日本のジャズ・バンドのクオシモード(2管がトラで入っている)が颯爽と何曲か演奏したあとに、米国(1978年)生まれ/フランス育ちの黒人歌手のチャイナ・モーゼスが登場。彼女は今もっともエキサイティングなパフォーマンスを見せる名ジャズ歌手のディー・ディー・ブリッジウォーター(2003年5月1〜2日、2007年8月24日、2008年12月4日)の娘さん。ようは、過去ネオ・ソウル系のリーダー好作を3枚出ている跳ねっ返りシンガーですね。そんな彼女がジャズも歌うようになり(いまでも、ポップ路線も平行して追求)、フランスのブルーノートからダイナ・ワシントンへのトリビュート盤を今年リリース、そこではちゃんと苗字も名乗るようになった。ちなみに、モーゼスというのはブリッジウォーターの2番目の旦那さんだった故ギルバート・モーゼスのファミリー・ネーム。ギルバートはTV番組「ルーツ」他を作っている、映像監督ですね。

 最初は、ピアニストのラファエル・ルモニエとのデュオでパフォーマンス。実はジャズ傾向の新作のオリジナルのリーダー表記は彼との連名。ルモニエはフランス人ながら2年間NYに居住していたことがあって、そのときジャッキ・バイアードに師事していたという! その二人はカミーユ(2008年10月13日)のショウに関わった際に出会って意気投合。その延長で、まずはダイナ・ワシントンを扱うショウが作られ、その好評を受けてアルバム化もされたのだった。蛇足だが、ルモニエは8歳だったときのモーゼスの歌を聞いたことがあるという。なんでも、ディー・ディーのショウを見に行ったたら、まだ幼い彼女も出てきて歌ったのだととか。そのとき、ルモニエは18歳……。

 ともあれ、歌い始めたらびっくり。もう、そのフランクさや弾け具合がママ譲り。もう、それだけでグっと来ちゃう。とともに、うれしい人間性とスケール感を持つモーゼスの個体がばっちり伝わってきてホットになれちゃう。聞けば、まずはヒップホップ/ソウル/ロックの愛好者だが、子供のころから母のステージに触れ、よく家で母親の真似をしていたのだと言う。2曲目以降はピアニスト抜きのクオシモードが伴奏陣として加わる。とにかく、何を歌おうと、誰とやろうと、きっちり接する者の胸を打てるキャラ立ち逸材。彼女、7月上旬にはブルーノート東京、9月上旬には東京ジャズに出るため、また来日する。以上、代官山・ユニット、ブルーノート・レコードの設立70周年を祝うショーケース・ライヴの一コマ。

「ソウルを歌ったのは母と同じ年代に生まれてないからよね。彼女は50年代生まれで、私は78年生まれ。で、私が10代のころはMTVがはやっていて、ミュージック・ヴィデオが世にいっぱい出ていた時期。みんなヒップホップに憧れた時代で、だから、当時はMC(ラッパー)になりたかった。でも、私はそれが下手だった(笑い)。それで、歌を歌うようになったわけで、それは自然な流れよね。メアリー・J・ブライジがファーストを出しただときに、コレだっと思ったの。これこそが、私がまさしく目指していたことってね。でも、それを母に聞かせたら、キーが合ってない、これはわざと外して歌っているのと悪評たらたら(笑い)。でも、これはいいのと私は言い張っていた。でも、彼女もシンガーとして成長してキーも確かになって、母は今の彼女の歌を聞くといいねと言ってくれる」

「もちろん、今はフランス語のほうがしゃべれる。歌は両方で歌うわね。パスポートはアメリカのものを持っているわ。私はフランスが大好きで、フランスに帰属意識も感じるけど、アメリカに年に数回行き、飛行機から降りると、アメリカ人だなと実感しちゃうのよ。まだ、フランスの差別のほうがましとフランスに住むことを自ら選んだはずなのに。フランスの国民になるにはアメリカのパスポートを捨てなければならないわけで、なぜかそれはしたくない」