ディアフーフ

2009年2月1日 音楽
 日本人女性シンガー/ベーシストを擁するシスコの4人組(2004年3月18日)のショウは恵比寿・リキッドルームにて。素晴らしかった。5日前のバーンもそうとう良かったが、これにも高揚したな。まず、感じたのはこんなにうまかったっけ。メリハリと瞬発力に富んだドラム、絡み合いながらあっち側にふっとんで行くような2本のギター。そして、そこにちょこんと乗って戯れるサトミさん。気分屋っぽいというか、けっこう気ままな行き方を取っているとも言えそうだが、そのなかから乾いたファンクネスや剛性感も感じさせるのだから、これはうれしい。ウィットも山ほど存在。そして、全体的には枠を取り払った自在のロックというもの像に実を結ぶわけで……。その新作を昨年のクロスビート誌の年間ベスト10に入れた判断はまこと正解だったな。胸をなでおろす。




 うわー、これはすごい。フランス発の騎馬劇団“ジンガロ”(馬術家のパルタバスという人が84年に旗揚げしたという)の新作「バトゥータ」を、清澄白河・木場公園内ジンガロ特設シアターで見る。同じ敷地内には東京都現代美術館があるが木場公園は広いようで、円形の劇場(劇場外の馬が待機する準備スペースとかもそうとう必要なはず)や別練ホワイエとかが設営されていて、3月下旬までの期間限定のものながら規模は立派だ。3年前にも日本上陸したことがあったが、話題になるのも納得。ヒネたぼくもいろいろ驚きつつ、わあと楽しみまくりました。

 かなり傾斜がついた円形客席が囲む中央に土が敷き詰められたステージ(その中心には、水の柱状のものが逆噴水のごとく降り注ぐ)と馬場レーンがあり、そこにいろんな馬と人間が次々に出てきてぐるぐる回る。出し物の基本はそれだが、人と馬の絡みがかなりアクロバティックにして、設定が視覚的にもいろいろとねられていて多彩で、うまく説明ができないが1時間半近いものを一気になんら飽きる事無くドキドキ見させてしまう。人間と馬の精気と肉体感が効果的な重なり……まさに手間と鍛錬とアイデアとウィットが効いた、ダイナミックな大人のエンターテインメント。これは、勧めるにたる。

 馬車が出てきたり出演者はロマを想起させる格好をしていたりもして、ロマの文化様式を借りているところもあるのか。実は音楽面でもけっこう凝った設定がなされていて、レーンを挟んで向かい合うように二つの楽団が位置し、交互に演奏して場を盛り上げる(対峙するように、一緒に演奏したりしたときも)。で、その二つは在ルーマニアのロマの楽団。うち、モルドヴァ地方のファンファーレ・シュカールはファンファーレ・チョカリーア(2008年10月13日、他)のようなブラス・バンド(全10人)で、もう一つのトランランシルヴァニア地方出身のタラフ・ドゥ・トランシルヴァニアはタラフ・ドゥ・ハイドゥークス(2007年9月26日、他)のように弦楽器アンサンブル(5人による彼らはけっこう上品に整った演奏もする)だ。ともに、まっとうな演奏を聞かせてくれて、音楽好きならうれしさが倍加すること請け合い。

 しかし、馬って賢いんだナ。見た者、誰もがそう思うんじゃないか。寝転がったりとかちゃんと演技をするときもあるし、様々な疾走シーンもソツなくこなす。予想外の動きをされ、人が落ちるなんてシーンもなかったし。けっこうハラハラしちゃう場面はあります。そして、これを見るとヨーロッパは騎馬文化圏だというのがよく伝わるりもする。乗馬好き、馬好きの人だとどう感じるのだろう? ともあれ、見終わったあと、いろいろ同行者とは感想で話が弾みまくるんじゃないかな。

