スガダイロー・トリオ
2009年7月3日 音楽 朝5時半起きで、今日締め切りのCD解説原稿を3本仕上げる。昼一に一本打ち合わせを挟んでだから、再発モノとはいえ、かなりいいスピードで仕事したことになるな。この土日はいろいろ用事が入っていてあまり机に向かう時間が取れそうにないし、プロとしてちゃんと仕事をしたい(締め切りを守りたい)ぼくはちゃんと仕上げたかった。途中で、一瞬やる気が萎えかけるも、なんとか6時過ぎにすべて終わる。ふう。最近、原稿を書くのが遅くなっているような気がしたりもするので、少し自信をとりもどす。眉を吊り上げての仕事でついた澱を落とさんとするかのように、シャワーを浴びる。ふうふう。新宿・ピットインに向かう途中、地下鉄駅のホームで鏡に映った自分の顔をみたらやたら疲れきっていて、びっくり。うひゃあ。
会場入りすると、ある人から親しげに声をかけられる。が、ぜんぜん誰だか分からない。それは疲労とは別。腹をくくって、「ごめんなさい。ぼく、ぜんぜん誰だか分からないんです」と伝える。そしたら、かつてレコード会社の洋楽制作にいた人で、10年以上ぶりの邂逅。彼はぼくが覚えてないことに少なからずショックを覚えていたようだが、入院療養生活を経たりダイエットしたりしたそうで、見た目は別人。確かに、ぼくは人の顔や名前をすぐに忘れるけど、こりゃしょーがないよー。とはいえ、確かに近しい気持ちを持てた人であったわけで、とってもごめんなさい。
シャープなピアノの弾き手であるスガダイロー(2009年1月8日)の、ソロ2作目となる「坂本龍馬の拳銃」リリースをフォロウするライヴ。完全にトリオによるパフォーマンスで、アルバムでのリズム隊と同じ人たちを擁するもので、それは大きなポイント。オリジナル曲にせよスタンダードにせよ、そこでの表現はかなりリズム楽器とピアノ音の仕掛けの妙を重視したものであり、ライヴではその噛み合いがさらに鮮やかに大胆になっているところがあったから。彼のそういう志向はジョン・ルイス愛好から来るもののようだが……。あまりロック経験を持たずクラシック→ジャズという経路(だからか、仕掛けに凝っていてもプログ・ロック的手触りは嬉しいことに希薄)はザ・バッド・プラス(2008 年2月20日、他)のイーサン・アイヴァーソン(ピアノ)と同じであり、新作のなかでちょいザ・バッド・プラスを思わせるものもあったが、ライヴはぜんぜんそう感じず。なんでこう行くのという嬉しい戸惑いはスガのほうが与えるわけで、彼はきっちり自分ならではの冒険するジャズを作っていると痛感。いいぞいいぞ。がんがん、海外に呼ばれて不思議じゃないのになー。このフォーマットによる録音は2作分録ってあり、この秋には『坂本龍馬の革靴』という同ソースのアルバムが出る。
会場入りすると、ある人から親しげに声をかけられる。が、ぜんぜん誰だか分からない。それは疲労とは別。腹をくくって、「ごめんなさい。ぼく、ぜんぜん誰だか分からないんです」と伝える。そしたら、かつてレコード会社の洋楽制作にいた人で、10年以上ぶりの邂逅。彼はぼくが覚えてないことに少なからずショックを覚えていたようだが、入院療養生活を経たりダイエットしたりしたそうで、見た目は別人。確かに、ぼくは人の顔や名前をすぐに忘れるけど、こりゃしょーがないよー。とはいえ、確かに近しい気持ちを持てた人であったわけで、とってもごめんなさい。
シャープなピアノの弾き手であるスガダイロー(2009年1月8日)の、ソロ2作目となる「坂本龍馬の拳銃」リリースをフォロウするライヴ。完全にトリオによるパフォーマンスで、アルバムでのリズム隊と同じ人たちを擁するもので、それは大きなポイント。オリジナル曲にせよスタンダードにせよ、そこでの表現はかなりリズム楽器とピアノ音の仕掛けの妙を重視したものであり、ライヴではその噛み合いがさらに鮮やかに大胆になっているところがあったから。彼のそういう志向はジョン・ルイス愛好から来るもののようだが……。あまりロック経験を持たずクラシック→ジャズという経路(だからか、仕掛けに凝っていてもプログ・ロック的手触りは嬉しいことに希薄)はザ・バッド・プラス(2008 年2月20日、他)のイーサン・アイヴァーソン(ピアノ)と同じであり、新作のなかでちょいザ・バッド・プラスを思わせるものもあったが、ライヴはぜんぜんそう感じず。なんでこう行くのという嬉しい戸惑いはスガのほうが与えるわけで、彼はきっちり自分ならではの冒険するジャズを作っていると痛感。いいぞいいぞ。がんがん、海外に呼ばれて不思議じゃないのになー。このフォーマットによる録音は2作分録ってあり、この秋には『坂本龍馬の革靴』という同ソースのアルバムが出る。
2009年6月16日の項で絶賛している在仏アメリカ人歌手のパフォーマンス。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ(といっても、日曜のセカンドは7時から)。今回は側近のラファエル・ルモニエ(ピアノ)に加え、ウッド・ベース奏者、ドラマー(なんと、まだとっても若い女性)、トランぺッターを従えてのもの。かつてのジャズ歌手はショービズの世界で与えられた役を演じるようにやっていたはずという所感のもと、それゆえ自身もジャズ路線においてはダイナ・ワシントンという役を演じるようにやっているそうで(だから、ドレッドだった髪型も現在はレトロ調にまとめている)、それはイヤミなく澄んだ姿勢としておおいに伝わってくるのではないか。で、その奥から、本人の陽性で情熱的でフランクな人間性が浮き上がってくる様がなんともいい感じなのだ。
実は前日夜に知り合いから電話があったものの出れなかったので遅くにメールをしたら、午前中に以下のような返信……。「昨日母とブルーノートに行こうかと迷ってて、アーティストがいいかどうか聞きたかっただけでした! 結局行って、すごい良かったです(ダイヤ二つマーク)」。まったくもって。全然その個体を知らなくても、ジャズを聞いてなくても、接した人をばっちり鼓舞し、魅了しゃう。それがチャイナ・モーゼスなり(もちろん、母親のディー・ディー・ブリッジウォーターも)。
実は前日夜に知り合いから電話があったものの出れなかったので遅くにメールをしたら、午前中に以下のような返信……。「昨日母とブルーノートに行こうかと迷ってて、アーティストがいいかどうか聞きたかっただけでした! 結局行って、すごい良かったです(ダイヤ二つマーク)」。まったくもって。全然その個体を知らなくても、ジャズを聞いてなくても、接した人をばっちり鼓舞し、魅了しゃう。それがチャイナ・モーゼスなり(もちろん、母親のディー・ディー・ブリッジウォーターも)。
映画「クリーン」。ファラオ・サンダース。ソウライヴ。
2009年7月8日 音楽 東銀座のシネマート試写室で、フランス人監督オリヴィエ・アサイヤスの「クリーン」を見る。カナダ人ロック・スターの、やはりロッカー志望だった(?)我がままな妻(香港映画界出身のマギー・チャン)が夫のドラッグ死の後、どうまっとうに生きるかを問い直しつつ、夫の親に預けていた子供といかによりを戻そうとするかを描いたもの。で、事前の情報で母と子の関係、母の生き方の再生の物語という<お涙頂戴路線>が強調されていたが、確かにそれはそうなんだけど、相当なロック映画でびっくり。冒頭はカナダのライヴ・ハウスのシーンであり、エンディングの場所はサンフランシスコのレコーディング・スタジオだもの。アサイヤスはフランスの音楽フェスのキュレイターをまかされたり(それは、ソニック・ユースの派生プロジェクト他のギグが映し出された『NOISE』という映画になった)もし、ロック・ミュージック好きの監督として知られているみたいだけど。始まってすぐに、年配の人がこんなの見てられっかという感じで試写室を出ていったなー。あははは。
そのタイトルの「クリーン」だって、主人公の生き方が明らかになっていくことや純粋なことを示唆するとともに、ヤク中である主役(彼女がヘロインを打つシーンもあり)が“ドラッグから抜ける”という意味を重ねているみたいだし。という指摘の仕方は、非常に時代遅れな、ステレオタイプなものか。いまさら、“セックス、ドラッグ&ロックロール”の時代でもねーしな。でも、1955年生まれのアサイヤスは年相応にけっこう古いロック観を持っているのは確か。冒頭のほうで夫婦やマネイジャーの間で延々とやりとりされるレコード契約の話なんてまさにそう。メジャーは善でインディはしょぼい、なんて今思っている音楽業界中枢にいる人はそうはいないだろう。それとも、この40代の夫婦が化石のような業界観を持っていることを、それで示したかったのか。また、白人ロッカーと結婚した東洋系の主人公に対する周辺の悪評判のあり方を、かつてのヨーコ・オノ(2009年1月21日。近く、プラスティック・オノ・バンドの新作が出ます)の白人層からのやっかみ/悪口とダブらせて描いているのは間違いない。脚本もアサイヤスが書いている。
人生撒き直しを求める新天地の舞台は、かつて主人公が住んでいたことがあるという設定のパリ。チャンはちゃんとフランス語もしゃべっていてすげえ。資料には、フランス語の台詞は苦労したみたいな本人コメントものせられているが、実は彼女とアサイヤス監督は実生活で結婚していたのか。これを撮る前にとっくに別れていたようだが。この04年発表映画で彼女はカンヌ映画祭の主演女優賞を受けて、名声を高めたようだ。お、アサイヤスさん、見事なオトコとしての責任の取り方?
カナダ人バンドのメトリックやトリッキー(2001年7月27日。かつてインタヴューしたとき、英国ブリストルから米国ニュージャージーに住むようになり、一人娘の相手をするのが一番の愉しみ、なんて危ない見かけで言っていたな)など、実名で出てきてライヴのシーンをみせたり、少し演技したりも。効果音的などってことない音は、アンビエント音楽の巨匠で名プロデューサー(U2、デイヴィッド・バーン他)のブライアン・イーノが担当。アサイヤスにとってイーノに音楽を付けてもらうのは夢だったようだ。また、チャンも歌を歌っている。……なんか、少女マンガにありそうなストーリー(あくまで僕のずさんなイメージにおいて)なんて思わせるが、アサイヤスは女っぽい感性を持つ監督なのではとも、これを見て感じました。
そして、南青山・ブルーノート東京で、大御所サンダース(2006年8月23日、他。最初の来日はまだ生きていた時のジョン・コルトレーンのグループだったようだ)のカルテット(1ホーン)編成ギグを見る。1曲目はシンプルなバッキングで訥々と歌心あるブロウを聞かせ、2曲目は延々と開放系スピリチュアル・ジャズ調曲をやる。もーテナー・サックスのソロ延々、ピアノのソロを含めると30分を超えていたろう。3曲目は比較的普通なジャズ曲。そして、カリプソ調の4曲目はずうっとがなり続け、客とコール&レスポンスをする。どんどん若いファンの要求に答えるようになっている?
