ステイトンは1960年代後半から張りある喉を披露し続けている、南部のソウル歌手。初期はアラバマ州のマッスル・ショールズにあるフェイム・スタジオを拠点に地に足をつけつつ溌剌としたR&Bを送り出し(その時期のプロダクツをまとめた編集盤は本当に素晴らしいっ)、1970年代中期になるとワーナー・ブラザーズに移ってディスコ調路線で人気を博すようになり、1980年代に入るとゴスペルの世界に戻ったりしつつ、現在まできっちりアルバムをリリースしてきている。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。名のある人にも関わらず、彼女は今回が初来日とか。

 で、そうした活動を括るような実演は聞く者に大満足を与えたはず。今もちゃんとライヴをやっていることが分るパフォーマンスはしなやかで華を持ち、おいしい余裕とともにきっちり気持ちのある彼女ならではの歌世界を浮かび上がらせるのだから言うことない。72歳だそうだが、ステイトンは若々しいし、かわいらしくもある。でもって、いいゾと思わされたのが、ギター、キーボード、ベース、ドラム、男女コーラスという編成のバンド(ギターとドラムが白人)。名のある奏者はいないと思うが、これが良好で、非の打ち所のなさにはおおいに驚く。ホーン奏者がいれば、なんてこともぜんぜん思わなかった。グレイト。それから、ほぼ満場のお客さんもいい感じ。本当に彼女のファンが集まっていて、自然ながら熱い反応はきっと出演者たちを鼓舞したのではないだろうか。

 その後、銀座・スペース潦に行き、2011年12月28日に紹介しているインプロ系音楽家たちによるプロジェクト“spaceone”の盛り上げイヴェントに行く。アーティストが自由に使える場所を持とうとすることを目指すもの(当初はこの7月に正規立ち上げを目指していたが、資金や物件などの問題で現在継続準備中。成就しない場合は返金する寄付も引き続き受け付けている)で、今日から金曜にかけて6夜、個性的な出し物が持たれる。

 初日となる今日はシマジマサヒコのキュレイトのもと昼間から開かれ、明るい時間は、<即興演奏を描くドローイング・ワークショップ>と題され、演奏家やダンサーのお手合わせを自由参加の人たちがその様を絵で切り取ったよう。ぼくが行ったときはその絵が壁に飾られており、それは会期中張られたままになるようだ。夜は、ピアノの藤井郷子(2010年8月6日、他)、クラリネットの大熊ワタル(2010年12月13日、他)、渋さ知らズ(2010 年 4月22日、他)でもトロンボーンを吹く高橋保行らいろんな人たちが気ままに音を出し合うとともに、トークもあり。

<今日の、データー>
 spaceoneの詳細は、
http://spaceone.main.jp/
http://www.facebook.com/spaceoneFanPage

サラ・ガザレク

2012年7月4日 音楽
 過剰にポップ語彙に流れることなく(実は、それはジャズを特別なものとして愛する彼女の意思から来る)、わりかし順調に今のジャズ歌手として活動してきている米国人女性(2008年3月13日、他)。2005年デビュー作いらいずっとサポートしてきているピアニストのジョシュ・ネルソン(もう、「スーパーマン」のクラーク・ケントにそっくり! けっこう、自身のリーダー作も出している)らのトリオがついてのものだが、ベースは日本人の安カ川大樹(2005年9月11日、他。忙しい人というイメージがるが、彼の7月のスケジュールを見たら3日しか空いてなくてびっくり)が弾く。ワーキング・バンドのメンバーが来れなくなって、彼が弾くようになったよう。その新作『ブロッサム&ビー』からの曲を中心に、いろいろ。適度に舞う感じを持ちつつ、瀟洒な歌を聞き手に優しく提供してくれた。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

<今日の、髪型とスカート>
 久しぶりに見るガザレクの外見、佇まいにはアレレ? かつての清らかな感じが一掃され、一言で言うなら、スレてる。一生懸命に日本語のMCをしたりする様からは性格の良さがにじみ出るが、ビッチなと形容したくなる、身につけた赤色のタイトのミニ・スカートは凄い。でもって、左右比対称の短髪ヘア・スタイルにもわわわ。実は、彼女グレッチェン・パーラト(2012年2月22日、他)と仲良しらしく(一緒の変テコ映像がユーチューブに出ている)、その髪型は間違いなくパーラトに影響を受けたものに違いない。ガザレクは新作収録のベン・フォールズ曲「ザ・ラッキエスト」もいい感じの編曲のもと歌ったが、彼女は結婚記念でその歌詞の一節を身体に彫ってもいるようだ。ま、なんだかんだサバけた一面も持つ人なんでしょう。話は飛ぶが、会場で知り合いにあったが、かなり短めなワンピースを着ていて、そういう格好をするイメージを持っていない&意外にいい女ふうで、それゆえ本人と確信が持てず。後で先方から声をかけてきたので、「スカートめくれててパンツ見えてたので、いたたまれなくて声かけられなかった」と言ってやる。女性にそんなこと言って最低と思う人がいるかもしれないが、そういうことを言える乱暴な間柄だとお思いください。そしたら、杜撰な性格ゆえ実際そういうこともあるそうで、ぜんぜん憎まれジョークにならんかった。ハハハ。

