ザ・ラムゼイ・ルイス・トリオ
2008年7月2日 サッカーのユーロ開催期間の途中ぐらいから、TV放映の時間に合わせて(?、単に体内時計がズレただけだなー)、めちゃ早起きに。夕方にはとろーんとしちゃっているワタシ。ふはは。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。大雑把に言ってしまえば、シカゴという土壌の興味深さを伝えもする黒人大衆ジャズの大名人だ。65年に全米総合シングル・チャート5位になった「ジ・イン・クラウド」(同名ライヴ・アルバムは総合2位! そのころ在籍していたのはチェス・レコード傘下のアーゴ/キャデット)は彼の十八番曲だが、そうしたゴスペル/ファンキー路線のほかにももっと端正なジャズ、軟派なフュージョン、はてはオーケストラを用いたクラシック的路線まで、いろんなことをやっているピアニストでもある。で、アコースティックなピアノ・トリオ編成であたった久しぶりの来日公演はそれを示唆するようにいろんな事をやったな。黒っぽい快楽的な曲から、クラシックっぽい含みを持つ曲や仕掛けを施したザ・ビートルズの「イン・マイ・ライフ」まで演奏。彼の66年ごろのトリオにはEW&F結成前のモーリス・ホワイトがドラマーとして在籍していた話は有名だ(唐突にホワイトがカリンバを入れる、ルイス作もあったな)が、EW&Fの「サン・ゴッデス」もやった。ルイスの74年作『サン・ゴッデス』(コロムビア)はホワイトが制作した(チャールズ・ステップニーもギターなどで参加)ブラック・ファンク盤だ。そうしたいろんな行き方に対応するかのように、リズム隊もオーソドックスな演奏からけっこうやんちゃな弾き方までいろいろ見せる。
そして、アンコールには「ジ・イン・クラウド」。やっぱり、とってもグルーヴィなあげあげ曲。手拍子(バック・ビートに合わせてそれをするように、ルズム隊がお客さんうながした)がもっとも似合うジャズ曲かもしれないナ。とてもスーツが似合うスマートなルイスは実年齢(1935年生まれ)より、若く見えた。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。大雑把に言ってしまえば、シカゴという土壌の興味深さを伝えもする黒人大衆ジャズの大名人だ。65年に全米総合シングル・チャート5位になった「ジ・イン・クラウド」(同名ライヴ・アルバムは総合2位! そのころ在籍していたのはチェス・レコード傘下のアーゴ/キャデット)は彼の十八番曲だが、そうしたゴスペル/ファンキー路線のほかにももっと端正なジャズ、軟派なフュージョン、はてはオーケストラを用いたクラシック的路線まで、いろんなことをやっているピアニストでもある。で、アコースティックなピアノ・トリオ編成であたった久しぶりの来日公演はそれを示唆するようにいろんな事をやったな。黒っぽい快楽的な曲から、クラシックっぽい含みを持つ曲や仕掛けを施したザ・ビートルズの「イン・マイ・ライフ」まで演奏。彼の66年ごろのトリオにはEW&F結成前のモーリス・ホワイトがドラマーとして在籍していた話は有名だ(唐突にホワイトがカリンバを入れる、ルイス作もあったな)が、EW&Fの「サン・ゴッデス」もやった。ルイスの74年作『サン・ゴッデス』(コロムビア)はホワイトが制作した(チャールズ・ステップニーもギターなどで参加)ブラック・ファンク盤だ。そうしたいろんな行き方に対応するかのように、リズム隊もオーソドックスな演奏からけっこうやんちゃな弾き方までいろいろ見せる。
そして、アンコールには「ジ・イン・クラウド」。やっぱり、とってもグルーヴィなあげあげ曲。手拍子(バック・ビートに合わせてそれをするように、ルズム隊がお客さんうながした)がもっとも似合うジャズ曲かもしれないナ。とてもスーツが似合うスマートなルイスは実年齢(1935年生まれ)より、若く見えた。
エグベルト・ジスモンチ
2008年7月3日 クラシック〜民俗音楽〜ジャズという枠を自在にかっとぶブラジルのまさしく鬼才(1947年生まれ)の、オーケストラを伴う公演。紀尾井町・紀尾井ホール。洞爺湖でのサミット絡みで駅とかにはパトロールの警察官が目につく。
共演は東京フィルハーモーニー交響楽団。その抜粋なのだろうか、ステージ上には40人ほどがいる(女性奏者の服装のバラバラな色使いは、総体の見え方がお洒落でなく興を削ぐ)。ジスモンチのスコアはそのぐらいの大きさ用に書かれているのだろうか。実はぼくはジスモンチのオーケストラ表現を愛でるようになったのはそんなに昔のことではない。5年前ぐらいに出た、彼のオーケストラ表現が入った2枚組EMI盤『Antologia』を聞き、ジスモンチという人の不思議な才のありかた、一筋縄ではいかない大人数表現の面白さを認識したのだ。指揮者は沼尻竜典、それぞれの足を前後に置いて斜め気味な姿勢で張り切って指揮する人なんだな。
公演は2部制にて、演目はECM盤に入っていた曲が多かったようだ。ジスモンチは一部ではピアノ、2部では10弦ギターを手にして、オーケストラと絡む(オーケストラだけの演奏も、それぞれ1曲づつ)。ピアノの演奏自体はニュー・エイジ・ミュージック的だし、ハーモニックス音を用いたりボディをたたいたりもするギター演奏(こちらは、ソロでも2曲やる)はまさに無勝手流で、クラシック的とは毛頭言いがたい。が、彼の世界観を投影させた独特のスリルや含みやもう一つの美をたたえたオーケストラ表現はまさしく何かを聞き手に感じさせる魅力的なもの(うわー、曖昧な説明の仕方。イカンなと思いつつ、ここでの原稿はより一筆書きすることを是とするので流しちゃう)。で、結果、ここに度を超した物差しを持つ破格の音楽家が、ブラジル人がいるぞと思わせられるわけだ。まあ、実のところ、オーケストラ自体の響きとか重なり具合とかいまいちのような気もしたが、ぼくは身を乗り出して見た。
ふーむ、とにもかくにもオーケストラ表現は興味深い。やっぱ、事情が許せばクラシックをそれなりに突き詰めてみたいナと切に思う。が、そんな(さらには、ライヴ好きの)私ではあっても今のところ、そのホール公演には足を運びたいとはあまり思わない。それは、おとなしくかしこまって見るのが超苦手であるとともに、その終演後の“儀式”に触れると嫌な気分になるからだ。拍手に応え、何度も何度もソリストや指揮者が出てきてお行儀良く挨拶する……、そして何度目かでおもむろにアンコールに答える。そして、また指揮者たちは出たり入ったり。あーかったりー、実におマヌケ。一発でスカっとアンコールにいって、スパっと終わらんかい。聞き手が本当にパフォーマンスに感激して頭のなかに感動の嵐が吹き荒れ、我を忘れてしつこく拍手をし出演者を賞賛する、というのなら分かる。だが、ぼくが今まで接した範囲においてそれはルーティンをなぞる感じを持つもので、クラシックのコンサートはこういうものなのだという共通認識をみんなで共有しあっているように思えてしまう。実に不毛、批評性ゼロにして気色悪い。その様に触れながらクラシック系の聴衆はなんて俗物なんだろうとぼくは思わずにはいられない。まあ、相撲の仕切りみたいに捉えるべきなのかもしれないが、あいにく太っちょ裸男の身体のぶつけ合いもぼくは苦手なんだよな。あーなんてぼくは風情に欠ける、即物的な人間なんだろう。それに、ぼくが感じるような疑問を、ロック公演のアンコールのあり方やジャズの演奏中でのソロをした人への拍手の仕方に覚える人がいても不思議はない。もしかして、クラシックをちゃんと愛好するようになると、講演終了後のそれをアリだと思うようになっちゃうのだろうか。
一応黒色のシャツとパンツは身につけていたものの、赤い布をバンダナのように頭にまいていた(そして、後ろから狸の尻尾のように長髪が出ている)その外見にも現れているように、ジスモンチはせこい決まり事を排し自分の流儀のもと不可解でスピリチュアルな森羅万象表現を世に問うてきた、ある意味パンクな音楽家であるのは間違いない。が、そんな彼もまたクラシック公演のクロージング儀式にはつきあう。なんだかなー。
共演は東京フィルハーモーニー交響楽団。その抜粋なのだろうか、ステージ上には40人ほどがいる(女性奏者の服装のバラバラな色使いは、総体の見え方がお洒落でなく興を削ぐ)。ジスモンチのスコアはそのぐらいの大きさ用に書かれているのだろうか。実はぼくはジスモンチのオーケストラ表現を愛でるようになったのはそんなに昔のことではない。5年前ぐらいに出た、彼のオーケストラ表現が入った2枚組EMI盤『Antologia』を聞き、ジスモンチという人の不思議な才のありかた、一筋縄ではいかない大人数表現の面白さを認識したのだ。指揮者は沼尻竜典、それぞれの足を前後に置いて斜め気味な姿勢で張り切って指揮する人なんだな。
公演は2部制にて、演目はECM盤に入っていた曲が多かったようだ。ジスモンチは一部ではピアノ、2部では10弦ギターを手にして、オーケストラと絡む(オーケストラだけの演奏も、それぞれ1曲づつ)。ピアノの演奏自体はニュー・エイジ・ミュージック的だし、ハーモニックス音を用いたりボディをたたいたりもするギター演奏(こちらは、ソロでも2曲やる)はまさに無勝手流で、クラシック的とは毛頭言いがたい。が、彼の世界観を投影させた独特のスリルや含みやもう一つの美をたたえたオーケストラ表現はまさしく何かを聞き手に感じさせる魅力的なもの(うわー、曖昧な説明の仕方。イカンなと思いつつ、ここでの原稿はより一筆書きすることを是とするので流しちゃう)。で、結果、ここに度を超した物差しを持つ破格の音楽家が、ブラジル人がいるぞと思わせられるわけだ。まあ、実のところ、オーケストラ自体の響きとか重なり具合とかいまいちのような気もしたが、ぼくは身を乗り出して見た。
