オーストラリアの、ブルージィ傾向ギターのとってもうまいシンガー・ソングライター。下北沢・251。ベーシストを伴ってのもの。アコースティック系ギターを弾いていたと思うが、スライド奏法とつながるオープン・チューニングの使用やいろんな音を出す巧みなエフェクター使いもあり、表現の幅はけっこう広い。一部はベン・ハーパー(2001年6月18日、2004年3月4日、2007年4月6日)と持ち味が重なる場合も。実演だともっとブルージィになるのかと思ったけど、その歌は猫なで声のまったくひっかかりのないもの(それは、善人感覚を導くものでもあるか)なので直球ブルースだと情けなさは増すはずで、そうならないのは正解だな。本人も日本語MCで、「僕は濁ったフォークをヤリマス。楽しんでクダサイ」なんて言っていた。
カミーユはけっこう欧州では注目/人気を集めるフランスの個性派女性ヴォーカリストだが、これはうわーとびっくり。だいぶ遅れて会場入りしたのだが、その持ち味の良さは存分に受けたな。もしアタマから見ていたら、今年のにっこりライヴ十指に入れたいと思ったかも。渋谷・クラブクアトロ。
サポートをするのはリズム音を出す男性ヴォイス担当者二人、身体を叩いて音を出したりする男性肉体音担当者二人(比較的長身で、イケ面ぽい彼らは肌を露出しつつゲイのような格好をしている)、女性コーラス二人、そしてピアニスト。彼らが臨機応変に重なる様はけっこう説明にこまるのだが、その総体はカミーユが意気揚々と自分の表現を作り上げる様の見事な開かれた場でのショーケース提示となっていたのは間違いない。ホーミーみたいな声の出し方をほんの少しだけしたりとか、彼女はいろんな歌声の出し方を研究している感じがあったが、コムズカシさとか過剰に才気走った感じとは無縁で音楽を作り上げる歓びがあったのがとってもマル。また、それはモダン・ポップの輝きを持つものであったとも言えるだろう。
彼女は後ろが空いた黒いドレスを終盤着ていたが、それお尻の割れ目を出すもの。だからといって、別にドキドキさせるタイプではないけれど。でも、そういうところにも主張を込めているのか。いろんな部分で私たらんという意思を感じてしまったので、そう思ったぼくでした。
サポートをするのはリズム音を出す男性ヴォイス担当者二人、身体を叩いて音を出したりする男性肉体音担当者二人(比較的長身で、イケ面ぽい彼らは肌を露出しつつゲイのような格好をしている)、女性コーラス二人、そしてピアニスト。彼らが臨機応変に重なる様はけっこう説明にこまるのだが、その総体はカミーユが意気揚々と自分の表現を作り上げる様の見事な開かれた場でのショーケース提示となっていたのは間違いない。ホーミーみたいな声の出し方をほんの少しだけしたりとか、彼女はいろんな歌声の出し方を研究している感じがあったが、コムズカシさとか過剰に才気走った感じとは無縁で音楽を作り上げる歓びがあったのがとってもマル。また、それはモダン・ポップの輝きを持つものであったとも言えるだろう。
彼女は後ろが空いた黒いドレスを終盤着ていたが、それお尻の割れ目を出すもの。だからといって、別にドキドキさせるタイプではないけれど。でも、そういうところにも主張を込めているのか。いろんな部分で私たらんという意思を感じてしまったので、そう思ったぼくでした。
埼玉スーパーアリーナ。2年前弱のU2公演に続いて、行くのは2度目。知人と渋谷駅で待ち合わせて行く。乗り換えも不慣れだし、一人で行く根性がぼくにはありません。
頭はステージ中央でDJがまわす。音、映像ともに、ひかれるところはなし。誰だったんだろ? その後、だいぶ間を空けて、現在トップ級に人気を集める英国ロック・バンド(2001年10月4日、2004年4月18日)が登場して、パフォーマンス。ときに発する日本語の単語は比較的発音がまっとうなもので、日本慣れしているじゃんと思わせる。で、あっと驚かせる局面はなかったものの、5人はこれまでで一番バンドっぽいサウンドでパフォーマンスしたと言えるはず。それはそれで、ちょい嬉しいものだったか。あれえと思ったのは、1時間20分ぐらいで本編をおえ、その後に2度のアンコールを延々とやったこと。結局、2時間ぐらいはやったかな。変なバランス。いや、あれは2部構成の公演だったのだとCB誌の副編集長は言い張るが。
終わって、地元同業者の手引きで、大宮で飲む。その際、発光ダイオードを用いたステージ美術設定がすばらしい、未来があった、と言い出す女史もいたが、遠目には只の地味なものにしか見えなかったよ〜ん。ともあれ、これが大宮(の繁華街か。って、別に変わったものではなかったけど)かあ。横のほうでアルティージャの橙色のレプリカ・ユニフォームを着ている4人組の人たちが飲んでいた。静かながら円満な感じがあったので、試合は負けてはいないんだろうと判断。が、帰宅して結果を見たら。0-4のぼろ負け(DFながら、Jリーグ初出場でハットトリックしたレイソルの村上って何者?)。ぼくが見たアルティージャのサポーター、紳士でした。
頭はステージ中央でDJがまわす。音、映像ともに、ひかれるところはなし。誰だったんだろ? その後、だいぶ間を空けて、現在トップ級に人気を集める英国ロック・バンド(2001年10月4日、2004年4月18日)が登場して、パフォーマンス。ときに発する日本語の単語は比較的発音がまっとうなもので、日本慣れしているじゃんと思わせる。で、あっと驚かせる局面はなかったものの、5人はこれまでで一番バンドっぽいサウンドでパフォーマンスしたと言えるはず。それはそれで、ちょい嬉しいものだったか。あれえと思ったのは、1時間20分ぐらいで本編をおえ、その後に2度のアンコールを延々とやったこと。結局、2時間ぐらいはやったかな。変なバランス。いや、あれは2部構成の公演だったのだとCB誌の副編集長は言い張るが。
終わって、地元同業者の手引きで、大宮で飲む。その際、発光ダイオードを用いたステージ美術設定がすばらしい、未来があった、と言い出す女史もいたが、遠目には只の地味なものにしか見えなかったよ〜ん。ともあれ、これが大宮(の繁華街か。って、別に変わったものではなかったけど)かあ。横のほうでアルティージャの橙色のレプリカ・ユニフォームを着ている4人組の人たちが飲んでいた。静かながら円満な感じがあったので、試合は負けてはいないんだろうと判断。が、帰宅して結果を見たら。0-4のぼろ負け(DFながら、Jリーグ初出場でハットトリックしたレイソルの村上って何者?)。ぼくが見たアルティージャのサポーター、紳士でした。
フラワー・トラヴェリン・バンド、ジョニー・ルイス&チャー
