1949年ローマ生まれの、イタリア人ジャズ・ピアニストの公演は、ラリー・グラナディア(2012年1月25日、他)とジェフ・バラードという、ブラッド・メルドー(2005年2月20日、他)のリズム隊を引っ張ってきてのもの。大胆、だなー。近年は、ベースだとジョン・パチィトゥッチ(2012年6月13日、他)やスコット・コーリー(2012年3月15日)やマーク・ジョンソン(2006年6月28日)、ドラマーだとジョーイ・バロン(2011年1月30日、他)やアントニオ・サンチェス(2013年5月21日、他)やポール・モーシャンといった米国有名人を起用したアルバムをいろいろ出している御仁ゆえ、それほど驚くにはあたらないのかもしれないが。その三者によるアルバムはあるのかな?

 ピエラヌンツィは伊ソウルノートから日本のレコード会社まで、いろんなところからたくさんのアルバムを出しているものの、ぼくにはちょっと分りづらい音楽家だ。クラシック教育を底に置くのだろう、腕の立つ、奇麗なピアノを弾く(リズムがジャストで、ぼくはどこか味気なさを感じるという意味も含む)人物であるのは間違いないながら、瀟洒な感じからフリーぽいものまで、はてはラテン・カルテットを名乗るものまで、いろんなことをしていたりする。そんななか、ビル・エヴァンス流れの魅力を指摘する聞き手もいるが、それもぼくにはよく分らない。エヴァンスは奇麗な表層を持ちつつ裏でペロリと舌を露骨に出している。だから、奇麗な曲を弾いていても、ソロのパートではフレイズや情緒がぶっこわれているところ、ワケの分らぬところがきっちりある。それゆえ、一般性を持つピアニストのコンピ盤を組もうとして彼を入れると、確実に他曲からは浮いてしまう。←これ、実体験から来る所感。とかなんとか、澄ました顔をしつつエヴァンスは不埒というか、やはり度を超したグルーヴィなジャズ的感性を有しているわけで、その巨人と比すと、ピエラのとっつぁんは真面目で丹精すぎる部分もあるとぼくは感じる。

 1曲,完全にインプロものをやって、それがぼくには一番おもしろかった。欧州人と米国人の噛み合いの妙味も一番でていたかもしれないし、熟達米国人リスム・セクションとのお手合わせをピエラヌンツィは心置きなく楽しんでいるように思えた。客から一番拍手が起きたのは、スタンダードをやったとき。それには、柔和さと張りつめたところを併せ持つ、彼の美的センスがよく表れていた。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 ところで、あれれと感じたのは、グラナディアの楽器の音色。なんか汚い、とぼくは思ってしまった。音量もピアノの音と比すと大きく、あれでいいのだろうか。そういうやあ、グラナディアが平然とベースを弾いている、ジョン・ゾーンのレーベルからいろいろリーダー作を出してもいる変人ピアニストのジェイミー・サフトが中心となった、チル・アウトなピアノ・レゲエ・ダブ・トリオであるニュー・ジオン・トリオの2011年作『ファイト・アゲインスト・バビロン』が今ごろ日本盤で出る。そこでの彼の演奏にも感心したが、今日のファースト・ショウのグラナディアは大げさに言えば、ぼくの知らないグラナディアだった。

<今日の、余談>
 そのあと、鎌倉のレーベル/イヴェンターをやっている米国出身のダグラスがニューオーリンズものをDJしますという、渋谷百軒店にある店に顔を出す。普段はブルースのライヴをやっている店で、ぼくも知り合いが出たときに行ったときがあるが、面白いお店。なんでも、世界的な日本人大人気ピアニストのお気に入り店でもあるそうで、彼女が来店したときに偶然パフォーマンスしていた出演者を彼女は気に入ってしまい、後日そこのでのライヴ盤を立ち会い録音して、ポケット・マネーでCDを作ってしまったんだとか。そういえば、ピアノがおいてある代官山のライヴ・ハウスに昼間突然入って来て、ピアノを弾かせてくださいと申し出て、弾いていったという話を聞いたこともある。自由だなー。でも、それはなにより演奏に表れているし、ピュアな音楽家らしい所作というものだろう。