ふーむ、とにもかくにもオーケストラ表現は興味深い。やっぱ、事情が許せばクラシックをそれなりに突き詰めてみたいナと切に思う。が、そんな(さらには、ライヴ好きの)私ではあっても今のところ、そのホール公演には足を運びたいとはあまり思わない。それは、おとなしくかしこまって見るのが超苦手であるとともに、その終演後の“儀式”に触れると嫌な気分になるからだ。拍手に応え、何度も何度もソリストや指揮者が出てきてお行儀良く挨拶する……、そして何度目かでおもむろにアンコールに答える。そして、また指揮者たちは出たり入ったり。あーかったりー、実におマヌケ。一発でスカっとアンコールにいって、スパっと終わらんかい。聞き手が本当にパフォーマンスに感激して頭のなかに感動の嵐が吹き荒れ、我を忘れてしつこく拍手をし出演者を賞賛する、というのなら分かる。だが、ぼくが今まで接した範囲においてそれはルーティンをなぞる感じを持つもので、クラシックのコンサートはこういうものなのだという共通認識をみんなで共有しあっているように思えてしまう。実に不毛、批評性ゼロにして気色悪い。その様に触れながらクラシック系の聴衆はなんて俗物なんだろうとぼくは思わずにはいられない。まあ、相撲の仕切りみたいに捉えるべきなのかもしれないが、あいにく太っちょ裸男の身体のぶつけ合いもぼくは苦手なんだよな。あーなんてぼくは風情に欠ける、即物的な人間なんだろう。それに、ぼくが感じるような疑問を、ロック公演のアンコールのあり方やジャズの演奏中でのソロをした人への拍手の仕方に覚える人がいても不思議はない。もしかして、クラシックをちゃんと愛好するようになると、講演終了後のそれをアリだと思うようになっちゃうのだろうか。
一応黒色のシャツとパンツは身につけていたものの、赤い布をバンダナのように頭にまいていた(そして、後ろから狸の尻尾のように長髪が出ている)その外見にも現れているように、ジスモンチはせこい決まり事を排し自分の流儀のもと不可解でスピリチュアルな森羅万象表現を世に問うてきた、ある意味パンクな音楽家であるのは間違いない。が、そんな彼もまたクラシック公演のクロージング儀式にはつきあう。なんだかなー。
ワールド・ビート2008
2008年7月6日 近年、ぼくが高揚して一番弾けちゃった野外イヴェント(2006年8月27日)の08年版。日比谷野外大音楽堂。
最初の登場バンドは、前回と同様に渋さ知らズオーケストラ(2006年12月1日、2007年1月13日、2007年6月13日、他)。イケイケ。この後、すぐにカナダに行くとかで、自然発生的な意欲や高揚があったんじゃないかな。つづいて、欧州的自由の発露を持つと書けるだろうベルギーのアヴァン・ポップ系担い手のシンク・オブ・ワン(2004年9月1日。触れていないが同年のフジ・ロックのオレンジ・コートにも出ている)。前2回はブラジル北東部のミュージシャンをともなった編成=ジュヴァ・エン・ポーだったが、今回は彼らが2000年前後に試みていたモロッコ音楽との綱引きを求めるもので、シンク・オブ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビと名乗ってのもの。で、これが同名義の新作よりはるかに肉体的な混合ビート表現になっていて、ニコニコっ。けっこう、グルーヴあったしな。男女二人ずつのモロッコ勢はさすがに強力、だがそれを受け止めもう一つ別のところに持って行こうとするベルギー勢の振る舞いもイカしててご機嫌な気持ちになる。そして、3番目に登場したの初来日となる、イスラエルのでこぼこ他を今様サンプリング流儀の中に解き放つバルカン・ビート・ボックス。昨年(2007年10月25日)見てブっとんで来日応援団みたいなこともした私であるが、やっぱ興味深い癖を持ちつつ無理なく今様の狼藉デジ・ロック回路にある表現をアゲアゲで提示。フジ・ロックなんかにも出てブチかましてほしいと切に思う。
最後は、出演者が皆出て(ステージ上には50人強)、ほどほどに二曲。ビートや心意気を媒介に属性違いの人たちが音を重ねあう。生理的に美しくも、怒濤な風景……。なんか、とっても貴重な光景を見たという気にもなりました。ワールド・ビートというイヴェント、また来年もやってほしいが、これを提供するプランクトンが来年の野音はおさえられてないようで(すごい、抽選倍率たかいみたい)、どーなるか。
最初の登場バンドは、前回と同様に渋さ知らズオーケストラ(2006年12月1日、2007年1月13日、2007年6月13日、他)。イケイケ。この後、すぐにカナダに行くとかで、自然発生的な意欲や高揚があったんじゃないかな。つづいて、欧州的自由の発露を持つと書けるだろうベルギーのアヴァン・ポップ系担い手のシンク・オブ・ワン(2004年9月1日。触れていないが同年のフジ・ロックのオレンジ・コートにも出ている)。前2回はブラジル北東部のミュージシャンをともなった編成=ジュヴァ・エン・ポーだったが、今回は彼らが2000年前後に試みていたモロッコ音楽との綱引きを求めるもので、シンク・オブ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビと名乗ってのもの。で、これが同名義の新作よりはるかに肉体的な混合ビート表現になっていて、ニコニコっ。けっこう、グルーヴあったしな。男女二人ずつのモロッコ勢はさすがに強力、だがそれを受け止めもう一つ別のところに持って行こうとするベルギー勢の振る舞いもイカしててご機嫌な気持ちになる。そして、3番目に登場したの初来日となる、イスラエルのでこぼこ他を今様サンプリング流儀の中に解き放つバルカン・ビート・ボックス。昨年(2007年10月25日)見てブっとんで来日応援団みたいなこともした私であるが、やっぱ興味深い癖を持ちつつ無理なく今様の狼藉デジ・ロック回路にある表現をアゲアゲで提示。フジ・ロックなんかにも出てブチかましてほしいと切に思う。
最後は、出演者が皆出て(ステージ上には50人強)、ほどほどに二曲。ビートや心意気を媒介に属性違いの人たちが音を重ねあう。生理的に美しくも、怒濤な風景……。なんか、とっても貴重な光景を見たという気にもなりました。ワールド・ビートというイヴェント、また来年もやってほしいが、これを提供するプランクトンが来年の野音はおさえられてないようで(すごい、抽選倍率たかいみたい)、どーなるか。
モロッコ・ナイト
2008年7月7日 ようは、昨日のシンク・オブ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビのモロッコ人3人(全4人のうち、ヴァイオリン奏者が欠ける)が中心となる、普段着アンプラグド・ライヴ。神宮前・マド。シンク・オブ・ワンの面々も来ていて、うち二人は打楽器役で加わっていた。グナワを濃い感じでざっくりパフォーマンス。シャアビも少しはやったのかな? その区別もよく知らぬ私ではあるが、前者のほうが宗教と結びつく神聖なものらしい。なんにせよ、ポリリズムと抑揚が相乗してトランシーに流れていく様は強烈。歌声にせよ鳴りモノ音にせよ凛としててデカくて、ぐいぐいと聞く者の何かを揺らす。そして、別の流儀や文化があることを口惜しいほど感じさせるわけで。いやー、いい意味で異様なヴァイヴが渦巻いていたナ。とにもかくにも、いいもの聞かせてもらいましたという気におおいになった。そんな特殊な表現を別のところに涼しい顔して持って行くベルギー人(シンク・オブ・ワン)も技あるんだろうなと改めて思えたし、彼らとステージをシェアしちゃうモロッコの方々もすごいというか、少し不可解な実力者たちだな。感嘆とともに、酔った頭でいろんな事を考えた私でした。
バルカン・ビート・ボックス
2008年7月8日 単独公演の日で、渋谷・デュオ。ほぼ、2時間のフルの長さのパフォーマンス。野音のときも思ったが、昨年見たときよりプリセット音の占める比重が増えている。というか、サウンド作りの要であるタミールはラップトップを扱いつつドラムを叩くわけだが、ドラムを叩かないときが増大している。6日の野音のときの文章でデジ・ロックという言葉もぼくは用いているが、それはそうしたところから得た所感が反映されていると思う。オトコの純情/心意気が迸っていることでぼくはフィッシュボーン(2000年7月28日、2000年10月30日、2007年4月6日)やオゾマトリ(2001年10月13日、2002年3月14日、2005年3月17日、2007年4月6日、2007年10月8日)をかつて近い例に挙げていたが、今ならエイジアン・ダブ・ファウンデイション(2000年10月6日)のほうが適切かもなとも思う。なんにせよ、彼らのライヴのように、客は大盛り上がり。ところで、彼らはNY居住組3人とイスラエル居住組3人で成り立つバンドだったが、今はNY組の二人もテル・アヴィブに戻ったとのこと。それは、バンドが軌道に乗り、必ずしも音楽産業の中心地にいる必要がなくなったことも示すものか。まあ、彼らが契約するレコード会社のクラムド・ディスクは在ベルギーだが。唯一NYに居住するオリ(2000年8月15日)も今の彼女がウィーンに住んでいて、NYと行き来する生活になっているそう。……あ、そういえば、ショウの始まりはステージ後方から打楽器と管楽器を手にしたメンバーが出てきて、フロアで車座になって演奏してから、ステージに上がるというもの。それ、オゾマトリの終わり方のちょうど逆じゃないか!
