日曜のスライ(8月31日)を見て、ぼくは大きく安堵。思っていた以上にちゃんとやって、時間もそこそこ出て。こりゃ1日だけ組まれた単独公演は場所柄すごいことになりそう、そんな期待に胸を膨らませて、ぼくは会場入りした。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 バンドが出てきて、前奏的にパフォーマンス。それは国際フォーラムと同じ。ただ、一つだけ間違いなく言えるのは、この日のほうが格段に音質が良く、それと比してバンド・サウンドの質もより高くなっていたこと。で、そうすると、やはりバンドにはいい奏者が選ばれているのが分かりますね。トロンボーン奏者にせよキーボード奏者にせよ、外様奏者たちがたまに見せるソロは素敵。(他の奏者たちもそうだろうけど)シンシア・ロビンソンさん、とっても東京が気にいっているみたい。ぼくは、そんなあんたが大好きよん。ローズらはみんな老けて見えない、キャラもあるし、70年ごろに彼女らを見てみたかった。言わずもがな、だが。

 ……ありゃ、いくらバンドが演奏してても、御大は出てこない。30分過ぎぐらいからか、そういう事にも慣れているはずのバンドの面々もまだ出てこないのかなというそぶりを見せる。ぼくもどーしちゃったのとソワソワしちゃう。で、演奏開始40分後ぐらいに31日にはやっていない「サムバディズ・ウォッチング・ユー」のときにやっとスライが登場。灰色のパーカーを着ていてフードを頭からすっぽり被っていて、これじゃ今日だけ見た人だとその髪型や顔つき(両日ともサングラスは着用)とか分からないナ。ともあれ、ホ。待ってましたァと、客は一段と沸く。で、うつむき加減で歌い、ときに鍵盤を触る。その模様は31日とほぼ同じ。少し困惑気味なようでもあり、薄ら笑いをほんのり浮かべているようであり。どこか、コワレテいると感じさせる部分はアリ。が、それは彼に関しては悪い印象とは結びつかない。……だが、スライは10分少しでひっこんじゃう。ステージ行き帰りの際、彼はまさに横を通る。ワ。じ〜ん。推定、162センチ。そりゃ、小柄な事にコンプレックスを抱いていたプリンスは入れ込みますね。

 短い時間ではあったものの、いいものを見せてもらったナと、やはり思わずにはいられず。多大なものに、落とし前を落とせたな、決着をつける事が出来たナという安堵感のようなものもぼくは得た。まあ、ぼくの場合、東京国際フォーラムで30分以上(アップを映すヴィジョン映像付きで)スライを見れたという余裕があったから笑っていられるのかもしれぬが。ともあれ、スライの変テコさ、へそ曲がりぶり(だからこその、他の担い手とはあまりに違うその音楽!)、万歳! あと、ぼくは大昔、スライ&ザ・ファミリー・ストーンをオルタナ・ロックとして愛好していた事も思い出した。

 ああ、今年の夏も終わりだナ……。なお、セカンド・ショウもスライ・ストーンは10分ぐらいの登場だったそうだ。
 1970年南部生まれ、ジャズ界のスター・ドラマー(2000年12月6日、2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月9日)、と言っていいのかな。80年代末からケニー・ギャレット(2003年8月19日)、ジョシュア・レッドマン(2003年1月16日)、ブラッド・メルドー(2005年2月20日、他)なんかに重用され売れっ子になるとともに、ロック界の名制作者ダニエル・ラノアに気に入られ、ボブ・ディラン作ほかラノアがプロデュース関与するアルバムで叩いたり、ジョニ・ミッチェルやエミールー・ハリス他ポップ系作にも参加しているドラマーだ。リーダー作はブルーノートやヴァーヴなどに残している。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。

 自己グループを率いてのものだが、<おお、ジャズは時代とともに生きている>と思わせるものだったのではないか。拍手拍手。というか、あんなにリーダーとして優れている御仁とは。2人のサックス(一人はバスクラも吹く)、ピアノ(彼のみ白人。一部キーボードも弾く)、ベースを従えてのもので、サイドマンは若めながらそれなりに興味深い活動歴を持つ人たち。で、大きく頷かされたのは、けっこう抑制された美意識を持つ〜それは、ストーリー性や詩的な感覚をたっぷり持つとも書ける〜ものながら、一方ではしっかりと即興に則った前を見た確かなジャズとなっていたことだ。比較的がっつり系の局面のときは、なぜかジョン・コルトレーンを思い出させるときもあり。それは、彼が正統にジャズの過去を受けている証左になるだろう。とにかく、リアルなジャズということでは、去年のゴンサル・ルバルバカ(2007年11月21日、他)の公演もかなり秀逸なものだったが、彼の演奏は“新主流派”と呼ばれた60年代の冒険心に満ちたジャズの様式に多大に負っているのに対し、ブレイド表現はもっと最初から自分のフォーマットでジャズを展開しようとしているところがあり、そこが素敵と思う。まあ、ルバルバカ・グループの圧倒的な奏者間のジャズマンシップの噛み合いも凄いの一言ではあるのだが。ともあれ、そういうまっとうなジャズ公演にちゃんと人が入っているのもうれしかった。冒頭に書いたように、あまりにリーダーとしての高い力量を見たのでそっちのことばかり書いてしまったが、ブレイドのある意味オーセンティックなんだけど、どこか自分流なジャズ・ドラミングも目を見張らせるものだった。

