくもあるエログロ歌詞ゆえ、英語がわかっていたらもっと遠のいてる?
<ザッパ・プレイズ・ザッパ>は息子のドゥイージル・ザッパが父親フランク・ザッパ(1940年〜1993年)の残した財産=あまりに生理的に美しくもある複雑怪奇な楽曲群を父のバンドにいた人たちも少し交えて演じます、てな出し物。ドゥイージルは10代半ばのころから父親の表現に関与しているわけで、その諸々にはたっぷり触れているはず。オーネット・コールマンにおけるデナード・コールマン(2006年3月27日。2001年5月3日参照)みたいなもんとも言える?
今回は2度目の来日となるものだが、初回のときはあまり見たいと思わなかった。それは、齢を重ねるとともにフランク・ザッパの音楽が聞けなくなっているというよりも、息子が親父の財産をコピーするという行為イメージが、フランク・ザッパが持っていたあまりに崇高なノリ(ロック史において、もっとも常規を逸して、それを抱えた表現を提出していた人と言えるはず)とあまりに離れているような気がして、違和感を覚えてしまったからだった。ところが、後日に同名/同志向のライヴDVDを見たらなんか感動しちゃって(やっぱり、壮絶で、うれしい磁力がそこにはあった)、今回はぜひ見ねばと、ぼくはいきり立ってしまったのだった。
前回のときは父親の映像と共演というシーンもあったようだが、今回は映像は用いず、自分たちの演奏だけで勝負。とともに、往年のザッパ・バンドの経験者比率はどんどん減っていき、今回も参加するはずだった70年代からザッパ・グループに在籍したキャラも立つギタリストのレイ・ホワイトも直前にバンドから逃亡したとかで、ドゥイージル以外はほぼ父とはやりとりを持たぬ奏者だけのプロジェクトになった。
感想は、嬉しさも中ぐらいなり。みんな達者なんだけど、やっぱ父親が有していたブラックホール的なヤバさがそんなになくて、普通のプログ・ロック〜ジャズ・ロックになっちゃている所もあったよなー(その観点だけで取れば、出来のいいものであるのは間違いないが)。今回の編成はドゥイージルに加えて、サイド・ギター、キーボード/サックス、打楽器(マリンバが主)、ベース、ドラムという6人(みんな、前回も来日している人たち)。うーむ、やっぱり6人では、めくるめくあの人の世界をなぞるには編成が小さすぎる。酔狂さがあんまし出ない。それに、肉声群の重なりも少なすぎ。歌はドラマーか紅一点の女性キーボード/サックス奏者が取り、ドゥイージルはあまり歌わない。ギター・ソロも親父のそれを思い出すと……。なんか、ドゥイージルのかつての穏健な(?)彼女選びにも納得したか。彼の元カノはリサ・ローブ(2008年12月4日、他)。去年、ローブに取材したおり、悪い思い出はないらしく、婚約している余裕か彼女はドゥイージルの名前も気軽に(?)出していました。
熱心なファンが多いだろうオーディエンスは熱狂的に反応していたが、本当にコレでいいのと、なんか思ってしまった私。自覚している以上に、フランク・ザッパの表現は自分にとって神聖なものだったのダとも、ぼくは痛感した。うひい。ただただ、打楽器奏者やキーボード/サックス奏者からほとばしる澄んだミュージシャンシップには降参す。ああ、音楽の道はけわしい、でも彼らにもっともっと脚光があたりますように、なんて甘酸っぱい気持ちになれたのは大マル。とともに、もしかすると今回は父親の毒の回路から離れて、レパートリーはマニアックに求めつつも、このメンバーとしての演奏を前向きに求めようとしたのではないか。そう思えるところもあって、そうすると、ぼくは接していてだいぶ楽になった。
昨日に続いて、客の外国人比率が高いのか、曲リクエストを伝える声が飛び交う。それに受け答えするドゥイージルは、昔のCDのカヴァーで見せた美少年ぶりは遥か昔な感じ(でも、40歳ぐらいだから、それも当然か)ではあったが、とてもいい人そう。事実、彼は終演後にステージ前に出てきてファンとの交歓をはかる。うーん、そんなの見ると、ぼくは何も言えなくなっちゃう。ドゥイージルに、幸あれ。渋谷・Oイースト。
渋谷・Oイースト。その東京2公演のあと、ご一行は豪州ツアーをし、そのまま相当な数の欧州ツアーに入る。
メロディ・ガルドー。ロバート・グラスパー