次は六本木・ビルボードライヴ東京で、初来日していこう本当に良く来日するソウライヴ(2008年7月22日、他)。不動の3人に加え、レタス(2003年11月17日)のライアン・ゾイディス(テナー、バリトン)と一時はソウライヴのメンバーだったこともありやはりレタスにも属するサム・キニンジャー(アルト)が付いてのもの。二人の管奏者は昨年のソウライヴ公演にも同行していたが、今回はより活躍する場を与えられていて、ほぼ全部の曲でセクション音を入れたり、ソロを取ったりしていたんではないか。そのぶん、ニール・エヴァンス(キーボード)の演奏が全体に占める比率は明らかに減っている。彼は当たらし目のハモンド・オルガンと左手で弾くベース音専用のキーボードと、クラヴィネットを並べる。クラヴィネットはあまり使わず(はったりかませたい音をだしたいとき、少しだけ右手で弾く)、また右手によるオルガンは上のほうの鍵盤しか使わず。MCもやるアラン・エヴァンス(ドラム)はかつては真横を向いてドラムを叩いていたが。今回はかなり客席側を向いて座っていた。エリック・クラズノウ(ギター)も前ほどはソロを取らなくなったような。アンサンブル中心に聞き手を引っ張る今のソウライヴ……そんな指摘が出来るかも。
そのタイトルの「クリーン」だって、主人公の生き方が明らかになっていくことや純粋なことを示唆するとともに、ヤク中である主役(彼女がヘロインを打つシーンもあり)が“ドラッグから抜ける”という意味を重ねているみたいだし。という指摘の仕方は、非常に時代遅れな、ステレオタイプなものか。いまさら、“セックス、ドラッグ&ロックロール”の時代でもねーしな。でも、1955年生まれのアサイヤスは年相応にけっこう古いロック観を持っているのは確か。冒頭のほうで夫婦やマネイジャーの間で延々とやりとりされるレコード契約の話なんてまさにそう。メジャーは善でインディはしょぼい、なんて今思っている音楽業界中枢にいる人はそうはいないだろう。それとも、この40代の夫婦が化石のような業界観を持っていることを、それで示したかったのか。また、白人ロッカーと結婚した東洋系の主人公に対する周辺の悪評判のあり方を、かつてのヨーコ・オノ(2009年1月21日。近く、プラスティック・オノ・バンドの新作が出ます)の白人層からのやっかみ/悪口とダブらせて描いているのは間違いない。脚本もアサイヤスが書いている。
人生撒き直しを求める新天地の舞台は、かつて主人公が住んでいたことがあるという設定のパリ。チャンはちゃんとフランス語もしゃべっていてすげえ。資料には、フランス語の台詞は苦労したみたいな本人コメントものせられているが、実は彼女とアサイヤス監督は実生活で結婚していたのか。これを撮る前にとっくに別れていたようだが。この04年発表映画で彼女はカンヌ映画祭の主演女優賞を受けて、名声を高めたようだ。お、アサイヤスさん、見事なオトコとしての責任の取り方?
カナダ人バンドのメトリックやトリッキー(2001年7月27日。かつてインタヴューしたとき、英国ブリストルから米国ニュージャージーに住むようになり、一人娘の相手をするのが一番の愉しみ、なんて危ない見かけで言っていたな)など、実名で出てきてライヴのシーンをみせたり、少し演技したりも。効果音的などってことない音は、アンビエント音楽の巨匠で名プロデューサー(U2、デイヴィッド・バーン他)のブライアン・イーノが担当。アサイヤスにとってイーノに音楽を付けてもらうのは夢だったようだ。また、チャンも歌を歌っている。……なんか、少女マンガにありそうなストーリー(あくまで僕のずさんなイメージにおいて)なんて思わせるが、アサイヤスは女っぽい感性を持つ監督なのではとも、これを見て感じました。
そして、南青山・ブルーノート東京で、大御所サンダース(2006年8月23日、他。最初の来日はまだ生きていた時のジョン・コルトレーンのグループだったようだ)のカルテット(1ホーン)編成ギグを見る。1曲目はシンプルなバッキングで訥々と歌心あるブロウを聞かせ、2曲目は延々と開放系スピリチュアル・ジャズ調曲をやる。もーテナー・サックスのソロ延々、ピアノのソロを含めると30分を超えていたろう。3曲目は比較的普通なジャズ曲。そして、カリプソ調の4曲目はずうっとがなり続け、客とコール&レスポンスをする。どんどん若いファンの要求に答えるようになっている?
次は六本木・ビルボードライヴ東京で、初来日していこう本当に良く来日するソウライヴ(2008年7月22日、他)。不動の3人に加え、レタス(2003年11月17日)のライアン・ゾイディス(テナー、バリトン)と一時はソウライヴのメンバーだったこともありやはりレタスにも属するサム・キニンジャー(アルト)が付いてのもの。二人の管奏者は昨年のソウライヴ公演にも同行していたが、今回はより活躍する場を与えられていて、ほぼ全部の曲でセクション音を入れたり、ソロを取ったりしていたんではないか。そのぶん、ニール・エヴァンス(キーボード)の演奏が全体に占める比率は明らかに減っている。彼は当たらし目のハモンド・オルガンと左手で弾くベース音専用のキーボードと、クラヴィネットを並べる。クラヴィネットはあまり使わず(はったりかませたい音をだしたいとき、少しだけ右手で弾く)、また右手によるオルガンは上のほうの鍵盤しか使わず。MCもやるアラン・エヴァンス(ドラム)はかつては真横を向いてドラムを叩いていたが。今回はかなり客席側を向いて座っていた。エリック・クラズノウ(ギター)も前ほどはソロを取らなくなったような。アンサンブル中心に聞き手を引っ張る今のソウライヴ……そんな指摘が出来るかも。
ミント・コンディション
2009年7月10日 音楽 急にパスワード入れろとか画面に出るようになって、考えつくものを入れても駄目で10日間強は更新できず。ま、そんなこともあるサ、ではあるけど、なんとなくだいぶ前から<ライヴ三昧>をもっと過去の原稿が見やすいところに代えたいと思っているワタシ。文章が面倒くさがり屋になっちゃうので写真は入れるつもりはなく(実は、オバカさんで写真が入れられないだけかもしれぬが)デザインもまあどうでもいい、とにかく簡単に更新できて、それなりの量の文章が見やすければOK。そういうのに適したブログ様式があれば、教えてください。
過去、2度の公演(2006年6月25日、2008年7月26日)で大絶賛している北西部拠点(ミネソタ州セイントポールとイリノイ州シカゴにメンバーは住んでいるみたい)のR&Bグループ。昨年出たアルバムは5人が写っていたが、6人にて登場。まったくもって非のうちどころのない実演を堂々見せる。素晴らしいっ。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
過去、2度の公演(2006年6月25日、2008年7月26日)で大絶賛している北西部拠点(ミネソタ州セイントポールとイリノイ州シカゴにメンバーは住んでいるみたい)のR&Bグループ。昨年出たアルバムは5人が写っていたが、6人にて登場。まったくもって非のうちどころのない実演を堂々見せる。素晴らしいっ。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
グレゴリー・アンド・ザ・ホウク
2009年7月13日 音楽 在NYのシンガー・ソングライター、メレディス・ゴドリーのソロ・ユニットを渋谷・オネストで見る。基本は彼女のギターの弾き語り、一部は男性一人が加わって、ギターかドラムを控え目に弾く。ゴドリー嬢は痩せっぽちな女性。中学校のころだと快活なスポーツ系男子から排除されそうなタイプ、とふと思ったか。どこか所在なげな、気分屋少女的ヴォイスを中央に置く、淡いスチーリーテリング表現。レースのカーテン越しに入ってくる陽光がベッドの上に描くぼんやりした紋様をプライヴェイトなシンガー・ソングライター表現に移した感じ、とも説明したくなるか。アルバム(新作『モーニー・アンド・キャッチ』はマイス・パレードのアダム・ピアースのプロデュース)で聞けるようなイメージを広げるバッキング音がついていると印象は変わると思うが。
ザ・ブルース・ブラザース・バンド
2009年7月14日 音楽 米NBCの人気お笑いTV番組「サタデー・ナイト・ライヴ」の出演者/出演ミュージシャンを基にするブルース/R&B礼賛映画「ブルース・ブラザース」派生のバンド……90年代中期いこう毎年のように来ているが、そのころ見て以来、久しぶりに彼らを見ることとなるのか。六本木・ビルボード東京、セカンド・ショウ。なお、ここのところ降雨した日はなかったような気もするが、今日、関西に先駆けて関東圏の梅雨明けが報じられる。
中心となるギタリストのスティーヴ・クロッパー(2008年11 月24日)が“ジ・オリジナル・ブルース・ブラザース・バンド”と何度もステージで連呼する。最初から関与しているミュージシャンは、サックスのルー・マリーニ(2004年1月27日,2007 年10月9日)とトランペットのアラン・ルービンとクロッパーの3人だけなのになんでやねん、と思ったが、途中からそういう意味かと納得。ようは、演目やショウの様子が映画のありかたを大々的に踏襲しようとしていた、ということなんですね。そうなった要因は、(フロントにいたジョン・ベルーシとダン・エイクロイドというコメディアン/俳優に代わって)過去祭り上げられていたR&B大御所シンガーのエディ・フロイド(2007年7月18日)がこのユニット興行から去り、ジョニー・ロッシュという白人歌手をフロント・マンに置くようになったから。敬意をふるうべきキャリア組から一般的にはビッグではない人を雇ったことで、クロッパーたちは初期のザ・ブルース・ブラザースのパブリック・イメージをたっぷり踏む路線に出たということとぼくは推測する。
実際、ロッシュは黒いスーツ、ネクタイ、帽子、サングラスという例の格好でブルース・ハープの入ったアタッシュケースを持って登場。そして、歌い、踊り、ハープを吹き……ようはオリジナル時のジョン・ベルーシ役とダン・エイクロイド役を一人で担う。しかも、冒頭のインスト部をのぞき(冒頭はクロッパーがいたMGズの「グリーン・オニオンズ」)、演目が全部78年リリースのデビュー作と映画でやっていた曲(レイ・チャールズやキャブ・キャロウェイが映画で歌っていた曲も。キャロウェイの当たり曲「ミニー・ザ・ムーチャ」をやったときは映画にあわせて白いタキシードの上着をロッシュははおった)であるのだから! とにもかくにもロッシュさん(もともと、そういう黒っぽいことをやっていた人と思う)は涙ぐましいぐらいエンターテインしようとしていて、酒だか水だかを浴びたり、2階の長いカウンターに立ってハープを吹いたりも。そこに立った人はビルボードライブ東京が開いて以来、彼が初めてなのでは?
