すでに数枚のリーダー作を出している、在NYの女性シンガー・ソングライター。ジェシー・ハリス(2002年12月21日、2005年9月7日、2006年12月3日、2006年4月22日、2007年3月11日)が90年代中期に組んだ男女ユニットのワンス・ブルー(キャピトルから1枚アルバムを出していて、それはノラ・ジョーンズ表現の原型なんて言われることも)の片割れであった人でもある。

 丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。何より、サポート陣が豪華。電気ギターはヴァーヴ他にリーダー作を持つコンテンポラリー・ジャズ界の鋭敏ギタリストであるカート・ローゼンウィンケル、ウッド・ベースはパット・メセニーやブラッド・メルドーらがお気に入りのラリー・グラナディアー(1999年12月8日)、ドラマーはノラ・ジョーンズやリチャード・ジュリアンやジェシー・ハリスと仲良しのダン・リーサー(2007年3月11日、2008年1月24日、2008年6月6日、他)といった面々なのだから。なんでこんな人たちが同行したのかといえば、マーティンの旦那がグラナディアーであるから。ほう。

 が、ステージに上がったマーティンには少しびっくり。小太りの只のおばさんで。格好も、買い物かごを手に近所の店まで買い物に出ましたと書きたくなるものでアレレ。出ている写真とかなり違う(ワンス・ブルー時代とは、まったくの別人というしかない)。ハレの場なんだから、もう少し見栄えに気を遣ってほしかった。とまどったと言えば、生ギターを弾きながら歌い始めてからもそう。声量があまりなくときに音程が不安定で、どこかしろうと臭い。バッキングが実に達者だから、過剰にそれが気になる。だが、彼女が弾くギターはそこそこイケたし、楽器の音をもらわずに無伴奏で歌い始めても、後から入った伴奏とはキーが合っていたので絶対音感は持っていそう。そして、書く曲はかなり良い。それはジョニ・ミッチェルの好影響をしかと伺わせるものでもあり、故にメロディは旋律取りが難しいもので、余計に歌が不安定に聞こえるんだと了解。カート・ローゼンウィンケル・トリオ名義で一度ぐらいやるのもありではなかったか。演奏部には密かに発汗しました。


 おりゃ、ドラム・セットを前に座る椅子がとっても低目のもので、なんかスライ・ダンバーの姿が子供が叩いているように(ちょい大げさ)見えるゾ。過去、そうだったかなー? ありゃ、ロビー・シェイクスピアはファルセット気味の猫なで声歌唱を披露しちゃったりもするじゃないか。あんなに歌う人だったっけかあ? あまりに二人のドラムとべースの強靭演奏は人間基準法違反なので(全然、衰えねえ)、なんか人間的にずっこけている項目を愛でたくなったりして。はは。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。

 この天下無敵のインターナショナルなジャマイカン・リズム隊(1999年12月6日)の来日公演をぼくが見るのは、文章で触れていないが、フジ・ロックで元ブラック・ウフルーのマイケル・ローズをシンガーに立てたとき(2003年7月25日)以来。でも、今回がその完成度については一番高いと思わせたかな。そう思わせた大きな理由は全曲、ここのところスライ&ロビーとつるんでいるUKレゲエ・シンガーのビティ・マクリーンが中央にいて、全曲彼をフィーチャーする形でショウが進められたからか。黒いスーツに身を固めた痩身の彼は見栄えもするし、何より美声と力を兼ね備えた歌声が素晴らしい。とともに、2キーボード、ギター、2サックスからなる演奏陣もソツなくサポートする。

 かつてヴァージンからアルバムをだしたこともあるマクリーンの持ち歌レゲエ曲からスティーヴィー・ワンダー曲まで自在の曲選びのもと、天下一品の喉とリディムが悠々送り出され、鮮やかにレゲエが持つ素敵な何かが広がって行く。そりゃ、浮かれちゃう。アンコールのとき、他のメンバーはシェイクスピアを残して先にステージを降りる。で、残った彼はそのままベース・ソロを聞かせるとともに、またうれしそうに歌う。結局、シェイルスピアはベースを弾きながら、ステージを去る。彼のキャラ、ずわーんと残りましたね。最終日の最終セットだったが、“シェイクスピアの晩“だったのかな。

 スライ&ロビーは昨年、アンプ・フィドラー(2004年9月25日、2005年7月30日)ととても印象的な共演アルバムを出したわけだが、二人はこのまま残りフィドラーをちょいと呼んで3人こっきりのライヴを企画するなんてのは、できなかったかなあ。


 南青山ブルーノート東京、セカンド・ショウ。名前が示唆するように南米チリ出身の、90年代中期以降は米国NYで活動する女性ジャズ・シンガー。なんでも、以前に小曽根真の同所出演のときに同行したことがあるという。ヴァーヴ他からリーダー作を出していて、現在はブランフォード・マルサリス(2001年10月24日)のレーベルに所属。その新作は同じチリの大先輩反骨シンガー・ソングライターのビクトル・ハラの曲(3曲も)やアストル・ピアソラの曲やウルグアイ人の曲なども取り上げている。過去にはミルトン・ナシメントやジャヴァンのブラジル曲などを取り上げていたこともあり、<NYの都市環境やジャズ流儀>と<ラテン・アメリカ生まれという自負>を自覚的に綱引きさせようとしている人と言えるはずだ。