シンク・オブ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビ
2008年7月9日 渋谷・デュオ。2008年7月6日、7日に続く、関連公演。昨日のバルカン・ビート・ボックス(BBB)と異なり、完全人力によるパフォーマンスを彼らは標榜する。オーディエンスの反応は機会音を下敷きとする扇情的なBBBのほうが熱烈だが、彼らの欧州人らしいアート/ひねくれ感覚と主にモロッコ勢からもたらされる土着的臭みや強さが溶け合った末の、繊細にして大胆なうねりや剛性感がとてもうれしいとぼくは感じた。違う属性を持つ同士が歩み寄って場を作り上げたいという、そんな佇まいも良いよなあ。モロッコ勢の一人、ヴァイオリンのハッサンはまだ20代のような若い顔つきをしているが、他の3人が引っ込んでいるときも彼はステージに残って、無理なく表現に貢献していたりも。今回、BBBとシンク・オブ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビは移動や宿泊から打ち上げまで全面的に行動をともにしているが、そのことを当初シンク・オブ・ワン側は危惧するところがあったという。だって、イスラエルはアラブの国々から嫌われているから。でも、モロッコ勢は昨日のBBB単独のライヴにも顔を出していたし、とてもデリケートな問題を超え、いい奴なのをお互いに認め合って仲良くなっていたのは間違いない。その普通ならありえない様に触れて、音楽の力を少し感じた、かな? なんにせよ、今回いろいろな意味で、ぼくのシンク・オブ・ワン株はとっても上がりました。
が、彼らはこのサマー・ライヴのシーズンを終えたあと、2年間の活動休止に入る。メンバーそれぞれ、好きな事をやるためとか。リーダーのダヴィッド・ボヴェー(ギター、肉声)はすでにリンガラの王者バンドのザイコ・ランガ・ランガのドラマーらと新バンドのS.W.A.N.(リンガラ・ミーツ・ジョイ・ディヴィジョン、なんて内容説明をしていたか)を結成。なんと、ボヴェーはコンゴのルーツを持つ人で、その関係で何度もコンゴを訪れているし、同国はやはりホームの感覚を得るという。また、さらにはリオでも新プロジェクトを立ち上げていて、今すぐにでもブラジルに行きたいなんて事も彼は言っていた。実は彼の新しい奥さんはブラジル人、ノルデスチ・プロジェクトの“シュヴァ・エン・ポー”を同国で推進していたときに出会ったという。彼女の弟はブラジルの有名バンド(名前、失念)のメンバーだそうだ。かつては、ちゃんとジャズ学校にも通った彼、一番好きなギタリストはマーク・リーボウ(2001年1月19日)だそう。とかなんとか、いろいろ、目が離せないナ。とともに、なんか綺麗ごとな書き方になるが、再集結したときのシンク・オブ・ワンも楽しみだ。
が、彼らはこのサマー・ライヴのシーズンを終えたあと、2年間の活動休止に入る。メンバーそれぞれ、好きな事をやるためとか。リーダーのダヴィッド・ボヴェー(ギター、肉声)はすでにリンガラの王者バンドのザイコ・ランガ・ランガのドラマーらと新バンドのS.W.A.N.(リンガラ・ミーツ・ジョイ・ディヴィジョン、なんて内容説明をしていたか)を結成。なんと、ボヴェーはコンゴのルーツを持つ人で、その関係で何度もコンゴを訪れているし、同国はやはりホームの感覚を得るという。また、さらにはリオでも新プロジェクトを立ち上げていて、今すぐにでもブラジルに行きたいなんて事も彼は言っていた。実は彼の新しい奥さんはブラジル人、ノルデスチ・プロジェクトの“シュヴァ・エン・ポー”を同国で推進していたときに出会ったという。彼女の弟はブラジルの有名バンド(名前、失念)のメンバーだそうだ。かつては、ちゃんとジャズ学校にも通った彼、一番好きなギタリストはマーク・リーボウ(2001年1月19日)だそう。とかなんとか、いろいろ、目が離せないナ。とともに、なんか綺麗ごとな書き方になるが、再集結したときのシンク・オブ・ワンも楽しみだ。
スーパースターズ・オブ・ジャズ・フュージョン
2008年7月10日 キーボード奏者のロニー・リストン・スミス(2003年10月16日)、電気ヴァイブラフォン奏者/シンガーのロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日、2004年3月10日)、トランぺッターのトム・ブラウン、ザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)のオリジナルのトロンボーン奏者だったウェイン・ヘンダーソンという、単にフュージョンというにははばかられる米国黒人としての得難い機微を抱えた表現を送り出していた男性器楽奏者4人。そして、87年にアトランティックからデビューした、ジャジーな歌い方も出来る女性R&B歌手のミキ・ハワードが一緒になった公演。それぞれ、ちゃんと単独でもショウが出来る人たちとも言えるかな。なんか、出し物名を書いてちょい恥ずかしい気分になるが、あちらでもその名のもとツアーをしているらしい。南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。
ロイ・エアーズのバンドが基本となるらしく、エアーズは出番でないときもMCをしたり、ステージ横にいたりしたのかな。最初に演奏したのはスミス。ベースとドラムを従えたトリオ編成によるもので、キーボードの音色ともども少ししょぼい感じはあったか。自分のバンドでこそ、独自の磁力やメロウネスを出せるというところが彼にはあるのかも。そして、入れ替わって次はミキ・ハワード。おお、なんか貫禄あるな。大昔に取材したことあるはずだが、けっこうイメージが変わっている。で、豪快というかけっこう荒い、声を張り上げた部分で完全にキーを外したりもしててありゃりゃ。でも、そのファンキーな風情とともに歌い倒す様にゃふふふ。マイケル・ジャクソン風の痩身若人がバック・コーラスで付くが、最後の紹介MCによればなんと彼女の息子らしい。
次は、旧GRP育ちのトム・ブラウン。80年のブラック・チャート1位曲「ファンキン・フォー・ジャマイカ(NY)」のとき、彼は嬉しそうにハワードとともに歌う。曲名のジャマイカはカリブの国ではなく、マーカス・ミラーなんかも育ったNYのジャマイカ地区のこと。ミラーは確かこの曲のオリジナル・ヴァージョンを弾いていたんじゃないか。とともに、彼はレニー・ホワイト(ドラム)やチャカ・カーンの弟のマーク・スティーヴンス(歌。それほど上手くない)らとともにジャマイカ・ボーイズというグループを組んだことがありましたね。
ハワードは去り、ブラウンはずっと残り、エアーズ主導で巨人ディジー・ガレスピーの超有名曲「チュニジアの夜」をファンキー気味に演奏。別にどうってことない(ぼくの好みではない)アレンジとソロ回しだが、このとき客は一番沸く。なんでー? サックス奏者はソロのときジャズ有名曲「チェロキー」と「マイ・フェイヴァリット・シングス」のさわりをクォートしたりも。この曲でのエアーズのソロは完全にシンセ音のそれ。この曲だったか、ベースとドラムのソロ・パートはお客を沸かせてナンボの個性が光る娯楽性をきっちり持つもので素直に感心。続いて、エアーズの技ありブラック・メロウ・ポップ曲「サーチン」を彼がかなりヘタに歌い、比較的素直なヴァイブ音でソロを取る。なんか、この際とてもエアーズからは味あるいい人ぶりが望外ににじみ出ていて、とっても良かった。