SPACEONE 6つの夜

2012年7月5日 音楽
 この日曜が初日(2012年7月1日)初日のイヴェントの4日目、この晩は、リアル・ジャズ回路と美味しい歌モノ回路を才気たっぷりに同化させられる女性ピアニスト/歌手の航(2010年6月7日)がキュレイト。ぼくが会場に行ったときは、その航が中心となる即興演奏は終わっていて、2組目の藤井貴子とあおやぎとしひろのお二人がパフォーマンス中。ダルシマーとかブズーキとかも用いる日本語フォークを楚々とやっている。そして、3番目は電気ギターの臼井康浩(2011年12月28日、他)とヴォイスの瀬尾亮とピアノの中村真の3者によるガチンコ即興。わーい、と触発される。銀座・スペース潦。

<今日の、短冊>
 帰りに寄ったバーに笹の葉が置いてあり、短冊を書かされる。こういうとき、まあ照れ隠しもあるんだが、オレはロクなこと書かない。ちなみに、この晩は<精力増進>(進の“しんにょう”の点は♥マークに)と書いた。こういう場合、ときに他の人のまっすぐな文言を見てうらやましくなるときもある、か。ましょうがねえと思いつつ、もう少し素直になれないかとふと思う。老後、大勢から可愛がられるボケ老人になりたい(万が一、けっこう死ななかったとしたら、それが無難でしょう)オレとしては。

 ザ・シンシケートとは、故ジョー・ザヴィヌル(2003年10月8日)のバンド関連者が中心となるユニット。この公演初日の7月7日はザヴィヌルの誕生日であったという。ウェザー・リポート解散後、このオーストリア生まれ(1932〜2007年)の鍵盤奏者はザ・ザヴィヌル・シンジケートという、私が考える演奏部に重きを置いたワールド・ビートのグループを組んだが、これはその流儀を伸び伸びと披露するバンドと言えるか。いつからか、ザヴィヌルは拠点を置いていた米国西海岸から母国に住むようになり、その自己バンドは在欧アフリカ出身者たちが在籍。リチャード・ボナ(2012年5月14日、他)はその出身者のなかで一番有名になった人ですね。

 旧アイヴォリー・コースト生まれでパリで活躍するドラマーのパコ・セリは今回の構成員のなかでは一番名が知られたミュージシャンか。もろにザヴィヌル流儀の音色/フレーズ使いを見せる(つまり、ぼくの好みからは離れる)ティエリー・エリスはディー・ディー・ブリッジウォーター(2009年11月27日、他)のアルバムに参加していたりするので、フランス在住のミュージシャンだろう。消えている場合も多いソプラノ・サックス(けっこう、キーボード音と近い。彼に限らず、軽いソプラノの音をぼくはあまり好きでないのを再認識した)を吹くエミール・パリジャンも名前から判断するに、フランス人か。奇麗な、性格も良さそうな女性シンガー(彼女も消えている場合も多い)はザップ・ママにいたサビンヌ・カボンゴで、ザップ・ママがそうであったようにベルギーのブリュッセルを拠点に住んでいるよう。そして、6弦の電気ベースを弾くムニールとパンデイロのソロも見せた打楽器のジョルジはブラジル出身とセリからMCで紹介された。ウェザー・リポートの初期はアイアート・モレイラ(2000年7月10日)やドン・ウン・ロマオとか、ブラジル人パーカッション奏者を雇っていた。

 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。なるほど、ザヴィヌル・シンジケートのりの演奏が1時間半。もう、セリのドラミングは凄くて笑っちゃう。もう切れがありまくりなうえ、ブレイクのアクセントがバシっと決まりすぎる。ほう〜。彼は終盤、親指ピアノのソロも披露したが、こんなに音色が強く(それは、アンプリファイドの処方によるものかもしれないが)、音階が明瞭な演奏は初めてかも。へえ〜。ベーシストはソロのときはギターを手にし、リチャード・ボナのようなヴォーカル・パフォーマンスをした。

<今日の、ええん>
 飲み物メニューのなかから、ロンドン・プライドが消えてしまった。ぼくは、ブルーノート東京に来てビールを頼む場合、ギネスかロンドン・プライドを選ぶ。喉越し良好なほうを飲みたい場合は後者。なぜ、なくなったんだあー。バカバカ。音楽系のお店でこのエールを飲めるのはここだけだった。

 なんか自立度数、プログ(レッシヴ)濃度が高くて、親しく感じてしまうNY在住の広角型R&Bの担い手(2004年7月1日、2008年5月18日、2010年7月9日)のショウ。南青山・ブルーノート東京。ファースト・ショウ。

