G・ラヴ&ザ・スペシャル・ソース。テープ
2008年10月9日 音楽 渋谷・アックス。前回(2006年10月23日)同様にキーボード奏者を入れて4人組にての実演、その時と同じ人かどうかは知らぬがよりグループ表現のなかに入っていたナ。ウッド・ベース奏者は落ち武者状態のアタマをしているが、彼はずっといる人なのか? そのリズム隊は重要な助力者だが、これまで名前などをあんましチェックする気にならなかったのはやはりGのキャラ/個性があればこそのグループ表現であるからかなー。やはり、今回のパフォーマンスに接して痛感させられたのはGの美味しい持ち味。この人は人前に出てちやほやさせられる資格を持つ人だと、改めて思わせられました。それにしても、G・ラヴって、すごい芸名だな。……本名ギャレット・ダットン。
曲名まではすぐにでてこないが、演奏したほとんどの曲が耳なじみであったのにはぼくもびっくり。実はかつて、彼はぼくにとって“特別銘柄”だったのダとも再認識。90年代以降にでたロック・アルバムを1枚選べと言われたら、ぼくはそのファースト作を挙げるかもしれない(!)。少なくても、ニルヴァーナやレディオヘッド作より思い入れが強いのは間違いない。あのブルースからヒップホップまでを独自の軽妙さと渋さで乗り切った表現は本当にグルーヴィで革新的だったと思う。それと、今回認識を新たにしたのはGのラップがとても魅力的だということ。以前よりも、ブルースぽさやアーシーさは出さなくなった彼だが(彼らを最初送り出したのは、エピック・レーベル内に再興された往年の名ブルース・レーベルの“オーケイ”だった)、そのラップは歌とギターの相乗表現である<ブルースの回路>が下敷きになったものなのだと、なぜか今回くっきりと思えるところがあって、ぼくはとてもうれしくなってしまった。
その後、渋谷・オネストに行く。会場入りすると、日本のテニスコーツがほんわかやっている。おや、外国人が何人もサポートしている。それは一緒にレコーディングもしているテープの面々とか。
休憩を挟んで、そして、スウェーデンのテープ(2006年3月3日)のパフォーマンス。今回はメンバー3人に含め、欧州ではよく同行しているそうなAssという人も一緒に来ていて4人によるインスト演奏を見せる。キーボード、ギター、PC、笛、チャイムなど、椅子に座っていろんな楽器や装置を手にする様を見ていると4人の醸し出す風情が同じで、これがテープとしての通常の単位なんです、なんて言われているような気分にもなってくる。絡む音種類が増えたぶんだけ、よりアコースティック〜アナログな度合いは増しているような。ちょっとした和みフレイズ(それは、少しセンチなものでもあるな)をもとに過剰にならずに音が重なって文様を描く様に触れつつ、もし今が80年代だったらウィンダム・ヒルがライセンスを申し出たにちがいないとぼくは強く思った。
曲名まではすぐにでてこないが、演奏したほとんどの曲が耳なじみであったのにはぼくもびっくり。実はかつて、彼はぼくにとって“特別銘柄”だったのダとも再認識。90年代以降にでたロック・アルバムを1枚選べと言われたら、ぼくはそのファースト作を挙げるかもしれない(!)。少なくても、ニルヴァーナやレディオヘッド作より思い入れが強いのは間違いない。あのブルースからヒップホップまでを独自の軽妙さと渋さで乗り切った表現は本当にグルーヴィで革新的だったと思う。それと、今回認識を新たにしたのはGのラップがとても魅力的だということ。以前よりも、ブルースぽさやアーシーさは出さなくなった彼だが(彼らを最初送り出したのは、エピック・レーベル内に再興された往年の名ブルース・レーベルの“オーケイ”だった)、そのラップは歌とギターの相乗表現である<ブルースの回路>が下敷きになったものなのだと、なぜか今回くっきりと思えるところがあって、ぼくはとてもうれしくなってしまった。
その後、渋谷・オネストに行く。会場入りすると、日本のテニスコーツがほんわかやっている。おや、外国人が何人もサポートしている。それは一緒にレコーディングもしているテープの面々とか。
休憩を挟んで、そして、スウェーデンのテープ(2006年3月3日)のパフォーマンス。今回はメンバー3人に含め、欧州ではよく同行しているそうなAssという人も一緒に来ていて4人によるインスト演奏を見せる。キーボード、ギター、PC、笛、チャイムなど、椅子に座っていろんな楽器や装置を手にする様を見ていると4人の醸し出す風情が同じで、これがテープとしての通常の単位なんです、なんて言われているような気分にもなってくる。絡む音種類が増えたぶんだけ、よりアコースティック〜アナログな度合いは増しているような。ちょっとした和みフレイズ(それは、少しセンチなものでもあるな)をもとに過剰にならずに音が重なって文様を描く様に触れつつ、もし今が80年代だったらウィンダム・ヒルがライセンスを申し出たにちがいないとぼくは強く思った。