コン・ファンク・シャン
2009年8月2日 音楽 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。もちろん、過去見せたライヴ・パフォーマンス(2007年1月10日、2008年3月21日)の延長上にある、おいしいさ山盛りのファンキー・ショウを8人でたっぷりと披露する。送り手に熱意あり、受け手も目一杯熱い気持ちを彼らに返す。米国黒人音楽をそうたらしめる襞/種のようなものを拾っていったら、鞄が重くなって帰れなくなっちゃうかも。マイケル・ジャクソン曲も披露。
前にも書いたことがあるが、ガキのミュージシャンをぼくは好まない。長い人生、いろいろ遊んだり経験したりし成人してからデビューしたっていいじゃん……という、けっこう保守的(?)な考え方をする人間であるのだ。少年少女でデビューした人を見ると、もっとばんばん異性経験つんでから出直してこいやと暴言をはきたくなるワタシです。ザ・ジャクソン5の黄金の輝きは才あるお子ちゃまでなくては得られなかったことを百も承知ながら(かけがえはないけど、でもぼくにとっては不可欠な表現ではないのかな?)。
ニッキはカナダの15歳のジャズ歌手(この9月から高校生になるという)、そのショーケースのライヴがザ・プリンス パークタワー東京のメロディラインであった。上の理由でそんなに期待せずに接したのだが、なるほどこりゃ売り出されても不思議はないなと頷く。若さゆえの天真爛漫さとジャズの奔放さが無理なく溶け合うヴォーカル表現を出していたもの。エリントンの「A列車で行こう」で始まったパフォーマンスは父親かそれより年長のおっさんたちのコンボを従えてのもの(それで、札幌のジャズ祭に出たりもしたようだ)で、両親や同級生の友達と一緒に来日しているそう。
普通のジャズのサウンドに乗って、伸び伸びと歌いこなす(9曲歌う。意外にヴォリュームありました)。確かに歌えるし、それなりにジャズの流儀も初々しくモノにしている。チャーリー・クリスチャンやベニー・グッドマンが書いた「エアメイル・スペシャル」ではエラ・フィッツジェラルドばりにすべてスキャットでとおしちゃう。一方、3曲目だかにはジミ・ヘンドリックスの「ウィンド・クライズ・マリー」を落ち着いたアレンジでやったりも。ジャズをちゃんと歌うようになったのは13 才からだそうで、スティーヴィー・ワンダーやビヨンセらポップ歌手もお好きだそう。加ユニヴァーサル発ではすでに純ジャズ作を出している彼女だが、現在フィル・ラモーン制作で録っているインターナショナル盤はジェシー・ハリスやワイクリフ・ジョンも関与しているようで、もっとポップな広がりを持つものになる可能性が大かな。まあ、どうにでも行けるタレントだろうけど。
女性は露骨な声変わりもないし、無理なく、息長く行けるのかな。てなことを帰り道に同業者に言うと、「女性も声変わりするじゃないですか。スピードなんて、最初と最後のほうじゃぜんぜん声が違いますよ」と言われる。あ、そうなのー。確かにニッキさんの歌声はまだ子供という感じもするけど。
ところで、かつてはジャズ・クラブとして毎晩運営されていた(はずの)会場のメロディラインだが、今は常時営業をやめて貸しホール(結婚式の二次会とかに用いられるのかな?)として使われているよう。そういえば、ここで会った知り合いが、渋谷のセルリアン・タワーにあるJZブラットはホテルが運営しているのではなく、テナント貸しであると聞いてびっくり。で、その箱を運営していた会社が潰れて、今は新しいところがやっているんだとか。
その後、途中下車して、南青山・月見ル君想フ。まず、ベルギー人ドラマー(ダニエル・ジョドシー、ブラジリアン・ガールズの08年作でも叩いている)とキーボードや装置を扱う日本人(山本祐介)による、NYを媒介とするユニットのDIZZY VENTILATORSを見る。今っぽい立ちと冒険する気持ちを持つ、響きや奥行きにも気をつかったインスト表現を二人は聞かせる。つづいては、DETERMINASIONSやBUSH OF GOHSTSといったレゲエ派生のバンドで活躍してきた女性キーボーディストのyossyとトランペット奏者(ここではトロンボーンを吹く)のicchieのユニットのYOSSY LITTLE NOISE WEAVERがバンド編成にて。天衣無縫でしなやかなキーボード音や歌を中央におく、閃きと素養あふれるポップ・ミュージックを提供。途中までしかきけなかったが、いい感じでした。
ニッキはカナダの15歳のジャズ歌手(この9月から高校生になるという)、そのショーケースのライヴがザ・プリンス パークタワー東京のメロディラインであった。上の理由でそんなに期待せずに接したのだが、なるほどこりゃ売り出されても不思議はないなと頷く。若さゆえの天真爛漫さとジャズの奔放さが無理なく溶け合うヴォーカル表現を出していたもの。エリントンの「A列車で行こう」で始まったパフォーマンスは父親かそれより年長のおっさんたちのコンボを従えてのもの(それで、札幌のジャズ祭に出たりもしたようだ)で、両親や同級生の友達と一緒に来日しているそう。
普通のジャズのサウンドに乗って、伸び伸びと歌いこなす(9曲歌う。意外にヴォリュームありました)。確かに歌えるし、それなりにジャズの流儀も初々しくモノにしている。チャーリー・クリスチャンやベニー・グッドマンが書いた「エアメイル・スペシャル」ではエラ・フィッツジェラルドばりにすべてスキャットでとおしちゃう。一方、3曲目だかにはジミ・ヘンドリックスの「ウィンド・クライズ・マリー」を落ち着いたアレンジでやったりも。ジャズをちゃんと歌うようになったのは13 才からだそうで、スティーヴィー・ワンダーやビヨンセらポップ歌手もお好きだそう。加ユニヴァーサル発ではすでに純ジャズ作を出している彼女だが、現在フィル・ラモーン制作で録っているインターナショナル盤はジェシー・ハリスやワイクリフ・ジョンも関与しているようで、もっとポップな広がりを持つものになる可能性が大かな。まあ、どうにでも行けるタレントだろうけど。
女性は露骨な声変わりもないし、無理なく、息長く行けるのかな。てなことを帰り道に同業者に言うと、「女性も声変わりするじゃないですか。スピードなんて、最初と最後のほうじゃぜんぜん声が違いますよ」と言われる。あ、そうなのー。確かにニッキさんの歌声はまだ子供という感じもするけど。
ところで、かつてはジャズ・クラブとして毎晩運営されていた(はずの)会場のメロディラインだが、今は常時営業をやめて貸しホール(結婚式の二次会とかに用いられるのかな?)として使われているよう。そういえば、ここで会った知り合いが、渋谷のセルリアン・タワーにあるJZブラットはホテルが運営しているのではなく、テナント貸しであると聞いてびっくり。で、その箱を運営していた会社が潰れて、今は新しいところがやっているんだとか。
その後、途中下車して、南青山・月見ル君想フ。まず、ベルギー人ドラマー(ダニエル・ジョドシー、ブラジリアン・ガールズの08年作でも叩いている)とキーボードや装置を扱う日本人(山本祐介)による、NYを媒介とするユニットのDIZZY VENTILATORSを見る。今っぽい立ちと冒険する気持ちを持つ、響きや奥行きにも気をつかったインスト表現を二人は聞かせる。つづいては、DETERMINASIONSやBUSH OF GOHSTSといったレゲエ派生のバンドで活躍してきた女性キーボーディストのyossyとトランペット奏者(ここではトロンボーンを吹く)のicchieのユニットのYOSSY LITTLE NOISE WEAVERがバンド編成にて。天衣無縫でしなやかなキーボード音や歌を中央におく、閃きと素養あふれるポップ・ミュージックを提供。途中までしかきけなかったが、いい感じでした。
ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」
2009年8月4日 音楽 渋谷・文化村オーチャードホール。マチネー公演を見に行く。やっぱ、大掛かりなものを見るのは新鮮だし、素直に感銘をうけますね。