2008年10月5日 音楽 日比谷野音。そこには、36年ぶりの出演とか。世界にとびだった日本のロック・バンドの先駆者的な存在。70〜73年、一時はベースをカナダに置き、4枚のアルバムを発表したバンド。名前はしっていたが、ぼくはライヴはもちろん見た事がなく、音源にもそんなに触れたことがなかったわけだが、なんかバンド名の重みのようなものは非常に感じる。
その再結成を祝うかのように、ジョニー・ルイス&チャーが前座でやはり再結成のライヴを行う。ノーリハでやったということが、インスト部の長いオールドなパフォーマンスは危なげはなし。ジミ・ヘンドリックス曲なんかもやる。彼らはアンコールも受けた。
そして、フラワー・トラヴェリン・バンドの生みの親である内田裕也が出てきて気持ちある紹介をし(なんか、いい感じ)、フラワー・トラヴェリン・バンドの演奏がはじまる。お、剛性感あるナ。新作をきいて、けっこうエスニックというか、微妙な臭みのようなものを覚えたが、それは昔もけっこうそうで、それこそは欧米リスナーにひっかかりを与えるところであったのだろう(彼らのアルバムが当時ロック路線を邁進した米国アトランティックから出た事もあったそう)。堂々、60歳を超えているだろう初老の方々の“勇士”(まさに、そう感じました)に触れながら、ほんとかつて彼らはイケてて、カッコよかったんだろーなと思う。とともに、いい感じでサヴァイヴしてきているとも。とくに、リード・ヴォーカルのジョー山中は外見も歌いっぷりも本当に若々しい。なんか、見ていてコレはいいもん見せてもらっているという気持ちになれたし、会場が超満員で当然という気持ちにもなりました。
このあと、九段会館で午後4時からやっているPヴァイン・ブルース・フェスティヴァルをはしごしようと思っていたのだが、すでに7時半になっちゃてて、それを断念。雨も降ってきたし。少し天候が心配だったがほぼ持ってよかった。
その再結成を祝うかのように、ジョニー・ルイス&チャーが前座でやはり再結成のライヴを行う。ノーリハでやったということが、インスト部の長いオールドなパフォーマンスは危なげはなし。ジミ・ヘンドリックス曲なんかもやる。彼らはアンコールも受けた。
そして、フラワー・トラヴェリン・バンドの生みの親である内田裕也が出てきて気持ちある紹介をし(なんか、いい感じ)、フラワー・トラヴェリン・バンドの演奏がはじまる。お、剛性感あるナ。新作をきいて、けっこうエスニックというか、微妙な臭みのようなものを覚えたが、それは昔もけっこうそうで、それこそは欧米リスナーにひっかかりを与えるところであったのだろう(彼らのアルバムが当時ロック路線を邁進した米国アトランティックから出た事もあったそう)。堂々、60歳を超えているだろう初老の方々の“勇士”(まさに、そう感じました)に触れながら、ほんとかつて彼らはイケてて、カッコよかったんだろーなと思う。とともに、いい感じでサヴァイヴしてきているとも。とくに、リード・ヴォーカルのジョー山中は外見も歌いっぷりも本当に若々しい。なんか、見ていてコレはいいもん見せてもらっているという気持ちになれたし、会場が超満員で当然という気持ちにもなりました。
このあと、九段会館で午後4時からやっているPヴァイン・ブルース・フェスティヴァルをはしごしようと思っていたのだが、すでに7時半になっちゃてて、それを断念。雨も降ってきたし。少し天候が心配だったがほぼ持ってよかった。
わー、こんなにプログレッシヴ・ロックとつながったバンドだったのか。なんと、彼らはアンコールでキング・クリムゾンの「21センチュリー・スキゾイド・マン」をとっても手慣れた感じで演奏したりも。南青山・月見ル君想フ。前座はサックス付きの日本人バンドでときにハーモロディクス(cf.オーネット・コールマン)の影響もアリ? けっこう仕掛けの多い曲をみんなで嬉しそうに笑顔を交わしながらやっていました。
シャイニングはサックス/ギター/歌を担当する痩身のおにいちゃんが中央に立つ、インスト主体のノルウェー5人組。耽美的なすうっと流れる演奏からもろなヘヴィ・メタ的ヴォーカル付き演奏までを平然と横切り、その間には確かなジャズ素養を感じさせるインプロヴィゼイションも入られるわけだ。それぞれのネタは過剰に突出はしていないが、そのナンでもなありぐあい、その定石を超えたところで生きてこそ俺たちという気分はやっぱり嬉しいな。
不可解と言えば、サックス奏者がテナーとともにウィンド・シンセ(乱暴に言えば、シンセ・サックス。大昔に故マイケル・ブレッカーが無様に用い、なんとも不毛な楽器であることを世界的に知らせた。ブレッカーはアカイ社製のを使用し、そのときの商標名はEWI)を堂々と用いていたこと。こういう音楽性ゆえあまり違和感はなかったが、今日日ほとんど使う人、いないよなー。そういえば、無防備という単語も用いたくなる、ダサいキーボード音を彼らは用いたりもしていた。
周到なところと、あっけらかんとしたところと……変テコなバンドです。話はズレるが、10月からゴミの分別/出し方が変わって(基本、たき火したとして変な臭いや煙が出ようとも燃えるものならば全部可燃ゴミとして出せる)、いやはや違和感たっぷり、という話が知人とはよく出ます。でも、すぐに慣れちゃうのかな。いつごろから、ゴミは分別するようになったんだっけか? ノルウェー(都市部)はどんなゴミ処理のシステムを持つのだろうか。
シャイニングはサックス/ギター/歌を担当する痩身のおにいちゃんが中央に立つ、インスト主体のノルウェー5人組。耽美的なすうっと流れる演奏からもろなヘヴィ・メタ的ヴォーカル付き演奏までを平然と横切り、その間には確かなジャズ素養を感じさせるインプロヴィゼイションも入られるわけだ。それぞれのネタは過剰に突出はしていないが、そのナンでもなありぐあい、その定石を超えたところで生きてこそ俺たちという気分はやっぱり嬉しいな。
不可解と言えば、サックス奏者がテナーとともにウィンド・シンセ(乱暴に言えば、シンセ・サックス。大昔に故マイケル・ブレッカーが無様に用い、なんとも不毛な楽器であることを世界的に知らせた。ブレッカーはアカイ社製のを使用し、そのときの商標名はEWI)を堂々と用いていたこと。こういう音楽性ゆえあまり違和感はなかったが、今日日ほとんど使う人、いないよなー。そういえば、無防備という単語も用いたくなる、ダサいキーボード音を彼らは用いたりもしていた。
周到なところと、あっけらかんとしたところと……変テコなバンドです。話はズレるが、10月からゴミの分別/出し方が変わって(基本、たき火したとして変な臭いや煙が出ようとも燃えるものならば全部可燃ゴミとして出せる)、いやはや違和感たっぷり、という話が知人とはよく出ます。でも、すぐに慣れちゃうのかな。いつごろから、ゴミは分別するようになったんだっけか? ノルウェー(都市部)はどんなゴミ処理のシステムを持つのだろうか。