 初の単独公演はピアノ、ギター、ベース、ドラムを従えてのもので、うち二人はチリとベネズエラの出身のよう。ドラマーは3曲ぐらいでカホンを叩く。ベースが電気なのは少し気に入らないが、アルバム以上に<南米←→NY>という図が見える、私の考えるジャジー・ヴォーカル表現を心を込めて提出。スペイン語曲のほうが多かったし、より魅力的と思えたか。でも、英語のスタンダード「カム・サンディ」の視点ありの再提出にぼくはかなりクラリ。想像していた以上に、いい感想を得た。


 UK大ロック歌手のロッドさん(45年生まれ)だが、ぼくは今回初めて彼を見る。でも、ガキの頃は贔屓にしていた人かな。NHKで彼が一番ハネてた頃に組んでいたフェイセズのライヴを放映してたりしてたし(その頃の同局は、彼らに加えエルトン・ジョンやピンク・フロイドらがお好きだったかな)、フェイセズはかろうじてリアル・タイムで聞いたしな。サッカーとお酒と美女がお好き、……スチュワートはぼくにとってはまさに英国らしさを感じさせる最たるスター・ロッカーでもあったのダ。そのフェイセズ末期の73 〜74年ごろ、ポール・ロジャースがいたフリーを経て、同バンドのベーシストとなった(その前任者は故ロニー・レイン)日本人の山内テツは本当に雲の上の人のように思えた。

 サッカー選手をまじに目指したあと、R&B好きのスチュワートはジェフ・ベック(2009年2月6日)のグループ(第一期)のシンガーとなり名を売り、60年代後半以降に大車輪。やはりベック・グループにいたロン・ウッド(現ザ・ローリング・ストーンズ、ね)とともにフェイセズを組むとともに、すでに人気者だった彼はソロ・アーティストとしても二足のわらじで活動した。ぼくはR&Rバンドのフェイセズは大好きだったが、まったり曲主体のソロのアルバムは苦手だった。彼はロンドン生まれだがスコティッシュ・ルーツを持つ人で、当時のアコースティック調ナンバーにはそれっぽいトラッド味がけっこう投影されていた……なんてことは、けっこうおやじになってから気付いた事だよなー。やっぱり、経験を重ね知識を蓄積しないと分からない事はある。

 九段下・日本武道館。この手の熟達ロッカー公演の常で、客の年齢層高し。ステージがいつもより前にあるような、なんかアリーナ客席部が狭く感じる。シースルー気味の白いカーテンがステージの三方を囲み、ミュージシャンの出入りはステージ後方のカーテンの隙間からなされる。ステージの色やアンプやキーボードやマイクやスタンドなども白色でまとめられている。まあ、それは照明が当てられると、いろんな色に染まるが。そして、ステージ後方にはモニターが吊るされているのだが、そこに映されるステージ映像の画質の高さにはびっくり。TV用のカメラみたいなデカいので撮っていたしな。そこにはステージの面々を映すだけでなく、ときに遊びの映像も映る。ジ・アイズリー・ブラザーズ(2001年12月6日、2004年3月1日)がモータウン在籍時の66年にヒットさせたホーランド/ドジャー/ホーランド曲「ディス・オールド・ハート・オブ・マイン」では全面的に往年のモータウンのアーティストが出された。
 
 バンドはギター2、キーボード、ベース、ドラム、打楽器という編成。それにプラスして、3人の黒人女性コーラス隊と、テナー・サックス奏者とフィドル/マンドリンを担当する二人の白人女性。総勢、バックは11人。演目はほぼ彼のキャリアを括るような代表曲をやっていたか。数年前にバカ売れした”スタンダード・ソング歌い”の側面を出す場面がなかったのは良かったが、フェイセズ時代の曲を全然やらなかったのはとても悲しかった。

 ショウは2部構成で1時間のものが休憩を挟んで2本。1部はアメリカのレトロなショービジネス系バンドのような正装をみんなする。4曲目ぐらいで、相変わらずサム・クックの影響下に自分があることを伝えた上で彼の曲「ハヴィング・ア・パーティ」を披露。スチュワートは2部でもクックの「トゥイスティン・ザ・ナイト・アウェイ」をやる。といっても共に、かつてカヴァー・ヒットさせているものだが。一部の途中では、現在21歳とかの娘(どの奥さんとの子供なのか)が出てきて、R&B調曲を2曲歌う。当人は嬉々として親馬鹿を表出。いや、それも嫌な感じではない。

 ところで、もう一つちゃんと書き留めておかなければならないのは、彼が中村俊輔(2002年7月21日)のいる(あ、水野晃樹もいる)スコットランド・プレミア・リーグのセルティックの大ファンであるのを無言でおおいに宣言していたこと。だって、バス・ドラムの外面やステージ(天井からライトででっかく映し出されていた)にはセルティックの紋章がきっぱりと出されていたんだもの(もしかして、ショウの始まる直前に流されたとっても古くさい曲はセルティックのチーム・ソング?)。あー、サッカー馬鹿。あれ、すごいワ。

