オンダ・バガ。トリクシー・ウィートリー
2013年9月12日 音楽 まず、渋谷・クラブクアトロで、昨年のフジ・ロック・フェスティヴァルの様々なステージや場所でパフォーマンスし、話題を呼んだ、アルゼンチンのグループを見る。2人のサポートも含め、7人にてステージに登場。カホーン、生ギター、クアトロ、トロンボーン、トランペット、電気ベース、ドラムという構成で、管楽器奏者はパーカッションを手にするときも多く、歌はユニゾンで烏合の衆ぽく、だらだら歌われる。
アルゼンチンのフォークロア的属性を持つと思いたくなるような素朴なメロディ+αな曲が和気あいあいと披露されるわけだが、その緩〜い感じ、気安い感じにはびっくり。なるほど、旅先のウルグアイの浜辺で自然発生的に組まれたという、グループ結成時の話も頷ける? そして、そこかしこから、手作りパーティのりを感じさせもし、それは敷居の低さにもつながるだろう。
途中退出して、渋谷・O-nestに。テキサス州出身のブルージーなシンガー・ソングライターのクリス・ウィートリー(2004年9月15日。1960〜2005年、ヒューストンで没)の娘さんを見る。と、書いてしまうのは正確ではないか。父クリスは大々的にNYで活動する前にベルギーに居住したことあがあり、娘はその時代に生まれた子供で、ベルギー在住が長いようであるから。金髪痩身の彼女は現在26歳とのこと。
ギターを弾きながら歌う本人に、キャリア豊かとも思わせるギター、ベース、ドラム奏者が着く。彼らもベルギー人なのかな(追記;トリクシーの叔父であるベーシスト以外は、彼女が現在住むNYの奏者とか)。最初の曲と最後の曲では、トリクシーは電気キーボードを弾きながら歌う。プリセットのビート音を併用する曲も数曲。ちょい裏声を張り上げる歌い方はぼくの好みからは少し離れるが、聞き手のなかに届く何かを持つ人であり、ロックというスタイルを取ってはいるものの通って来た道は広いとも思わせる、才豊かな人。ギター弾き語りのときはジミ・ヘンドリックス的情念を感じさせたし、一曲はエチオピアン歌謡をもろに参照したような感じだった。
なお、彼女はダニエル・ラノワ(2013年7月31日、他)のロック・バンドであるブラック・ダブのメンバーでもある。そういえば、父親クリスの実質デビュー作『リヴィング・ウィズ・ザ・ロウ』(コロムビア、1991年)にはやはりラノワが参加しているが、同作がメジャーから出たのは当時すでにプロデューサーとしてエスタブリッシュされていたラノワの口利きがあったためと言われている。なお、クリス・ウィートリーはカサンドラ・ウィルソン(2013年5月31日、他)の幽玄路線作『ブルー・ライト』(ブルーノート、1993年)と『ニュー・ムーン・ドーター』(同、1996年)の陰の立役者であることもぼくには忘れがたい。そして、『ニュー・ムーン・ドーター』に参加していたドラマーのダギー・バウン(ザ・ラウンジ・リザーズ、ワールド・アット・グランス、他)はトリクシーの最初の録音の面倒を見てもいる。そういう些細なつながりにワクワクできる対象がおもしろくないはずがない。
<今日の、親族>
ウィートリーの初来日公演には彼女のお母さんも同行。まだ40代っぽいな。彼女は客席側にいて、さんざん接しているだろう娘のパフォーマンスにギンギンになって見ていた。彼女は娘の音楽性にけっこうな影響を及ぼしてもいるそうだ。
アルゼンチンのフォークロア的属性を持つと思いたくなるような素朴なメロディ+αな曲が和気あいあいと披露されるわけだが、その緩〜い感じ、気安い感じにはびっくり。なるほど、旅先のウルグアイの浜辺で自然発生的に組まれたという、グループ結成時の話も頷ける? そして、そこかしこから、手作りパーティのりを感じさせもし、それは敷居の低さにもつながるだろう。
途中退出して、渋谷・O-nestに。テキサス州出身のブルージーなシンガー・ソングライターのクリス・ウィートリー(2004年9月15日。1960〜2005年、ヒューストンで没)の娘さんを見る。と、書いてしまうのは正確ではないか。父クリスは大々的にNYで活動する前にベルギーに居住したことあがあり、娘はその時代に生まれた子供で、ベルギー在住が長いようであるから。金髪痩身の彼女は現在26歳とのこと。
ギターを弾きながら歌う本人に、キャリア豊かとも思わせるギター、ベース、ドラム奏者が着く。彼らもベルギー人なのかな(追記;トリクシーの叔父であるベーシスト以外は、彼女が現在住むNYの奏者とか)。最初の曲と最後の曲では、トリクシーは電気キーボードを弾きながら歌う。プリセットのビート音を併用する曲も数曲。ちょい裏声を張り上げる歌い方はぼくの好みからは少し離れるが、聞き手のなかに届く何かを持つ人であり、ロックというスタイルを取ってはいるものの通って来た道は広いとも思わせる、才豊かな人。ギター弾き語りのときはジミ・ヘンドリックス的情念を感じさせたし、一曲はエチオピアン歌謡をもろに参照したような感じだった。
なお、彼女はダニエル・ラノワ(2013年7月31日、他)のロック・バンドであるブラック・ダブのメンバーでもある。そういえば、父親クリスの実質デビュー作『リヴィング・ウィズ・ザ・ロウ』(コロムビア、1991年)にはやはりラノワが参加しているが、同作がメジャーから出たのは当時すでにプロデューサーとしてエスタブリッシュされていたラノワの口利きがあったためと言われている。なお、クリス・ウィートリーはカサンドラ・ウィルソン(2013年5月31日、他)の幽玄路線作『ブルー・ライト』(ブルーノート、1993年)と『ニュー・ムーン・ドーター』(同、1996年)の陰の立役者であることもぼくには忘れがたい。そして、『ニュー・ムーン・ドーター』に参加していたドラマーのダギー・バウン(ザ・ラウンジ・リザーズ、ワールド・アット・グランス、他)はトリクシーの最初の録音の面倒を見てもいる。そういう些細なつながりにワクワクできる対象がおもしろくないはずがない。
<今日の、親族>
ウィートリーの初来日公演には彼女のお母さんも同行。まだ40代っぽいな。彼女は客席側にいて、さんざん接しているだろう娘のパフォーマンスにギンギンになって見ていた。彼女は娘の音楽性にけっこうな影響を及ぼしてもいるそうだ。