ジョン・スコフィールド&ジョー・ロヴァーノ
2008年10月8日 音楽かつてブルーノートからスコロホフォ(Scolohofo)というグループ作(そのリズム隊はデイヴ・ホランドとアル・フォスター)を出したことがあった、人気ギタリスト(2007年5月10日、他)と人気テナー奏者(2007年5月10日)の双頭リーダーのカルテット。南青山・ブルーノート、ファースト・ショウ。
想像した以上に良かった。演目はロヴァーノやスコフィールドの旧作で発表していた曲やマイルス・デイヴィスやビング・クロスビーらの古い曲なども。それらをどこか立ったノリを持ちつつまっとうな30代ぽい白人リズム・セクション(ともに、リーダー作も持つ)と一緒に開いて行くのだが、純粋に二人のソロがマル。近年、スコフィールド(実は、レディオヘッド好き)のソロはそれだけを取るとけっこうマンネリを感じさせられたりもしたが、この日の彼の演奏はジャズ・マンである矜持と俺様でありたいという自尊心が高次元で折り合っていた好演だったと言える。また、ロバーノのソロも前回の来日時の200%増しの好印象。姿勢がとても太く感じた。彼はテナーとともに、2曲ではソプラノを二つくっつけたようなカルタム・メイドだろうリード楽器を用いる。当然、2種類の音が一緒に出てくるわけだ。
想像した以上に良かった。演目はロヴァーノやスコフィールドの旧作で発表していた曲やマイルス・デイヴィスやビング・クロスビーらの古い曲なども。それらをどこか立ったノリを持ちつつまっとうな30代ぽい白人リズム・セクション(ともに、リーダー作も持つ)と一緒に開いて行くのだが、純粋に二人のソロがマル。近年、スコフィールド(実は、レディオヘッド好き)のソロはそれだけを取るとけっこうマンネリを感じさせられたりもしたが、この日の彼の演奏はジャズ・マンである矜持と俺様でありたいという自尊心が高次元で折り合っていた好演だったと言える。また、ロバーノのソロも前回の来日時の200%増しの好印象。姿勢がとても太く感じた。彼はテナーとともに、2曲ではソプラノを二つくっつけたようなカルタム・メイドだろうリード楽器を用いる。当然、2種類の音が一緒に出てくるわけだ。
G・ラヴ&ザ・スペシャル・ソース。テープ
2008年10月9日 音楽 渋谷・アックス。前回(2006年10月23日)同様にキーボード奏者を入れて4人組にての実演、その時と同じ人かどうかは知らぬがよりグループ表現のなかに入っていたナ。ウッド・ベース奏者は落ち武者状態のアタマをしているが、彼はずっといる人なのか? そのリズム隊は重要な助力者だが、これまで名前などをあんましチェックする気にならなかったのはやはりGのキャラ/個性があればこそのグループ表現であるからかなー。やはり、今回のパフォーマンスに接して痛感させられたのはGの美味しい持ち味。この人は人前に出てちやほやさせられる資格を持つ人だと、改めて思わせられました。それにしても、G・ラヴって、すごい芸名だな。……本名ギャレット・ダットン。
曲名まではすぐにでてこないが、演奏したほとんどの曲が耳なじみであったのにはぼくもびっくり。実はかつて、彼はぼくにとって“特別銘柄”だったのダとも再認識。90年代以降にでたロック・アルバムを1枚選べと言われたら、ぼくはそのファースト作を挙げるかもしれない(!)。少なくても、ニルヴァーナやレディオヘッド作より思い入れが強いのは間違いない。あのブルースからヒップホップまでを独自の軽妙さと渋さで乗り切った表現は本当にグルーヴィで革新的だったと思う。それと、今回認識を新たにしたのはGのラップがとても魅力的だということ。以前よりも、ブルースぽさやアーシーさは出さなくなった彼だが(彼らを最初送り出したのは、エピック・レーベル内に再興された往年の名ブルース・レーベルの“オーケイ”だった)、そのラップは歌とギターの相乗表現である<ブルースの回路>が下敷きになったものなのだと、なぜか今回くっきりと思えるところがあって、ぼくはとてもうれしくなってしまった。
その後、渋谷・オネストに行く。会場入りすると、日本のテニスコーツがほんわかやっている。おや、外国人が何人もサポートしている。それは一緒にレコーディングもしているテープの面々とか。
休憩を挟んで、そして、スウェーデンのテープ(2006年3月3日)のパフォーマンス。今回はメンバー3人に含め、欧州ではよく同行しているそうなAssという人も一緒に来ていて4人によるインスト演奏を見せる。キーボード、ギター、PC、笛、チャイムなど、椅子に座っていろんな楽器や装置を手にする様を見ていると4人の醸し出す風情が同じで、これがテープとしての通常の単位なんです、なんて言われているような気分にもなってくる。絡む音種類が増えたぶんだけ、よりアコースティック〜アナログな度合いは増しているような。ちょっとした和みフレイズ(それは、少しセンチなものでもあるな)をもとに過剰にならずに音が重なって文様を描く様に触れつつ、もし今が80年代だったらウィンダム・ヒルがライセンスを申し出たにちがいないとぼくは強く思った。
曲名まではすぐにでてこないが、演奏したほとんどの曲が耳なじみであったのにはぼくもびっくり。実はかつて、彼はぼくにとって“特別銘柄”だったのダとも再認識。90年代以降にでたロック・アルバムを1枚選べと言われたら、ぼくはそのファースト作を挙げるかもしれない(!)。少なくても、ニルヴァーナやレディオヘッド作より思い入れが強いのは間違いない。あのブルースからヒップホップまでを独自の軽妙さと渋さで乗り切った表現は本当にグルーヴィで革新的だったと思う。それと、今回認識を新たにしたのはGのラップがとても魅力的だということ。以前よりも、ブルースぽさやアーシーさは出さなくなった彼だが(彼らを最初送り出したのは、エピック・レーベル内に再興された往年の名ブルース・レーベルの“オーケイ”だった)、そのラップは歌とギターの相乗表現である<ブルースの回路>が下敷きになったものなのだと、なぜか今回くっきりと思えるところがあって、ぼくはとてもうれしくなってしまった。
その後、渋谷・オネストに行く。会場入りすると、日本のテニスコーツがほんわかやっている。おや、外国人が何人もサポートしている。それは一緒にレコーディングもしているテープの面々とか。