 そして、チャック・ベリー曲「スウィート・リトル・ロックンローラー」(これが発表された70年中期あたりから、ヌルすぎて積極的に彼を聞くのをやめたんだよな〜)で始まった2部はみんなカジュアルな格好で出てきてのパフォーマンス。で、なんと4曲目にやったスチュアートが書いた78年ヒット曲「ユーアー・イン・マイ・ハート」のときはセルティックの試合の名場面やサポーターたちが映し出される。あー、オレはうきッ。そして、曲が終わると、「ナカムラ」とスチュアートは一言。そういえば、先に触れた山内テツへのぼくの思いは今のサッカー小僧が中村に覚える憧れと同等のものではないか。そして、何曲かあとにやった「ホット・レッグズ」(この曲はハネているので、昔から好き)ではサイン入りサッカー・ボールをぽんぽんと客席に蹴り出す。これ、昔からのスチュアート公演のならわし(だよな)。

 肝心のスチュワート(彼はそれぞれのセットの途中でもお召しかえをした)の歌唱や佇まいについてあんまし触れてないが、OK。多分に腹回りは太くなっているが、足は長いし、身のこなしはお茶目だし、ツンツンした髪型は変わらないし。ちゃんと華がある。くっきり見えるヴィジョンを見ると、彼は十分アンチ・エイジしているように思えた。歌は少し弱くはなっているかもとホンの少し感じるところもあったけど、それにも合格サインをぼくは出す。そして、なによりうわあと感じたのは彼の人の良さ、まっすぐさのようなもの。それは先に触れたサム・クック讃やセルティック讃にも表れているわけだが、なんか伝わってくるそのもやもやはかなりマル。先に見たスコティッシュ・バンドのトラヴィス(2009年2月27日)のそれとも真心具合は重なるものであったかな。ゆえに、その代表曲「トゥナイツ・ザ・ナイト」にせよ「セイリング」にせよぼくは大嫌いな曲だが、目の目でスチュアートが歌う分には許せると思った。

 構成もよく練られてもいたし、とてもお金のとれるショウ。毎度の言い方になるが、やはり年期を積んで、予算もとれる大御所のショウは良い。ところで、彼が埼玉スーパーアリーナでライヴをやる14日には埼玉スタジアムでの浦和レッズのホーム・ゲームに顔を出すという話があるが……。(←結局、表れなかったみたいね)

 春が近づくこの時期、重めのコートやマフラーのもと出かけるのは少し無粋な感じも覚えてしまうが、まだ寒い。試写を見るためにお昼に出かけたら、ブルブル。半蔵門・東宝東和試写室。72年ロンドン生まれのジョー・ライトが監督した米ユニヴァーサル/ドリームワークス映画で、ジュリーアード音楽院でチェロを学んだこともあった中年にさしかかろうというアフリカン・アメリカンのホームレスを題材にした映画。原作はLAタイムズ紙の記者/コラムニスト、スティーヴ・ロペス。彼が職場近くのLAのダウンタウンで偶然であったホームレスとのチェロを媒介とするやりとりを題材とする新聞連載をまとめた単行本が原作になっている。だから、当人役も映画には出てきて、主役の2分の1となる。

 ところで、ここのところのぼくは、けっこうチェロ・モードにある。なんか、近年チェロ音を効果的に用いる現代ロック表現が少なくないような気がして(実は、CDジャーナルの3月下旬売り号で、“チェロと現代ロック”という内容の文章を書いた)。今コレを書きながら聞いている、才人ケイシー・ダイネルのユニットであるホワイト・ヒンターランドの08年作もうまくチェロを使っているよなー。来日公演でもここのところ、ブレット・アンダーソン(2008年12月9日)、クレア&ザ・リーズンズ(2009年2月13日)、レイチェル・ヤマガタ(2009年2月16日)はチェリストを同行させていますね。

 てな感じで、なんかチェロには注目していたので、より興味深く見ることができた映画。チェリスト役は無菌ぽいR&Bアルバムを複数出しているジェイミー・フォックス。彼が出た映画だと「レイ」(2004年11月15日)と「ドリームガールズ」(2007年1月18日)を見ているが、それらとはまったく違う人間を彼は見事に演じる。エンドロールのクレジットには彼をケアする人の名前が山ほど出てきて、うあー大物なんだァと思わせられる。人の都合や事情はそれぞれ……てな所感を、見た後に残す映画かな。

 映画化にあたって、本人や彼の姉や当の記者はそれなりに絡んでいるよう。やはり使われる音楽はクラシックが主となる(映画に出て来るLA交響楽団は本物なのかな?)が、記者の属性/心持ちを示唆しようとして、カントリー・ロッカーであるジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター・ボー・ジャングル」が効果的に用いられる。ウォーカーの事は別に贔屓にしていないが、大学時代に彼の「ロック・ミー、ロール・ミー」のアーシィなアレンジをオリジナルのR&R曲をやるとき借りた事があったのを思い出して、甘酸っぱくなった。映画でその記者さんは確かサーブのハッチバックに乗っていたはずだが、彼は後方確認用のルーム・ミラーにネックレスをかけていた。実は2年前にニューオーリンズに行ったとき(2007年2月2日〜6日)、3色マルディグラ・カラーのネックレスをルーム・ミラーに下げている人を複数みて、ぼくも帰国後それにカブれて同様のことをやっていた事があった。車体色とそれは合っていたんだけど、なんか子供っぽいような気がしてそのうちやめちゃった。でも、またやってみようか。ココロのどこかに、カーニヴァルの気持ちを置いておくためにも……。


