丸の内・コットンクラブで、ブラジル人シンガーのショウを見る。1日ワン・ショウの出し物で、当人の完全ギター弾き語りによる。彼女が手にしていたギターはかつてジョイス(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日、2014年7月15日、2015年8月3日、2017年9月8日、2018年10月5日)が手にし、この前のスワミ・Jr. (2013年7月10日、2018年10月6日)も弾いていたボディが空洞になっているガット・ギターだった。何気にこの手のギターはブラジル人に人気がありますね。そこに、ブラジル人の鷹揚な好奇心旺盛さを見る?
トム・ジョビンに可愛がられ(彼について語るMCも興味深かった)て世に出たシンガーと言っていいのか。先日会ったブラジル音楽通によれば彼女の近作はかなり宗教色の強い歌を歌っているということだが、人懐こく英語でMCをしながら進めるショウは、「ウェイヴ」、「ウッパ・ネギーニョ」、「トリステーザ」などブラジル有名曲をいろいろとくりだすもの。ある意味、これは求められているものを知っているプロのパフォーマンスだと思った。有名曲の場合、彼女は観客にも優しく歌うことを求めるのだが、ちゃんとポルトガル語歌詞を覚えている人もいるのだよなー。スタンダードの「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は1番をポルトガル語で歌い、2番を英語で歌った。
▶過去の、ジョイス・モレーノ
http://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
http://43142.diarynote.jp/201208201259398163/
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
http://43142.diarynote.jp/201407161154441780/
http://43142.diarynote.jp/201508091203108498/
http://43142.diarynote.jp/201608291403509244/
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
https://43142.diarynote.jp/201810090956533250/
▶︎過去の、スワミ・ジュニオール
http://43142.diarynote.jp/201307121511031149/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
<今日も、いろいろ>
午後3時から、歌と親指ピアノのサカキ・マンゴー(2008/09/12、2011年10月2日、2012年1月28日、2013年8月27日)の取材をする。6年ぶりの新作『ビンテクライベイベー』(Yokabanna、2019)リリースに際してのもの。故郷の鹿児島に住むようになった彼はよりエレクトロ効果を介するとともに、同地の廃材利用の三味線であるゴッタンを音作りに用いるようにもなり、より地に足をつけつつ今の外の世界に羽ばたくようになっている。素の彼はまっすぐな薩摩隼人という感じで、気持ちの良い言葉のやりとりを楽しめた。
▶︎過去の、サカキ・マンゴー
https://43142.diarynote.jp/200809160031546361/
https://43142.diarynote.jp/201110091256254404/
https://43142.diarynote.jp/201202071445258085/
https://43142.diarynote.jp/201309021132512714/
そして、その後は来日中のフランスのパンク/メロディック・ハードコア・バンドであるベア・ティースを率いるグレッグと会う。北部のリース生まれで、そこに居住。彼はそのバンドで曲を作りギターを弾き、歌っている。歌詞は英語だ。彼の知人からぼくのメール・アドレスを聞き連絡を取ってきたのだが、なんかその文面からナイス・ガイな感じがにじみ出ていて、14日の渋谷での彼らのライヴには予定満載で行けなかったが、迷うことなく明日日本を発つ彼に会うことにした。お酒好き? と聞いたらニコリうなづくので、16時代から居酒屋に行く。両腕にどばあーっとある刺青が見えなければ、メガネをして紳士的でもある彼はパンク・ロッカーには見えない。来日は6度目で、右腕と左足にある刺青は日本で彫ったと言っていた。ベア・ティースとしては2度目の来日で、台湾ツアーを経て、日本にやってきたとのこと。昨年は中国のスタジアムで持たれたでかいパンク・フェスにも出ているという。そんな彼は普段はITの会社に勤めており、2歳の娘がいるそう。そして、本業やバンド活動の傍ら、彼は<DISTROLUTION>というインディーズ・バンドを対象としたインターナショナル展開を助けるサーヴィスを構築していて、そのあたりはさすがITの人か。そんな彼が大好きなバンドは、バッド・リリジョン。また、クラッシュ(どんどん音楽性が広がっていたところに魅了を感じるそう)やヘンリー・ロリンズの話にもなり、ぼくがジョー・ストラマー(2000年1月17日、2001年11月2日)やロリンズにインタヴューしたことを告げると目を輝かせる。そんな彼からはベア・ティースの『First The Town Then The World』と彼ら含む『Bridging Oceans 4Punk Band-4Nations』というコンピ盤をいただく。現在、こういう音を聞かなくなっているが、全然いやじゃない。後者には、日本のバンドのShamesの曲群も収められている。
▶︎グレッグのベア・ティース、そして<DISTROLUTION>
https://bareteethmusic.bandcamp.com
https://www.distrolution.com
▶︎過去の、ジョー・ストラマー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
https://43142.diarynote.jp/200706162323290000/ 映画
その後に、アナ・カランのショウを見に行ったわけだが、タヌキ顔(失礼)の彼女はけっこう昔とそんなに変わっていないと思えた。たとえば、彼女の顔がアップのジャケットの『Sunflower Time』(Mercury,1996年)のそれと……。実はサンパウロとロンドンの二箇所で録音された同作は日本制作による1枚。そして、それを企画遂行したのは、日本フォノグラムの社員A&Rであった故 柳田一彦さんだった。彼女のパフォーマンスに触れながら、彼のことを思い出してしんみりしちゃった。そうか、もうすぐ彼が亡くなって20年もたつのか。柳田さん、ぼくはあなたのことしっかり心に留めていますよ。