休憩を挟んで、そして、スウェーデンのテープ(2006年3月3日)のパフォーマンス。今回はメンバー3人に含め、欧州ではよく同行しているそうなAssという人も一緒に来ていて4人によるインスト演奏を見せる。キーボード、ギター、PC、笛、チャイムなど、椅子に座っていろんな楽器や装置を手にする様を見ていると4人の醸し出す風情が同じで、これがテープとしての通常の単位なんです、なんて言われているような気分にもなってくる。絡む音種類が増えたぶんだけ、よりアコースティック〜アナログな度合いは増しているような。ちょっとした和みフレイズ(それは、少しセンチなものでもあるな)をもとに過剰にならずに音が重なって文様を描く様に触れつつ、もし今が80年代だったらウィンダム・ヒルがライセンスを申し出たにちがいないとぼくは強く思った。
と、名付けられたセッション・イヴェント。南青山・月見ル君思フ。お、いつもよりステージが広げられていて、ステージ前端がよりフロア側に出ている。出演者の数が多いのだナと肌で感じたりして。
ギタリストのEXEPとドラマーの沼澤尚(2008年1月31日、他)の協調を軸に奏者をいろいろと絡ませ膨らませた、長時間の一発モノ(最後までいれなかったが、予定だと3時間みたい)。来日中でこのところ沼澤と毎日一緒にギグしているマルコス・スザーノ(2007年8月11日、他)も加わり、他にシタール奏者、鍵盤奏者、打楽器奏者、ベース奏者、DJなど。アヴァンギャルドにはならない、自由なジャムという行き方はこれまで山ほどやってきている沼澤×スザーノ・セッション(2006年12月28日、他)と同様。ミュージシャンが自由に出会え、思うまま音を出し合い、それを受けようとする人がいることの健全さをおおいに感じる。映像は例によってハルカさん(2008年1月30日、他)、ネタがどんどん増えているナ。
今日は旧体育の日。最寄り駅に向かうと、東京ジャイアンツのユニフォームを来た人がちらほら。そうか、大詰めで神宮で試合があったのか。そんなにはしゃいでいる感じはなかったが、なんと優勝が決まったらしい。
ギタリストのEXEPとドラマーの沼澤尚(2008年1月31日、他)の協調を軸に奏者をいろいろと絡ませ膨らませた、長時間の一発モノ(最後までいれなかったが、予定だと3時間みたい)。来日中でこのところ沼澤と毎日一緒にギグしているマルコス・スザーノ(2007年8月11日、他)も加わり、他にシタール奏者、鍵盤奏者、打楽器奏者、ベース奏者、DJなど。アヴァンギャルドにはならない、自由なジャムという行き方はこれまで山ほどやってきている沼澤×スザーノ・セッション(2006年12月28日、他)と同様。ミュージシャンが自由に出会え、思うまま音を出し合い、それを受けようとする人がいることの健全さをおおいに感じる。映像は例によってハルカさん(2008年1月30日、他)、ネタがどんどん増えているナ。
今日は旧体育の日。最寄り駅に向かうと、東京ジャイアンツのユニフォームを来た人がちらほら。そうか、大詰めで神宮で試合があったのか。そんなにはしゃいでいる感じはなかったが、なんと優勝が決まったらしい。
ニコ・ヴァルケアパー
2008年10月11日 音楽 北の響き/感触、っていうのは確かにあるんじゃないか。なんて、しっかり思った公演。出演者は、フィンランドの北極圏生まれで現在はノルウェーに居住して進行形のサーミ族の音楽を追求しているというニコ・ヴァルケアパーというシンガー。彼は民族衣装ぽい出で立ちのもと、?な言葉で歌う。外に出る事も多いのだろう、MCは英語でする。声は透明感を持つが、そのゆったりしたメロディの韻と相まってとても存在感を持つ。一曲だけアカペラで歌った曲もあるが、他はペール・ヴィリー・アーセルーというトランぺッターとゲオルグ・ブリオというギタリストがバッキングを付ける。両者ともノルウェー人なのかな。二人ともシンプルな演奏ながら適切に電気効果を用いるわけで、その合体の様がなんとも北の国から送り出される表現だと痛感させられちゃうのだ。ひんやり、でもほのかな光の感覚や人肌気分や蠢いている感じがあって、それかなりいい感じ。オーロラも感じた……、あ嘘デス。ティム・ロビンス似のトランぺッターはECMからリーダー作を出すと聞いても頷いちゃう感じで、彼をもっとフィーチャーした曲も聞きたかった。南青山・月見ル君思フ。
ファンファーレ・チョカリーア+クイーン・ハリシュ
2008年10月13日 音楽 秋晴れの夕方、広い緑豊かな公園のなかを沢山のブラス奏者たちがぶんちゃか音を出して練り歩いたり、止まって演奏したり。それを沢山の人たちが後を追い、囲む。音をききつけて集まってくる人たちもいて、まさに<音楽の輪>が生き物のように広がっていく。みんな笑顔で、思い思いに身体を揺らしたり、手拍子したり。いやあ、見事に祝福された休日の一コマだったナ。
その中心にいたのは、ルーマニアの野放しジプシー・ブラス集団(2004年8月28日、2005年10月15日)。11人編成の彼ら(4人のチューバ、3人のトランペット、2人のサックス、二人の打楽器)にプラスしてルーマニア人女性ダンサーがいつも同行するが、今回はさらにインド人女形ダンサーのクイーン・ハリシュ(オフの時は、小綺麗にまとめた痩身ハンサム君。妻子アリとか)が同行。ジプシーの起源はインドにあり……、両者は映画『ジプシー・キャラバン』をきっかけに欧州を一緒にいろいろとツアーしている関係にある。
いわき芸術文化交流館アリオス、大ホール。今年開いたという、いろんな関連文化施設を持つ大規模な建物のなかにある立派なホール。その横には緑豊かな大きな公園もある。で、公演前にジプシー・ミュージック講座やジプシー・ダンス講座などいろんなプリ・イヴェントが催され、その後に出演者たちに市民有志ブラス奏者たちも合流し、冒頭に書いたような、華やかで歓びに満ちたパレードがアリオス〜公園間で行われたのだ。
そして、本編たる公演。過去とそんなに変わりがあるとは思えないが、けっこうフレッシュに感じる部分はあったな。ホールの音響がいいためか、曲調や演奏がより豪気に闊達に聞こえた。あ、けっこう巧みなアレンジがあるな、とも。それから、前もこんなに歌パートが目だっていたっけ? ようは、起伏があり、その奥で別の価値観や文化があることを彼らは雄弁に語りきっていた。ステージがうわっていうぐらい広くて(オ−ケストラ・ピットもステージにしたんだろうな)、チョカリーアの面々はステージの前のほうを大幅に開けて位置していたが、なるほどそれによりときどき出てきて演奏に華を添えるダンサー(二人は別に出てきたり、一緒に踊ったり)は目一杯思うままに踊ることが出来たよう。とくに妖艶な出で立ちのハリシェのくるくると回るダンスは圧巻、彼はチョカリーア公演とは別に各所で単独でワークショップを持つようだ。