2009年4月13日 音楽 ついに、ライヴ三昧が11年目に突入した。自分でも、うわあ、だな。よくもまあ、飽きやすく持続性にかける(でも、惰性に流されるところは多分にあるか)ぼくが……。同業の小野島大さんに誘われ、彼のホームページの一コーナーとして書き出したのがコレのきっかけ。<ライヴ三昧>という命名も、彼によるものだった。ともあれ、そしたら、自分のために役立つ。CDは聞き直せばいいけど、ライヴはそれが出来ないしなあ。何かと、後から原稿を書くときに吉なのだった。備忘録としても、使えるし。
まず、ジャジー・シンガーのメルドー・ガルドーのショーケース・ライヴを恵比寿・リキッドルームで見る。交通事故にあい相当なダメージを受けてずうっと入院、リハビリでギターを弾くようになった末に現在があり(でも、それ以前にもクラブでピアノ弾き語りをしていたようだ)、今も後遺症で日常生活がいろいろと制限されていると伝えられる人物。だからこそ、過去2度ほどプロモ来日の予定がとんでも、それほどアララという所感は得なかった。
冒頭、杖もつかず普通に出てきた彼女は、最初一人で自分で出すフィンガー・スナップ音とフット・ストンプ音を下敷きにアカペラで歌う。お、ブルージィじゃないか。それは随所で感じ、彼女がちゃんとブルースやジャズに触れてきていたことを伝える。あとは、サポート陣とともに生ギターやピアノを弾きながら歌ったり、なにも手にしないで歌ったり。うぬ、やっぱりいいタマじゃないか。2枚目で初めて出したボサっぽい路線も無理なく出したし、思った以上に器用に自己提出できる感じもあったな。とともに、どこか気難しそうというイメージもあったが、ステージ上の彼女はMCを含め、フツーに快活な感じを与えるのもマル。まあ、まだ20代半ばだしな。
弾き語りが出来る人だし、簡素な設定でやるのかと思ったら、ちゃんとバンドを伴ってのパフォーマンス。ウッド・ベース(一部、ギターも)、ドラム、トランペット、テナー・サックスというのが、バンドの陣容。曲によっていろんな絡み方をする彼ら、ワーキング・バンドなのかな。そうならば、彼女がベースにしてきているフィラデルフィア在住の奏者たちと推測されるが。それから、ショーケースゆえ短い時間しかやらないんじゃないかと思ったら、1時間をはるかに超えるパフォーマンスを堂々と彼女は披露。それ、普通の公演に接したという印象を与えるものでした。拍手。
続いて、丸の内・コットンクラブでジャズ・ピアノの精鋭くん(2007年10月3日、他)を見る。ガルドーのほうが開演時間を40分近くおして始まったので、タクシーを飛ばしても、途中から見るようになってしまった。ぐすん。今回もトリオによるもので、ベースはヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日)。ドラムは無名の奏者で、みんな黒人。前回のほうがヒップホップ派生と思わせるビートを採用していたかも。でも、別にそれがダメなわではなく。ぼくが触れた数曲はどれも淡々と指をはわせるもので、でもそれは確か。そこらへん、意図した行き方だったのかな。
まず、ジャジー・シンガーのメルドー・ガルドーのショーケース・ライヴを恵比寿・リキッドルームで見る。交通事故にあい相当なダメージを受けてずうっと入院、リハビリでギターを弾くようになった末に現在があり(でも、それ以前にもクラブでピアノ弾き語りをしていたようだ)、今も後遺症で日常生活がいろいろと制限されていると伝えられる人物。だからこそ、過去2度ほどプロモ来日の予定がとんでも、それほどアララという所感は得なかった。
冒頭、杖もつかず普通に出てきた彼女は、最初一人で自分で出すフィンガー・スナップ音とフット・ストンプ音を下敷きにアカペラで歌う。お、ブルージィじゃないか。それは随所で感じ、彼女がちゃんとブルースやジャズに触れてきていたことを伝える。あとは、サポート陣とともに生ギターやピアノを弾きながら歌ったり、なにも手にしないで歌ったり。うぬ、やっぱりいいタマじゃないか。2枚目で初めて出したボサっぽい路線も無理なく出したし、思った以上に器用に自己提出できる感じもあったな。とともに、どこか気難しそうというイメージもあったが、ステージ上の彼女はMCを含め、フツーに快活な感じを与えるのもマル。まあ、まだ20代半ばだしな。