そこに、杖をついているヘンダーソン(格好は、コスプレと言いたくなる派手なもの。トロンボーンはディジー・ガレスピーのトランペットのように、朝顔が斜め上を向いたものを持つ)が表れ、骨太豪放だったころのザ・クルセイダーズのヴァイタル曲「ストップ・アンド・バック・ダンス」をやる。もちろん、当時の同バンドの主任コンポーザーだったヘンダーソンの曲。ファンクネスとモダニズムを見目麗しく両立させられるゆえにぼくがとても信頼するキーボーディスト/プロデューサーの森俊之(2001年2月18日、2002年11月15日、2004年2月21日、2005年2月15日、2005年9月14日、2006年5月30日、2008年1月30日、2008年1月31日、他)くんのエレピ・ソロにはこの曲におけるジョー・サンプルの手癖が表れるときがある。おそらく、昔好きでコピーしたんだろうな。で、もう1曲ぼくが嫌いになってからのザ・クルセイダーズ曲「キープ・ザット・セイム・オールド・フィーリング」を客とのコール&レスポンスを交えて。ヘンダーソンもとても役者ね。これで、本編はおしまい。そして、アンコールは全員(11人いたか)で、ロニー・リストンの曲をやったんだっけか。盛りだくさん、そこそこ練られていたし、みんな仲良しそうで、只のスター入れ替わり立ち代わり公演の域は超えていたんじゃないか。でも、ハワード、エアーズ、ヘンダーソンの3人でやったもののほうが、ぼくの胸は弾んだに違いない。
この設定のように、米国では黒人アーティストを数名抱き合わせにして、そのパッケージでツアーを行うことがよくある。で、そういうツアーのことを<ジャングル・ツアー>というんだよと、80年代後期に米国の業界人から教えてもらったことがあった。それ、少し蔑称でもあるのかな? 今もそういう呼ばれ方をするのだろうか。
ロイ・エアーズのバンドが基本となるらしく、エアーズは出番でないときもMCをしたり、ステージ横にいたりしたのかな。最初に演奏したのはスミス。ベースとドラムを従えたトリオ編成によるもので、キーボードの音色ともども少ししょぼい感じはあったか。自分のバンドでこそ、独自の磁力やメロウネスを出せるというところが彼にはあるのかも。そして、入れ替わって次はミキ・ハワード。おお、なんか貫禄あるな。大昔に取材したことあるはずだが、けっこうイメージが変わっている。で、豪快というかけっこう荒い、声を張り上げた部分で完全にキーを外したりもしててありゃりゃ。でも、そのファンキーな風情とともに歌い倒す様にゃふふふ。マイケル・ジャクソン風の痩身若人がバック・コーラスで付くが、最後の紹介MCによればなんと彼女の息子らしい。
次は、旧GRP育ちのトム・ブラウン。80年のブラック・チャート1位曲「ファンキン・フォー・ジャマイカ(NY)」のとき、彼は嬉しそうにハワードとともに歌う。曲名のジャマイカはカリブの国ではなく、マーカス・ミラーなんかも育ったNYのジャマイカ地区のこと。ミラーは確かこの曲のオリジナル・ヴァージョンを弾いていたんじゃないか。とともに、彼はレニー・ホワイト(ドラム)やチャカ・カーンの弟のマーク・スティーヴンス(歌。それほど上手くない)らとともにジャマイカ・ボーイズというグループを組んだことがありましたね。
ハワードは去り、ブラウンはずっと残り、エアーズ主導で巨人ディジー・ガレスピーの超有名曲「チュニジアの夜」をファンキー気味に演奏。別にどうってことない(ぼくの好みではない)アレンジとソロ回しだが、このとき客は一番沸く。なんでー? サックス奏者はソロのときジャズ有名曲「チェロキー」と「マイ・フェイヴァリット・シングス」のさわりをクォートしたりも。この曲でのエアーズのソロは完全にシンセ音のそれ。この曲だったか、ベースとドラムのソロ・パートはお客を沸かせてナンボの個性が光る娯楽性をきっちり持つもので素直に感心。続いて、エアーズの技ありブラック・メロウ・ポップ曲「サーチン」を彼がかなりヘタに歌い、比較的素直なヴァイブ音でソロを取る。なんか、この際とてもエアーズからは味あるいい人ぶりが望外ににじみ出ていて、とっても良かった。
そこに、杖をついているヘンダーソン(格好は、コスプレと言いたくなる派手なもの。トロンボーンはディジー・ガレスピーのトランペットのように、朝顔が斜め上を向いたものを持つ)が表れ、骨太豪放だったころのザ・クルセイダーズのヴァイタル曲「ストップ・アンド・バック・ダンス」をやる。もちろん、当時の同バンドの主任コンポーザーだったヘンダーソンの曲。ファンクネスとモダニズムを見目麗しく両立させられるゆえにぼくがとても信頼するキーボーディスト/プロデューサーの森俊之(2001年2月18日、2002年11月15日、2004年2月21日、2005年2月15日、2005年9月14日、2006年5月30日、2008年1月30日、2008年1月31日、他)くんのエレピ・ソロにはこの曲におけるジョー・サンプルの手癖が表れるときがある。おそらく、昔好きでコピーしたんだろうな。で、もう1曲ぼくが嫌いになってからのザ・クルセイダーズ曲「キープ・ザット・セイム・オールド・フィーリング」を客とのコール&レスポンスを交えて。ヘンダーソンもとても役者ね。これで、本編はおしまい。そして、アンコールは全員(11人いたか)で、ロニー・リストンの曲をやったんだっけか。盛りだくさん、そこそこ練られていたし、みんな仲良しそうで、只のスター入れ替わり立ち代わり公演の域は超えていたんじゃないか。でも、ハワード、エアーズ、ヘンダーソンの3人でやったもののほうが、ぼくの胸は弾んだに違いない。
この設定のように、米国では黒人アーティストを数名抱き合わせにして、そのパッケージでツアーを行うことがよくある。で、そういうツアーのことを<ジャングル・ツアー>というんだよと、80年代後期に米国の業界人から教えてもらったことがあった。それ、少し蔑称でもあるのかな? 今もそういう呼ばれ方をするのだろうか。
松本茜
2008年7月17日 赤坂・Bフラット。ハタチの大学生ジャズ・ピアニストのデビュー作発売を追うもので、そのアルバム『フィニアスに恋して』(コロムビア)と同じ顔ぶれのトリオにてのパフォーマンス。ただし、大学は非音楽系学部に通っていて、そのココロはジャズは学校で習わなくてもできると思ったから、とか。小学2年生のときジャズの存在を知り、クラシック・ピアノからジャズ・ピアノにシフト。以後、ジャズ一直線の娘さん。で、好きな人が、(今の多くの担い手が挙げるだろう)ビル・エヴァンスやハービー・ハンコックやブラッド・メルドーではなく、(もっと前のジャズ流儀を持つ)フィニアス・ニューボーンJr.、エロール・ガーナー、トミー・フラナガンというのがポイント。そりゃ、おのずとそれは差別化できるポイントになりますよね。足を打撲して(理由はきかないで〜)歩行が少し困難なため車で行きセカンド・セットだけをさくっと見たのだが、セカンドはオリジナル比率が高めだったようで、その場合は少し今っぽくなる感じはあるナ。基本、今のピアニストならスタンダードなんかやらずに己の創造性を出したオリジナルをやらんかいと思うぼくだが、“いい基本”を知る彼女はそれに当てはまらないかも……。若い娘が旧世代の流儀を健気に瑞々しく開く、というのはアリ。ニューボーンJr.好きということで、実演ではコロコロと珠を転がすように弾き倒すのを期待したら、それに適した弾んだ曲をそれほどやらなかったのが残念。オレが考えていたよりも大人だった? 本編最後にやった「スピーク・ロウ」は望んだノリの演奏。そして、それを聞きながら、彼女はこれまでの人生の何%を鍵盤の前で過ごしてきているかなと、ふと考えたりもした。坊主頭のベーシストがソロになるとものすごいうなり声を出しながら弾き、それがかなり気持ち悪かった。
