ジョージィ・フェイム
2009年9月2日 音楽 おお、記憶力いいんだな。曲をやる前に、これは何年の曲でとかきっちりと紹介してから、その曲をやり始めるんだもの。本当にそれは律儀な感じで、曲をカヴァーする者の真心あるおとしまえの付け方を感じさせたりもしたかな。披露されるのはファッツ・ドミノ、レイ・チャールズ、ジミー・スミス、ブッカー・T &ザ・MGズ、ルイ・ジョーダンなどの広義の米国黒人の昔の曲。ジミ・ヘンドリックスのバンドにいたミッチ・ミッチェルとは一緒に住んでいたことがあったと言って、ヘンドリックスの曲もやったっけ? それらが深い愛着と彼らしい曲さばきの回路とともに、得難い(ときにジャジーな)ブルー・アイド・ソウル表現として送り出される。あー、妙味と滋味たっぷり。
UKモッド・ミュージックの、有名熟練オルガン奏者/シンガー(2008年3月17日)。そのパフォーマンスは米国黒人音楽の素晴らしさ/ヴァリエイションの豊かさを伝えてあまりあるものだし、それを自分の個体に合わせて出し直すことの面白さや意義を存分に表出する。バックはリード・ヴォーカルも1曲とったギタリストとドラマーで、けっこうイケ面な二人はなんと息子たちなのだとか。凄い腕が立つ訳ではないが、気心知れた奏者たちとのギグで、フェイムさんはニコニコやりやすそう。60代半ばの彼は十分に元気で、今後も何度も来日して、うれしい英国情緒を開いてくれんじゃないかな。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
UKモッド・ミュージックの、有名熟練オルガン奏者/シンガー(2008年3月17日)。そのパフォーマンスは米国黒人音楽の素晴らしさ/ヴァリエイションの豊かさを伝えてあまりあるものだし、それを自分の個体に合わせて出し直すことの面白さや意義を存分に表出する。バックはリード・ヴォーカルも1曲とったギタリストとドラマーで、けっこうイケ面な二人はなんと息子たちなのだとか。凄い腕が立つ訳ではないが、気心知れた奏者たちとのギグで、フェイムさんはニコニコやりやすそう。60代半ばの彼は十分に元気で、今後も何度も来日して、うれしい英国情緒を開いてくれんじゃないかな。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
渋谷・wombで、トルコ系ベルギー人のハディセのシューケース・ライヴを見る。ダンス・ポップの人だが、トルコを想起させるアクセントや臭みを介したりもし、それはかつての“チキチキ”(cf.ミッシー・エリオット)における東洋風味添加のようなもので、親しみやすさや立ちを感じさせはすれ、違和感はない。カラオケにて、二人の男性ダンサーを従えてパフォーマンス。その的確な、心をこめた両手の広げ具合に振れ、クレバーな人であることもおおいに了解した。
その後は南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、70作目のアルバム『Into Tommorow』をだした重鎮アルト・サックス奏者(1933年生まれ)の、新作録音参加者と同じ顔ぶれによるステージを見る。ピアノのジェラルド・クレイトン(2007年9月10日、2008年9月16日、2009年6月7日)、ベースのベン・ウィリアムズ(2009年5月18日)、ドラムのジョナサン・ブレイクというNYの新進ジャズ・マンを擁したもので、ほとんど孫みたいな年齢の奏者たちとの共演となる。もともと渡辺貞夫(2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日)がブレイクと一緒にやったときにコイツはいいと感激し、ブレイクの助言で他の共演者も決まっていったという。フレッシュな本場演奏陣と渡り合い、ワンホーンで思うまま歌ってみよう……それが、新作の求めるところだったわけだが、本当に嬉々とし、若々しく、彼は吹いていたナ。若い黒人さんたちも、日本のジャズ・スターとの演奏を心から楽しんでいる感じはありあり。バンド感も、意外にありました。
その後は南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、70作目のアルバム『Into Tommorow』をだした重鎮アルト・サックス奏者(1933年生まれ)の、新作録音参加者と同じ顔ぶれによるステージを見る。ピアノのジェラルド・クレイトン(2007年9月10日、2008年9月16日、2009年6月7日)、ベースのベン・ウィリアムズ(2009年5月18日)、ドラムのジョナサン・ブレイクというNYの新進ジャズ・マンを擁したもので、ほとんど孫みたいな年齢の奏者たちとの共演となる。もともと渡辺貞夫(2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日)がブレイクと一緒にやったときにコイツはいいと感激し、ブレイクの助言で他の共演者も決まっていったという。フレッシュな本場演奏陣と渡り合い、ワンホーンで思うまま歌ってみよう……それが、新作の求めるところだったわけだが、本当に嬉々とし、若々しく、彼は吹いていたナ。若い黒人さんたちも、日本のジャズ・スターとの演奏を心から楽しんでいる感じはありあり。バンド感も、意外にありました。
東京JAZZ 2009
2009年9月4日 音楽 NHKが仕切っているジャズ中心イヴェント、有楽町・東京国際フォーラムのホールA。普段は地下鉄の有楽町駅から地下をそのまま歩いていき会場入りするのだが、この日はキブンで地上を通って行く。そしたら、あらら。国際フォーラムの中庭にはいっぱい出店がでていて、テーブルと椅子が出ているではないか。で、その付け根にはステージがあって外国人コンボが演奏していた。東京JAZZは国際フォーラムで開かれる有料公演以外にも無料ステージがあり、そこにはオランダ、オーストラリア、フランスからやってきた複数アーティストが国ごとに括られて演奏しているらしい。へえ、意外に手間のかかることやっているんだな。
この日、夜7時からの出し物の最初の出演者はNHK交響楽団、コンサート・マスターが何気に筋モン顔でひゃはは。沼尻竜典(2008 年7月3日)の指揮によるそれは“シンフォニー・ミーツ・ジャズ”というお題目によるものだが、3〜4分台の短い曲を数曲かやった最初のブロックは謎。なんか痒いBGM的なそれはジャズ要素は皆無。だれの曲/アレンジのものをやったのか。そして、あとの長尺の2曲は確かにジャズとも繋がりを持つスケールの大きな名曲を演奏。エルダー(2006年6月23日)をフィーチャード・ピアニストに迎えたジョージ・ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」とレナード・バーンスタインの「シンフォニック・ダンス・フロム・ウェストサイド・ストーリー」、とくに後者はミュージカルを見たばかりだった(2009年8月4日)ので興味深かった。いろんな角度からのステージを見せるヴィジョン映像はけっこう秀逸。最初のほうでピアノを連弾していたり、打楽器奏者が何人もいたことも解ったし(「シンフォニック・ダンス・フロム・ウェスト・サイド・ストーリー」ではドラム・キットも用いる)。ここ何年もデカいオーケストラ編成表現には興味をひかれ、老後はクラシックをちゃんと聞いてみたい(とてもじゃないが、今はそんな時間ははい)と考えるぼくはじじいになったら一回指揮者の真似事をしてみたいなんてモ〜ロクした頭で思うのだろうか。
次はオランダのジャジー・ポップの才人、ウーター・ヘメル。ギター、ピアノ、ウッド・ベース、ドラム、パーカッションを率いてのステージ。終盤、無料ステージに出演していたオランダのファンキー・ラテン・ジャズ集団のニュー・クール・コレクティヴのベンジャミン・ハーマン(アルト・サックス)が出て、色を添えた。途中、みんな中央に集まってザ・ビーチボーイズ風のコーラス・ナンバーを披露したりも。性格の良さそうな貴公子というノリもあったヘメルのパフォーマンスはほんわか、とってもいい感じだった。
が、この日の白眉は最後に出た、矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日)と上原ひろみ(2004年11月25日、2005年7月31日、2006年9月4日)のデュオ。基本は矢野の歌付きレパートリーに上原が寄り添う形で広げられるのだが、これはすごかった。もう本当に噛み合っての飛躍ある丁々発止が展開され、なんか感動して涙腺が緩みそうになっちゃったじゃないか。たとえば、3曲目の矢野の近作に入っていた「Evacuation Plan」のとき、矢野の奔放な歌を継ぐように、「矢野さんがああ歌うのなら私はこう歌う!」てな気概とともに猛烈なエモーションをこめて上原がソロを取り出したときなんて(ヴィジョンに映し出される映像はそれを直裁に受け取らせる助けとなる)、もうぼくはえも言われぬ衝動を感じて震えちゃったもん。
二人で出口を探っている感じはなく、エンディングではスパッっと終わるので、それなりにリハもしているのはよく解る。この黄金の組み合わせは上原の09年ソロ・ピアノ作『プレイス・トゥ・ビー』の日本盤ボーナス・トラックがデュオ曲であることから企画されたのかと思ったら、06年暮れに共演コンサートが開かれたり、今年の蘭ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルでも二人はステージをシェアしたそうだ。とにかく、とっても実のある組み合わせであり、その相乗で二人はおいしい姿をたっぷりだす。えーん、この米国居住の日本人女性二人は無敵、彼女たちはスーパー魔女だあ! ほんと、音楽ってすごい、才ある音楽家ってすごい。
実は二人の奔放なやりとりの間、少しビートの感覚がシンプルになるとすぐに手拍子を取るお客さんたちがいて、それがとても演奏に浸るのを妨げる。それはすぐに演奏のテンポとズレるのが常で、気持ち悪い事とと言ったなら。もう、それで舞う音楽の妖精が半減しちゃう、誇張抜きに。この晩、それは度々、手拍子をとらなきゃライヴを享受した気になれない大馬鹿客をおおいに恨む。それを迷惑がっている人は大半なはずで、おいおい近くにいる人、注意したくなんないのかなーとも何度も思った。が、あるときはわりと近くにいるおばはんも傍若無人にやっていて……。いい加減にしろやあババアとどつくぼくが、心のなかにいました。帰りにフォーラム内にある相田みつをミュージアムの横をとおったのだが、同ミュージアムも心の中で木っ端みじんにした。
この日、夜7時からの出し物の最初の出演者はNHK交響楽団、コンサート・マスターが何気に筋モン顔でひゃはは。沼尻竜典(2008 年7月3日)の指揮によるそれは“シンフォニー・ミーツ・ジャズ”というお題目によるものだが、3〜4分台の短い曲を数曲かやった最初のブロックは謎。なんか痒いBGM的なそれはジャズ要素は皆無。だれの曲/アレンジのものをやったのか。そして、あとの長尺の2曲は確かにジャズとも繋がりを持つスケールの大きな名曲を演奏。エルダー(2006年6月23日)をフィーチャード・ピアニストに迎えたジョージ・ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」とレナード・バーンスタインの「シンフォニック・ダンス・フロム・ウェストサイド・ストーリー」、とくに後者はミュージカルを見たばかりだった(2009年8月4日)ので興味深かった。いろんな角度からのステージを見せるヴィジョン映像はけっこう秀逸。最初のほうでピアノを連弾していたり、打楽器奏者が何人もいたことも解ったし(「シンフォニック・ダンス・フロム・ウェスト・サイド・ストーリー」ではドラム・キットも用いる)。ここ何年もデカいオーケストラ編成表現には興味をひかれ、老後はクラシックをちゃんと聞いてみたい(とてもじゃないが、今はそんな時間ははい)と考えるぼくはじじいになったら一回指揮者の真似事をしてみたいなんてモ〜ロクした頭で思うのだろうか。
次はオランダのジャジー・ポップの才人、ウーター・ヘメル。ギター、ピアノ、ウッド・ベース、ドラム、パーカッションを率いてのステージ。終盤、無料ステージに出演していたオランダのファンキー・ラテン・ジャズ集団のニュー・クール・コレクティヴのベンジャミン・ハーマン(アルト・サックス)が出て、色を添えた。途中、みんな中央に集まってザ・ビーチボーイズ風のコーラス・ナンバーを披露したりも。性格の良さそうな貴公子というノリもあったヘメルのパフォーマンスはほんわか、とってもいい感じだった。
が、この日の白眉は最後に出た、矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日)と上原ひろみ(2004年11月25日、2005年7月31日、2006年9月4日)のデュオ。基本は矢野の歌付きレパートリーに上原が寄り添う形で広げられるのだが、これはすごかった。もう本当に噛み合っての飛躍ある丁々発止が展開され、なんか感動して涙腺が緩みそうになっちゃったじゃないか。たとえば、3曲目の矢野の近作に入っていた「Evacuation Plan」のとき、矢野の奔放な歌を継ぐように、「矢野さんがああ歌うのなら私はこう歌う!」てな気概とともに猛烈なエモーションをこめて上原がソロを取り出したときなんて(ヴィジョンに映し出される映像はそれを直裁に受け取らせる助けとなる)、もうぼくはえも言われぬ衝動を感じて震えちゃったもん。
二人で出口を探っている感じはなく、エンディングではスパッっと終わるので、それなりにリハもしているのはよく解る。この黄金の組み合わせは上原の09年ソロ・ピアノ作『プレイス・トゥ・ビー』の日本盤ボーナス・トラックがデュオ曲であることから企画されたのかと思ったら、06年暮れに共演コンサートが開かれたり、今年の蘭ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルでも二人はステージをシェアしたそうだ。とにかく、とっても実のある組み合わせであり、その相乗で二人はおいしい姿をたっぷりだす。えーん、この米国居住の日本人女性二人は無敵、彼女たちはスーパー魔女だあ! ほんと、音楽ってすごい、才ある音楽家ってすごい。
実は二人の奔放なやりとりの間、少しビートの感覚がシンプルになるとすぐに手拍子を取るお客さんたちがいて、それがとても演奏に浸るのを妨げる。それはすぐに演奏のテンポとズレるのが常で、気持ち悪い事とと言ったなら。もう、それで舞う音楽の妖精が半減しちゃう、誇張抜きに。この晩、それは度々、手拍子をとらなきゃライヴを享受した気になれない大馬鹿客をおおいに恨む。それを迷惑がっている人は大半なはずで、おいおい近くにいる人、注意したくなんないのかなーとも何度も思った。が、あるときはわりと近くにいるおばはんも傍若無人にやっていて……。いい加減にしろやあババアとどつくぼくが、心のなかにいました。帰りにフォーラム内にある相田みつをミュージアムの横をとおったのだが、同ミュージアムも心の中で木っ端みじんにした。