 MCで自分のことを、シンガー・ソングライター、プロデューサーと紹介したか。私はただ歌う人ではなく、ちゃんと曲が作れ、サウンドや全体の方向性をも見れるタレントであるという自負を持っていることを感じさせる場面でありました。そして、そうした側面はキーボードを弾きながら歌ってこそ前に出るのは疑いがないが、前回に続き3分の2ぐらいは、鍵盤から離れ中央に立って歌う。突出&いろいろ考えてます度数は減じるが、もともと性格も良さそうな人で、まあそれもアリだし、一般的な親しみやすさやとっつき易さが前に出るのは間違いないこと。彼女が多くの聞き手を相手にしたいという気持ちを否定することを、ぼくはできない。なかには、インコグニート(2011年3月11日、他)みたいと感じた曲もあった。

 キーボード、ベース(一部は鍵盤でベースを弾く)、ドラム、女性コーラス(1曲は、前に出てリード・ヴォーカルをとる)がサポート。また、ジョンソンが昔組んでいたクーリーズ・ホットボックスの同僚で現在はトーチャード・ソウルを率いるクリスチャン・ユーリック(すごく好感ぽく見えた)も中盤すぎに出て来てドラムを叩き、歌う。とかなんとか、アンコールなしの90分のショウ。

<今日の、流れ>
 その後、2軒流れて、2時ごろに外に出ると、風が強い。この日はワケがあって、PCを持ち歩いていたので、その重みで吹き飛ばされずにすんだ。今日の飲み物の流れは、ビール〜バーボン、白ワイン、ラム。そして最後は、サントリーが出しているストーンズ・ビールがあるというのでごくり。舌マークがいくつも浮き出しになっているボトルにはにっこりできるが、味は評価外。過剰に薄く(爽やか、と言えるかもしれぬが)、なんでこうなった? ストーンズだったら、ダーク系ビールにしなきゃ。それとも、無害で味が薄いという、今のストーンズの持ち味を反映させている?



 3連休の最後の日、昼下がりに、昨年のゴールデンウィークにフランス人の知人からもらった自作プリントのTシャツ人を着て、渋谷のNHKの先に。昔、草サッカーをやっていたときに、ここのグラウンドで試合をしたりもしたなあ。すぐにバテバテになりつつ、遠い目。人がいっぱい、陽光もいっぱい。ぼくがコドモで親に連れてこられたら、やっぱドキドキし、世界が広がったような気持ちになっちゃうんじゃないか。

 二息入れて、渋谷・デュオへ行って、生粋ニューヨーカーの優男シンガー・ソングライター(2011年8月6日、他)を見る。その頃には疲労と酔いで、けっこうヘロっていたりして。客演者としてポート・オブ・ノーツとおおはた雄一(2011年5月21日、他)という、ハリスにプロデュースしてもらった経験を持つ日本人アクトの名が出されている出し物。それを見て、ゲスト陣が最初に出てきてパフォーマンスし、それからジェシー・ハリス・バンドが登場するのかと思ったら………最初からハリスたちが出て来て、その途中に日本人たちが加わると言う設定がとられていた。さすが、一緒にレコーディングしたり、実演をシェア(2007年3月11日、2009年3月31日、2009年4月4日)したりしている間柄。もちろん、そのほうがずっといい。

 ハリスの新作『サブ・ローサ』はブラジル録音のアルバム。もともとブラジルは大好きで訪日以上の回数を渡っている彼ゆえ、そして、今回もそうだが在NYブラジル人のギレーミ・モンテーロ(2010年10月10日、他。けっこう、NYのジャズ/セッション界隈で需要アリ。2009年にはリーダー作も出している)をバンドにずっと擁していることもあり、それについてはなんら驚きはないが、これが演奏者や歌手らいろんなブラジル人逸材が入っていて(それ、おおくはプロデューサーのダヂのおかげらしい)、ほう。で、仕上がりは毎度のハリス作と同様の暖簾に腕押し的なまったり味が横溢していて、なるほど。←それを、本人に伝えるとどんなもんだい的に笑顔。それは、存分に留意したことであったよう。その質疑応答はラティーナ誌に書く予定。ドラマーは今作の共同プロデューサーを勤めている長年の友人(ハリスが90年代中期に組んでいたワンス・ブルー時代から付き合いあり)のビル・ドブロウだ。

 無理なく、和気あいあい、さりげなさのなかから、ちょっとしたワクワクや滋味がこぼれ出る。彼らは今回かなり地方も回ったが、それを面々は楽しんでいるよう。人々とのふれ合いも食べ物も土地の空気も。オレなんかより、ずっと日本のいろんな土地に行っていたりして。あちゃー。

 その後、知人と飲食したあと、近くのバー・イッシーに。建物の入り口に行くと、4階のお店から漏れるドラム音がすでに聞こえる(笑い)。この晩の出演者は、ドラマーの本田珠也(2011年5月5日、他)とギターの酒井泰三。近藤等則(2007年1月8日、他)のIMAバンドで広く名を知られるようになった酒井はジミ・ヘンドリックス系演奏を主に繰り広げ、ジャズ界最高峰のパワー・ドラマーである本田は思うままプッシュ。くぅっ。後半しか聞けなかったが、音がデカくて耳が死んだ?