 そして、丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。LA育ち、今はNY在住となるジャズ・シンガーで、リオネル・ルエケ(南カリフォルニア大学で一緒だったよう、2007年7月24日、他)作やケニー・バロン(2009年1月7日、他)作に客演していたりもする女性。ルックスはなんとなく東欧っぽい感じを与える。ピアノ・トリオを従えてのもので、なんとピアニストは俊英アーロン・パークス(2008年11月22日)ではないか。ベース奏者は全曲ウッドを用いたが、パークスは電気ピアノを弾く場合が多かった。技巧派ではないが雰囲気派でもなく、なかなか説明に困る人かな。途中から見たので、なかなか感想の像が結びにくいというのはあるナ。だが、なんか美意識とか審美眼とかには長けていて、透明度の高い私の考える今のジャズ・ヴォーカルを淡々と開こうとしていたのは間違いない。ウェイン・ショーター曲やスティヴィー・ワンダー曲を取り上げたりも。ベーシストの曲も歌っていたようだが、彼とはプライヴェイトな関係があるのか否か。

 ジンガロを見に行ったら、風邪をひいた。で、4日のマイ・モーニング・ジャケット(2005年7月30日)をパス。なんか、評判よかったよう。この晩もどっしよっかなーと思ったが、近場だしと、デジ・ロックの帝王的UKバンドを見に出かける。で、会場の渋谷・アックスにつくころには、家でおとなしくしてたほうが良かったかなー。……こりゃダルいのをごまかさなきゃと、いつもと同じとも言えるが、お酒を買い求める(ここも、酒揃い/質が貧困なヴェニュー。サーヴの仕方も半端で、学祭に来て飲み物を買った気分になる)。で、本編が終わったところで、飲みにも流れず、すぱっと帰宅。やっぱ、調子良くないんだろうな。こーゆーときもあるサ。

 一回限りのライヴ・ショウで、オーストラリアでの夏場フェス/ライヴ流れで実現した模様(冬場はこういうパターンが多く、ゆえにロック系ライヴがおおくなる)。演奏陣はキーボード/装置のリアム・ハウレットにくわえ、サポートのドラマーとギタリスト。基本プリセット音が支配するサウンドで司令塔役のハウレットさえいれば問題ないと思われるが、やっぱり生身の人間を経ているという視覚的効果はうれしい。そして、そこにキースとマキシム、2人のキャラ立ちMCが絡むわけだが、単純ながらやはり鼓舞力はあるよな。ぶっとい四つ打ちダンス・ビートにノイジーで電気な装飾音がかぶさり、その上で扇情的な肉声が舞う。下世話なパワー、痛快にまるだし。ただ、押し出し方は太々しいものの、昔とあんまし変わっていないという印象も持つ。久しぶりに出る新作からの曲も何曲かやっているはずだが、その『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』はイケイケの大昔ノリに戻ったような内容だったしな。

 ぼくが前に彼らのショウを見たのは赤坂・ブリッツ(旧)。この4月で10年目をむかえる<ライヴ三昧>を書き出す前の事だから、そうとう前。あんとき、ロック愛好者も付和雷同的にぎんぎん踊りたいんだナと思ったっけか。フジ・ロックやサマーソニックにも彼らはヘッドライナー級で出ているはずだが、ぼくは見ていない。というあたりに、ぼくの彼らに対する興味の度合いが出ているかもしれないが、熱心な聞き手はこの晩の実演をどうかんじたのか。音楽バカ的なもやもやが送り出されていたところに、ぼくは一番ニコリとできた。


ジェフ・ベック

2009年2月6日 音楽
 午前中と午後、それぞれ1時間半ぐらいうとうと。それ、風邪薬を飲んでいるせいなのか。だましだまし机に向かい、なんとか夕暮れまでにライナーノーツを一本こさえ、有楽町・東京国際フォーラムへ。一番大きな、ホールA。ライヴ評を頼まれているので、熱っぽくても行こうかどうか迷う必要はなかった。実は、ぼくの外タレ初体験はジェフ・ベック(と、ザ・ニューヨーク・ドールズ)。ベックがちょうど飛躍作『ブロウ・バイ・ブロウ』をだした75年に後楽園球場で開かれたワールド・ロック・フェスティヴァルを見に行き、彼(そして、ドールズは)はその出演者だったのだ。外国人アーティストどころか、ぼくにとってはコンサート自体もそのときが初めてで(一人で東京に遊びに行ったのも初だったか)、そうとう高揚して水道橋にむかったはずだよなあ。ともあれ、30年以上ぶりに見たベックはなにかと興味深く、おもしろかった。