バンドの成り立ちが成り立ちだけに、この行き方はアリだろう。でもって、かつてのマット“ギター”マーフィーのような、純正黒人ブルース・マンもいたらバッチリなんだけどな。演奏陣はしっかりしていて、あぶなげなし。ホーン・セクション音もバリっと決まっていたが、映画で高級レストランのマネージャー役をいい感じで演じてもいたルービン(デューク・エリントン楽団にいたことも)は他の二人の管奏者と違いいっさいソロを取らず。唯一の黒人奏者であるオルガン奏者は70 年代中期からNYのシーンで活躍しているオールラウンド奏者のリオン・ペンダーヴィスだったが、他の奏者がみんなじじむさいので、一人だけ若く見えた。終盤にはもう一人、やはり黒づくめの痩身の黒人シンガーが出てきて、ロッシュと絡む。結局、全10人によるショウで、時間も1時間半は超えるもので、こってりたっぷり。最後、ホーン隊+αは客席を回って引き上げた。
ベルーシとエイクロイドを前に置き、ザ・ブルース・ブラザーズ名義の第一作『ブリーフケース・フル・オブ・ブルース』がアトランティックからリリースされたのが1978年。そして、ジョン・ランディスによる<ブルース/R&Bこそが、持たざる者による地に足をつけた、愛とヒューマニティたっぷりの“正”の表現>というテーゼ(もっと簡単に言えば、ブルースは地球を救う……)を奥に置く、米国黒人音楽愛に溢れまくった同名映画が公開されたのが1980年。好評につき、続編も1998年に作られた(「ブルース・ブラザース2000」)も作られたわけだが、それはともかかく、ショウに接しながら、ランディスの事を少し考える。「アニマル・ハウス」込みで、彼はトップ級にぼくが大好きな映画監督。あのマイケル・ジャクソンの「スリラー」の長尺プロモーション・ヴィデオを監督/撮影したのも、彼だった。
中心となるギタリストのスティーヴ・クロッパー(2008年11 月24日)が“ジ・オリジナル・ブルース・ブラザース・バンド”と何度もステージで連呼する。最初から関与しているミュージシャンは、サックスのルー・マリーニ(2004年1月27日,2007 年10月9日)とトランペットのアラン・ルービンとクロッパーの3人だけなのになんでやねん、と思ったが、途中からそういう意味かと納得。ようは、演目やショウの様子が映画のありかたを大々的に踏襲しようとしていた、ということなんですね。そうなった要因は、(フロントにいたジョン・ベルーシとダン・エイクロイドというコメディアン/俳優に代わって)過去祭り上げられていたR&B大御所シンガーのエディ・フロイド(2007年7月18日)がこのユニット興行から去り、ジョニー・ロッシュという白人歌手をフロント・マンに置くようになったから。敬意をふるうべきキャリア組から一般的にはビッグではない人を雇ったことで、クロッパーたちは初期のザ・ブルース・ブラザースのパブリック・イメージをたっぷり踏む路線に出たということとぼくは推測する。
実際、ロッシュは黒いスーツ、ネクタイ、帽子、サングラスという例の格好でブルース・ハープの入ったアタッシュケースを持って登場。そして、歌い、踊り、ハープを吹き……ようはオリジナル時のジョン・ベルーシ役とダン・エイクロイド役を一人で担う。しかも、冒頭のインスト部をのぞき(冒頭はクロッパーがいたMGズの「グリーン・オニオンズ」)、演目が全部78年リリースのデビュー作と映画でやっていた曲(レイ・チャールズやキャブ・キャロウェイが映画で歌っていた曲も。キャロウェイの当たり曲「ミニー・ザ・ムーチャ」をやったときは映画にあわせて白いタキシードの上着をロッシュははおった)であるのだから! とにもかくにもロッシュさん(もともと、そういう黒っぽいことをやっていた人と思う)は涙ぐましいぐらいエンターテインしようとしていて、酒だか水だかを浴びたり、2階の長いカウンターに立ってハープを吹いたりも。そこに立った人はビルボードライブ東京が開いて以来、彼が初めてなのでは?
バンドの成り立ちが成り立ちだけに、この行き方はアリだろう。でもって、かつてのマット“ギター”マーフィーのような、純正黒人ブルース・マンもいたらバッチリなんだけどな。演奏陣はしっかりしていて、あぶなげなし。ホーン・セクション音もバリっと決まっていたが、映画で高級レストランのマネージャー役をいい感じで演じてもいたルービン(デューク・エリントン楽団にいたことも)は他の二人の管奏者と違いいっさいソロを取らず。唯一の黒人奏者であるオルガン奏者は70 年代中期からNYのシーンで活躍しているオールラウンド奏者のリオン・ペンダーヴィスだったが、他の奏者がみんなじじむさいので、一人だけ若く見えた。終盤にはもう一人、やはり黒づくめの痩身の黒人シンガーが出てきて、ロッシュと絡む。結局、全10人によるショウで、時間も1時間半は超えるもので、こってりたっぷり。最後、ホーン隊+αは客席を回って引き上げた。
ベルーシとエイクロイドを前に置き、ザ・ブルース・ブラザーズ名義の第一作『ブリーフケース・フル・オブ・ブルース』がアトランティックからリリースされたのが1978年。そして、ジョン・ランディスによる<ブルース/R&Bこそが、持たざる者による地に足をつけた、愛とヒューマニティたっぷりの“正”の表現>というテーゼ(もっと簡単に言えば、ブルースは地球を救う……)を奥に置く、米国黒人音楽愛に溢れまくった同名映画が公開されたのが1980年。好評につき、続編も1998年に作られた(「ブルース・ブラザース2000」)も作られたわけだが、それはともかかく、ショウに接しながら、ランディスの事を少し考える。「アニマル・ハウス」込みで、彼はトップ級にぼくが大好きな映画監督。あのマイケル・ジャクソンの「スリラー」の長尺プロモーション・ヴィデオを監督/撮影したのも、彼だった。
味の素スタジアムとスタンダード・ソング
2009年7月15日 音楽 少し二日酔い気味。ながら、とても夏の天気……ネットのニュースには、午前9時で30度をこす(ちゃんと見なかったが、多分東京)という項目がアップされている。でも、かなり風が部屋に入ってきて、そんなに不快さは感じず(ナンダカンダデ、今年モえあこん無シデ行クゾト決意シテマス)。で、日暮れどきに晴天の威を借り(?)、唐突に調布・味の素スタジアムに行っちゃう。ナビスコ・カップの準々決勝、FC東京vs.名古屋グランパスの試合。今年化けて話題の石川直宏をちょい見たいなと思った(俺もミーハーだな)のと、今年はいまいちのドラガン・ストイコヴィッチ監督(ぼくが好きなJリーグ助っ人選手三傑は、マリノスのラモン・ディアスとフリューゲルスのエドゥ・マラゴンとグランパスのピクシーとなるかな。うわ、みんなアタッカーで子供みたいだァ。サンパイオも好きでした。お、何気に旧フリューゲルスのファン?)を見たいなと思ったから。何人かに一緒に行かなあいと連絡するも、みなさん用事あり。オレが緩すぎるのか。
電車の時間がしっくりあっちゃって、あっと驚くぐらいすんなり会場についてしまって(家を出て、40分ぐらい)、逆に拍子向け。これでサッカー専用会場だったら、もっと通いたくなるところだよなー。やはり、専用と陸上トラックもついているような多目的会場とでは臨場感は雲泥の差じゃ。二つのチームがホームにしているんだし、改装しないかな。3000円の席に座る。ピッチは少し荒れててあまり綺麗に見えず、だが、客席はガラガラ(12000人強と発表されていた)だし、風がけっこう吹き抜けて気持ちいい。いま、Jリーグは冬期シーズン制移行が検討されていて、どう考えてもそのほうがいいのだろうけど、見る事だけを考えれば絶対いまのほうがマル。ヘタレとしては、冬の野外観戦は厳しい。
試合開始前にサポーターが英語で長々と歌う「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」はリヴァプール発の、サッカーの著名応援歌。元々は、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の、ユダヤ系米国人コンビによる45年初出ミュージカル・ソングなわけだが、久しぶりに聞いたそれは前身の東京ガス時代からのエンスージアストの積年の思いが詰まっていると感じたかも。意味は分からなくても、上手に歌っちゃう小学生もいるんだろうナ。場内メンバー紹介MCも(巻き舌DJ風の)英語だけで行われていたが、それはなんかなあ。頭とセンスが悪そうなチームに思えちゃう。試合は前半11分ですでに3-0と東京のバカ勝ち(終了時は、5-1)。なるほど、いま東京は見て面白い、有機的なサッカーをしている。今度、やはり評判のいい広島の試合を見に行こうか。ふふふ、やっぱサッカーもいいな。帰り道、ぼくはうろ覚えのハマースタインⅡ/ロジャース作の「アイ・ハヴ・ドリームド」をココロの中で口ずさむ(けっこう、捉えどころのない歌だァ)。フランク・シナトラのヴァージョンで親しんだのかな。途中の歌詞は全然しらないが、最後の一節<I will love being loved by you>というのは、なぜか頭のなかに入っている。
電車の時間がしっくりあっちゃって、あっと驚くぐらいすんなり会場についてしまって(家を出て、40分ぐらい)、逆に拍子向け。これでサッカー専用会場だったら、もっと通いたくなるところだよなー。やはり、専用と陸上トラックもついているような多目的会場とでは臨場感は雲泥の差じゃ。二つのチームがホームにしているんだし、改装しないかな。3000円の席に座る。ピッチは少し荒れててあまり綺麗に見えず、だが、客席はガラガラ(12000人強と発表されていた)だし、風がけっこう吹き抜けて気持ちいい。いま、Jリーグは冬期シーズン制移行が検討されていて、どう考えてもそのほうがいいのだろうけど、見る事だけを考えれば絶対いまのほうがマル。ヘタレとしては、冬の野外観戦は厳しい。
