南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)で、ボブ・マーリーをサポートしたザ・ウェイラーズの名を引き継ぐ、マーリー楽曲を再演するバンド(2004年9月18日)を見る。オリジナル・メンバーであるベーシストのアストン“ファミリー・マン”バレットを中心に、今回の編成はリーダーの彼に加えて、ギター、キーボード、ドラム、打楽器(ファミリー・マンの息子さんのよう)。面々が出て来て、軽くインスト演奏を噛ましただけで、おおうまい、手応えあるゾと深くうなづく。とくに、ベースとドラムはグっと来る。どーして、ジャマイカのプレイヤーには化け物が多いのだろう。

 そして、2曲目から、男性のシンガーと女性バックグラウンド・シンガーが出て来て、ボブ・マーリー曲を歌う。溌剌としたオヤジじゃない男性シンガーはなるほどマーリー曲を歌っても違和感のない声を持つ。若い女性歌手はルックスがかなり魅力的。事前のメンバー発表においては女性歌手の名はのせられておらず、きっと女性コーラスがいないのを少し残念に思うんだろうナとぼくは思っていた(やはり、ボブ・マーリー表現において、女性コーラスの貢献度は高い)ので、彼女の同行はとてもうれしかった。

 「イズ・ディス・ラヴ」、「スティア・アップ」、「ゲット・アップ・スタンド・アップ」、「スリー・リトル・バーズ」、「ジャミン」、「ワン・ラヴ」など、お馴染みの曲を連発。「アイ・ショット・ザ・シェリフ」のような曲もやったが、基本的にはユニヴァーサルな内容の曲を選んでいたとも言えるのかな。なんにせよ、それらはザ・ビートルズ曲のように一緒に口ずさむと、望外の感慨を得るものなのは疑いがない。今非レゲエ勢から一番カヴァーされるマーリー曲といっても過言ではない「リデンプション・ソング」もやって、それはアンコールの1曲目。オリジナル同様に、シンガーのドゥエイン“ダングリン”アングリンが生ギター弾き語りで披露した。
 
 その後は、恵比寿・リキッドルームに。こちらは、ジャイルズ・ピーターソン(1999年5月21日、2002年11月7日、2004年1月16日、2008年9月18日、2012年9月13日)の名を掲げた、今様ジャジー表現をはじめいろんな音楽を好奇心旺盛に並べようとする毎年やっているイヴェントだ。

 会場入りすると、U.F.O.にいた松浦俊夫(2011年4月6日)が作った新ユニットであるHEXの演奏がちょうど始まる。ステージ上にはキーボードの佐野観、ピアノの伊藤志宏(2013年4月19日)、電気/縦ベースの小泉P克人(2010年5月9日、2011年10月8日)、ドラムのみどりん(2007年5月6日、2009年6月12日、2010年6月11日、2011年1月30日、2011年5月21日、2011年6月23日、2012年3月3日、2012年9月9日)の4人。1曲を除いてプリセット音に合わせるように彼らは演奏、なるほどその下敷き機械音は松浦俊夫の手によるもので、全体のディレクションも彼がやっているのかと、推測させる。純生音でやった曲はエゴ・ラッピン(2004年2月5日、2005年7月31日、2005年8月17日、2006年12月13日、2006年11 月17日、2006年11月17日、2009年8月8日、2010年8月4日、2011年5月21日)の中納良恵(2009年11月1日)が加わっての、ヴォーカル曲。アルバムの録音はZAK(2006年7月7日、2012年6月30日)が担当しているという。

 イヴェントの司会進行役は会場側面に持たれたDJブースでジャイルズ・ピーターソンがフレンドリーにこなす。そして、その横で元ガリアーノ〜トゥ・バンクス・オブ・フォー(2004年1月16日、2008年5月9日)のロブ・ギャラガー(旧名ロブ・ガリアーノ)が!K7からアール・ジンガー名義で出していたノリを継ぐようなソロのパフォーマンスをちょい見せたりも。なんか、インテリ無頼漢的なそれは、UKビーニクを標榜している、などとも書きたくなる?

