ポール・マッカートニー
2018年10月31日 音楽 ポール・マッカートニーを見るのはいつ以来だろう。大麻持ち込み(下っ端に頼らず、自ら堂々したのは偉いといえばえらい)でパクられてずっと日本には入れなかったところ特別に入国禁止が解けて実現した1990年ごろの公演だったか。東京ドームであったのはちゃんと覚えているのだが。それ以上に鮮明に覚えているのはザ・ビートルズの曲をいろいろやってくれて、一緒にうろ覚えの歌詞をがなりまくったこと。いやー、すんげえ楽しかったァという記憶しか残っていない。そのとき以来の、マッカトニーの実演享受なり。
東京ドーム。ここに来るのももう久しぶり。野球にほとんど興味がないし、アンチ東京ジャイアンツでもあるので、たぶんエアロスミス(2011年11月30日)いらいか。スティングをその楽屋(にあてられていた場所。バックグラウンド・コーラスのジャニス・ペンダーヴィスが鷹揚に下着に近い格好で歩き回っていたっけ)でインタヴューしたのはよく覚えていて、それが1988年秋だったので、ドームはできてもう30年もたつのか。そっかー。壁に直書きされた宣伝看板はダサいが、メインテナンスがちゃんとなされているのか、そんなに古くは感じないよなー。以下、今回のマッカートニー公演の記憶に残っていることをざっと箇条書きに。
*場内がまだ明るいうちに、ザ・ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のじゃーんという残響音が流れて始まる。オープナーは、「ア・ハード・デイズ・ナイト」。披露された半数以上が、ザ・ビートルズ曲だった。
*1階スタンドの悪くない位置から見たが、ドームはやはり広い。もう、マッカートニーは米粒。けっこう左右の縦長のヴィジョンを見るときのほうが多かったか。ヴィジョンに映る彼は、近年の写真とかを見てもう相当なちゃんじいという印象をもっていたが、なかなか若々しく見えた。ヴィジョン上では−10歳でも通る。それ、元気そうなステージ上振る舞いから得る印象も加味されたか。
*彼の格好は白いシャツとジーンズというカジュアルなもの。今シャツは外に出す人が多数と思うが、マッカートニーはパンツのなかに入れ律儀にベルトもしているあたりに世代を感じたか。でも、お腹ぽっこりもなく、別に変でもない。
*MCに日本語を入れるなど、日本人に向けてのサーヴィスはかなりする。少し、それが臭いと書くと、怒るファンもいるだろうけど。また左右ヴィジョンの下に、MCの翻訳が出る場合もあった。アンコールで再登場時には、ハロウィーン用の仮面を被り、デカい日章旗を持って彼は登場した。
*ショウはベースを弾きなが歌うブロック、エレクトリック・ギターを持ち歌うブロック、グランド・ピアノを弾きなら歌うブロック、生ギターを弾きながら歌うブロック(前身ザ・クォーリーメン曲もやった。「ブラック・バード」は単独で)、電気キーボードを弾きながら歌うブロックという順に進んでいく。で、途中からはもっと頻繁に持つ楽器が変わったという感じか。ウクレレを持って歌ったのは、ジョージ・ハリソン追悼での「サムシング」。ソロ初期のウクレレ使用曲「ラム・オン」を聞きたかったなー。
*新作『エジプト・ステーション』からはやるのは1曲ぐらいかなと思っていたら、確か3曲やった。
*バンドは弦楽器系奏者2名、キーボード、ドラム。コーラスをとるときもあり、皆ちゃんとしている。また、曲によってはトロンボーン、トランペット、テナー・サックスの三管が入る場合ものあり。その管セクションは、最初フィールド内中央客席通路に出て来てきて吹いた。
*ギター奏者が、スライド・バーを使う曲がいくつも。そこに、マッカートニーのロック(・ロール)観が出ていたような。
*マッカートニーが弾いた電気ギターは派手な模様のボディのレスポール型のやつ。それを見ながら、倒産してしまい今どっかの支援で再興することが発表されているギブソン社をいっぱい稼いでいる彼が買っちゃえばいいのにと思った。マネージメント、レコード会社、スタジオ、音楽配信会社、レストランその他、いろんなことを音楽とともにやるミュージシャンは少なくないが、きっちり楽器メイカーを持っている人というのは聞かないような? どうだろ? エンドーサーとなることで満足してしまうのだろうか?
