いわき

2011年3月18日 音楽
 16日のシンディ・ローパーの項で、いわき在住の母のことに触れたら、いたわりや心配の連絡等をいただいたので、その後のことを書いておきます。もっと酷く、ままらならない状況の方々がいるのに、自分本位の記述で申し訳ない。

 その後、一度脱出を誘ってくれた向かいの家族は(道がすいているだろう)夜中にとにかく行けるところまででも行こうと出発。中途半端なところに連れていかれるときついし、母よりは10歳ほどは年下だそうだがおじいちゃんが少し具合が悪そうなので、母が乗らなければ横になっていけるだろうという判断で、母は誘いを断ったという。が、配給の水を運んでくれる人もいなくなったわけで、17日の夕方には迎えに行くしかあるまいと判断。情報を収集すると、高速は閉鎖となっているものの、上りはいわき中央ICから乗れるようになっているという。

 最大の問題は、ガソリン。今、ぼくの車には8割弱の量が入っている。はたして、ちゃんと往復できるか。やはり、満タンで出かけたい。夕方から、ガソリン・スタンドを探すものの、物凄い列になっているか、閉鎖されている。ともあれ、ある給油所の列に並ぶと今日はおしまいです、と言われる。その後、高樹町のデカいスタンドが開いているのを見つけ長い列の末尾にならんだら、やはりもう駄目ですと言われる。ヘコんだなあ。給油所さがしで、余分なガソリンを使ってしまった。夜、電話で話すと、大丈夫だし、夜は絶対に来るなと、母は言う。ここで、彼女の気持ちを乱してもしょうがない。だが、ぼくも心配で心配でたまらない(こんなに、食欲がなくなったの、マジはじめて)し、原発事故は長引くだろうし、明けたらいわきに向かおうと心にきめた。

 明けて、18日。いろいろニュースを見たり、水もなくなってきたらしく、不安になったようで、電話をすると迎えにきてほしいと、初めて母が言う。車に入っているガソリンで東京まで帰れるか不安だが、賭け、だ。母も途中で止まってもいいから、と言う。

 で、7時30分すぎに出発。首都高から常磐道に入る。初めて、ピーター・バラカンさんのFM番組を聞く。知っている人の声を聞いて、少し落ち着く(実は、ぼくもけっこうテンぱってました)。途中のサーヴィス・エリアは給油しようとする車の列が本線にまで伸びようとしている(それは、上りも)。燃費のことを考え、なんの根拠もないが、90キロ走行を取る。往路は、水戸手前の友部(以北は閉鎖)でおろされ、以下は一般道(国道6号)を進むが、けっこう渋滞している。それはあちこちで起きていて、ガソリン・スタンドに並ぶ車の列が引き起こすもの。気がせく。途中、カーナヴィは交通状況が変わりましたのでルート変更しますといって、大きく迂回する道を指示するが、ガソリンの消費量が心配なので無視。一般道では、ぼくはマニュアル車に乗っているので、ニュートラル多用。できるだけ、燃費の良い運転をこころがける。途中の北茨城市あたりで、道の端に津波でやられた廃棄物がつんであったり。いわき市に入ると、ほとんど人は見ない。が、ぼくの通った道すがらは、見た目は地震関係の被害はほとんど目につかない。ずっと、浦安のほうがやられているような気がした。

 普段は2時間ちょいのところを6時間かけて、実家に。ここらへん、いると決めた人はいるし、避難すると決めた人は結構でているよう。一緒に乗せるような人はいない、とか。それで、荷物を乗せ、母と東京に向かう。帰りはすぐに高速に乗れて、いたって順調。後は、ガソリン消費との戦い、のみ。途中から、どんどん緊張がほぐれていく。ガソリンが危なかったら、水戸の知人の家に車を置かせてもらって、駅前からでているという東京駅行きのバスに乗ろう。もし、母が疲労しているようなら、ホテルに泊まってもいいとか、いろいろ考えていた。が、ガソリンのメーターは過剰に減っておらず、このまま行けそう! 途中で、知人にぼくの家の近くのホテルの手配を依頼。そのほうが、母もゆっくり寛げるだろうから(わがままな佐藤家はそういうところ、とても現実的)。結局、無事もどれた。俺、ガサツなくせにエコ走行の達人? 初めて、ルノー車って燃費がいいんだと認識した。とにかく、こんなに運転席に座り続けたのは初めて。家につくと左足にかるくマメっぽいのができていた。クラッチを切るとき、力が入っていたんだろうな。

 車で聞いていたのは、ラジオ放送が主。あと、なぜか車にあった、再結成後の10ccの昔のCDを聞いた。和めた。それから、FM放送で流れたケニー・G、わるくないじゃんと思い、びっくり。ぼくの大好きなタイプの音楽は逆に平穏な時の音楽なんだなと、実感。今回、ぼくが当事者の方に入るのだなと思えたのは、原発の報道に関しての所感。普通だったら、ちゃんと情報開示せんかいとか不満を持つところ、今回はぜんぜん異なる思いを得た。オブラートに包んで、できるだけ希望が持てるように報道してくれ、と。だって、母のような境遇にいる人は家に留まる事をしいられ(母が住む郷ケ丘は第一原発から40キロぐらい)、鉄道が止まっているため自分では逃げる事ができない。だけど、TVは付けっぱなしにしていて、彼女達は唯一と言っていいだろう情報をそこから得る。ゆえに、過剰な安心を与えてはいけないが、絶望ではなく、報道は少しでも希望が持てるものであってほしいではないか。


<今日の、公演>
 上のような顛末なので、見れなかったが、下北沢でUKパブ・ロック系シンガー/ハーピストのルー・ルイスの来日公演があったはず。実は、大学時代に、彼の「ミスター・バーテンダー」という曲をやったことがあります。さぞや、熱いライヴになったんだろなー。