 続く、演奏ステージ出演者は、ヒップホップ時代のソウル・ミュージックをいろいろ送り出す西海岸ストーン・スロウから2作品出している白人3人組のザ・ステップキッズ。シック他の有名フレーズをインサートしたりもしつつ(また、亡くなって間もないルー・リードの「ワイルドサイドを歩け」のベース・ラインも入れた)、メロウだったりポップだったりするソウル傾向表現を愛想良く送り出す。なんか、ちゃらいザ・レイ・マン・スリー(2010年5月25日)なんて感じもあったかな。ときに、ディスコなフリをギター奏者とベース奏者はつけたりもする。なるほどの担い手ながら、少しスカスカに聞こえて、こういうタイプの音楽を3人で実演(少し、プリセット音も併用していたけど)するのは難しいよナと再認識もさせた。

 その後、実演陣がみんな出て来て(全11人)に、ホレス・シルヴァーの「ザ・トウキョウ・ブルース」を和気あいあいとやる。リード・ヴォーカルを中納とギャラガーがとる。もともと好曲だが、中納が真っすぐに歌えばどんな曲だって天下無敵……なんて、思いも得た。ジャパニーズ・ピープル・ラヴ・ミュージック、なんて一節もある歌詞は。ディー・ディー・ブリッジウォーター(2003年5月1〜2日、2007年8月24日、2008年12月4日、2009年11月27日)の1995年ヴァーヴ発のシルヴァー曲集と同じものだったのかな?

<今日の、赤いお酒>
 “ワールドワイド・ショウケース2013”はサントリーが協賛していて、サントリーが扱っているカンパリを全面に出していたが、そのメインの飲み方として推奨サーヴしていたのがカンパリ・モヒート。ミントやライムを入れるのに時間がかかって、バーは終始列ができていた。実は、ぼくはこの10月30日まで、カンパリを飲んだことがなかった。甘いお酒は苦手だから。だが、その日に行ったバーでカンパリの話になぜかなり、ライム絞りのロックを提供され、アリだと思ったばかり。それゆえ、リキッドルームでも、それを頼んでゴクゴク飲む。白ワインのカンパリ割りというのも、悪くないらしいが、それは今後の宿題? その後2軒ながれたが、たらたら移動するには、このぐらいの気候がいいかなと、思えたりもするナ。渋谷には変装人種はおらず、大騒ぎな昨日がハロウィーン“トリ”の日だったのだと了解。明日から3連休で、勤め人は足取りが軽そう? ところで、12月の各金曜日に、田園都市線と東横線が渋谷始発の下り列車を25時すぎまで試験的に運行させることを、東急電鉄が本日発表。渋谷界隈の飲食店経営者はよっしゃーって、感じらしい。でも、師走のそんな時間の電車なんか、酔っぱらいばかりで電鉄会社の人や警備会社の人(最近、それが多い)はとっても大変だろーなー。長くも深い飲酒歴を誇るが、陶酔醜態をさらしたことが、ぼくはないんではないか。今後、じじいになりいろんなものに弱くなっても、それだけは死守したい。それ、酒飲みの矜持、なり。

 1980年代後期以降のUKロックのギザギザや扇情性のあり方を提示/引導し続けて来た人気バンド(2000年2月11日、2002年11月16日、2005年7月31日、2009年1月28日、2011年8月12日)の来日公演は、すっかり王道のロックンロール・バンドじゃという印象を引き出すものだった。ヴォーカル、ギター2(一人は、バリー・ギャドガン)、キーボード、ベース(女性らしい)、ドラム、テナー・サックスという、充実した編成、なり。きっちり楽器音が噛み合う絡むサウンドのもと、ボビー・ギレスピーのロック的に解き放たれたヴォーカルがのり、それらはデカい、キラキラした像を結ぶ。別に新しさはないが、胸騒ぎ感のあるロックとして必要なものを揃えているよなと、頷いた。少なくてもライヴにおいてはあっと驚く伸びしろはなくなっているのかもしれないが、そのかわり骨太さや存在感の大きさは増し、ストーンズの実演に触れて楽しくも高揚するように、今の彼らにも同様な感興を得るのは確か。プライマルのほうがずっと生身の感覚があるし、小さい場で見れるしね。女性だけでなく、男性からもボビーというかけ声がとぶ、ギレスピー(赤色系スーツが似合っていた)さんではあるが、彼の声の調子も良かったような。面々、某所で朝4時ごろまでヴェルヴェッツの曲をやるなどお遊びバンド演奏を楽しんだようだが。新木場・スタジオコースト。会場近くにはダフ屋が出ていたが、2階席はしめられていた。