エスペランサ

2008年9月5日
 エスペランサは84年オレゴン州ポートランド生まれ、NYをベースとするウッド・ベース奏者&シンガー。英語とスペイン語が両立する環境に育った彼女は少女のころからクラシックの世界で頭角を表し、20歳でバークリー音楽大学のジャズ課程の講師にもなったという経歴を持つ人。これまで2枚のアルバムを発表していて、同国のジャズ界では話題の存在となっているようだ。

 彼女のセルフ・タイトルの新作でも基本の単位を組んでいたピアニスト(少し電気ピアノも弾く。白人)とドラマー(黒人)を従えてのもの。で、アルバムで感じた以上に(編成が簡素だったせいもあるかもしれないが)歌とベース演奏が対等にある、その眩しい相乗が表現の中央にある実演を披露する人だと認知。難しい旋律取りをする歌はしなやかながらしっかりしていて、こりゃ音感が確か。その表現を貫くのはまっとうなジャズ感覚/精神だが、そこはミルトン・ナシメント曲カヴァーなどに示されるブラジル音楽愛好趣味や清新なうっすらポップ感覚なども息づく。アルバムでは血筋を活かしたラテン・ビート応用を見せもするが、この日はその側面はあまり出していなかったかな。

 確かな音楽審美眼という名の、美味しい音楽の滴がキラキラと光る。自由自在、<ベースを弾きながら思うまま歌えば、私はどこへでも行ける>、という感じもありました。うきっ。ピアノとのデュオでやるのも1曲、またアンコールは一人で出てきてウッド・ベースの弾き語りで締める。それから、いい感じなのはその見てくれや佇まい。すらりと長身で、とってもかわいい(しかも、なんとも性格も良さそう!)。華奢な身体でウッド・ベースをぶいぶい爪弾き、奔放に声を泳がせる様は唯一にして、見る者を胸キュンさせること請け合い。その様だけでも、彼女は大きな注目を受けるべき人なのだと思わずにはいられなかった。なお、彼女の使っていたコントラバスは普通のサイズなのだが、下部のボディがないというカスタム・メイドな代物。1曲だけフレットレスのセミアコ・ギター型のベースも弾いた。

 六本木・ビルボードライブ東京(ファースト)。会場に入ったとたん、まさに即、寒くてブルブルと震える。俺ってこんなに敏感だった? 上着のボタンを締めても、耐えられない。と同時に、胃や背中がきりきり痛くなってきちゃい(なのに、お酒をオーダーする俺って?)エ〜ン。こんな事初めて&回りの人はあまり寒がっている様子はない。いったい、俺はどーしちゃった? あまりに堪え難く途中で、少しは気温が高いだろう階上の席に移らせてもらおうかと思ったぐらいで、いつもの半分ぐらいしかショウに集中できなかった。なのに、エスペランサは素晴らしいと感激できたのだから、彼女の魅力はデカいはず。それと、同様にベーシストでもあり&ブラジル語彙に憧憬を見せるためか、ぼくはキューバのジューサ(2005年11月14日)のことをショウの最中に思い出し、瑞々しいジャズ流儀に拒否感を覚えない人なら誰だってエスペランサのほうがアーティストとして上だと感じるんじゃないかと思った。それはジューサの後見人的存在の才人ロベルト・カルカセース(2005年11月14日)もそうなのでは。彼女のジャズ志向をスポイルする方向に進むだろうけど、エスペランサが誰か良質なサウンド・プロデユーサーと絡むのはアリなはず。この才はどうにでも行けるものであると思う。
 ブラジルばんざい、ブラジル人の素敵2連発の日。

 代々木公園の野外ステージ(渋谷・NHKの少し奥)で、かっとび混沌派の大家であるジョルジ・ベンジョール(旧名、ジョルジ・ベン)を見る!!! ブラジル発の最たる有名曲、「マシュケナダ」は彼が作ったものですね。毎年行われているフリー・イヴェント“ブラジルフェスティバル”への出演で、今年は昨日〜今日の開催。昨日はオロドゥンが出たとのこと、わー。公演の一角は出店もたくさん出ていて、お祭り模様。来ている人はブラジル人と日本人が半々ぐらいか(いや、ブラジル出身者のほうが多いかなあ)。なんでも、ブラジルでは企業がスポンサードする無料イヴェントが各地でよく開かれるんだそう。

 午後4時ちょい、ホーンを含むバンドにて御大は登場。人々の隙間からなんとかステージを垣間みる。サングラス着用のベンジョールはいい感じでにやけてる豪気なおっさん、という風情かな。ぼくは彼というとアフロ・ロック色の強い『アフリカ・ブラジル』(フィリップス、76年)をすぐに頭に思い浮かべる人で、9/2のスライの記載に続くようだが、ブラジルものを聞きたいというよりもオルタナ・ロックを追い求めたくてあのアルバムと出会い、ぼくは同作を聞きこんだハズ。そんなわけなんで、「タージ・マハール」(ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」の原曲)や「ウンババラウマ」など、同作の曲をやると、ぼくの血糖値はより上がった。