ところで、近年はまったく駄目だった野茂英雄が引退した。成人になってから野球にぜんぜん興味が持てなくなったワタシではあるが、どこか残念と思うとともにあんた素晴らしかったっスと思える。努力とか我慢とかはぼくの嫌いな言葉ではあるけど、へんなプライドとかなしに自分の大好きな事に体当たりし続けられるのって、本当に素晴らしい。野球をすることが、ピッチャーとしてボールを投げるのが、ほんとに好きだったのだろうな。彼の「悔いが残る」って、コメントはいいな。だからこその、次がある。彼ならばアマチュアで野球をやり続けるかもしれないし、来年再びプロに挑戦してもおかしくない。90年代中期、彼がアメリカに渡った年かその翌年か、LA滞在時にドジャーズ球場での野茂登板日が重なったことがあって合法のダフ屋にチケット手配して、彼の勇士を見に行ったことがあったっけ。胸が高鳴った。とっても、いい思い出だな。サッカーの三浦和良も昔は嫌いだったけど(ヴェルディ↓↓な事もあって、仏W杯の代表メンバーから直前に外されたとき、ぼくは喝采しました)、J2でやるようになってからはその見え方がだいぶ変わった。キング・カズ、がんばれ! で、話はもどるが、松本茜もずうっとずうっとピアノを弾いていくんだろうな。男で一時引退とか、そういう筋書きも面白いけど……。無責任な書き方だが、これからいろんなことを経験して、魅力的な濁りや翳りも見つけなくてはならないだろうし。思い出したが、ニューボーンJr.はけっこう精神に破綻をきたして娑婆と病院を行き来した人で、そのエピーソードにひかれ、高校生のころからぼくは彼のアルバムを買ったりしていた。あー、思春期……。
ところで、近年はまったく駄目だった野茂英雄が引退した。成人になってから野球にぜんぜん興味が持てなくなったワタシではあるが、どこか残念と思うとともにあんた素晴らしかったっスと思える。努力とか我慢とかはぼくの嫌いな言葉ではあるけど、へんなプライドとかなしに自分の大好きな事に体当たりし続けられるのって、本当に素晴らしい。野球をすることが、ピッチャーとしてボールを投げるのが、ほんとに好きだったのだろうな。彼の「悔いが残る」って、コメントはいいな。だからこその、次がある。彼ならばアマチュアで野球をやり続けるかもしれないし、来年再びプロに挑戦してもおかしくない。90年代中期、彼がアメリカに渡った年かその翌年か、LA滞在時にドジャーズ球場での野茂登板日が重なったことがあって合法のダフ屋にチケット手配して、彼の勇士を見に行ったことがあったっけ。胸が高鳴った。とっても、いい思い出だな。サッカーの三浦和良も昔は嫌いだったけど(ヴェルディ↓↓な事もあって、仏W杯の代表メンバーから直前に外されたとき、ぼくは喝采しました)、J2でやるようになってからはその見え方がだいぶ変わった。キング・カズ、がんばれ! で、話はもどるが、松本茜もずうっとずうっとピアノを弾いていくんだろうな。男で一時引退とか、そういう筋書きも面白いけど……。無責任な書き方だが、これからいろんなことを経験して、魅力的な濁りや翳りも見つけなくてはならないだろうし。思い出したが、ニューボーンJr.はけっこう精神に破綻をきたして娑婆と病院を行き来した人で、そのエピーソードにひかれ、高校生のころからぼくは彼のアルバムを買ったりしていた。あー、思春期……。
レジーナ・カーター
2008年7月19日 南青山・ブルーノート東京。ファースト・ショウ。この日も車で行き来、ブルーノート東京前のコイン・パーキング(イデーがあった所)は3ナンバー対応の広めの枠が取られた仕様で、この日は2時間ぐらい留めて2100円なり。
わーこう来るのか。あんた、すごいよ。やっぱ、ライヴは見なきゃ分からない。そんな気持ちが見ててすぐに頭ののなかに渦巻くパフォーマンス。今のジャズ・ヴァイオリニストの筆頭にいる人だが、想像できた以上に才ほとばしる実演=“私の考えるもう一つのジャズ表現“を提示していて、うわあ。ところで、彼女は好リード奏者ジェイムズ・カーター(よく、ジョシュア・レッドマンと横並びに置かれたりもするが、ぼくはカーターのほうが才あると思う)の妹という話もあるが……。
アコーディオン、縦ベース、ドラムという布陣によるもの。リズム隊(クリス・ライトキャップとアルヴェスター・ガーネット)は過去のアルバムで雇っている人だが、これまで絡んでいないウィル・ホースハウザーという在NYのアコーディオン奏者はヨーロッパ的とも言いたくなる白人で、いろんな弾き方を暖簾に腕押し的なノリで洒脱に弾く奏者。過去、そういう編成によるアルバムは出していない(なんか、彼女のアルバムって参加者の数が多いものばかり)が、その編成でやる狙いや必然性が鬼のように出たものであったのは間違いない。たとえば、1曲目はアフリカ的情緒とミニマル・ミュージックとアイリッシュ・ミュージック(他の曲にしても、カーターは概してフィドルっぽい弾き方をしていたと思う)が解け合い隙間ある模様を臨機応変に描いていくような曲で、MCではマリのブパカール・トラオレの曲と言っていなかったか。
万事がそんな調子で、タンゴっぽい曲やマヌーシュ・スウィングっぽい断片でもそれ一辺倒にはならず、いろんな材料や余白がするりと差し込まれる。ムーディに流れるものでもドラムはレゲエのアクセントを刻んでいる、なんて曲もあり。とかなんとか、どの曲でもいろんな表現を俯瞰し、その妙味を活かしつつ、もう一つ別の大地にあるアコースティカルな音を紡ぎたいという意思は横溢。そして、それらは奏者が会話し合う感覚もたっぷり持つものであり、延々と取るわけではないがもちろんソロも確かであっわけだ。その様を品がないながら分かりやすい例えをするなら、<ジャズ・ヴァイオリン界のカサンドラ・ウィルソンなる行き方>、なんて言えるものではなかったか。クール! カーターは当分この路線を突き詰めてほしいし、次作はこのフォーマットで録ってほしい。
基本、ずっといい天気が続いていてピンと来ないが、今年は本日梅雨あけが宣言された。
わーこう来るのか。あんた、すごいよ。やっぱ、ライヴは見なきゃ分からない。そんな気持ちが見ててすぐに頭ののなかに渦巻くパフォーマンス。今のジャズ・ヴァイオリニストの筆頭にいる人だが、想像できた以上に才ほとばしる実演=“私の考えるもう一つのジャズ表現“を提示していて、うわあ。ところで、彼女は好リード奏者ジェイムズ・カーター(よく、ジョシュア・レッドマンと横並びに置かれたりもするが、ぼくはカーターのほうが才あると思う)の妹という話もあるが……。
アコーディオン、縦ベース、ドラムという布陣によるもの。リズム隊(クリス・ライトキャップとアルヴェスター・ガーネット)は過去のアルバムで雇っている人だが、これまで絡んでいないウィル・ホースハウザーという在NYのアコーディオン奏者はヨーロッパ的とも言いたくなる白人で、いろんな弾き方を暖簾に腕押し的なノリで洒脱に弾く奏者。過去、そういう編成によるアルバムは出していない(なんか、彼女のアルバムって参加者の数が多いものばかり)が、その編成でやる狙いや必然性が鬼のように出たものであったのは間違いない。たとえば、1曲目はアフリカ的情緒とミニマル・ミュージックとアイリッシュ・ミュージック(他の曲にしても、カーターは概してフィドルっぽい弾き方をしていたと思う)が解け合い隙間ある模様を臨機応変に描いていくような曲で、MCではマリのブパカール・トラオレの曲と言っていなかったか。
万事がそんな調子で、タンゴっぽい曲やマヌーシュ・スウィングっぽい断片でもそれ一辺倒にはならず、いろんな材料や余白がするりと差し込まれる。ムーディに流れるものでもドラムはレゲエのアクセントを刻んでいる、なんて曲もあり。とかなんとか、どの曲でもいろんな表現を俯瞰し、その妙味を活かしつつ、もう一つ別の大地にあるアコースティカルな音を紡ぎたいという意思は横溢。そして、それらは奏者が会話し合う感覚もたっぷり持つものであり、延々と取るわけではないがもちろんソロも確かであっわけだ。その様を品がないながら分かりやすい例えをするなら、<ジャズ・ヴァイオリン界のカサンドラ・ウィルソンなる行き方>、なんて言えるものではなかったか。クール! カーターは当分この路線を突き詰めてほしいし、次作はこのフォーマットで録ってほしい。
