スガ・シカオ
2004年2月18日 新木場・スタジオコースト(ちゃんと、バーがある会場は
本当にうれしい)。スガ・シカオのライヴを見るのは2001月
2月18日の横浜アリーナ公演いらいだが、サポート・メンバ
ーは変わってないのかな。まず、バンド・サウンドの恰好良
さに唸る。もう、無条件に体が揺れちゃう。今回のツアーは
は“シングル・コレクション”という副題がついていて、デ
ビューしてからの16枚だかのシングル曲を全てやりますとい
う趣向のよう。いい曲、ソウル〜ファンクを巧みに日本人の
ものに消化した面白い曲を書いているナと感心。彼の歌声は
けっしてソウルフルではないと思うが、ぜんぜん違和感を覚
えずにニコニコ聞けてしまうのはそれゆえのことと再確認。
先の公演を見た感想として、MCだけがちょっとみたいなこ
とを書いているが、今回はMCもあまりせず、喋ったとして
も結構面白く、それについてもぜんぜん違和感を覚えず。ま
ったくもって、洋楽センスが素晴らしく活きた、日本人によ
る日本人のための娯楽音楽ショウであった。拍手!
メンバー紹介のところはハービー・ハンコックのライヴ盤
『V.S.O.P.』の死ぬほど格好良いエレクトリック・セットの
出だしを少し応用。でも、ハンコックたちは、キング・カー
ティスの『ライヴ・アット・フィルモア』(アリサ・フラン
クリンの前座演奏。本編のアリサの実演のほうもアトランテ
ィックからライヴ盤化され、名盤となっている)を例にして
それをやっているんだよね。
楽しみまくったなか、どうしてなのと思わずにはいられな
かったのは、スガがほとんど生ギターを弾きながら歌うこと
。あれ、純粋に音楽的な響きからそうしているのかな? ス
ライ&ザ・ファミリー・ストーンを捩ってシカオ&ザ・ファ
ミリー・シュガーなぞとずっと名乗ってツアーをやっている
彼。もし、そういうスタンスに倣うなら、スライ・ストーン
(ストラトキャスター)でもカーティス・メイフィールド(
テレキャスター)でもいいのだが、やっぱりエレクトリック
・ギターを持っていたほうが収まりはいいと思えるけど。だ
けど、彼は頑に(と、書きたくなるなあ)アコースティック
・ギターを手にする。ふーむ。それは、ファンク〜R&Bの
底無しの魅力にやられ、オマージュを抱きつつ、それに準じ
たポップ・ミュージックをやりつつも、最終のところでは自
分の領域に留まるのダという、彼の決意のようにもぼくには
思えたのだが。おいらの音楽の自負の象徴、それが彼が持つ
アコスティック・ギターなのだと、ぼくは高揚した頭のなか
で思わずにはいられなかった。
本当にうれしい)。スガ・シカオのライヴを見るのは2001月
2月18日の横浜アリーナ公演いらいだが、サポート・メンバ
ーは変わってないのかな。まず、バンド・サウンドの恰好良
さに唸る。もう、無条件に体が揺れちゃう。今回のツアーは
は“シングル・コレクション”という副題がついていて、デ
ビューしてからの16枚だかのシングル曲を全てやりますとい
う趣向のよう。いい曲、ソウル〜ファンクを巧みに日本人の
ものに消化した面白い曲を書いているナと感心。彼の歌声は
けっしてソウルフルではないと思うが、ぜんぜん違和感を覚
えずにニコニコ聞けてしまうのはそれゆえのことと再確認。
先の公演を見た感想として、MCだけがちょっとみたいなこ
とを書いているが、今回はMCもあまりせず、喋ったとして
も結構面白く、それについてもぜんぜん違和感を覚えず。ま
ったくもって、洋楽センスが素晴らしく活きた、日本人によ
る日本人のための娯楽音楽ショウであった。拍手!
メンバー紹介のところはハービー・ハンコックのライヴ盤
『V.S.O.P.』の死ぬほど格好良いエレクトリック・セットの
出だしを少し応用。でも、ハンコックたちは、キング・カー
ティスの『ライヴ・アット・フィルモア』(アリサ・フラン
クリンの前座演奏。本編のアリサの実演のほうもアトランテ
ィックからライヴ盤化され、名盤となっている)を例にして
それをやっているんだよね。
楽しみまくったなか、どうしてなのと思わずにはいられな
かったのは、スガがほとんど生ギターを弾きながら歌うこと
。あれ、純粋に音楽的な響きからそうしているのかな? ス
ライ&ザ・ファミリー・ストーンを捩ってシカオ&ザ・ファ
ミリー・シュガーなぞとずっと名乗ってツアーをやっている
彼。もし、そういうスタンスに倣うなら、スライ・ストーン
(ストラトキャスター)でもカーティス・メイフィールド(
テレキャスター)でもいいのだが、やっぱりエレクトリック
・ギターを持っていたほうが収まりはいいと思えるけど。だ
けど、彼は頑に(と、書きたくなるなあ)アコースティック
・ギターを手にする。ふーむ。それは、ファンク〜R&Bの
底無しの魅力にやられ、オマージュを抱きつつ、それに準じ
たポップ・ミュージックをやりつつも、最終のところでは自
分の領域に留まるのダという、彼の決意のようにもぼくには
思えたのだが。おいらの音楽の自負の象徴、それが彼が持つ
アコスティック・ギターなのだと、ぼくは高揚した頭のなか
で思わずにはいられなかった。