試合開始前にサポーターが英語で長々と歌う「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」はリヴァプール発の、サッカーの著名応援歌。元々は、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の、ユダヤ系米国人コンビによる45年初出ミュージカル・ソングなわけだが、久しぶりに聞いたそれは前身の東京ガス時代からのエンスージアストの積年の思いが詰まっていると感じたかも。意味は分からなくても、上手に歌っちゃう小学生もいるんだろうナ。場内メンバー紹介MCも(巻き舌DJ風の)英語だけで行われていたが、それはなんかなあ。頭とセンスが悪そうなチームに思えちゃう。試合は前半11分ですでに3-0と東京のバカ勝ち(終了時は、5-1)。なるほど、いま東京は見て面白い、有機的なサッカーをしている。今度、やはり評判のいい広島の試合を見に行こうか。ふふふ、やっぱサッカーもいいな。帰り道、ぼくはうろ覚えのハマースタインⅡ/ロジャース作の「アイ・ハヴ・ドリームド」をココロの中で口ずさむ(けっこう、捉えどころのない歌だァ)。フランク・シナトラのヴァージョンで親しんだのかな。途中の歌詞は全然しらないが、最後の一節<I will love being loved by you>というのは、なぜか頭のなかに入っている。
米国ニュージャージーをベースにする、2枚のリーダー作を持つ女性歌手だが、これほどまで味がいいとは! 過剰に綺麗なわけでもなく、メロディを作れる人でもなく(新作では半数近くの曲に歌詞を提供していたが)と、取り用によっては只の歌うだけのお姉さんになってしまうわけだが、それを承知でぼくは頭を足れた。……フツーにいい曲を、ジャズの素養も持つアコースティックなしっとりサウンドを介して、ちゃんと歌う。その歌はとっても芯を持ちつつ誘いを持つものだが、スキャットをかましたりは一切せず、4ビート曲もゼロで、その総体は広がりある大人のポップ・ヴォーカル表現と言うべきものだろう。でも接していて、彼女はどんなふうに歌い繋いで行くんだろうと興味を持たせるわけで、そこまで聞き手にサムシングを与えるシンガーはそうはいないはず。音程も正確だ。
そして、それを引き出しているのは、実にいい感じの伴奏。皆なにげに腕がたつゾと感心してたら、実は辣腕奏者ぞろいぢゃん。それも、グラハムの潜在能力あってこそのものか。彼女の新作をプロデュース(主に曲も書いていた)してもいたジョン・カウハード(ピアノ/バッキング・コーラス)はリズ・ライト(2003年9月17日)やブライアン・ブレイド・フェロウシップ(2008年9月4日)の重要奏者も勤めているし、ウッド・ベーシストのリチャード・ハモンドはアンジェリーク・キジョー(2002年8月2日〜4日、2004年8月5日、2007年12月12日)やキアラ・シヴェロ(2008年1月24日)で来ているし、ドラマーはノラ・ジョーンズ〜ジェシー・ハリス関連でおなじみのダン・リーサー(2009年3月1日、他)だ。黙々と生ギターを爪弾いていたダグラス・グラハムだけは無名の人だったが、旦那か血縁なのかな。でも、彼の演奏もまっとう。そのギターがより活きたボサ調は4曲やって、うち3曲で彼女はポルトガル語で歌ったんではないか。
唯一困ったチャンだったのが、ときにアリッサ・グラハムが見せた、格好悪いアクション。それ、レトロな大仰系ロック歌手が見せそうな感じのもので、目のやり場に困りました。でも、いい人そうなのもよく伝わってきたし、ぼくはおおいに彼女に拍手を送る。丸の内・コットンクラブ。セカンド・ショウ。
そして、それを引き出しているのは、実にいい感じの伴奏。皆なにげに腕がたつゾと感心してたら、実は辣腕奏者ぞろいぢゃん。それも、グラハムの潜在能力あってこそのものか。彼女の新作をプロデュース(主に曲も書いていた)してもいたジョン・カウハード(ピアノ/バッキング・コーラス)はリズ・ライト(2003年9月17日)やブライアン・ブレイド・フェロウシップ(2008年9月4日)の重要奏者も勤めているし、ウッド・ベーシストのリチャード・ハモンドはアンジェリーク・キジョー(2002年8月2日〜4日、2004年8月5日、2007年12月12日)やキアラ・シヴェロ(2008年1月24日)で来ているし、ドラマーはノラ・ジョーンズ〜ジェシー・ハリス関連でおなじみのダン・リーサー(2009年3月1日、他)だ。黙々と生ギターを爪弾いていたダグラス・グラハムだけは無名の人だったが、旦那か血縁なのかな。でも、彼の演奏もまっとう。そのギターがより活きたボサ調は4曲やって、うち3曲で彼女はポルトガル語で歌ったんではないか。
唯一困ったチャンだったのが、ときにアリッサ・グラハムが見せた、格好悪いアクション。それ、レトロな大仰系ロック歌手が見せそうな感じのもので、目のやり場に困りました。でも、いい人そうなのもよく伝わってきたし、ぼくはおおいに彼女に拍手を送る。丸の内・コットンクラブ。セカンド・ショウ。
結成40周年記念!! 山下洋輔トリオ復活祭
2009年7月19日 音楽 中村誠一と森山威男とで第一期ヤマシタ・トリオを組んで40年ということで、歴代のトリオ(+1のときもある)の面々を呼んで山下トリオ/山下洋輔(1999年11月19日、2006年3月27日、他)を仁王立ちさせましょうというスペシャル・コンサート。日比谷野外音楽堂。立ち見の人がずらりで、もうフル・ハウス。客の年齢層は当然高く、拍手や声援は濁っていつつも熱い。ぼくの知っているおじいさんも嬌声上げていて、びっくり。ほんと、彼は全共闘世代にとって、トリック・スターだったのだな。69年と言えば、すでにロックがばりばりのしていたははずだが、山下トリオのフリー気味ジャズはある人たちにとっては起爆力たっぷりの枠が吹っ切れたロックでもあったのだと、その様に触れ実感。この日の演奏は深夜ながらフジTVでも放映されるようだ(8月8日)。さすが、文化人。そういえば、物販の列ももの凄かった。限定CD+DVDセットを売っていたせいかもしれないが。
出演者は山下に加え、中村(テナー)、森山(ドラム。2002年1月20日)、坂田明(アルト。2008年9月25日、他)、小山彰太(ドラム。2004年10月10日、他)、林栄一(アルト。2004年10月10日、2005年12月20日)、國仲勝男(ベース。カスタムっぽい、電気フットレス・ベースを弾いた)、故武田和命の代役の菊地成好(テナー。2007年11月7日、他)の8人。外様ですいませんという平身低頭な菊地の様(休憩の間に、司会の相倉久人と気遣いたっぷりのかけあいMCをやったりも)は普段のオレ様なリーダー・グループでの所作になれている人が見たら新鮮だったかも。
パフォーマンスは新しいほう(とは言いつつ、80年代上半期に活動は終わったはずだが)の第4期から徐々に69年に戻っていくという設定を取る。そのほうがなんとなく自然で、とっても効果的。各人それぞれそれなりに好演、なんかいろんな襞がわき上がる感じはあったはず。最後は、全員で演奏。実のところ、ぼくは山下洋輔にそれほど思い入れのある人間ではない。読書をあまりしないぼくは、文筆家としても評価の高い山下の著作を読んだこともないし。ぼくが最初に買った山下洋輔のレコードは『砂山』で、大学生のときかな。でも、それは山下洋輔だから買ったのではなくて、童謡をジャズ化しているというがどんなもんだベという興味で買ったのだった。ま、そんな聞き手ではあるけれど、触れられてよかったととっても思えた実演だったし、年長者たちの逆上せ上がりぶりも理解できました。雨が一瞬ちらつきかけたがセーフ。ながら、空には綺麗な弧を描く虹が、ダブルで出る。何から何まで祝福された公演という感を強くした。
出演者は山下に加え、中村(テナー)、森山(ドラム。2002年1月20日)、坂田明(アルト。2008年9月25日、他)、小山彰太(ドラム。2004年10月10日、他)、林栄一(アルト。2004年10月10日、2005年12月20日)、國仲勝男(ベース。カスタムっぽい、電気フットレス・ベースを弾いた)、故武田和命の代役の菊地成好(テナー。2007年11月7日、他)の8人。外様ですいませんという平身低頭な菊地の様(休憩の間に、司会の相倉久人と気遣いたっぷりのかけあいMCをやったりも)は普段のオレ様なリーダー・グループでの所作になれている人が見たら新鮮だったかも。
パフォーマンスは新しいほう(とは言いつつ、80年代上半期に活動は終わったはずだが)の第4期から徐々に69年に戻っていくという設定を取る。そのほうがなんとなく自然で、とっても効果的。各人それぞれそれなりに好演、なんかいろんな襞がわき上がる感じはあったはず。最後は、全員で演奏。実のところ、ぼくは山下洋輔にそれほど思い入れのある人間ではない。読書をあまりしないぼくは、文筆家としても評価の高い山下の著作を読んだこともないし。ぼくが最初に買った山下洋輔のレコードは『砂山』で、大学生のときかな。でも、それは山下洋輔だから買ったのではなくて、童謡をジャズ化しているというがどんなもんだベという興味で買ったのだった。ま、そんな聞き手ではあるけれど、触れられてよかったととっても思えた実演だったし、年長者たちの逆上せ上がりぶりも理解できました。雨が一瞬ちらつきかけたがセーフ。ながら、空には綺麗な弧を描く虹が、ダブルで出る。何から何まで祝福された公演という感を強くした。
ブライアン・ブレイド
2009年7月20日 音楽 ブレイドは前回のリーダー・グループ公演(2008年9月4日)で今のジャズを作っている!と大感激させた今の最たる敏腕ジャズ・ドラマー(2004年2月9日)だが、その新作『ママ・ローザ』は深い付き合いを持つダニエル・ラノアの表現との繋がりを覚えさせる完全シンガー・ソングライター作だ。そして、今回のパフォーマンスはもろにそっち路線を標榜するもので、ブレイドは基本ギターを手にしながら、生理的に澄んだ歌をうたう。サポートはキーボード、ギター、べース(縦/電気両刀)、女性バックグラウンド・ヴォーカル。ときに、ブレイドはドラム・セットの前に座り叩いたりもするが、その際はよりバンドは丁々発止するようになり、例えばブレイドがギターを手にしているときは軽めのアクセント音を入れているギタリスト(コフリー・ムーア)がその際は前に出てきて、ときにマーヴィン・スーウェル(cf.カサンドラ・ウィオルソン)のような立ったソロを聞かせてしまう。いい奏者をそろえています。
