なんか、蝉がうるさい。例年だと8月下旬ぐらいから蝉の鳴き声が気になる感じがあったが(記憶違いかな。もー、毎日が新鮮?)、今年は7月下旬から蝉の声が気になる。少し前は夜中もみんみん鳴いてたナ。

 南青山・ブルーノート東京で、ぼくにとっては特別銘柄となる女性シンガー(1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日、2004年9月7日)を見る。セカンド・ショウ。久しぶりの来日だが、カサンドラってこんなだったけかなと目新しく感じる所がいくつか。バンドがアブストラクトな音を出す中、例によって裸足で登場した彼女はまず三方に向かってそれぞれ深々とおじぎをする。そんな挨拶の仕方する人だったっけか? で、変なフリをつくって歌ったりとか、バンド・メンバーがソロをとっているときに横のほうで大きく身体をうごかしていたり、奏者を煽ったりとか。なんにせよ、ブルーノートの場が気に入り、くだけつつ、嬉しそうに歌っていたというのは間違いない。

 今回の実演はスタンダードをひねりある彼女流サウンドを介して歌った新作『ラヴァリー』に基本は沿ったもの。マーヴィン・スーウェル(1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日)をバンマスとするもので、他にベース、ピアノ、ドラム、パーカッションという内訳。で、過去のどのカサンドラ公演同行公演よりもスーウェルの歪んだ像を持つギターが前に出されて(スライド・バーを使ったときも)いたのは間違いない。彼が最初にカサンドラ来日公演に同行したのは確か99年のことで、そのとき“ブルースの狂気”をクールに出していた彼の演奏に感嘆し、ショウの後にその素性を確認しようと話しかけたら、(モダン・ブルースの最たる都市)シカゴの出身とのことで膝を叩いた事があった。また、彼はオープン・チューニングも用いることやシカゴから出てきてわりとすぐにバンドに雇ってくれたデイヴィッド・サンボーン(彼の業界スタートはポール・バターフィールド・ブルース・バンドだ)には感謝しているとかいった事を言ってたっけ。その後、カサンドラにインタヴューしたとき、スーウェルはブルースの神髄をきっちりと持っているから雇っているのと、彼女は言っていた。で、スーウェルと入れ替わるように、才人ブランドン・ロス(2004年9月7日、2005年6月8日、2005年6月9日、2006年9月2日)はカサンドラから冷遇されるようになってしまったわけだ。

 この日が5日間続いた全10回のショウの最終回、もしかしてさすがの彼女も喉が疲れているかもと危惧したのだが、そんな事は全然なし。過去と比べても、彼女はかなり派手な歌い方をしたのではという所感が残ったりもし、豊穣にして尖ったサウンド(たとえば、今回はクリス・クロス他からジャズのリーダー作をいろいろ出しているオリン・エヴァンスがピアニストとして同行していたが、カサンドラの求めもあったのだろう、本当に普通のジャズ演奏パターンからは離れる音数の少ない演奏を趣味良くしていた)をコントロールしながら、心智と技巧が折り合う肉声を自在に乗せて行く様には唯一無二だと思わせられたな。まじ、(いつも以上に)良かった。お酒がはずんだ。

 それから、ショウの途中にぐうぜん別の仕事で来日中のロニー・プラキシコ(1999年9月2日、2001年2月12日、2001年9月6日)が飛び入りして、今回のベーシストのケニー・デイヴィスに代わって2曲演奏。プラキシコは過去の多くの彼女の来日公演でミュージカル・ディレクターを務め、『ラヴァリー』でも弾いている超仲良しさん(カサンドラは彼のアルバムをプロデュースしたこともある)。とはいえ、今回のデイヴィスもプラキシコと同じような位置で活躍してきた人で、カサンドラ作にも初期から関わっていた。

ところで、昨日の項でアイザック・ヘイズの名を出したら、同日メンフィスの自宅で亡くなってしまった(まだ、65歳)というニュースが。スタックスのスタッフ・ライターとして「ソウル・マン」他いろんな名曲を書き、アーティストとしても70年前後に天下を穫った偉人であり異才……。近年米国では、人気お下劣TVアニメ「サウスパーク」のシェフ役の声優としてもおおいに知られ、事実メンフィスではレストランも経営していたという。昨年、ハリウッド・ボウルで彼の勇士(2007年7月18日)を見れて本当に良かった。新生スタックス用の新作を録音中と伝えられていたのだが……。