基本、ずっといい天気が続いていてピンと来ないが、今年は本日梅雨あけが宣言された。
ジャネット・クライン。ソウライヴ
2008年7月23日 フジ・ロックの週……。同フェスと関連を持つ、外タレ2組のショウを見る。
まず、渋谷・デュオで、米国西海岸の浮き世離れしたレトロ歌手のジャネット・クラインを見る。最初に、大阪拠点のスウィート・ハリワイアンズ(ハリウッドとハワイアンの造語か)という4人組が40分演奏。基本の編成はスティール・ギター、ウクレレ、フルアコの電気ギター、縦ベース、ときにはもるヴォーカル・パートがあったりもする。古いハワイアン(やはり、この季節は気分ですね)を中心とし、そこに広義のアメリカン手作り音楽が溶けたようなことをするグループ。スタンディングで見る物ではないが、フツーに悪くない。全員、白いシャツにオールドなネクタイ、サスペンダーにダーク・スーツのパンツという格好。最後に、クラインのバンドの70歳は超えているだろう、いい味出してる老ギタリストが加わる。
そして、ほんわかしたアメリカの古〜いポップ・ソングを歌う、クラインが登場。格好や髪型などすべてオールド・タイムな感想を引き出すものでかため、ちょい舌ったらずな歌い方はシアトリカルという感想も出てくるか。プロに徹してなりきっているようでもあり、もともと天然であるようでもあり。なんにせよ、この手の表現だと黄昏れた風情が蔓延するものだが、彼女のどこかキャピっとした風情からか、そういうものはそれほど感じられない。いや、そーでもなかったかな? バッキングはギター、ヴァイオリン(朝顔がついてて、そこから音を出すボディレスの珍しいヴァイオリンも弾く)、縦ベース。みんなキャラがたってて、確か。それに触れると、アメリカの豊かさ、嬉しい懐の深さのようなものも無条件で感じ事ができるかも。途中、マンボだかマヌーシュ・スウィングだかのバンドで歌っているという日本人女性シンガーが出てきて2曲デュエット。そこで、会場を退出。クラインたちは、フジ・ロックの複数の場に出るようだ。
そして、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)に移って、ソウライヴ(2000年8月12日、2001年2月1〜2日、2003年3月31日、2004年4月1日、2005年7月30日、他)を見る。前回(2007年10月9日)はヴォーカリスト付きの4人編成によるものだが、そのトゥーサンはアルバム1枚とそのツアーだけでサヨナラになってしまって、再び3人組に戻ってのもの。ただし、今回は3人のホーン・セクション(テナー、アルト、トランペット)を同行させているのがポイント。冒頭の2曲と、アンコールの1曲目を除いて、すべて3人はセクション音をつけ、かわりばんこにソロも取る。そんな難しい曲じゃないせいもあるけど、彼ら譜面なしで演奏していた。
とくに、ぼくが注目していたのは管の一角、トランペット奏者のクリスチャン・スコット。20代半ばの彼はコンコードから2枚のリーダー作を出していて、なぜかあのプリンスも目をつけ彼の07年作『プラネット・アース』のレコーディングに呼ばれていたりもする人物。が、それ以上に目を向けるべきなのは、彼がニューオーリンズのマルディグラ・インディアンのチーフの家系に生まれている事。ドナルド・ハリソンの甥でもある彼は4歳ごろから着飾ってパレードに出たりもしたという。で、彼はソロ演奏のとき、そういうニューオーリンズの血(昨年2月初旬のニューオーリンズ行きの項にも少し触れているように、やはりニューオーリンズは管楽器奏者比率が高くて、そのなかでもトランペットが花形なのダ。でもって、デカい音が出せる奴が偉いという価値観もどこか残っているように思える)を引いているとしか言いようのない、派手で扇情的な吹き音を出すことに終始していて、大笑い。当然、管楽器奏者のソロのなかでは彼が一番受けていましたね。が、そんな彼も自分の表現となると、暗くどんよりしたアブストラクトなサウンドを用意し、もあもあしたトランペットを吹く。そのココロはレディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日)が大好きで、レディオヘッドをジャズ文脈でやりたいから。ケケケ。いやあ、ミュージシャンって、人間の好みっておもしろい。彼はこの9月(8〜11日)にもマッコイ・タイナー・トリオ(2003年7月9日)のブルーノート東京公演のゲストでやってくる。そのとき、彼はどんなトランペット演奏を聞かせるだろうか。けっこう、楽しみ。
アンコール2曲目は、アーチー・ベル&ザ・ドゥレスの68年全米1位曲の「タイトゥン・アップ」のカヴァーで、リーダーのアラン・エヴァンスが歌う。超満員のなか、結局2時間ほどやったんじないか。彼らは週末に顔ぶれを半分変えてレタス(2003年11月18日、同11月22日)の名のもと、苗場スキー場に向かう。その前に、アラン・エヴァンス(ドラム)とサム・キニンジャー(アルト)は彫り士の所に行く予定。
まず、渋谷・デュオで、米国西海岸の浮き世離れしたレトロ歌手のジャネット・クラインを見る。最初に、大阪拠点のスウィート・ハリワイアンズ(ハリウッドとハワイアンの造語か)という4人組が40分演奏。基本の編成はスティール・ギター、ウクレレ、フルアコの電気ギター、縦ベース、ときにはもるヴォーカル・パートがあったりもする。古いハワイアン(やはり、この季節は気分ですね)を中心とし、そこに広義のアメリカン手作り音楽が溶けたようなことをするグループ。スタンディングで見る物ではないが、フツーに悪くない。全員、白いシャツにオールドなネクタイ、サスペンダーにダーク・スーツのパンツという格好。最後に、クラインのバンドの70歳は超えているだろう、いい味出してる老ギタリストが加わる。
そして、ほんわかしたアメリカの古〜いポップ・ソングを歌う、クラインが登場。格好や髪型などすべてオールド・タイムな感想を引き出すものでかため、ちょい舌ったらずな歌い方はシアトリカルという感想も出てくるか。プロに徹してなりきっているようでもあり、もともと天然であるようでもあり。なんにせよ、この手の表現だと黄昏れた風情が蔓延するものだが、彼女のどこかキャピっとした風情からか、そういうものはそれほど感じられない。いや、そーでもなかったかな? バッキングはギター、ヴァイオリン(朝顔がついてて、そこから音を出すボディレスの珍しいヴァイオリンも弾く)、縦ベース。みんなキャラがたってて、確か。それに触れると、アメリカの豊かさ、嬉しい懐の深さのようなものも無条件で感じ事ができるかも。途中、マンボだかマヌーシュ・スウィングだかのバンドで歌っているという日本人女性シンガーが出てきて2曲デュエット。そこで、会場を退出。クラインたちは、フジ・ロックの複数の場に出るようだ。
そして、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)に移って、ソウライヴ(2000年8月12日、2001年2月1〜2日、2003年3月31日、2004年4月1日、2005年7月30日、他)を見る。前回(2007年10月9日)はヴォーカリスト付きの4人編成によるものだが、そのトゥーサンはアルバム1枚とそのツアーだけでサヨナラになってしまって、再び3人組に戻ってのもの。ただし、今回は3人のホーン・セクション(テナー、アルト、トランペット)を同行させているのがポイント。冒頭の2曲と、アンコールの1曲目を除いて、すべて3人はセクション音をつけ、かわりばんこにソロも取る。そんな難しい曲じゃないせいもあるけど、彼ら譜面なしで演奏していた。