 ステージに登場した彼は白いスニーカー、ジーンズ、袖無しの上着を身につけている。わー、とても60半ばのじいさんがする格好じゃない。でも。見た目もかなり若い。体型は変わらずスリムだし、髪も黒く一応フサフサしている。元々あまり私生活が見えない人だが、その風体に接してそれが合う“変人”という印象をぼくは強めた。見てくれだけで、なんか我が道を行く人という感じを与えるナ。で、よく陽に焼けていて、精悍という感想も得た。それから、やっぱり鼻がデカかった。

 パフォーマンス内容は『ブロウ・バイ・ブロウ』以降に基本なされているヴォーカル抜きのインスト路線にあるもの。話題のハタチちょいの女性電気ベーシストのタル・ウィルケンフェルド(演奏じたいは、かなりフュージョンぽい)と近年ベックから重用されている西海岸セッション・ドラマーのヴィニー・カリウタがリズム隊を担う。ちょうど今、ブルーノート東京ではチック・コリアとジョン・マクラフリン(2005年1月31日)の双頭バンドが出演中で、そのCDにおいてはカリウタが叩いているのだが、来日メンバーは彼ではなくブライアン・ブレイド(2008年9月4日、他)。それ、カリウタが叩くよりお得という風評があったりもするわけだが、カリウタがベックのツアーに取られていたからそんなお年玉は実現したのか。まったくソロを取らないキーボード奏者は、ぼくが大好きなデイヴィッド・サンシャス(2006年7月2日)。けっこう、サイド・ギター的な演奏に終始したが、実のところ、彼はジミ・ヘンドリックス的なギターがうまい。ブルース・スプリングスティーン、ピーター・ゲイブリエル、ズッケロ、スティング(2000年10月16日)、エリック・クラプトン(2006年11月20日)などに続き、ジェフ・ベック。サンシャスは助っ人ロック・キーボードの第一人者と言っていいのではないか。彼、フュージョンぽいのとか、けっこうリーダー作を持っています。

 そんな3人にて(カリウタはけっこう、ドラスカ叩いていた)、ベックはトリッキーな演奏を次々に繰り出す。それ、自分のなかにあるパターンをランダムに組み合わせて出すというワンパターンな感じもあるのだが、なんか馬鹿まるだしというか、彼だけしかこんなのやらないだろうなという感じは見ていてウッシシとなれる。けっこう、フレイズのつながりが悪かったりする部分もあるのだが、彼は全然悪びれない。なんか、はなっから完成度やまとまり/落ち着きの良さを放棄している感じもあって、その俺サマな風情にゃうれしいと感じたな。

 ボトルネックは2カ所でしかもちいなかったが、トレモロ・アームとライト・ハンド奏法は随所で多用。で、彼はブルースマンのように、ピックを用いず弾く(だから、違った奏法にすぐに移れる)。拍手。驚いたのは、傍若無人な弾き方をしていても弦が切れるどころかチューニングもほとんど狂わなかったこと。彼はアタマからおわりまで一本のギターを使った、というか、予備のギターをおいてなかった(そりゃ、袖にはおいてあって、なんかあればローディが持ってかけつけるのだろうけど)。彼、見かけによらず、ギターにやさしい弾き方をするのだろうか。それこそは、ナチュラル・ボーン・ギタリストの証? その様に触れていて、イーグルズのギタリスト陣の趣味の悪い振る舞いが一瞬頭のなかに浮かぶ。大昔に武道館で見たとき、アイツらギターをこれみよがしにズラリと並べ一曲ごとにギターをちんたら換えていたんだよな。大好きだったジョー・ウォルシュを堕落させたバンドとしてイーグルズはぼくのなかでは穀潰し筆頭にいる存在。彼らの悪口、いくらでも言え升。

 曲はオープナーのジミー・ペイジ作「ベックス・ボレロ」(もっともベックの初期の曲)をのぞいては「ブロウ・バイ・ブロウ」以降の曲をやるが、80年作『ゼア・アンド・バック』からの曲を3曲もやったのにはびっくり。『ブロウ・バイ・ブロウ』はスティーヴィー・ワンダー曲だけやり、『ワイアード』からもチャールズ・ミンガス曲断片も含めれば3曲演奏。本編最後の曲は98年ジョージ・マーティン名義盤で弾いたザ・ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」。全部で、1時間20分ぐらいのショウだったかな。

 やっぱ、ジェフ・ベックらしさが横溢というか、ジェフ・ベックでしかありえなかったパフォーマンス。ロック・インストでもジャズ・ロックでもなく、きっちり彼はジェフ・べックというジャンルをきっぱり提出していた……綺麗ごとでまとめるようだが、なんか、そういう印象が残りました。