 レゲエ調やサンバ調曲なども含め、ときにごつごつと軽快にショウは進められる。……わけだが、ライヴ開始後ばらくして空の雲があやしくなり(ずっといい天気だったのにィ)雷音なども聞こえるようになり、実演が始まって40分後についに雨が降ってくる。以後、ずっと大雨模様。が、ベンジョールはそれ以後も意気軒昂に1時間少しパフォーマンスを続けた。強く、しなやかなビート・ポップ! 場内はずぶぬれになることに快感を覚える人が多数、それもまた野外イヴェントの醍醐味なり。終ると、公園奥のほうでゲリラ的にやっているサンバ隊音の演奏が聞こえる。

 そして、南青山・ブルーノート東京に移動して、ジョイスを見る(2007年7月24日、他)。ファースト・ショウ。前回と同様に旦那のドラマーを含む、ピアノ・トリオを率いてのもの(新たなベーシスト氏は現地の同業者からとてもピッチにうるさい奴と言われているよう)。ボサノヴァ生誕50周年ということで、いつもよりボサノヴァ有名曲を多めにやったのかな。なんにせよ、流麗で闊達で、力のあるパフォーマンスを披露。ギター演奏やスキャットも、本当にいい感じ。そこに漲る張りや瑞々しさなどは、ぼくが過去見た中で一番なんじゃないか。そう、思えたりも。もう60才は過ぎているはずだが、ぜんぜんヤレたところがない。その悠々の模様はイケてるおばさんのロール・モデルたりえるんじゃないか。そんなことも、しっかり感じたな。なんか先がみえちゃたナ的どよーんとした心持ちを持つ同性の方にぜひ彼女のギグをすすめたい。
 SWVとはスタンリー・クラーク、マーカス・ミラー(2007年12月13日)、ヴィクター・ウッテンの名前のキャップを並べたもの。技巧派電気ベース奏者3人(クラークはウッド・ベースも少し弾く)がつるんだユニットで、アルバムを出し、このサマー・シーズンに大々的にツアーをし日本にもやってきた。六本木・ビルボード東京(ファースト・ショウ)。サポートはキーボード奏者とドラマーだけ。プリセットのトラックは併用していたが、できるだけ3人のべースの音/技を聞かせましょう、という方策を持つ。ドラマーはウッテン人脈の人で、キーボード奏者はかつてミシェル・ンデゲオチェロのバンドにいたらしい。

 こりゃ、大笑い。イロモノと言えばそうなんだが、腕と自尊心に覚えありの3人のベース奏者が自在に重なり合う様は売り物になるなと実感。生だと、誰がどの音を弾き、どういう奏法によるものなのかが分かるので相当おもしろい。個人が前面に出るときは他の二人が興味深そうに見守っていたりして、その風情も悪くない。さんざんギグを重ねてきたはずだが、そういうものなのか。もし、その“図”を演じていたのなら、それはそれで立派なプロ意識ですね。ミラーはベース・クラリネットを弾きながら、客席前部を歩ったりもした。

 ぼくが一番ウフフとなれたのはクラークの演奏。一番大雑把と言えば大雑把だったかもしれないが、でかい手でばしばし豪快にスラッピングしたりコード弾きして行く様は快感。それに触れながら、彼のロッキッシュでもあった70年代前半のネンペラー期だけはなぜかけっこう夢中になって聞いたことを思い出す。だからこそ、ぼくは彼がジガブー・モデリステ(2007年2月3日)とリズム・セクションを組みキース・リチャーズらと70年代後半にツアーをやった(ザ・ニュー・バーバリアンズ)時も違和感を覚えなかったのだ。その鮮やかな迸りやはみ出す感覚は80年代頭のジャマラディーン・タクーマのごとし。コイツには黒人音楽の未来があるとタクーマに夢中になったことがあったけど、クラークの20代の頃もそういうところはあったはずだ。話はとんだが、同じ道を歩むものが笑顔で切磋琢磨する感じは横溢。三者ともに刺激を得て、その経験は後のそれぞれの活動に跳ね返るんじゃないか、とも思えた。

 最後までは見ずに、目黒に移動。チャバンというお店で途中からにはなったが、オーストリアのウィーンから来ているラナ&フリップを見る。クロアチア出身のラナはアニー・ロスとベティ・カーターの間を自由に行き来するようなシンガー(ブラジリアン歌手も好きなよう)で、フリップはウィーン交響楽団の打楽器奏者を務めているが、クラシックはけっこうお仕事モードが入っているようで(とはいえ、その道では有名で、教鞭をとったりとか何度も来日しているそう)、ジャズが大好きという人物。その場合、ヴァイブラフォンを弾く。そんな彼は、京都のバンドのくるりのシンフォニック・ロックの傑作『ワルツを踊れ』で弦音をアレンジしてもいて、その流れでグループで今回来日した。