とくに、ぼくが注目していたのは管の一角、トランペット奏者のクリスチャン・スコット。20代半ばの彼はコンコードから2枚のリーダー作を出していて、なぜかあのプリンスも目をつけ彼の07年作『プラネット・アース』のレコーディングに呼ばれていたりもする人物。が、それ以上に目を向けるべきなのは、彼がニューオーリンズのマルディグラ・インディアンのチーフの家系に生まれている事。ドナルド・ハリソンの甥でもある彼は4歳ごろから着飾ってパレードに出たりもしたという。で、彼はソロ演奏のとき、そういうニューオーリンズの血(昨年2月初旬のニューオーリンズ行きの項にも少し触れているように、やはりニューオーリンズは管楽器奏者比率が高くて、そのなかでもトランペットが花形なのダ。でもって、デカい音が出せる奴が偉いという価値観もどこか残っているように思える)を引いているとしか言いようのない、派手で扇情的な吹き音を出すことに終始していて、大笑い。当然、管楽器奏者のソロのなかでは彼が一番受けていましたね。が、そんな彼も自分の表現となると、暗くどんよりしたアブストラクトなサウンドを用意し、もあもあしたトランペットを吹く。そのココロはレディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日)が大好きで、レディオヘッドをジャズ文脈でやりたいから。ケケケ。いやあ、ミュージシャンって、人間の好みっておもしろい。彼はこの9月(8〜11日)にもマッコイ・タイナー・トリオ(2003年7月9日)のブルーノート東京公演のゲストでやってくる。そのとき、彼はどんなトランペット演奏を聞かせるだろうか。けっこう、楽しみ。
アンコール2曲目は、アーチー・ベル&ザ・ドゥレスの68年全米1位曲の「タイトゥン・アップ」のカヴァーで、リーダーのアラン・エヴァンスが歌う。超満員のなか、結局2時間ほどやったんじないか。彼らは週末に顔ぶれを半分変えてレタス(2003年11月18日、同11月22日)の名のもと、苗場スキー場に向かう。その前に、アラン・エヴァンス(ドラム)とサム・キニンジャー(アルト)は彫り士の所に行く予定。
アリーチェ・リチャルディ
2008年7月24日 イタリア人の新進ジャズ・シンガー。黒の簡便なドレスを着用、右足内側足首上に小さなタトゥーあり。けっこう、イタリア人ぽい(って、変な形容だが)30歳代だろうピアノ・トリオを従えてのもの。彼ら、「恋人よ我に帰れ」の際に複数のリズム・パターンをいったりきたりという面白いアレンジをとっていたが、普段から一緒にやっている単位なんだろうな。そういえば、リチャルディとピアニストはレパートリーのなかから何を歌うかをその場で相談して決めていた感もあった。この晩、取り上げたのは少し渋めのスタンダードが中心で、彼女は全て英語で歌う。ノリとしてはもろにジャズ一直線という感じだが、真正面からがんがん歌うというタイプではなく、醒めた感じ、ときに突き放した感じを与えつつしっとり歌う人。ゆえに、テンポはゆったり目のものが多く、ボサ調もいくつか。ちょい低音目のひんやりした声質もそうした印象を高めるか。イタリアの醒めたため息、なんちって。アンコール曲ではスキャットもかます。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。今日は土用の丑の日。終演後に誘われて、うなぎ屋に行く。さすがに混んでいる。その当日に鰻を食べるのは初めて。夏の風物詩か……。江戸時代からある風習なはずで、少し、江戸時代に思いはワープ。
ミント・コンディション。ホーカス・ポーカス
2008年7月26日 やっぱ、キミたちは素晴らしい。喝采をあげてしまったな。90年初頭アルバム・デビューの6人組ソウル・バンドの実演は力も気持ちもたっぷり。そんなことは前回の実演(2006年6月25日)に触れて十分に分かっていたはずなのに、感激を新たにさせる醍醐味が山ほど。とともに、ショウの構成が前回とは大きく異なることも、コイツらはいまだ瑞々しく動いていると思わせ、感激を倍加させた。今回、所感を新たにしたのはヴォーカルの質をはじめソウルをソウルたらしめる勘所をちゃんとおさえつつも、彼らはかなりオルタナティヴな指針を取るバンドであるということ。前回以上にロックっぽい所も散りばめ(それ、前回は片肺のギターレス編成であったことも関係しているかもしれないが)たりもしていたが、でもその“瘤”はちゃんと地に足をつけたもの。そこらへん、完全に鬼っ子的な存在になってしまっているザ・ファミリー・スタンド(ぼくは大好き。BMR誌の07年度ベスト10の1位に、ぼくは彼らの新作を挙げた)と異なり、普通のR&Bリスナーを虜にできる部分があるとぼくには思える。が、繰り返すが、途中のシンガーのストークリー・ウィリアムズを打楽器でフィーチャーしたインスト・パートはラテンのクラーヴェを下敷きにするものだったり、格好にしても通常のR&B的なそれとは一線をかくすもので、王道/定番から創造性豊かに離れたいという意思は横溢。やはり、ぼくが感激しちゃう臍はまずそこなんだろうな。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
続いて、飯田橋(神楽坂はにぎやかにお祭りをやっていた)・日仏学院のラ・ブラッセリー。前日にフジ・ロックのオレンジ・コートに登場したという、フランスの生バンド編成でヒップホップを聞かせるホーカス・ポーカスが出演。MC、DJ、ギター、電気ベース、キーボード(この日はピアノのみを弾いたのかな)、ドラムという6人編成。ちょっと鼻にかかったフランス語のラップにせよ、そつのない演奏にせよ、いかにもという感じはあっても一定の枠内に収まるパフォーマンスだなと見ていたのだが……徐々に引き込まれ、けっこう有頂天になって接しちゃたな。途中、「ジャズ、ソウル、ヒップホップ。ピース、ユニティ、ラヴ」なんてリフレインのコール&レスポンスもあったのだが、ぼくも一緒にやっちゃったりして。全然音楽のタイプも違うし、フロント・マンも多大な華があるとは思えないのだが、なんかG・ラヴ&ザ・スペシャル・ソース(2000年1月25日、2004年11月17日、2005年5月25日、6月2日、他)みたいな、聞き手に語りかける人なつこさがしっかりと彼らにはあった。集まったお客さん(オール・スタンディングでけっこうな入り)の反応の良さも好演を引き出していたはずだ。
夜は雨になるとの天気予報を真に受けて、傘を持ち歩く。が、全然降らず。各会場でよく傘を忘れなかったナ。それにしても、傘を持ち歩いている人を他に見かけなかった、何故?
続いて、飯田橋(神楽坂はにぎやかにお祭りをやっていた)・日仏学院のラ・ブラッセリー。前日にフジ・ロックのオレンジ・コートに登場したという、フランスの生バンド編成でヒップホップを聞かせるホーカス・ポーカスが出演。MC、DJ、ギター、電気ベース、キーボード(この日はピアノのみを弾いたのかな)、ドラムという6人編成。ちょっと鼻にかかったフランス語のラップにせよ、そつのない演奏にせよ、いかにもという感じはあっても一定の枠内に収まるパフォーマンスだなと見ていたのだが……徐々に引き込まれ、けっこう有頂天になって接しちゃたな。途中、「ジャズ、ソウル、ヒップホップ。ピース、ユニティ、ラヴ」なんてリフレインのコール&レスポンスもあったのだが、ぼくも一緒にやっちゃったりして。全然音楽のタイプも違うし、フロント・マンも多大な華があるとは思えないのだが、なんかG・ラヴ&ザ・スペシャル・ソース(2000年1月25日、2004年11月17日、2005年5月25日、6月2日、他)みたいな、聞き手に語りかける人なつこさがしっかりと彼らにはあった。集まったお客さん(オール・スタンディングでけっこうな入り)の反応の良さも好演を引き出していたはずだ。
夜は雨になるとの天気予報を真に受けて、傘を持ち歩く。が、全然降らず。各会場でよく傘を忘れなかったナ。それにしても、傘を持ち歩いている人を他に見かけなかった、何故?