Saigenji

2009年3月14日 音楽
 青山・プラッサオンゼ。ブラジル音楽を中心とする風や土の感覚を持つ語彙を自分のなかでしっかりと共振させた先にあるシンガー・ソングライター表現を提示するシンガー/ギタリスト(2006年6月27日、2007年11月27日)のギグは気心の知れたベーシストと打楽器奏者を伴ってのもの。たっぷり、思うまま、悠々と。やはり感じずにはいられないのは、優しいけど、とっても強いオトを聞かせる人であるということ。もう歌声は聞く者の鎧を解いでしっかりと入り込んでくるし、ギターは洒脱なのにとっても切れと芯を持っていて聞く者を揺らすし(ギター仕事が少ないのも納得ですね)。まず、そういう基本の能力が確か。何をやってもこの人は聞き手を引き寄せられる、と思わせられちゃうところがあるな。でもって、そこに当人ならではのお茶目だったりテンダーだったりするナイス・ガイな持ち味が存分に溶けているのだから、そりゃ味は余計に良くなる。場のヴァイヴの良さもあり、浮き浮き見れました。あ、それから……彼は先月にコットンクラブで弾き語りのライヴをやったはずだが、それどうだったのか。彼が表出する有機性や精気は、そんな思いをぐびぐびと誘発するものだった。
 音楽的にはここのところ英国で相次いでいるレトロ志向にある、昨年世界規模でトップ級に成功したUK女性シンガーの約1時間のパフォーマンス。渋谷・アックス、オーディエンスの外国人比率高し。短パンを履き細く白い足を誇示する(?)そこそこ身長ありそうなダフィー嬢はキーボード、2ギター、ベース、ドラム、パーカッションからなるバンド(白人と黒人がちょうど半数ずつ)とともに、個性的な歌声を嬉しそうに披露。喉に負担がかかりそうな声質だが、けっこう声量はありそう。印象的な声だし、世に出てしかるべきタレントとは思うが、世間で一部言われているようにソウルフルとは思わない。ロック/J・ポップ界にはちゃんと歌えたり声質が立派だったりすると、安易にソウルフルという形容を使う傾向があるのかもなあ、とふと思った。一度だけ言った簡単な日本語MCのイントネーションはそれなりにまっとう。また、歌声だけだときつそうな感じを受けるが、性格も良さそうに思えた。それから、ステージ上には曲により二人の女性コーラスも加わる。そのバービー人形のような、可愛らしい彼女たちはそっくりでどうやら双子のよう。見てると、なんかうれしくなる。某誌編集者はこりゃ(ソロ・)デビューさせるしかないでしょうと、鼻の下のばして言っていたな。

 そして、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。一時は米国洗練派ミュージシャンから羨望の的であった、まばゆいポップ性を持つブラジル人シンガー・ソングライターのイヴァン・リンス(2002年5月1日)を見る。電気キーボードを弾きながら歌う本人に加え、キーボード、電気ベース(1曲だけ、電気スタンダップ・ベースを弾く)、サックス、ドラムという布陣。ドラマーのテオ・リマをはじめみんな知られる人のようで、そんな彼らによる一部けっこうフュージョンぽいときもあるバッキング・サウンドにのって、リンスは悠々と歌い、鍵盤を押さえ、流れる。前よりも楽に歌っている感じもあり、それがいい感じの伸び伸び感や包容力を聞き手に与え、前回みたときより良いと間違いなく思えた。ブラジル音楽が持つ天衣無縫な感覚も味わえたナ。過去の人でもあらず、そんな感想も得ました。

ガイア

2009年3月18日 音楽
 名前だけを見ると?だが、実力者そろいのグループであり、在NYのプレイヤーの興味深い結びつきが見える多国籍トリオですね。その内訳はカサンドラ・ウィルソンやマーカス・ミラーのグループで重用されるスイス人ハーモニカ奏者のグレゴア・マレ(2004年9月7日、2006年9月3日、2007年12月13日)、ミシェル・ンデゲオチェロやSMV(スタンリー・クラーク、マーカス・ミラー、ヴィクター・ウッテン)で来日しているウルグアイ人キーボード奏者のフェデリコ・ゴンザレス・ペナ(2002年6月18日、2008年9月8日)、そしてデイヴィッド・サンボーンやミシェル・ンデゲオチェロから信頼を受ける米国人ドラマーのジーン・レイク(1999年5月25日、2000年3月25日、2002年6月18日、2003年7月18日)というもの。なんでも3人はもともと仲良しで、それなのになんで一緒に音楽をやらないのかとなり、ガイアを組んだのだそう。そんな“趣味”のグループはまだアルバムを出していないが、すでにレコーディングは済ませているようだ。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。

 出だしや曲によってはけっこう構成に凝っていて、ただのセッション・バンドではないぞと思わせる。ぼくはマレのハーモニカの音色/風情に依ったエキゾな流動表現をまず想起していたのだが、そういう部分もある(その延長の、パット・メセニー的牧歌調もアリ)が、曲によってはばりばり三者で丁々発止しあっていて、その場合みんな腕がたつので接していて超高揚する。その際はマレもぎんぎんに吹き倒す。シンバルの数が多く、スネアを二つ置くセットを叩いていたレイクは強力の一言。もう、ドラム・フェチのぼくも大満足。MCはペーニャがやっていたが、音楽的なところを一番見ているのは彼かな。ベース音も左手で弾いていた(後半は、モーグ・シンセを用いてそれを出していたが、あっぱれ)彼はピアノ、複数の電気キーボード(うち、コルグのトリトンが大活躍。途中、彼はそれをパーカッションとして使い、レイクと渡り合ったりもした)を扱い、表現にヴァリエイションと変化を付ける。うーん、何かと、いろいろおもしろかった。3人の共通点はマーカス・ミラーのバンドにいたことだそうで、ミラーの「ツツ」も披露。アンコールはかなり捻りのある、「オール・ブルース」(マイルス・デイヴィス作)。

