エリック・ミヤシロ(2010年5月11日、2011年3月10日、2011年3月28日、2011年4月21日、2011年8月6日 、2014年9月7日、2015年9月27日)が統括するビッグ・バンド(2015年1月9日、2015年9月27日)のブルーノート東京の今度の公演は、翌日から3日間同所にトリオで出演するイリアーヌ・イリアス(2006年6月28日、2015年2月8日)をゲストにむかえてのもの。そのイリアスといえば、かつて名ジャズ・アレンジャーであるボブ・ブルックマイヤー率いるビッグ・バンドと共演した『Impulsive!』(Stunt、1997年)というアルバムを出したことがあったわけで、それを参照するところもあるプログラムと言えるだろう。同作収録曲はすべてイリアス曲だったが、そこからのブルックマイヤー編曲のものもやったようだ。
あたまの3曲は、イリアス抜き。うち、1曲は昨年秋のブルーノート・ジャズ・フェスティヴァルで共演した際にもやったパット・メセニーの1983年曲「ソング・フォー・ビルバオ」。実は、シカゴと横浜の2カ所でメセニーとオーケストララの共演を続けて聞いた人によると、ミヤシロ編のほうがずっと良かったそうだ。てな話は置いておいも、メセニーとの共演を済ませた後だと、同オーケストラにとって恐いモノはなし? やっぱり昨年秋の経験は強い糧となり、自信に跳ね返っているんじゃないのか。
その後は、本編最後の1曲を除き、イリアスはピアノ(曲によっては、歌も歌う)で全面的にオーケストラと重なる。想像した以上に、一緒にやる時間が長かった。イリアスは、やはり指使いが達者。いいな。今、彼女は歌を中央に置くしっとり傾向アルバムを作る方向にあるのだが、もう一度鍵盤裁きを主に据える作品を作ってほしい。そういえば、昔インタヴューしたさい渡辺貞夫さんが、最初にブラジル(サンパウロ)に行ったとき、ジャズ・ピアノの天才少女だと彼女のことを紹介されたと言っていたな。うれしい運指に触れながら、そんなことも思い出した。
一つはブラジリアン曲メドレーを華やかにやり、アンコール曲もひねりの効いたアレンジが施された「イパネマの娘」。他は、彼女のオリジナルをやったのか? ジャズという様式の寛容な好奇心と溶解方策があり、音楽家間の敬意ある出会いとやりとりがあり……。いい、プログラムだったと思う。
ところで、イライアスの気さくな様を見ていて、大きくうなずいた。ぼくは、なんか気の強そうな人と思っていたが、それは昨年の2月にインタヴューしたとき、おおきくくつがえされたのだった。こんなに気がよくて寛容な人、そうはいない。事の顛末は以下のとおり、
彼女のインタヴューを急に依頼されたが、その日の夕方はすでに取材仕事を入れていた。だが、場所はビクターとブルーノート東京とタクれば5分で済むところだったので、間に1時間の余裕を持ってイリアーヌの取材を入れた。ところが、最初の取材のほうが、ぼくの前のインタビュアーが大幅に遅刻した関係で1時間おし。急いで移動しても、イリアスの取材には遅刻しちゃいますね。でも、彼女はすんごくニコニコ対応。しかも、なんと通訳が用意できなかったとかで、依頼してきたディレクターと一緒にすることになったのだが、それについても、神対応と言いたくなるほどに、我慢強く懇切丁寧に質問を汲み、ゆっくり噛み砕いて答える。いやはや、イリアスさんは菩薩でいらっしゃいました。
▶過去のエリック・ミヤシロ/ブルーノート東京・オールスターズ・ジャズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/?day=20100511
http://43142.diarynote.jp/?day=20110310
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110421
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/ ノー・ネーム・ホー^セズ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ ノー・ネーム・ホーセズ
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
▶過去の、イリアーヌ・イリアス
http://43142.diarynote.jp/200607041956350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150208
▶過去の、パット・メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406/
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
六本木・ビルボードライブと東京に移動。もう一つ見たのは、英国1980年代に活躍したニュー・ウェイヴ系妖艶ポップ・バンドのABC。トレヴァー・ホーンがプロデュースした1982年盤『ザ・レキシコン・オブ・ラヴ』は英国1位になり、当初から話題を呼んだグループという印象が残っている。そのゴージャズなイメージ作りもあって、なんかぼくにとってはニュー・ウェイヴ・バブルといった観も覚えさせるバンドか。フロントに立つマーティン・フライ(彼だけがオリジナル・メンバー)を、キーボード、テナー・サックス/フルート/キーボード、ギター、ベース、ドラムがサポート。ドラマー以外はスーツを着ている。彼らの腕はまっとうだった。
スーツをビシっと身につけたフライにはおおっ。結構禿げていて、往事の顔姿がばしっと思い出せない。でも、わりとちゃんとした身体つきで、禿げもマイマスにならない感じでまとめる様には、おおきく正の感情を抱く。メンバーともども、どこか英国人的というもやもやが伝わってきて、それもよろしい。