公演は休憩を挟む2部構成にて。エキゾな感覚とエネルギーが渦巻く演奏にはすぐに手拍子が起こり、客扱いのフランクさもあり、2部の途中からは多くの人が立ち上がる。まさに、音楽やダンスを媒介にする交流がそこにはあったと思えた。とともに、なんか豊かさがあるとも思えました。そして、例によってチョカリーアの面々は公演後はロビーでさらに無礼講的にパフォーマンス。いくら吹いてもあきたらない、疲弊しない……。彼らの事を知ろうと知るまいと、来た人みんなが楽しみ、何かを得たのではないか。
ご一行は翌日に小学校への出前演奏を敢行、それも覗かせていただく。体育館に全校生徒500人が集まるなか、彼らはどこでもオイラはオイラという感じで得意ワザを披露。彼らの成りたちなども的確に説明され、一人一人紹介されるとともにそれぞれの持ち楽器の音も示される。チューバ系楽器はソロだとこんな音なのか、それはぼくにとっても有意義だった。ダンスも分りやすくレクチャーされ、そのあとの演奏では子供たちも踊る。と、いうか一緒に大騒ぎ。なんか、とってもいい感じ。生徒たちに握手攻めにあうチョカリーアの面々も写真を一緒に撮ったりして嬉しそう。この催し、彼らにとっても印象深いものになったのではないだろうか。もちろん、子供たちには余計に。世界は広く、いろんな人がいて、いろんな事があるという事実を肌で実感できたはずだし、管楽器やダンスに対する興味が出た人も少なくなかったのではないか。今の子供たち、いいナ。
その中心にいたのは、ルーマニアの野放しジプシー・ブラス集団(2004年8月28日、2005年10月15日)。11人編成の彼ら(4人のチューバ、3人のトランペット、2人のサックス、二人の打楽器)にプラスしてルーマニア人女性ダンサーがいつも同行するが、今回はさらにインド人女形ダンサーのクイーン・ハリシュ(オフの時は、小綺麗にまとめた痩身ハンサム君。妻子アリとか)が同行。ジプシーの起源はインドにあり……、両者は映画『ジプシー・キャラバン』をきっかけに欧州を一緒にいろいろとツアーしている関係にある。
いわき芸術文化交流館アリオス、大ホール。今年開いたという、いろんな関連文化施設を持つ大規模な建物のなかにある立派なホール。その横には緑豊かな大きな公園もある。で、公演前にジプシー・ミュージック講座やジプシー・ダンス講座などいろんなプリ・イヴェントが催され、その後に出演者たちに市民有志ブラス奏者たちも合流し、冒頭に書いたような、華やかで歓びに満ちたパレードがアリオス〜公園間で行われたのだ。
そして、本編たる公演。過去とそんなに変わりがあるとは思えないが、けっこうフレッシュに感じる部分はあったな。ホールの音響がいいためか、曲調や演奏がより豪気に闊達に聞こえた。あ、けっこう巧みなアレンジがあるな、とも。それから、前もこんなに歌パートが目だっていたっけ? ようは、起伏があり、その奥で別の価値観や文化があることを彼らは雄弁に語りきっていた。ステージがうわっていうぐらい広くて(オ−ケストラ・ピットもステージにしたんだろうな)、チョカリーアの面々はステージの前のほうを大幅に開けて位置していたが、なるほどそれによりときどき出てきて演奏に華を添えるダンサー(二人は別に出てきたり、一緒に踊ったり)は目一杯思うままに踊ることが出来たよう。とくに妖艶な出で立ちのハリシェのくるくると回るダンスは圧巻、彼はチョカリーア公演とは別に各所で単独でワークショップを持つようだ。
公演は休憩を挟む2部構成にて。エキゾな感覚とエネルギーが渦巻く演奏にはすぐに手拍子が起こり、客扱いのフランクさもあり、2部の途中からは多くの人が立ち上がる。まさに、音楽やダンスを媒介にする交流がそこにはあったと思えた。とともに、なんか豊かさがあるとも思えました。そして、例によってチョカリーアの面々は公演後はロビーでさらに無礼講的にパフォーマンス。いくら吹いてもあきたらない、疲弊しない……。彼らの事を知ろうと知るまいと、来た人みんなが楽しみ、何かを得たのではないか。
ご一行は翌日に小学校への出前演奏を敢行、それも覗かせていただく。体育館に全校生徒500人が集まるなか、彼らはどこでもオイラはオイラという感じで得意ワザを披露。彼らの成りたちなども的確に説明され、一人一人紹介されるとともにそれぞれの持ち楽器の音も示される。チューバ系楽器はソロだとこんな音なのか、それはぼくにとっても有意義だった。ダンスも分りやすくレクチャーされ、そのあとの演奏では子供たちも踊る。と、いうか一緒に大騒ぎ。なんか、とってもいい感じ。生徒たちに握手攻めにあうチョカリーアの面々も写真を一緒に撮ったりして嬉しそう。この催し、彼らにとっても印象深いものになったのではないだろうか。もちろん、子供たちには余計に。世界は広く、いろんな人がいて、いろんな事があるという事実を肌で実感できたはずだし、管楽器やダンスに対する興味が出た人も少なくなかったのではないか。今の子供たち、いいナ。
Mountain Mocha Kilimanjaro。ジョン・クリアリー
2008年10月15日 音楽 渋谷・Oウェストで、2管やオルガン奏者を擁する日本人6人組インスト・ファンク・バンドを見る。<P-Vine Showcase >と題されたブルース・インターアクションズが主宰するイヴェント出演者の最初のアクト。おお、一曲目はファンク化したレッド・ツェッペリン曲。2曲目はアフロ・ビート的な色合いも持つJB系ファンク、3曲目もJBズ的。その途中で、会場を離れ、渋谷・クラブクアトロへ。
7時半開始のジョン・クリアリー公演。この英国出身、ニューオーリンズ在住鍵盤奏者/シンガーを見るのは、昨年の豪州バイロン・ベイのブルース・フェスでのボニー・レイット(2007年4月6日)のサポートぶりを見ていらい。
ギター、ベース、ドラムは黒人の若めの人たち。で、彼らはいい感じで重なり、ニューオーリンズの地で培われたビート・ポップを嬉しそうに(バックの人たちもけっこうコーラスを取る)開いて行く。その旨味を滲ませるオリジナルからもろなニューオーリンズ・スタンダードまで、自由自在。クリアリーの歌はけっこう軽量級なのだが、これは浮かれるなあ。とともに、彼はコード使いが巧みな<シティ・ポップ>的曲も要所に挟み込み、それにもフフとなぜかなれる。頭のどこかで、アラン・トゥーサン(2007年10月21日、他)の美メロ曲展開のようなもののクリアリー版と言えるかも、と少し思ったか。1時間のセットを二つ、プラスしてアンコール。
クリアリーは11月に入ると、ジョン・スコフィールド(2008年10月8日、他)とジョージ・ポーターJr.(2008年8月12日、他)とリッキー・ファター(後期ザ・ビーチ・ボーイズのドラマーで、ボニー・レイット・バンドの重鎮)の3人と一緒に大々的に欧州ツアーをすることになっている。
7時半開始のジョン・クリアリー公演。この英国出身、ニューオーリンズ在住鍵盤奏者/シンガーを見るのは、昨年の豪州バイロン・ベイのブルース・フェスでのボニー・レイット(2007年4月6日)のサポートぶりを見ていらい。