東京JAZZ 2009
2009年9月5日 音楽 同じく、有楽町・東京国際フォーラム・ホールA。この日は昼の部と夜の部があって、両方を見る。
昼のトップ登場者はインターナショナルな知名度を持つドラマーの神保彰。大掛かりなドラム・キットを手数の多い演奏のもと余裕で扱いつつ(プリセット音も自分でコントロールして使っているのにはびっくり。ドラムだけのサウンド構築には飽きているということか。ぼくは、ここでの使い方なら用いない方が美しいとは思うけど)、自作曲をLAのミュージシャン(ベースのエイブ・ラボリエルと鍵盤のオトマロ・ルイーズ、ギターのリー・リトナー)と奏でる。じじむさくなったリトナー(2005年6月20日)のニヤけた笑顔を見て、憎めない日本での逸話を彼はいろいろ持っている事を思い出した。例えば、斑尾のジャズ・フェスのときに接した通訳の女性(のちにタレントとして名をなす)に恥も外聞もなく思いっきり熱をあげて関係者の間でさらし者状態になったことがあったり、ツアーで札幌に行った際にすすき野のお湯を使う施設に行き、そこのサーヴィスの女性にミュージシャンをしているんだよと伝えたらサインを求められたので解りやすい字でパット・メセニーと書いたり。後の話は生真面目なメセニーのファンだったら怒りを覚えるかもしれないが、こういう崩れた諧謔の感覚は古いバンド・マンならではものではないだろうか。とまれ、音楽同様にソツのない、神保の好青年的溌剌MCにはなるほどと感じる。彼はたぶん音楽の道に進んでいなくてもちゃんとエリートぽい感じで実のある位置に立てた人だろう。でも、そんな人であっても、魔法を感じて音楽/演奏の道に進んでしまう……。オー・ヤー。
続いての出し物は、ジョン・スコフィールド(2007 年5月10日、2008年10月8日、他)がニューオーリンズ系奏者と古いゴスペル系曲を中心にやる“ザ・パイティ・ストリート・バンド”プロジェクトで、歌と鍵盤のジョン・クリアリー(2007年4月6日、2008年10月15日、他)、ウッド・ベースのローランド・ゲリン、ドラムのシャノン・パウエルという同地在住の敏腕奏者を従えてのもの。昨年に米国を回ったツアーのときとはリズム・セクションが入れ替えられているが(そのときは、ザ・ミーターズのジョージ・ポーターJr. とザ・ビーチ・ボーイズやザ・ラトルズに関与したことがあるリッキー・ファター)、渋みや重量感はこちらのほうが上のような気がする。ほぼ、新作『パイティ・ストリート』(ヴァーヴ)のノリを踏襲するもので(→だから、クリアリーはけっこうリード・ヴォーカルを取る)、スリルは別になかったがうれしい味にはにんまり。
3番目は東京スカパラダイスオーケストラ(2009年5月30日、他)。おお、ピンクのスーツに身を固めていて鮮やか。へえ、ヴォーカル曲の場合はみんなで烏合の衆的に歌うんだな。与えられた時間のなかで、毎度の自分たちをきっちり出しましょうというプロのパフォーマンス。エルヴィス・コステロのような(2009年8月8日参照)、フェスならではのツっぱった破れ方を彼らに望むのはあやまりか。
そして、この日の目玉となるP-ファンク(ファンカデリック/パーラメント)の統帥ジョージ・クリントン(2002年7月28日)。昨年のスライ・ストーンに続く同フェスの<リアル・ファンク枠>出演? ずっと行方知れず&初来日というトピックあり過ぎだったスライのときは会場に異様な空気が山ほど渦巻いていたが、何度も来日しているクリントン翁の場合はそれほどでもないか。それでも、昼の部はクリントン軍団見たさで来た人が一番多かったんじゃないかとは思うけど。
時間になり、ぞろぞろとイカれた風情/格好の黒人たちが出てきて、ファンカデリックの初期有名曲「コズミック・スロップ」が始まる。終わるごろには、無駄に多いギタリスト(5人ぐらいいた?)をはじめ、ヴォーカル隊や盛り上げ役を含め20人近くはステージにいたかな。もちろん、おむつ野郎のゲイリー・シャイダーやウェディング・ドレスを着たアンドレ・フォックスもいた。もうのっけからもわもわ出ている“まがいモノ感覚”にドン引きしているオーディエンスがあちこち散見され、とても愉快(じきに、けっこう席を立った)。誰が来るのかなあと思っていたが、ベースのライジ・カリーとか、歌のP-ナット・ジョンソンとかヴェリータ・ウッズとかおなじみの人たちも来ていたようだ。
2曲目以降はクリントンも出てきて、かけ声や持ち上げ役をやる。まあ、基本的には無駄にうだうだいるわけで、それがうれしくも意義アリ……って、P-ファンク嫌いの人にはワケが解らんだろうけど。ホーン隊がいないせいもあり、より直線的というかロッキッシュな側面が強調されもするわけだが、なんにせよ馬鹿馬鹿しいファンクの美学のオンパレード。「アップ・フォー・ザ・ダウンストローク」「P-ファンク(ウォンツ・トゥ・ゲット・ファンクト・アップ)」「フラッシュライト」、クリントン名義の「アトミック・ドッグ」とか有名曲を乱暴に連発、パフォーマンス時間は60分強だった。ホーン・セクションがいないぶんキーボードの重要性が増すわけだが、鍵盤は近年P-ファンクのツアーに関与しているダニー・ベンドロジアムという白人奏者が孤軍奮闘。もともとP−ファンクのフリークで、リーダー作も出している御仁らしい。ヤマハのモティーフをあんなにファンキーに弾けちゃうとは素晴らしい。
しっかし、きったねえじじいのオムツ着用の裸姿がずっとステージ上に存在したり、コカイン礼参の“サー・ノウズ”(70年代の、象のような鼻をつけたクリントンの姿はそう名付けられ、キャラクターとして浸透した。クリントンはコカイン大好きなくせに頭がぼけずにいる驚異の人間としても有名。ずっと人間やめざるを得なかったのがスライですね)と書かれた紙をメンバーが持ったり、ダンサーがつけ鼻をして踊ったりしたりして、その模様をNHKは本当にTV放映できるのだろうか(後に、その予定があるはず)。そう思わせたということはやはり彼らは健闘、ファンクであることを見事遂行していたのではないか。
ブルース・インターアクションズから近々出るスライ・ストーンの伝記本「スライ&ザ・ファミリー・ストーンの伝説 人生はサーカス」(ジェフ・カリス著)には、スライ自身とクリントンによる前書きが載せられている!
エアコンが利いていた会場内に寒さをけっこう感じ(咳もときどき出たな)、昼の部が終わったあと、近くの無印良品で長袖のシャツを購入。そしたら、翌日の項に書いてあるとおり。
夜の部はメロディ・ガルドー(2009年4月13日)や上原ひろみ(2009年9月4日、他)を見る。前者は、余裕にして、自分の立ち位置や持ち味をきっちりと自覚してのパフォーマンス。このメロウさなのにまだ25歳前というのは驚異的、でもときにお茶目さが透けて見えるところもあるかな。上原の完全ソロのパフォーマンスは新作に入っていたツアー中世界のいろんな所で書いたというオリジナルを1曲以外演奏。人間的な情緒に忠実におそろしく踊る指、そしてそこから浮きあがるフレイズは立ちまくる! すげえ、この人は選ばれていると生ピアノ演奏を聞くと思わずにはいられず(電気ベースを擁する電気キーボード表現の場合は別。また、曲作りは精進の余地あり)。昨日の演奏とどっちを取ると言われたら、矢野顕子という常軌を逸した触媒があった前夜の演奏を選ぶけど、感服する。昨日、1曲だけソロでやったガーシュイン有名曲「アイ・ガット・リズム」の止まらない指さばきも壮絶だったなあ。
その後のマイク・マイニエリたちのフュージョン・スターのセッッションは咳がでたりしているのでパスした。あんまし興味もてなかったのが、ばればれ?
追記)なんと、クリントン公演でのドラマーの一人がフォーリーであったのだとか。うわあ。昔、一度だけインタヴューしたことがあった(bmr誌用に取った。90年代中期にレニー・ホワイトか誰かの公演に同行したときにしたんじゃなかったけか。目茶、ナイス・ガイだった)けど、ぜんぜん気付かなかった。彼はオハイオ生まれのマルチ系ファンカーで、マーカス・ミラーの橋渡しで(確か、女友達がミラーと知り合いで、フォーリーのデモ・テープが彼の手に渡り……)マイルス・デイヴィスと懇意になり、80年代後期にデイヴィス・バンドにリード・ベーシストとして(!)加入していた人物。彼はデイヴィスにめっぽう気に入られ(時刻無視で、よく電話が彼からかかってきたそう)、業界ではデイヴィスと知り合いたいならまずフォーリーと仲良しになれ、なんても言われたのだとか。U2のボーノもへこへこフォーリーに連絡を取ってきたりもしたが、その際フォーリーは一蹴したそうな。彼はデイヴィスの母親とも仲良しになり、お母さんとも電話友達だった。そんな彼は92年にモージャズ(モータウン傘下にほんの一時期あった傍系レーベル)から『7Years Ago……』という混沌ファンク作を出していて、そこにはクリントンの大ファミリーが客演(上に名前が出ている人たちも)していたんだよな。で、今も付き合いもちゃんと持っていたのか。
昼のトップ登場者はインターナショナルな知名度を持つドラマーの神保彰。大掛かりなドラム・キットを手数の多い演奏のもと余裕で扱いつつ(プリセット音も自分でコントロールして使っているのにはびっくり。ドラムだけのサウンド構築には飽きているということか。ぼくは、ここでの使い方なら用いない方が美しいとは思うけど)、自作曲をLAのミュージシャン(ベースのエイブ・ラボリエルと鍵盤のオトマロ・ルイーズ、ギターのリー・リトナー)と奏でる。じじむさくなったリトナー(2005年6月20日)のニヤけた笑顔を見て、憎めない日本での逸話を彼はいろいろ持っている事を思い出した。例えば、斑尾のジャズ・フェスのときに接した通訳の女性(のちにタレントとして名をなす)に恥も外聞もなく思いっきり熱をあげて関係者の間でさらし者状態になったことがあったり、ツアーで札幌に行った際にすすき野のお湯を使う施設に行き、そこのサーヴィスの女性にミュージシャンをしているんだよと伝えたらサインを求められたので解りやすい字でパット・メセニーと書いたり。後の話は生真面目なメセニーのファンだったら怒りを覚えるかもしれないが、こういう崩れた諧謔の感覚は古いバンド・マンならではものではないだろうか。とまれ、音楽同様にソツのない、神保の好青年的溌剌MCにはなるほどと感じる。彼はたぶん音楽の道に進んでいなくてもちゃんとエリートぽい感じで実のある位置に立てた人だろう。でも、そんな人であっても、魔法を感じて音楽/演奏の道に進んでしまう……。オー・ヤー。
続いての出し物は、ジョン・スコフィールド(2007 年5月10日、2008年10月8日、他)がニューオーリンズ系奏者と古いゴスペル系曲を中心にやる“ザ・パイティ・ストリート・バンド”プロジェクトで、歌と鍵盤のジョン・クリアリー(2007年4月6日、2008年10月15日、他)、ウッド・ベースのローランド・ゲリン、ドラムのシャノン・パウエルという同地在住の敏腕奏者を従えてのもの。昨年に米国を回ったツアーのときとはリズム・セクションが入れ替えられているが(そのときは、ザ・ミーターズのジョージ・ポーターJr. とザ・ビーチ・ボーイズやザ・ラトルズに関与したことがあるリッキー・ファター)、渋みや重量感はこちらのほうが上のような気がする。ほぼ、新作『パイティ・ストリート』(ヴァーヴ)のノリを踏襲するもので(→だから、クリアリーはけっこうリード・ヴォーカルを取る)、スリルは別になかったがうれしい味にはにんまり。
3番目は東京スカパラダイスオーケストラ(2009年5月30日、他)。おお、ピンクのスーツに身を固めていて鮮やか。へえ、ヴォーカル曲の場合はみんなで烏合の衆的に歌うんだな。与えられた時間のなかで、毎度の自分たちをきっちり出しましょうというプロのパフォーマンス。エルヴィス・コステロのような(2009年8月8日参照)、フェスならではのツっぱった破れ方を彼らに望むのはあやまりか。
そして、この日の目玉となるP-ファンク(ファンカデリック/パーラメント)の統帥ジョージ・クリントン(2002年7月28日)。昨年のスライ・ストーンに続く同フェスの<リアル・ファンク枠>出演? ずっと行方知れず&初来日というトピックあり過ぎだったスライのときは会場に異様な空気が山ほど渦巻いていたが、何度も来日しているクリントン翁の場合はそれほどでもないか。それでも、昼の部はクリントン軍団見たさで来た人が一番多かったんじゃないかとは思うけど。
時間になり、ぞろぞろとイカれた風情/格好の黒人たちが出てきて、ファンカデリックの初期有名曲「コズミック・スロップ」が始まる。終わるごろには、無駄に多いギタリスト(5人ぐらいいた?)をはじめ、ヴォーカル隊や盛り上げ役を含め20人近くはステージにいたかな。もちろん、おむつ野郎のゲイリー・シャイダーやウェディング・ドレスを着たアンドレ・フォックスもいた。もうのっけからもわもわ出ている“まがいモノ感覚”にドン引きしているオーディエンスがあちこち散見され、とても愉快(じきに、けっこう席を立った)。誰が来るのかなあと思っていたが、ベースのライジ・カリーとか、歌のP-ナット・ジョンソンとかヴェリータ・ウッズとかおなじみの人たちも来ていたようだ。
2曲目以降はクリントンも出てきて、かけ声や持ち上げ役をやる。まあ、基本的には無駄にうだうだいるわけで、それがうれしくも意義アリ……って、P-ファンク嫌いの人にはワケが解らんだろうけど。ホーン隊がいないせいもあり、より直線的というかロッキッシュな側面が強調されもするわけだが、なんにせよ馬鹿馬鹿しいファンクの美学のオンパレード。「アップ・フォー・ザ・ダウンストローク」「P-ファンク(ウォンツ・トゥ・ゲット・ファンクト・アップ)」「フラッシュライト」、クリントン名義の「アトミック・ドッグ」とか有名曲を乱暴に連発、パフォーマンス時間は60分強だった。ホーン・セクションがいないぶんキーボードの重要性が増すわけだが、鍵盤は近年P-ファンクのツアーに関与しているダニー・ベンドロジアムという白人奏者が孤軍奮闘。もともとP−ファンクのフリークで、リーダー作も出している御仁らしい。ヤマハのモティーフをあんなにファンキーに弾けちゃうとは素晴らしい。
しっかし、きったねえじじいのオムツ着用の裸姿がずっとステージ上に存在したり、コカイン礼参の“サー・ノウズ”(70年代の、象のような鼻をつけたクリントンの姿はそう名付けられ、キャラクターとして浸透した。クリントンはコカイン大好きなくせに頭がぼけずにいる驚異の人間としても有名。ずっと人間やめざるを得なかったのがスライですね)と書かれた紙をメンバーが持ったり、ダンサーがつけ鼻をして踊ったりしたりして、その模様をNHKは本当にTV放映できるのだろうか(後に、その予定があるはず)。そう思わせたということはやはり彼らは健闘、ファンクであることを見事遂行していたのではないか。
ブルース・インターアクションズから近々出るスライ・ストーンの伝記本「スライ&ザ・ファミリー・ストーンの伝説 人生はサーカス」(ジェフ・カリス著)には、スライ自身とクリントンによる前書きが載せられている!