 幕張メッセの国際展示場にて、いま日本トップ級の集客をほこる英国ロック・バンドを見る。ぼくが彼らをちゃんと見るのは、なんと9年ぶり。おお、息が長い人気バンドだな。前回原稿で触れているのと同様な理由(2000年2月29日。要約すれば、メロディも歌もいいのに、なぜあんなに大志のないサウンドを採用するの?)で軽い気持ちで会場に車を飛ばしたが、今回はずっと印象が良かった。一つ間違いなく言えるのは、音響の悪いメッセにも関わらず、音がけっこう良かったこと。2本のギター演奏の差異/重なりの妙が実感できて、単なるべったりギター・サウンドで満足しているバンドじゃないんだとちゃんと実感できた。平板でぼくが辟易するドラムも音質はともかく(エコーがかかりすぎで、人工的な印象を強く与える)、比較的メリハリが効いているように聞こえたもの。

 と、そんな具合だと、楽曲の良さ、歌の多大な存在感はよりくっきりと伝わる。“英国的な歌心の行方”をいろいろと堪能できる。随所に散りばめられたザ・ビートルズやザ・フーやT・レックスなど大先輩バンドに対するオマージュもより甘酸っぱく感じることができる。ふふふ。先に触れたようにギターのギザギザ感の噛み合いを良く感じる事ができたせいで、ショウに接しながら、<ザ・ビートルズの語彙を愛でつつ、カレージ・ロックのりで突っ走るバンド>像を追求しているぞ、なんて思える部分も。楽しめた。

 が、もう一つ見たいライヴがあって、後ろ髪ひかれる気分で途中退座(セット・リストには最後曲としてザ・ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォラルス」が載せられていたけど、やったのかな)。南青山・月見ル君想フに向かい、英国プログレッシヴ・ロック畑で確固たる活動歴を残しているキーボーディストのデイヴ・スチュアート(もちろん、ユーリズミックスを組んでいたギタリストとは別人)と女性シンガーのバーバラ・ガスキンのユニットを一部の終盤から見る。おお、なつかしい。蓄積と感性豊かな二人は今から20年前にデュオ作をライコディスクから何作か出し、それは当時ライコディスクをライセンスしていたミディからリリースされ、そのさい二人にぼくは取材したことがあった。あのときの詳細はとんと忘れているが、その音楽同様にいかにも機知あふれる大人の英国人てな所感を持ったんではなかったか。

 スチュワートの前と横は数台のキーボードが囲む。ドラム音やベース音などはプリセットのものを用い、そこに上乗せ音を加えるなかで、ガスキンが甘さを排した声で歌う。また、二人に加えアンディー・レイノルズというスキンヘッドのおじさんがギターで加わる(その音色はキーボード音群にとけ込むためなのか、かなりエフェクター加工されたものだった)。基本、リズム・トラックは固定されたもので、それに沿って3人が歌や楽器音を乗せていくわけだが、ぜんぜん窮屈なものでなく、有機的かつ広がりに満ちていたのにはおおいに頷く。メロディのあり方、アレンジとか、全てが良く吟味構成されているんだろうな。いかにもプログレッシヴ・ロックを通過した者ならではの変拍子/凝った和音を持つ曲から、よりメロディアスな夢心地もの、果てはけっこうグルーヴィだったりするハネものまで自由自在。オリジナルだけでなく、カヴァーも少しやっていた(ジョー・ザヴィヌルやルーファス・トーマス?)がそれも新たなフェイズを加えている。それに共通しているのは、自分の資質を全開にして音楽をする歓び、なり。

 それにしても、そんなに普段ライヴをやっているとも思えないが、難しい旋律をなんなんく清新な含みとともに歌うガスキンには感心。たまに取るスチュワートの鍵盤ソロも聞き所あるし、ギターのレイノルズの演奏も多彩にして巧み。彼は一切譜面なしで二人によりそっていた(ときにかけ声をだしたりして、かなりファンキーな側面が透けて見えるときもマル)。見終わったあとは、彼らが発する澄んだミュージシャンシップとオリジナリティにため息をつくことができました。

 なんか傾向は異なるものの、英国的な何か、いや英国人でなければ出しえないロックの確かなヴァリエイションに触れることが出来た贅沢な晩だと、ほんの少し感無量……。


 80年代初頭結成のウェスト・コーストをベースとする長寿コンテンポラリー・ジャズ・グループ(2003年9月11日)の公演、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)。ピアノのラッセル・フェランテ(2007年12月16日)、6弦電気ベースのジミー・ハスリップ(2004年3月24日、2004年12月17日)、ドラマーのマーカス・ベイラー(2007年12月16日)、リード楽器のボブ・ミンツァー(オリジナル・メンバーではない彼がMCをした)にプラスして、ギタリストのマイク・スターンが加わった編成によるもの(彼、1曲以外は譜面を見ず)。で、BS&Tを経て、80年代初頭の復帰後のマイルス・デイヴィス・バンドに加わって知名度を得たスターンの様にはびっくり。もう、馬鹿みたいに快活、もう客に愛想振りまきまくり。一人で、満面笑顔ではしゃぎまくっていたよなあ。うわあこんな人だったのという感じ。そんな事に今頃気付くというのは、過去沢山来日しているはずだが、なんかフュージョンぽい感じがして、ぼくは過去の彼の来日ギグをことごとくパスしていたという事なんだろう。なんにせよ、それは熱いココロあるなりきり型ミュージシャンの物腰としてアリなはず。彼は6月に自己バンドでブルーノート東京にまたやってくるのだが、それは見にいっちゃおっかな。