弾き語りが出来る人だし、簡素な設定でやるのかと思ったら、ちゃんとバンドを伴ってのパフォーマンス。ウッド・ベース(一部、ギターも)、ドラム、トランペット、テナー・サックスというのが、バンドの陣容。曲によっていろんな絡み方をする彼ら、ワーキング・バンドなのかな。そうならば、彼女がベースにしてきているフィラデルフィア在住の奏者たちと推測されるが。それから、ショーケースゆえ短い時間しかやらないんじゃないかと思ったら、1時間をはるかに超えるパフォーマンスを堂々と彼女は披露。それ、普通の公演に接したという印象を与えるものでした。拍手。
続いて、丸の内・コットンクラブでジャズ・ピアノの精鋭くん(2007年10月3日、他)を見る。ガルドーのほうが開演時間を40分近くおして始まったので、タクシーを飛ばしても、途中から見るようになってしまった。ぐすん。今回もトリオによるもので、ベースはヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日)。ドラムは無名の奏者で、みんな黒人。前回のほうがヒップホップ派生と思わせるビートを採用していたかも。でも、別にそれがダメなわではなく。ぼくが触れた数曲はどれも淡々と指をはわせるもので、でもそれは確か。そこらへん、意図した行き方だったのかな。
丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。4人の奏者のサポートを受けて、3人のおばはんたちが声を重ねる……。という図式は前回(2006年10月30日)と同様だが、今回のほうがより印象は良い。今度の新機軸は中盤で、3人によるアカペラ・パートがあったこと。もう自在というか、共有できるメロディがあれば、口癖一発で(?)いい感じにハモれちゃうんだろーなと思わせるものがある。あと、彼女たちのポイントはけっこうファルセットっぽい声が重ねられること。それ、過剰な重量感から離れるとともに、ある種の都会性をかもしだすところはあるんじゃないか。だからこその、「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」ですね。曲はそれをはじめ、77年に戻るわよっみたいな感じで紹介される“あの頃”の曲が多い。ようは見事に後ろ向きなんだが、それが今の生身の彼女たちを通して届けられると、変わらぬ黄金ってなんていいんだろうという心持ちを得ちゃう。
ケリー・ジョー・フェルペス
2009年4月16日 音楽 渋谷・クラブクアトロ。前座で、もろにウェスタンの格好をした米国白人のおっちゃんがやはり白人ウッド・ベーシストを従えて、ギターの弾き語りのブルース基調のパフォーマンスを披露。約30分ぐらい。そして、休憩を挟んでフェルプスが登場する。今回は椅子に座り演奏する本人の様がよく見える(わあ、あんなに足をくねくねして、パフォーマンスするんだ)ためか、かなり前回見たとき(1999年12月12日)と得る感じが異なる。ルーツ・ミュージックを消化したギター弾き語りシンガー・ソングライター表現というのを超える、局面や妙味がちゃんとあった。ジャズの経験もあるというのも瞬発力ある今回の技巧に満ちた演奏を聞くと納得できるし、その奥に広い、もう一つの風景を浮かび上がらせる場面があったのは間違いない。それに触れると、<モダン・アメリカン・ルーツ・ミュージックの重要人物>というキャッチにもまあ同意できます。お座敷アリで、途中退座する。
ジョシュア・レッドマン
2009年4月21日 音楽 15年強、デビュー時からメジャー系(ワーナー・ブラザーズ〜ノンサッチ)と契約しているサックス奏者のライヴを南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で見る。前にぼくが見た来たとき(2003年1月13日)はオルガン奏者を擁してのものだったが、今回はずっとつるんでいるリズム隊とのもの。そのベーシストのルーベン・ロジャース(2005年5月11日)とドラマーのグレッグ・ハッチンソンのコンビは実はダイアン・リーヴスのそれ(2008年9月22日のときは一緒)と結構な期間重なっている。