 同行のアルト・サックス、ウッド・ベース、ドラムのサポートを受けてのもの。最初はセロニアス・モンクの曲をヴォーカル付きでやるユニットとしてスタートしたというが、本当に確かで瑞々しいジャズ流儀が横溢。総じてはしっかり過去の滋養を受けつつ、前を見た&自分をきっちり出したヴォーカル付きジャズ表現といったものを粋に提供。素晴らしい。すべて、オリジナルで固めた彼らの『ザ・ダスト・オブ・ザ・ウィーク』は大推奨盤です。エリック・ドルフィー好きというアルト奏者をはじめ、サイド陣も腕は確か。ウィーンとジャズはまったく結びつかないが、やっぱジャズの伝搬力/影響力は強いナ。実演だとラナの歌はより奔放で、フリップはもしNYで活動したら今ピカ一のヴァイブ奏者として話題をよぶんじゃないかと思えるほど。クラシックの世界にいながらこんなに巧みにジャズをこなす人は初めて知った。蛇足だが、ウィーン絡みで1人だけインターナショナルなジャズ系ミュージシャンがいた。元ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌル、その人。今は亡き彼はウィーンでジャズ・クラブを開いていたが、フリップは彼と仲良くしていたという。
 昨日今日はかなり晴天だが湿度が低く、日が暮れるとかなり涼しい。秋に向かっている、そんな感じがたっぷり……。

 まず、渋谷・O-イーストで、今年2度目の来日となるアシャを見る。前回(2008年6月7日)はギター奏者とバック・シンガーを伴う簡便な編成によるものだったが、今回はバンドを伴ってのもの。前回同行者にプラスして、キーボード、ベース、ドラムが帯同。ギタリスト(スティヴィー・レイ・ヴォーン他、ホワイト・ブルース系ギタリストがお好みとか。アシャとは1年間、行動をともにする)以外はアフリカ系だ。

 隙間の多いサウンドがつけられていたデビュー作の音を無理なく開いたバンド音(おうおうにして、少し太く、より弾んだものになっていたか)を得て、アシャは自分を無理なく押し出して行く。今回、コーラス担当のジャネット嬢がドレスを着用していることもあり、アシャのボーイッシュな感じ、飾り気ない自然性のようなものはより前に出ていた感じはあったかな。この晩の公演は福岡から北上してきたツアー(1週間で6カ所)の最終日、そのためかアシャの声が少し嗄れているかもと感じたが、あとでCDを聞いたらもともとけっこうハスキー・ヴォイスなのだな。ときに声を振り絞る感じは、ボブ・マーリー愛好を通してのものという感じが出る。

 彼女を包み込むバンド・サウンドを得てより思うまま振る舞えることで(ギターを持たず、ヴォーカリストに専念するほうが多い)露になったのが、彼女の巧みなショウの進め方の能力。ときにユーモアを交え、的確にオーディエンスに語りかけたり、堂にいったコール&レスポンスをやったり、一緒に歌うことを求めたり。繰り返すがそれらはとてもお上手、彼女がそんな才覚を持つ人だとは……驚きました。それから、身のこなしも軽快、なるほど「踊りは好き。私の足にはリズムが入っているの」なんて、かつて取材したときのコメントも納得だな。

 アルバム『アシャ』からの曲を中心に、新曲も披露。アルバムよりももっとシンプルに届けられたヨルバ語による平和を祈る「アイ・アバダ」の広がる慈しみの情にはじわーん。これに触れたら、もう何も言えなくなっちゃうよな。沸き上がる人間的な気持ちと、心の琴線に引っかかる素直なメロディと、その奥に広がる豊かな音楽語彙のしなやかな三位一体表現……。そりゃ、客席側からは熱い反応が返されまくるわけで、双方の澄んだ気持ちの交換は磁場と言いたくなるような、一体化した空間をぽっかりと生み出していた。なんか、そういう部分においては、アシャはもう“黄金”を手にしていて、日本において特別な位置を得てしまうかも、ぼくはそんな事も思った。アンコール最後の曲は、ギタリストとデュオで披露した、ボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」なり。

 その後、南青山・ブルーノート東京に移動して、マッコイ・タイナー(2003年7月9日)のトリオに、俊英トランぺッターのクリスチャン・スコット(2008年7月23日)が入った出し物を見る。セカンド・ショウ。

 今年末でちょうど70歳となるジャズ・ピアノ大御所の演奏に触れて感じるのは、悠々”自分の道を行く”ということ。タイナーといえば、60年代ジョン・コルトレーンのグループや脱退後の饒舌かつスケールの大きな指さばきがすぐに思い浮かべられるが、現在は今の自分の心象やジャズ観を出す演奏をちまちまさせてもらいますワ、というノリにシフトしているのがよく分かる。今だってムキになれば往年を彷彿とさせる演奏ができなくはないはずだが、そんな事は過去の話と含蓄豊かな指さばきをさらりと出して行く指針も、名人ならアリだろう。なんか笑えたのは、御大と同様にスーツを着用し真面目そうに見えるベーシストのジェラルド・キャノンがソロのときにディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やダニー・ハサウェイの「ゲットー」を弾き込んでいたこと。はは。でも、その総体は、大人の余裕のジャズというしかないものなのであるが。

 スコットは途中から出るのかなと思ったら、最初から出ずっぱり。途中で、1曲抜けただけだった。で、前回のソウライヴのゲスト時のニューオーリンズ・マナー大爆発の演奏から、今回は抑制された、ふくよか&なめらかな演奏に終始する。彼は自己表現だと、レディオヘッド的な事をジャズでやりたいという気持ちを反映させたアブストラクトな今様ジャズを標榜する(その『アンセム』には、先週金曜に見たエスペランサが入っていた)わけだが、この年末に出るスコットの新作はニューポート・ジャズ祭でのライヴ盤。もちろん、注目に値する出来で、なんとかそのリーダー・グループの来日が実現してほしいが。