エアコンが利いていた会場内に寒さをけっこう感じ(咳もときどき出たな)、昼の部が終わったあと、近くの無印良品で長袖のシャツを購入。そしたら、翌日の項に書いてあるとおり。
夜の部はメロディ・ガルドー(2009年4月13日)や上原ひろみ(2009年9月4日、他)を見る。前者は、余裕にして、自分の立ち位置や持ち味をきっちりと自覚してのパフォーマンス。このメロウさなのにまだ25歳前というのは驚異的、でもときにお茶目さが透けて見えるところもあるかな。上原の完全ソロのパフォーマンスは新作に入っていたツアー中世界のいろんな所で書いたというオリジナルを1曲以外演奏。人間的な情緒に忠実におそろしく踊る指、そしてそこから浮きあがるフレイズは立ちまくる! すげえ、この人は選ばれていると生ピアノ演奏を聞くと思わずにはいられず(電気ベースを擁する電気キーボード表現の場合は別。また、曲作りは精進の余地あり)。昨日の演奏とどっちを取ると言われたら、矢野顕子という常軌を逸した触媒があった前夜の演奏を選ぶけど、感服する。昨日、1曲だけソロでやったガーシュイン有名曲「アイ・ガット・リズム」の止まらない指さばきも壮絶だったなあ。
その後のマイク・マイニエリたちのフュージョン・スターのセッッションは咳がでたりしているのでパスした。あんまし興味もてなかったのが、ばればれ?
追記)なんと、クリントン公演でのドラマーの一人がフォーリーであったのだとか。うわあ。昔、一度だけインタヴューしたことがあった(bmr誌用に取った。90年代中期にレニー・ホワイトか誰かの公演に同行したときにしたんじゃなかったけか。目茶、ナイス・ガイだった)けど、ぜんぜん気付かなかった。彼はオハイオ生まれのマルチ系ファンカーで、マーカス・ミラーの橋渡しで(確か、女友達がミラーと知り合いで、フォーリーのデモ・テープが彼の手に渡り……)マイルス・デイヴィスと懇意になり、80年代後期にデイヴィス・バンドにリード・ベーシストとして(!)加入していた人物。彼はデイヴィスにめっぽう気に入られ(時刻無視で、よく電話が彼からかかってきたそう)、業界ではデイヴィスと知り合いたいならまずフォーリーと仲良しになれ、なんても言われたのだとか。U2のボーノもへこへこフォーリーに連絡を取ってきたりもしたが、その際フォーリーは一蹴したそうな。彼はデイヴィスの母親とも仲良しになり、お母さんとも電話友達だった。そんな彼は92年にモージャズ(モータウン傘下にほんの一時期あった傍系レーベル)から『7Years Ago……』という混沌ファンク作を出していて、そこにはクリントンの大ファミリーが客演(上に名前が出ている人たちも)していたんだよな。で、今も付き合いもちゃんと持っていたのか。
ニュー・クール・コレクティヴ
2009年9月6日 音楽 お盆開けから、新型インフルエンザが流行っているという報道がどんどん増している。梅雨ごろには豚インフルエンザと言われていたのが、それが今で言う新型インフルエンザなのか? 梅雨のころ、今は湿度や気温が高いからまだ大丈夫だろうけど、この秋は大変だよね〜と飲んだとき何度か知り合いと話した事があったけど、もう流行の兆し?(まだ、マスク買ってねえ)。ほんと、この秋以降どうなっちゃうんだろ? 実は梅雨のときゲホゲホ咳してる事があって、シャレになんないという時があった。なんか、ぼくは不用意に咳をする傾向があんだよなー(学生の頃から、女友達に指摘されていたりもした)。で、起きたら咳がゲホゲホ連発、熱っぽいとも感じる。耳に入れる体温計ではかったら、37.3度あった。
食欲は旺盛ながら、そーゆーわけで昼間は予定を飛ばしてぐうたら寝たきり老人をし、夜にさくっと車で南青山・ブルーノート東京へ。会場向かいの、東京一高い(多分)コイン・パーキングに停める。東京ジャズ関連の無料ステージに出るために来日したオランダのラテン色が強いファンキー・ジャズ8人組がここで一日だけの演奏をし、明日取材をすることになってもいたので、無理をした。だが、この手のものとしてはほぼ非の打ち所のない、活力と笑顔のあるショウを繰り広げてくれて、やっぱ来てよかったと思う。トランぺッターは過去キャンディ・ダルファー(2009年5月11日、他)のバンドで何度も来日しているという。素直に楽しい。が、咳はゴホゴホ。こりゃ、近くの人いやでたまらないだろうと思い、1時間いて退座。この日は、入れ替えなしのワン・ショウなので彼らはまだまだやったと思われるが。
ぼくは冬は風邪をひくものだと思い、冬は咳が止まらなくても熱っぽさを感じてもあまり気にならずお医者さんのお世話になる事もないし、薬ものまない。が、このご時世、万が一の事があると周辺に迷惑がかかるので明けて月曜は病院に行こうかと思ったら、すっきりなんともない。あの酷い咳はなんだったのでしょう?
食欲は旺盛ながら、そーゆーわけで昼間は予定を飛ばしてぐうたら寝たきり老人をし、夜にさくっと車で南青山・ブルーノート東京へ。会場向かいの、東京一高い(多分)コイン・パーキングに停める。東京ジャズ関連の無料ステージに出るために来日したオランダのラテン色が強いファンキー・ジャズ8人組がここで一日だけの演奏をし、明日取材をすることになってもいたので、無理をした。だが、この手のものとしてはほぼ非の打ち所のない、活力と笑顔のあるショウを繰り広げてくれて、やっぱ来てよかったと思う。トランぺッターは過去キャンディ・ダルファー(2009年5月11日、他)のバンドで何度も来日しているという。素直に楽しい。が、咳はゴホゴホ。こりゃ、近くの人いやでたまらないだろうと思い、1時間いて退座。この日は、入れ替えなしのワン・ショウなので彼らはまだまだやったと思われるが。
ぼくは冬は風邪をひくものだと思い、冬は咳が止まらなくても熱っぽさを感じてもあまり気にならずお医者さんのお世話になる事もないし、薬ものまない。が、このご時世、万が一の事があると周辺に迷惑がかかるので明けて月曜は病院に行こうかと思ったら、すっきりなんともない。あの酷い咳はなんだったのでしょう?
午前10時からの試写に間に合うように電車に乗ったら、まだ少し通勤ラッシュの流れを引きずっていて、一気に徒労。毎日経験していると慣れちゃうんだろうけど、”朝電車”に普段は乗らずにすむ自分の境遇に感謝する。そして、京橋・映画美学校第一試写室で、「アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち」と邦題付けされた音楽系ドキュメンタリー映画を見る。主役はカナダのヴェテラン・ヘヴィ・メタル・バンドのアンヴィルで、映画は彼らがホワイト・スネイクやボン・ジョヴィらとステージをシェアした西武球場での“スーパー・ロック‘84 イン・ジャパン“というメタル系フェスのライヴ場面から始まる(へえ、こんな催しがあったんですね)。テロップは他の出演者はもの凄いセールスをあげたのに、アンヴィルだけは蚊帳の外であることを告げる。
監督は現在スピルバーグお気に入りの脚本家としてハリウッドで活躍する英国人のサーシャ・ガバシ。実は彼はもともとメタル小僧で、ロンドン公演をやった彼らと仲良くなり、高校2年の夏休みの時には彼らの北米ツアーにローディ同行したのだという。そんなガバシが20年ぶりにかつて胸を焦がしたメンバーに連絡を取ったことから、いまだアマチュアのような形で細々と活動を続けていたアンヴィル(古いメンバーは二人だけとなった)と付き合いが復活し、それがいまだバンドを続けたい彼らを描くドキュメンタリー映画に繋がって行く。
カナダでのしがない日常、突如わいたどたばたもした欧州ツアー、心機一転を求めた英国レコーディングなどの模様が、メンバーのリップス(歌、ギター)とロブ(ドラム)の重なりを中心に綴られる。実は、マイケル・ムーアやダスティン・ホフマン、同じカナダ人のキアヌ・リーヴスらの宣伝コメントが力入ったもので、それによってぼくの妄想は見る前に多大に膨んじゃったため、題材の勝利(+撮る人物が、その知己であるというのは強い)もあり素晴らしい音楽映画だとは思うが、過剰にはウルウルこなかった。が、ロックを続けて行くいろんな機微やその裏表が確かに収めらているわけで、ポップ音楽に興味を持っている人なら見て損はない。妙に和めたり、力をもらえるところもあるかもしれない。時間は80分強、見ているともう少し長く感じるが、このぐらいの長さだと楽だなあ。なお、効果音的な音楽はECM他にリーダー作を持ち、90年代はジャパン(デイヴィッド・シルヴィアン;2004年4月27日)の連中らとも付き合いを持ったNYボーダーレス系ギタリストのデイヴィッド・トーン(2000年8月16日)が担当している。
最後に置かれた映画のハイライト部は、アンヴィルが午前中に一番最初の出演アーティストとして登場した“ラウドパーク‘06”@幕張メッセ出演時の模様。おお、オフのシーンも含めてなんか日本は楽園のように描かれているゾ。とかなんとか、これを見ると、ぜんぜん趣味じゃなくてもアンヴィルのことを見たくなるのは確か。10月の映画の公開に合わせて、彼らは来日するそうだ。
夜はチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日)の白昼夢的後ろ向きジャズ・コンボ、カルテット・ウェストの公演をブルーノート東京で見る。剛のイメージが強かったヘイデンが80年代中期過ぎから微笑みとともに組んでいる“和み”表現ユニットで、旧き良き時代のエンジェル・シティ=LAの風土を甘美に、ときに映像的に優しく描こうとするジャズをそれは送り出すと書けるのかな。今は和み系活動一辺倒になってしまったヘイデンだが(でも、新作にあたるカントリー&ウェスタン系ヴォーカル作は素晴らしい仕上がり)、結成当初はなかなかに切り口に視点を持ち、なかなかに斬新だった。
ゆったりウッド・ベースを弾くヘイデン(それ、ヘイデンと知らずに聞いたら、何の印象も残らないものかも)に加え、テナー・サックスのアーニー・ワッツ(2005年6月20日)、ピアノのアラン・ブロードベント(2006年6月2日)、ドラムのロドニー・グリーン(2000年11月1日)が趣味良く重なる。オーネット・コールマン曲などもやったものの(ときに、やんわりとアブストラクト傾向にかするときもあったけど)、基本はゆったりした穏健ジャズですすむ。演奏をはじまる前に、ヘイデンはけっこう感謝MCを長々とやったりも。
その後、六本木・ビルボードライブ東京に向かい、ちょうど50歳のスコティッシュ女性歌手(2002年3月20日)を見る。何度も一緒にやってきているだろうシンガー・ソングライターのブー・ヒューワディーン(1999年6月8日)やフェアグラウンド・アトラクション時代の同僚のロイ・ドッズ(ドラム)を含むバンド編成にて。アコーディオン奏者はアイルランドのドニゴール出身、ベーシストは全曲ウッド・ベースを使用。各同行奏者はみんな近年のリーダーのリーダー作に関与している人たちだ。
とにかく、気安くくだけたパフォーマンスを展開。手作り感覚であり自然体、と言えるか。やはり、彼女の歌には“軽妙な誘い”が導く手触りの良さががある。MCもとても開けっぴろげで予定メンバーには入ってなかったウクレレ奏者は今のボーイフンドとか。そう紹介しておきながら「今のところはね」と言ってみたり、その彼にキスを強要したりも。途中で、ウクレレを弾く青年と少し歌った二人の女性ら日本人の知り合いをステージにあげたりも。本編が終わり、「また出てくるのも面倒だから、2曲やっちゃうわ」とか言ってアンコール曲をやり始めたのだが、1曲だけで引っ込んじゃう。とっても本当に気分屋さん、でもそれこそが彼女の魅力を支えるものであるのは良く解りました。
追記)リーダーのボーイフレンドは彼女の弟がいるトラッシュキャン・シナトラズ(2009年7月25日)のギタリストのジョン・ダグラス。なんでも。もう何年もつき合っていて、ファンの間では有名とか。また、二人の日本人女性はDEWというプロのユニットだそう。
監督は現在スピルバーグお気に入りの脚本家としてハリウッドで活躍する英国人のサーシャ・ガバシ。実は彼はもともとメタル小僧で、ロンドン公演をやった彼らと仲良くなり、高校2年の夏休みの時には彼らの北米ツアーにローディ同行したのだという。そんなガバシが20年ぶりにかつて胸を焦がしたメンバーに連絡を取ったことから、いまだアマチュアのような形で細々と活動を続けていたアンヴィル(古いメンバーは二人だけとなった)と付き合いが復活し、それがいまだバンドを続けたい彼らを描くドキュメンタリー映画に繋がって行く。