<今日の、情報>
 この前、ジューサ(2012 年6月27日、他)のサポートで来ていたアルゼンチン人ドラマーは女性ヴォーカリストを擁する、バルベ・トリオ(Valbe Trio)という自己プロジェクトをも持っている。その音は、以下の所で聞ける。
http://www.soundcloud.com/valbetrio
 我々がアルゼンチンンの今のポップ・ミュージックに期待するところの、<ハイセンスでちょっとストレンジな、風の吹いている、ときにジャジーでもある手作りポップ>という路線をずっぽりはまっていて、こりゃ良い。彼、日本でCD出す事を切望しています。

 午前中、ちょい外に出たが、日差しビンビン。ようやく本日、梅雨明けが告知される。夕方、京橋・テアトル試写室で、モハメド・アリを扱ったドキュメンタリー映画を見る。ピート・マコーミックによる、2008年米国/カナダ映画だ。

 アリを収めたフィルムはいろいろとあるはずだが、版権の問題があるのか、それほど豊富には使われていない。そのかわりかどうかは知らないが、ここでマコーミック監督は、アリと対戦した10人のボクサーを証言者として引っ張りだしている。それが、本作の大きなポイント。映画は、アリの戦いの歴史をいちおう時系列的に追い、その10人の発言をいろいろとインサートする。一人づつ10人10話ぶんをつなのかと思ったが、そうではあらず。だったら、側近の人とか、アリが傾倒した“ネイション・オブ・イスラム”の同志とか、徴兵拒否に伴ってのチャンピオン剥奪に対抗する裁判の際の弁護士とか、別れた妻たちの言質とかもとれば、“人間アリ”の奥行きは増すのではないかと思って見ていた。……ものの、なるほど、拳を合わせたボクサーだけでまとめたからこそのワビサビはあるか。確かに、ボクサーの方々、それぞれに”人生”を持っているしね。英国白人のヘンリー・クーパーは引退後人気パーソナリティになってサーの称号をもらい、ジョージ・フォアマンはしゃべり方にやたら説得力というか味があるナと思ったら現在プリーチャーをしているのだとか。そのクーパー他3人は映画収録後、亡くなってしまったそう。

 ボクシング・ファンじゃないと分りにくい部分もある(顔も名前も覚えられなくて、今発言しているのは誰だっけと、ぼくはなった)が、“持たざる者”が成り上がる手段とする特殊スポーツたるボクシングの罪深さと、それを生業としつつキャラとスマートさで誰もかなわないカリスマとなったアリの特異な個体はすうっと浮かび上がるか。あと、米国社会の陰影も。それから、アリのリング上のステップに、ドライなファンク・インスト(が、映画で使われていた)は合う。ぼくは格闘技が苦手(痛そうなのを見て、何が楽しのだろう?)なので、一歩引いて見てしまうところがあるかもしれないが。8月25日から渋谷や銀座などで公開。


<先週の、ボブ・マーリー映画>
 先週は、ボブ・マーリーのドキュメンタリー映画、「ボブ・マーリー ルーツ・オブ・レジェンド」(米国/英国2012年映画)を渋谷・ショーゲート試写室で見た。スコットランド生まれのアカデミー賞受賞監督(ケヴィン・マクドナルド、1967年生まれ)によるもので、マーリーの遺族が全面的に協力したもののよう。こんな映像あるのかという興味深い映像と豊富な関連者証言をクールに噛み合わせた好作品。マーリー初心者は、アルバム群を含めてこれから入るのもアリではないか。一番の収穫(?)は、マーリーって下半身が暴れん坊な人でもあって、7人の女性を相手に11人の子供を得たという事実。うち、相手の1人は1976年ミス・インターナショナルの1位を得たジャマイカ代表。わお。彼女もちゃんと映画に出てくる。9月1日より、有楽町、渋谷、吉祥寺の3カ所で公開される。

 午前中、シネマート六本木で「コッホ先生と僕らの革命」という2011年ドイツ映画を見る。“独サッカーの父”と言われるらしい(英国留学後に英語教師として男子校に赴任した)若きドイツ人教師とその教え子たちのサッカーにからんだ1870年代の話を基にする映画だ。なんでも、保守的なところがあったドイツではそれまで英語教育はなされておらず、またサッカーも紹介されていなかったという。リーグの質はイングランドやスペインやイタリアよりは落ちるだろうが、リーグ運営という部分においてはそれ以上と言えるかもしれない成功を収めている今のドイツのサッカー界だが、サッカー自体が入って来たのはそんなに昔のことではないのか。それにしても、ドイツ映画なのに、当時のドイツ人気質をとってもイヤらしく描いていてビックリ。その駄目な部分がナチス台頭にも結びつき、戦前の日本のセコい島国根性ともばっちり親和性を持ったのだと思ってしまいしたとサ。