新作『コンパス』(ノンサッチ)と同様に、コード楽器なしのシンプルなトリオでの、生理的に澄んでいてストロングなパフォーマンス。体力的なこともあり、重さや瞬発力を持つリズム音をバックにレッドマンは思いの丈を発散していく。奔放、三者がそれぞれのミュージシャンシップをかけて、ジャズ流儀のもと丁々発止しているのがよく分かる。ほんと、みんなうれしそうに演奏していたな。リズム隊の音量に比してレッドマンのリード音は少し小さ目(と、ぼくは感じる)、も少しデカくしてもいいんじゃないか。でも、それは本人の意向なのかな。そのぶん(?)、彼はMCをデカい声でしゃきっとやっていた。
ファーストとセカンドは全部違う曲をやっているらしい(それも、新鮮さを保つ秘訣ね)が、ウェイン・ショーターやセロニアス・モンクらの曲もやる。彼のお父さんはオーネット・コールマン(2006年3月27日)やキース・ジャレット(2007年5月8日、他)のグループ参加やフリーダムやインパルスやブラック・セイントやECMといった所に残すリーダー作(うわ、けっこう黄金のレーベル遍歴!)で知られるテナー・サックス奏者のデューイ・レッドマン(31年〜06年)。そりゃ二世ミュージシャンは少なくないが、同じ持ち楽器で同じ分野で活動しているというのはかなり珍しいんじゃないか。彼のときに生理的の暴れる演奏を聞きながら、ぼくは父親が扇情的な演奏を繰り広げる姿をふと想像した。ジャレット公演とかとで来日したことはあるはずだが、ぼくはデューイの生演奏に触れたことがない。
新作『コンパス』(ノンサッチ)と同様に、コード楽器なしのシンプルなトリオでの、生理的に澄んでいてストロングなパフォーマンス。体力的なこともあり、重さや瞬発力を持つリズム音をバックにレッドマンは思いの丈を発散していく。奔放、三者がそれぞれのミュージシャンシップをかけて、ジャズ流儀のもと丁々発止しているのがよく分かる。ほんと、みんなうれしそうに演奏していたな。リズム隊の音量に比してレッドマンのリード音は少し小さ目(と、ぼくは感じる)、も少しデカくしてもいいんじゃないか。でも、それは本人の意向なのかな。そのぶん(?)、彼はMCをデカい声でしゃきっとやっていた。
ファーストとセカンドは全部違う曲をやっているらしい(それも、新鮮さを保つ秘訣ね)が、ウェイン・ショーターやセロニアス・モンクらの曲もやる。彼のお父さんはオーネット・コールマン(2006年3月27日)やキース・ジャレット(2007年5月8日、他)のグループ参加やフリーダムやインパルスやブラック・セイントやECMといった所に残すリーダー作(うわ、けっこう黄金のレーベル遍歴!)で知られるテナー・サックス奏者のデューイ・レッドマン(31年〜06年)。そりゃ二世ミュージシャンは少なくないが、同じ持ち楽器で同じ分野で活動しているというのはかなり珍しいんじゃないか。彼のときに生理的の暴れる演奏を聞きながら、ぼくは父親が扇情的な演奏を繰り広げる姿をふと想像した。ジャレット公演とかとで来日したことはあるはずだが、ぼくはデューイの生演奏に触れたことがない。
ドラムライン ライブ。ロバータ・ガンバリーニ
2009年4月22日 音楽夕方4時、髪をカットするために表参道に。新緑を沢山つけた大きな木々が両側に並ぶメインストリートがあっというぐらい綺麗。こんな風景、海外都市で触れたなら大感激するんじゃないかと思えたりもし、もっと東京でも好奇心旺盛にモノを見なきゃナなんてふと思う。この日、日中はものすごく温かい。間違いなく、今年一番。ただし、夜はかなり涼しい。寒暖差、すげえ。
丸の内・東京国際フォーラムのホールAで、ブラス陣と打楽器群が渾然一体となったショウ、“ドラムラインライブ”を見る。一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったアトランタ在住音楽プロデューサーのダラス・オースティンの実体験を元にしたと言われる、アメリカン・フットボールの試合におけるハーフタイム・ショーでパフォーマンスする華やかかつエンターテインメント性に長けたな黒人大学のマーチング・バンド在籍員の青春模様を描いた02 年米国映画『ドラムライン』の演奏部醍醐味にプラスαし室内ステージ化したもの。映画の好評を受けて制作され、アメリカ各地をいろいろ回っているらしい。