 高円寺・JIROKICHI。昨年『Together Again』というニューオーリンズ録音の双頭作を出した、来日中の山岸潤史(2007年2月3、4、5日、他)と上京中の塩次伸二(2005年7月31日)のライヴに顔を出す。わわ、任侠ノリで行く事を決め、ジルベルト・ジルの来日公演を殺しちゃった。元ウェスト・ロード・ブルース・バンドのお二人に加え、よくコンビを組む小島良喜(鍵盤)と鶴谷智生(ドラム)、そして江口弘史(ベース)がサポート。ブルーノート・スケールという魔法の絨毯とともに、自由自在。ブルース曲だけでなくいろんな曲を笑顔で繰り出す。延々。尽きないというか、とまらないというか。本当に演奏するのが好きなんだなー。


日本人親指ピアノ奏者、同時代型表現を求めるバンドのレコ発記念ライヴ。代官山・晴れたら空に豆まいて。いろんな音楽を通っていることを教える伸縮性や粘りを持つリズム・セクション(にプラスして、ダブっぽい事をしたりもする卓担当者)を従え、サカキはおもうままアンプリファイドされた親指ピアノ(複数用いる。一つはけっこうデカかかった)をならし、歌う。声、ちゃんと通るなあ。両足には鈴の集団もくくりつけてて、全身で音を出すんだという心意気のようなものも伝わってくるか。親指ピアノ演奏は多くの場合、ギター的だったりキーボード的だったりする使われ方をする(最後のほうはもろにコノノNo.1を想起させるような音も出す)。でも、音色や微妙な音癖はアフリカと繋がるものであったりするわけで、それだけで異化作用、飛躍する感覚を持ちえるか。そして、堂々とした歌が引っ張るその表現を聞いていると、<この人はちゃんとしたポップ・ミュージック作りの才を持っていて、それを彼ならではの興味や機微と交錯させて、自分の音楽を作ろうとしている>と、痛感させられるのだ。そう、確かなビート・ ミュージックの作り手であるというのがぼくのなかではとても印象に残ったナ。


 <ジャズのエリート・コースを歩み若くしてエスタブリッシュされ、そのままジャズ・ビジネスの前線にいつづける>(2003年2月18日)ものの、一方では<ずっとファンクやヒップホップを愛好してきたとのたまいソウル・クエリアンズ勢らとつるみつつ、R.H.ファクターという軟派プロジェクトを組み>(2003年9月21日)、おージャズやるのに飽きてんだアと思わせたら<また真摯な純ジャズ路線に取り組む>(2007年9月10日)……。そんな、69年テキサス州生まれのトランぺッターの08年来日公演はなんとビッグ・バンドを率いてのもの。なんでもNYでもビッグ・バンドを組んでギグをやったりしているようが、今彼はよりいっそうのジャズ・モードに入っているだろうか。

 開演10分近く前には、メンバーがステージに出てきて待機したりも。サックス・セクション5、トロンボーン・セクション4、トランペット・セクション4、ウッド・べース、フルアコのギター、ドラムという布陣。年齢は20代から40代まで、アフリカ系が多いものの白人も何人か(ダントン・ボラーというベーシストは俳優かと思うほどにカッコいい。かつてブルーノートが出した事もあったザ・ジャズ・マンドリン・プロジェクトのメンバーだった事もある彼、イケ面マニアの人は彼目当てに行っても元は取れたと思えるはず。ルックス、技量ともに、カイル・イーストウッド破れたり、かな)、女性も1人。彼らは基本、スーツ着用。一番若そうなラテン系入ってそうなドレッド頭のピアニストは平服。スーツを持ってないと申告したら、じゃあ白いシャツだけ着てよね、なんてバンマスとのやりとりがあったと想像する。最後に出てきたハーグローヴはサングラス着用で黒のジャケットに、黒のネクタイ。ながら、ノー・アイロンぽい白いシャツはパンツの中に入れず、スニーカー着用。それも、自分なりの価値観の発露?……。

 スタンダードあり、知らない曲あり、けっこうR&Bぽいものあり、ラテン調もあり。スコアをどう調達したかはしらないが、大編成表現の醍醐味や楽しさを素直にアピールする出し物が並ぶ。ハーグローヴは必ずソロを取り(美味しい所をまずいただく、というのはリーダーの特権なり)、他に一人か二人がソロをとる。最後にメンバー紹介的にトランペット・セクションで長々とソロを回した(少しヘタっぴもいた)が、それは別のショウのときは違うセクションがフィーチャーされるんじゃないだろうか。

 そこそこの力量を持つ人たちを集めて、自分を中央に置いての、こういう大掛かりなプロジェクトをちゃんと形にしている事に触れ、ハーグローヴって力を持っているんだなと、思わずにはいられず。とともに、昔から自分なりのビッグ・バンドをやってみたいという気持ちを持ち続けてきたんだろうなとも痛感。もう、彼、奮闘していたもの。でっかいアクションで明快に指揮し(ある曲の出だしのトロンボーン・セクションの絡みが上手く行ったときには、グー・サインを出したり。ハハ)、かけ声をかけ、何度も曲調に合わせてフリをつけたり、踊ってみたり。それに団員たちも嬉しそうに、応える。歓び、あり! 彼がこんなに快活で、快楽的で、アツい奴だったとは。 彼が送り出す大所帯表現はビッグ・バンド・ジャズのある種の意義を映し出すものであり、もっと言えば、生きた笑顔ある音楽の普遍的と言いたくなる輝きを存分にだしていた! 