 丁寧に作っており、そおかあと頷きながら見ることができる映画とは思うが、山場の主人公たちの窮地が挽回される際の話の流れが雑に感じた。ぼくの理解能力が低いからかもしれないが。でも、サッカー好きには何かと精神衛生上いい作品ではある。それから、生徒のなかの重要な位置をしめる1人が、「小さな恋のメロディ」のマーク・レスターに似ている。9月15日からロードショウ。

 この映画の資料には“まさにドイツ版「いまを生きる」だ”という独プレスの言葉も紹介されていたが、夕方から、その「いまを生きる」を撮ったヴェテランのピーター・ウィアー監督の「ウェイバック 脱出6500km」を見る。2010 年の米国/アラブ首長国連邦/ポーランド映画、渋谷・ショーゲート試写室にて。こちらは第二次世界大戦時が舞台で、シベリアの強制労働収容所から何人かとともに逃げたルーマニア人を主人公とし、ソ連〜モンゴル〜(ゴビ砂漠)〜中国〜チベット〜インドと6500キロもひたすら歩いてエスケープした人たちの気の遠くなるような実話を基にするもの。その原案となった小説は「脱出記—シベリアからインドまで歩いた男たち」(ソニーマガジンズ)として訳本も出ているようだ。

 目茶、疲れたあ。頭の方は、極寒の暗い収容所のシーンが続き、脱収容所してからは、とにかく歩く歩く歩く。しんどい場面が、淡々2時間強。横になった仲間が死んで行くシーンは複数あるが、殺し合いのシーンもなく、危険な道を行っても転がり落ちちゃうような場面もなく、ましてや現地の人との軋轢や野生の動物に襲われるシーンもなく(蚊に悩まされる箇所はあっても)、とにかく喉の乾きや飢えと戦いながら、大自然のなか数人がひたすら歩いていくという内容。ふう、マゾの方はしびれちゃう? こりゃ、相当なM映画だ。監督は、当事者たちの微妙な心持ち/人間関係の変化を通しつつ、自由を求める崇高な人間的行為を描かんとしているはずだが、ぼくの感想はそれにつきました。役者は英国人や米国人が多く、主人公たちでかわされる会話は訛りを持つものの英語。それってアリなの(そんなに、みんな英語をしゃべれた?)と、少し突っ込みを入れたくなった。9月8日より、ロードショウ。

<今日の、敏感>
 そんなに暇でもないのに、ここところ、試写会に行く頻度が高い? そうか、試写場に行くと、冷房がきいているから? なーんて。←うーぬ、今年もエアコンを使わない方向で進んでいる。基本Sであるサトーの、数少ないM的行為か。この後、どうなるかは自分でも半信半疑ナリ。とはいえ、昨日の試写室も今日のそれも夕方のほうは、上着を着ていても、途中から寒さを感じたな。でも、Tシャツで同じ場にいて、平気そうな人もいるのもまた事実なんだけど。暑いとすぐ汗をかき、冷房が効いているとすぐに震える。なんとわがままな身体、いや正直なカラダであることよ。それにしても、昨日や今日の昼間の暑さは相当なものだが、陽が暮れると風もあるし、それなりに涼しくなるのは、今のところ何よりだ。今日は夜に一時雷がなり、雨も降った。

 アフリカン・アメリカンの上品なほう、白っぽいほうを行くことで、1960年代中期から日の当たる道を歩んで来ている大御所歌手を、南青山・ブルーノート東京で見る。1日1回のショウで、80分のパフォーマンス。会場は満員。洋楽ポップに触れた第一世代、ちょうどリタイヤ時期に入らんとする年齢層の人が少なくなかったか?

 けっこう来日公演は行っているはずだが、初めて、ぼくは彼女のショウを見る。1940年生まれだから、70歳少し超え。生理的にキラキラした服装&髪(短髪)で、肌はテカテカだったな。華と貫禄あり。マダム度、高し。年齢相応に声に押さえがきかなくなっている部分もあると感じたが、声量もあったし、問題は覚えない。バンドはピアノ、弦音や管音を担うキーボード、電気ベース、ドラム、パーカッション(彼のみ、ブラジル人)からなるバンドはみんな正装。なんか、襟を正したショウという感じは高まるか。そして、おなじみバート・バカラック曲をはじめとするゆったり目の曲を悠々披露して行く。MCやステージ運びも、堂にいりまくり。そんな余裕のショウに接して痛感するのは、米国のショービズ/エンターテインメント業界の積み上げてきたもの深みや華やかさ。それには、素直にほうっとなるしかない。