*ステージ美術は規模がでかく入場料が高い割には、それほど立派ではないと最初のほうは思っていた。だが、途中からレーザーを飛ばしたりもし、熟考しているんだろうなと思う。映画007提供曲「リヴ・アンド・レット・ダイ」での火をバンバン打ち上げるのはすごい。また「ヘルター・スケルター」の際のグラフィック処理映像にはイイなと頷く。一方、昔の写真をヴィジョンに出す場合もあったが、それはなしでもいいのでははいか。なんか回顧趣味みたいのが出て来ちゃう。黄金のエヴァーグリーン曲を作り、それを現在、おいら今の歌として歌い、観客と共有している、でいいじゃないか。
*アンコールを含めて、きっちり2時間半やる。元気だなあ。プロ。声はちゃんと出ていて、ヘロったりもしない。おおいに、感心。実は彼、水を飲むということをしなったんじゃないかな。一緒に行った人たちと、それは話題にあがった。とにもかくにも、すごい76歳なり。
*前の席がぽっかり空き(それは所々に見られた。チケットは購入したものの、これない無念の方達が相当比率でいたはずだ)、通路の横だったので、前に立つ人がいてもちゃんと座って万全にステージを見ることができたのはよかった。まあ感激で苦痛にならないのだろうが、ずっと立ちっぱなしの歳をめした方々を見て、体力あるなーと思わずにはいられず。
*途中で喉がどーにも乾き、ビールのお代わりを買いに行ったが、20時10分ですでに売店のシャターが降りていた。なぜ? 野球のときはそんなことないでしょ?
▶︎過去の、エアロスミス
http://43142.diarynote.jp/201112041056176581/
<今日の、いろいろな落差>
昨日早朝から今日の夕方まで、泊まりがけで母親のお供を粛々とこなす。ハラをくくって親孝行。夕方東京駅につき、その後にドーム。まず、それまでとの環境の隔たりを覚えていたら、その後にもっと感じてしまう。公演後、後楽園敷地内でおやじィな中華飲食。そして、JRで帰路につき、代々木で山手線に乗り換えたら、車内の客層が全然違う。23時なのにはハロウィーンの仮装をしている若年層が目につき、23時なのに、彼女たちはぼくと同様に渋谷で降りる。渋谷のホームには逆に帰宅するだろう仮装の若者がたくさん。盛り上がっているんだなー。さて、ぼくはこのまま素直に帰宅したでしょうか? それとも、渋谷の光の中にきえたのでしょうか?
東京ドーム。ここに来るのももう久しぶり。野球にほとんど興味がないし、アンチ東京ジャイアンツでもあるので、たぶんエアロスミス(2011年11月30日)いらいか。スティングをその楽屋(にあてられていた場所。バックグラウンド・コーラスのジャニス・ペンダーヴィスが鷹揚に下着に近い格好で歩き回っていたっけ)でインタヴューしたのはよく覚えていて、それが1988年秋だったので、ドームはできてもう30年もたつのか。そっかー。壁に直書きされた宣伝看板はダサいが、メインテナンスがちゃんとなされているのか、そんなに古くは感じないよなー。以下、今回のマッカートニー公演の記憶に残っていることをざっと箇条書きに。
*場内がまだ明るいうちに、ザ・ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のじゃーんという残響音が流れて始まる。オープナーは、「ア・ハード・デイズ・ナイト」。披露された半数以上が、ザ・ビートルズ曲だった。
*1階スタンドの悪くない位置から見たが、ドームはやはり広い。もう、マッカートニーは米粒。けっこう左右の縦長のヴィジョンを見るときのほうが多かったか。ヴィジョンに映る彼は、近年の写真とかを見てもう相当なちゃんじいという印象をもっていたが、なかなか若々しく見えた。ヴィジョン上では−10歳でも通る。それ、元気そうなステージ上振る舞いから得る印象も加味されたか。
*彼の格好は白いシャツとジーンズというカジュアルなもの。今シャツは外に出す人が多数と思うが、マッカートニーはパンツのなかに入れ律儀にベルトもしているあたりに世代を感じたか。でも、お腹ぽっこりもなく、別に変でもない。