もう随所から、大人の風情ある、どこか漂う感覚を持つ超然としたフォーキィ表現を送り出そうとする意思が顔を出す。そして、それはきっちりと確かな形となり見る者の前に顕われては消える。実はこの日披露された曲は半数以上が未発表曲(つまり、『ママ・ローザ』未収録のヴォーカル曲。キーボード奏者のアーロン・エンブリーが作った曲も少なくなかったよう)だったが、質や手応えは変わらず。あんたって、いったい。でも、その多芸さ、確かさがなんともたのもしい。六本木・ビルボードライブ東京。セカンド・ショウ。
もう随所から、大人の風情ある、どこか漂う感覚を持つ超然としたフォーキィ表現を送り出そうとする意思が顔を出す。そして、それはきっちりと確かな形となり見る者の前に顕われては消える。実はこの日披露された曲は半数以上が未発表曲(つまり、『ママ・ローザ』未収録のヴォーカル曲。キーボード奏者のアーロン・エンブリーが作った曲も少なくなかったよう)だったが、質や手応えは変わらず。あんたって、いったい。でも、その多芸さ、確かさがなんともたのもしい。六本木・ビルボードライブ東京。セカンド・ショウ。
渡辺貞夫。キャロル・ウェルスマン
2009年7月22日 音楽 皆既日食の日。皆既日食を追いかける、その道のマニアがいるというのを、ここ何日かのニュース報道で知った私。ぜんぜん興味持ったことなかった。まあ、想像を絶するスケールの大きな現象だし、接すればそういう人の気持ちも分かるかなーと思ったら曇天。残念。
7時から、カナダ大使館のオスカー・ピーターソン・シアターで、渡辺貞夫のトークとライヴ。彼が7月上旬にモントリオールとトロントのジャズ祭に出演したときの模様(日本とカナダの修好80周年だそう)&その前にNYでなされたレコーディングの様子(そのメンツで、9月にブルーノート東京で公演をする)が映像込みで語られたあとに、ワーキング・グループを従えて演奏する。話はズレるが、今年はオランダとも修好があって節目にあたる年のようで、この7月のロッテルダムでのノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルには日本人アクトがたくさん出たらしい(ソイル&ザ・ピンプ・セッションズから藤井郷子まで)し、逆に9月の“東京ジャズ”にはオランダ人たちによる括りがもうけられるらしい。
今日はカナダの日ということではないけど、その後に有楽町・コットンクラブに行って(セカンド・ショウ)、カナダ人ジャズ歌手のキャロル・ウェルスマンを見る。ピアノを弾きながら歌う彼女をベーシストとドラマーがサポート。本国ではそれなりのキャリアを持ちけっこうな評価を受けている人だが、想像できた以上に達者で豊穣。瀟洒なバラードからブルージィもの、ボサ調までなんでも出来ちゃうんじゃないかと思わせるパフォーマンス。鬼のように、スタンダードのレパートリーもあるんだろうな。確かな積み重ねとジャズ愛がそこにはありました。
7時から、カナダ大使館のオスカー・ピーターソン・シアターで、渡辺貞夫のトークとライヴ。彼が7月上旬にモントリオールとトロントのジャズ祭に出演したときの模様(日本とカナダの修好80周年だそう)&その前にNYでなされたレコーディングの様子(そのメンツで、9月にブルーノート東京で公演をする)が映像込みで語られたあとに、ワーキング・グループを従えて演奏する。話はズレるが、今年はオランダとも修好があって節目にあたる年のようで、この7月のロッテルダムでのノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルには日本人アクトがたくさん出たらしい(ソイル&ザ・ピンプ・セッションズから藤井郷子まで)し、逆に9月の“東京ジャズ”にはオランダ人たちによる括りがもうけられるらしい。
今日はカナダの日ということではないけど、その後に有楽町・コットンクラブに行って(セカンド・ショウ)、カナダ人ジャズ歌手のキャロル・ウェルスマンを見る。ピアノを弾きながら歌う彼女をベーシストとドラマーがサポート。本国ではそれなりのキャリアを持ちけっこうな評価を受けている人だが、想像できた以上に達者で豊穣。瀟洒なバラードからブルージィもの、ボサ調までなんでも出来ちゃうんじゃないかと思わせるパフォーマンス。鬼のように、スタンダードのレパートリーもあるんだろうな。確かな積み重ねとジャズ愛がそこにはありました。
フジ・ロック・フェスティヴァル’09
2009年7月24日 音楽 朝8時半過ぎに出たけど、途中にヘヴィな事故渋滞(+α。後述します)にあい、午後2時半に苗場に到着。ふう。出発前に、滝のような雨が降っているとのメールを受け、東京もけっこう雨天だったので長靴にて苗場に向かったが、これは大正解。3日間ともぼくは長靴をはいていました。とくに会場の午前中は風も強く、富士天神山スキー場であった一回目のフジ・ロックを思い出したと言う人もいた(2日目は中止になった)ので、相当酷い天候だったのだろう。
で、夕方以降はまた相当な雨模様。ぶっちゃけ、辛いっ来るんじゃなかったと思ったときもあった。この日は、エミ・マイヤー、パティ・スミス、トータス、ゴング(古くさいところもあるけど、朽ちぬユーロ・リベラリズムの確かな具現アリ)、ロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンドなどに触れる。初日に一番見たかったのは、昨年海外に行っていて来日公演が見ることができなかったザ・ネヴィル・ブラザーズ。ではあったのだが、あまりの雨(プラス、後述する3.のため)で心が折れて会場を後にしちゃった。後から知ったが、ぼくと同じ行動を取った人が何人もいて、やはりこの日の天気は苦行の域に達していたのだと思う。とは言いつつ、こういうのもフジという心持ちも過去の経験でできているわけだが。
実は、この日は厄日じゃないかと思うほど、トラブルあり。まず、1)行きの高速のサーヴィス・エリア(上里、だったかな)で、お金もクレジットカードも免許証も保険証もみんな入っている財布をなぜかおとす。2)ホテル前で車のドアに指を挟み、出血。側にいた英国人が大騒ぎ。3)そして、夜には雨に濡れて携帯電話が壊れる。オレ、ラッキーくんで、あんましそういう目にあったことがないのだが、こんなに悪い事が重なるなんて。びっくりびっくりびっくり。1)に関しては、気がついて一度高速を降りて上り車線に乗り替え、また下り線に乗り直してSAに戻ったら、なんと無事あった! 2)に関しては当初そうとう痛かった。が、ホテルと会場の救護室(親切でした)でそれぞれ処置をしたら、あまり腫れず、化膿することもなく、翌日には瘡蓋とかはできたが結構なおる(脅威の治癒能力に自分でも驚く)。3)は携帯に詳しい人が巧みにバッテリーなどを取り出し、拭いてくれたりして、見事に復活。なんか、結果はオーライではあったのだが。あー、いろんなことがあるものだ。
で、夕方以降はまた相当な雨模様。ぶっちゃけ、辛いっ来るんじゃなかったと思ったときもあった。この日は、エミ・マイヤー、パティ・スミス、トータス、ゴング(古くさいところもあるけど、朽ちぬユーロ・リベラリズムの確かな具現アリ)、ロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンドなどに触れる。初日に一番見たかったのは、昨年海外に行っていて来日公演が見ることができなかったザ・ネヴィル・ブラザーズ。ではあったのだが、あまりの雨(プラス、後述する3.のため)で心が折れて会場を後にしちゃった。後から知ったが、ぼくと同じ行動を取った人が何人もいて、やはりこの日の天気は苦行の域に達していたのだと思う。とは言いつつ、こういうのもフジという心持ちも過去の経験でできているわけだが。
実は、この日は厄日じゃないかと思うほど、トラブルあり。まず、1)行きの高速のサーヴィス・エリア(上里、だったかな)で、お金もクレジットカードも免許証も保険証もみんな入っている財布をなぜかおとす。2)ホテル前で車のドアに指を挟み、出血。側にいた英国人が大騒ぎ。3)そして、夜には雨に濡れて携帯電話が壊れる。オレ、ラッキーくんで、あんましそういう目にあったことがないのだが、こんなに悪い事が重なるなんて。びっくりびっくりびっくり。1)に関しては、気がついて一度高速を降りて上り車線に乗り替え、また下り線に乗り直してSAに戻ったら、なんと無事あった! 2)に関しては当初そうとう痛かった。が、ホテルと会場の救護室(親切でした)でそれぞれ処置をしたら、あまり腫れず、化膿することもなく、翌日には瘡蓋とかはできたが結構なおる(脅威の治癒能力に自分でも驚く)。3)は携帯に詳しい人が巧みにバッテリーなどを取り出し、拭いてくれたりして、見事に復活。なんか、結果はオーライではあったのだが。あー、いろんなことがあるものだ。
フジ・ロック・フェスティヴァル’09
2009年7月25日 音楽 この日は、雨は降らず。けっこう、いろいろ見たし、いいモノと出会えたという所感をとても得る。で、陽に当たったという気持ちは得なかったが、それなりに肌が焼けました。
スタートは昼下がりグリーン・ステージのシェウン・クティ&ザ・エジプト80。そのあまりにうれしい味はWOMEX公演(2007年10月25日)に書いたとおりだが、これは何度見ても有頂天になれる何かをしかと持っているとすぐに興奮。といいつつ、明日のオレンジ・コートでの彼らのステージをじっくり見る予定を立てているので、途中で移動。奥(オレンジ・コート)までに行って、フランスのギタリストとドラマーのデュオ、ジ・インスペクター・クルーゾを見る。小単位による、肉感的&ファンキーな爆発ロック表現。ときに愛あるR&B憧憬表現を開きつつ、一方ではレッド・ホット・チリ・ペッパーズみたいな曲をごんごん送り出したりも。仕草はなんかチャーミングだったりもし、これはいいライヴ・アクトだと思う。そんな彼らが持つ会社は現在フィッシュボーン(2007 年4月6日、他)のマネイジメントやCDリリースを行っている。
その後、その先に出きたスペースをのぞきつつ(そこに出来たカフェをはじめ、毎日どこかのステージに立った、がらっぱちで娯楽精神に長けたスウェーデンの若手ジプシー音楽系集団のレーヴェンという集団は大人気だったみたい。ぼくもアヴァロ・フィールドでそのパフォーマンスに少し触れたが、すごい人が集まっていた。なんでも今年のフジ・ロックの即売CDで一番売れたのが彼らだったそうだ)、またオレンジ・コートに戻り、そこでイーライ“ペイパーボーイ”リード&ザ・トゥルー・ラヴズを見る。米マサチューセッツ州ベースのブルー・アイド・ソウル歌手と彼を盛り上げるホーン隊付きのバンドが一体となって、がちんこソウル・パフォーマンスを展開。新しさは何もないが、愛と経験はいっぱい、そりゃ見ていてイヤなはずがない。イエイ。