 続いて見たのは、1989年にUK 新機軸ソウル表現を突然変異的に送り出し、まさに一世を風靡したソウルⅡソウル。いやあ、彼らは本当に時代の音の送り手であったよなあ(と、細い目……)。首謀者ジャジー・Bが中心となったレゲエとクラブ・ビートが見目麗しく重なったリズムはグラウンド・ビートなどとも呼ばれ、当時のメインストリームのビートのあり方を変えてしまった。それは、プリンスのビート感覚が80年代中期にロックやソウルのそれを変えたように。彼らの実演(大人数で、ミステリアスな感じがあった)は90年初頭のバブル華やかなりし頃に汐留の季節限定会場で見た記憶があるが、それもまた遠い昔。ともあれ、ソウルⅡソウルが生んだ最大のスター、キャロイン・ウィーラー(2004年3月9日)が同行しているのがうれしい。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 PCで音だしをするジャジー・B(一部、前に出て来てラップもした)、控え目にパーカッション・パッドを叩く男性(一部、前に出て来て歌う)、男性ギタリスト、キャロン・ウィーラーと入れ替わりで中盤に歌った女性シンガー、3人のダンサー(バッキング・ヴォーカルという触れ込みであったが、リップ・シングのよう)、単純な音を出す2人のヴァイオリン奏者という陣容にて、分りやすくパフォーマンス。男3人、女性は7人。まあ、もう少し生音度数の高い設定でやって欲しいとは誰でも思ったろうし、かつて出していた得体の知れない魔法のようなものが出されることはなかった。だが、“サンプリング時代の、UKジャマイカンによるフィリー・ソウルなるものがソウルⅡソウルの表現であったのダとは再確認できた。

<昨日の、やりとり>
 浮気がばれ、頭を奇麗にまるめた奴をサカナに皆で楽しく飲む。そして、話はハズんで、坊主にするのと、髭をそるのと、髪の色を黒に戻すのでは、どれが一番、懺悔や反省の念があらわれるのかを皆で考える。それらが重なればなかなかに強力だろうという意見には、皆おおいに頷く。だが、ヒゲをのばさず(薄くて、あまり伸びないそう)、短髪(にせざるを得ない)のオレはどうしたらいいのか、と一人がポツリ。逆にズラをかぶったらいい、と、無責任な発言を誰かしたな。話はいろいろ盛り上がり、先輩だったらそういう窮地にはおちいることはないだろうから大丈夫ですよと一番若い奴がそいつを取りなしたら、とっても悲しそうな顔になった。ドンマイ。

 丸の内・コットンクラブで、ボサノヴァの大御所ギタリスト/プロデューサー/作曲家と、彼の手引きでポリグラムから80年代にアルバムを出したりもしている女性歌手のデュオ公演を見る。セカンド・ショウ、フル・ハウス。
 
 なんと、ピニェイロは電気ピアノ(35年前のヤマハのヴィンテージ。それが好みで、日本で探してもらったらしい)をつらつら弾きながら歌う。メネスカル(2010年5月25日)は終止ギター伴奏をつけるが、それはもろに米国ウェスト・コーストのジャズ流儀に則ったもの。こんなに、ジャズっぽい弾き方をする人だったのか。また、彼は適所で淡い感じのコーラスをつけて、それがいい感じ。似たような音色を持つ鍵盤音とギター音が効果的に噛み合ったり、2人の歌声の適切な重なりを見せたり、スパっと曲を終わらせる(曲数はけっこう多かったはず。もちろん、有名曲が主体)といったあたり、双頭アルバムも持つ2人の息の合い具合な〜かなか。ピニェイロは意外にさらり自然体というよりは喉に負担がかかりそうな歌い方を見せ、またときに音程も乱れるのだが、勝手知ったる後見人とともに、気風のよい悠々のマナーで聞かせきった。


<今日の、サーヴィス>
 会場チェックイン後のホワイエで、カサーシャのショットと子羊のもも肉ロースト(ラタトゥイユ添え)の皿を無料でサーヴしていて、わーい。前者は9月1日まで、後者は8月13日まで、続けられるよう。このヴェニュー、7月から18時半と21時スタートと、30分ライヴの開始時間が早まった。セカンドを見てからも余裕ができるので、個人的には歓迎かも。

エステル

2012年7月25日 音楽
 ジョン・レジェンドやカニエ・ウェストらの覚えもめでたい、1980年ロンドン生まれR&B歌手、六本木・ビルボードライブでの公演。ファースト・ショウ。サポートはキーボード、DJ、電気ベース、女性コーラス2人。ちゃんとバンドでやってもベース音は鍵盤でまかなう人もいるなか、この晩は逆だな。冒頭に古いジャズ・ヴォーカルを流すなか、黒い衣服でまとめた痩身の彼女が登場する。頭の布の巻き方は昔のエリカ・バドゥ(2012年3月2日、他)ふう。その際、MCは「グラミー賞受賞の、シンガー・ソングライター」と紹介。そうか、グラミー賞を取っているのか。