NYを舞台とする、プエルトリコ系とポーランド系のチーマー同士の抗争のなかにロミオとジュリエット的なラヴ・ストーリーを重ねたもので、初演は57年夏。初演50周年を記念して欧州などをまわったものが日本に来ているという。随所でいろいろリファインされているところはあるのかな。オーケストラ・ピットには管、弦、ジャズ的単位のカルテットなど、25人(?)ほどのミュージシャンが。けっこう日本人が雇われていたが、チャンさんという中国系指揮者によって導かれる音楽は感心しっぱなし。というか、大御所米国人クラシック指揮者であるレナード・バーンスタインによる音楽の素晴らしさに今更ながら頷く。クラシック、ジャズ、ラテン、R&B、ポピュラーなんかの要素を自在に用いるそれは本当にお見事。にして、「トゥナイト」とか心の琴線に入り込む好メロディもあるのだら、感心するしかない。で、いろいろ手を変え品を変え、踊りや動きのあるシーンが置かれ繋がっていくのだから、ドキドキしながら見れちゃいますね。
NYを舞台とする、プエルトリコ系とポーランド系のチーマー同士の抗争のなかにロミオとジュリエット的なラヴ・ストーリーを重ねたもので、初演は57年夏。初演50周年を記念して欧州などをまわったものが日本に来ているという。随所でいろいろリファインされているところはあるのかな。オーケストラ・ピットには管、弦、ジャズ的単位のカルテットなど、25人(?)ほどのミュージシャンが。けっこう日本人が雇われていたが、チャンさんという中国系指揮者によって導かれる音楽は感心しっぱなし。というか、大御所米国人クラシック指揮者であるレナード・バーンスタインによる音楽の素晴らしさに今更ながら頷く。クラシック、ジャズ、ラテン、R&B、ポピュラーなんかの要素を自在に用いるそれは本当にお見事。にして、「トゥナイト」とか心の琴線に入り込む好メロディもあるのだら、感心するしかない。で、いろいろ手を変え品を変え、踊りや動きのあるシーンが置かれ繋がっていくのだから、ドキドキしながら見れちゃいますね。
エミリー・クレア・バーロウ
2009年8月5日 音楽 また、カナダ人ジャズ・シンガーを見る。そして、カナダのジャズ水準はなかなかだな、なぞと思う。父親がカナダ・ジャズ界の重鎮ベーシストであるというバーロウさんは凛とした感じの、聡明そうな女性で、サポート陣はギター、テナー・サックス、ウッド・ベースという変則布陣。前回来日時はピアノやドラムがいたそうで、なるほど自在にワーキング・バンドを替えているのか。ふふふと思ってしまったのは、今回のバッキング奏者の風体。30代半ばだろうダーク・スーツに実をかためた彼らはみんな短髪/メガネで、生マジメ銀行員ふう。とくに、サックス奏者は50年代のリー・コニッツにけっこう似ている(顔がもう少しふっくらしている感じ)。
そんな彼らによる端正/繊細なサウンドに乗ってバーロウは小粋ヴォーカルを楽に乗せて行く。アタマのほうはちょい質感が薄いかと思ったが、途中からはそうした疑問も溶け、軽妙傾向にある純ジャズ歌手としていい線行っているナとしかと思う。4曲は歌いながらシェイカーを振ってのボサノヴァ曲。そのさいはポルトガル語で歌ったりも。機知に富むMC(日本語の散りばめ方もうまい)をはじめショウの進め方や見せ方にも留意する彼女は10センチはあろうかというハイヒールをはいていた。もしかして歌いづらくなるのかもしれないが、それもまた一番いい感じに見られるようにしたいというまっとうなプロ意識ゆえですね。そう、いろんなとこで、彼女はとてもまっとうなジャズ歌手だった。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
そんな彼らによる端正/繊細なサウンドに乗ってバーロウは小粋ヴォーカルを楽に乗せて行く。アタマのほうはちょい質感が薄いかと思ったが、途中からはそうした疑問も溶け、軽妙傾向にある純ジャズ歌手としていい線行っているナとしかと思う。4曲は歌いながらシェイカーを振ってのボサノヴァ曲。そのさいはポルトガル語で歌ったりも。機知に富むMC(日本語の散りばめ方もうまい)をはじめショウの進め方や見せ方にも留意する彼女は10センチはあろうかというハイヒールをはいていた。もしかして歌いづらくなるのかもしれないが、それもまた一番いい感じに見られるようにしたいというまっとうなプロ意識ゆえですね。そう、いろんなとこで、彼女はとてもまっとうなジャズ歌手だった。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
サマーソニック2009
2009年8月8日 音楽 1月に買ったばかりのマック・ブックのenter/returnキーが二つに割れる。ありゃあ。キーの反応が鈍いと保護ビニールをめくったら、そうなっていてびっくり。サポートセンターに電話をかけると、その部分は保証適用外で、45.150円の修理代を取るという。ちょっと理不尽じゃないと言うと、そうですよねえと同意しつつ、重ねて保証はききませんとのたまう。でも、アップル社下請けの修理の会社だったらもっと安くあがると思いますといって、渋谷・桜ヶ丘の会社の電話番号を教えてくれる。で、連絡をとってみたら、キーは保証に入らない部分ながら、保証期間内なので保証が切れた値段も適用されないので、9万いくら(!)かかるとか、そーゆうことを丁寧にぬかしやがる。あーん、買ったときだって14万円強だったゾ。かように、この世の中は不可解なもので……。じゃ、4万5千円のほうが全然マシ。もう一度アップルに電話をし、修理を依頼する(その一件について、アップルって下請けを巻き込んでセコい商戦術を取るのだナと感想を漏らす知人がいた)。すると、すべてが初期化される可能性があるので、バックアップを取らなければならず、電気屋にDVD-Rを買いに走り、サポートセンターの親切な指図でそれを行い……とか、やっていたら夕方になってしまった。遅めに行ってもNINとかは見たいと思っていたのだが、今年から3日間開催となったサマーソニック=幕張に行くのはヤメにする。そのあたりでザンザン雨が降ってきたが、マリーン球場のNINのステージは土砂降りだったらしい。PCを指定の宅急便会社が取りにくるのは月曜。一応、動く旧マック・ブックはあるがなんか反応が遅いし、あんましそれで原稿は打ちたくない。この週を休息に使いなさいということか。免許の書き換えもしておくべきだろうし、実家に戻ってお墓参りの運転手もしなきゃいけないし(鵠沼海岸に行った翌日に実家に戻ったらとても湿度が低く、避暑地みたいでびっくり。というか、湘南のあの日の夜の湿度は人間基準法違反だったなー)、まいっか。と、これが8月7日(金)の話、なり〜。(→結局、メイカーの良心の呵責があったためか、なんと水曜にあっさりと修理済みのPCが家に届く。早いっ。データーも残っていた)
で、8日。13時ごろに幕張についたら、周辺の駐車場がすべて満杯でびっくり。こんなんこと、初めてだ。ビーズの公演が決まってこの中日だけ売り切れたらしいが(でも、ぼくが見た出し物はどのステージもすいていたけど)。会場に一番近い30分200円の駐車場に25分ぐらい待って入庫。今日最初の目当ては、球場側にあるアイランド・ステージのパトリッック・ワトソン(2008年11月12日)。間に合わないと悲しいので、メッセ・エリアから球場までタクっちゃう。彼らはぼくが大好きなイマジネイティヴな現代歌心ロックのカナダのバンドだが、やはり素晴らしい。何がいいって、どうすれば発想豊かな自分たちのポップ・ミュージックを作れるかということを楽しみながら考えまくり、定石を疑い、それを成就させているのが分かるところ。だから、ライヴでも彼らはいろんな楽器の用い方をしたりもする(それノリとしては、ちょっとゴメス;2002年2月3日に似ているかも)し、彼らはまっとうに冒険/試行していると思わせられるのだ。そして、その結果として、通り一遍のロックの先に自分たちの歌心と風情溢れる表現を獲得しているのだから。偉い偉い偉い。カナダの先輩ルイス・フューレイが出していたような不条理な迷宮感覚との相似を一部覚えさせる箇所もあるが、かつてメール・インタヴューしたさいは、それについての質問はスルーだった。最後はスピーカーが複数ついたものを背中に背負いながら歌うリーダーを頭にみんなでフロアに降りてきて、そのまま去る。パトリック・ワトソン、万歳!