 代官山・晴れたら空に豆まいて。プロフィットはハイチ出身のジャズ・ピアニストで、現在はカナダに拠点を置いてあちこちに出向いているという。ステージにでてきた彼はなかなか大柄で、天真爛漫そうな笑顔を持つ陽気な人。当初はずっとピアノ・ソロ演奏。基本、ジャズ・スタンダードをやったんじゃないか。が、この部分はいかにもフツー。当方はどうしても、ハイチというバイアスをかけたがっているため、より都合が悪い。ジャズの影響力/伝搬力の強さだけは痛感させられるものではあったけど。で、まずヤヒロトモヒロ(2007年11月14日)が混ざり、急にプロフィットのタッチが強く重くなったような。ぐっと興味をひかれるようになり、一部最後の曲で梅津和時(2001年9月2日、2001年9月21日、2004年10月10日、2008年11月14日)が登場。たしか、やった曲はスタンダードの「ミスティ」だったと思うんだけど、これは良かったな。もう、梅津の息遣い最高。彼に重なる打楽器音とピアノ音もいいじゃないかあと一気に感情のメーターが上がる。

 2部はプロフィットのオリジナルやハイチの曲なんかをやったようだが、嬉しィ〜って感じで、もう只の愛好者になって見ちゃってた私。なんか、妙な節回しやにごりや重みや弾みが介在する三者の協調表現がいろんな様相で聞き手に向かってきて、相当に気持ちよかった。ハイチな襞もいろいろあったような。MCは梅津が主に担当。いいなあ、高潔な生理にあふれていて。ほんの少しのリハのとき、これをやるとか言われてテーマを譜面にしたりして、彼は大慌てでもあったようだけど、そういうのもふくめ、この晩には、“人間がやる行為としての尊さ”があふれまくっていたのだ。


ステレオラブ

2009年2月12日 音楽
 連日、暴飲を重ねていたら、いつの間にか風邪がなおる。ははは、お酒は万病の薬なり。な〜んてこたァ全然おもわないけど。

 渋谷・クラブクアトロ。かつて、進歩的でもある洒脱ロックの代表格のような存在でもあったステレオラブ(2004年5月7日)だが、今は感じさせる先鋭性はだいぶ減じ、大人でしなやかな、わりと普通なロック・バンドという位置にいるようになっているかも。まあ、結成20年近いわけだし、ノリはそんなに変わってないわけで、それはしょうがない。それよりも、いまだクラブ活動の延長のような風情(それ、ほとんどショーバイっ気なしで、という意味合いも持つ)で飄々と笑顔で音楽にあたっている事実を愛でるべきでしょう。

 6人でステージに立つ。ドラマーの叩き方はかつてプロデュースをやってもらったことのあるジョン・マッケンタイア(2005年1月7日、他)を少し想起させるが、もう少しうまくてもいいんじゃないか。途中で一曲、紅一点シンガーのレティシアさんが歌えなくなって、曲を中断。彼女、千回に一回あるかどうかのミスみたいな事を言っていたが、そうなって当の本人が一番びっくりしていたみたい。でも、ファンの暖かい眼差しとともに、このときが一番会場は沸きました。


 渋谷・クラブクアトロ。一同が出てきたとき、あれれ日本人の前座があったのと一瞬おもう。だって、みんな赤基調の統一性を持たせた格好で出てきて、なんか初々しくもラヴリーなそれ、ある種の日本のバンドが持ちそうな風情だったから。彼女たち、米国でも似たような出で立ちで実演をやっているようだが。中央に赤色のセミアコのギターを弾きながら歌うクレア・マルダー、片側にはヴァイオリンを中心にいろんな楽器をつまみ食い気味に触る旦那のオリヴィエ・マンションと電気ベースやキーボードを担当する男性。そして、もう片側にはチェロとヴィオラをそれぞれ担当する女性奏者が位置する。みんな控えめながら、いい感じにコーラスをとった。

 かつてマルダーとマンションのデュオ・パフォーマンス(2005年5月22日)に触れたときには、その後二人がクレア&ザ・リーズンズ名義のもと越境と表裏一体の優美さやノスタルジー性をたんまり持つ、あんなにストーリー性豊かな夢心地作品を出すとはまったく想像できなかった。で、そのアルバム『ザ・ムーヴィー』を基にするライヴも多大な進歩/発展があるものだったな。