 いろいろ、他の担い手とは、差別化できる部分があったか。まず、出て来たとたん、座っている人々を力づくで立たせる。場が暖まりそういう所作に出る出演者は散見されるが、最初からというのは、ぼくが触れたライヴにおいては初めてか。強引な、おねえさん。で、2曲目は、印象的なモータウン調のベース・ラインで始まり、そのノリを咀嚼する曲をやるのかと思ったら、屈託なくスプリームスの「恋はあせらず」をやる。彼女はボブ・マーリー曲をカヴァーしたりもしたし、他の有名曲引用もあったはず。一方で、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の一部を広げたようなまったり哀愁曲も歌えば、ラップぽい歌い方を披露することもあったし、コーラス陣と絡むときもあれば、客をステージにあげる箇所もあれば、オールディーズ調(スタンダード曲?)をやんわり歌うときもあった。新作に入っていた「ワンダフル・ライフ」という曲は本当にいい曲だな。

 アンコールを含めて、ちょうど1時間のショウ。でも、盛りだくさんで、もう少し長く見ることがでたように感じた。歌自体の能力は図抜けたものではないと思うが、ブラック・ミュージックの積み重ねを見渡し、力づくで鷲掴みしたような感覚は思いのほかあって、ほうと頷く。その俯瞰する感覚はある意味、英国人らいいとも思えたな。


<今日の、寄り道>
 炎天、ぎんぎん。昼下がりに、南青山・ブルーノート東京。上原ひろみ(2011年12月12日、他)のザ・トリオ・プロジェクト(2011年9月3日)の短いショーケースのライヴを見た後、それほど遠くではないspace yuiでやっていた高橋キンタローさんの個展をのぞく。よくコンサートで顔を合わせてはいたが、本業のほうの作品を見るのは初めて。その人柄がよく出ているような。そして、知人と茶をしたりして、ビルボードライブ東京へ。その向かい側にある美容室の作りがすごい。奥にごーんと広がっていてわあ。いつからあるのか。公演後、近くでやっていた飲み会に顔を出すが、途中で酔いもありヘロる。明後日からは鬼のように体力を使うフジ・ロックだし、自重し先に失礼する。飲みの場に最後までいないのはいついらいか。

 天気のいい、雨のふらないフジ・ロックがこんなにも快適だとは。暑さがいやだから降ったほうがマルという知人もいたが、ぼくは雨ぜったいやだな。しかし、夜も気温が下がらず、昼間と同じ半袖でOKというのは初めてのような。それについては、地元の人も驚いていたようだ。今年は2日目とか3日目とかチケットが売り切れで、天候とは関係なく盛況、会場内外はかなりこんでいて(3日目グリーン・ステージの一番手、ギャラクティックのショウが盛況で驚いたが、すでにトリのレディオヘッドのための愛好家の場所とりがなされていたんだってね)、それについてはいつも以上にめげる場合もあったが、やっぱしフジは行ったら楽し〜。

 昔ほど場内を行ったり来たりすることはしなくなり、見るアーティスト数は減った。やっぱり体力、脚力おちているしなー、年齢相応の楽しみ方をしなくてはと、心がけた(かな?)。個人的な大サプライズはカリブ出身のスポークン・ワードの担い手、アンソニー・ジョセフ。とにかく、肉声遣いだけでなく、風体やアクションが格好いい! ジャズ・ファンク音を送るバンドもマルだったな。当初、グリーン・ステージやレッド・マーキーのザ・スペシャルズ(2009年8月8日)やスピリチュアライズドらを見ようと思っていたのだが、バディ・ガイ(2005年6月4日。望外に良かった、力があった)のピックアップ評を頼まれたので、そのまま奥地コート(オレンジ・コート)にいたら、すんごいのが見れちゃったという成り行きも感激を増幅させたかもしれない。ウーン、見れて良かった。その前後に、隣のフィールド・オブ・ヘヴンで延々3時間やっていたスティーヴ・キモック・バンドのキーボード奏者はなんとバーニー・ウォレル(2011年8月12日、他)で、びっくり。なんでも、ここんとこ一緒にやっているみたい。ドラマーはウォリー・イングラム(2003年5月21日)だった。

 アルト・サックスがかなりうまくなっていたシェウン・クティ(集団演奏もさらに磁力アップ! 11月に単独あり)にはインタヴューもしたが、好漢でサイコー。もう、父親のこともなんでも、気さくに語ってくれる。彼、頭がいいんだろう、次から次へとネタになることをずらずら連発。それは、毎日新聞とCDジャーナルに書く。ライヴについてはクロスビートにも。クティはぼくの髪型が気に入ったそう。って、あなたは坊主に近いフツーの短髪なんですけど。