送り出される楽曲を聞いて感じたことは、やはり随所でソウル風味をやんわり応用していること。英国ニューウェイヴは1980年代の英国調ソウル・ポップ表現という面が強かったという認識を再度持つ。とともに、いくつかの曲はロキシー・ミュージック(2010年7月31日)の薄口簡素版と言う感じがあって、同勢におけるロキシー・ミュージックの存在の大きさを再確認したかも。
ある種の気取りとテンダーネスと……。スモーキー・ロビンソン讃歌曲「ホエン・ロビンソン・セズ」も披露。どってことないけど、なんかいい気持ちになれたショウでした。
今期はミッドタウンのスケート・リンクはやらたないのかなと思ったら、開いていた。
▶過去の、ロキシー・ミュージック
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
<今日の、感謝>
年があけていこう、何人かの訃報が届いている。ポール・ブレイ(1999年6月1日)というピアニストを知ることができたのは、僥倖なり。
▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
あたまの3曲は、イリアス抜き。うち、1曲は昨年秋のブルーノート・ジャズ・フェスティヴァルで共演した際にもやったパット・メセニーの1983年曲「ソング・フォー・ビルバオ」。実は、シカゴと横浜の2カ所でメセニーとオーケストララの共演を続けて聞いた人によると、ミヤシロ編のほうがずっと良かったそうだ。てな話は置いておいも、メセニーとの共演を済ませた後だと、同オーケストラにとって恐いモノはなし? やっぱり昨年秋の経験は強い糧となり、自信に跳ね返っているんじゃないのか。
その後は、本編最後の1曲を除き、イリアスはピアノ(曲によっては、歌も歌う)で全面的にオーケストラと重なる。想像した以上に、一緒にやる時間が長かった。イリアスは、やはり指使いが達者。いいな。今、彼女は歌を中央に置くしっとり傾向アルバムを作る方向にあるのだが、もう一度鍵盤裁きを主に据える作品を作ってほしい。そういえば、昔インタヴューしたさい渡辺貞夫さんが、最初にブラジル(サンパウロ)に行ったとき、ジャズ・ピアノの天才少女だと彼女のことを紹介されたと言っていたな。うれしい運指に触れながら、そんなことも思い出した。
一つはブラジリアン曲メドレーを華やかにやり、アンコール曲もひねりの効いたアレンジが施された「イパネマの娘」。他は、彼女のオリジナルをやったのか? ジャズという様式の寛容な好奇心と溶解方策があり、音楽家間の敬意ある出会いとやりとりがあり……。いい、プログラムだったと思う。
ところで、イライアスの気さくな様を見ていて、大きくうなずいた。ぼくは、なんか気の強そうな人と思っていたが、それは昨年の2月にインタヴューしたとき、おおきくくつがえされたのだった。こんなに気がよくて寛容な人、そうはいない。事の顛末は以下のとおり、
彼女のインタヴューを急に依頼されたが、その日の夕方はすでに取材仕事を入れていた。だが、場所はビクターとブルーノート東京とタクれば5分で済むところだったので、間に1時間の余裕を持ってイリアーヌの取材を入れた。ところが、最初の取材のほうが、ぼくの前のインタビュアーが大幅に遅刻した関係で1時間おし。急いで移動しても、イリアスの取材には遅刻しちゃいますね。でも、彼女はすんごくニコニコ対応。しかも、なんと通訳が用意できなかったとかで、依頼してきたディレクターと一緒にすることになったのだが、それについても、神対応と言いたくなるほどに、我慢強く懇切丁寧に質問を汲み、ゆっくり噛み砕いて答える。いやはや、イリアスさんは菩薩でいらっしゃいました。
▶過去のエリック・ミヤシロ/ブルーノート東京・オールスターズ・ジャズ・オーケストラ
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六本木・ビルボードライブと東京に移動。もう一つ見たのは、英国1980年代に活躍したニュー・ウェイヴ系妖艶ポップ・バンドのABC。トレヴァー・ホーンがプロデュースした1982年盤『ザ・レキシコン・オブ・ラヴ』は英国1位になり、当初から話題を呼んだグループという印象が残っている。そのゴージャズなイメージ作りもあって、なんかぼくにとってはニュー・ウェイヴ・バブルといった観も覚えさせるバンドか。フロントに立つマーティン・フライ(彼だけがオリジナル・メンバー)を、キーボード、テナー・サックス/フルート/キーボード、ギター、ベース、ドラムがサポート。ドラマー以外はスーツを着ている。彼らの腕はまっとうだった。
スーツをビシっと身につけたフライにはおおっ。結構禿げていて、往事の顔姿がばしっと思い出せない。でも、わりとちゃんとした身体つきで、禿げもマイマスにならない感じでまとめる様には、おおきく正の感情を抱く。メンバーともども、どこか英国人的というもやもやが伝わってきて、それもよろしい。
送り出される楽曲を聞いて感じたことは、やはり随所でソウル風味をやんわり応用していること。英国ニューウェイヴは1980年代の英国調ソウル・ポップ表現という面が強かったという認識を再度持つ。とともに、いくつかの曲はロキシー・ミュージック(2010年7月31日)の薄口簡素版と言う感じがあって、同勢におけるロキシー・ミュージックの存在の大きさを再確認したかも。
ある種の気取りとテンダーネスと……。スモーキー・ロビンソン讃歌曲「ホエン・ロビンソン・セズ」も披露。どってことないけど、なんかいい気持ちになれたショウでした。
今期はミッドタウンのスケート・リンクはやらたないのかなと思ったら、開いていた。
▶過去の、ロキシー・ミュージック
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<今日の、感謝>
年があけていこう、何人かの訃報が届いている。ポール・ブレイ(1999年6月1日)というピアニストを知ることができたのは、僥倖なり。
▶過去の、ポール・ブレイ
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