出演者はすべて黒人若人で、30人強。動きたっぷりのマーチング・バンドのパフォーマンスを柱に(あれだけ動きながら演奏するのはやはりすごいな。衣装はコロコロ変わる)、趣向を凝らしたブラス隊だけやドラム隊だけの出し物もいろいろ持ち込まれるととともに、ティナ・ターナー、ザ・スプリームス、ザ・テンプテーションズ、アリサ・フランクリン、ジェイムズ・ブラウンなどのそっくりさん(とは、言いがたいか)が出てくるソウル・ショウ・コーナーなども。音楽要素もスウィング・ジャズからR&Bやゴスペル、はてはヒップホップやテクノの断片まで、いろいろと。マーチング・バンドはEW&Fやスティーヴィ・ワンダー曲なども演奏する。百花繚乱、そこからは積み上げられてきた様々な米国ブラック・カルチャーをお楽しみ感覚たっぷりに差し出したいという意図が浮かび上がるか。
パーカッションだけの演奏のときはプリセット音も用いられるが、基本は生音勝負。それこそは、マーチング・バンドの美点ですね。もちろん、ときには客席部に出てパフォーマンスする場合もアリ。そして、そういう際はニューオーリンズのブラス・バンドのあり方を思い出させたりもし(今回、スーザフォンは3人)、いろんな繋がりを感じさせられたりもするのは嬉しい。2部構成で、2部が始まるときは明るいなか打楽器陣が客席部に出ての移動ありのパフォーマンスを延々やってから始まったのだが、そのときお客さんはどうしたんだというぐらい大騒ぎ。彼らに群がり握手を求める。おお。実は、なんか軽めに感じるところもある。でも、そういう様に触れて、できるだけ地方を回って子供たちの目に触れる機会が出来たならとも痛感。もう、ブラスや打楽器やいろんな黒人音楽要素に肌で目覚める人、続出ではないか。ぜったい、子供たちに吉の選択肢がぐわーと広がること間違いない。
それからショウを見ながらふと思ったのは、アメリカ人にとって管楽器ってけっこう身近なものなんだろうなということ。日本だと、吹奏楽部に入る人ぐらいしか管楽器に触れないが、もっとあちらの学校では普通の学校生活の横にあったりもするものなのだと思う。だから、チンピラ高校生で組まれたフィッシュボーンも当初から三管編成をとったりもしたのだ。なんてことも感じたのは、フィッシュボーンの新作(昨年フランスでの、やはり三管を擁するライヴ盤。同ソースのちゃんと編集されたDVD付き)をけっこう聞いているからかな。蛇足だが、先に触れたダラス・オースティンは全盛期、マドンナやTLCを手がけるかたわら、フィッシュボーンをプロデュースしたことがあった。BMG傘下にあった自己レーベルのラウディに彼らを引き入れたんだけど、ホントはオレもメンバーになりて〜とか言っていたんだよな。
そして、国際フォーラムの向かいのトキア・ビルに行き、コットンクラブでNY在住のイタリア人ジャズ歌手(2008年9月16日)のショウを見る。定時にバックのピアノ・トリオが出てきたと思ったら、ガンバリーニもすぐに出てきておもむろに歌いだす。普通は伴奏陣で1曲やって場を暖めてから主役は登場とかいうケースが多い中、この素っ気のなさは珍しい。
でも、歌い始めたら、もう彼女の独壇場。1曲目からスキャットもがんがん、今トップ級にジャズ・ヴォーカルであろうことを確かな能力とともにまっとうしている人だとぼくは思う。とともに、感心したのはその容姿。光沢のある青色のピタっとしたパンツ・スーツを着こなした彼女はきっちりシェイプアップしてて、しかもけっこう綺麗(昔のソフィア・ローレンを思い出させるかも)。ほう。ボタンを締めたジャケットの下はシャツを着ておらず、藍色の下着と胸の谷間が強調される。おお、さりげなく身体はってる。が、いやらしい感じ、下品な感じは皆無。それは彼女がジャズ歌手の挟持あふれる質の高いパフォーマンスを毅然として開いていたからなはず。彼女の歌を色気に欠けるという人もいるけど、それはそういう面もあるのではないか。ぼくは音楽にはそんなに異性の色気を求めないので気になりません。
サポートのうち、「こんな人に演奏してもらえるなんて光栄」てな感じで紹介されていたドラマーのジェイク・ハンナ(1931年生まれ)はウェスト・コースト・ジャズ界の名伯楽(リーダー作もコンコード・ジャズに数枚残す)。で、彼の簡素なドラム・セットにはびっくり。スネアとシンバル2枚、ハイハット、小さめの口径のバスドラだけ。基本は右手でシンバルをチーチキ叩いてリズムをキープするだけで、他はアクセントを入れるときに使うのみ。でも、それでなんの問題もない。ただし、ブラシとスティックは曲の中でもけっこう持ち替えしたりもしていました。あーそういやあ、ドラムライン見ているときに、小学校高学年のときに学校の鼓笛隊に入っていて小太鼓をやっていたの思い出しもした。そのため、ぼくの左手のグリップはまっとうです。
