ザ・バーケイズ

2008年7月29日
 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。入店前に同じビルの地下で飲んでいたら(このとき、すごい雷雨だったよう。国立競技場でのサッカーの五輪チームの対アルゼンチンの試合が途中で中止になった)、入り口横にbsr誌/P-ヴァインの人たちがいる。ファーストを見たそうで、嬉しそうに「もー真っ黒ですよ」。そうだろそーだろと胸を弾ませて会場入りしたのだが、すこし前回(2006年10月18日)のときと異なる感触を得たりも。一言でいえば、もっと線が太く、ファンク。いや、それは前回もそうだったけど、もっと熱や太さが増大してると思わずにはいられなかった。……コットンクラブのブラック・バンドのパフォーマンスの質は来日を重ねたほうが良くなるという法則は間違いなくあるような気がするが。それは、受けに受け、ちゃんと愛ある対応を受け、彼らが日本の事を気に入り、日本でショウをやることを心待ちにするからなんじゃないか。主任シンガーのラリー・ドトソンの声は少し枯れ気味と感じたが、それもショウごとに全力投球しているためだと思わせ、全然悪い気はしなかった。皆メンバーは夏っぽい白色基調の格好で統一、ヴォーカル3人+ベース+鍵盤2+ギター+ドラムという全8人の編成は前回と同様(少し、顔ぶれは違っていたのかな)。きっちり場を仕切るスキンヘッドの眼光鋭いマネージャー氏も前回と同じだった。

 途中、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのメドレーをやったりも。それ、前回もやったはずだが、もうすぐスライ本人がやってくるかと思うと、聞こえ方がまるで違う。それを聞きながら、本元の来日公演を目にしたら、しょぼい実演であってももう涙腺ゆるんじゃうんじゃないかと思ってしまった。あー、あと1ヶ月と少し。いろいろある自分たちの楽曲を披露するなか、彼らは他者の曲カヴァーも同じ“ブラック・アーク”にある表現なんですよと言わんとするようにやるのだが、この晩はギタリストを前に出してプリンスの「パープル・レイン」をやったりも。で、このときドラマーが別な人に変わったのだ(アンコール曲でも叩く)が、なんと彼は00年から数年の間プリンス・バンドを支えたジョン・ブラックウェルだったよう。うわー。

 さらに後半は、かつてのバンマスである怒濤のオーティス・レディング関連曲メドレーも。それ、前回はやっていない。うーん、グっと来る。オリジナル・メンバーのジェイムズ・アレキサンダー(ベース、歌)がレディングや他のザ・バーケイズのメンバーと一緒に飛行機事故で亡くならなかったのは自家用飛行機の定員からあぶれて、若輩の彼は飛行機を追いかける車での移動をしいられたためだった。飛行機が墜落したのは極寒の、マディソン空港横の湖。そのウィスコンシン州マディソンに住んでいるのはベン・シドラン(2006年4月9日、2007年1月15日)と元JBズのクライド・スタブルフィールド(2007年4月18日)。で、マディソンから一番近い音楽都市はミネソタ州ミネアポリスで、リッキー・ピーターソンやセイント・ポール・ピーターソンらプリンスとシドラン表現の両方に関与するミュージシャンもいるわけだ。と、書きようによっては、どんどん話を連鎖させることができるな。先のブラックウェルも当初はシドラン関連で叩いていた、という話もあるが。

 彼ら、大体はメドレー調で切れ目なく楽曲を聞き手に届ける。この晩は最終日の最終セットで1時間45分もの熱演。臨機応変に楽曲を入れ替えるところもありそうだが、曲のつなぎはいたって自然で、その事実は彼らの熟練具合を知らしめるものでもあったな。とにもかくにも、こういう実演に触れられるのは嬉しすぎ。うひー。

●以下、ちょっとした連絡。

その1)
日本一のラッパーである、
下町兄弟(2005年12月8日、2006年12月21日)の
新作『OL’SKOOL JAM』(SHIBAURA RECORDS、TSR-111)が、
8月8日発売。旧曲の大胆リメイクを含む全録りおろし作品。
14曲入り、60分越え作品。
www.bananaice.net
ヘ急げ!

その2)
イタリアのロッキッシュなフリー・ジャズ・バンド、
ズー(2004年6月2日、2005年9月5日、同9月6日)が、
この10月初旬の10日間、
日本の対バン込みで演奏できる場を求めています。