カナダでのしがない日常、突如わいたどたばたもした欧州ツアー、心機一転を求めた英国レコーディングなどの模様が、メンバーのリップス(歌、ギター)とロブ(ドラム)の重なりを中心に綴られる。実は、マイケル・ムーアやダスティン・ホフマン、同じカナダ人のキアヌ・リーヴスらの宣伝コメントが力入ったもので、それによってぼくの妄想は見る前に多大に膨んじゃったため、題材の勝利(+撮る人物が、その知己であるというのは強い)もあり素晴らしい音楽映画だとは思うが、過剰にはウルウルこなかった。が、ロックを続けて行くいろんな機微やその裏表が確かに収めらているわけで、ポップ音楽に興味を持っている人なら見て損はない。妙に和めたり、力をもらえるところもあるかもしれない。時間は80分強、見ているともう少し長く感じるが、このぐらいの長さだと楽だなあ。なお、効果音的な音楽はECM他にリーダー作を持ち、90年代はジャパン(デイヴィッド・シルヴィアン;2004年4月27日)の連中らとも付き合いを持ったNYボーダーレス系ギタリストのデイヴィッド・トーン(2000年8月16日)が担当している。
最後に置かれた映画のハイライト部は、アンヴィルが午前中に一番最初の出演アーティストとして登場した“ラウドパーク‘06”@幕張メッセ出演時の模様。おお、オフのシーンも含めてなんか日本は楽園のように描かれているゾ。とかなんとか、これを見ると、ぜんぜん趣味じゃなくてもアンヴィルのことを見たくなるのは確か。10月の映画の公開に合わせて、彼らは来日するそうだ。
夜はチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日)の白昼夢的後ろ向きジャズ・コンボ、カルテット・ウェストの公演をブルーノート東京で見る。剛のイメージが強かったヘイデンが80年代中期過ぎから微笑みとともに組んでいる“和み”表現ユニットで、旧き良き時代のエンジェル・シティ=LAの風土を甘美に、ときに映像的に優しく描こうとするジャズをそれは送り出すと書けるのかな。今は和み系活動一辺倒になってしまったヘイデンだが(でも、新作にあたるカントリー&ウェスタン系ヴォーカル作は素晴らしい仕上がり)、結成当初はなかなかに切り口に視点を持ち、なかなかに斬新だった。
ゆったりウッド・ベースを弾くヘイデン(それ、ヘイデンと知らずに聞いたら、何の印象も残らないものかも)に加え、テナー・サックスのアーニー・ワッツ(2005年6月20日)、ピアノのアラン・ブロードベント(2006年6月2日)、ドラムのロドニー・グリーン(2000年11月1日)が趣味良く重なる。オーネット・コールマン曲などもやったものの(ときに、やんわりとアブストラクト傾向にかするときもあったけど)、基本はゆったりした穏健ジャズですすむ。演奏をはじまる前に、ヘイデンはけっこう感謝MCを長々とやったりも。
その後、六本木・ビルボードライブ東京に向かい、ちょうど50歳のスコティッシュ女性歌手(2002年3月20日)を見る。何度も一緒にやってきているだろうシンガー・ソングライターのブー・ヒューワディーン(1999年6月8日)やフェアグラウンド・アトラクション時代の同僚のロイ・ドッズ(ドラム)を含むバンド編成にて。アコーディオン奏者はアイルランドのドニゴール出身、ベーシストは全曲ウッド・ベースを使用。各同行奏者はみんな近年のリーダーのリーダー作に関与している人たちだ。
とにかく、気安くくだけたパフォーマンスを展開。手作り感覚であり自然体、と言えるか。やはり、彼女の歌には“軽妙な誘い”が導く手触りの良さががある。MCもとても開けっぴろげで予定メンバーには入ってなかったウクレレ奏者は今のボーイフンドとか。そう紹介しておきながら「今のところはね」と言ってみたり、その彼にキスを強要したりも。途中で、ウクレレを弾く青年と少し歌った二人の女性ら日本人の知り合いをステージにあげたりも。本編が終わり、「また出てくるのも面倒だから、2曲やっちゃうわ」とか言ってアンコール曲をやり始めたのだが、1曲だけで引っ込んじゃう。とっても本当に気分屋さん、でもそれこそが彼女の魅力を支えるものであるのは良く解りました。
追記)リーダーのボーイフレンドは彼女の弟がいるトラッシュキャン・シナトラズ(2009年7月25日)のギタリストのジョン・ダグラス。なんでも。もう何年もつき合っていて、ファンの間では有名とか。また、二人の日本人女性はDEWというプロのユニットだそう。
今年2度目の来日(2009年4月1日)、新人ジャズ歌手としては日本で破格のセールスをあげてしまったんだそう。丸の内・コットンクラブ。なるほど、5日間もやる公演の最終日最終のショウに行ったのだが、すげえ客が入っていた。“美しすぎるジャズ・シンガー”というキャッチが日本では付けられたが、その大げさな売り文句はどのぐらい好成績にプラスに働いたのか。ともあれ、とてもまっとうなサイドマン(ピアノ、ギター、ベース、ドラム)を率いてのもので、気をてらわない選曲のもと、多くの人が親しめるだろうジャズ・ヴォーカリスト像を開いて行く。ソツなくスキャットも曲によってはかまし、円満にして、少しきらびやかで洒落てて、なんとなくレトロなところもあって……。少し喉が疲れているのかもと思ったが、どうだったのかなー。
チューチョ・バルデス
2009年9月14日 音楽 かつてはイラケレという世界的存在のフュージョン・バンドを率いていたキューバ出身のジャズ・ピアニストの公演はウッド・ベース奏者(1曲だけ電気を用いる)、ドラマー、打楽器奏者を率いてのもの。やはりキューバ出身者と思われる彼らは、バルデスの後釜としてイラケレにも関与したこともあるオーランド“マラカ”バレの娯楽サルサ・グループ表現に関わっている奏者たちだという。とはいえ、ここでバルデスが悠々と繰り広げたのは、純ジャズでもラテン・ジャズでもない、いや両方の部分に重なりはするものの、前者ほど気取ったり尖ったりはせず、後者ほど快楽的/ダンサブルでもない、という、なかなか説明に困るピアノ・ミュージック。心から賛同できるかというと?の部分もなくはなかったものの、自分の文脈でラテンとジャズを行き来するストーリーを紡ぎたいという意思にはあふれていたと思う。パーカッション奏者はけっこうお客から拍手をもらっていたな。後半2曲には、バルデスの親族だろうおばさん女性歌手のマイラ・カイダ・バルデスが歌う。過去のチューチョ・バルデス関与作で歌っている彼女だが、これは笑えた。あんまし上手くない、でも悪びれず堂々歌い倒していく様(アクションも活発)は妙な風情や味を生んでいて。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。スペイン語は"v"を発音するとき英語のように唇を噛まないのでウ濁点は用いないと言われたことがあるので、ヴァルデスではなくバルデスと書いてみた。
マーカス・ミラー。テリー・キャリアー
2009年9月15日 音楽 今回のミラー(2007年12月13日、2006年9月3日、他)公演はマイルス・デイヴィスの音楽にのぞみますよん、というもの。彼は81年に復帰したマイルス・デイヴィスのバンドにマイク・スターン(2009年3月23日、2009年6月18日)とともに抜擢され知名度をより増し(すでにそのとき、売れっ子セッション・マンではあった)、ついにはデイヴィスの『Tutu』(86年)や『アマンドラ』(89年)では楽曲提供込みのプロデュースをまかされるまでになり、それはミラーの名声確立に大きく寄与したはずなのだ。それゆえ、ミラーが気鋭の奏者たちを呼んでこういうプロジェクトにあたるという事に違和感はない。
なんでも“Tutu Revisited”というお題目がついていて、主に『Tutu』収録曲をやった(85年作『ユーアー・アンダー・アレスト』でデイヴィスが取り上げていた、マイケル・ジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」も時節柄やったな。あのアルバムにミラーは関与していないけど)このプロジェクトはミラーに加え、トランペットの若大将クリスチャン・スコット(2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日。とうぜん、デイヴィスっぽく吹こうなんて気は持っていなかった)、弱冠21歳ながら腕がばっちり立つアルト・サックス奏者のアレックス・ハン(かなり吹けて、感心。楽屋で少し話したらいい奴)、ここんとこミラーお気に入りの鍵盤担当のフェデリコ・ゴンザレス・ペーニャ(2002年6月18日、2008年9月8日、2009年3月18日。ぼくはあんまし好みじゃない)、やはり若いながら3年前のスタンリー・クラーク来日公演に同行しているというドラマーのロナルド・ブルーナーJr.という布陣によるもの。で、冒頭、ギターレス編成なのに(プリセットの)ギターの音が聞こえてきてびっくり。やっぱ、興ざめする。というのはともかく、なんかなあなあそこそこのデイヴィス曲カヴァー・バンドのパフォーマンスが続いたのではないか。それ、デイヴィス表現の魔力(まあ、復帰後は基本だいぶ減じてはいるけど)もミラーの賢さもスルー。ぼくはまったくデイヴィスを神格化していない聞き手なので軽い気持ちで接しているにも関わらず、どこにポイントを見いだすべきか判断に困る演奏が続いていたはずだ。ベース演奏も普段のときより地味なような気もしたし(ソロのとき、ザ・ローリング・ストーンズのディスコ調曲「ミス・ユー」のフレイズを繰り出した)。なんか、芸にも工夫にもかけていると、ぼくは感じた。
ミラーは信頼できるクリエイターだと思うし、見た目は変わらずスマートだ。だが、このお手軽プロジェクトに関しては今後練り直す必要があるのではないか。唯一賞賛したいのは、全員譜面を見ずに生理的に伸び伸びやっていたこと(俺、譜面台が出ていると、シラけるところがあります)。数回のリハをやって日本にやってきたというが、それは逆に言えばあまり凝った事をやっていないという証左にもなり得る? ともあれ、このプロジェクトはこの10月下旬から2ヶ月間ヨーロッパ・ツアーに入る。そして、来年はアメリカでもやる方向にあるという。六本木・ビルボードライブ(ファースト・ショウ)。
続いて、丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、シカゴの異才シンガー・ソングライター(2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日)を見る。過去と同じく、マネージメントが英国にある会社である関係もあるのだろう、英国に住むミュージシャンを従えてのもの。同様の編成だが、ギター奏者のジム・マレン(2006年3月8日)がいなくなって、キードード奏者が二人になった。変わらず、大志と気を持つクロスオーヴァー型流動性フォーキィ表現を繰り広げたが、この晩は少し喉の調子が悪かったかも? 岩にも染み入るような、静謐な朗々感が少し減じていたような。気のせいかな。そう言えば、今年出た久しぶりに出た新作は新しいことをやろうとしているが、なんかぼくにはしっくりこなかったのを思い出した。
なんでも“Tutu Revisited”というお題目がついていて、主に『Tutu』収録曲をやった(85年作『ユーアー・アンダー・アレスト』でデイヴィスが取り上げていた、マイケル・ジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」も時節柄やったな。あのアルバムにミラーは関与していないけど)このプロジェクトはミラーに加え、トランペットの若大将クリスチャン・スコット(2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日。とうぜん、デイヴィスっぽく吹こうなんて気は持っていなかった)、弱冠21歳ながら腕がばっちり立つアルト・サックス奏者のアレックス・ハン(かなり吹けて、感心。楽屋で少し話したらいい奴)、ここんとこミラーお気に入りの鍵盤担当のフェデリコ・ゴンザレス・ペーニャ(2002年6月18日、2008年9月8日、2009年3月18日。ぼくはあんまし好みじゃない)、やはり若いながら3年前のスタンリー・クラーク来日公演に同行しているというドラマーのロナルド・ブルーナーJr.という布陣によるもの。で、冒頭、ギターレス編成なのに(プリセットの)ギターの音が聞こえてきてびっくり。やっぱ、興ざめする。というのはともかく、なんかなあなあそこそこのデイヴィス曲カヴァー・バンドのパフォーマンスが続いたのではないか。それ、デイヴィス表現の魔力(まあ、復帰後は基本だいぶ減じてはいるけど)もミラーの賢さもスルー。ぼくはまったくデイヴィスを神格化していない聞き手なので軽い気持ちで接しているにも関わらず、どこにポイントを見いだすべきか判断に困る演奏が続いていたはずだ。ベース演奏も普段のときより地味なような気もしたし(ソロのとき、ザ・ローリング・ストーンズのディスコ調曲「ミス・ユー」のフレイズを繰り出した)。なんか、芸にも工夫にもかけていると、ぼくは感じた。