 大昔はフュージョンと言えるアルバムがあったかもしれないが、完全にコンテンポラリー・ジャズというしかない甘さを排した演奏をびしっと披露、な〜かなか。ウキっとなれちゃったな。やっぱ、イエロージャケッツは信頼できる、そう再認識しました。

 続いて、南青山・ブルーノート東京。イタリアの70年生まれのわりかしイケ面なジャズ・ピアニスト(うわ、鼻でけえ)の公演。新作と同様の顔ぶれによるものでイタリア人ベーシストのジャンルカ・レンジ(2006年11月13日)、個性派米国人ドラマーのリオン・パーカーを率いてのもの。「ディア・ストックホルム」他スタンダードを混ぜて、私のピアノ演奏を聞かせる。ライヴだとより面白い瘤を出すんじゃないかと思ったら、そんな事はなく、けっこうフツー。でも、そこここに趣味の良さは表れていたかな。

<番外付録>
 アメリカの業界人から、マイク・スターンは直系ではないものの米国安売りチェーン百貨店のスターンの血を引き、安泰趣味ノリで音楽に没頭できる、と聞いた事がある。で、もっとも秀でたシンガー・ソングライター作をモノにしているセンテイ・トイ(彼女の旦那は偉人ぶっとびリード奏者/作曲家のヘンリー・スレッギル!)に取材したときに、マイク・スターンの嫁でやはりジャズ・ギタリストであるレニ・スターンととても仲がいいと言うので、先のウワサを確認したところ……。一笑にふされました。



ベック

2009年3月24日 音楽
 もう15年も現代ロックのフロント・ラインに飄々と位置している米国西海岸人(2001年8月18日、2003年4月1日)を渋谷・NHKホールに見に行く。冒頭、アフガニスタン出身の○○さんのイリュージョンをお楽しみください、みたいなMCがあって、安い手品が10分ぐらい行われる。外しの極地……? 遠目にはとてもどってことない。上半身裸のアシスタントがベーシストだったと言う人がいたけど。

 で、7時半きっかりに、ベックのショウはスタートする。女性ギタリスト、ベーシスト(一部はシンセでベース・ラインを弾く)、キーボーディスト、ドラマーが、歌とギターの主役をバックアップ。ドラマー以外はみんなコーラスを付ける。ステージ後ろにはマネキンみたいな人体模型が25体ぐらいならべられている。マジック・ショウの延長で、それらが急に動き出したら面白いと思ったが、それはなし。

 けっこうガレージ・バンドっぽい、あまり小細工のない設定でパフォーマンスは進められたのではないか。いろいろと見せ方にも茶目っ気たっぷりに留意する人だが、わりと今回は簡素に事を進めた。とはいえ、和気あいあい、緩〜い感じ(にプラスして微妙な含み)をどこかに持つのはベック公演の常ではあるけれど。途中、プリセット音を流してラップっぽい歌い方を披露したときは、ああこの路線はやっぱり魅力あるナと思わせられたりも。バンド全員がステージ前に出てきてそれぞれ発信器やコントローラーを持ってベックをバッキングするときがあったり、フォーキーな行き方を見せたときもあり。なんにせよ、総じては、さくっとした設定の実演だったのは間違いない。


 北欧ルーツの、ミネソタ州出身の女性シンガー/ソング・ライター。近年のアルバムでもバッキングしている同世代(行っても30代半ば。という感じ)のピアノ・トリオを伴ってのパフォーマンスで、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)にて。みんな初来日となるようだが、その4人の佇まいはいい感じ。楽曲の多くはピアニスト(1曲は生ギターを弾いたりも)とボーディの共作だが、ウッド・ベーシストとボーディは夫婦とか。それについて彼女がMCをすると、祝福の拍手/声が客席側から自然にこぼれる。そういうものを誘ういい感じを彼女たちは持っている。ドラマーはアフリカンだ。

 思っていた以上に、味はいい。意外にポップ側の書き手が来ていて、それはみんな口にしていたな。簡単に言えばジャジーな女性ヴォーカル表現なのだが、あまり比較に出したくなるような人がいない、とも書けるか。伴奏はアルバムよりもずっとジャズ。一方、ボーディの歌はジャズ・ヴォーカル様式を踏むものではないが、音程や言葉の乗せ方は確かで、きっちりとピアノ・トリオ音の上に載る。彼女は可憐な声を持ち、声質自体がとても魅力的。変な説明になるが、ジャズとポップの間を行き来するのではなく、ポップとジャズが邪魔し合う事なくきっちり重なり合った先にある表現というか。本編のラスト2でやった曲のピアノ・ソロはもろにケニー・カークランドの名演(スティング&ザ・ブルー・タートル・バンドのA&M発86年ライヴ盤『ブリング・オン・ザ・ナイト』におけるタイトル・トラックでのソロ)を下敷きにしたもの。きっと昔、ピアニスト君は感化されまくったんだろうな。ポール・サイモンの曲なんかも披露していた。

