トレヴァー・ホーン+ロル・クリーム
2012年8月6日 音楽 元10cc(2010年5月23日)/ゴドリー&クリームのロル・クリームがあんなにちゃらい、いや、あれほどまで気さくでエンターテインメント精神を持つ人であるとは思わなかった。
なんて、書きたくなってしまうのは、彼の1980年代までの活動の尖り具合があまりにも鮮烈であったからだ。ザ・ビートルズの延長にあったと言いたくなる超ポップ・バンドの10ccは1976年に娯楽派の2人(エリック・スチュワートとグレアム・グルードマン。2人で10ccの名を引き継ぐ)と実験派の2人(ケヴィン・ゴドリーとロル・クリーム)に分裂。後者のご両人はポップ精神とあくなき冒険精神を見事拮抗させたゴドリー&クリーム作品を出すとともに、映像の分野にも進出し、80年代中期以降は一時ミュージック・クリップ作りにおける最たる敏腕クリエイター集団になってしまったりもした(高橋幸宏が彼らのミュージック・クリップをもろパクリしたこともあった)。ぼくはそんなゴッドリー&クリームが大好きで、彼らの『グッバイ・ブルースカイ』(ポリドール、1988年)が出た際ライナー・ノーツを頼まれたときには、本当にうれしかったし、ああ俺はプロの書き手なんだなと自負を持てた。その原稿依頼を振ってくれたKさんはいまや日本のユニバーサル・ミュージックのCEOとして君臨している。なんてことはともかく、すんごくアーティスティックでツっぱていると思っていたクリームは、態度の軽いカヴァー・バンドの一員であることを満面の笑みで楽しむだけでなく、一人で愛想ふりまき、客に働きかけようとしていた。うひょー。でも、初期の「ラバー・バレッツ」とかのファルセットを用いていたレトロ調曲は、彼が歌っていたのがこの日のパフォーマンスで分った。彼、大昔の10ccの曲はやっても、ゴドリー&クリームの曲はやらなかった。
バグルスやイエスのメンバーを経て、1983年にZTTを立ち上げ、斬新な音像と通俗的な大衆性を掛け合わせた作風でUK売れっ子プロデューサーになり、その後もずっと業界に君臨しているトレヴァー・ホーン(1949年生まれ)を中心とする、娯楽ユニットの実演は、前述のクリーム(ギター、ベース、キーボード、歌)を筆頭に、2人の女性シンガーを含める全9人にて。ギターは70年代後期からUKロック界の売れっ子セッション・マンであり続けるフィル・パーマー。ドラムはアデル他で叩く、やはり売れっ子のアッシュ・ソーン。それと、クリームもそうだが、彼らをはじめ5人はホーンがずっと関わり続けているシールの新作『シール2』の参加者たち。あのレコーディングで盛り上がり、このプロジェクトは始まったのか。参加者は誰一人譜面台を置く人はいなかった。けっこう、向こうでもギグをやっているのだと思う。なお、ロル・クリームとトレヴァー・ホーンの共通項の一つはポール・マッカトニーとやりとりを持っていること。マッカトニーはゴドリー&クリームの1979作『フリーズ・フレイム』にヴォーカル参加し、ホーンはマッカートニーの1989年作『フラワーズ・イン・ザ・ダート』に制作関与している。
バグルス、イエス、シールなどの有名曲が次々に披露される。ホーンがベースを弾きながら歌う場合もあるが、シールの曲その他は、無名のピーター・ゴーディノという人がキーボードを弾きながら歌う。彼はトム・ウェイツの「ダウンタウン・トレイン」も歌ったが、そのロッド・スチュワートのヴァージョンはホーンが関与していたんだっけ? 最終曲は、やはりゴーディノが歌うティアーズ・フォー・フィアーズの「エヴリバディ・ウォント・トゥ・ルール・ザ・ワールド」。これをやった理由は、フィル・パーマーがオリジナルで弾いているからとMCで説明された。この曲とか、10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」はうろ覚えながら一緒に口ずさめたりして、けっこう昇天キブンを味わってしまったな。いい曲は魔力を持つ。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。演奏時間は90分、声援が熱かった。
<今日の移動>
六本木→青山→渋谷と、一軒づつ、家に近づいて流れる。最後の店で、五輪の女子サッカーの準決勝を見る。よく勝ったなあ。こういうのを見ると、フットボールは内容と結果が大きく離れることもある、おおいにファジーなスポーツであると思わされる。だからこそ、世界で一番愛好されるスポーツになったのかもしれぬが。そういえば、女子の代表の試合でも勝利したら今、渋谷駅前のスクランブル交差点は“祭”状態になるのだろうか?