ミラーは信頼できるクリエイターだと思うし、見た目は変わらずスマートだ。だが、このお手軽プロジェクトに関しては今後練り直す必要があるのではないか。唯一賞賛したいのは、全員譜面を見ずに生理的に伸び伸びやっていたこと(俺、譜面台が出ていると、シラけるところがあります)。数回のリハをやって日本にやってきたというが、それは逆に言えばあまり凝った事をやっていないという証左にもなり得る? ともあれ、このプロジェクトはこの10月下旬から2ヶ月間ヨーロッパ・ツアーに入る。そして、来年はアメリカでもやる方向にあるという。六本木・ビルボードライブ(ファースト・ショウ)。
続いて、丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、シカゴの異才シンガー・ソングライター(2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日)を見る。過去と同じく、マネージメントが英国にある会社である関係もあるのだろう、英国に住むミュージシャンを従えてのもの。同様の編成だが、ギター奏者のジム・マレン(2006年3月8日)がいなくなって、キードード奏者が二人になった。変わらず、大志と気を持つクロスオーヴァー型流動性フォーキィ表現を繰り広げたが、この晩は少し喉の調子が悪かったかも? 岩にも染み入るような、静謐な朗々感が少し減じていたような。気のせいかな。そう言えば、今年出た久しぶりに出た新作は新しいことをやろうとしているが、なんかぼくにはしっくりこなかったのを思い出した。
00年ソロ・デビュー作はトム・ダウド(アトランティックR&B畑裏方育ち。エリック・クラプトン関連諸作の制作で一番知られるか)のプロデュース、以降ずっとインディからアルバムをリリースしつつ、その道で支持者をけっこう集めている、77年生まれの米国のブルース・ロッカー。会場は代官山・ユニット、日本での知名度はどうなのかなと思って会場入りしたら、けっこう混んでいる。で、普通のロック公演とは少し客層が違うぞとすぐに了解。かといって、普通のブルース公演とも異なる客層であるもぼくは感じる。年齢層は少し高めで外国人比率も少し高め、うまく説明できないが、なんかここのところあまり感じないヴァイブが会場内にはあったような。
とうぜん歌も歌うギター弾きの彼に加え、キーボード、ベース、ドラムという布陣。で、ブルーズに根ざしたどすこい系ロックのいろんなパターンをおおかた聞かせますという感じで、次から次へと楽曲を繰り出す。マイナー・キーのブルース有名曲「ソー・メニー・ローズ」とか、エリック・クラプトンでも知られるシャッフルのブルース「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」とか、他人曲も屈託なく披露。実はアルバムを聞くと、自慢のギター演奏を聞かせ倒すというよりはバランス感覚を持つアーシーなロック表現をソツなく聞かせるという印象を得るが、実演を見てもその事は感じさせるかな。とっても声質が軽い(けっこう、表面を整えるように綺麗に歌おうともする)うえに、ブルースにありがちな酔狂さ、突き抜け感、危なさ、駄目ダメ感なんかを彼はあまり持っていないから。まあ、曲を重ねるうちにどんどんサバけてはいったけど。急用が入って全部見れなかったのだが、終盤はどうなったのだろうか。
彼が17歳のとき組んでアルバムも出しているボーダーラインというバンド(今の姿をも少し溌剌にした感じ? 早熟だったのはよく解る)はマイルス・デイヴィスの息子(エリン・デイヴィス、ドラム)やジ・オールマンズ・ブラザーズのベリー・オークリーの息子(ベリー・オークリーJr.、ベース)たちとのバンドだった。エリン・デイヴィスはおやじの晩年のライヴ盤に名前が見られたりもする。
とうぜん歌も歌うギター弾きの彼に加え、キーボード、ベース、ドラムという布陣。で、ブルーズに根ざしたどすこい系ロックのいろんなパターンをおおかた聞かせますという感じで、次から次へと楽曲を繰り出す。マイナー・キーのブルース有名曲「ソー・メニー・ローズ」とか、エリック・クラプトンでも知られるシャッフルのブルース「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」とか、他人曲も屈託なく披露。実はアルバムを聞くと、自慢のギター演奏を聞かせ倒すというよりはバランス感覚を持つアーシーなロック表現をソツなく聞かせるという印象を得るが、実演を見てもその事は感じさせるかな。とっても声質が軽い(けっこう、表面を整えるように綺麗に歌おうともする)うえに、ブルースにありがちな酔狂さ、突き抜け感、危なさ、駄目ダメ感なんかを彼はあまり持っていないから。まあ、曲を重ねるうちにどんどんサバけてはいったけど。急用が入って全部見れなかったのだが、終盤はどうなったのだろうか。
彼が17歳のとき組んでアルバムも出しているボーダーラインというバンド(今の姿をも少し溌剌にした感じ? 早熟だったのはよく解る)はマイルス・デイヴィスの息子(エリン・デイヴィス、ドラム)やジ・オールマンズ・ブラザーズのベリー・オークリーの息子(ベリー・オークリーJr.、ベース)たちとのバンドだった。エリン・デイヴィスはおやじの晩年のライヴ盤に名前が見られたりもする。
カーク・フランクリン
2009年9月18日 音楽 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ゴスペル教室に通っている知り合いがいて、このコンテンポラリー・ゴスペルの人気スターの公演に行くかもなんて言っていたが、なるほど会場はそういう筋らしき女性で満員。オープナーは、EW&Fの「セプテンバー」。のっけから、客は総立ち。こんなに、湧きまくるビルボードライブ東京は初めて(と、思う)。で、お客さんたちは一緒に、笑顔でよく歌う。
ショウは6人のクワイアー(女性4人、男性2人)、さらにはキーボード2、ギター、ベース、ドラム、DJという布陣にて。みんな腕は達者、それは与えられたソロのパートを聞いてもよく解る。うちDJに関してはいなくても全然問題ない感じだったが、それは今の感覚を持つゴスペルを送り出していますというアリバイ作りみたいなもん?
主役のフランクリンはへえ、こんなん? 基本、歌わない人なのか。彼はショウの間の半分弱はピアノを弾き、あとは踊って(客席にも何度かおりました)、聞き手に働きかけようとする。で、かけ声をあげたり、クワイアーや演奏陣を指揮したり。なるほど、彼は統括者、プリーチャー的存在として君臨しているんですね。で、踊っている様はゴスペル界のマイケル・ジャクソンという感じもあり。そういえば、前半部に彼は「ウィ・アー・ザ・ワールド」をポロポロと弾きだしたりもし、客はそれにあわせて歌う。大きな話題を呼んだ曲とはいえ四半世紀も前の曲なのに、皆よく知っているなー。
自分のくだけたキャラをとおして、巧みに、サーヴィス満点に敷居低くゴスペル派生の高揚の場を作り上げていったフランクリンの手腕は素晴らしい。ゴスペル有名曲やフランクリンのオリジナルをやったと思うが、ほんと合唱状態。そんなこんなで、ステージと客席側がちゃんと交歓し合っての、疑似“教会”模様が繰り広げられていた。うーぬ、これは見物、聞き物という感じは山ほど。終盤にフランクリンはキーボードを弾きながらちゃんと歌ったが、その歌はぜんぜんゴスペルっぽくなく、味あるシンガー・ソングライター傾向にあるものだった。
最後の曲にはファンカデリックの「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」も挿入される。そして、ヴォーカル陣がステージを降りる際に演奏されたのはあれれ、渋さ知らズ(2009年7月26日、他)の「本田工務店のテーマ」とそっくりのメロディ曲。へーえ、そんな偶然もあるんだァ。
ショウは6人のクワイアー(女性4人、男性2人)、さらにはキーボード2、ギター、ベース、ドラム、DJという布陣にて。みんな腕は達者、それは与えられたソロのパートを聞いてもよく解る。うちDJに関してはいなくても全然問題ない感じだったが、それは今の感覚を持つゴスペルを送り出していますというアリバイ作りみたいなもん?
主役のフランクリンはへえ、こんなん? 基本、歌わない人なのか。彼はショウの間の半分弱はピアノを弾き、あとは踊って(客席にも何度かおりました)、聞き手に働きかけようとする。で、かけ声をあげたり、クワイアーや演奏陣を指揮したり。なるほど、彼は統括者、プリーチャー的存在として君臨しているんですね。で、踊っている様はゴスペル界のマイケル・ジャクソンという感じもあり。そういえば、前半部に彼は「ウィ・アー・ザ・ワールド」をポロポロと弾きだしたりもし、客はそれにあわせて歌う。大きな話題を呼んだ曲とはいえ四半世紀も前の曲なのに、皆よく知っているなー。
自分のくだけたキャラをとおして、巧みに、サーヴィス満点に敷居低くゴスペル派生の高揚の場を作り上げていったフランクリンの手腕は素晴らしい。ゴスペル有名曲やフランクリンのオリジナルをやったと思うが、ほんと合唱状態。そんなこんなで、ステージと客席側がちゃんと交歓し合っての、疑似“教会”模様が繰り広げられていた。うーぬ、これは見物、聞き物という感じは山ほど。終盤にフランクリンはキーボードを弾きながらちゃんと歌ったが、その歌はぜんぜんゴスペルっぽくなく、味あるシンガー・ソングライター傾向にあるものだった。
最後の曲にはファンカデリックの「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」も挿入される。そして、ヴォーカル陣がステージを降りる際に演奏されたのはあれれ、渋さ知らズ(2009年7月26日、他)の「本田工務店のテーマ」とそっくりのメロディ曲。へーえ、そんな偶然もあるんだァ。
スカイラー・フィスク。渡瀬ひとみ
2009年9月19日 音楽 世は、シルヴァー・ウィークとか。確かに、唐突に5連休とか出現したら勤め人の方々、うれしくてしょうがないだろうなー。で、ニュースでは行楽目的の人たちで空港や高速道路が混んでいることを報じたりもしているが、ぼくの周りの会社員でどっかに行きます(笑顔)とか言っている人がいないぞお。そう言うぼくも24、25日締め切りの原稿が山ほどあって、粛々と仕事しなきゃいけない。と、書きつつ、何気に人と会う予定はいろいろ入れちゃっているけど。ちゃんと、原稿仕事はこなせるのか。ほんの少し、不安~(←そこは筆の早いオレ様、一気呵成にやれば大丈夫だろうと思っている。お酒の飲み過ぎで、寝たきり老人にならないかぎりは)。
昼下がり、米国人新進シンガー・ソングライターの簡単ライヴを見る。場所は、開店したばかりの、新宿・ブルックリンパーラー。カフェとバーと洋書やCDのセレクト・ショップを趣味良く合わせたようなけっこう広いお店で、なるほどあっちぽい小洒落た雰囲気をうまく作っている。ブルーノート東京が新たに出店したそうで、なるほどサーヴィスにはブルーノートで見る人がいる。ちゃんとステージも作られていて、今後フォーキー傾向の出し物もいろいろ企画されるのかな。この日に出たのは、LAの新進女性シンガー・ソングライターのスカイラー・フィスク。1982年生まれの彼女の母親は著名女優のシシー・スペイセクで、彼女も女優をやっていたが、近年は音楽のほうに力を入れているらしい。バンドを率いてのものながら会場の都合だろう、ベーシストも生ギターを手にし、ドラマーは簡素にフットストンプや手拍子でビート音を出す。そんな設定で、素朴な弾き語り基調表現を聞かせてくれた。
そして、京王線に乗って、味の素スタジアムに。東京FCとガンバ大阪の試合を見る。0-0、まあ凡戦。知人と旧交を温めた後、赤坂のSUISENというお店に行って知り合いのジャズ・ヴォーカル実演を見る。そこに出演した渡瀬嬢は洋楽の世界ではとても有名な通訳さん。もともとR&B好きで歌を習ったら、ジャズを歌うようになってしまい、けっこう気合いを入れてのぞむようにもなり、ここにところは普通にジャズ・クラブ(実はあちこちにいろいろあるんだよね)に呼ばれる事もあるという。この晩は、自分で選んだ若手のピアノ・トリオをバックに、3ステージをやったよう(2ステージの終わり頃から見た)。身長も高い彼女は堂々のパフォーマンス。MCも余裕たっぷりだし、なにより言葉の問題/壁がない彼女の場合は最初からスタート・ラインが前にあったとは言えるだろう。ブルージィなものやラテン調が評判がいいんですと言う彼女だが、確かにその低めの歌声は小粋系ジャズ・スタンダードを軽く超えさせる存在感を持つな。
またまたその後、先輩同業者の還暦を祝う会をやっているお店に顔を出す。知っている方が笑顔でいろいろ。先のスカイラー・フェスクが来て、2曲歌ってくれたそう。