*MCに日本語を入れるなど、日本人に向けてのサーヴィスはかなりする。少し、それが臭いと書くと、怒るファンもいるだろうけど。また左右ヴィジョンの下に、MCの翻訳が出る場合もあった。アンコールで再登場時には、ハロウィーン用の仮面を被り、デカい日章旗を持って彼は登場した。
*ショウはベースを弾きなが歌うブロック、エレクトリック・ギターを持ち歌うブロック、グランド・ピアノを弾きなら歌うブロック、生ギターを弾きながら歌うブロック(前身ザ・クォーリーメン曲もやった。「ブラック・バード」は単独で)、電気キーボードを弾きながら歌うブロックという順に進んでいく。で、途中からはもっと頻繁に持つ楽器が変わったという感じか。ウクレレを持って歌ったのは、ジョージ・ハリソン追悼での「サムシング」。ソロ初期のウクレレ使用曲「ラム・オン」を聞きたかったなー。
*新作『エジプト・ステーション』からはやるのは1曲ぐらいかなと思っていたら、確か3曲やった。
*バンドは弦楽器系奏者2名、キーボード、ドラム。コーラスをとるときもあり、皆ちゃんとしている。また、曲によってはトロンボーン、トランペット、テナー・サックスの三管が入る場合ものあり。その管セクションは、最初フィールド内中央客席通路に出て来てきて吹いた。
*ギター奏者が、スライド・バーを使う曲がいくつも。そこに、マッカートニーのロック(・ロール)観が出ていたような。
*マッカートニーが弾いた電気ギターは派手な模様のボディのレスポール型のやつ。それを見ながら、倒産してしまい今どっかの支援で再興することが発表されているギブソン社をいっぱい稼いでいる彼が買っちゃえばいいのにと思った。マネージメント、レコード会社、スタジオ、音楽配信会社、レストランその他、いろんなことを音楽とともにやるミュージシャンは少なくないが、きっちり楽器メイカーを持っている人というのは聞かないような? どうだろ? エンドーサーとなることで満足してしまうのだろうか?
*ステージ美術は規模がでかく入場料が高い割には、それほど立派ではないと最初のほうは思っていた。だが、途中からレーザーを飛ばしたりもし、熟考しているんだろうなと思う。映画007提供曲「リヴ・アンド・レット・ダイ」での火をバンバン打ち上げるのはすごい。また「ヘルター・スケルター」の際のグラフィック処理映像にはイイなと頷く。一方、昔の写真をヴィジョンに出す場合もあったが、それはなしでもいいのでははいか。なんか回顧趣味みたいのが出て来ちゃう。黄金のエヴァーグリーン曲を作り、それを現在、おいら今の歌として歌い、観客と共有している、でいいじゃないか。
*アンコールを含めて、きっちり2時間半やる。元気だなあ。プロ。声はちゃんと出ていて、ヘロったりもしない。おおいに、感心。実は彼、水を飲むということをしなったんじゃないかな。一緒に行った人たちと、それは話題にあがった。とにもかくにも、すごい76歳なり。
*前の席がぽっかり空き(それは所々に見られた。チケットは購入したものの、これない無念の方達が相当比率でいたはずだ)、通路の横だったので、前に立つ人がいてもちゃんと座って万全にステージを見ることができたのはよかった。まあ感激で苦痛にならないのだろうが、ずっと立ちっぱなしの歳をめした方々を見て、体力あるなーと思わずにはいられず。
*途中で喉がどーにも乾き、ビールのお代わりを買いに行ったが、20時10分ですでに売店のシャターが降りていた。なぜ? 野球のときはそんなことないでしょ?
▶︎過去の、エアロスミス
http://43142.diarynote.jp/201112041056176581/
<今日の、いろいろな落差>
昨日早朝から今日の夕方まで、泊まりがけで母親のお供を粛々とこなす。ハラをくくって親孝行。夕方東京駅につき、その後にドーム。まず、それまでとの環境の隔たりを覚えていたら、その後にもっと感じてしまう。公演後、後楽園敷地内でおやじィな中華飲食。そして、JRで帰路につき、代々木で山手線に乗り換えたら、車内の客層が全然違う。23時なのにはハロウィーンの仮装をしている若年層が目につき、23時なのに、彼女たちはぼくと同様に渋谷で降りる。渋谷のホームには逆に帰宅するだろう仮装の若者がたくさん。盛り上がっているんだなー。さて、ぼくはこのまま素直に帰宅したでしょうか? それとも、渋谷の光の中にきえたのでしょうか?