メッセに戻ってきて、スウェーデン発バンドのマンドゥ・ディアオ(マウンテン)を少し見る。ガレージな佇まいを発していたこともあったが、女性ヴォーカルが加わっていたりするそれはけっこう愛想が良かったな。エゴ・ラッピン(マウンテン、2006年12月13日、他)、ザ・ホラーズ(ソニック)、ミシュカ(ビーチ)、トム・トム・クラブ(ダンス)なども見る。ザ・トーキング・ヘッズ派生の笑顔の“外し”男女混合ダンス・ポップ・バンドであるトム・トム・クラブは少し青春が蘇る感じも。過去の焼き直しだが、他愛のないフリも含めて、ときにフフフ。
マウンテンに出たエルヴィス・コステロ(2006年5月31日〜6月2日、他)は側近バンドのジ・インポスターを率いてのもので、のっけから突っ走る。すぐに思い出したのは、オースティン・シティ・リミッツでの熱演の様(2004年9月19日)。で、すぐに合点の行くところ、ありましたね。彼はフェス出演と通常の単独公演を使い分けている。自分のファン以外も来るフェスではよりごんごん明解に突き進むノリでショウを進め、両手をさらに広げる感じで多様な聞き手を捉えようとしている……さすがヴェテラン、わきまえている。もしかすると、大勢の人を前にすると、単純に心のメーターが振り切れてしまうだけかもしれないが。なにせよ、フェスのコステロは過剰で面白い、とは言えるはず。その後、ダンスで南米育ちのヨーピアンDJのルシアーノを見る。PCを扱う彼と打楽器奏者の掛け合いを導入に、ラップトップ・セッションてな趣きのショウが始まる。ステージ上にはラップトップを前にする5人(だったかな?)、そして客に背を向けるように位置するルチアーノが指揮者のように全体を司る。おもしろいのは、ヴィジョンにラップトップ担当者の音配分がカラフルに図示されるところ。それ、正確なものではないかもしれないが、分かりやすい娯楽性を導きだしていた。
英国2トーン表現の看板的なザ・スペシャルズのショウ(マウンテン)は文句なく楽しく、光っていた。過去のサマーソニックではザ・スペシャルズ→ビートという流れを持つ両バンドのメンバーたちによるザ・スペシャル・ビートという名前のグループが出演した(2005年8月14日)ことがあったが、やっぱ一つのほうがやりやすいし、鮮やかなイメージを出しやすいのでは。別に新しいことはやってないはずだが、洒落のめそうとする意思を持つ大人数バンドが弾けながらスカ調のイナセなビート・ポップを送り出しいく様はほんといい感じで、輝いていた。白人と黒人がくんずほぐれつという風情もいいやね。そして、彼らに触れながら、山中湖のほうでは、東京スカパラダイスオーケストラ(2009年5月30日、他)が中心となる海外バンドも呼んだ東京スカ・ジャンボリーという催しが今日開催されているのを思い出す。どうだったのかなー。
で、8日。13時ごろに幕張についたら、周辺の駐車場がすべて満杯でびっくり。こんなんこと、初めてだ。ビーズの公演が決まってこの中日だけ売り切れたらしいが(でも、ぼくが見た出し物はどのステージもすいていたけど)。会場に一番近い30分200円の駐車場に25分ぐらい待って入庫。今日最初の目当ては、球場側にあるアイランド・ステージのパトリッック・ワトソン(2008年11月12日)。間に合わないと悲しいので、メッセ・エリアから球場までタクっちゃう。彼らはぼくが大好きなイマジネイティヴな現代歌心ロックのカナダのバンドだが、やはり素晴らしい。何がいいって、どうすれば発想豊かな自分たちのポップ・ミュージックを作れるかということを楽しみながら考えまくり、定石を疑い、それを成就させているのが分かるところ。だから、ライヴでも彼らはいろんな楽器の用い方をしたりもする(それノリとしては、ちょっとゴメス;2002年2月3日に似ているかも)し、彼らはまっとうに冒険/試行していると思わせられるのだ。そして、その結果として、通り一遍のロックの先に自分たちの歌心と風情溢れる表現を獲得しているのだから。偉い偉い偉い。カナダの先輩ルイス・フューレイが出していたような不条理な迷宮感覚との相似を一部覚えさせる箇所もあるが、かつてメール・インタヴューしたさいは、それについての質問はスルーだった。最後はスピーカーが複数ついたものを背中に背負いながら歌うリーダーを頭にみんなでフロアに降りてきて、そのまま去る。パトリック・ワトソン、万歳!