フォールズ
2008年7月28日 英国オックスフォードの新進5人組、今年2度目の来日。先の公演を見た信頼できる同業者から、「なんで見なかったの、絶対気に入るバンドだよ」と言われたのだが、なるほどこれは面白いロック・バンドだ。ヴォーカルとギター(ギリシャ出身だそう)、ギター、キーボード、ベース、ドラム(スネアやタムを腱鞘炎になるんじゃないのと思わす勢いで叩く)、という編成。冒頭は延々、楽器音を重ね合うインスト演奏。それらはけっこう仕掛け/構成を感じさせるものだが、プログレッシヴ・ロック的な不毛さは皆無。それらは、決まったことをやるにしても、なんか弾き手の素のエモーションと直結していると思わせるものがあったから。と、ぼくは書きたくなるな。
土着性と浮遊感を併せ持つギターのフレイズをミニマル的に重ね、そこにどすこいな情緒を持つ跳ね気味のドラム音が骨格を強化し、その上に誘いを持つ歌が乗せられる。黒人ミュージシャンをサポートで雇い、一番アフリカっぽい事をしようとしていた時期のトーキング・ヘッズをその根に置いているんじゃないか、なんて思わせるところも。なんにせよ、他の同世代グループとは重ならない創意と心意気ありまくりのバンドで、ぼくはおおいに拍手。恵比寿・リキッドルーム。
土着性と浮遊感を併せ持つギターのフレイズをミニマル的に重ね、そこにどすこいな情緒を持つ跳ね気味のドラム音が骨格を強化し、その上に誘いを持つ歌が乗せられる。黒人ミュージシャンをサポートで雇い、一番アフリカっぽい事をしようとしていた時期のトーキング・ヘッズをその根に置いているんじゃないか、なんて思わせるところも。なんにせよ、他の同世代グループとは重ならない創意と心意気ありまくりのバンドで、ぼくはおおいに拍手。恵比寿・リキッドルーム。
ザ・バーケイズ
2008年7月29日 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。入店前に同じビルの地下で飲んでいたら(このとき、すごい雷雨だったよう。国立競技場でのサッカーの五輪チームの対アルゼンチンの試合が途中で中止になった)、入り口横にbsr誌/P-ヴァインの人たちがいる。ファーストを見たそうで、嬉しそうに「もー真っ黒ですよ」。そうだろそーだろと胸を弾ませて会場入りしたのだが、すこし前回(2006年10月18日)のときと異なる感触を得たりも。一言でいえば、もっと線が太く、ファンク。いや、それは前回もそうだったけど、もっと熱や太さが増大してると思わずにはいられなかった。……コットンクラブのブラック・バンドのパフォーマンスの質は来日を重ねたほうが良くなるという法則は間違いなくあるような気がするが。それは、受けに受け、ちゃんと愛ある対応を受け、彼らが日本の事を気に入り、日本でショウをやることを心待ちにするからなんじゃないか。主任シンガーのラリー・ドトソンの声は少し枯れ気味と感じたが、それもショウごとに全力投球しているためだと思わせ、全然悪い気はしなかった。皆メンバーは夏っぽい白色基調の格好で統一、ヴォーカル3人+ベース+鍵盤2+ギター+ドラムという全8人の編成は前回と同様(少し、顔ぶれは違っていたのかな)。きっちり場を仕切るスキンヘッドの眼光鋭いマネージャー氏も前回と同じだった。
途中、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのメドレーをやったりも。それ、前回もやったはずだが、もうすぐスライ本人がやってくるかと思うと、聞こえ方がまるで違う。それを聞きながら、本元の来日公演を目にしたら、しょぼい実演であってももう涙腺ゆるんじゃうんじゃないかと思ってしまった。あー、あと1ヶ月と少し。いろいろある自分たちの楽曲を披露するなか、彼らは他者の曲カヴァーも同じ“ブラック・アーク”にある表現なんですよと言わんとするようにやるのだが、この晩はギタリストを前に出してプリンスの「パープル・レイン」をやったりも。で、このときドラマーが別な人に変わったのだ(アンコール曲でも叩く)が、なんと彼は00年から数年の間プリンス・バンドを支えたジョン・ブラックウェルだったよう。うわー。
さらに後半は、かつてのバンマスである怒濤のオーティス・レディング関連曲メドレーも。それ、前回はやっていない。うーん、グっと来る。オリジナル・メンバーのジェイムズ・アレキサンダー(ベース、歌)がレディングや他のザ・バーケイズのメンバーと一緒に飛行機事故で亡くならなかったのは自家用飛行機の定員からあぶれて、若輩の彼は飛行機を追いかける車での移動をしいられたためだった。飛行機が墜落したのは極寒の、マディソン空港横の湖。そのウィスコンシン州マディソンに住んでいるのはベン・シドラン(2006年4月9日、2007年1月15日)と元JBズのクライド・スタブルフィールド(2007年4月18日)。で、マディソンから一番近い音楽都市はミネソタ州ミネアポリスで、リッキー・ピーターソンやセイント・ポール・ピーターソンらプリンスとシドラン表現の両方に関与するミュージシャンもいるわけだ。と、書きようによっては、どんどん話を連鎖させることができるな。先のブラックウェルも当初はシドラン関連で叩いていた、という話もあるが。
彼ら、大体はメドレー調で切れ目なく楽曲を聞き手に届ける。この晩は最終日の最終セットで1時間45分もの熱演。臨機応変に楽曲を入れ替えるところもありそうだが、曲のつなぎはいたって自然で、その事実は彼らの熟練具合を知らしめるものでもあったな。とにもかくにも、こういう実演に触れられるのは嬉しすぎ。うひー。
●以下、ちょっとした連絡。
その1)
日本一のラッパーである、
下町兄弟(2005年12月8日、2006年12月21日)の
新作『OL’SKOOL JAM』(SHIBAURA RECORDS、TSR-111)が、
8月8日発売。旧曲の大胆リメイクを含む全録りおろし作品。
14曲入り、60分越え作品。
www.bananaice.net
ヘ急げ!
その2)
イタリアのロッキッシュなフリー・ジャズ・バンド、
ズー(2004年6月2日、2005年9月5日、同9月6日)が、
この10月初旬の10日間、
日本の対バン込みで演奏できる場を求めています。
途中、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのメドレーをやったりも。それ、前回もやったはずだが、もうすぐスライ本人がやってくるかと思うと、聞こえ方がまるで違う。それを聞きながら、本元の来日公演を目にしたら、しょぼい実演であってももう涙腺ゆるんじゃうんじゃないかと思ってしまった。あー、あと1ヶ月と少し。いろいろある自分たちの楽曲を披露するなか、彼らは他者の曲カヴァーも同じ“ブラック・アーク”にある表現なんですよと言わんとするようにやるのだが、この晩はギタリストを前に出してプリンスの「パープル・レイン」をやったりも。で、このときドラマーが別な人に変わったのだ(アンコール曲でも叩く)が、なんと彼は00年から数年の間プリンス・バンドを支えたジョン・ブラックウェルだったよう。うわー。
さらに後半は、かつてのバンマスである怒濤のオーティス・レディング関連曲メドレーも。それ、前回はやっていない。うーん、グっと来る。オリジナル・メンバーのジェイムズ・アレキサンダー(ベース、歌)がレディングや他のザ・バーケイズのメンバーと一緒に飛行機事故で亡くならなかったのは自家用飛行機の定員からあぶれて、若輩の彼は飛行機を追いかける車での移動をしいられたためだった。飛行機が墜落したのは極寒の、マディソン空港横の湖。そのウィスコンシン州マディソンに住んでいるのはベン・シドラン(2006年4月9日、2007年1月15日)と元JBズのクライド・スタブルフィールド(2007年4月18日)。で、マディソンから一番近い音楽都市はミネソタ州ミネアポリスで、リッキー・ピーターソンやセイント・ポール・ピーターソンらプリンスとシドラン表現の両方に関与するミュージシャンもいるわけだ。と、書きようによっては、どんどん話を連鎖させることができるな。先のブラックウェルも当初はシドラン関連で叩いていた、という話もあるが。
彼ら、大体はメドレー調で切れ目なく楽曲を聞き手に届ける。この晩は最終日の最終セットで1時間45分もの熱演。臨機応変に楽曲を入れ替えるところもありそうだが、曲のつなぎはいたって自然で、その事実は彼らの熟練具合を知らしめるものでもあったな。とにもかくにも、こういう実演に触れられるのは嬉しすぎ。うひー。
●以下、ちょっとした連絡。
その1)
日本一のラッパーである、
下町兄弟(2005年12月8日、2006年12月21日)の
新作『OL’SKOOL JAM』(SHIBAURA RECORDS、TSR-111)が、
8月8日発売。旧曲の大胆リメイクを含む全録りおろし作品。
14曲入り、60分越え作品。
www.bananaice.net
ヘ急げ!
その2)
イタリアのロッキッシュなフリー・ジャズ・バンド、
ズー(2004年6月2日、2005年9月5日、同9月6日)が、
この10月初旬の10日間、
日本の対バン込みで演奏できる場を求めています。