マシュー・スウィート&スザンナ・ホフス
2010年4月3日 音楽 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。定時にステージに出てきたミュージシャンは4人。女性がバングルズにいたスザンナ・ホフスというのは、すぐに了解。そして、彼女の中央側横に座った男がいたんだが、これが巨漢。感じとしては、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズが相当に太ったと言いたくなる感じ。衣服はイージーにして、ムサい。でも、MCは彼がこなしていくし、コノ人ガましゅー・すうぃーとニ違イナイ、となる。かつての印象(90年代前半に、ライヴを見たことがあるように記憶するが)とは、まったくもって別人。彼の渡日の航空機の席がビジネス・クラス以上でありますようにと、祈らずにはいられなかった。あまりにびっくりして、余計なこと考えちゃったよ〜。
バンドを経て80年中期からパワー・ポップの才人としてリーダー作を発表、近年はLAの自己スタジオをもちいた裏方仕事もしているためか、レギュラーなリーダー作を挟んで、ホフスと一緒に息抜き的カヴァー・アルバムを2枚もリリースしたりもし、今回の来日はその路線を踏むもの。で、ほとんどノリ一発みたいな、肩の力がぬけた素直なカヴァー実演を飄々と披露する。男性陣3人(うち一人は、元ヴェルヴェット・クラッシュ、ニュー・ルインズのポール・チャステイン)は基本生ギターをじゃかじゃか弾き、ホフスも生ギターを手にする曲もある。歌はホフスとスウィートがけっこう一緒に取り(ハモりながら、という場合が多いか)、基本は笑顔の和みの場を提供しましょうというもの。リトル・フィート(2000年12月8日)の「ウィーリン」からバングルズの「マニック・マンデイ」(プリンスが変名で提供した曲ですね)までいろいろやったが、驚いたのはトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)の美曲「ハロー・イッツ・ミー」のとき。この曲だけ、ホフスのハーモニー・ヴォイスはちょい狂いがちで、男性陣のギター・コードの付け方もなんか違和感あり。ラングレンの微妙な才が活きまくった、難しい曲なんだとアと実感させられました。
ホフスはスウィートに比べると外見上の劣化は少なく、いかにもアメリカのサバけたロックおばさんという感じ。全米1位曲も出しているバングルズを育てたのは後のフィッシュボーン(2007年4月6日、他)の育ての親でもあるCBSコロムビアの社員A&Rでもあったデイヴィッド・カーン(彼、近年はポール・マッカートニーと仲良し)。で、スウィートの86年コロムビア発の初リーダー作を制作したのもカーン。というのはともかく、いまだ眩しさをほのかに持つホフスの歌に触れて、ぼくはナタリー・アークエンジェルのことを思い出さずにいられなかった。アークエンジェルはやはりカーンが87年にコロムビアから送り出した自作派女性歌手だったのだが、ぼくはそのデビュー作がもう大好きで大好きで♡。プリンス並みの才を持つ、なんてのぼせたはずだもの。綺麗な人で、胸もデカかった(ちゃんと、プロモ来日したことあり)。ぼくは痩せた女性が好きで胸の大きさにはこだわらない人だったが、彼女に会っていこう、胸が大きいのもいいかもしれないと思うようになった(かな?)。90年代に入ると彼女はMCAからアルバムを出したりもしたが、それはだいぶ魅力は減じていた。ナタリーさあん、今どーしてますかあ?
バンドを経て80年中期からパワー・ポップの才人としてリーダー作を発表、近年はLAの自己スタジオをもちいた裏方仕事もしているためか、レギュラーなリーダー作を挟んで、ホフスと一緒に息抜き的カヴァー・アルバムを2枚もリリースしたりもし、今回の来日はその路線を踏むもの。で、ほとんどノリ一発みたいな、肩の力がぬけた素直なカヴァー実演を飄々と披露する。男性陣3人(うち一人は、元ヴェルヴェット・クラッシュ、ニュー・ルインズのポール・チャステイン)は基本生ギターをじゃかじゃか弾き、ホフスも生ギターを手にする曲もある。歌はホフスとスウィートがけっこう一緒に取り(ハモりながら、という場合が多いか)、基本は笑顔の和みの場を提供しましょうというもの。リトル・フィート(2000年12月8日)の「ウィーリン」からバングルズの「マニック・マンデイ」(プリンスが変名で提供した曲ですね)までいろいろやったが、驚いたのはトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)の美曲「ハロー・イッツ・ミー」のとき。この曲だけ、ホフスのハーモニー・ヴォイスはちょい狂いがちで、男性陣のギター・コードの付け方もなんか違和感あり。ラングレンの微妙な才が活きまくった、難しい曲なんだとアと実感させられました。
ホフスはスウィートに比べると外見上の劣化は少なく、いかにもアメリカのサバけたロックおばさんという感じ。全米1位曲も出しているバングルズを育てたのは後のフィッシュボーン(2007年4月6日、他)の育ての親でもあるCBSコロムビアの社員A&Rでもあったデイヴィッド・カーン(彼、近年はポール・マッカートニーと仲良し)。で、スウィートの86年コロムビア発の初リーダー作を制作したのもカーン。というのはともかく、いまだ眩しさをほのかに持つホフスの歌に触れて、ぼくはナタリー・アークエンジェルのことを思い出さずにいられなかった。アークエンジェルはやはりカーンが87年にコロムビアから送り出した自作派女性歌手だったのだが、ぼくはそのデビュー作がもう大好きで大好きで♡。プリンス並みの才を持つ、なんてのぼせたはずだもの。綺麗な人で、胸もデカかった(ちゃんと、プロモ来日したことあり)。ぼくは痩せた女性が好きで胸の大きさにはこだわらない人だったが、彼女に会っていこう、胸が大きいのもいいかもしれないと思うようになった(かな?)。90年代に入ると彼女はMCAからアルバムを出したりもしたが、それはだいぶ魅力は減じていた。ナタリーさあん、今どーしてますかあ?