横浜・サムズアップ。すごく混んでいると言われていたが、パパ・グロウズ・ファンク(2009年7月27日、他)のときよりは混んでいなかったような。ま、今トップに通受けしている米国人個性派アーティストであり、人気プロデューサーの初来日公演だもの、混んで当然か。小津や黒沢映画や俳句をはじめ、日本の文化にも多大な興味を持っているにもかかわらず、よく今までやって来なかったものだ。今回の編成はドラムレス編成(なんか、ジャズ大好きゆえか、そんときでいろいろと編成は変わってもOKだし、それに合わせてギグは出来ると、彼は考えている。日本にやってくる前に、ブルーノートNYでやった公演にはマーク・リーボウ;2009年12月13日他は当然のこと、ドン・バイロンやアーロン・パークス;2008年11月22日らがゲスト入りしたという。やはり共演した息子であるリード奏者のリヴォン・ヘンリーは高校を出て今はNYの学校でシャズを勉強中で、パークスは彼の紹介だそう)で、ベース奏者のデイヴィッド・ピルチとキーボード奏者のパトリック・ウォーレンという近年のヘンリー関与作の常連さんを連れてのもの。90年代に何度もホリー・コール(2007年1月15日)のバッキングで来日していたピルチはジャズ・フュージョン畑から出てきて今はポップ仕事が多くなっている人で、ウォーレンは西海岸ポップ系レコーディングのファースト・コールと言える有名人の仕事をいろいろしている。
2本のヴィンテージ・ギター(一つは、オープン・チューニングをしていたよう)を弾きつつ、まっすぐに(ときに、暑苦しく)歌を開いて行く。アルバムを聞くとけっこうシアトリカルというか、けっこう芝居気たっぷりに歌うという感じもあるのだが、生のほうが素直に歌っているという感想も得る。ピルチはウッド・ベースだけを弾くものの、時にはボディを叩いたりするのを含め、多彩な弾き口で伴奏をつける。ウォーレンのキーボード音はコードをがんがん押えて曲の骨格を作るというよりは、ヘンリーのギター弾き語りにいろんなヴァリエーションを付けんとするように趣味良く音を足していくという感じ。ヘンリーはアコースティック・ギター(一本はけっこうボディが薄め)にプラグしての演奏。ギターは古いものが好きで25本ぐらい持っているという。一つ驚いたのは、ピルチが足でシェイカー音を曲によっては出していたこと。が、それがけっこうズレていたりするわけで、気持ち悪いし、一度気になるとほんと気になってしょうがなかった。ヘンリーさん、意外にライヴでは鷹揚/無頓着な人なのかな。なんでも、ピルチは先にあった大阪公演ではベース・ドラム音も足で出していたというが。
それから、ピアノを弾きながら歌う曲(しんみり同数が増す?)も数曲。なんにせよ、簡素な編成できっちり1時間半強を見せきる力と気持ちの強さには感服。誠実な感じも出ていたし。
この前日には、ヘンリーにインタヴュー。さすが、取材する人はいろんなことを聞きたくなるようで、1時間おして取材は始まる。おかげで、後に入れていた予定を一つ飛ばさざるをえなかった。彼には米国ツアー中の3月初旬にもメール・インタヴューをしていたのだが、ほうこんな人なのかあ。一言でいえば、大人で紳士。彼は高校時代の学友と結婚していて、相手はあのマドンナ(2005年12月7日)の妹さん。ばしっと格好を決めていて、絶対にLAでは浮きそうなその体に触れラルゴで見たジョン・ブライオン(2007年7月19日)の様を思い出し、それを伝えると「僕はあんな安い格好してないと思うけど」。二人は、それぞれにエイミー・マン(2009年8月25日、他)の制作をしていますね。好きなブランドは、ポール・スミス。プラダも好きだけど、あれを日常で用いるほど若くないとのこと。
彼の作風は映像的で文学的(けっこう、プロデュース作でライナー・ノウツまで担当していたりもする)なことで知られるが、今回はレナード・コーエンの「ビューティフル・ルーザー」という古い本と14世紀の詩集を持ってきているとか。新作『ブラッド・フロム・レターズ』を作るときに録音参加者のイメージを統一するために皆に配った映画はフランス産の「チルドレン・パラダイス」(英題では。彼は、フランス語の原タイトルも流暢に言った。フランス語はできるんですかと訊ねたら、知っている単語はコレだけ、とか言っていましたが)という45年の作品だそう。そんなところにも表れているように、彼は古いものの価値をきっとり確かな審美眼で見分け、また愛でている。それは、音楽ももちろん同様で、“ジャズやブルースやR&Bといった豊かな米国の財産を、今の視点で捉え直して、今後に繋ぐ”というような回路を彼のプロダクツは持つと言っていいのかもしれない。それについての答えも興味深かったが、雑誌記事掲載は先なので伏せておこう。
歌う事は=役者をすること、プロデューシング=映画監督そのもの、とか。高校のころは演劇部にも入っていた彼だが、お兄さんは文章を書く仕事をしていて、一緒にリチャード・プライヤーを扱った脚本を書いたこともあるという。来世はミュージシャン以上に、映画監督になることを切望とか。そういう話を聞きながら、サッカー第一主義者で、サッカー監督になりたくて、プロデュースもすべて監督の考え方でやっていると言っていたキップ・ハンラハン(2003年3月8日、他)のことを思い出す。ハンラハンは笑っちゃうぐらいに、欧州フットボールのエンスー。彼、ロシアの血をひくからサッカー好きなんじゃないかとか、言っていましたが。