メッセに戻ってきて、スウェーデン発バンドのマンドゥ・ディアオ(マウンテン)を少し見る。ガレージな佇まいを発していたこともあったが、女性ヴォーカルが加わっていたりするそれはけっこう愛想が良かったな。エゴ・ラッピン(マウンテン、2006年12月13日、他)、ザ・ホラーズ(ソニック)、ミシュカ(ビーチ)、トム・トム・クラブ(ダンス)なども見る。ザ・トーキング・ヘッズ派生の笑顔の“外し”男女混合ダンス・ポップ・バンドであるトム・トム・クラブは少し青春が蘇る感じも。過去の焼き直しだが、他愛のないフリも含めて、ときにフフフ。
マウンテンに出たエルヴィス・コステロ(2006年5月31日〜6月2日、他)は側近バンドのジ・インポスターを率いてのもので、のっけから突っ走る。すぐに思い出したのは、オースティン・シティ・リミッツでの熱演の様(2004年9月19日)。で、すぐに合点の行くところ、ありましたね。彼はフェス出演と通常の単独公演を使い分けている。自分のファン以外も来るフェスではよりごんごん明解に突き進むノリでショウを進め、両手をさらに広げる感じで多様な聞き手を捉えようとしている……さすがヴェテラン、わきまえている。もしかすると、大勢の人を前にすると、単純に心のメーターが振り切れてしまうだけかもしれないが。なにせよ、フェスのコステロは過剰で面白い、とは言えるはず。その後、ダンスで南米育ちのヨーピアンDJのルシアーノを見る。PCを扱う彼と打楽器奏者の掛け合いを導入に、ラップトップ・セッションてな趣きのショウが始まる。ステージ上にはラップトップを前にする5人(だったかな?)、そして客に背を向けるように位置するルチアーノが指揮者のように全体を司る。おもしろいのは、ヴィジョンにラップトップ担当者の音配分がカラフルに図示されるところ。それ、正確なものではないかもしれないが、分かりやすい娯楽性を導きだしていた。
英国2トーン表現の看板的なザ・スペシャルズのショウ(マウンテン)は文句なく楽しく、光っていた。過去のサマーソニックではザ・スペシャルズ→ビートという流れを持つ両バンドのメンバーたちによるザ・スペシャル・ビートという名前のグループが出演した(2005年8月14日)ことがあったが、やっぱ一つのほうがやりやすいし、鮮やかなイメージを出しやすいのでは。別に新しいことはやってないはずだが、洒落のめそうとする意思を持つ大人数バンドが弾けながらスカ調のイナセなビート・ポップを送り出しいく様はほんといい感じで、輝いていた。白人と黒人がくんずほぐれつという風情もいいやね。そして、彼らに触れながら、山中湖のほうでは、東京スカパラダイスオーケストラ(2009年5月30日、他)が中心となる海外バンドも呼んだ東京スカ・ジャンボリーという催しが今日開催されているのを思い出す。どうだったのかなー。
サマーソニック2009
2009年8月9日 音楽 この日も、駐車場が満車で車をとめるのに苦労する。うーぬ、こうなると電車で来た方がいいかな、飲めるし。会場を歩きながら、やはりサマソニの客層のほうがフジ・ロックより若いなあと改めて思う。それと、こっちもたまにベビー・カーを見るが、赤ちゃん連れは圧倒的にフジのほう多い。
まず見たのは、ビヨンセの妹のソランジュ(ダンス・ステージ)。あら、髪をばっさり短くして、遠目にはダイアナ・キングみたい。太腿、パツンパツン。ショウのイントロは故アイザック・ヘイズの「シャフト」のテーマ曲、その胸騒ぎ曲を演奏するバンドを伴ってのそれはほぼヒップホップ色を払拭したヴォーカル路線を取ると書けるか。どこか洗練されていないともそれは思わせるが、いい人そうなのはよく伝わる。とともに、姉がいかに突出しているのかも。この時間、マリン・スタジアムでやっていたエレファントカシマシも見たかったな。10年強前にアルバムを聞いて、日本人のロックとしてはかなり上質と感じたことがあったから。
この日は多少空の雲行きが怪しいなあというところがあったのだが、再活動なったザ・ヴァセリンズを見ているときに、かなり強い雨が降ったよう。で、野外の小ステージであるシーサイド・ガーデンでSaigenji(2009年3月14日、他)のショウを見ていたら、またそれなりに激しく降ってくる。が、それをものともせず、強く、しなやかで、聞き手も無理なく参加させるショウを展開していた彼には感服。歌は朗々と、ギター演奏はスキルフルに。こういう場だと、ミュージシャンとしての姿勢のありかた、強さのようなものがストレートに出てしまいますね。
そして、ビーチ・ステージに急いで、ウォーのステージにおっかなびっくり触れる。と、書くのも、ほとんどオリジナル・メンバーはいないはずであるから。でも、かつて胸を焦がした西海岸の混合ファンクの雄の実演にはしかと触れたかった。ステージ中央に位置しキーボードを弾き主に歌う人物がリーダーシップを取り、ギター、電気ベース、ハーモニカ、ドラム、パーカッション、リードという7人編成は全盛期のまま。で、彼らは見事に全盛期の躍動や広がりやしぶとさや粘りや味わい深さを持つ表現を嬉々として送り出してくる。昨年のスライ・ストーンほどではないが、一部往年の有名曲に新たな和声感覚やビート感覚の書き加えを施していたりも(それ、奏者たちの個性の噛み合いで自然にそうなった部分もあるか)。いつの間にかけっこう客も集まり、みんなうれしそうに身体を揺らしていたが、それも当然と喝采をあげる。ウォーの名盤に2枚組の73年ライヴ盤があるが、この日のライヴ盤があるなら、それを棚の奥にしまってもいいと思える大好演。で、最後のMCでリーダーシップを取っていたのが一昨年にファンタジー/コンコードからリーダー作を出し来日公演も行ったオリジナル・メンバーのロニー・ジョーダン(2007年11月6日)と知る。わあ! 彼に起用されたミュージシャンたちは皆腕達者、本当に米国はミュージシャンの層が厚いナ。再来日を切望します。
その後、マリン球場に行き、ニーヨ(2006年6月7日)のステージを見る。でかいステージを適切豪華な設定や構成で持て余す事なく使うそれ、やっぱ感心させる。ここには、今のR&B界を代表する伸び伸びと自分を出した若鮎くんがいるぞと実感できたもの。と、思ったら、次に出たビヨンセ(2001年6月25日、2006年9月4日)はよりステージ設定に凝り、完全に単独公演レベルのショウ設定にしていて、すげえ。もう、いろんんな意味で桁違い。プロ意識に貫かれた華あるエンターテインメント感覚の壮絶な具現、それが見事になされていたのは心の狭いロック愛好者でも実感せずにはいられなかったのでは。あと、ニーヨにせよビヨンセにせよ、ロック・リスナーを夢中にさせちゃうぞみたいな意気込みはあったんじゃないか。なんにせよ、今年のサマソニの東京公演の最終日の終盤を盛り上げたのはブラック・アクトだった。
いろいろな属性を持つ出演者が一堂に会し、その選択権は受け手に委ねられる。なんでもありなか、受け手はいろんなものを受け取ったり、知ったりするパスポートを得る。それこそが大音楽フェスティヴァルのいいところなのダと今更ながら思いました。
まず見たのは、ビヨンセの妹のソランジュ(ダンス・ステージ)。あら、髪をばっさり短くして、遠目にはダイアナ・キングみたい。太腿、パツンパツン。ショウのイントロは故アイザック・ヘイズの「シャフト」のテーマ曲、その胸騒ぎ曲を演奏するバンドを伴ってのそれはほぼヒップホップ色を払拭したヴォーカル路線を取ると書けるか。どこか洗練されていないともそれは思わせるが、いい人そうなのはよく伝わる。とともに、姉がいかに突出しているのかも。この時間、マリン・スタジアムでやっていたエレファントカシマシも見たかったな。10年強前にアルバムを聞いて、日本人のロックとしてはかなり上質と感じたことがあったから。