そして、この日の大きな発見アーティストであったのが、西海岸バンドのジ・アグロライツ。レゲエ基調にファンク/R&Bや骨太ロックの要素を加味した音楽性を持つのだが、塩辛い歌声とガッツあるバンド・サウンドが噛み合う様はその手の最良の形の一つ言いたくなるほど存在感と訴求力あり。アルバムを聞いてトゥーツ&ザ・メイタルズ(2004年9月17日)にロックっぽさを重ねたみたいと思ったが、ここまで生の味がいいとは! 浮かれました。
といいつつ、最後までは見ず(泣)、大急ぎでグリーンに異動。順調に伸びている豪州出身のジェット(2004年2月4日)のパフォーマンスを見る。水曜日に東京で彼らを取材することになっているため、けっこうじっくり拝見。ザ・ローリング・ストーンズの音に代表されるような“ロックとして変わらなくていいもの”をフレッシュな心持ちで表出しようとしている彼らだが、そのまっつぐなパフォーマンスに客もホットに応える。まっとうなロックが祝福された空間を招く……。その様に触れながら、下手に遅い時間よりは場内が明るく誰も帰りの時間を気にしないこの頃が一番いい時間帯なのではないかとも、ふと思う。どんなもんだろう? 彼らは翌日は韓国でやったロック・フェスに出演したという。
その後、オアシスで知り合いと酒盛り、少しレッド・マーキーのトラッシュキャン・シナトラズ(けっこう、変わらない感じ?)やブライト・アイズ(微妙な含みがあったような)などを少しかじる。で、酔っぱらいお腹もふくれ、もう一度ゆっくり“奥”のほうに向かう。グリーン・ステージではいろんな人が登場する忌野清志郎(2005年7月29日、他)へのトリビュートの出し物をやっている。Char(2008年10月5日、他)やUA(2009年5月30日、他)らが歌うのを見る。忌野清志郎が歌う生前のライヴの映像/歌に合わせてステージ上のバンドが音を出すときも(その様式は、1999年11 月23日の項を参照のこと)。もっと見たかったが、ブラック・ロック応援団長みたいな感じだった時もあるぼくはホワイト・ステージに行き、30年以上のキャリアを持つD.C.出身のラスタ混合ロック・バンドのバッド・ブレインズを途中から見る。レゲエとハード・コアのぶきっちょでもある折衷表現をマイペースに繰り出す。過剰に感激はしなかったけど、見れてよかったし、妙な存在感は感じたな。そのままいて、パブリック・エネミー(2005年8月14日)を見ようと待っていたのだが、前説みたいなラッパーが出てきている時点で、フィールド・オブ・ヘヴンで同時刻からはじまるザ・ファンキー・ミーターズのことが気になってしまい(昨日、メンツが一部重なるザ・ネヴィル・ブラザーズを見なかったために余計に)、隣のステージに異動。フレイヴァー・フレヴが急遽来なくなりチャック・Dが奮闘することとなったバンド付きステージだった彼らのライヴは否定的な感想を言う人も複数いたが。
で、ニューオーリンズ・ファンクの重要人物であるアート・ネヴィル率いるザ・ファンキー・ミーターズのステージだが、これは期待どおり。90年ごろに彼らは日本公演を行っている(東京はクラブクアトロだった。取材もしたので、よく覚えている)が、そのときよりも間違いなく今回のほうが良かったはず。普段は車椅子を用いているというアート・ネヴィルが力の入った演奏を見せていたし(息子のギタリストのイアン・ネヴィルを見つめる風情は本当に良き父親。少し、親馬鹿はいっているかもしれぬ。ああ、その従兄弟のロック派逸材アイヴァン・ネヴィルを見てえ!)、ジョージ・ポーターJr.(2008年8月14日、他)も闊達にパフォーム。けっこう、予定時間を超えて彼らはニューオーリンズのうれしい何かを提出しまくってくれた。ドラムはかつてパパ・グロウズ・ファンクにもいたラッセル・バティーステ(2006年8月8日、他)だったのかな。
そして、さらに奥に行き、オレンジ・コートで60年代南部ソウルのアイコン的オルガン奏者のブッカー・T・ジョーンズのギグを途中から見る。声援を受け、終止うれしそうな彼もまたけっこう長い時間パフォーマンスしたな。ものすごく久しぶりのアンタイ発新作『ポテト・ホール』のけっこうロッキッシュ(ジョーンズにバッキングを頼んだこともあるニール・ヤングもゲスト入り)な部分もあるインスト作だったが、この晩のバッキンッグも生理的にヤサぐれた白人たちがやっている。が、ジョーンズ自体の演奏は昨年のブッカー・T &ザ・MGズ公演(2008年11月24日)のときの演奏より覇気があったのは間違いない。そんな彼はアンコールのときには、なんとサム&デイヴの「ホールド・オン」とオーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」、2曲の60年代スタックス有名曲を訥々と歌う! おお、けっしてうまくはないが味あり。うぬ、これは貴重なパフォーマンスではないか。そういえば、先のグリーンの忌野清志郎トリビュート・ショウにアメリカからかけつけたスティーヴ・クロッパー(2009年7月14日)が刎頸の友たるジョーンズのステージに飛びいりするんじゃないかと思ったら、それはなし。昨年も一緒に来ているのに、決して懇意な関係ではなくなっているのかも。
……なーんてこたあ、どーでもいい事。とにもかくにも、これは得難い、米国黒人インスト表現の最高峰を担ったオルガン奏者を中央に置く表現の2連発を体験してしまったあと高揚。ザ・ファンキー・ミーターズの前身であるザ・ミーターズはMGズの成功を横目に、ニューオーリンズ版のそれをやろうと組んだという話もある。
その余韻を楽しむように、雨天でもないしオアシスに戻りまったり。苗場食堂で複数知り合いと会い、お酒をおごったりおごられたり。うだうだ、なあなあ。そーゆう乱暴な緩い宴のノリもフジ・ロックの醍醐味なり。
スタートは昼下がりグリーン・ステージのシェウン・クティ&ザ・エジプト80。そのあまりにうれしい味はWOMEX公演(2007年10月25日)に書いたとおりだが、これは何度見ても有頂天になれる何かをしかと持っているとすぐに興奮。といいつつ、明日のオレンジ・コートでの彼らのステージをじっくり見る予定を立てているので、途中で移動。奥(オレンジ・コート)までに行って、フランスのギタリストとドラマーのデュオ、ジ・インスペクター・クルーゾを見る。小単位による、肉感的&ファンキーな爆発ロック表現。ときに愛あるR&B憧憬表現を開きつつ、一方ではレッド・ホット・チリ・ペッパーズみたいな曲をごんごん送り出したりも。仕草はなんかチャーミングだったりもし、これはいいライヴ・アクトだと思う。そんな彼らが持つ会社は現在フィッシュボーン(2007 年4月6日、他)のマネイジメントやCDリリースを行っている。
その後、その先に出きたスペースをのぞきつつ(そこに出来たカフェをはじめ、毎日どこかのステージに立った、がらっぱちで娯楽精神に長けたスウェーデンの若手ジプシー音楽系集団のレーヴェンという集団は大人気だったみたい。ぼくもアヴァロ・フィールドでそのパフォーマンスに少し触れたが、すごい人が集まっていた。なんでも今年のフジ・ロックの即売CDで一番売れたのが彼らだったそうだ)、またオレンジ・コートに戻り、そこでイーライ“ペイパーボーイ”リード&ザ・トゥルー・ラヴズを見る。米マサチューセッツ州ベースのブルー・アイド・ソウル歌手と彼を盛り上げるホーン隊付きのバンドが一体となって、がちんこソウル・パフォーマンスを展開。新しさは何もないが、愛と経験はいっぱい、そりゃ見ていてイヤなはずがない。イエイ。
そして、この日の大きな発見アーティストであったのが、西海岸バンドのジ・アグロライツ。レゲエ基調にファンク/R&Bや骨太ロックの要素を加味した音楽性を持つのだが、塩辛い歌声とガッツあるバンド・サウンドが噛み合う様はその手の最良の形の一つ言いたくなるほど存在感と訴求力あり。アルバムを聞いてトゥーツ&ザ・メイタルズ(2004年9月17日)にロックっぽさを重ねたみたいと思ったが、ここまで生の味がいいとは! 浮かれました。
といいつつ、最後までは見ず(泣)、大急ぎでグリーンに異動。順調に伸びている豪州出身のジェット(2004年2月4日)のパフォーマンスを見る。水曜日に東京で彼らを取材することになっているため、けっこうじっくり拝見。ザ・ローリング・ストーンズの音に代表されるような“ロックとして変わらなくていいもの”をフレッシュな心持ちで表出しようとしている彼らだが、そのまっつぐなパフォーマンスに客もホットに応える。まっとうなロックが祝福された空間を招く……。その様に触れながら、下手に遅い時間よりは場内が明るく誰も帰りの時間を気にしないこの頃が一番いい時間帯なのではないかとも、ふと思う。どんなもんだろう? 彼らは翌日は韓国でやったロック・フェスに出演したという。
その後、オアシスで知り合いと酒盛り、少しレッド・マーキーのトラッシュキャン・シナトラズ(けっこう、変わらない感じ?)やブライト・アイズ(微妙な含みがあったような)などを少しかじる。で、酔っぱらいお腹もふくれ、もう一度ゆっくり“奥”のほうに向かう。グリーン・ステージではいろんな人が登場する忌野清志郎(2005年7月29日、他)へのトリビュートの出し物をやっている。Char(2008年10月5日、他)やUA(2009年5月30日、他)らが歌うのを見る。忌野清志郎が歌う生前のライヴの映像/歌に合わせてステージ上のバンドが音を出すときも(その様式は、1999年11 月23日の項を参照のこと)。もっと見たかったが、ブラック・ロック応援団長みたいな感じだった時もあるぼくはホワイト・ステージに行き、30年以上のキャリアを持つD.C.出身のラスタ混合ロック・バンドのバッド・ブレインズを途中から見る。レゲエとハード・コアのぶきっちょでもある折衷表現をマイペースに繰り出す。過剰に感激はしなかったけど、見れてよかったし、妙な存在感は感じたな。そのままいて、パブリック・エネミー(2005年8月14日)を見ようと待っていたのだが、前説みたいなラッパーが出てきている時点で、フィールド・オブ・ヘヴンで同時刻からはじまるザ・ファンキー・ミーターズのことが気になってしまい(昨日、メンツが一部重なるザ・ネヴィル・ブラザーズを見なかったために余計に)、隣のステージに異動。フレイヴァー・フレヴが急遽来なくなりチャック・Dが奮闘することとなったバンド付きステージだった彼らのライヴは否定的な感想を言う人も複数いたが。