▶︎過去の、柳田さんの死に触れた文
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/julylive.htm 2日
トム・ジョビンに可愛がられ(彼について語るMCも興味深かった)て世に出たシンガーと言っていいのか。先日会ったブラジル音楽通によれば彼女の近作はかなり宗教色の強い歌を歌っているということだが、人懐こく英語でMCをしながら進めるショウは、「ウェイヴ」、「ウッパ・ネギーニョ」、「トリステーザ」などブラジル有名曲をいろいろとくりだすもの。ある意味、これは求められているものを知っているプロのパフォーマンスだと思った。有名曲の場合、彼女は観客にも優しく歌うことを求めるのだが、ちゃんとポルトガル語歌詞を覚えている人もいるのだよなー。スタンダードの「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は1番をポルトガル語で歌い、2番を英語で歌った。
▶過去の、ジョイス・モレーノ
http://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
http://43142.diarynote.jp/201208201259398163/
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
http://43142.diarynote.jp/201407161154441780/
http://43142.diarynote.jp/201508091203108498/
http://43142.diarynote.jp/201608291403509244/
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
https://43142.diarynote.jp/201810090956533250/
▶︎過去の、スワミ・ジュニオール
http://43142.diarynote.jp/201307121511031149/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
<今日も、いろいろ>
午後3時から、歌と親指ピアノのサカキ・マンゴー(2008/09/12、2011年10月2日、2012年1月28日、2013年8月27日)の取材をする。6年ぶりの新作『ビンテクライベイベー』(Yokabanna、2019)リリースに際してのもの。故郷の鹿児島に住むようになった彼はよりエレクトロ効果を介するとともに、同地の廃材利用の三味線であるゴッタンを音作りに用いるようにもなり、より地に足をつけつつ今の外の世界に羽ばたくようになっている。素の彼はまっすぐな薩摩隼人という感じで、気持ちの良い言葉のやりとりを楽しめた。
▶︎過去の、サカキ・マンゴー
https://43142.diarynote.jp/200809160031546361/
https://43142.diarynote.jp/201110091256254404/
https://43142.diarynote.jp/201202071445258085/
https://43142.diarynote.jp/201309021132512714/
そして、その後は来日中のフランスのパンク/メロディック・ハードコア・バンドであるベア・ティースを率いるグレッグと会う。北部のリース生まれで、そこに居住。彼はそのバンドで曲を作りギターを弾き、歌っている。歌詞は英語だ。彼の知人からぼくのメール・アドレスを聞き連絡を取ってきたのだが、なんかその文面からナイス・ガイな感じがにじみ出ていて、14日の渋谷での彼らのライヴには予定満載で行けなかったが、迷うことなく明日日本を発つ彼に会うことにした。お酒好き? と聞いたらニコリうなづくので、16時代から居酒屋に行く。両腕にどばあーっとある刺青が見えなければ、メガネをして紳士的でもある彼はパンク・ロッカーには見えない。来日は6度目で、右腕と左足にある刺青は日本で彫ったと言っていた。ベア・ティースとしては2度目の来日で、台湾ツアーを経て、日本にやってきたとのこと。昨年は中国のスタジアムで持たれたでかいパンク・フェスにも出ているという。そんな彼は普段はITの会社に勤めており、2歳の娘がいるそう。そして、本業やバンド活動の傍ら、彼は<DISTROLUTION>というインディーズ・バンドを対象としたインターナショナル展開を助けるサーヴィスを構築していて、そのあたりはさすがITの人か。そんな彼が大好きなバンドは、バッド・リリジョン。また、クラッシュ(どんどん音楽性が広がっていたところに魅了を感じるそう)やヘンリー・ロリンズの話にもなり、ぼくがジョー・ストラマー(2000年1月17日、2001年11月2日)やロリンズにインタヴューしたことを告げると目を輝かせる。そんな彼からはベア・ティースの『First The Town Then The World』と彼ら含む『Bridging Oceans 4Punk Band-4Nations』というコンピ盤をいただく。現在、こういう音を聞かなくなっているが、全然いやじゃない。後者には、日本のバンドのShamesの曲群も収められている。
▶︎グレッグのベア・ティース、そして<DISTROLUTION>
https://bareteethmusic.bandcamp.com
https://www.distrolution.com
▶︎過去の、ジョー・ストラマー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
https://43142.diarynote.jp/200706162323290000/ 映画
その後に、アナ・カランのショウを見に行ったわけだが、タヌキ顔(失礼)の彼女はけっこう昔とそんなに変わっていないと思えた。たとえば、彼女の顔がアップのジャケットの『Sunflower Time』(Mercury,1996年)のそれと……。実はサンパウロとロンドンの二箇所で録音された同作は日本制作による1枚。そして、それを企画遂行したのは、日本フォノグラムの社員A&Rであった故 柳田一彦さんだった。彼女のパフォーマンスに触れながら、彼のことを思い出してしんみりしちゃった。そうか、もうすぐ彼が亡くなって20年もたつのか。柳田さん、ぼくはあなたのことしっかり心に留めていますよ。
▶︎過去の、柳田さんの死に触れた文
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/julylive.htm 2日