マドンナとオーネット・コールマン(2006年3月27日)、それぞれのプロデュース作を聞いてみたいです、と最後にヘンリーに伝える。ちなみに、前者は二人で意欲的に話していて、実現性大。後者は、本人も本当にやってみたい最たる人であるとか。そんな彼、まず良き家庭人であらんと心がけている(今回、ローティーンの娘を連れて来日)そうで、自宅スタジオ作業は11時〜7時に限定しているとのこと。その話を聞いて、大昔に取材した際の、ランディ・ニューマンの話を思い出した。「僕は作曲用にオフィイスを借りていて、毎日そこに出向くんだ。9時〜5時、と決めてね。会社員みたいだろ」。
2本のヴィンテージ・ギター(一つは、オープン・チューニングをしていたよう)を弾きつつ、まっすぐに(ときに、暑苦しく)歌を開いて行く。アルバムを聞くとけっこうシアトリカルというか、けっこう芝居気たっぷりに歌うという感じもあるのだが、生のほうが素直に歌っているという感想も得る。ピルチはウッド・ベースだけを弾くものの、時にはボディを叩いたりするのを含め、多彩な弾き口で伴奏をつける。ウォーレンのキーボード音はコードをがんがん押えて曲の骨格を作るというよりは、ヘンリーのギター弾き語りにいろんなヴァリエーションを付けんとするように趣味良く音を足していくという感じ。ヘンリーはアコースティック・ギター(一本はけっこうボディが薄め)にプラグしての演奏。ギターは古いものが好きで25本ぐらい持っているという。一つ驚いたのは、ピルチが足でシェイカー音を曲によっては出していたこと。が、それがけっこうズレていたりするわけで、気持ち悪いし、一度気になるとほんと気になってしょうがなかった。ヘンリーさん、意外にライヴでは鷹揚/無頓着な人なのかな。なんでも、ピルチは先にあった大阪公演ではベース・ドラム音も足で出していたというが。
それから、ピアノを弾きながら歌う曲(しんみり同数が増す?)も数曲。なんにせよ、簡素な編成できっちり1時間半強を見せきる力と気持ちの強さには感服。誠実な感じも出ていたし。
この前日には、ヘンリーにインタヴュー。さすが、取材する人はいろんなことを聞きたくなるようで、1時間おして取材は始まる。おかげで、後に入れていた予定を一つ飛ばさざるをえなかった。彼には米国ツアー中の3月初旬にもメール・インタヴューをしていたのだが、ほうこんな人なのかあ。一言でいえば、大人で紳士。彼は高校時代の学友と結婚していて、相手はあのマドンナ(2005年12月7日)の妹さん。ばしっと格好を決めていて、絶対にLAでは浮きそうなその体に触れラルゴで見たジョン・ブライオン(2007年7月19日)の様を思い出し、それを伝えると「僕はあんな安い格好してないと思うけど」。二人は、それぞれにエイミー・マン(2009年8月25日、他)の制作をしていますね。好きなブランドは、ポール・スミス。プラダも好きだけど、あれを日常で用いるほど若くないとのこと。
彼の作風は映像的で文学的(けっこう、プロデュース作でライナー・ノウツまで担当していたりもする)なことで知られるが、今回はレナード・コーエンの「ビューティフル・ルーザー」という古い本と14世紀の詩集を持ってきているとか。新作『ブラッド・フロム・レターズ』を作るときに録音参加者のイメージを統一するために皆に配った映画はフランス産の「チルドレン・パラダイス」(英題では。彼は、フランス語の原タイトルも流暢に言った。フランス語はできるんですかと訊ねたら、知っている単語はコレだけ、とか言っていましたが)という45年の作品だそう。そんなところにも表れているように、彼は古いものの価値をきっとり確かな審美眼で見分け、また愛でている。それは、音楽ももちろん同様で、“ジャズやブルースやR&Bといった豊かな米国の財産を、今の視点で捉え直して、今後に繋ぐ”というような回路を彼のプロダクツは持つと言っていいのかもしれない。それについての答えも興味深かったが、雑誌記事掲載は先なので伏せておこう。
歌う事は=役者をすること、プロデューシング=映画監督そのもの、とか。高校のころは演劇部にも入っていた彼だが、お兄さんは文章を書く仕事をしていて、一緒にリチャード・プライヤーを扱った脚本を書いたこともあるという。来世はミュージシャン以上に、映画監督になることを切望とか。そういう話を聞きながら、サッカー第一主義者で、サッカー監督になりたくて、プロデュースもすべて監督の考え方でやっていると言っていたキップ・ハンラハン(2003年3月8日、他)のことを思い出す。ハンラハンは笑っちゃうぐらいに、欧州フットボールのエンスー。彼、ロシアの血をひくからサッカー好きなんじゃないかとか、言っていましたが。
マドンナとオーネット・コールマン(2006年3月27日)、それぞれのプロデュース作を聞いてみたいです、と最後にヘンリーに伝える。ちなみに、前者は二人で意欲的に話していて、実現性大。後者は、本人も本当にやってみたい最たる人であるとか。そんな彼、まず良き家庭人であらんと心がけている(今回、ローティーンの娘を連れて来日)そうで、自宅スタジオ作業は11時〜7時に限定しているとのこと。その話を聞いて、大昔に取材した際の、ランディ・ニューマンの話を思い出した。「僕は作曲用にオフィイスを借りていて、毎日そこに出向くんだ。9時〜5時、と決めてね。会社員みたいだろ」。