昼下がり、米国人新進シンガー・ソングライターの簡単ライヴを見る。場所は、開店したばかりの、新宿・ブルックリンパーラー。カフェとバーと洋書やCDのセレクト・ショップを趣味良く合わせたようなけっこう広いお店で、なるほどあっちぽい小洒落た雰囲気をうまく作っている。ブルーノート東京が新たに出店したそうで、なるほどサーヴィスにはブルーノートで見る人がいる。ちゃんとステージも作られていて、今後フォーキー傾向の出し物もいろいろ企画されるのかな。この日に出たのは、LAの新進女性シンガー・ソングライターのスカイラー・フィスク。1982年生まれの彼女の母親は著名女優のシシー・スペイセクで、彼女も女優をやっていたが、近年は音楽のほうに力を入れているらしい。バンドを率いてのものながら会場の都合だろう、ベーシストも生ギターを手にし、ドラマーは簡素にフットストンプや手拍子でビート音を出す。そんな設定で、素朴な弾き語り基調表現を聞かせてくれた。
そして、京王線に乗って、味の素スタジアムに。東京FCとガンバ大阪の試合を見る。0-0、まあ凡戦。知人と旧交を温めた後、赤坂のSUISENというお店に行って知り合いのジャズ・ヴォーカル実演を見る。そこに出演した渡瀬嬢は洋楽の世界ではとても有名な通訳さん。もともとR&B好きで歌を習ったら、ジャズを歌うようになってしまい、けっこう気合いを入れてのぞむようにもなり、ここにところは普通にジャズ・クラブ(実はあちこちにいろいろあるんだよね)に呼ばれる事もあるという。この晩は、自分で選んだ若手のピアノ・トリオをバックに、3ステージをやったよう(2ステージの終わり頃から見た)。身長も高い彼女は堂々のパフォーマンス。MCも余裕たっぷりだし、なにより言葉の問題/壁がない彼女の場合は最初からスタート・ラインが前にあったとは言えるだろう。ブルージィなものやラテン調が評判がいいんですと言う彼女だが、確かにその低めの歌声は小粋系ジャズ・スタンダードを軽く超えさせる存在感を持つな。
またまたその後、先輩同業者の還暦を祝う会をやっているお店に顔を出す。知っている方が笑顔でいろいろ。先のスカイラー・フェスクが来て、2曲歌ってくれたそう。
プリンス(2002年11月19日)のバンドに在籍した女性奏者が主体になったバンド、今回は先の来日時(2006年8月10日)の4人に加え、リード楽器(アルト、ソプラノ・サックス)と歌のミンディ・エイベアが加わる。途中から追加で参加しますよと告知されたのだが、けっこうパツキンの彼女はフィーチャーされていたな。そのスムース・ジャズ調のリーダー作はぼくにとっては聞かないフリをしたいものだが、ソロ自体はなかなか確か。イヤな比較になるが、キャンディ・ダルファー(2009年5月11日)より達者かな。いや、エイベアのほうが、幅が広い演奏/音色が出せると書いたほうがいいか。
1曲目はシーラ・E(2009年5月11日、他)の84年全米7位曲「グラマラス・ライフ」。シーラ・Eは中央に置かれたティンバレスを叩き、それが終わるとティンバレスは撤去され、それ以後の彼女はステージ横に置かれているドラムを叩く。みんな聞きたがるだろう曲(あのころ、この人気曲とともにシーラ・Eは松下電機のTV-CFに出ていたよな)をまずはサクっと片付けちゃって、あとは今の5人の表現を聞かせましょうという感じだったろうな。テインバレスをずっと置いておくのも邪魔でもあるし。←初日はこの曲をどうやら、やらなかったよう。話は飛ぶが、アンコールは5人がステージ前方に置かれた椅子に横一線に座り、シンプルなプリセット音に合わせて初々しく歌った。
張りのあるバンド・サウンドとともに、それぞれが前にでた曲をやるのだが、前回公演のときとは曲も行き方も変わっていたものになっている。なんいせよ、いろんな黒人音楽語彙をおおらかに俯瞰する態度とともに、5人の和気あいあいとしたマナーが印象に残るステージ運び。シーラ・Eに導かれる“音楽大好き、いい人”円満光線は破格のものがあり、それは他の人もしっかり持っていましたね。そういえば、マイケル・ジャクソンの91年全米1位曲「ブラック・オア・ホワイト」もやったが、それもまた5人が醸し出す風情にぴったり。それにしても、やっぱジャクソンっていい曲書いていたな。MJとプリンスによる同い年ナルシスト共演なんてのにも触れたかった、なんて今にして思った。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。
ところで、今日会った人は小田急線沿線在住(親と同居)だが、ヴェルディの大黒将志が同じマンションに住んでいる(エレヴェイターで一緒になったりするんだとか)と聞かされ、ほう。人気も展望もないヴェルディを日本テレビが根性なく手放しちゃったので同チームは超貧乏になり高給取りの大黒は今シーズンが終わると真っ先に契約を切られると報道されているが……。かつて、現役時代のヤクルトの古田と同じマンションに住んでいた知人がいましたが、野球なんてどーでもいいと思っているぼくにとっては興味の引かれ具合が全然ちがいます。ヴェルディは大嫌いだけど、大黒ゴー・ゴー!
1曲目はシーラ・E(2009年5月11日、他)の84年全米7位曲「グラマラス・ライフ」。シーラ・Eは中央に置かれたティンバレスを叩き、それが終わるとティンバレスは撤去され、それ以後の彼女はステージ横に置かれているドラムを叩く。みんな聞きたがるだろう曲(あのころ、この人気曲とともにシーラ・Eは松下電機のTV-CFに出ていたよな)をまずはサクっと片付けちゃって、あとは今の5人の表現を聞かせましょうという感じだったろうな。テインバレスをずっと置いておくのも邪魔でもあるし。←初日はこの曲をどうやら、やらなかったよう。話は飛ぶが、アンコールは5人がステージ前方に置かれた椅子に横一線に座り、シンプルなプリセット音に合わせて初々しく歌った。
張りのあるバンド・サウンドとともに、それぞれが前にでた曲をやるのだが、前回公演のときとは曲も行き方も変わっていたものになっている。なんいせよ、いろんな黒人音楽語彙をおおらかに俯瞰する態度とともに、5人の和気あいあいとしたマナーが印象に残るステージ運び。シーラ・Eに導かれる“音楽大好き、いい人”円満光線は破格のものがあり、それは他の人もしっかり持っていましたね。そういえば、マイケル・ジャクソンの91年全米1位曲「ブラック・オア・ホワイト」もやったが、それもまた5人が醸し出す風情にぴったり。それにしても、やっぱジャクソンっていい曲書いていたな。MJとプリンスによる同い年ナルシスト共演なんてのにも触れたかった、なんて今にして思った。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。
ところで、今日会った人は小田急線沿線在住(親と同居)だが、ヴェルディの大黒将志が同じマンションに住んでいる(エレヴェイターで一緒になったりするんだとか)と聞かされ、ほう。人気も展望もないヴェルディを日本テレビが根性なく手放しちゃったので同チームは超貧乏になり高給取りの大黒は今シーズンが終わると真っ先に契約を切られると報道されているが……。かつて、現役時代のヤクルトの古田と同じマンションに住んでいた知人がいましたが、野球なんてどーでもいいと思っているぼくにとっては興味の引かれ具合が全然ちがいます。ヴェルディは大嫌いだけど、大黒ゴー・ゴー!
アンジェロ・ドュバール&ルドヴィック・ベイエ・カルテット、サンセヴェリーノ
2009年9月23日 音楽 ジャンゴ・ラインハルト(ベルギー生まれ、全盛期〜晩年はフランス在住。1910〜1953年)はチャーリー・クリスチャン(もちろん米国人、1916〜1942年)とともにジャズ・ギターの開祖的な評価がしっかりされているが、非アメリカ人に何かと優しくない部分もある米国ジャズ界としてはそれはとても珍しいことではないだろうか。でも一つ、そうした高い評価を米国ジャズ界から得る事ができた理由として考えられるのは、ラインハルトの真価をとても認めていたデューク・エリントン(1899〜1974年)が彼を米国に呼んで、自分のオーケストラと一緒に回らせたことだろう。あの人が推すならば、実際すごい演奏するし……という感じで、ラインハルトはおおいに本場アメリカでもその実力を認められた(んじゃないかなあ)。
マヌーシュ(ジプシー)の家庭においてジャンゴ・ラインハルトは枠を超えた誇るべき偉大なアイコンであるわけだが、マヌーシュ・ギターの達人であるアンジェロ・ドュバールが国外に出ていつも感心させられるのは、ジャンゴ・ラインハルトの音楽が世界のあちことでこんなにも愛されているのかという事であるという。62年生まれの彼、実は少年期にはハード・ロック愛好者でドラマーになろうとしたそうな。が、住んでいたトレーラー・ハウスでドラムは叩けないので断念したとのこと。そんな彼はお洒落な、マヌーシュ系としてはかなり洗練された印象を与える(魚も大好きだというし)いい感じのちょい悪オヤジ。知らない人に、フランスから来た俳優なんですよと言えば、けっこう信じる人はいそうだ。彼とコンビを組むボタン式アコーディオン奏者のルドヴィック・ベイエ(78年生まれ。ローランドのアドヴァイザーをやっていて、何度も日本に来ているという。MCでは達者な英語を話していた)は非マヌーシュの音楽学校出で、二人が頭を張るカルテットのベーシストはイタリア人。そんな成り立ちを見ても、アンジェロ・ドュバール&ルドヴィック・ベイエのカルテットが普通のマヌーシュ・スウィング表現からは離れた味を持つのは当然ではないか。特に、二人双頭による新作『スウィングの空の下で』は歌/歌詞のあるシャンソン曲をいかにインスト表現として再提出できるかにのぞんだ、ずっと続いている二人の協調作業においてもとても異色作と言えるものだそう(他の双頭リーダー作と違い、きっちりリハをやってからスタジオ入りしたともいう)で、その流れも持つ今回の公演はよりメロウネスを感じさせるものだったは当然の成り行きだろう。なんでも、出自も年齢層も異なるドュバールとベイエが一緒にやりだした理由は、偶然やったらお互いにコレだァとなったとのこと。
その後に登場したのは、マヌーシュ・スウィングのがらっぱち/自在のスケール感覚を取り入れた情多い手作りヒューマン表現でフランス本国でかなりの人気を受ける(今回、日本公演をリポートする記者とカメラマンが同行しているそう)のサンセヴェリーノ(彼も非マヌーシュ)。ヴァイオリン奏者、ギター奏者2、縦ベース奏者を擁してのパフォーマンス。おお、こんなん人なのか。真四角な顔で(なぜか、ぼくはイアン・デューリーを思い出した)、ツンツン頭髪を立てて、入れ墨いっぱい。役者感覚たっぷりに、彼ならではの活劇世界を悠々と作り上げて行く。空気が笑い、カラフルに色付けされ、ときにぐにゃあと歪む。うぬ、任侠ありそう、とも感じた? そのサンセヴェリーノは先の『スウィングの空の下で』の2曲でゲスト入りしラップ調にて歌っている(その2曲はドュバールとベイエのオリジナル曲)が、最後には和気あいあいと一緒にやった。
といった感じで、マヌーシュ・スウィングと繋がりを持つフランスの二組が出た公演だったのだが、実はそれぞれ、デューク・エリントン曲を演奏した。前者は「キャラヴァン」で、後者は「A列車で行こう」。それで、ぼくは冒頭に書いたようなことを思い出したのだ。ああ、愛しの”サー・デューク”。有名な話ですが、スティーヴィー・ワンダーの同名曲はエリントンに捧げられていますね……。そして、ドュバールやサンセヴェリーノもきっと同じ気持ちか(いや、もっともっと濃いんだろうな)。荻窪・杉並公会堂/大ホール。
マヌーシュ(ジプシー)の家庭においてジャンゴ・ラインハルトは枠を超えた誇るべき偉大なアイコンであるわけだが、マヌーシュ・ギターの達人であるアンジェロ・ドュバールが国外に出ていつも感心させられるのは、ジャンゴ・ラインハルトの音楽が世界のあちことでこんなにも愛されているのかという事であるという。62年生まれの彼、実は少年期にはハード・ロック愛好者でドラマーになろうとしたそうな。が、住んでいたトレーラー・ハウスでドラムは叩けないので断念したとのこと。そんな彼はお洒落な、マヌーシュ系としてはかなり洗練された印象を与える(魚も大好きだというし)いい感じのちょい悪オヤジ。知らない人に、フランスから来た俳優なんですよと言えば、けっこう信じる人はいそうだ。彼とコンビを組むボタン式アコーディオン奏者のルドヴィック・ベイエ(78年生まれ。ローランドのアドヴァイザーをやっていて、何度も日本に来ているという。MCでは達者な英語を話していた)は非マヌーシュの音楽学校出で、二人が頭を張るカルテットのベーシストはイタリア人。そんな成り立ちを見ても、アンジェロ・ドュバール&ルドヴィック・ベイエのカルテットが普通のマヌーシュ・スウィング表現からは離れた味を持つのは当然ではないか。特に、二人双頭による新作『スウィングの空の下で』は歌/歌詞のあるシャンソン曲をいかにインスト表現として再提出できるかにのぞんだ、ずっと続いている二人の協調作業においてもとても異色作と言えるものだそう(他の双頭リーダー作と違い、きっちりリハをやってからスタジオ入りしたともいう)で、その流れも持つ今回の公演はよりメロウネスを感じさせるものだったは当然の成り行きだろう。なんでも、出自も年齢層も異なるドュバールとベイエが一緒にやりだした理由は、偶然やったらお互いにコレだァとなったとのこと。