丸の内・東京国際フォーラムのホールAで、ブラス陣と打楽器群が渾然一体となったショウ、“ドラムラインライブ”を見る。一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったアトランタ在住音楽プロデューサーのダラス・オースティンの実体験を元にしたと言われる、アメリカン・フットボールの試合におけるハーフタイム・ショーでパフォーマンスする華やかかつエンターテインメント性に長けたな黒人大学のマーチング・バンド在籍員の青春模様を描いた02 年米国映画『ドラムライン』の演奏部醍醐味にプラスαし室内ステージ化したもの。映画の好評を受けて制作され、アメリカ各地をいろいろ回っているらしい。
出演者はすべて黒人若人で、30人強。動きたっぷりのマーチング・バンドのパフォーマンスを柱に(あれだけ動きながら演奏するのはやはりすごいな。衣装はコロコロ変わる)、趣向を凝らしたブラス隊だけやドラム隊だけの出し物もいろいろ持ち込まれるととともに、ティナ・ターナー、ザ・スプリームス、ザ・テンプテーションズ、アリサ・フランクリン、ジェイムズ・ブラウンなどのそっくりさん(とは、言いがたいか)が出てくるソウル・ショウ・コーナーなども。音楽要素もスウィング・ジャズからR&Bやゴスペル、はてはヒップホップやテクノの断片まで、いろいろと。マーチング・バンドはEW&Fやスティーヴィ・ワンダー曲なども演奏する。百花繚乱、そこからは積み上げられてきた様々な米国ブラック・カルチャーをお楽しみ感覚たっぷりに差し出したいという意図が浮かび上がるか。
パーカッションだけの演奏のときはプリセット音も用いられるが、基本は生音勝負。それこそは、マーチング・バンドの美点ですね。もちろん、ときには客席部に出てパフォーマンスする場合もアリ。そして、そういう際はニューオーリンズのブラス・バンドのあり方を思い出させたりもし(今回、スーザフォンは3人)、いろんな繋がりを感じさせられたりもするのは嬉しい。2部構成で、2部が始まるときは明るいなか打楽器陣が客席部に出ての移動ありのパフォーマンスを延々やってから始まったのだが、そのときお客さんはどうしたんだというぐらい大騒ぎ。彼らに群がり握手を求める。おお。実は、なんか軽めに感じるところもある。でも、そういう様に触れて、できるだけ地方を回って子供たちの目に触れる機会が出来たならとも痛感。もう、ブラスや打楽器やいろんな黒人音楽要素に肌で目覚める人、続出ではないか。ぜったい、子供たちに吉の選択肢がぐわーと広がること間違いない。
それからショウを見ながらふと思ったのは、アメリカ人にとって管楽器ってけっこう身近なものなんだろうなということ。日本だと、吹奏楽部に入る人ぐらいしか管楽器に触れないが、もっとあちらの学校では普通の学校生活の横にあったりもするものなのだと思う。だから、チンピラ高校生で組まれたフィッシュボーンも当初から三管編成をとったりもしたのだ。なんてことも感じたのは、フィッシュボーンの新作(昨年フランスでの、やはり三管を擁するライヴ盤。同ソースのちゃんと編集されたDVD付き)をけっこう聞いているからかな。蛇足だが、先に触れたダラス・オースティンは全盛期、マドンナやTLCを手がけるかたわら、フィッシュボーンをプロデュースしたことがあった。BMG傘下にあった自己レーベルのラウディに彼らを引き入れたんだけど、ホントはオレもメンバーになりて〜とか言っていたんだよな。
そして、国際フォーラムの向かいのトキア・ビルに行き、コットンクラブでNY在住のイタリア人ジャズ歌手(2008年9月16日)のショウを見る。定時にバックのピアノ・トリオが出てきたと思ったら、ガンバリーニもすぐに出てきておもむろに歌いだす。普通は伴奏陣で1曲やって場を暖めてから主役は登場とかいうケースが多い中、この素っ気のなさは珍しい。
