シャイ・マエストロ・トリオ。セルジオ・メンデス
2018年11月12日 音楽 NYに住んで8年たつ1987年イスラエル人ピアニストであるシャイ・マエストロ(2012年3月12日、2016年1月4日、2016年6月11日、2016年6月11日、2017年9月3日、2017年9月6日)のトリオ公演を、南青山・ブルーノート東京で見る。彼の5作目となる新作『ザ・ドリーム・シーフ』はECMと契約してのもの。本人もそれは素直にうれしいとのこと。アルバムではおなじみのホルヘ・ローデル(2011年7月20日、2016年6月11日、2017年2月1日、2017年9月3日、2017年9月6日)とイスラエル人後輩のオフリ・ネヘミアがついていたが、今回の来日公演はノーム・ウィーゼンバーグ(ベース)とアーサー・ナーテク(2014年9月26日)がつく。やはりイスラエル出身であるノーム・ウィーゼンバーグのクインテット編成によるデビュー作『Roads Diverge』(BJU、2018 年)はマエストロが参加しており、スイス出身でNYのザ・ニュー・スクール大学卒のアーサー・ナーテクはエリック・トラファズ(2001年10 月26日)やティグラン・ハマシアン(2014年9月26日、2018年9月1日)のアルバムに名前が見られる。
彼のショウの常で、ピアノ・ソロから始まる。まず、指さばきや出音のありかたを直裁に聞き手に知らせ、その後すうっと徐々にリズム・セクションが入り、トリオ表現の魔法が開かれていく。もうその作法はとてつもなく細心な作業なんだけど、MCはリチャード・ボナ的なフレンドリーさも感じさせられもして、その落差も魅力的。そういえば、今回は口笛を吹く曲もあったな。兎にも角にも、現代ジャズ・ピアノ表現の至高、その最たる一つ。アンコールは一人で出てきて、ソロにて演奏。あれ、スタンダードをやったはずだが、その後に延々と飲んでしまい、もう忘れている、、、、。あ、「ムーン・リヴァー」だったはず。終演後、マエストロとやはりいいメロディだねと話したはずだから。
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
https://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
▶︎過去の、ホルヘ・ローデル
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
▶︎過去の、アーサー・ナーテク
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
▶過去の、ティグラン・ハマシアン
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
▶︎過去の、エリック・トラファズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
その後は、六本木・ビルボードライブ東京へ向かう。出演者は、セルジオ・メンデス(2003年9月2日、2005年8月9日、2006年9月29日、2008年2月7日、2012年5月1日、2015年5月27日、2016年9月4日)。キーボードと歌の当人、 長年の伴侶でもある歌のグラシーナ・レポラス、歌のケイティー・ハンプトン(*。けっこう綺麗だった)、ラップのH2O(*)、キーボードとリードと歌のスコット・メイヨ(*。1曲前にでてきて、ハンプトンと一緒に歌ったが何気に上手)、ギターの クレベール・ホルヘ 、ベースのアンドレ・デ・サンタナ ドラムのレオナード・コスタ、打楽器のギビという面々による。ほぼ不動の面々によるもの(ミュージシャン名の後にある*は米国人)。また、当然のごとく、1960年代に一世を風靡したポップ・ボサノヴァ路線と2006年『タイムレス』以降のモダン・ビートかけあわせ路線の折衷とも言える演目にも変化はないのだが、きっちり聞かせる。
実は、東京ジャズの2016年出演者の“裏ベスト”と思えたのが、メンデスたちのパフォーマンス。音楽的な親しみやすさ、エンターテインメントを見据えた振る舞いの確かさで、彼らはきっちりと大会場における出演者であることをまっとう。ぼくは、さすが一時代も二時代も築いた大御所は持っているモノが違うとおおいにうなずいたのだった。そして、その与える感慨はこの規模の会場でもまったく同様だ。
今回、彼らのパフォーマンスを近くで受けながら再認識したのは、彼らが米国同業者に与えた影響の大きさ。1966年の「マシュケナダ」から1970年代前半にかけて、彼らは米国マーケットを見据えたブラジル音楽下敷き洗練ビート・ポップのヒット・シングルを次々にA&Mから送り出した。とくに、1968年は2つのトップ10内曲を送り出すなどし、彼らの表現はラジオでかかりまくった。それにより、ブラジル/ボサノヴァの魔法に気付かされた担い手は少なくなかったはずで、アリサ・フランクリン、アース・ウィンド&ファイア(2006年1月19日、2012年5月17 日)、スティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)らが時折見せる魅力的な同テイストはセルジオ・メンデスが何よりの影響源であったとぼくは確信している。
▶過去の、セルジオ・メンデス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20050809
http://43142.diarynote.jp/200610020643550000/
http://43142.diarynote.jp/200802101517380000/
http://43142.diarynote.jp/201205080621274204/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