ギター、ベース、ドラムは黒人の若めの人たち。で、彼らはいい感じで重なり、ニューオーリンズの地で培われたビート・ポップを嬉しそうに(バックの人たちもけっこうコーラスを取る)開いて行く。その旨味を滲ませるオリジナルからもろなニューオーリンズ・スタンダードまで、自由自在。クリアリーの歌はけっこう軽量級なのだが、これは浮かれるなあ。とともに、彼はコード使いが巧みな<シティ・ポップ>的曲も要所に挟み込み、それにもフフとなぜかなれる。頭のどこかで、アラン・トゥーサン(2007年10月21日、他)の美メロ曲展開のようなもののクリアリー版と言えるかも、と少し思ったか。1時間のセットを二つ、プラスしてアンコール。
クリアリーは11月に入ると、ジョン・スコフィールド(2008年10月8日、他)とジョージ・ポーターJr.(2008年8月12日、他)とリッキー・ファター(後期ザ・ビーチ・ボーイズのドラマーで、ボニー・レイット・バンドの重鎮)の3人と一緒に大々的に欧州ツアーをすることになっている。
渋谷・0-イースト。女性サックス奏者を含む、リバプールの5人組。ちゃんとがっちり感を持つバンド・サウンドのもと、まっすぐな歌心を開かんとする骨太表現を送り出す様を見ながら、なんの情報もなく彼らに触れたら、どういう属性を持つバンドと思うのだろうかとふと思う。男性陣にはけっこう長髪ヒゲの人がいたりもするしな。いろんな個性を持つバンドがあるのはいいこと、なんてのは、いまいち上っ面な言及かな。
カルメーン出身のエレクトリック・ベーシスト/シンガー(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日)。ブルーノート東京、セカンド。間違いなく、今まで見た中で一番質と味があった公演だったと思う。バンドはギター、トランペット、キーボード、ドラム、打楽器で、ペット奏者がいるのが目新しい。米国人、オランダ人、キューバ人、コロンビア人など、例により多国籍な構成にて。かつてはブラジル的色調を強めた事があったが、今回はラテン濃度がたかかったと言えるか。で、驚いたのは、ジャコ・パストリアス偏愛から来るウェザー・リポートの「リバティ・シティ」のカヴァー以外は全部ヴォーカル曲だったこと(そこでも、彼は軽くスキャットはしていた)。やっぱ、彼の歌は天性の味を持つものであり、歌が入ったほうがフュージョン色も薄れるし、絶対にいい。で、毎度のことながら、ベースは巧みにして、とっても弾力あり。いい状況のバロメーターとなりえるのか、今回は演奏時間も長くて、本編だけで90分ぐらいやったのではないか。アンコールは一人で登場し歌い始め、それを次々にサンプリングし重ねて行き、ボナ流のアフリカと繋がったアカペラ表現(小宇宙とも言いたくなる?)を作りだす。うわあ。
おお、ユーロが120円代前半。かつてのドルの感覚で買い物できるじゃないか。円高を身近に感じる。
去年に続いて、WOMEX(2007年10月24日〜)目的でスペインのセビーリャに来た。直行便がないと、ほんとうに遠いよー。が、不況なはずなのに、(便数が減っているのかもしれないが)けっこう飛行機は混んでいたな。昨年同時期は東京より暖かいと感じたはずだが、今回は寒く感じる。現地で、防寒のためセーターを買っちゃった。飛行機のなかでも寒さを強く感じたりもしたが、それはぼくが年をとって寒がりになっているからか。ひえー。
WOMEX開催前に、ちょっと北アフリカに行く。アルへシラスというジブラルタル海峡に面した港街にはセビーリャからバスで3時間。そして、そこからフェリーで容易にアフリカ大陸に渡れるのだ。ホテルで朝食を摂り(バイキングで18ユーロ)、近くにあるバス・ターミナルに行くと、すぐにアルへシラス行きに乗れた。行き当たりばったりだったが、そういう発車時間のタイミングはとってもうまく合い、ラッキー。バスは片道、17,06ユーロ。
途中に大型バス(すいている)はヘレス・デ・ラ・フロンテーラに寄る。駅の横に、立派なバス・ターミナルがある。かつてF-1も開催されたことがあるヘレス・サーキット(シルキード・デ・ヘレス)がある都市。実はスペイン地図をながめると、あー知っているという地名が各所にいろいろあるのだが、それはサッカーのチーム名に親しんでいるから。ヘレスにあるチームはシェレスというのでそこからはヘレスという地名は覚えないが、ぼくは20年前の一時期に熱心なF-1ファン(まじに、一時はレース業界に行こうかと思ったほど)だったので、ヘレスの名前はとっても身近。で。ありゃりゃとなったのは、途中の高速道路(けっこう、整備されている)からの風景を見ていて、ぼくは90年代半ばにヘレスに来ていたのだとハタと気付いた事。初めてのスペイン行きのときもセビーリャに来た事があり(英国人アーティストがわざわざセビーリャで取材を受けたいと言ってきた)、そのとき現地に詳しい人が王室御用達のシェリー酒の蔵元に案内してくれたのだが、それはヘレスの郊外にあったのだな。そんときは何から何まで新奇で、場所名まで確認する余裕がなかった。
そして、バスはアルへシラスのフェリー乗り場にまず止まる。日本で見たガイド・ブックには街のターミナルに到着してから徒歩15分と書いてあったので、こりゃラッキーと下車。アルへシラスからは主にモロッコのタンジェとモロッコ内にぽつんとあるスペイン領のセウタ行きが出て、どっちに行ってもいいと思っていたのだが、目の前がセウタ行きのフェリー乗り場ですぐに乗れそうなので、セウタを選択。そりゃ純モロッコのほうが感銘度は高いに決まっているが、いても一泊しかできないし、船酔いしやすいぼくは乗船時間が身近いほうが超ありがたいし(セウタのほうが距離がだいぶ近い)、両替する必要もないという事で、楽なほうが好きなぼくはセウタを迷わず選びましたね。先週、ぐうぜん友人タッチーがモロッコ旅行をしている、というのも少し頭にあったかな。同じじゃ、つまない。変化球じゃ。
高速フェリー(31 ユーロ)は35分を謳い、チケット売り場のおねいちゃんも35分よとのたまったが、港周辺はゆっくり動き、結局一時間はかかったハズ。晴天でやな揺れ方は一切せず、船酔いもせず。なるほど、途中船からはヨーロッパとアフリカの両大陸が見えて、ホントに近いのだな。へえー。午後1時ごろに下船、あーぼくはアフリカ大陸に来てしまった、と感慨を少し得る。風景は(気候も)それほどアンダルシア地方と変わらないが、微妙な何か、歴史や場の違いようなものは感じたかな。スペインと違い、イスラム教を想起させる布で頭をくるんだ女性も散見されるが、その布はみんなカラフルなやつだった。
