渋谷・映画美学校試写室で、2015年スイス/キューバ映画の「ホライズン」(原題は、Horizontes)を見る。キューバと同国に一般文化として息づくバレエの関係を切り取ろうとしたドキュメンタリー映画で、1975年生まれのスイス人女性であるアイリーン・ホーファーが監督している。
キューバにおいてバレエが盛んであるというのは、寡聞にして知らなかった。だが、同国の様々な教育水準の高さを伝えきく分には、そうであってもなんら不思議はない。映画は、3人のキューバに住む女性バレエ・ダンサーを題材に用いる。
一人は、世界のバレエ界のトップにいたアリシア・アロンゾ(1921年、ハバナ生まれ。彼女は20歳になる頃から網膜剥離が進み、手術を繰り返すものの視力をかなり失ったが、踊り続けた)。金持ち軍人の娘で10代から米国や英国に出てバレエを学び、1948年に母国に帰国して以降は、バレエ学校も作り、キューバにおけるバレエ普及に務めた偉人。95歳になった今も、後進の指導に務めている。さらには、現在のキューバ・バレエ界のスターのヴィエングセイ・ヴァルデス(1976年、ハヴァナ生まれ。昨年も東京に踊りに来ている)と、14歳のバレエ学校の生徒であるアマンダ・デ・ヘスス・ペレス・ドゥアルデ。かような年齢違いの3人のダンサーを扱うことで映画はキューバにおけるバレエの位置、同国のバレエ界におけるアロンゾの大きさを語ろうとする。別に荒かったりするわけではないのだが、その構成/編集はぼくには分かりにくい部分もあった。
アロンソは旧体制の恩恵を受けて国外に出てバレエの才能を開花させた人物であるが、帰国後はずっとキューバに拠点を置いたことが示すように革命支持者であったよう。映画では、アロンゾとフィデル・カストロとの仲良し交友を示す昔の写真が何葉も紹介される。カストロの覚えもめでたかったことは、キューバにおけるバレエ普及につながっただろう。カストロは野球好きでそのため同国で野球が盛んになったわけだが、もしサッカー好きだったら、中南米のサッカー地図はどうなっていただろうか。片腕のチェ・ゲバラはアルゼンチン生まれらしくサッカー好きとも伝えられるが、“革命家”はそちらの趣味をゴリ押しすることはなかった(、たぶん)。
とかなんとか、20年前に行ったハバナ(嫌米を取りつつ、確か観光客はドルしか使えなかった)の風景を覚醒させつつ、映画に散りばめられたパズルの断片を拾い上げ、いろんなことを思い浮かべてしまうな。今年、キューバと米国の国交が復活したわけだが、それはキューバの人々の生活、芸術/芸能の営みにはどういう変化をもたらすのか。この9月あたまにインタヴューした在ハバナのピアニストであるアロルド・ロペス・ヌッサ(2014年7月19日、2016年9月3日)は何も変わんないと言っていたけど……。映画は11月上旬から公開される。
▶︎過去の、アロルド・ロペス・ヌッサ・トリオ
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
<今日の、映画音楽>
その音楽には疑問を感じてしまった。いわゆる効果音的な劇伴(一方、バレエを踊るシーンでは、ダンス伴奏たるクラシックが用いられる)でジュリアン・パイノとレディスラフ・アガベコフというスイス人クリエイターを使っているのは別に問題はない。だが、劇中やエンド・ロールで、スイス人女性シンガーのハイジ・ハッピーの英語による響きの感覚も持つ内省フォーキー曲を大々的に使っているのはどうしたことか。映画中ではスペイン語が使われ、すべて舞台はキューバであるのに、何故にまったく位相の異なる欧州英語曲(それ自体は悪くない)を意味ありげに持ってくる? なんか、音楽好きのぼくは居心地の悪さを覚えずにはいられなかった。
キューバにおいてバレエが盛んであるというのは、寡聞にして知らなかった。だが、同国の様々な教育水準の高さを伝えきく分には、そうであってもなんら不思議はない。映画は、3人のキューバに住む女性バレエ・ダンサーを題材に用いる。
一人は、世界のバレエ界のトップにいたアリシア・アロンゾ(1921年、ハバナ生まれ。彼女は20歳になる頃から網膜剥離が進み、手術を繰り返すものの視力をかなり失ったが、踊り続けた)。金持ち軍人の娘で10代から米国や英国に出てバレエを学び、1948年に母国に帰国して以降は、バレエ学校も作り、キューバにおけるバレエ普及に務めた偉人。95歳になった今も、後進の指導に務めている。さらには、現在のキューバ・バレエ界のスターのヴィエングセイ・ヴァルデス(1976年、ハヴァナ生まれ。昨年も東京に踊りに来ている)と、14歳のバレエ学校の生徒であるアマンダ・デ・ヘスス・ペレス・ドゥアルデ。かような年齢違いの3人のダンサーを扱うことで映画はキューバにおけるバレエの位置、同国のバレエ界におけるアロンゾの大きさを語ろうとする。別に荒かったりするわけではないのだが、その構成/編集はぼくには分かりにくい部分もあった。
アロンソは旧体制の恩恵を受けて国外に出てバレエの才能を開花させた人物であるが、帰国後はずっとキューバに拠点を置いたことが示すように革命支持者であったよう。映画では、アロンゾとフィデル・カストロとの仲良し交友を示す昔の写真が何葉も紹介される。カストロの覚えもめでたかったことは、キューバにおけるバレエ普及につながっただろう。カストロは野球好きでそのため同国で野球が盛んになったわけだが、もしサッカー好きだったら、中南米のサッカー地図はどうなっていただろうか。片腕のチェ・ゲバラはアルゼンチン生まれらしくサッカー好きとも伝えられるが、“革命家”はそちらの趣味をゴリ押しすることはなかった(、たぶん)。
とかなんとか、20年前に行ったハバナ(嫌米を取りつつ、確か観光客はドルしか使えなかった)の風景を覚醒させつつ、映画に散りばめられたパズルの断片を拾い上げ、いろんなことを思い浮かべてしまうな。今年、キューバと米国の国交が復活したわけだが、それはキューバの人々の生活、芸術/芸能の営みにはどういう変化をもたらすのか。この9月あたまにインタヴューした在ハバナのピアニストであるアロルド・ロペス・ヌッサ(2014年7月19日、2016年9月3日)は何も変わんないと言っていたけど……。映画は11月上旬から公開される。
▶︎過去の、アロルド・ロペス・ヌッサ・トリオ
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
<今日の、映画音楽>
その音楽には疑問を感じてしまった。いわゆる効果音的な劇伴(一方、バレエを踊るシーンでは、ダンス伴奏たるクラシックが用いられる)でジュリアン・パイノとレディスラフ・アガベコフというスイス人クリエイターを使っているのは別に問題はない。だが、劇中やエンド・ロールで、スイス人女性シンガーのハイジ・ハッピーの英語による響きの感覚も持つ内省フォーキー曲を大々的に使っているのはどうしたことか。映画中ではスペイン語が使われ、すべて舞台はキューバであるのに、何故にまったく位相の異なる欧州英語曲(それ自体は悪くない)を意味ありげに持ってくる? なんか、音楽好きのぼくは居心地の悪さを覚えずにはいられなかった。