1942年、リオ・デ・ジャネイロ生まれのアレンジャー/プロデューサー/キーボーディスト。60年代中期から本国でイージー・リスニングなジャズ・ボッサ作を出し、60年代後期からアメリカに拠点を移し、アストラッド・ジルベルトの仕事を皮切りにアレンジャーとしてのしていって、70年代に入るとCTIからデビューし一時は人気フュージョン鍵盤奏者として脚光を浴びる。80年代に入るころには本人の興味はどんどんソウル・ポップな方向に行き、リーダー作もそうなるとともに(そのころ、彼の表現を助けたのがバーンズ兄弟ですね;2006年4月11日参照)、クール&ザ・ギャングをはじめ、いろんな人たちも手がけている。というようなキャリアを持つ彼だが、それほどぼくは彼の事を注視したことはなかった。が、どんどんブラジル人の持つ嬉しい才や持ち味を認知するようになると、少し見え方は変わってきますよね。志向は異なるものの、ある意味、セルジオ・メンデス(2007年2月7日、他)と同じような群に入れられる人でもあるかな。マルコス・ヴァーリ(2007年4月28日、他)ともいろいろ付き合いをもっていて、どこか重なる部分があるのかもしれない。それから、ビョーク(2008年2月22日、他)が『ホモジェニック』で唐突に彼をアレンジャー/コンダクターで雇っていたのには少し驚いた。で、逆説的に彼を見直した。

 最近のプロダクツと同様、トリオ編成によるもの。エレピ、電気ベース、ドラム。リズム隊はイルマ・レーベルと関わっていたりするイタリア人だったようで、ちょい拍子抜け? 隙間がありつつそれなりに構成されたブラジリアン・フュージョン、とその内容を書くのが適切かな。ガーシュイン曲しろにブラジル有名曲にしろ、耳なじみの曲をどこか騙し絵的に飄々と送り出して行く感じがそこにはあったはずで、それはやはり主にアレンジで売ってきた人物らしいパフォーマンスであったか。ここにホーン隊がいればなと思う局面もありました。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。