ジェイムス・チャンス
2016年1月24日 音楽 NYアンダーグラウンド・シーンの妙なる素敵を1980年代前半に伝えたチャンス(2005年7月16日、2010年5月19日)の5年強ぶりの来日公演は、南青山・ブルーノート東京。最終日のファースト・ショウを見たら、後追いと思われる年齢層の客が主であった。ヴォーカル/アルト・サックス/鍵盤の本人に加え、トランペット、キター(彼のみ、アフリカ系。物腰に風情あり)、ベース、ドラムというバンドがつく。
ギターのトーマス・ドンカーはザ・コントーションズ(チャンスの初期/黄金期のバンド)に在籍し、ジョー・ボウイのディーファンクとも掛け持ちしていたトーマス・ドンカー。彼はプーさん(1999年11月3日(2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日、2015年7月8日)が1980年代後期に組んでいた混沌ファンク・バンドのブギー・バンドのメンバーでもあったわけで……なんか、少し感無量。トエランペットのマック・ゴールホン(2014年1月25日、2014年1月28日)はハ—フ・ノート他からジャズ作をだすとともに、柔軟にNYのポップ/ダンス/ラテン録音にいろいろと関わっている人物。ドラムのリチャード・ドゥオーキンも1980年代頭のチャンス表現に関与していた。
今回、一応(ピアノが置いてある)ジャズ・クラブ公演ということで、それを考慮に入れたパフォーマンスを行なったのではないか? 実は初老のベース奏者はエレクトリックとアコースティック(頭の2曲とアンコールの、3曲)を弾き、オープナーはチャンスのスタンダードのピアノ弾き語り。バンド音がついた2曲目も「酒と薔薇の日々」をやはりピアノを弾きながら歌う。その際のピアノ演奏はイビツ、ではあるがキーボード演奏ほどはとっちらかっていない。また、過去の来日公演においては管奏者をバンドに入れることはなかったが、その編成(ゴールホンはビート・ナンバーでもけっこうカップを用いる演奏をしていた。あと、ほんの少し、チャンス調とも言えるひしゃげたキーボード演奏もした)もまたそう指摘できなくもない?
ベース奏者が電気ベースを手にする曲はこれまでのノリに近くなる。やはり、偉大な芸/回路あり。とくにJB調ビート(彼の曲のカヴァーもやった)・ミーツ・ラウンジ・リザースといった感じのものにはヒヒヒとなるとともに、チャンス表現は米国黒人音楽への耽溺をいかに白人として紐解き直すかという課題に臨んでいたのだと再確認させられもする。前回公演(2010年5月19日)のときに感じた、決着の着かないもどかしさのようなものはそれほど感じず。それは、例のタコ踊りもそうだが、エンターテインメントとして成り立つ感覚がデカかかったからだろうか。しかし、チャンスさん(1953年生まれです)の調子っ外れな歌は生理的に豪快であります。
▶過去の、ジェイムズ・チャンス
http://43142.diarynote.jp/200507200104370000/
http://43142.diarynote.jp/201005211249422393/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/ インタヴュー
▶過去の、マック・ゴールホン(ラリー・ハーロウ同行)
http://43142.diarynote.jp/201401271737069409/
http://43142.diarynote.jp/201401291105093975/
<今日の、もーろく>
ぼくの席のすぐ後に座っていたのは、同業長身のHさん。なんか合図を送られた気がして、振り向くもぜんぜん彼だと分らず。この前、中目黒の飲み屋で偶然一緒になり(そのときも、最初は気付かなかった)、和気あいあいハシゴもしているのに。。終演後、席を立ったさい、彼を認知。すみません。その後、受け付け階のバーでも一緒になったが、横にいた女性が奥さんだと、また認知できず。彼女とは別に、代官山でのある乱暴なパーティでこの前ぐうぜん会って言葉をかわしていたのにー。でも、それは彼女も気付かなかったので、まあ良しとしよう。———で、知り合いの方に連絡デス。どこかで出会ったときにぼくに無視されても、それは悪意からではなく、単なるボケでありますので、失礼御免。
ギターのトーマス・ドンカーはザ・コントーションズ(チャンスの初期/黄金期のバンド)に在籍し、ジョー・ボウイのディーファンクとも掛け持ちしていたトーマス・ドンカー。彼はプーさん(1999年11月3日(2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日、2015年7月8日)が1980年代後期に組んでいた混沌ファンク・バンドのブギー・バンドのメンバーでもあったわけで……なんか、少し感無量。トエランペットのマック・ゴールホン(2014年1月25日、2014年1月28日)はハ—フ・ノート他からジャズ作をだすとともに、柔軟にNYのポップ/ダンス/ラテン録音にいろいろと関わっている人物。ドラムのリチャード・ドゥオーキンも1980年代頭のチャンス表現に関与していた。
今回、一応(ピアノが置いてある)ジャズ・クラブ公演ということで、それを考慮に入れたパフォーマンスを行なったのではないか? 実は初老のベース奏者はエレクトリックとアコースティック(頭の2曲とアンコールの、3曲)を弾き、オープナーはチャンスのスタンダードのピアノ弾き語り。バンド音がついた2曲目も「酒と薔薇の日々」をやはりピアノを弾きながら歌う。その際のピアノ演奏はイビツ、ではあるがキーボード演奏ほどはとっちらかっていない。また、過去の来日公演においては管奏者をバンドに入れることはなかったが、その編成(ゴールホンはビート・ナンバーでもけっこうカップを用いる演奏をしていた。あと、ほんの少し、チャンス調とも言えるひしゃげたキーボード演奏もした)もまたそう指摘できなくもない?
ベース奏者が電気ベースを手にする曲はこれまでのノリに近くなる。やはり、偉大な芸/回路あり。とくにJB調ビート(彼の曲のカヴァーもやった)・ミーツ・ラウンジ・リザースといった感じのものにはヒヒヒとなるとともに、チャンス表現は米国黒人音楽への耽溺をいかに白人として紐解き直すかという課題に臨んでいたのだと再確認させられもする。前回公演(2010年5月19日)のときに感じた、決着の着かないもどかしさのようなものはそれほど感じず。それは、例のタコ踊りもそうだが、エンターテインメントとして成り立つ感覚がデカかかったからだろうか。しかし、チャンスさん(1953年生まれです)の調子っ外れな歌は生理的に豪快であります。
▶過去の、ジェイムズ・チャンス
http://43142.diarynote.jp/200507200104370000/
http://43142.diarynote.jp/201005211249422393/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/ インタヴュー
▶過去の、マック・ゴールホン(ラリー・ハーロウ同行)
http://43142.diarynote.jp/201401271737069409/
http://43142.diarynote.jp/201401291105093975/
<今日の、もーろく>
ぼくの席のすぐ後に座っていたのは、同業長身のHさん。なんか合図を送られた気がして、振り向くもぜんぜん彼だと分らず。この前、中目黒の飲み屋で偶然一緒になり(そのときも、最初は気付かなかった)、和気あいあいハシゴもしているのに。。終演後、席を立ったさい、彼を認知。すみません。その後、受け付け階のバーでも一緒になったが、横にいた女性が奥さんだと、また認知できず。彼女とは別に、代官山でのある乱暴なパーティでこの前ぐうぜん会って言葉をかわしていたのにー。でも、それは彼女も気付かなかったので、まあ良しとしよう。———で、知り合いの方に連絡デス。どこかで出会ったときにぼくに無視されても、それは悪意からではなく、単なるボケでありますので、失礼御免。