 途中2曲と最後のほうには、米国でもけっこう知名度を得ているイタリアの女性ジャズ歌手のロバータ・ガンバリーニが出てきて歌うのだが、彼女にもびっくり。もともと本格派というイメージがあったものの、こんなに歌える人だったとは。本物。延々のスキャットもばっちり。フィーリング、技量ともに大OK、まちがいなく彼女の次の来日時には見に行く事をきめました。ガンバリーニ最後の曲(3曲目)のときはハーグローヴもスキャット合戦に加わる。と思ったら、彼は次の曲でうれしそうに一人で歌う。あらら、あんた歌うのそんなに好きなの? でも、それもとてもいい感じだった。途中からはサングラスも外し、額に汗を浮き上がらせ笑顔満面なハーグローヴ。一から十まで、グッド・ジョブ!

 南青山・ブルーノート東京。日曜までつづく出し物の、初日のファースト。山あり、谷あり、たっぷり90分。おお、今後のショウはどーなる? また見たいけど、予定はびっしり……。しくしく。


 まず、渋谷・クラブクアトロ。8月にリニューアルなったはずだが、やっと来る。5階建てのクアトロ・ビルの1〜3階がブックオフになっていて、まずびっくり。へー、ブックオフはほとんど利用した事がないけど調子いいんだな。でも、バブル期(だよな?)にこの建物が出来たときは音楽ソフト販売のウェイヴが大々的に入っていたわけで、ある意味もとのノリに戻ったと言えなくはないかも。その後ウェイヴは撤退して、衣服屋や雑貨屋がいろいろと変わりつつテナントで入っていたわけだ。一時は韓国ソウル発の安売り店で1フロアをまとめた事もあったはず。あー商行為はめまぐるしい。ともあれ、4〜5階の全フロアがライヴ・ヴェニューとしてのスペース。受け付け階の4階は無駄に広いかも。で、5階のステージ・フロアは変更無し(バーの様式や出し物アイテムは切に更新してほしかったが、まったく変化なし。なんでェ〜)。

 ザ・サーストはロン・ウッド(2003年3月15日)の自己レーベルの第一弾アーティストと喧伝される、新進UKバンド。痩身の崩れた小アフロ頭の青年が出てきて、生ギターを弾きながら歌いだす。技巧と緊張感のないキザイア・ジョーンズ(1999年9月29日)。てな、印象を持ったか。で、その最中にギター、ベース、ドラムが出てくる。みんな似た風体の黒人たち(英国人たちだから、ジャマイカン・ルーツかな)。で、彼らはギターの刻みが後打ちの曲をやる。乱暴に言えば、2トーン調をもっとロックぽくした感じか。ときに、“泣き”の感覚も入る。もう少し曲調が立っていればと思わなくはないが、でもその佇まいだけでぼくは許せるし、また来日したら見に行くと思う。初々しくコミュニケートしようとしていたのもマル。

 40分間みて、移動。南青山・青山迎賓館(今年に入って営業を始めたそうな、月見ル君想フ近くの結婚式場)に行く。道、かなり空いていたナ。アメリカの靴やバッグのメイカー“コール ハーン”の設立80周年記念パーティがあり、そこにぼくが注目している米国人ジャズ歌手のホセ・ジェイムズがアトラクションとして出るため。8時すぎに、ジェイムズは電気ピアノ、電気ベース、ドラムとともに登場。へえ、スリムな身体を黒のスーツで包んだ彼(身長はそれほど高くない。年齢は30歳ぐらいか)は写真だと黒人に見えたが、いろんな血が入っている印象を受けた。そんな彼はいい声で、確かな音程のもと奔放に歌う。スキャットもいい感じ。音楽として重要な何かがこぼれ落ちる。やはり、これはなかなかのタレントという所感を強く持つ。ドラムはけっこうブレイク・ビーツ的なビートを叩き、そんなこともありジェイムズ自体のヴォーカルは純ジャズだが、クラブ・ジャズ的な誘いも確かに持つ。彼を送り出したのはジャイルズ・ピーターソン(1999年5月21日、2002年11月7日、2004年1月16日)のレーベル“ブラウンズウッド”だ。演目は、アート・ブレイキーで知られるファンキー・ジャズ名曲「モーニン」(やっぱ、親しみやすい曲だな)他、ジャズ有名器楽曲をヴォーカル曲化したものも。

 50分ぐらいは悠々とパフォーマンスしたかな。かなり、満足。そのあとは、ジャイルズ・ピーターソン(2002年11月7日)が延々とDJ(ベタなEW&F曲を回したりも)。最初、彼にパーティDJの依頼があり、ついでにジェイムズを推薦したのかな。このパーティ出演来日のついでに、ジェイムズは翌日にビルボードライブ東京でパフォーマンスする。また、翌月にはニコラ・コンテのゲストで来日し、ブルーノートに出演する。