<今日の、夢の国>
 ちょうど同じ日程でやっているはずの、ベルギーのDJ系大フェス“トモロウランド”にほんの少し思いをはせる。なんか、ステージのデザイン設定がすごいらしいよなー。会場でそのUストリーム中継見てる人いないかなー、一度ぐらいはのぞいてみたいなー。

 1986 年から1988年にかけて、アーロン・ネヴィル(2012年5月14日、他)を父に持つニューオーリンズ生まれのキーボード奏者はボニー・レイット、ザ・ローリング・ストーンズ、ロビー・ロバートソン、キーズ・リチャーズのアルバムに次々に参加する。そして、1988年に自らもポリドールから、スケールの大きなロック盤『If My Ancestors Could See Me Now』(当時はもちろん日本盤も出た)をリリース。それはニューオーリンズぽくはなかったものの、この後の剛毅なロック表現の20年はこの男が牛耳るという手応えを横溢させていて、ぼくはシビレまくった。その後もいろんな大物ロック・ミュージシャンにアイヴァン・ネヴィルは可愛がられ、リーダー作も出して来たが、残念ながら大きく抜きん出た存在となることはなかった。だが、ニューオーリンズ音楽界での存在感や重要度は増して行ったのは間違いなく、同音楽シーンの顔役的な人物という印象を持つ方もいるかもしれない。

 ダンプスタファンクは、そんなアイヴァン・ネヴィル(キーボード、歌。一部、ギターも)を中心に、同地恒例大フェスであるジャズ&ヘリティッジ・フェスティヴァルのために最初組まれたんだっけ? ともあれ、毎年そのニューオーリンズの有名フェスにでているようでもあるし、そのライヴ盤だけではなく、スタジオ録音作も出している。で、今回はフジ・ロックにお呼ばれし、ついでに東京公演もやった。渋谷・クラブクアトロ。

 まず、前座のブラック・ボトム・ブラス・バンド(2002年10月16日、他)が会場後ろから演奏しながら練り歩いて、ステージにあがる。そして、そこにアタマから加わるドラマーはなんとギャラクティック(やはり、今年フジに出演)のスタントン・ムーア。←本当にうれしそうに、叩く。わーい。両者の重なりはばっちり。やっぱ、BBBBっていいなー。アルト奏者がとったバリトン・サックスのソロはかなり良かった。若い小さな女性がトラペットで加わっていたが、新メンバーなのだろうか?

 そして、アイヴァン・ネヴィル、トニー・ホール(ベース、ギター、歌)、ニック・ダニエルズ(ベース、歌)、イアン・ネヴィル(ギター。2009年7月25日)、ニッキー・グラスビー(ドラム)という布陣〜基本、2ベース編成〜のダンプスタファンクの実演。過去、ドラマーはザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンドやパパ・グロウズ・ファンクにいたレイモンド・ウェバー(2012年2月15日、他)が叩いていたはずだが、今は若い女性に変わっている。

 そのパフォーマンスは完全なジャム。荒々しく、ごんごんとリフを重ねて行くという感じ。ロック度もCDで聞く以上に高い感じもあったが、それは新ドラマーの叩き口がもたらす部分も大きかったかもしれない。あまり溜めのないそれはソウライヴ(2012年5月25日、他)のアラン・エヴァンス的な感じ(彼も、溜めをもたずロックっぽいと言われる)あり、また更に力づくなドカスカ感を彼女は相当に持つ。彼女のドラミングを見ながら、上原ひろみ(2012年7月25日、他。彼女もフジ・ロックに出演。熱い声援を受けていた)はロック的なドラマーを雇いたいなら、どこか不毛な部分をぼくは感じてしまうサイモン・フィリップスなぞを雇わずに彼女を雇えばいいのにと思わずにはいられず。

 インスト部中心、非ニューオーリンズなカヴァー曲多し。歌はアイヴァンが一番歌うが、ホールやグラスビーのほうがうまい。ザ・ミーターズの「アフリカ」はその地名を連呼する部分を「ニューオーリンズ」と代えて披露(「アフリカ」を「ハリウッド」としカヴァーしたのは、ザ・レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)。スタントン・ムーアが出て来て叩いたのは、この曲だっけか。デイヴィッド・ボウイの「フェイム」(2011年6月22日、参照)も屈託なく披露していたな。あと、ファンカデリックの「ワン・ネイション・アンダー・ア・ブルーヴ」もやった。最後に、BBBBも加わるかなーと思って見ていたら、それはなし。残念っ。

<今日の、CD>
 会場で知人に、ダンプスタファンクのマネージャーを紹介してもらう。LA(ルイジアナではなく、ロス・アンジェルスの略ね)のシルヴァーバックという会社のお兄ちゃんで、現在フィッシュボーンも同社に所属とか。わーい。そのジョンさん、同社所属アーティストのCD群を裏から持って来てくれる。ダンプスタファンク以外のブツ群は、皆レゲエをやるバンドだった。