で、ニューオーリンズ・ファンクの重要人物であるアート・ネヴィル率いるザ・ファンキー・ミーターズのステージだが、これは期待どおり。90年ごろに彼らは日本公演を行っている(東京はクラブクアトロだった。取材もしたので、よく覚えている)が、そのときよりも間違いなく今回のほうが良かったはず。普段は車椅子を用いているというアート・ネヴィルが力の入った演奏を見せていたし(息子のギタリストのイアン・ネヴィルを見つめる風情は本当に良き父親。少し、親馬鹿はいっているかもしれぬ。ああ、その従兄弟のロック派逸材アイヴァン・ネヴィルを見てえ!)、ジョージ・ポーターJr.(2008年8月14日、他)も闊達にパフォーム。けっこう、予定時間を超えて彼らはニューオーリンズのうれしい何かを提出しまくってくれた。ドラムはかつてパパ・グロウズ・ファンクにもいたラッセル・バティーステ(2006年8月8日、他)だったのかな。
そして、さらに奥に行き、オレンジ・コートで60年代南部ソウルのアイコン的オルガン奏者のブッカー・T・ジョーンズのギグを途中から見る。声援を受け、終止うれしそうな彼もまたけっこう長い時間パフォーマンスしたな。ものすごく久しぶりのアンタイ発新作『ポテト・ホール』のけっこうロッキッシュ(ジョーンズにバッキングを頼んだこともあるニール・ヤングもゲスト入り)な部分もあるインスト作だったが、この晩のバッキンッグも生理的にヤサぐれた白人たちがやっている。が、ジョーンズ自体の演奏は昨年のブッカー・T &ザ・MGズ公演(2008年11月24日)のときの演奏より覇気があったのは間違いない。そんな彼はアンコールのときには、なんとサム&デイヴの「ホールド・オン」とオーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」、2曲の60年代スタックス有名曲を訥々と歌う! おお、けっしてうまくはないが味あり。うぬ、これは貴重なパフォーマンスではないか。そういえば、先のグリーンの忌野清志郎トリビュート・ショウにアメリカからかけつけたスティーヴ・クロッパー(2009年7月14日)が刎頸の友たるジョーンズのステージに飛びいりするんじゃないかと思ったら、それはなし。昨年も一緒に来ているのに、決して懇意な関係ではなくなっているのかも。
……なーんてこたあ、どーでもいい事。とにもかくにも、これは得難い、米国黒人インスト表現の最高峰を担ったオルガン奏者を中央に置く表現の2連発を体験してしまったあと高揚。ザ・ファンキー・ミーターズの前身であるザ・ミーターズはMGズの成功を横目に、ニューオーリンズ版のそれをやろうと組んだという話もある。
その余韻を楽しむように、雨天でもないしオアシスに戻りまったり。苗場食堂で複数知り合いと会い、お酒をおごったりおごられたり。うだうだ、なあなあ。そーゆう乱暴な緩い宴のノリもフジ・ロックの醍醐味なり。
フジ・ロック・フェスティヴァル’09
2009年7月26日 音楽 朝、起きてうわあ疲れがたまっているう、とおののく。が、食欲はあり、朝食パクパク。空を見ると、少しパラつくこともあるかもしれないが、それほど濡れずには済むかなと思えたのだが(それは外れた)。最終日はまず一気にフィールド・オブ・ヘヴンまで進み、スティーヴ・ナイーヴ(2004年12月8日、他)・バンドにスクィーズのグレン・ティルブルック(2005年8月8日)が加わったパフォーマンスを見る。いかにもUK的な情緒を持つティルブルックの歌声はやはりうれしい。ナイーヴも下手だったけど、歌ったな。おやじ英国人気質/ポップネスの笑顔の開示。話は飛ぶが、時間が早いせいもあるが、道にせよ会場にせよ、ゴミが落ちてないのって、本当に良い。日本人っていいなあ。フジ・ロックはどこか理想主義を確認する場、一時でも実践する場でもあるのかな。もめ事を見ることもなかったし、肉体的な負担はともかく、生理的には快適なフェスだと再認識しました。
フィールド・オブ・ヘヴンは下が草地だったら本当に素敵な会場なのにと思いつつ、けっこう草地で覆われている少し横にあるジプシー・アヴァロンに行く。実はソーラー・パワーを用いているここをぼくと同姓同名の方が仕切っていて、彼と15年ぶりぐらいに会って話した。まあ、人生いろいろですね。最近ヨットを始めたそうで、船酔いしちゃうぼくにはうらやましい。そして、久しぶりにここの上のほうまで登ってみたが、すうっと対岸(?)の道路や山まで見渡せ、気持ちいい。なんか、山に来ていることや、自然のなかのイヴェントにいることが実感できる。ここに座っているだけでいいんです、みたいな人も散見されたような気もするが、なんかそれも分からなくもない。などといろいろ思っていたら、エミ・マイヤー(2009年6月30日)の自然体パフォーマンスが始まる。電気キーボードの、弾き語り。すううと鼻にかかった伸びやかな歌声が宙に舞い、周りの緑に溶けて行く。おー、なんかシチュエイションがとても合っている。どんどん客も集まってきて、上から見下ろして行くと、ステージに向かう扇状の緑色のスロープがどんどんカラフルになって行くのが目の当たりにできる。ときにピアノ音の微妙な干渉の仕方が表現の全体像にグルーヴィな余韻や揺れを与える。そういうのに触れると、彼女はジャズもやってきた人だなと実感できました。
その後、見る予定にはなかったが、知人に誘われ頭脳警察をオレンジ・コートで見る。熟年ジャズ・ファンにおける山下洋輔のような重み(2009年7月19日参照)を年寄りロック・ファンは頭脳警察のパンタに抱く、なーんて。ロックが市民権を得ようとしていた時代の、フォークと並走していた時代の日本のロック表現があった、と、それは思わせた。
この後、知り合いとプリンス・ホテルで“大人食事”をすることになっていて、ホテルに向かおうとしたら、どばあと雨が降ってくる。で、ホテルにびしょびしょになって到着したが、急に行けなあいと連絡があり(でも、しょうがない理由だな)、寂しくちびちび飲みつつ一人で食事(なんで、一カ所しか食べる所が空いていなかったんだろう。前はもっと営業していたはず)。ぼく、会場内にちゃんと座れてそれなりの量と質をサーヴする店があるなら、2500円でもそこを選択します。もう、ビールは500円から600円に値上げされているし、食べ物はどの店も量や質の割には高すぎる(フェスに店を出すると異常にもうかるという風評に頷いちゃう)。いま、もう一度、フェスの飲食関連の価格設定を問い直す時期にきているのではないか。あと、絶対に立って食事はしたくないと頑に思うように自分がなっているのに今回気付いた。
ホテルから再び会場に向かうとき、外国人から声をかけられる。ん、俺知らんぞという反応を少し出したら、「Womexのときに会ったじゃないか」。おお、シェウン・クティの面倒を見ているマルタン・メソニエかあ(←もともと、彼はワールド・ミュージック全盛期最たる敏腕音楽プロデューサー。シェウン・クティのデビュー盤作りに関与し、久しぶりにワールド・ミュージック業界前線に戻ってきた)。話題のアーティストとともにいろんな所でいろんな人としこたま会っているはずだが、なのにちょっと会っただけの俺を覚えているって凄いな(←例によって、ぼくは忘れていた)。やはり、俺はビジネスの仕切りとかには向いてないんだろうな。
マイア・バルーやROVO(2006年12月3日、他)に少し触れつつ、ずずいっとオレンジ・コート。渋さ知らズオーケストラ(2008年7月6日、他)を頭から。冒頭、例によってデカい風船の龍が場内を泳ぐ。さすがフジ・ロックの“裏の主”と言うにふさわしい観客動員であり、熱狂的なオーディエンスの反応。ぼくは渋さ知らズオーケストラの実演はレパートリーが固まり過ぎで、どこか予定調和的な感じを得てここ1年ほどは機会があっても彼らのライヴに足を運ぶのをやめていたのだが、躍動する肉感的サウンドの持ち味、オーディエンスとの相乗でわき上がるその不可解な雑食奇怪パワーは渋さでしかないナと実感。えーじゃないか的に聞く者を根こそぎあっち側に持って行くような力を彼らは持っていた。フェスの晴れの場に渋さアリ。なんか、無条件に鼓舞され、こみ上げてくるものがあったナ。近年は参加することがなかった、旧構成員のROVOの勝井佑二(2008年2月18日、他)や芳垣安洋(2007年10月17日、他)も客演した。
そして、それに続くは、アフロ・ビート表現の正統的継承者シェウン・クティ。なんか納得いく並びですね。実は、バックステージではクティと不破大輔(2007年6月3日、他)の邂逅なんてのもあった。セット・チェンジの時間に、少しフィールド・オブ・ヘヴンのザ・ディスコ・ビスケッツのショウ(ジャム・バンドらしく、3時間も演奏予定時間がとられていた)を事なかれな感じで少しだけ見る(けっこう、見た人は好評している)が、すぐにオレンジ・コートに戻る。本当はホワイトのアニマル・コレクティヴ(2008年3月8日)を見たかったが、あそこまで行く根性がなかった。その新作はおとなしい出来だったが、ライヴはもう壮絶&進歩的な口あんぐりなものだったそう。
シェウンのショウに話は戻るが、バンドが出てきて場を温めて真打ち登場という感じで主役の彼は登場するわけだが、その前説的な演奏だけでもう血に頭がのぼっちゃう。人間の根本に直結した、問答無用の熱血肉感性開放ビート・ミュージック! それは森羅万象と言いたくなる(?)普遍性とともに、黄金の場を作り出す。もちろん、07年に最初触れたときの興奮(もう、最前列でかぶりつきで見ちゃった)には叶うはずもないが、何度だって、いつだって、どんな心持ちのときだって、ぼくは喝采を上げるに違いない。
シェウンの炎の表現とともに、ぼくのフジ・ロックは終わった。