その後に登場したのは、マヌーシュ・スウィングのがらっぱち/自在のスケール感覚を取り入れた情多い手作りヒューマン表現でフランス本国でかなりの人気を受ける(今回、日本公演をリポートする記者とカメラマンが同行しているそう)のサンセヴェリーノ(彼も非マヌーシュ)。ヴァイオリン奏者、ギター奏者2、縦ベース奏者を擁してのパフォーマンス。おお、こんなん人なのか。真四角な顔で(なぜか、ぼくはイアン・デューリーを思い出した)、ツンツン頭髪を立てて、入れ墨いっぱい。役者感覚たっぷりに、彼ならではの活劇世界を悠々と作り上げて行く。空気が笑い、カラフルに色付けされ、ときにぐにゃあと歪む。うぬ、任侠ありそう、とも感じた? そのサンセヴェリーノは先の『スウィングの空の下で』の2曲でゲスト入りしラップ調にて歌っている(その2曲はドュバールとベイエのオリジナル曲)が、最後には和気あいあいと一緒にやった。
といった感じで、マヌーシュ・スウィングと繋がりを持つフランスの二組が出た公演だったのだが、実はそれぞれ、デューク・エリントン曲を演奏した。前者は「キャラヴァン」で、後者は「A列車で行こう」。それで、ぼくは冒頭に書いたようなことを思い出したのだ。ああ、愛しの”サー・デューク”。有名な話ですが、スティーヴィー・ワンダーの同名曲はエリントンに捧げられていますね……。そして、ドュバールやサンセヴェリーノもきっと同じ気持ちか(いや、もっともっと濃いんだろうな)。荻窪・杉並公会堂/大ホール。
エディ・パルミエリ&ラ・ベルフェクタⅡ
2009年9月24日 音楽 南青山・ブルーノート、セカンド・ショウ。ぼくがこのNYサルサの大ピアニストのグループを見るのは、2002年11月18日以来。そのときは前半長々とピアノ・ソロやトランペット奏者とのデュオを聞かせたりもしたのだが、今回は最初からグループ全員でステージに上がり、笑顔でサクっと躍動表現を披露する。ほんわかしたセクション音を中心に担当するトロンボーン系奏者二人はステージ後部にいる(うち、一人は知る人ぞ知るジミー・ボッシュ。ショウが終わるとすぐに受け付け階に出て、自分のアルバムを売っていた)が、少し若目な女性フルート奏者は前に位置し、けっこうソロを取る。打楽器は3人、縦ベース、長身のリード・シンガー(エルマン・オリベーラ)とトレスと歌を担当する小柄なおじさん(ネルソン・ゴンザレス。70年代からラリー・ハーロウに雇われたりもし、リーダー作も持つ人だそう。ポール・サイモンの04年作にも名前が見られる)という布陣。ラテンの専門家ではないので細かい事は何も書けないが、フツーにうれしくなる実演でした。パルミエリはリズム・ピアノ(?)に徹し、ほとんどソロは弾かなかったんじゃないかな。もちろん、席を離れ男女で踊る人たちも散見されました。
サトレッピ・サンバタウン(マルコス・スザーノ、ヴィクトール・ハミル+カチア・ベー)
2009年9月25日 音楽 代官山・ユニット、ブラジル音楽好き&趣味の音楽好きはけっこう集まっていたんじゃないかなあ。いろんな人と、会いました。マルコス“ヴァーチュオーソ”スザーノ(1999年8月11日、2001年12月19日、2002年7月21日、2005年2月15日、2005年10月30日、2006年8月11日、2006年8月24日、2006年12月28日、2007年8月11日、2007年8月23日、2008年1月31日、2008年10月10日、他)と南部出身の自作自演派ヴィクトール・ハミルが本国で組んでいるユニットのサトレッピ・サンバタウンに、新世代ブラジリアン・ポップの美声歌手のカチア・ベーが加わるというもの。スザーノの位置には、いろんな打楽器や装置がいろいろと置かれている。きけば、それがスザーノのフルのセット(けっこう、足も用いたよう)で、それを日本に持ってきたのは今回が初めてなのだとか。へーえ。
いろんな誘いを持つ、いろんな素養も感じさせるヴィクトール・ハミルのギター弾き語りに、けっこうエレクトロニクス/装置を介したスザーノによる打楽器音/シーケンス音/効果音が自在に乗り、干渉し、歌の行方をすいっと広げる。おお。ハミルの歌はときとしてカエターノ・ヴェローゾの声に似ていると思わせるときがあるが、だからこそもう少し陰影がそこにあればとは感じてしまった。
二つ目のブロックに入ると、そこにベーが飄々と加わりツイン・ヴォーカルとなるが、なるほどベーさんの歌はまた美味しい手触りや広がりを持っていて、表現にうれしい奥行きが加わった。いい感じね。もっと、3人によるパフォーマンスに触れたかった。そして、3つ目にはまた男性二人でパフォーマンスし、3人でのアンコールに。ブラジルならではの芯を持つ、しなやな歌心が漂う……。いいヴァイヴが場内には終止充満していました。
いろんな誘いを持つ、いろんな素養も感じさせるヴィクトール・ハミルのギター弾き語りに、けっこうエレクトロニクス/装置を介したスザーノによる打楽器音/シーケンス音/効果音が自在に乗り、干渉し、歌の行方をすいっと広げる。おお。ハミルの歌はときとしてカエターノ・ヴェローゾの声に似ていると思わせるときがあるが、だからこそもう少し陰影がそこにあればとは感じてしまった。
二つ目のブロックに入ると、そこにベーが飄々と加わりツイン・ヴォーカルとなるが、なるほどベーさんの歌はまた美味しい手触りや広がりを持っていて、表現にうれしい奥行きが加わった。いい感じね。もっと、3人によるパフォーマンスに触れたかった。そして、3つ目にはまた男性二人でパフォーマンスし、3人でのアンコールに。ブラジルならではの芯を持つ、しなやな歌心が漂う……。いいヴァイヴが場内には終止充満していました。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。まずステージが暗い中、バンドの面々が出てきたが、おおっ。キーボード2人、ギター、ベース、ドラム、コーラス2人の計7人のサポートの方々は全員女性じゃないか。ちゃんと演奏する彼女たちの前には譜面台もなく、しかもけっこう切れ目なしに曲を演奏していく。それもまた、ソウル・ショウの一つのかたち。よく整備されていて、ここのところはずっとやってきているバンドなのではないかな。俺もミュージシャンだったら一度ぐらいは女性バンドと一緒のライヴをスケベ心とは別に洒落とか定石外しかいう観点のもとやってみたいと思うはず(それ、音楽界が完全にオトコ優位社会であることを物語りもするか)だが、全米総合1位アルバムも持つフィリー出身の有機的ソウルの実力者の意図はいかに? 女に囲まれていたほうが楽しいじゃん、だけだったりしてな。
けっこうゴツいミュージック・ソウルチャイルド(凄い芸名。ある意味まっすぐとも言えるか)のショウはいたって自然体。お洒落度も歌の艶っぽさも想像していたよりは低めだったが、確かな知識やまっとうな気持ちがしっかりと投影された豊穣R&B表現はちゃんと質を持ち、ぼくの身体を揺らした。後半は少しヒップホップ度数が少し高くなったが、曲は新作を中心にまんべんなくやったのかな。
その後、青山・プラッサオンゼに行き、ブラジルの閃きと滋養を受けた先に自分のヴォーカル・ミュージックを作ろうとするTOYONO(1999年6月3日、2007年8月23日、2008年1月31日、2009年6月21日)とそのワーキング・バンドのパフォーマンスを見る。実は彼女とマルコスは仲良しでこの晩のライヴにゲスト入りする事は聞いていたのだが、まさか2ショウぶっ通しで頭から終わりまで2時間強も彼が演奏するとは! これまでも一緒にレコーディングしたりライヴ共演したりし、マルコスはTOYONO曲をかなり知っているそうだが、楽勝で合わせていたなあ。彼、この日は全面的にパンデイロを叩き倒し、他の楽器/装置を多用した前日の自己公演との対比もあって、もの凄く有意義なライヴじゃあと感じることしきり。
セカンド・セット途中には開演後にお店にひょいっとやってきた、ヴィクトール・ハミルとカチア・ベー(2009年9月25日)が二曲ほどまざってパフォーマンスをしたりも。また、別の風が吹く。二人(とマルコス)はTOYONOが昨年ブラジルに行ってコーディネーション録音してきた『DANCE CLASSICS BOSSA』(グランド・ギャラリー)に何曲も参加していたりもするんだよね。とかなんとか、とおしてはTOYONOの掌握力の高さも印象に残ったかな。
出演者もオーディエンスも、みんな目が輝いていた。月並みな言い方になるが、祝福されたミュージシャンの気持ちと技巧のやりとりが、そこにありました。
けっこうゴツいミュージック・ソウルチャイルド(凄い芸名。ある意味まっすぐとも言えるか)のショウはいたって自然体。お洒落度も歌の艶っぽさも想像していたよりは低めだったが、確かな知識やまっとうな気持ちがしっかりと投影された豊穣R&B表現はちゃんと質を持ち、ぼくの身体を揺らした。後半は少しヒップホップ度数が少し高くなったが、曲は新作を中心にまんべんなくやったのかな。
その後、青山・プラッサオンゼに行き、ブラジルの閃きと滋養を受けた先に自分のヴォーカル・ミュージックを作ろうとするTOYONO(1999年6月3日、2007年8月23日、2008年1月31日、2009年6月21日)とそのワーキング・バンドのパフォーマンスを見る。実は彼女とマルコスは仲良しでこの晩のライヴにゲスト入りする事は聞いていたのだが、まさか2ショウぶっ通しで頭から終わりまで2時間強も彼が演奏するとは! これまでも一緒にレコーディングしたりライヴ共演したりし、マルコスはTOYONO曲をかなり知っているそうだが、楽勝で合わせていたなあ。彼、この日は全面的にパンデイロを叩き倒し、他の楽器/装置を多用した前日の自己公演との対比もあって、もの凄く有意義なライヴじゃあと感じることしきり。
セカンド・セット途中には開演後にお店にひょいっとやってきた、ヴィクトール・ハミルとカチア・ベー(2009年9月25日)が二曲ほどまざってパフォーマンスをしたりも。また、別の風が吹く。二人(とマルコス)はTOYONOが昨年ブラジルに行ってコーディネーション録音してきた『DANCE CLASSICS BOSSA』(グランド・ギャラリー)に何曲も参加していたりもするんだよね。とかなんとか、とおしてはTOYONOの掌握力の高さも印象に残ったかな。
出演者もオーディエンスも、みんな目が輝いていた。月並みな言い方になるが、祝福されたミュージシャンの気持ちと技巧のやりとりが、そこにありました。
渋さ知らズ大オーケストラ
2009年9月27日 音楽 今年のフジ・ロックの最終日のオレンジ・コートは渋さとフェミ・クティが続けざまに出演(2009年7月26日)、その合間に統率者の不破大輔はクティと言葉を交わし、CDを渡していた(あと、彼はスティーヴ・ヒレッジと会えたのがうれしかったみたい。なるほど、年齢的にはプログ・ロック世代となるのか)。だから、どーしたっていうわけでもないですけど、そしたら、不破のヘアスタルがずっと続けていた長髪からクティみたいな短髪になっちゃった。たぶん因果関係はないだろうが、ついでに不破の身体がシェウンみたいにびっちり引き締まり、ライヴの最中に上半身ハダカになっちゃうようになったら笑えるなあ。なんでもありの渋さ、そんな事があっても不思議はないではないか。な〜んて。
結成20周年を祝うというお題目アリの、日比谷野外音楽堂での“特別性”の公演。出演者は50人ぐらいは平気でいたはずで(内橋和久や山本精一らゲストもいろいろ。かつての旧プレイヤーの出演があったらなあ)、演奏時間はアンコールを含め3時間45分強。もう、だらだらやるところも含め、いろんな情報量を含む、太っ腹な音楽/芸能行為を思うまま繰り広げる。
それにしても、20年。月並みな言い方になるが、生まれた子供が成人だもの、な。笑っちゃうぐらいに、山もあれば谷もあったろう。そりゃ、マンネリになるところも出てきて当然だ。ロック系野外フェスがこんなに盛んにならなかったら、彼らのキャリアは大きく変わっていた事とも思う。が、なんにせよ、彼らはしぶとく生き残り、独自の回路とともに狼藉を繰り広げ、きっちり支持者を獲得し続けている(この日も入りは上々)、また一方では、活動の場は広く海外に広がっている。それはおおいに祝わなきゃ。
不思議な感興を呼ぶ、問答無用のパワーあり。観客もほんとうに鬼のように熱烈反応、そのやりとりの様にはすげえなと思わずにはいられない。来年あけてしばらくして新作が出るようだが、そこに入る新曲も3、4曲やったはずだ。
結成20周年を祝うというお題目アリの、日比谷野外音楽堂での“特別性”の公演。出演者は50人ぐらいは平気でいたはずで(内橋和久や山本精一らゲストもいろいろ。かつての旧プレイヤーの出演があったらなあ)、演奏時間はアンコールを含め3時間45分強。もう、だらだらやるところも含め、いろんな情報量を含む、太っ腹な音楽/芸能行為を思うまま繰り広げる。