でも、歌い始めたら、もう彼女の独壇場。1曲目からスキャットもがんがん、今トップ級にジャズ・ヴォーカルであろうことを確かな能力とともにまっとうしている人だとぼくは思う。とともに、感心したのはその容姿。光沢のある青色のピタっとしたパンツ・スーツを着こなした彼女はきっちりシェイプアップしてて、しかもけっこう綺麗(昔のソフィア・ローレンを思い出させるかも)。ほう。ボタンを締めたジャケットの下はシャツを着ておらず、藍色の下着と胸の谷間が強調される。おお、さりげなく身体はってる。が、いやらしい感じ、下品な感じは皆無。それは彼女がジャズ歌手の挟持あふれる質の高いパフォーマンスを毅然として開いていたからなはず。彼女の歌を色気に欠けるという人もいるけど、それはそういう面もあるのではないか。ぼくは音楽にはそんなに異性の色気を求めないので気になりません。
サポートのうち、「こんな人に演奏してもらえるなんて光栄」てな感じで紹介されていたドラマーのジェイク・ハンナ(1931年生まれ)はウェスト・コースト・ジャズ界の名伯楽(リーダー作もコンコード・ジャズに数枚残す)。で、彼の簡素なドラム・セットにはびっくり。スネアとシンバル2枚、ハイハット、小さめの口径のバスドラだけ。基本は右手でシンバルをチーチキ叩いてリズムをキープするだけで、他はアクセントを入れるときに使うのみ。でも、それでなんの問題もない。ただし、ブラシとスティックは曲の中でもけっこう持ち替えしたりもしていました。あーそういやあ、ドラムライン見ているときに、小学校高学年のときに学校の鼓笛隊に入っていて小太鼓をやっていたの思い出しもした。そのため、ぼくの左手のグリップはまっとうです。
美は乱調にあり”、“ポップは枠を定めない変テコな冒険なり”という真理を人を喰ったスタンスとともに、ずっと追求し続けている孤高の在LA兄弟ユニット。いやあ、素晴らしいなあ。もう感服。
渋谷・Oイースト。7時半スタート(通常の洋楽系公演より30分遅い)だったが、たっぷりやった。休憩を挟む2部制で、終わったのは10時を回っていたのでは。おお、じいさん体力あるなあ、と誰もが思ったのではないかな。でも、彼らは去年春に新作『エキゾティック・クリーチャーズ・オブ・ザ・ディープ』をリリースした際に、71年以降リリースしてきたすべてのアルバムを一晩につき1枚、アルバムの曲順どおりに披露するという酔狂きわまりない21夜にわたる帯のショウをロンドンで敢行している(それを実現させるために、彼らは地元LAで4ヶ月練習したそう)ので、やろうと思えばいくらでもできるよな。サポートはギター、ベース、ドラムの3人だが、彼らもそのときのメンバーらしいし。
1部はその新作からの曲を、順番通りやる。中央にヴォーカルのラッセル(弟)、客席に向かって右側に電気キーボードのロンが基本位置する。間を空けてその後ろにはサポート陣が立つのだが、彼らの前には大きな額縁が置かれていて、正面から見るとバック・ミュージシャンたちは額のなかの絵のような感じになる。また、後方中央には一番デカい額縁があって、そこには映像が映される(ロンはそこに映された鍵盤を弾く真似をしたりも)。音はプリセット音併用、ロンはキーボードを弾かずに、後ろでポージングをしたり、へんな踊りをみせたりも。いいな〜、その味。また、一部ではコスプレ外国人女性5人が出てきて、ステージに華を添えるときも(わざわざ、連れてきたのか??)。他愛ないが、そうした設定からもスパークスらしさは溢れる。で、音のほうは存分に素晴らしい。もう剛性感たっぷりで、プロ。良く動くラッセルの声も良く出ていて、訴求力もたっぷりあるし、ほんと言う事なし。エンディングは中央ヴィジョンに過去のレコードのジャケット・カヴァーが順に映し出され燃えて行き、最後に新作カヴァーが映し出される、というもの。レコードによって客のわき方が違っていたりして、それも興味深い。
セカンド・セットでは彼らの大ブレイク作『キモノ・マイ・ハウス』(74年)をアルバムごと披露。こちらはプリセット音なしで、生身の5人だけで全部まかなう。額縁とかのステージ美術は撤去され、映像も用いず。そして、アンコールは75年作『プロパガンダ』から3曲と近年の『リル・ベイトーヴェン』から1曲。全行程終了後も、彼らはしっかり客の熱烈反応(今年、一番になるかも?)にあったかい態度で応える。何からなにまで、素晴らしい。いやあ、ポップ・ミュージックってすさまじくいいなっ!