この日は多少空の雲行きが怪しいなあというところがあったのだが、再活動なったザ・ヴァセリンズを見ているときに、かなり強い雨が降ったよう。で、野外の小ステージであるシーサイド・ガーデンでSaigenji(2009年3月14日、他)のショウを見ていたら、またそれなりに激しく降ってくる。が、それをものともせず、強く、しなやかで、聞き手も無理なく参加させるショウを展開していた彼には感服。歌は朗々と、ギター演奏はスキルフルに。こういう場だと、ミュージシャンとしての姿勢のありかた、強さのようなものがストレートに出てしまいますね。
そして、ビーチ・ステージに急いで、ウォーのステージにおっかなびっくり触れる。と、書くのも、ほとんどオリジナル・メンバーはいないはずであるから。でも、かつて胸を焦がした西海岸の混合ファンクの雄の実演にはしかと触れたかった。ステージ中央に位置しキーボードを弾き主に歌う人物がリーダーシップを取り、ギター、電気ベース、ハーモニカ、ドラム、パーカッション、リードという7人編成は全盛期のまま。で、彼らは見事に全盛期の躍動や広がりやしぶとさや粘りや味わい深さを持つ表現を嬉々として送り出してくる。昨年のスライ・ストーンほどではないが、一部往年の有名曲に新たな和声感覚やビート感覚の書き加えを施していたりも(それ、奏者たちの個性の噛み合いで自然にそうなった部分もあるか)。いつの間にかけっこう客も集まり、みんなうれしそうに身体を揺らしていたが、それも当然と喝采をあげる。ウォーの名盤に2枚組の73年ライヴ盤があるが、この日のライヴ盤があるなら、それを棚の奥にしまってもいいと思える大好演。で、最後のMCでリーダーシップを取っていたのが一昨年にファンタジー/コンコードからリーダー作を出し来日公演も行ったオリジナル・メンバーのロニー・ジョーダン(2007年11月6日)と知る。わあ! 彼に起用されたミュージシャンたちは皆腕達者、本当に米国はミュージシャンの層が厚いナ。再来日を切望します。
その後、マリン球場に行き、ニーヨ(2006年6月7日)のステージを見る。でかいステージを適切豪華な設定や構成で持て余す事なく使うそれ、やっぱ感心させる。ここには、今のR&B界を代表する伸び伸びと自分を出した若鮎くんがいるぞと実感できたもの。と、思ったら、次に出たビヨンセ(2001年6月25日、2006年9月4日)はよりステージ設定に凝り、完全に単独公演レベルのショウ設定にしていて、すげえ。もう、いろんんな意味で桁違い。プロ意識に貫かれた華あるエンターテインメント感覚の壮絶な具現、それが見事になされていたのは心の狭いロック愛好者でも実感せずにはいられなかったのでは。あと、ニーヨにせよビヨンセにせよ、ロック・リスナーを夢中にさせちゃうぞみたいな意気込みはあったんじゃないか。なんにせよ、今年のサマソニの東京公演の最終日の終盤を盛り上げたのはブラック・アクトだった。
いろいろな属性を持つ出演者が一堂に会し、その選択権は受け手に委ねられる。なんでもありなか、受け手はいろんなものを受け取ったり、知ったりするパスポートを得る。それこそが大音楽フェスティヴァルのいいところなのダと今更ながら思いました。
おお、写真よりルックスがいいぞ。それは、誰でも感じたんではないかな。けっこう、俳優のジム・キャリーに似ている。サポートはギター奏者とウッド・ベース奏者。噛み合いに気を使うコンサバな弦楽器音のバッキングを受け、スマートにスーツを着こなす彼はピアノを弾き、歌う。ときには、観客席側を向き、歌うことに専念したり、ストライドっぽい弾き方をしたりとか、いろいろと引き出しは豊富。なるほど、和み色男系ジャズ・シンガー+αとして必要な流儀や作法はおおかた身につけているという感じ。ハリー・コニックJr.(2000年3月31日)があれだけビッグな存在になったんだから、彼の今後は前途洋々なはずだ。丸の内・コットンクラブ、ファースト。
お、小柄で乱暴なパーマをかけたような髪型や気安い風体は、ヤンキー上がりの大阪のおばちゃんみたい(良く知らないが、イメージとして)。だけど、その芸風はやはり東京というよりは大阪だろう。ブルーノート東京(セカンド・ショウ)、電気ベーシストとドラマー(とっても、ハイハット音が正確に立っていた)を従えてのパフォーマンス。
ブラジル出身の跳ねっ返りジャズ・ピアニスト/シンガー(1948年生まれ)であり、早くから外に出て欧州で活動基盤を作り、コンコードやEMI他から作品を出している、クラブ・ミュージック筋にもそれなりに受けがいい人物。20代中期から基本、フランスを拠点としているのかな。ほとんどの曲でヴォーカルやスキャット(自在なそれはブラジル的機知とクロスする)をかましつつ、奔放な指さばきを聞かせる。ボサ曲もやればスタンダードもやり、自作曲(83年曲「カム・ウィズ・ミー」はチャートには入っていないが、確かに耳馴染みあるキラー的な曲)もあり。諸手を広げたおきゃんさは一部ではフュージョン的な行き方とも重なったり。なんにせよ、確かな個性がありました。
80年代から10回を超えるほど来日公演を行っている人だが、ぼくは見るのは今回が初めて。もともと憎からず感じている人だし、よくこれまで見る機会を持たなかったものだと、逆に感心(?)。
ブラジル出身の跳ねっ返りジャズ・ピアニスト/シンガー(1948年生まれ)であり、早くから外に出て欧州で活動基盤を作り、コンコードやEMI他から作品を出している、クラブ・ミュージック筋にもそれなりに受けがいい人物。20代中期から基本、フランスを拠点としているのかな。ほとんどの曲でヴォーカルやスキャット(自在なそれはブラジル的機知とクロスする)をかましつつ、奔放な指さばきを聞かせる。ボサ曲もやればスタンダードもやり、自作曲(83年曲「カム・ウィズ・ミー」はチャートには入っていないが、確かに耳馴染みあるキラー的な曲)もあり。諸手を広げたおきゃんさは一部ではフュージョン的な行き方とも重なったり。なんにせよ、確かな個性がありました。
80年代から10回を超えるほど来日公演を行っている人だが、ぼくは見るのは今回が初めて。もともと憎からず感じている人だし、よくこれまで見る機会を持たなかったものだと、逆に感心(?)。
今年の彼女のブルーノート公演はウィル・リー(2008年12月7日、他)とクリス・パーカーという二人の米国東海岸敏腕スタジオ系奏者を従えてのもの。旧知の間柄でもあり、矢野顕子(2008年12月14日、他)もくつろぎつつ、心を許してライヴを楽しんでいるという感じ。3人がともにお互いを認め合い、アイコンタクトや笑顔を交わしつつ、おなじみの矢野曲がこの日のヴァージョンとして編み上げられていく。なるほど、”矢野顕子トリオ”かも。前年のマーク・リーボウとのデュオ・パフォーマンス(2008年8月3日)のような跳びや刺は望むべくもないが、おいしい天衣無縫な自在さは横溢。うれしい、音楽醸造の場……。