 人間性の良さと趣味の良さが微笑みながら重なる……。人数が限られる分、凝ったアルバムの純再現とは当然いかなかったが、ウィットたっぷりにほんわかと、もう一つの手作り音楽を送りだす様子にはフフフとなれた。ふんわり、満たされたな気持ちにも。途中、「オーヴァー・ザ・レインボー」のメロディでもって、“オバマ、オバマ、オバマ、オバマ”と米国新大統領の苗字だけを延々と歌うものを披露。クスっ。他愛ないけど、いいじゃん。本編最後の曲はティアーズ・フォー・フィアーズの大ヒット曲「エヴリバディ・ウォンツ・トゥ・ルール・ザ・ワールド」を静謐ぎみにやりました。


 日系四世という、77年生まれの本格派の米国人シンガー・ソングライター。……あれれれえ、不思議。前回来日時の彼女のショウを見て、その良き印象をここにも書いているはずなのだが、見つからない。ジャケ写はうまく撮られていると思わせ、本当に音楽面だけで認められ前線まで上り詰めた人なのだなと痛感させられた事が強く印象に残っているのだが……。気のせいかな。いや、中川五郎さんとバックのヴァイオリンとチェロ担当のお姉さんについて、どっちがいい?とか話をしたはずだあ。

 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。まず、ケヴィン・ディヴァインという、NYブルックリンに住む痩身のお兄さんが出てきて、基本地味な生ギターの弾き語り。彼、ミレニアム前半はザ・ミラクル・オブ86というけっこうがちんこなバンドも並行してやっていたのだが、オープナーとクローザー(といっても、全部で5、6曲ぐらいしかやらなかったが)はけっこうオフ・マイクで雄々しく歌う。その様に触れながら、なんかこの前のザ・スウェル・シーズン(2009年1月15日)のグレン・ハンサードの様を思い出したりして。いや、それは途中の曲説明をした際、アイルランド人は大酒飲みで狼藉しちゃうという歌で、僕もアイリッシュなんだけど……みたいな箇所があったからか。

 そんな彼の歌を聞きながら、この前ぐうぜん光ファイバーのTVチャンネルで見た「時空刑事1973」という海外ドラマのある回の内容を思い出した。現代の刑事が73年にタイム・スリップしてしまい、環境の変化や原始的かつ人権無視の捜査法にとまどいつつ表面上はクールに+α……てな内容を持つもので、06年に英BBCで放映されたシリーズのようだが、ぼくが見た回はこれで大丈夫なのかあと心配せずにはいられないばりばりアイルランド人を蔑視した内容のものだったんだよなー。一時UKソウルの売れっ子プロデューサーとして大車輪したレイ・ヘイデンはアイリッシュ移民で、「子供のころは、アイルランド人と中国人と犬はお断り、みたいな張り紙がよくパブのドアにはあった」と言っていた事があったが、本当にアイルランドは英国から低く見られていたのは間違いのないことのよう。そういえば、あるUKブルー・アイド・ソウルの担い手を90年代に取材したときに、アイリシュの血を引いてる?となんとなく聞いたら、「うん。でも、そのことはあまり公言していないんだ」と、返答されたこともあったっけ。なんて、短時間のうちに、いろんな事を思い出す。ディヴァインの歌って、けっこうアイリッシュ性を持っていたのかな。ちなみに、「時空刑事1973」の原タイトルは「Life on Mars」。デイヴィッド・ボウイーの曲名を拝借したもので、もちろん劇中でいろいろ使われる音楽は70年代前半のもの。けっこう、その部分でくすぐるものがあったりする。

 ヤマガタのステージはギター2、チェロ、ベース、ドラムという布陣にて。今回のサポート陣は全員男性。うち、ギターの一人はセミ・アコースティック・ギターを持ったディヴァイン。もう一人のギタリストがべらぼうに腕が立つ人なこともあり採用するサウンドはギター一本で十分済むものなのだが、どうせなら一緒にやっちゃいましょうよと、ヤマガタが彼を誘ったのか。そう、想像したくなる、いい感じの空気がバンド内にはある。ディヴァインは楽譜なしで混ざっていたはずだ。しかし、なぜデヴァインは今回同行来日したのか、けっこう謎。このあと、ヤマガタは英国に行き、そのまま欧州各所を回るようだが、ディヴァインはそれには付かないようであるし……。

