The Hitomi Band

2019年6月24日 音楽
 音楽通訳/翻訳者(グアム育ち)として長年お世話になっており、ここ10年ほどはジャズ・シンガーの活動も続けている渡瀬ひとみ(2009年9月19日)の初アルバム『another star』(ワイピーエム)リリース記念ライヴを、新宿・Jで見る。

 彼女は現在ワーキング・バンドを持っていて、それはピアノの川畑淳、ギターの堀江洋賀、ベース(1曲のみエレクトリックを弾く)の日下部史貴、ドラムの金井塚秀洋という面々。それは、地道に活動してきた末に自然発生的にできたもののようで、その確かなユナイトの様に触れると、日々の真摯な音楽活動のご褒美だねと言いたくなるか。当然、レコーディングもその面々できっちり行われていており、またアルバムの3曲でチェロを弾いていた富樫亜紀もこの日3分2で加わる。

 2部にわたり、アルバム収録曲+アルファを、渡瀬は悠々披露する。自己グループでのライヴの他にも、呼ばれていろんなクラブに出ているのは聞いていたが、正々堂々。場数重ねてきているんだなあと思う。当初はジャズ・スタンダードを歌っていたはずだが、それが一回りし、もともと好きだったR&B曲も歌うようになり、さらにスペイン語曲やフランス語曲も加えるなど、視点を広げた私のジャズ・ヴォーカル表現を固定したバンドとともに結晶させている。レディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日、2016年8月21日)の「クリープ」のレゲエ調ヴァージョンも披露。おれ、このアレンジ好きだな。もちろん、アルバム(当然、その表題は取り上げているスティーヴィー・ワンダー〜2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日〜の曲から来ていますね。2005年11月3日の項で触れているの彼への取材の通訳は、渡瀬だったはず)にも入っている。

 アンコールは、エタ・ジェイムズのそれがよく知られる「アット・ラスト」。ダブル・ベースとチェロの弓弾きから始まり、ジェイムズのヴァージョンに沿った流れのもと、彼女はしっとりと歌う。まさに、これまでのシンガーの歩みを肯定的に反芻するかのよう。その様に、やはり言葉/歌詞は重要とも思わされるし、言語に堪能な彼女はアドヴァンテージを持っていると思った。当然、歌詞カードを見ることもなかった。

▶︎過去の、渡瀬ひとみ
https://43142.diarynote.jp/200909271552434083/
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/


<今日の、浦島太郎>
 タモリが役員を務めるという、このジャズ箱に初めて行く。飲食代、良心的。ステージの背後表記によれば、1978年いらいあるようだ。Jの最寄駅の新宿御苑駅に降りるのはいつ以来だろう? 新宿厚生年金会館にも一番近い駅でもあったが、そこで公演がある際にはけっこう車で行っていたし、マジ久しぶりだ。一番最初にこの駅に降りたのは、高校生にはいったころ。ディスクロードという外盤屋に行くためで、のちに246沿いの渋谷店が出来た時(店舗もずっと広かった)はうれしかった。そういえば、この近くには楽器屋があったりもし、弦とかを買い求めたこともあったか。実演を見た後の帰りは、新宿三丁目駅まで歩いたが、なんと厚生年金会館の跡地は家電量販店の社屋になっていた。いろんな部分で、かつての印象と異なっていてなかなかに戸惑う。新宿ピットインの近くまで来ると、わりと見慣れた風景が急に広がった。