パーカーはスタッフでスティーヴ・ガッドとコンビを組んで名前が知られるようになった人だが、もともとはウッドストック周辺でポール・バターフィールドやボニー・レイットらとやっていた。ブルーノート東京に山ほどサイドマンで出ているだろう(ハイラム・ブロック関連が多いかな。2003 年6月12日、2001年5月31日、他)リーは曲によってはコーラスを付けたり、少しリード・ヴォーカルを取ったりも。そのいい感じの様(だいぶ前にクスリ地獄を脱し爽やかにお茶目に、いい人っぽくパフォーマンスにあたっている様はホントに良い感じだ)に触れながら、またヴォーカル・アルバムを作らないかなあと思う。彼のゴー・ジャズ発の93年リーダー作『Oh!』(もしかして、彼唯一のリーダー作?)は秀逸な大人ポップ作。権利を持つ(丸の内の)コットンクラブは新曲加えて出し直したりしないかな。南青山・ブルーノート東京、セカンド。
パーカーはスタッフでスティーヴ・ガッドとコンビを組んで名前が知られるようになった人だが、もともとはウッドストック周辺でポール・バターフィールドやボニー・レイットらとやっていた。ブルーノート東京に山ほどサイドマンで出ているだろう(ハイラム・ブロック関連が多いかな。2003 年6月12日、2001年5月31日、他)リーは曲によってはコーラスを付けたり、少しリード・ヴォーカルを取ったりも。そのいい感じの様(だいぶ前にクスリ地獄を脱し爽やかにお茶目に、いい人っぽくパフォーマンスにあたっている様はホントに良い感じだ)に触れながら、またヴォーカル・アルバムを作らないかなあと思う。彼のゴー・ジャズ発の93年リーダー作『Oh!』(もしかして、彼唯一のリーダー作?)は秀逸な大人ポップ作。権利を持つ(丸の内の)コットンクラブは新曲加えて出し直したりしないかな。南青山・ブルーノート東京、セカンド。
フラワー・トラヴェリン・バンド
2009年8月20日 音楽 35年もの間を空けて昨年再結成なったインターナショナル進出した先駆け的日本人ロック・バンドの、ライジング・サン・ロック・フェスティヴァルから流れるツアーの東京公演。メンバーの合計年齢は300歳を超えるようだが、それぞれじじむさくないいい感じの歳の取り方をしていて、全体的にはとてもさばけた、風通しのいい所感を接する者に与える。曲の多くはたっぷりと演奏パートを取り、かなり長め。でも、リード・ヴォーカルのジョー山中は歌っていない時間を持て余す感じもなく。バンド、だな。渋谷・デュオ。昨年のときより(2008年7月2日)、昔の曲を少し多くやるようになったか。それは米国数カ所のツアーを経たから(やはり、米国のリスナーは往年のナンバーを求めるに違いない)ということもあるのかな。なお、この日の模様はライヴ・レコーディングされ商品化されるようで、そういう意味でも今のノリが加味された旧曲が増えるのは必然であるのかな。
あのマーヴィン・ゲイも頭を垂れたメロウ・ソウルの名作曲家である偉人(と書いても差し支えない存在でしょう)は過去にも来日公演をした事があるようだが、ぼくは初めて見る。現在スタックスとアーティスト契約を持つ彼だが、もともとパフォーマーとしての印象は強くはなく、数々の名曲/洗練された雰囲気を生み出した個体の襞に触れられればと、ぼくは軽い気持ちで会場に向かった。と、書きつつ、実は何気にけっこう高揚してもいたかな。
丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。キーボート、ギター、ベース、ドラム、女性ヴォーカルを従えてのもの。で、マイケル・ジャクソン、ダニー・ハサウェイ、マーヴィン・ゲイ、ミニー・リパートン、クインシー・ジョーンズ、マックスウェルらに取り上げられた美曲、その他を次々に訥々と歌って行く。決してうまくはないし、声量もあまりない。でも、誠実に歌われるそれはしっかりと心のなかに入ってきた。マイクを持って歌う本人は小柄ながらスリムな体型を保っていて、40年生まれという事実よりは若く感じるかな。ハート・ウォームそうでもあったし、品格もあった。アンコール曲ではピアノの弾き語り、にて。
丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。キーボート、ギター、ベース、ドラム、女性ヴォーカルを従えてのもの。で、マイケル・ジャクソン、ダニー・ハサウェイ、マーヴィン・ゲイ、ミニー・リパートン、クインシー・ジョーンズ、マックスウェルらに取り上げられた美曲、その他を次々に訥々と歌って行く。決してうまくはないし、声量もあまりない。でも、誠実に歌われるそれはしっかりと心のなかに入ってきた。マイクを持って歌う本人は小柄ながらスリムな体型を保っていて、40年生まれという事実よりは若く感じるかな。ハート・ウォームそうでもあったし、品格もあった。アンコール曲ではピアノの弾き語り、にて。
映画「あがた森魚 ややデラックス」。エイミー・マン。ジャザノヴァ
2009年8月25日 音楽 まず、京橋映画美学校第二試写室で、シンガー・ソングライターのあがた森魚のドキュメンタリー映画(竹藤佳世監督。10月10日から、シアターN渋谷で早朝/深夜公開)を見る。還暦を迎える彼が昨年8月の北海道から年末にかけて全国64カ所をキャンピング・カーで回るツアーの様子、および今年の2月22日に東京の九段会館で行われた特別仕立て公演“あがた森魚とZIPANG BOYZ號の夜”のリハや当日の模様(参加者のコメントもあり)を繋いだもの。あがた森魚に関しては殆ど聞いた事がなく、リッチではない簡素な設定のツアーの実演場面に触れてもぼくの好みとはかなり離れていてああそうですかで終わってしまうが、フォーク方面のツアーのあり方や機微を感じられるのはマル。現在、ものすごく過密状態の音楽家ツアー生活を送っている中川五郎(2005 年6月17日、他)さんのそれもそうなのかと興味津々に見れちゃう。なんでも撮っていいよと言っていたのだろう、飲んだときとかの、ときにメンドクセーぞと思わずにはいられない部分も写し取られている。そして、映画のハイライト部となる鈴木慶一(2004年12月12日)らはちみつぱい勢や矢野顕子(2009 年8月19日、他)らゲストいろいろの九段会館公演の部分は伴奏が充実している(ザ・バンドを洗練させたみたい、と思わせるときも)ためもあり、無理なく楽しめ、また彼が個性あるソングライターであることも確認できた。
次は渋谷・AXで、ティル・チューズデイを経て、93年からソロとして活動している自作派女性シンガーを見る。冒頭で「普段やらないような曲を、アコースティック・セットで」とMCしたように、ギター(ときにベース)を弾きながら歌う彼女に二人のキーボード奏者(一部、打楽器やベース等を手にするときも)がサポートする形でショウは進められる。が、良く噛み合っていたそれは、彼女の作る曲趣や凛とした個体が支える歌の良さをくっきりと出していたのではないか。少なくても、普通にバンドでやった前回来日公演(2005年10月4日)のときとは訴求力は雲泥の差。古い曲やマニアックな曲にオーディエンスはおおいに湧く。本当に彼女の熱心なファンって少なくないんですね。もう少しで50歳になっちゃうマンさん、遠目にはいい女にも見えました。
