ザ・サースト。ホセ・ジェイムズ
2008年9月18日 音楽 まず、渋谷・クラブクアトロ。8月にリニューアルなったはずだが、やっと来る。5階建てのクアトロ・ビルの1〜3階がブックオフになっていて、まずびっくり。へー、ブックオフはほとんど利用した事がないけど調子いいんだな。でも、バブル期(だよな?)にこの建物が出来たときは音楽ソフト販売のウェイヴが大々的に入っていたわけで、ある意味もとのノリに戻ったと言えなくはないかも。その後ウェイヴは撤退して、衣服屋や雑貨屋がいろいろと変わりつつテナントで入っていたわけだ。一時は韓国ソウル発の安売り店で1フロアをまとめた事もあったはず。あー商行為はめまぐるしい。ともあれ、4〜5階の全フロアがライヴ・ヴェニューとしてのスペース。受け付け階の4階は無駄に広いかも。で、5階のステージ・フロアは変更無し(バーの様式や出し物アイテムは切に更新してほしかったが、まったく変化なし。なんでェ〜)。
ザ・サーストはロン・ウッド(2003年3月15日)の自己レーベルの第一弾アーティストと喧伝される、新進UKバンド。痩身の崩れた小アフロ頭の青年が出てきて、生ギターを弾きながら歌いだす。技巧と緊張感のないキザイア・ジョーンズ(1999年9月29日)。てな、印象を持ったか。で、その最中にギター、ベース、ドラムが出てくる。みんな似た風体の黒人たち(英国人たちだから、ジャマイカン・ルーツかな)。で、彼らはギターの刻みが後打ちの曲をやる。乱暴に言えば、2トーン調をもっとロックぽくした感じか。ときに、“泣き”の感覚も入る。もう少し曲調が立っていればと思わなくはないが、でもその佇まいだけでぼくは許せるし、また来日したら見に行くと思う。初々しくコミュニケートしようとしていたのもマル。
40分間みて、移動。南青山・青山迎賓館(今年に入って営業を始めたそうな、月見ル君想フ近くの結婚式場)に行く。道、かなり空いていたナ。アメリカの靴やバッグのメイカー“コール ハーン”の設立80周年記念パーティがあり、そこにぼくが注目している米国人ジャズ歌手のホセ・ジェイムズがアトラクションとして出るため。8時すぎに、ジェイムズは電気ピアノ、電気ベース、ドラムとともに登場。へえ、スリムな身体を黒のスーツで包んだ彼(身長はそれほど高くない。年齢は30歳ぐらいか)は写真だと黒人に見えたが、いろんな血が入っている印象を受けた。そんな彼はいい声で、確かな音程のもと奔放に歌う。スキャットもいい感じ。音楽として重要な何かがこぼれ落ちる。やはり、これはなかなかのタレントという所感を強く持つ。ドラムはけっこうブレイク・ビーツ的なビートを叩き、そんなこともありジェイムズ自体のヴォーカルは純ジャズだが、クラブ・ジャズ的な誘いも確かに持つ。彼を送り出したのはジャイルズ・ピーターソン(1999年5月21日、2002年11月7日、2004年1月16日)のレーベル“ブラウンズウッド”だ。演目は、アート・ブレイキーで知られるファンキー・ジャズ名曲「モーニン」(やっぱ、親しみやすい曲だな)他、ジャズ有名器楽曲をヴォーカル曲化したものも。
50分ぐらいは悠々とパフォーマンスしたかな。かなり、満足。そのあとは、ジャイルズ・ピーターソン(2002年11月7日)が延々とDJ(ベタなEW&F曲を回したりも)。最初、彼にパーティDJの依頼があり、ついでにジェイムズを推薦したのかな。このパーティ出演来日のついでに、ジェイムズは翌日にビルボードライブ東京でパフォーマンスする。また、翌月にはニコラ・コンテのゲストで来日し、ブルーノートに出演する。
ザ・サーストはロン・ウッド(2003年3月15日)の自己レーベルの第一弾アーティストと喧伝される、新進UKバンド。痩身の崩れた小アフロ頭の青年が出てきて、生ギターを弾きながら歌いだす。技巧と緊張感のないキザイア・ジョーンズ(1999年9月29日)。てな、印象を持ったか。で、その最中にギター、ベース、ドラムが出てくる。みんな似た風体の黒人たち(英国人たちだから、ジャマイカン・ルーツかな)。で、彼らはギターの刻みが後打ちの曲をやる。乱暴に言えば、2トーン調をもっとロックぽくした感じか。ときに、“泣き”の感覚も入る。もう少し曲調が立っていればと思わなくはないが、でもその佇まいだけでぼくは許せるし、また来日したら見に行くと思う。初々しくコミュニケートしようとしていたのもマル。
40分間みて、移動。南青山・青山迎賓館(今年に入って営業を始めたそうな、月見ル君想フ近くの結婚式場)に行く。道、かなり空いていたナ。アメリカの靴やバッグのメイカー“コール ハーン”の設立80周年記念パーティがあり、そこにぼくが注目している米国人ジャズ歌手のホセ・ジェイムズがアトラクションとして出るため。8時すぎに、ジェイムズは電気ピアノ、電気ベース、ドラムとともに登場。へえ、スリムな身体を黒のスーツで包んだ彼(身長はそれほど高くない。年齢は30歳ぐらいか)は写真だと黒人に見えたが、いろんな血が入っている印象を受けた。そんな彼はいい声で、確かな音程のもと奔放に歌う。スキャットもいい感じ。音楽として重要な何かがこぼれ落ちる。やはり、これはなかなかのタレントという所感を強く持つ。ドラムはけっこうブレイク・ビーツ的なビートを叩き、そんなこともありジェイムズ自体のヴォーカルは純ジャズだが、クラブ・ジャズ的な誘いも確かに持つ。彼を送り出したのはジャイルズ・ピーターソン(1999年5月21日、2002年11月7日、2004年1月16日)のレーベル“ブラウンズウッド”だ。演目は、アート・ブレイキーで知られるファンキー・ジャズ名曲「モーニン」(やっぱ、親しみやすい曲だな)他、ジャズ有名器楽曲をヴォーカル曲化したものも。
50分ぐらいは悠々とパフォーマンスしたかな。かなり、満足。そのあとは、ジャイルズ・ピーターソン(2002年11月7日)が延々とDJ(ベタなEW&F曲を回したりも)。最初、彼にパーティDJの依頼があり、ついでにジェイムズを推薦したのかな。このパーティ出演来日のついでに、ジェイムズは翌日にビルボードライブ東京でパフォーマンスする。また、翌月にはニコラ・コンテのゲストで来日し、ブルーノートに出演する。