 ともあれ、昨年ワーナー・ブラザーズに移ってリリースした新作も素晴らしい内容だったが、ヤマガタはやっぱすげえゾ、そう思わずにはいられないパフォーマンスを彼女は堂々披露。まっとうな楽曲を開く歌の確かで、力があることと言ったなら。その歌の持つ多大な質感は、<支持者が一人もいなくなっても、私は毅然として歌い続ける>みたいな覚悟のようなものを透かさせて見せた……な〜んて書かせるものだったかも。また、ロック的なデコボコを持つ行き方と格調高く風雅なチェロが無理なく重なるバンド・サウンドも良質。伴奏者はみんな、腕達者な人たちでそれもヤマガタの才ゆえと思わせられる。書き遅れたが、彼女はピアノか生ギターを弾きながら歌う(後者のほうが少し多かったかな)がぼくはピアノを弾きながら歌う曲のほうがほうがだんぜん好き。彼女のソロ弾き語りも2曲あったが、ギターとピアノのそれ(こちらは、アンコ—ル曲)をそれぞれ1づつ聞かせた。

 けっこう暖かい日が続いていたが、今日は日が暮れてからかなり冷えひえ。うーん、キツい。かなしい。


 ちと知人の相談事を聞くのをかねて早い時間から飲んでいて、とても遅れて(気分転換的に)渋谷・クラブクアトロに。英サウス・ウェールズ出身の今様ハード・ロック・バンド見る。彼ら、スクリーモとかエモとかとも言われたりもするが、その手のものをちゃんと聞いている自信がないぼくは、それらの語句を使うをなんかためらってしまう。まあ、まっすぐにやっていたんではないか。見栄えもそんなに悪くないような感じもあって、そうすると前回のとき(2006年4月10日)、バンドをとりちがえて書いているかも。なんて、ぬけしゃあしゃあと書いているが、それ彼らのようなバンドが一番好きな人が見たら最低〜となるんだろうな。確かにぼくにとってはボール球のバンドだが、例えばぼくのストライクにあるバンドのことを誰かがそんなふうに書いていたら、ぼくもそう思うはずだもの。なんか深い飲みが続いていて、アタマが緩くなっているかも。少し、自覚せねば。その後も派手に流れて、翌日サイフを見たら、行った記憶のないバーの領収書がはいっていた。さすが、そういうのはビビる。いくら飲んでも記憶は正確だったはずなのに。ちょっと自堕落になっているかも。3ミリだけ、立て直そうかな。


トラヴィス

2009年2月27日 音楽
 グラスゴーで結成の、10年強選手のブリット・ポップ・バンド。フジ・ロックやサマーソニックには複数回出ているが、単独公演としては11年ぶりとか。有楽町・東京国際フォーラムのホールA。昨年出た新作もなかなかの出来でずっと質を保ち続けているバンドだが、集客力がちゃんとありますね。

 サウンドは凝らず、楽曲勝負という感じでショウは進められる。過剰な間奏もないので曲はどれも短く、まさしくその進み方はサクサク。20曲はやったが、全部で1時間20分ぐらいの尺だったか。途中で、フロントに立つフラン・ヒーリーは客席側に降りて歌ったり、終盤にはメンバーが全員集まり生ギターを弾き歌うヒーリーを囲んで和気あいあいの図を見せたり。それ、予定調和なものだが、本当にこのバンドは“真心、いい人光線”を出していて、それが合っている。ヒネたぼくでもこれはアリと肯定でき、なんか暖かい気持ちを得てしまう。イキがったりエエかっこしいな連中が多いなか、本当に彼らは異色。でも、そんなロック・バンドがいてもいいと思えた。基本、歌も演奏もまっとうだしね。

 最後は毎度の“雨の歌”(「ホワイ・ダズ・イット・オールウェイズ・レイン」)で観衆は合わせてぴょんぴょんと跳ねる。一階席(下は空間を置いてロビー)も少し床が揺れる。2階席フロアはさぞや揺れただろう(1999年10月16日、参照)。昼間は今シーズン初めて雪がちらつき、途中から雨模様。やはり、雨と縁がある連中なのか。