 ノルウェイの“ジャズランド”レーベルの親分でもあるピアニスト・キーボーディスト(2001年5月27日、2002年5月8日)の、今回の来日パフォーマンスは完全ソロによるもの。恵比寿・リキッドルーム。ステージ上にはグランド・ピアノ、本人を挟んでその反対側にはシンセみたいなコントローラーと小鍵盤が一体になったものとPCが置いてある。奥のほうには電気ピアノも置かれていたが、それはほとんど使わなかったんじゃないかなあ。

で、彼は自在にピアノを弾き、随時それらはサンプリングされているようで、任意えらばれた断片がループ音/装飾音になり(音色も自在に変えられる)、それにあわせまたピアノを弾き……。基本は即興でやっていたのかな。やりようによっては、過剰な音の洪水と言えるものもできそうだが、そこは大人である種の抑制の美意識が働く。デイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイヴ」も趣味良く、広げた。それから、オっと思ったのは、泣くような声で話すベッセルトフトだが、少し歌って(けっこう、いい感じで歌うんだよな)それを上手にサンプリング使用したりもしたこと。なかなか、おもしろかった。

 カサンドラ・ウィルソン(2008年8月11日、他)と同じ年齢で同じくブルーノートに所属する、広角派の本格派ジャズ・シンガー(2001年4月24日、他)を六本木・ビルボード東京(セカンド・ショウ)で見る。ガット・ギター、ベース(縦、電気両刀)、ドラムは新作で関与していた人たち。ピアノ(たまに、電気も弾く)も『グッド・ナイト、グッド・ラック』他、過去作に関与してきた奏者を連れてきている。

 どこか抑制された、ビミョーに純ジャズからは離れる意思を持つサウンドのもと、リーヴスは余裕で歌う。うまく説明できないが、やっぱうまい、ジャズをきっちり会得している人は強いという感想をおおいに得る。確かなジャズ感覚を下敷きに、彼女は自分が考える方向にちゃんと踏み出しているなあ……。なんか醸し出す寛いだ風情もいいし、客とのコミュニケーションのとりかたも巧み。

 新作にも入っていた、ポジティヴな母親を題材にした自作ブルース「トゥデイ・ウィル・ビー・ア・グッド・デイ」(このときだけ、ブラジル人ギタリストのロメロ・ルバンボ:2003年5月6日、2006年11月22日:は電気ギターを手にしたが、アーシーな奏法がうまくて超びっくり。なんでも弾けちゃうんだな、うひゃー)、「ラヴィング・ユー」(ミニー・リパートン)、「ジャスト・マイ・イマジネーション」(ザ・テンプテーションズ)の三連発は圧巻。もう適切に自分化して(しっかり技量の高さが出る)、それぞれに客と効果的にコール&レスポンスもして。もう、彼女にゃ誰もかなわない、なんて事も少し思ったか。バンドの面々も本当に嬉しそうにサポートしていたな。実はこの日、ぼくは車で来ていて、アルコールを飲んでいない。なのに、逆上せてものすごく感激しちゃったよー。彼女がとっても魅力的な女性に思えました。あっぱれ、リーヴス! 


 男は黙ってフリー・ジャズ。な〜んて、思っていたことがありました。フリー・ジャズに入り込んだのは、ちょうどニュー・ウェイヴ・ロックが80年前後に猛威をふるっていたころかな。いろんなロックを追い求めるかたわら、ぼくはオーネット・コールマン一派をはじめとするファンキーなビートを伴う冒険ジャズ表現に夢中になり、その奥にあるフリー・ジャズのレコードもいろいろ漁るようになったのだ。あのころ、狼藉と越境を求めていろいろレコードを買い、一喜一憂していたなあ。そういう意味では、ぼくにとっての真のニュー・ウェイヴ・ロック体験というのは広義のフリー・ジャズを聞く事だったという言い方もできるかも。まあ、ノー・ニューヨーク一派やザ・ポップ・グループやリップ・リグ&パニックとか、そっちと繋がったニュー・ウェイヴ勢もいたしな。

 フリー・ジャズ大御所ドイツ人リード奏者のブロッツマンを主役に据えた公演。休憩をそれぞれ挟んで、3つのセットが持たれ、ブロッツマンは出ずっぱり。<東京コンフラックス2008>と名付けられた各国インプロヴァイザーが集合しお手合わせをする5日間に渡る帯イヴェントの最終日となる出し物。この日は、六本木・スーパーデラックス。

 まず、灰野敬二(ギター、歌)とのデュオ。まっこう即興、音を出し合い、反応しあう。両者、アハハな個性出る。ブロッツマンを見るのは約20年ぶり(そのころ、ビル・ラズウェエルが彼と懇意にしたがり、ラズウェル絡みで来日していた。cf.ラスト・イグジット)。顔を赤くしてブロウする姿や雄々しい音に、おお変わらないナと思う。おお、すごい、とも。オレはなんか年とって前より激しい音を聞かないようになっているもの……というのは、別にしても、変わらないことの尊さをなんか肌で感じた。超然、その言葉がブロッツマンには一番当てはまるかな。

 2番目は、琴の八木美知依(2008年8月24日)とノルウェイ人ドラムのポール・ニルセン・ラヴ(2005年4月12日)との3人で遊び、丁々発止。アンプリファイドしているとはいえ激しい応酬になると繊細な琴の音は聞こえにくくなるが、過剰に増幅すると琴の旨味から離れるという気持ちが八木にはあるのかな。ともあれ、ギター、ベース、ハープとか本当にいろんな楽器の効果を想起させる音を繰り出す様は愉快。でもって、琴という普段あまり接しない楽器が相手だと、外国人たちは新鮮なのかうれしそう。