中心部はせまく、すぐに歩ける。アルへシラスよりも綺麗で、かなり洗練されていると感じる部分も。夏はリゾート地っぽく相当ににぎわうらしいが、この季節はかなり閑散としている。お店も8割はしまっていたんではないか。言葉巧みに寄ってくるような人も、もちろんいない。で、見つけた店で昼食を摂ったのだが、客はぼく一人だし、あんまし美味しくないし……といった具合で、なんかこんな寂れたところに一泊するのはイヤという気分がむくむくと沸いてきて、日帰りを決定。絶対、悪い街ではないのはずだが。結局、ぼくはアフリカ大陸に4時間滞在した。
帰りのフェリーは行きよりもずっとバカでかく(ともに、食べ物売り場や免税店があった)、高速船ではないようだが(帰りは29ユーロだった)、やはり一時間ほどでアルへシラスに着く。船内はガラガラ。バス・ターミナルの場所は分らないし、地図も持ってないので、タクる。3,25ユーロの基本で着く。で、すぐに7時半発のセビーリャ行きのバスにのれた。車中で寝た。実にスムーズな、日帰り北アフリカ旅行。セビーリャに着いてから摂ったタパスとビールがうまかった。
ところで、携帯電話の便利さにはおどろいた。欧州について、東京で使っている携帯に電源を入れると、海外で紛失した場合はとか、ドコモからおせっかいなメールが2通も入っている(無くしたら、その文面よめないじゃないか)。で、画面の時間が欧州時間に変わっていて、その下には親切に日本時間も掲載される。電話帳に入っている番号にかけようとすると自動的に、<81に加え、0抜き>に変換してダイヤルされる。すげえ。が、この日はセウタあたりで、携帯がずっと圏外と表記されてしまう故障(それは、セビーリャに戻っても同様だった)に見舞われ、連絡をとらなくてはならなかったのでおおいにあわて、ムクれる。結局、一度電源を切ったら復活したが、アレはなんだったのか。スペインでそんなに使わなかったはずだけど、後の請求額が少し怖い。
去年に続いて、WOMEX(2007年10月24日〜)目的でスペインのセビーリャに来た。直行便がないと、ほんとうに遠いよー。が、不況なはずなのに、(便数が減っているのかもしれないが)けっこう飛行機は混んでいたな。昨年同時期は東京より暖かいと感じたはずだが、今回は寒く感じる。現地で、防寒のためセーターを買っちゃった。飛行機のなかでも寒さを強く感じたりもしたが、それはぼくが年をとって寒がりになっているからか。ひえー。
WOMEX開催前に、ちょっと北アフリカに行く。アルへシラスというジブラルタル海峡に面した港街にはセビーリャからバスで3時間。そして、そこからフェリーで容易にアフリカ大陸に渡れるのだ。ホテルで朝食を摂り(バイキングで18ユーロ)、近くにあるバス・ターミナルに行くと、すぐにアルへシラス行きに乗れた。行き当たりばったりだったが、そういう発車時間のタイミングはとってもうまく合い、ラッキー。バスは片道、17,06ユーロ。
途中に大型バス(すいている)はヘレス・デ・ラ・フロンテーラに寄る。駅の横に、立派なバス・ターミナルがある。かつてF-1も開催されたことがあるヘレス・サーキット(シルキード・デ・ヘレス)がある都市。実はスペイン地図をながめると、あー知っているという地名が各所にいろいろあるのだが、それはサッカーのチーム名に親しんでいるから。ヘレスにあるチームはシェレスというのでそこからはヘレスという地名は覚えないが、ぼくは20年前の一時期に熱心なF-1ファン(まじに、一時はレース業界に行こうかと思ったほど)だったので、ヘレスの名前はとっても身近。で。ありゃりゃとなったのは、途中の高速道路(けっこう、整備されている)からの風景を見ていて、ぼくは90年代半ばにヘレスに来ていたのだとハタと気付いた事。初めてのスペイン行きのときもセビーリャに来た事があり(英国人アーティストがわざわざセビーリャで取材を受けたいと言ってきた)、そのとき現地に詳しい人が王室御用達のシェリー酒の蔵元に案内してくれたのだが、それはヘレスの郊外にあったのだな。そんときは何から何まで新奇で、場所名まで確認する余裕がなかった。
そして、バスはアルへシラスのフェリー乗り場にまず止まる。日本で見たガイド・ブックには街のターミナルに到着してから徒歩15分と書いてあったので、こりゃラッキーと下車。アルへシラスからは主にモロッコのタンジェとモロッコ内にぽつんとあるスペイン領のセウタ行きが出て、どっちに行ってもいいと思っていたのだが、目の前がセウタ行きのフェリー乗り場ですぐに乗れそうなので、セウタを選択。そりゃ純モロッコのほうが感銘度は高いに決まっているが、いても一泊しかできないし、船酔いしやすいぼくは乗船時間が身近いほうが超ありがたいし(セウタのほうが距離がだいぶ近い)、両替する必要もないという事で、楽なほうが好きなぼくはセウタを迷わず選びましたね。先週、ぐうぜん友人タッチーがモロッコ旅行をしている、というのも少し頭にあったかな。同じじゃ、つまない。変化球じゃ。
高速フェリー(31 ユーロ)は35分を謳い、チケット売り場のおねいちゃんも35分よとのたまったが、港周辺はゆっくり動き、結局一時間はかかったハズ。晴天でやな揺れ方は一切せず、船酔いもせず。なるほど、途中船からはヨーロッパとアフリカの両大陸が見えて、ホントに近いのだな。へえー。午後1時ごろに下船、あーぼくはアフリカ大陸に来てしまった、と感慨を少し得る。風景は(気候も)それほどアンダルシア地方と変わらないが、微妙な何か、歴史や場の違いようなものは感じたかな。スペインと違い、イスラム教を想起させる布で頭をくるんだ女性も散見されるが、その布はみんなカラフルなやつだった。
中心部はせまく、すぐに歩ける。アルへシラスよりも綺麗で、かなり洗練されていると感じる部分も。夏はリゾート地っぽく相当ににぎわうらしいが、この季節はかなり閑散としている。お店も8割はしまっていたんではないか。言葉巧みに寄ってくるような人も、もちろんいない。で、見つけた店で昼食を摂ったのだが、客はぼく一人だし、あんまし美味しくないし……といった具合で、なんかこんな寂れたところに一泊するのはイヤという気分がむくむくと沸いてきて、日帰りを決定。絶対、悪い街ではないのはずだが。結局、ぼくはアフリカ大陸に4時間滞在した。
帰りのフェリーは行きよりもずっとバカでかく(ともに、食べ物売り場や免税店があった)、高速船ではないようだが(帰りは29ユーロだった)、やはり一時間ほどでアルへシラスに着く。船内はガラガラ。バス・ターミナルの場所は分らないし、地図も持ってないので、タクる。3,25ユーロの基本で着く。で、すぐに7時半発のセビーリャ行きのバスにのれた。車中で寝た。実にスムーズな、日帰り北アフリカ旅行。セビーリャに着いてから摂ったタパスとビールがうまかった。