 続いて、南青山・ブルーノート東京に移り、ずっと充実したジャズを送り続けているテレンス・ブランチャード(2002年7月3日。2005年8月21日)の公演を見る。うーん、まいった。その演奏に漲る内実や手応えと言ったなら。正義のジャズ、という一言で、終わりにしたいぞお。

 即興という真意と、積み上げられてきたジャズ様式を噛み締めつつ展開される、真摯にしてスリリングな丁々発止が90分。やれサウンド設定にしても、ソロにしても質が高すぎ! ブランチャードのトランペット・ソロの見事さに触れると、ぼくがおおいに買う同郷(ニューオーリンズ)後輩のクリスチャン・スコット(2008日7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日)はまだ青二才だと言うしかないな。あー、やっぱりジャズはすごい。うー、ジャズはいいナ。

 サポート陣はウォルター・スミスⅢ(テナー)、フェビアン・アルマザン(ピアノ)、デリック・ホッジ(ベース)、ケンドリック・スコット(ドラム)という、ここところのテレンス作の録音メンバーでもある、彼のレギュラー・バンドの面々。うち、リズム・セクションはブランチャードの2002年と2005年の公演でもやってきている。それから、熟達ジャズ・ピアニストのマルグリュー・ミラーのトリオ表現にも関与するデリック・ホッジはジャズ界以上にソウル/ヒップホップ界で名が知られるかもしれない人物。両刀のジャズ・マンというとドラマーのカーリム・リギンズ(2005年9月15日)も知られるが、フィラデルフィア出身の彼はコモン(2004年6月11日〜同9月13日の項に記載、2005年9月15日)、ミュージック、Qティップ、フロエトリーらの作品にいろいろ関わっている。

 それにしても、その4人はブランチャード・バンド以外でもいろいろ重なり、さらにはブランチャード・バンドの卒業生であるリオネル・ルエケ(2002年7月3日、2005年8月21日、2007年7月24日)やアーロン・パークス(2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日)、この4月にもコットンクラブにやってくるロバート・グラスパー(2001年8月18日、2007年10月3日)、クリスチャン・スコット、グレッチェン・パーラト(2009年2月3日)らとも関係を持っており、NY周辺の広角型の若手リアル・プレイヤーの間で一つの確かなサークルがあるような。

 例えば、クリスチャン・スコットのグループにずっといる(今年1月の初のスコット・グループ公演はワン・ホーン編成ゆえに同行せず)ウォルター・スミスⅢと旧グラスパー・バンドで現パークス・バンドのギタリストのマイク・モレーノ(2008年11月22日)とも懇意にするケンドリック・スコットは同じヒューストン出身なのだが、それぞれ06年に出したリーダー作はお互いが客演し合うだけでなく、グラスパー、パークス、ルエケ、パーラトら共通する顔ぶれが参加していたりするのだ。後者のほうはデリック・ホッジも入っている。そして、パークスの後釜でブランチャード・バンドに入ったフェビアン・アルマザンはキューバ出身のニューヨーカーだが、パーラトとNYではデュオ公演をやったりもする……。

 うーん、今のNYの相関図をおいかけたくなってきた。それに値する興味深い動きやアルバムが今、出てきていると思う。そして、繰り返すが、その頂点にいるかのようにそうした彼らを起用しているブランチャードのジャズは素晴らしい。


 まっすぐ、そして澄んでいる! テキサス州オースティン在住の黒人女性シンガー・ソングライターの初来日公演、南青山・カイ。うわぉって感じで、楽しみました。

 達者にギター(生とセミアコ)を弾きながら歌う彼女に加え、ビッグ・ママ体型の女性ベーシストと女性ドラマーがつく。イエイ。もう、見た目だけでウキっとなれるなあ。彼女たちはテキサス州ヒューストン在住のよう。当然、サウンドはシンプルなものだが、問題なし。3人は1時間45分ほど、パッションとふくよかさが美味しく重なるショウをやりきった。ライヴだとルーシーの歌はよりソウルフル。なるほど、新作『ザ・トゥルース』では南部ソウルの代名詞的存在であるスタックスが用いたメンフィスのアーデント・スタジオを使い、スタックス縁のホーン奏者なども呼んで録音したのにも納得ですね。曲紹介で、「サム・クックとオーティス・レディングがいて、私がいる」、みたいなことも言ったっけか。

 ゴスペル経験もきっちり持っている事もそこここで露になるし、ブルージィなひっかりが出ることもある。もちろん、よりシンガー・ソングライター的なフォーキーさが表に出るときも。それらが一体になった様はまさしく、まっとうなルーツ・ミュージックの消化と豊かな人生経験を通してのフォスター印の凛としててアーシーなエクレクティック・ミュージックと言うもの! ライ・クーダーとの共演作を作ってもおかしくないし、ジョー・ヘンリーが彼女をプロデュースしても不思議じゃない(ヘンリーの最新の制作プロダクツはアラン・トゥーサンのノンサッチ盤だ)とも、そのライヴに触れながらぼくは痛感してしまいましたね。彼女の次作はアンタイ発と聞いても、ぼくは全然驚かない。