 そして、3番目はリード奏者3人生音合戦。アメリカ人のケン・ヴァンダーマーク(今回が初来日とはびっくり)とスウェーデン人のマッツ・グスタフソン(ザ・シング、他。先のニールセンもザ・シングのメンバー)、との生音リード合戦。それぞれお手合わせしている間柄なためお互い手の内を知るところもあり、かなり意思統一された演奏(エンディングのさくっとした終り方を見てもそう感じる)を見せ、変化に富みつついろんなヴァリーエションをスリリングに提出。3曲目だったか。各サックス音の倍音を効果的に用いる重なり方は耳をひかれた。そして、最後には坂田明が入り、サックス四重奏となる。

 けっこう肌寒い雨の日、午後6時から東銀座・松竹試写室で、映画「ザ・フー:アメイジング・ストーリー」を見る。マーレイ・ラーナーというドキュメンタリー畑の監督による、07年アメリカ映画。メンバーのピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーの二人(他の二人はすでに鬼籍入り)の話はもちろん、肉親やマネイジャーたち多数の関係者、エディ・ヴェイダー、エッジ(2006年12月14日)、スティング(2000年10月16日)、ノエル・ギャラガー(2000年月29日)らが後続の同業者の話を挟みつつ、いかにもなUKらしさを持つロック・バンドの長〜い現在までの歩みを追う2時間の映画。けっこう、ザ・フー結成以前の各メンバーの生い立ち(1940年代〜)やバンド結成までの動きなどもちゃんと語られる。いろんなライヴ・シーンが出てきて、それはやはり肝となるかな。

 それにしてもいろいろと散る音楽性(ながら、彼らはあまり黒さを持たない、本当に珍しいビート・バンドだった。ロジャー・ダルトリーの歌が導くものが大きかったのか)、発散の音楽=ロックを体現するステージ・マナー、それぞれの個性やバンドのメンバー力学など、ほんといろんな面で興味深いバンドだったと再確認。ぼくが大好きなシンセ音多用作『フー・アー・ユー』(78年)がなぜそういう指針をとったか説明されてないのは少し不満(理由の一つは故キース・ムーンがドラムをちゃんと叩けなかったためなのかな)だが、近年の復活ライヴが破産寸前の故ジョン・エントウィッスル(2001年11月9日)を助けるためだったとか(彼だけが、音楽教育を受けたというのも初めて知る。ベースをやる前にトランペット系楽器を吹いていたというのは、レッチリのフリーと同じだ)、ほうというネタもいろいろ出される。タウンゼントがあんなにインドにかぶれていたという事実も初めて知ったな。いろんな「マイ・ジェネレーション」のライヴ・シーンをつなげたエンディングもいい感じ。やっぱし、いろんな面ですごく、そして音楽的に優れていたバンドであったと痛感。ロックの清濁併せ持つ襞も存分に描かれている。11月22日から、シアターN渋谷で公開。

 蛇足だが、近く出る「レディ・マーマレード」で知られる米国黒人女性3人組ラベルの再結成作はレニー・クラヴィッツやケニー・ギャンブルやワイクリフ・ジョンらが関与しているが、一曲だけザ・フーのレコード会社であるトラック・レコードの70年登録トラックが持ち出されている。そこで伴奏しているのはキース・ムーンやストーンズ付きピアニストとして知られたニッキー・ホプキンスで、その曲のプロデューサー・クレジットは当時のザ・フーのマネージャーだったキット・ランバート。あー、ホプキンスもランバートもすでに亡くなっている。演奏されるのは、コール・ポーターの「ミス・オーティス・リグレッツ」。調べたら、69年にラベルは新展開を求めて、英国に渡っているのだな。で、71年にワーナー・ブラザーズから出された、そのファースト作はランバートがプロデュースしているのだった。

 続いて、丸の内・コットンクラブでS,O,S,バンドを見る。セカンド・ショウ。基本は同様だが、ドラマーはまだ20代前半だろう女性に変わっている。おお、叩き音がデカい。バンド音も大きい。前回のパフォーマンス(2006年11月24日)時よりも格好などは田舎臭いと思わせられたかも。が、80年代的ヴァイヴをがちんこな感覚と真心で送り出す様にはやはり高揚。前回の項を見るとプリセット音併用と書いているが、今回はナシだったんじゃないかな。ギタリストと鍵盤ベース奏者の演奏、いい感じでした。

 アンコールに入りバンドがでてきて演奏していると、背後からぼくの腕を取る人がいる。あれっと思って振り返ると、それはなんとリード・シンガーのメリー・デイヴィス嬢。手の甲にキスをしてくれました。で、アンコール曲は彼女たち最大のヒット曲、「テイク・ユア・タイム」。途中で、ファンカデリックの「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」を歌い込む。うきっ。それから、会場にジャム&ルイスみたいな決めた格好している黒人がいるなと思ったら、オリジナル・メンバーだとメンバーからMCで紹介される。名前は聞き取れなかった(演奏に加わることもなかった)が、彼はどういう人なのだろう。