フィールド・オブ・ヘヴンは下が草地だったら本当に素敵な会場なのにと思いつつ、けっこう草地で覆われている少し横にあるジプシー・アヴァロンに行く。実はソーラー・パワーを用いているここをぼくと同姓同名の方が仕切っていて、彼と15年ぶりぐらいに会って話した。まあ、人生いろいろですね。最近ヨットを始めたそうで、船酔いしちゃうぼくにはうらやましい。そして、久しぶりにここの上のほうまで登ってみたが、すうっと対岸(?)の道路や山まで見渡せ、気持ちいい。なんか、山に来ていることや、自然のなかのイヴェントにいることが実感できる。ここに座っているだけでいいんです、みたいな人も散見されたような気もするが、なんかそれも分からなくもない。などといろいろ思っていたら、エミ・マイヤー(2009年6月30日)の自然体パフォーマンスが始まる。電気キーボードの、弾き語り。すううと鼻にかかった伸びやかな歌声が宙に舞い、周りの緑に溶けて行く。おー、なんかシチュエイションがとても合っている。どんどん客も集まってきて、上から見下ろして行くと、ステージに向かう扇状の緑色のスロープがどんどんカラフルになって行くのが目の当たりにできる。ときにピアノ音の微妙な干渉の仕方が表現の全体像にグルーヴィな余韻や揺れを与える。そういうのに触れると、彼女はジャズもやってきた人だなと実感できました。
その後、見る予定にはなかったが、知人に誘われ頭脳警察をオレンジ・コートで見る。熟年ジャズ・ファンにおける山下洋輔のような重み(2009年7月19日参照)を年寄りロック・ファンは頭脳警察のパンタに抱く、なーんて。ロックが市民権を得ようとしていた時代の、フォークと並走していた時代の日本のロック表現があった、と、それは思わせた。
この後、知り合いとプリンス・ホテルで“大人食事”をすることになっていて、ホテルに向かおうとしたら、どばあと雨が降ってくる。で、ホテルにびしょびしょになって到着したが、急に行けなあいと連絡があり(でも、しょうがない理由だな)、寂しくちびちび飲みつつ一人で食事(なんで、一カ所しか食べる所が空いていなかったんだろう。前はもっと営業していたはず)。ぼく、会場内にちゃんと座れてそれなりの量と質をサーヴする店があるなら、2500円でもそこを選択します。もう、ビールは500円から600円に値上げされているし、食べ物はどの店も量や質の割には高すぎる(フェスに店を出すると異常にもうかるという風評に頷いちゃう)。いま、もう一度、フェスの飲食関連の価格設定を問い直す時期にきているのではないか。あと、絶対に立って食事はしたくないと頑に思うように自分がなっているのに今回気付いた。
ホテルから再び会場に向かうとき、外国人から声をかけられる。ん、俺知らんぞという反応を少し出したら、「Womexのときに会ったじゃないか」。おお、シェウン・クティの面倒を見ているマルタン・メソニエかあ(←もともと、彼はワールド・ミュージック全盛期最たる敏腕音楽プロデューサー。シェウン・クティのデビュー盤作りに関与し、久しぶりにワールド・ミュージック業界前線に戻ってきた)。話題のアーティストとともにいろんな所でいろんな人としこたま会っているはずだが、なのにちょっと会っただけの俺を覚えているって凄いな(←例によって、ぼくは忘れていた)。やはり、俺はビジネスの仕切りとかには向いてないんだろうな。
マイア・バルーやROVO(2006年12月3日、他)に少し触れつつ、ずずいっとオレンジ・コート。渋さ知らズオーケストラ(2008年7月6日、他)を頭から。冒頭、例によってデカい風船の龍が場内を泳ぐ。さすがフジ・ロックの“裏の主”と言うにふさわしい観客動員であり、熱狂的なオーディエンスの反応。ぼくは渋さ知らズオーケストラの実演はレパートリーが固まり過ぎで、どこか予定調和的な感じを得てここ1年ほどは機会があっても彼らのライヴに足を運ぶのをやめていたのだが、躍動する肉感的サウンドの持ち味、オーディエンスとの相乗でわき上がるその不可解な雑食奇怪パワーは渋さでしかないナと実感。えーじゃないか的に聞く者を根こそぎあっち側に持って行くような力を彼らは持っていた。フェスの晴れの場に渋さアリ。なんか、無条件に鼓舞され、こみ上げてくるものがあったナ。近年は参加することがなかった、旧構成員のROVOの勝井佑二(2008年2月18日、他)や芳垣安洋(2007年10月17日、他)も客演した。
そして、それに続くは、アフロ・ビート表現の正統的継承者シェウン・クティ。なんか納得いく並びですね。実は、バックステージではクティと不破大輔(2007年6月3日、他)の邂逅なんてのもあった。セット・チェンジの時間に、少しフィールド・オブ・ヘヴンのザ・ディスコ・ビスケッツのショウ(ジャム・バンドらしく、3時間も演奏予定時間がとられていた)を事なかれな感じで少しだけ見る(けっこう、見た人は好評している)が、すぐにオレンジ・コートに戻る。本当はホワイトのアニマル・コレクティヴ(2008年3月8日)を見たかったが、あそこまで行く根性がなかった。その新作はおとなしい出来だったが、ライヴはもう壮絶&進歩的な口あんぐりなものだったそう。
シェウンのショウに話は戻るが、バンドが出てきて場を温めて真打ち登場という感じで主役の彼は登場するわけだが、その前説的な演奏だけでもう血に頭がのぼっちゃう。人間の根本に直結した、問答無用の熱血肉感性開放ビート・ミュージック! それは森羅万象と言いたくなる(?)普遍性とともに、黄金の場を作り出す。もちろん、07年に最初触れたときの興奮(もう、最前列でかぶりつきで見ちゃった)には叶うはずもないが、何度だって、いつだって、どんな心持ちのときだって、ぼくは喝采を上げるに違いない。
シェウンの炎の表現とともに、ぼくのフジ・ロックは終わった。
パパ・グロウズ・ファンク
2009年7月27日 音楽 11時ぐらいに苗場をでて午後3時ぐらいに東京着。たまったPCメールとかを見ていたら、ぎょっ。もう少し先だと思っていたパパ・グロウズ・ファンク公演が今晩だと知る。戻ってきたらすぐ書きますとか言っていた原稿が遠のいていくう。会場は横浜・サムズアップ、なんで東京公演がないんだァ。なぜ、屈指の今様ニューオーリンズ・ファンク・バンドはフジ・ロックに出れないんだあ。とっても、そう感じた。パパ・グロウズ・ファンク→ザ・ファンキー・ミーターズの連ちゃんなんて最高じゃあないか。もともとパパ・グロウズ・ファンク(2007年2月5日、他)の米国業界大々的デビューは故ビル・グレアム仕切りで2000年秋にサンフランシスコで開かれたザ・ミーターズの再結成公演のアフター・パーティ(それだけのために、呼ばれたんだって)、そのときの高評判がその後のパパ・グロウズ・ファンクの好調な活動を導いたのだ。
セカンド・ショウからちゃんと見る。もー、満員。山岸潤史(2009年5月19日、他)の勧めもありキーボードのジョン・グロウ(2007年2月3日、他)はここのところ歌う割合を増やしているが、今回はより増えていたか。で、その歌はより上達=よりこってりした味を持つようになっていて、ニッコリ。ま、大昔はフレンチクォーターで観光客相手にトップ40ものを弾き語りして歌っていたこともあるわけだし、基本うたうことには慣れているはずではあるが。
中盤になんとPE’Z(2007年4月14日、他)のトランぺッターのB.M.W.とテナー・サックス奏者のJAWが加わる。そして、全7人でPE’Zの曲とパパ・グロウズ・ファンクの曲を1曲づつ演奏。きけば、パパ・グロウズ・ファンクはPE’Zの近く出るトリビュート盤に参加、1曲提供しているのだという。それは、ソウライヴ(2009年7月9日、他)とかザ・ベイカー・ブラザーズ(2008年12月11日、他)とか、前線にいるいろんなファンキー・バンドがPE’Z曲をやっているらしい。あ、あと山岸のソー・バッド・レヴュー時代の先輩同僚ギタリストの石田長生も途中で出てきたっけ。
高揚し、ココロ弾み、飲み物もすすむ。が、疲労困憊。幸せだったけど、ボロボロだァ。
セカンド・ショウからちゃんと見る。もー、満員。山岸潤史(2009年5月19日、他)の勧めもありキーボードのジョン・グロウ(2007年2月3日、他)はここのところ歌う割合を増やしているが、今回はより増えていたか。で、その歌はより上達=よりこってりした味を持つようになっていて、ニッコリ。ま、大昔はフレンチクォーターで観光客相手にトップ40ものを弾き語りして歌っていたこともあるわけだし、基本うたうことには慣れているはずではあるが。
中盤になんとPE’Z(2007年4月14日、他)のトランぺッターのB.M.W.とテナー・サックス奏者のJAWが加わる。そして、全7人でPE’Zの曲とパパ・グロウズ・ファンクの曲を1曲づつ演奏。きけば、パパ・グロウズ・ファンクはPE’Zの近く出るトリビュート盤に参加、1曲提供しているのだという。それは、ソウライヴ(2009年7月9日、他)とかザ・ベイカー・ブラザーズ(2008年12月11日、他)とか、前線にいるいろんなファンキー・バンドがPE’Z曲をやっているらしい。あ、あと山岸のソー・バッド・レヴュー時代の先輩同僚ギタリストの石田長生も途中で出てきたっけ。
高揚し、ココロ弾み、飲み物もすすむ。が、疲労困憊。幸せだったけど、ボロボロだァ。
クラリネットや小さなサックスを吹く多田葉子(2001年1月21日、他)、チューバ他の関島岳郎(2005年12月20日、他)、ギターの臼井康浩(2006年7月3日、他)、枠をスルリと超えている3人による即興ユニット。40分ぐらいの演奏を休憩を挟んで2本。思うまま、感じるままに。興味深かったのは、低音担当楽器で知られる関島が1部では各種笛を中心に吹き(チューバは最後のほうに少し吹いただけ)、2部に入るとおおくは小さな鍵盤やチープな電気音発生装置を扱っていたこと。後者は一部マイルス・デイヴィスの70年代頭的な効果音を思い出させる場合も。何やってもいいぢゃん、なのだなあ。そこには澄んだ気持ちとともに、正しい自由の行使がありました。場所は、渋谷・Bar Isshee。石田さん(青い部屋で行われている“Extreme Night”をずっと企画してもいる彼はかつてクロスビート誌でバーのエッセイ連載を持っていたことも)がやっているこの店は“投げ銭制”(いくら払うかは見る者の自由)にて、気軽にインプロ系ギグを時々やっている。みんな、もっともっと、身軽にやっていいのダ。