 アンコールはザ・スピナーズの「アイル・ビー・アラウンド」とボブ・マーリーの「ノー・ウーマン、ノー・クライ」。いいわー。彼女のりの、アコースティック・ギター使用のR&B名曲集とか出さないかな。すげえ、聞きたい。この後、彼女たちは京都と名古屋でショウをやったあと、豪州ツアーに入るという。もちろん。そのなかにはバイロン・ベイ・ブルース&ルーツ・ミュージック・フェスティヴァル(2007年4月5日、6日)も含まれるという。すげえ、受けるだろうなー。

 まず、青山・プラッサオンゼ。古賀夕紀子(ヴォーカル、作詞)と古賀美宏(ギター、作曲)による姉弟ユニットのcasaを見る。よくある構成とも言える女男のユニットだが、けっこう通受けしている存在であることが物語るように、そうしたなかでも相当に卓越した審美眼とひらめきと知識をしっかりと持つ人たちじゃなんじゃないか。この日のライヴはアルバムにも参加しているウッド・ベース奏者とドラマーがつき、ばっちりのサポートを見せる。その音楽性はブラジル音楽を一番のべースにしつつ、いろんなものを種々選択した末に繊細に編み上げた、技ありのコンテンポラリーなオーガニック・ミュージックというもの。広がりある風の感覚があり、透明度の高い深度があり……。そして、そうした表現はジョニ・ミッチェルの愛好家が聞いてもニンマリできるものと、ぼくは確信する。それにしても、大学時代はジャズをやっていたという弟くんは洒脱ながら難しい曲を書くなあ。だが、それが姉の声で開かれると、高尚さを持ちつつとてもインティメントなものとして宙を舞うのだから、素敵だ。曲によっては、電気的効果音がバンド音とともに流されたりもする。あれれ、ROVOの勝井佑二(2006年12月3日、他)が弾いたらすごく合いそうな曲も。すでに3枚のアルバムを出している彼女たちだが、新曲はいろいろ出来ているらしく、けっこう新曲を中心に披露されたよう。近くレコーディング予定という新作が楽しみだ。

 続いて、高円寺・JIROKICHIで山浦“アニキ”智夫(1999年4月23日、同6月23日、同9月30日、2003年9月9日)率いる4人組、Back Soul Invadersを見る。道がすいている日曜夜だからこそ出来たハシゴだな。ピアノを弾きながら歌う山浦、ギター、ベース、ドラム、この晩はそこにパーカッションが加わった布陣。ギターはディキシー・タンタス時代=大学時代からの付き合いの渡辺貴利、黒人音楽直伝の多彩な奏法でびゅんびゅん飛ばす。快感。ベースは正ベーシストが大黒摩季のツアーに参加していて代役が入っているとか。でも、グルーヴたっぷりの演奏をなんなくつけていて、とてもそうとは思えない。山浦は客扱いも巧み、やんやの喝采を浴びる。ちゃんと、いい客がついているな。オー・ヤー! とにもかくにも、まったくもって、ぼくのツボにはまる表現……。良質なブラック・ミュージックやロックを通過させた先にあるファンクネスとメロディと心意気のあるポップ・ミュージック、とそれは言うしかないもの。ライヴが終わったあと、場内にルーシー・フォスター(2009年3月27日)の新譜が流れてそれにもニコっ。

 と、まったく持ち味は違うものの、両者とも胸を張り、しなやかな自分の考える日本語の表現を鋭意展開。そういう担い手は今、他にもいろいろいる事と思う。ああ、気が遠くなる……。幸運にも知る事ができた才ある人ぐらいは親身に紹介したいナ。



 南青山・ブルーノート、ファースト・ショウ。07年に共演アルバムを出している日本人歌手と米国人シンガー・ソングライター(2007年3月11日、他)、二人(だけ)によるショウ。基本、共演アルバム収録曲を中心に畠山が歌い(けっこう、英語の歌もあったな)、ハリスがシンプルに伴奏する。やんわり、笑顔で和気あいあい。1時間20分ぐらいで、20曲はやったはず。アンコールの曲は日本の古い歌「浜辺の歌」だった。ハリスはギターだけでなく、新作『ウォッチ・ザ・スカイ』同様に、ギター・バンジョー(6弦で、チューニングもギターと同じ。ゆえに、ギターと同様の弾き方でバンジョーの音を出せるという)を多用。中盤で、4曲彼は自分の歌を歌う。彼をアイデンティファイする「ドント・ノー・ホワイ」もバンジョー・ヴァージョンで披露。一時はこのノラ・ジョーンズによる大ヒット曲が重荷になったそう(歌わないようにしていたこともあった)だが、今はなんとなくふっきれて、日本にくる前の米国ツアーでも笑顔で連日歌ったという。そういえば、ハリスのホームページには、スモーキー・ロビンソンがTVショウでこの曲を自分流に歌った映像が載せられている。理由を尋ねたら、「あの人があんなふうに歌ってくれて冥利につきるから」。同サイトには、デイヴィッド・レターマン・ショウに新作プロモーションのために最近ライヴ出演したさいの模様もアップされている。そこには、トニー・シェアー(2005年12月29日、他。12/31の項に記載)とダン・リーサー(2009年3月1日、他)とともに、ノラ・ジョーンズ(2007年3月11日、他)もピアノとバック・コーラスで参加している。