渋谷・Oイースト。7時半スタート(通常の洋楽系公演より30分遅い)だったが、たっぷりやった。休憩を挟む2部制で、終わったのは10時を回っていたのでは。おお、じいさん体力あるなあ、と誰もが思ったのではないかな。でも、彼らは去年春に新作『エキゾティック・クリーチャーズ・オブ・ザ・ディープ』をリリースした際に、71年以降リリースしてきたすべてのアルバムを一晩につき1枚、アルバムの曲順どおりに披露するという酔狂きわまりない21夜にわたる帯のショウをロンドンで敢行している(それを実現させるために、彼らは地元LAで4ヶ月練習したそう)ので、やろうと思えばいくらでもできるよな。サポートはギター、ベース、ドラムの3人だが、彼らもそのときのメンバーらしいし。
1部はその新作からの曲を、順番通りやる。中央にヴォーカルのラッセル(弟)、客席に向かって右側に電気キーボードのロンが基本位置する。間を空けてその後ろにはサポート陣が立つのだが、彼らの前には大きな額縁が置かれていて、正面から見るとバック・ミュージシャンたちは額のなかの絵のような感じになる。また、後方中央には一番デカい額縁があって、そこには映像が映される(ロンはそこに映された鍵盤を弾く真似をしたりも)。音はプリセット音併用、ロンはキーボードを弾かずに、後ろでポージングをしたり、へんな踊りをみせたりも。いいな〜、その味。また、一部ではコスプレ外国人女性5人が出てきて、ステージに華を添えるときも(わざわざ、連れてきたのか??)。他愛ないが、そうした設定からもスパークスらしさは溢れる。で、音のほうは存分に素晴らしい。もう剛性感たっぷりで、プロ。良く動くラッセルの声も良く出ていて、訴求力もたっぷりあるし、ほんと言う事なし。エンディングは中央ヴィジョンに過去のレコードのジャケット・カヴァーが順に映し出され燃えて行き、最後に新作カヴァーが映し出される、というもの。レコードによって客のわき方が違っていたりして、それも興味深い。
セカンド・セットでは彼らの大ブレイク作『キモノ・マイ・ハウス』(74年)をアルバムごと披露。こちらはプリセット音なしで、生身の5人だけで全部まかなう。額縁とかのステージ美術は撤去され、映像も用いず。そして、アンコールは75年作『プロパガンダ』から3曲と近年の『リル・ベイトーヴェン』から1曲。全行程終了後も、彼らはしっかり客の熱烈反応(今年、一番になるかも?)にあったかい態度で応える。何からなにまで、素晴らしい。いやあ、ポップ・ミュージックってすさまじくいいなっ!
昨日と同じく、渋谷・Oイースト。やはり、2部制で1部は昨日とまったく同様。そして、この日の2部は彼らがイタリア出身のミュンヘン・ディスコおじさんのジョルジオ・モロダーと組んで評判を呼んだ『No.1・イン・ヘヴン』を通してやる。こちらは、音楽性上、プリセット音を併用しての実演。やっぱり、いろんな意味でイケてる二人……。うぬ、他のアルバムのも聞きたい。ラッセル兄弟はとっても達者(彼らはLAぽくないが、そういう部分は非常にLA的と言うことができるかも)ゆえ、二人だけでやるパフォーマンスというのもアリじゃないか。コットンクラブみたいな所で、そーいうのをお酒片手に座って見れたら最高だよな。