ところで、携帯電話の便利さにはおどろいた。欧州について、東京で使っている携帯に電源を入れると、海外で紛失した場合はとか、ドコモからおせっかいなメールが2通も入っている(無くしたら、その文面よめないじゃないか)。で、画面の時間が欧州時間に変わっていて、その下には親切に日本時間も掲載される。電話帳に入っている番号にかけようとすると自動的に、<81に加え、0抜き>に変換してダイヤルされる。すげえ。が、この日はセウタあたりで、携帯がずっと圏外と表記されてしまう故障(それは、セビーリャに戻っても同様だった)に見舞われ、連絡をとらなくてはならなかったのでおおいにあわて、ムクれる。結局、一度電源を切ったら復活したが、アレはなんだったのか。スペインでそんなに使わなかったはずだけど、後の請求額が少し怖い。
WOMEX08(10月30日〜11月1日)
2008年10月30日 音楽 昼間の会場はお開きの時間に近くなる5時頃になると、いろんなブースがワインをはじめいろんなお酒やつまみを振る舞い始める。ゲリラ的にライヴを始める連中もいる。なんか、なあなあの快楽感覚があちこちでぽわーんと生まれ、漂い、広がっていく。そう、これこれ。和気あいあい、これがなんかいいんだよなあ。只酒をいやしく頂きながら、これもまたWOMEXの楽しさぢゃあ、なぞと思いにんまりしちゃう。
WOMEXの概要についいては去年の項(2007年10月24日〜26日)を見ていただきたい。基本は同じ。ただし、夜の会場Bと記している場所は、セビーリャきっての観光名所であるスペイン広場だった。そんなところを、音楽イヴェントの会場に使わせてしまう太っ腹さって、凄い。
あんまし覚えてないのも多いけど、今回見たのはざっと以下のよう。
1日目。Kalman Balogh Gypsy Cimbalom Band(ハンガリー)、Fatima Spar & The Freedom Fries(トルコ/ブルガリア/ウクライナ/セルビア/オーストリア)、Alex Cuba(キューバ/カナダ)A Filetta(フランス)、Les Amazones de Ginee(ギニア)、Speed Caravan(アルゼンチン/メキシコ/フランス)、Basswekou Kouyate & ngoni ba(マリ)。
2日目。Olof Amanlds(アイスランド)、Ramiro Musotto & Orchestra Sudaka(アルゼンチン/ブラジル)、Mike Marshall & Darol Anger with Vassen(米国/スウェーデン)、LA-33(コロンビア)、Tumi and the Volume(南アフリカ/モザンビーク)、Camane(ポルトガル)、David WALTERS(フランス)。
3日目。Bwats in the Heart of Orient(イラン/ギリシャ/フランス)、DJ Grace Kelly(ブラジル/ドイツ)、Salamat Sadikova(キルギスタン)、Beduin Jerry Can Band(エジプト)、Enzo Avitabile & I Bottari(イタリア)、Xose Manuel Budino(スペイン)、Andrela Dias(ブラジル)、Astillero(アルゼンチン)、Bako Dagnon(マリ)、Narf(スペイン)、Mundo Livre S/A(ブラジル)、Orquesta Arab de Balcelona(モロッコ/ギリシャ/スペイン)
去年よりか出演者は小粒……というもっぱらの風評ではあり、そうかもしれないが、もう満腹。うち、一番衝撃を受けたのは3日目に見た、アルゼンチン・タンゴの若手(なのかな?)グループのアスティジェーロ。もう触れて一発で、ピアソラの精神を引き継いでもいるだろう、時代をキリキリと引っ掻くような現代感覚にノックアウト! コントラバス奏者のほかにチェロ奏者もいる編成で、曲によってはスポークン・ワード担当者も加わる。
WOMEXの概要についいては去年の項(2007年10月24日〜26日)を見ていただきたい。基本は同じ。ただし、夜の会場Bと記している場所は、セビーリャきっての観光名所であるスペイン広場だった。そんなところを、音楽イヴェントの会場に使わせてしまう太っ腹さって、凄い。
あんまし覚えてないのも多いけど、今回見たのはざっと以下のよう。
1日目。Kalman Balogh Gypsy Cimbalom Band(ハンガリー)、Fatima Spar & The Freedom Fries(トルコ/ブルガリア/ウクライナ/セルビア/オーストリア)、Alex Cuba(キューバ/カナダ)A Filetta(フランス)、Les Amazones de Ginee(ギニア)、Speed Caravan(アルゼンチン/メキシコ/フランス)、Basswekou Kouyate & ngoni ba(マリ)。
2日目。Olof Amanlds(アイスランド)、Ramiro Musotto & Orchestra Sudaka(アルゼンチン/ブラジル)、Mike Marshall & Darol Anger with Vassen(米国/スウェーデン)、LA-33(コロンビア)、Tumi and the Volume(南アフリカ/モザンビーク)、Camane(ポルトガル)、David WALTERS(フランス)。
3日目。Bwats in the Heart of Orient(イラン/ギリシャ/フランス)、DJ Grace Kelly(ブラジル/ドイツ)、Salamat Sadikova(キルギスタン)、Beduin Jerry Can Band(エジプト)、Enzo Avitabile & I Bottari(イタリア)、Xose Manuel Budino(スペイン)、Andrela Dias(ブラジル)、Astillero(アルゼンチン)、Bako Dagnon(マリ)、Narf(スペイン)、Mundo Livre S/A(ブラジル)、Orquesta Arab de Balcelona(モロッコ/ギリシャ/スペイン)
去年よりか出演者は小粒……というもっぱらの風評ではあり、そうかもしれないが、もう満腹。うち、一番衝撃を受けたのは3日目に見た、アルゼンチン・タンゴの若手(なのかな?)グループのアスティジェーロ。もう触れて一発で、ピアソラの精神を引き継いでもいるだろう、時代をキリキリと引っ掻くような現代感覚にノックアウト! コントラバス奏者のほかにチェロ奏者もいる編成で、曲によってはスポークン・ワード担当者も加わる。