それにしても、20年。月並みな言い方になるが、生まれた子供が成人だもの、な。笑っちゃうぐらいに、山もあれば谷もあったろう。そりゃ、マンネリになるところも出てきて当然だ。ロック系野外フェスがこんなに盛んにならなかったら、彼らのキャリアは大きく変わっていた事とも思う。が、なんにせよ、彼らはしぶとく生き残り、独自の回路とともに狼藉を繰り広げ、きっちり支持者を獲得し続けている(この日も入りは上々)、また一方では、活動の場は広く海外に広がっている。それはおおいに祝わなきゃ。
不思議な感興を呼ぶ、問答無用のパワーあり。観客もほんとうに鬼のように熱烈反応、そのやりとりの様にはすげえなと思わずにはいられない。来年あけてしばらくして新作が出るようだが、そこに入る新曲も3、4曲やったはずだ。
うわああ。あの人が登場したとたん、一瞬にしてぼくの感情のメーターは振り切れた。やっぱ、この人はすごいっ。えも言われぬ感情がこみ上げて、俺は誇らし気にごんごん身体を揺らし、思いっきり声を上げちゃったよお。多分、09年でこの晩が、ライヴを見て一番弾けちゃった時になるんじゃないのか。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。前回はルーファスの一員として来日したイケ面スムース・ジャズ系白人マルチ・プレイヤー(トロンボーン、キーボード、電気ベースを主に扱う)のカルバートソン(2008年11月10日)をリーダーとするグループの出演。彼の今のところの新作『ブリンギング・バック・ザ・ファンク』(GRP)はJB系(ブーツィ&キャットフィッシュ・コリンズ。メイシオ・パーカー、フレッド・ウェズリー)、P-ファンク系(バーニー・ウォレル、リック・ガードナー。コリンズ兄弟とパーカーとウェズリーはこっちにももちろん入りますね)、EW&F系(モウリス・ホワイト、ラリー・ダン、ビル・マイヤーズ、シェルドン・レイノルズ、モリス・プレジャー)、タワー・オブ・パワー系(グレッグ・アダムズ)やスライ&ザ・ファミリー・ストーン系(ラリー・グラハム)やプリンス系(リッキー・ピーターン、マイケル・ブランド)やその他(デイヴィッド・T・ウォーカー;彼はモータウン系とする事も可能か、ミュージック・ソウルチャイルド)ら、いろんな逸材をちょこまか呼んでいたアルバム。……で、今回の来日公演(リーダーとしては初のものとなる?)はそのアルバムに参加していた名人を含んでいるのがポイントだ。
バンドの編成は、キーボードとトロンボーンを主に扱うカルバートソン、キーボード2(うち、一人がラリー・ダン)、ギター/歌(シェルドン・レイノルズ)、電気べース、テナー・サックス/歌、トランペット、ドラムという布陣。で、カルバートソン曲やEW&F曲などを屈託なくやっていく。EW&Fのオリジナル・メンバーで曲もモウリス・ホワイトと書いたりもしたダンは全然老けないな。演奏はいてもいなくてもそれほど問題はないと思えたが、途中でホワイトのようにカリンバをいい感じで爪弾いたりも。もう一人のEW&F関係者、90年前後からずっとコア・メンバーとして活躍したシェルドン・レイノルズは少し痩せたかな。彼はジミ・ヘンドリックス財産管理団体公認/義理の娘のジェイニー・ヘンドリックス制作のヘンドリックス・トリビュート作『パワー&ソウル』(P、EC、EW&F、サンタナ、スティング、シー・ロー、ミュージック・ソウルチャイルド他、参加)でも重要な役割を果たしているが(もしかして、彼ってジェイニー・ヘンドリックスと関係が近いんだっけ?)、左利き用のギターを逆さに持ち弾いていた。なお、カルバートソンと大分歳のいったトランペッター以外、出演者はアフリカン。で、MCで解ったのだが、トランぺッターはカルバートソンの父親だった。なんか、彼と後で話しちゃったけど、息子と一緒に来れてほこらしげ。
でも、口悪く言えば、ここまでは余興みたいなもの。40分強その体制でやった後、ショウの感じは一変する。ラリー・グラハムの登場だァ! 2階から真っ白いスーツと帽子を身につけたグラハムさんがさあっと登場、見栄を切る。鮮やか、千両役者! 生理的に、後光が射している。音を出す前からノックアウトされちゃい、それだけでぼくはもう血がのぼっちゃった。眼鏡はかけているが、変わらずスリムで格好いい。もうプロで、スターだあって、無条件に感じさせられる。キャラに長けたイケてるミュージシャンはこうじゃなくっちゃと痛感させる、つっぱりや芸能感覚がそこには山ほどあった。
で、階段を下り、舞台にあがる。基本はグラハムとバック・バンド(べース奏者は打楽器を叩く)というノリでショウは進められる。白いベースからはマイクがにょきと出ていて、彼のトレードマーク仕様のそれ。それで、いくら動いてもベースを弾きながら歌えるワケだ。ベースはシールドレス、そんなこんなで音質は悪くなるはずだが、そんなのカンケーねー、思うまま動いてべースを弾け歌える事(←それが、お客にとって一番喜んでもらえることなのだという考えがくっきり透けて見える)が大切なのだと、彼は全身で言っていた。ああ、なんて素敵な事! もう、ほれぼれ。で、また2階行って、カウンターにあがって演奏したりとか(ちゃんと事前に会場の作りを把握し、策を練ったんだろう)、すべて俺様で、存在感ありまくり。さすが、スライ&ザ・ファミリー・ストーン時代に天才スライ・ストーンと張り合った(で、彼より目立ちたくなって脱退して、グラハム・セントラル・ステイションを結成する)いうのもよく解る。曲は、グラハム・セントラル・ステーション時代やバラーディアーになって当たりをとった80年代のころのものは(たぶん)やらず、スライ&ザ・ファミリー・ストーン時代の曲をやる。なんにせよ、黒人音楽/ファンクをどうしようもなく得難いものとする掛け替えのないカケラの数々に触れ、ぼくは昇天! あー、音楽好きで良かったと、舞い上がった頭のなかで反芻しまくりましたよ。彼が出てきて、40分ぐらいはやったのかな。最後は、彼を先頭に会場内を練り歩く。
感情が爆発したまま、南青山・ブルーノート東京へ。出演者はここのところほぼ毎年見ているブラジルのシンガー/ギタリストのジョイス(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日)。会場入りしてから30分ぐらいは間もあいたし、ゆったりこちらは見たのだが、今回のジョイスは近年の公演のなかで、一番瑞々しい情感に溢れていたのではないか。やー、充実していたなー。
昨年来日のときと同じ名人級リズム・セクションに加え、今回はトランぺッターが加わる。ブラジルのスタジオ界でもけっこう売れっ子の人らしいが、硬軟いろんな吹き方で、彼女の清新弾き語り表現をサポート。なんか、いい感じ。彼はけっこう強く吹く場合もあるが、ジョイスの芯ある表現はそれに負けない。かなり、いいコンビネーション。途中から、ジョアン・ドナート(2008年8月22日、2009年6月7日)が加わり、味あるピアノ音をつけ、ときに歌ったりも。何も言うことはありません。彼女たちは、いろんな扉をノックしていた。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。前回はルーファスの一員として来日したイケ面スムース・ジャズ系白人マルチ・プレイヤー(トロンボーン、キーボード、電気ベースを主に扱う)のカルバートソン(2008年11月10日)をリーダーとするグループの出演。彼の今のところの新作『ブリンギング・バック・ザ・ファンク』(GRP)はJB系(ブーツィ&キャットフィッシュ・コリンズ。メイシオ・パーカー、フレッド・ウェズリー)、P-ファンク系(バーニー・ウォレル、リック・ガードナー。コリンズ兄弟とパーカーとウェズリーはこっちにももちろん入りますね)、EW&F系(モウリス・ホワイト、ラリー・ダン、ビル・マイヤーズ、シェルドン・レイノルズ、モリス・プレジャー)、タワー・オブ・パワー系(グレッグ・アダムズ)やスライ&ザ・ファミリー・ストーン系(ラリー・グラハム)やプリンス系(リッキー・ピーターン、マイケル・ブランド)やその他(デイヴィッド・T・ウォーカー;彼はモータウン系とする事も可能か、ミュージック・ソウルチャイルド)ら、いろんな逸材をちょこまか呼んでいたアルバム。……で、今回の来日公演(リーダーとしては初のものとなる?)はそのアルバムに参加していた名人を含んでいるのがポイントだ。
バンドの編成は、キーボードとトロンボーンを主に扱うカルバートソン、キーボード2(うち、一人がラリー・ダン)、ギター/歌(シェルドン・レイノルズ)、電気べース、テナー・サックス/歌、トランペット、ドラムという布陣。で、カルバートソン曲やEW&F曲などを屈託なくやっていく。EW&Fのオリジナル・メンバーで曲もモウリス・ホワイトと書いたりもしたダンは全然老けないな。演奏はいてもいなくてもそれほど問題はないと思えたが、途中でホワイトのようにカリンバをいい感じで爪弾いたりも。もう一人のEW&F関係者、90年前後からずっとコア・メンバーとして活躍したシェルドン・レイノルズは少し痩せたかな。彼はジミ・ヘンドリックス財産管理団体公認/義理の娘のジェイニー・ヘンドリックス制作のヘンドリックス・トリビュート作『パワー&ソウル』(P、EC、EW&F、サンタナ、スティング、シー・ロー、ミュージック・ソウルチャイルド他、参加)でも重要な役割を果たしているが(もしかして、彼ってジェイニー・ヘンドリックスと関係が近いんだっけ?)、左利き用のギターを逆さに持ち弾いていた。なお、カルバートソンと大分歳のいったトランペッター以外、出演者はアフリカン。で、MCで解ったのだが、トランぺッターはカルバートソンの父親だった。なんか、彼と後で話しちゃったけど、息子と一緒に来れてほこらしげ。
でも、口悪く言えば、ここまでは余興みたいなもの。40分強その体制でやった後、ショウの感じは一変する。ラリー・グラハムの登場だァ! 2階から真っ白いスーツと帽子を身につけたグラハムさんがさあっと登場、見栄を切る。鮮やか、千両役者! 生理的に、後光が射している。音を出す前からノックアウトされちゃい、それだけでぼくはもう血がのぼっちゃった。眼鏡はかけているが、変わらずスリムで格好いい。もうプロで、スターだあって、無条件に感じさせられる。キャラに長けたイケてるミュージシャンはこうじゃなくっちゃと痛感させる、つっぱりや芸能感覚がそこには山ほどあった。
で、階段を下り、舞台にあがる。基本はグラハムとバック・バンド(べース奏者は打楽器を叩く)というノリでショウは進められる。白いベースからはマイクがにょきと出ていて、彼のトレードマーク仕様のそれ。それで、いくら動いてもベースを弾きながら歌えるワケだ。ベースはシールドレス、そんなこんなで音質は悪くなるはずだが、そんなのカンケーねー、思うまま動いてべースを弾け歌える事(←それが、お客にとって一番喜んでもらえることなのだという考えがくっきり透けて見える)が大切なのだと、彼は全身で言っていた。ああ、なんて素敵な事! もう、ほれぼれ。で、また2階行って、カウンターにあがって演奏したりとか(ちゃんと事前に会場の作りを把握し、策を練ったんだろう)、すべて俺様で、存在感ありまくり。さすが、スライ&ザ・ファミリー・ストーン時代に天才スライ・ストーンと張り合った(で、彼より目立ちたくなって脱退して、グラハム・セントラル・ステイションを結成する)いうのもよく解る。曲は、グラハム・セントラル・ステーション時代やバラーディアーになって当たりをとった80年代のころのものは(たぶん)やらず、スライ&ザ・ファミリー・ストーン時代の曲をやる。なんにせよ、黒人音楽/ファンクをどうしようもなく得難いものとする掛け替えのないカケラの数々に触れ、ぼくは昇天! あー、音楽好きで良かったと、舞い上がった頭のなかで反芻しまくりましたよ。彼が出てきて、40分ぐらいはやったのかな。最後は、彼を先頭に会場内を練り歩く。
感情が爆発したまま、南青山・ブルーノート東京へ。出演者はここのところほぼ毎年見ているブラジルのシンガー/ギタリストのジョイス(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日)。会場入りしてから30分ぐらいは間もあいたし、ゆったりこちらは見たのだが、今回のジョイスは近年の公演のなかで、一番瑞々しい情感に溢れていたのではないか。やー、充実していたなー。
昨年来日のときと同じ名人級リズム・セクションに加え、今回はトランぺッターが加わる。ブラジルのスタジオ界でもけっこう売れっ子の人らしいが、硬軟いろんな吹き方で、彼女の清新弾き語り表現をサポート。なんか、いい感じ。彼はけっこう強く吹く場合もあるが、ジョイスの芯ある表現はそれに負けない。かなり、いいコンビネーション。途中から、ジョアン・ドナート(2008年8月22日、2009年6月7日)が加わり、味あるピアノ音をつけ、ときに歌ったりも。何も言うことはありません。彼女たちは、いろんな扉をノックしていた。