なんて、書きたくなってしまうのは、彼の1980年代までの活動の尖り具合があまりにも鮮烈であったからだ。ザ・ビートルズの延長にあったと言いたくなる超ポップ・バンドの10ccは1976年に娯楽派の2人(エリック・スチュワートとグレアム・グルードマン。2人で10ccの名を引き継ぐ)と実験派の2人(ケヴィン・ゴドリーとロル・クリーム)に分裂。後者のご両人はポップ精神とあくなき冒険精神を見事拮抗させたゴドリー&クリーム作品を出すとともに、映像の分野にも進出し、80年代中期以降は一時ミュージック・クリップ作りにおける最たる敏腕クリエイター集団になってしまったりもした(高橋幸宏が彼らのミュージック・クリップをもろパクリしたこともあった)。ぼくはそんなゴッドリー&クリームが大好きで、彼らの『グッバイ・ブルースカイ』(ポリドール、1988年)が出た際ライナー・ノーツを頼まれたときには、本当にうれしかったし、ああ俺はプロの書き手なんだなと自負を持てた。その原稿依頼を振ってくれたKさんはいまや日本のユニバーサル・ミュージックのCEOとして君臨している。なんてことはともかく、すんごくアーティスティックでツっぱていると思っていたクリームは、態度の軽いカヴァー・バンドの一員であることを満面の笑みで楽しむだけでなく、一人で愛想ふりまき、客に働きかけようとしていた。うひょー。でも、初期の「ラバー・バレッツ」とかのファルセットを用いていたレトロ調曲は、彼が歌っていたのがこの日のパフォーマンスで分った。彼、大昔の10ccの曲はやっても、ゴドリー&クリームの曲はやらなかった。
バグルスやイエスのメンバーを経て、1983年にZTTを立ち上げ、斬新な音像と通俗的な大衆性を掛け合わせた作風でUK売れっ子プロデューサーになり、その後もずっと業界に君臨しているトレヴァー・ホーン(1949年生まれ)を中心とする、娯楽ユニットの実演は、前述のクリーム(ギター、ベース、キーボード、歌)を筆頭に、2人の女性シンガーを含める全9人にて。ギターは70年代後期からUKロック界の売れっ子セッション・マンであり続けるフィル・パーマー。ドラムはアデル他で叩く、やはり売れっ子のアッシュ・ソーン。それと、クリームもそうだが、彼らをはじめ5人はホーンがずっと関わり続けているシールの新作『シール2』の参加者たち。あのレコーディングで盛り上がり、このプロジェクトは始まったのか。参加者は誰一人譜面台を置く人はいなかった。けっこう、向こうでもギグをやっているのだと思う。なお、ロル・クリームとトレヴァー・ホーンの共通項の一つはポール・マッカトニーとやりとりを持っていること。マッカトニーはゴドリー&クリームの1979作『フリーズ・フレイム』にヴォーカル参加し、ホーンはマッカートニーの1989年作『フラワーズ・イン・ザ・ダート』に制作関与している。
バグルス、イエス、シールなどの有名曲が次々に披露される。ホーンがベースを弾きながら歌う場合もあるが、シールの曲その他は、無名のピーター・ゴーディノという人がキーボードを弾きながら歌う。彼はトム・ウェイツの「ダウンタウン・トレイン」も歌ったが、そのロッド・スチュワートのヴァージョンはホーンが関与していたんだっけ? 最終曲は、やはりゴーディノが歌うティアーズ・フォー・フィアーズの「エヴリバディ・ウォント・トゥ・ルール・ザ・ワールド」。これをやった理由は、フィル・パーマーがオリジナルで弾いているからとMCで説明された。この曲とか、10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」はうろ覚えながら一緒に口ずさめたりして、けっこう昇天キブンを味わってしまったな。いい曲は魔力を持つ。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。演奏時間は90分、声援が熱かった。
<今日の移動>
六本木→青山→渋谷と、一軒づつ、家に近づいて流れる。最後の店で、五輪の女子サッカーの準決勝を見る。よく勝ったなあ。こういうのを見ると、フットボールは内容と結果が大きく離れることもある、おおいにファジーなスポーツであると思わされる。だからこそ、世界で一番愛好されるスポーツになったのかもしれぬが。そういえば、女子の代表の試合でも勝利したら今、渋谷駅前のスクランブル交差点は“祭”状態になるのだろうか?