https://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/
https://43142.diarynote.jp/201609201835285184/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
<2日前の土曜は、おおいそがし>
13時から明治神宮前のユニバーサル・ミュージックの新社屋で、シャイ・マエストロに取材した。おお、つぶらな瞳の、ハンサムくん。本当にいい感じのナイス・ガイで、誠心誠意答えてくれる。実はそのインタヴューのあとに、ぼくが企画するイヴェントが14時半からあったので、もし聞きたいことを聞けたら早めにおえようともほのかに思っていたのだが、こっちも次から次へと聞きたいことが出てきて、与えられた時間たっぷり質疑してしまう。けっこうピアノ・ソロにも思い入れがありそうな彼だが、実はECMとディールを結んださい、当初ソロで録る話もあったのだそう。また、彼の表現がより門外漢に両手を開くようなノリを持つようになっているようにも思えたのだが、それには肯定。そのうち、ジャズ・ジャパン誌に記事がでるでしょう。なお、彼は独身。もともと自然があるところで育ったので、結婚し子供が生まれたらNYに住みつづけないかもというようなことも言っていた。
その後、急いで四谷いーぐるに行って、「追悼アレサ・フランクリン」に臨む。10分前についたら開場が遅れていて、入場を待つお客さんが列になっていて驚く。前座でアリサのYouTube音がいかにいい音になるかをKORG新製品を用いて実践してくれたオノ セイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日、2016年7月26日、2017年5月7日、2018年6月7日)、本編でさすがの選曲とお話をしてくれた鈴木啓志、鷲巣功、高地明のご三方、おつかれさまでした。ミュージック・マガジン誌のアリサ追悼特集で、彼女の『ヘイ・ナウ・ヘイ』(1973年)のアルバム紹介を書いてそんなに悪くない〜いや意外によいという所感を得たのだが、そこから選曲した人はいなかった。一番人気は、フィルモア・ウェストだった。彼女はニューオーリンズのピアニストのジェイムズ・ブッカー曲を確か複数取り上げているのだが、それはどういうところからであったか? ドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)が参加している曲もあったけど、その疑問を投げるのを忘れてしまったな。ともあれ、満場のお客さんたち、ありがとうございました。一軒おいて、旧友佐俣勲がやっている四谷三丁目のソウル・バー“ディープ”にも皆んなで行けたし、よかった良かった。
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201206110945571082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130130
http://43142.diarynote.jp/201404251643448230/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140728
http://43142.diarynote.jp/201409261635077130/
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160522
http://43142.diarynote.jp/201608020801362894/
http://43142.diarynote.jp/201705081232023349/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180607
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
彼のショウの常で、ピアノ・ソロから始まる。まず、指さばきや出音のありかたを直裁に聞き手に知らせ、その後すうっと徐々にリズム・セクションが入り、トリオ表現の魔法が開かれていく。もうその作法はとてつもなく細心な作業なんだけど、MCはリチャード・ボナ的なフレンドリーさも感じさせられもして、その落差も魅力的。そういえば、今回は口笛を吹く曲もあったな。兎にも角にも、現代ジャズ・ピアノ表現の至高、その最たる一つ。アンコールは一人で出てきて、ソロにて演奏。あれ、スタンダードをやったはずだが、その後に延々と飲んでしまい、もう忘れている、、、、。あ、「ムーン・リヴァー」だったはず。終演後、マエストロとやはりいいメロディだねと話したはずだから。
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
https://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
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▶︎過去の、ホルヘ・ローデル
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▶︎過去の、アーサー・ナーテク
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
▶過去の、ティグラン・ハマシアン
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▶︎過去の、エリック・トラファズ