そして、六本木・ビルボードライブ東京に移動し、もう10年以上にもわたって質の高いクラブ・ミュージック経由のジャジー表現を送り出しているドイツのDJ集団ジャザノヴァのバンド(全9人編成)によるセットを見る(セカンド・ショウ)。ここでは打楽器を扱ったステファン・ライゼリングとアクセル・ライネメアの選抜構成員以外はアディッショナルな奏者たちであったのかな。ヴァーヴから出した新作『オブ・オール・ザ・シングス』は生音多用のふくよかな歌物ジャジー・ソウル作だったが、ここでもそう形容できるだろう音をソロ演奏もフィーチャーしつつ、屈託なく送り出していた。かつて、やはりジャザノヴァの構成員であるアレキサンダー・バークは今回来日したステファン・ライゼリングらとシーフという歌心と閃き満載のロック・ユニットによる『サンチャイルド』というアルバム(もう、最高!)を出した事があったが、あれの実演見てえ〜。
次は渋谷・AXで、ティル・チューズデイを経て、93年からソロとして活動している自作派女性シンガーを見る。冒頭で「普段やらないような曲を、アコースティック・セットで」とMCしたように、ギター(ときにベース)を弾きながら歌う彼女に二人のキーボード奏者(一部、打楽器やベース等を手にするときも)がサポートする形でショウは進められる。が、良く噛み合っていたそれは、彼女の作る曲趣や凛とした個体が支える歌の良さをくっきりと出していたのではないか。少なくても、普通にバンドでやった前回来日公演(2005年10月4日)のときとは訴求力は雲泥の差。古い曲やマニアックな曲にオーディエンスはおおいに湧く。本当に彼女の熱心なファンって少なくないんですね。もう少しで50歳になっちゃうマンさん、遠目にはいい女にも見えました。
そして、六本木・ビルボードライブ東京に移動し、もう10年以上にもわたって質の高いクラブ・ミュージック経由のジャジー表現を送り出しているドイツのDJ集団ジャザノヴァのバンド(全9人編成)によるセットを見る(セカンド・ショウ)。ここでは打楽器を扱ったステファン・ライゼリングとアクセル・ライネメアの選抜構成員以外はアディッショナルな奏者たちであったのかな。ヴァーヴから出した新作『オブ・オール・ザ・シングス』は生音多用のふくよかな歌物ジャジー・ソウル作だったが、ここでもそう形容できるだろう音をソロ演奏もフィーチャーしつつ、屈託なく送り出していた。かつて、やはりジャザノヴァの構成員であるアレキサンダー・バークは今回来日したステファン・ライゼリングらとシーフという歌心と閃き満載のロック・ユニットによる『サンチャイルド』というアルバム(もう、最高!)を出した事があったが、あれの実演見てえ〜。
なんかキラキラしていて、弾けていて、グっと来させるところもあって。全曲単独自作曲を歌ったデビュー作『素顔のローラ』(アトランティック)を聞いたときには、こりゃ鮮やかなR&Bニューカマーだと浮かれた(今年の、ぼくの女性アクトNo.1になるのではないか)が、その手応えは少し素人っぽい部分も残すライヴも同様だな。87年アイルランド生まれ/育ちのアフリカ系シンガーで、サポートはキーボード、ベース、ドラム、トランペット、女性ヴォーカルという布陣。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
それなりに身長もありそう(に、見えた)な彼女は見た目だけで天真爛漫というか、とても性格が良さそう。でもって、接した人に“立った”何かを両手を広げるような感覚で与えるような所を持つ。音楽以前に、それだけで応援したくなっちゃうよ〜。で、ちゃんといい曲をかけて、それなりに伸び伸びと歌えるんだから、いいタマではないか。基本はピアノを弾きながら歌うわけで、局面によってはアイルランドの素朴なアリシア・キーズという感想を引き出すか。とともに、90年代に多大なセールスを残したUKソウルのシンガー・ソングライターのデズリーのような非米国的洗練ポップネスを漂わせるところもある。とにかく、確かな才を持つ新星が伸び伸びと自分のソウル・ミュージックを歌っていると感じさせるのが大マル。そのデビュー作は米国でもそこそこの成績を収めたわけだが、今後どんどん羽ばたいていってほしいっ。
それなりに身長もありそう(に、見えた)な彼女は見た目だけで天真爛漫というか、とても性格が良さそう。でもって、接した人に“立った”何かを両手を広げるような感覚で与えるような所を持つ。音楽以前に、それだけで応援したくなっちゃうよ〜。で、ちゃんといい曲をかけて、それなりに伸び伸びと歌えるんだから、いいタマではないか。基本はピアノを弾きながら歌うわけで、局面によってはアイルランドの素朴なアリシア・キーズという感想を引き出すか。とともに、90年代に多大なセールスを残したUKソウルのシンガー・ソングライターのデズリーのような非米国的洗練ポップネスを漂わせるところもある。とにかく、確かな才を持つ新星が伸び伸びと自分のソウル・ミュージックを歌っていると感じさせるのが大マル。そのデビュー作は米国でもそこそこの成績を収めたわけだが、今後どんどん羽ばたいていってほしいっ。
ザ・ラムゼイ・ルイス・トリオ
2009年8月29日 音楽 ジョン・ルイス(1920年〜2000年)というジャズ・ピアニストがいた。モダン・ジャズの行き方とクラシック音楽要素を融合させたオルタナティヴな室内楽的ジャズ表現で多大な人気を博したザ・モダン・ジャズ・カルテット(MJQ。50年代初頭から20年強続けられた。後に、少し再結成されたりも)のリーダーだった人物である。ある意味“白い”方向性も持っていたMJQだったが、彼はそれを全員アフリカン・アメリカンでやること(特に、もう一人の看板奏者であったミルト・ジャクソンは根っからソウルフルなヴァイブラフォン奏者であった)に意味を見いだしていたように思う。MJQの瑞々しい表現を聞いていると、<白んぼよ、黒人の事を粗雑で野卑な事しかできないと思ってるんじゃねえぜ。確かに我々はソウルフルだ。だが、そうでありつつ、一方で我々は精緻で肌触りが良い洗練の極みのような表現もきっちり作れるんだよ。ほらMJQで優しく提示してあげるから、我々アフリカン・アメリカンの創造性や飛躍力を味わい、その凄さを痛感するがいい>という、クールにして突っ張った意思表示をぼくは感じずにはいられない。そんな彼だからこそ、ぷっつんブラック・ジャズ大王たるオーネット・コールマン(2006年3月27日)を初期に認め、ルイスは自分が所属するアトランティックに彼の事を紹介し、コールマンが広く知られるきっかけを与えるのだ。研ぎすまされた感覚と強いプライドと物事の正解は一つだけではないというしなやかさ、それらを無理なく持つ賢人ルイス(今なら、ぼくはMJQ作よりもソロ作のほうを先に勧めたい)はセロニアス・モンクと比肩するぐらい、彼とはまったく別のやり方で最高にイケてる米国黒人の美意識や優位性を出したレジェンドであったと思う。
なんか、ラムゼイ・ルイス(2008年7月2日)の何でもありのピアノ・トリオ表現を聞きなら、唐突にぼくはジョン・ルイスの真価を思い出していたのだ……。大ヒット(65年総合5位。R&B2位。そこでドラムを叩いていたのはまだジャズ・マンだったEW&Fのモウリス・ホワイト)した「ジ・イン・クラウド」に代表される彼一番のトレイドマークのファンキー・ジャズ路線から、気取ったクラシック調路線まで。教会に根ざしたゴスペル感覚が入ったものもやれば、端正でおとなしい4ビート曲もやるし、EW&Fの「サン・ゴッテス」の屈託のないカヴァー(それも、75年にルイスはシングル・ヒットさせている)もやる。それらはどれも50 年を超えるこれまでの長いレコーディング・キャリアにおいてやっていることで、その広いネタを素直に括って出しただけと言う事も可能なのだが、やはりラムゼイ・ルイスを腰軽くいろんなことに向かわせたのは米国白人社会の差別や偏見ではなかったのか。今の彼は指が動かなくなってきていて、もどかしさを感じさせるときもある。だが、綺麗な身なりとともにエスタブリッシュされ感がばりばりの彼の円満な風情/ステージ・マナーに触れていると、それはシカゴから白い壁の向こう側に飛び出そうとしたルイス(35年生まれ)の輝かしい人生勝利宣言のように思えてきてしまったりもするのだ。あの笑顔の奥にあるいろいろな襞の存在、オールマイティなものを求める心の奥の陰影……。そんなもろもろに触れられて、否定的な気持ちになるはずがないではないか。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