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その後は、六本木・ビルボードライブ東京へ向かう。出演者は、セルジオ・メンデス(2003年9月2日、2005年8月9日、2006年9月29日、2008年2月7日、2012年5月1日、2015年5月27日、2016年9月4日)。キーボードと歌の当人、 長年の伴侶でもある歌のグラシーナ・レポラス、歌のケイティー・ハンプトン(*。けっこう綺麗だった)、ラップのH2O(*)、キーボードとリードと歌のスコット・メイヨ(*。1曲前にでてきて、ハンプトンと一緒に歌ったが何気に上手)、ギターの クレベール・ホルヘ 、ベースのアンドレ・デ・サンタナ ドラムのレオナード・コスタ、打楽器のギビという面々による。ほぼ不動の面々によるもの(ミュージシャン名の後にある*は米国人)。また、当然のごとく、1960年代に一世を風靡したポップ・ボサノヴァ路線と2006年『タイムレス』以降のモダン・ビートかけあわせ路線の折衷とも言える演目にも変化はないのだが、きっちり聞かせる。
実は、東京ジャズの2016年出演者の“裏ベスト”と思えたのが、メンデスたちのパフォーマンス。音楽的な親しみやすさ、エンターテインメントを見据えた振る舞いの確かさで、彼らはきっちりと大会場における出演者であることをまっとう。ぼくは、さすが一時代も二時代も築いた大御所は持っているモノが違うとおおいにうなずいたのだった。そして、その与える感慨はこの規模の会場でもまったく同様だ。
今回、彼らのパフォーマンスを近くで受けながら再認識したのは、彼らが米国同業者に与えた影響の大きさ。1966年の「マシュケナダ」から1970年代前半にかけて、彼らは米国マーケットを見据えたブラジル音楽下敷き洗練ビート・ポップのヒット・シングルを次々にA&Mから送り出した。とくに、1968年は2つのトップ10内曲を送り出すなどし、彼らの表現はラジオでかかりまくった。それにより、ブラジル/ボサノヴァの魔法に気付かされた担い手は少なくなかったはずで、アリサ・フランクリン、アース・ウィンド&ファイア(2006年1月19日、2012年5月17 日)、スティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)らが時折見せる魅力的な同テイストはセルジオ・メンデスが何よりの影響源であったとぼくは確信している。
▶過去の、セルジオ・メンデス
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http://43142.diarynote.jp/200610020643550000/
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▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
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▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
<2日前の土曜は、おおいそがし>
13時から明治神宮前のユニバーサル・ミュージックの新社屋で、シャイ・マエストロに取材した。おお、つぶらな瞳の、ハンサムくん。本当にいい感じのナイス・ガイで、誠心誠意答えてくれる。実はそのインタヴューのあとに、ぼくが企画するイヴェントが14時半からあったので、もし聞きたいことを聞けたら早めにおえようともほのかに思っていたのだが、こっちも次から次へと聞きたいことが出てきて、与えられた時間たっぷり質疑してしまう。けっこうピアノ・ソロにも思い入れがありそうな彼だが、実はECMとディールを結んださい、当初ソロで録る話もあったのだそう。また、彼の表現がより門外漢に両手を開くようなノリを持つようになっているようにも思えたのだが、それには肯定。そのうち、ジャズ・ジャパン誌に記事がでるでしょう。なお、彼は独身。もともと自然があるところで育ったので、結婚し子供が生まれたらNYに住みつづけないかもというようなことも言っていた。
その後、急いで四谷いーぐるに行って、「追悼アレサ・フランクリン」に臨む。10分前についたら開場が遅れていて、入場を待つお客さんが列になっていて驚く。前座でアリサのYouTube音がいかにいい音になるかをKORG新製品を用いて実践してくれたオノ セイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日、2016年7月26日、2017年5月7日、2018年6月7日)、本編でさすがの選曲とお話をしてくれた鈴木啓志、鷲巣功、高地明のご三方、おつかれさまでした。ミュージック・マガジン誌のアリサ追悼特集で、彼女の『ヘイ・ナウ・ヘイ』(1973年)のアルバム紹介を書いてそんなに悪くない〜いや意外によいという所感を得たのだが、そこから選曲した人はいなかった。一番人気は、フィルモア・ウェストだった。彼女はニューオーリンズのピアニストのジェイムズ・ブッカー曲を確か複数取り上げているのだが、それはどういうところからであったか? ドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)が参加している曲もあったけど、その疑問を投げるのを忘れてしまったな。ともあれ、満場のお客さんたち、ありがとうございました。一軒おいて、旧友佐俣勲がやっている四谷三丁目のソウル・バー“ディープ”にも皆んなで行けたし、よかった良かった。
▶過去の、オノセイゲン
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▶過去の、ドクター・ジョン
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http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/