なんか、ラムゼイ・ルイス(2008年7月2日)の何でもありのピアノ・トリオ表現を聞きなら、唐突にぼくはジョン・ルイスの真価を思い出していたのだ……。大ヒット(65年総合5位。R&B2位。そこでドラムを叩いていたのはまだジャズ・マンだったEW&Fのモウリス・ホワイト)した「ジ・イン・クラウド」に代表される彼一番のトレイドマークのファンキー・ジャズ路線から、気取ったクラシック調路線まで。教会に根ざしたゴスペル感覚が入ったものもやれば、端正でおとなしい4ビート曲もやるし、EW&Fの「サン・ゴッテス」の屈託のないカヴァー(それも、75年にルイスはシングル・ヒットさせている)もやる。それらはどれも50 年を超えるこれまでの長いレコーディング・キャリアにおいてやっていることで、その広いネタを素直に括って出しただけと言う事も可能なのだが、やはりラムゼイ・ルイスを腰軽くいろんなことに向かわせたのは米国白人社会の差別や偏見ではなかったのか。今の彼は指が動かなくなってきていて、もどかしさを感じさせるときもある。だが、綺麗な身なりとともにエスタブリッシュされ感がばりばりの彼の円満な風情/ステージ・マナーに触れていると、それはシカゴから白い壁の向こう側に飛び出そうとしたルイス(35年生まれ)の輝かしい人生勝利宣言のように思えてきてしまったりもするのだ。あの笑顔の奥にあるいろいろな襞の存在、オールマイティなものを求める心の奥の陰影……。そんなもろもろに触れられて、否定的な気持ちになるはずがないではないか。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
クリスチャン・マクブライド。コラ・ジャズ・トリオ
2009年8月30日 音楽 72年、フィラデルフィア生まれ。16歳でNYのジュリアード音楽院に学ぶようになり、18歳ごろからビッグ・ネーム級からいろいろレコーディングに誘われ、95年以降はリーダーとしてもアルバムを出すようになる。てな、この何かと恵まれた歩みを持つ、ウッド・ベースと電気ベース両方を弾きたがるジャズ・ベーシスト(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日)の場合は昨日書いたような先輩たちが持たざるを得なかった闇の回路はあまり抱えずに自分のやりたいことをやってきたという人だろう。
新作『カインド・オブ・ブラウン』は全ウッド・ベースで迫ったストレート・アヘッドなジャズ盤だったが、横に電気ベースを置かない今回はそのノリに100%負ったもの。演奏曲もほとんどが新作に入っていたオリジナル曲であり、編成も同様で、ピアノ、アルト・サックス(だったけかな?)、ヴァイブラフォン、ピアノ、ベース、ドラムという布陣。マクブライドが抜擢したらしいかなり若そうなヴァイブ奏者のウォーレン・ウルフとドラマーのカール・アレン(2006年1月26日)はアルバムにも入っていたプレイヤー。ウルフのマレットさばきは実にまっとう、ながらマレットを複数もっての演奏は一切しなかった。それは苦手なのか。
マクブライドは手元は見ず、軽々と鼻歌キブンで左手を指板の上に滑らし、右手でひょいひょいと爪弾き、悠々サウンドを引っ張って行く。もー、余裕だらけ。それは生理的な軽さを少し導いたりもするが、それもまた今のジャズなのサと彼は言っていた? MCで、日本のジャズ・ファンはいい、ジャズが好きでいてグルーヴも好きだから、みたいな事を言ったりもし、ご満悦。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
そして、ブルーノートへ異動し、コラ・ジャズ・トリオを見る。西アフリカの弦楽器コラの奏者をフロントに置き、他にピアノ奏者とパーカッショニストを擁するギネアのグループだそうだ。で、素朴できらびやかな音色を持つ楽器であるコラだが、ここでは本当にジャズ的なリード楽器として使われていてびっくり。ここで用いられているいろんな音色や奏法を生むそのコラはかなり製品として質の高そうな感じで、とてもハンド・メイドなものには見えなかったが。ピアニストもソツなくジャズ的なソロやバッキングを見せ、なるほどこれはグループ名に偽りはないナと思わされる。トラディッッショナルっぽい楽曲だけでなく、「リズマニング」や「ナウ・イズ・ザ・タイム」のような有名ジャズ・ナンバーもなんなく披露。それからコラ奏者は演奏だけでなく、甲高い西アフリカ的なヴォーカルでも大活躍。けっこう、掛け合いも見せてくれた。
新作『カインド・オブ・ブラウン』は全ウッド・ベースで迫ったストレート・アヘッドなジャズ盤だったが、横に電気ベースを置かない今回はそのノリに100%負ったもの。演奏曲もほとんどが新作に入っていたオリジナル曲であり、編成も同様で、ピアノ、アルト・サックス(だったけかな?)、ヴァイブラフォン、ピアノ、ベース、ドラムという布陣。マクブライドが抜擢したらしいかなり若そうなヴァイブ奏者のウォーレン・ウルフとドラマーのカール・アレン(2006年1月26日)はアルバムにも入っていたプレイヤー。ウルフのマレットさばきは実にまっとう、ながらマレットを複数もっての演奏は一切しなかった。それは苦手なのか。
マクブライドは手元は見ず、軽々と鼻歌キブンで左手を指板の上に滑らし、右手でひょいひょいと爪弾き、悠々サウンドを引っ張って行く。もー、余裕だらけ。それは生理的な軽さを少し導いたりもするが、それもまた今のジャズなのサと彼は言っていた? MCで、日本のジャズ・ファンはいい、ジャズが好きでいてグルーヴも好きだから、みたいな事を言ったりもし、ご満悦。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
そして、ブルーノートへ異動し、コラ・ジャズ・トリオを見る。西アフリカの弦楽器コラの奏者をフロントに置き、他にピアノ奏者とパーカッショニストを擁するギネアのグループだそうだ。で、素朴できらびやかな音色を持つ楽器であるコラだが、ここでは本当にジャズ的なリード楽器として使われていてびっくり。ここで用いられているいろんな音色や奏法を生むそのコラはかなり製品として質の高そうな感じで、とてもハンド・メイドなものには見えなかったが。ピアニストもソツなくジャズ的なソロやバッキングを見せ、なるほどこれはグループ名に偽りはないナと思わされる。トラディッッショナルっぽい楽曲だけでなく、「リズマニング」や「ナウ・イズ・ザ・タイム」のような有名ジャズ・ナンバーもなんなく披露。それからコラ奏者は演奏だけでなく、甲高い西アフリカ的なヴォーカルでも大活躍。けっこう、掛け合いも見せてくれた。