<今日の、ビルボード>
 スタジオコーストの外壁には海外のそれを思い出させる、出演者を知らせるでっかい告知案内板がしつらえてある。このヴァニューができたときからだよな? いまだにその絵を公演に来た記念に撮っているいる人は散見されますね。で、今日それをまじまじ見たんだが、ここのビルボードはやはりけっこう大きく、高い位置に設置されていて、イヴェント/出演者ごとに文字を組むのはそれなりに大変だろうと思った。とくに、雨天とか風のある日には。
 オマケとして、ビルボードがジャケット・カヴァーに載せられたアルバムを列挙しようと思ったが、、、あれええ、全然思い出せない。
●サラ・ヴォーン『アフター・アワーズ・アット・ザ・ロンドン・ハウス』(ヴァーヴ、1959年)
●エルトン・ジョン『ピアニストを撃つな』(DJM、1973年)
●メイズ・フィーチャリング・フランキー・ビヴァリー『ライヴ・イン・ニューオーリンズ』(キャピトル、1981年)
●コートニ−・パイン『アナザー・ストーリー』(マーキュリー、1998年)
えっとォ、あとはあ、、、。

 NYの視点と技アリの若手ロック・バンドを、恵比寿・リキッドルームで見る。ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、ヴァイオリン、チェロという編成(サポートのメンバー含)で、それは前回公演(2011年4月22日)と同じだが、少し顔ぶれには変化があるらしい。チェロ奏者とドラマーを除いては、曲によってはキーボードなど他の楽器を手にするときもある。あと、そんなに喋らないが、ヴォーカル君の日本語発言のイントネーションは確か。いっぽう、ラ・ラ・ライオットの ラ は全部Rなので、日本人がちゃんと呼ぶのは難しい。

 受けた基本的な印象は前回来日時と同じだが、曲調は今回けっこう親しみやすいとも思ったりも。今年出た、3作目となる新作『Beta Love』(Barsuk)の曲群がそういう印象を引き出す弾けた仕上がりだったこともあるか。彼らの曲って、聞いていて曲名が分るものが多かったりするんだよな。そうした決して負ではない要素も関係しているのか否か、彼らのパフォーマンスに接していて、どこか一本調子な印象を受けると今回思いもしたのだが、どのようなものか。ポップ・ミュージックって、難しい。だが、下に書いてあることも多少影響はしているが、ラ・ラ・ライオットについて、<才気に満ちた、誉れの現代ポップ・ロック・バンド>という、ぼくの信頼は変わらない。

<1年半前の、彼ら>
 ラ・ラ・ライオットは暗い日々にさした、一条の光なのである。と、書いてもそれほど誇張であるとは思わないなあ。彼らは3.11震災後の1ヶ月11日目に東京公演を行った。若さ一杯に、アイデアと音楽をやることについての希望をこれでもかと散りばめながら、彼らはパフォーマンスを繰り広げた。その時期、ロック系公演の多くがまだキャンセルとなっていたが、そんななか持たれた、屈託のないその公演はダークななかで彷徨っていたぼくに希望をもたらした。音楽っていいな、音楽好きで良かったと、も思えた。なんか、言葉を超えたものを彼らから受けたとも思えた。その恩のようなものは忘れない。それにしても、怒り、怯え、焦燥しまくりの、あの時期。人間忘れなきゃ、平常心でなきゃ生きていけないが、いろんなヤバさは改められてはいない。嗚呼。。。。。
 変わったバンド名を冠する在LAの変テコ4人組であるが、いくら聞いても、やっぱり変だよなあ。構成員はみんな中米か南米の属性を持っている人たちで、彼らが抱える因子をいろいろと応用した妄想系ミクスチャー・ロックをやっているのだが、この書き方では彼らのやっていることの半分ぐらいしか説明できていないかなー。あと、ヴィンテージなキーボード音を用いることに顕われているように、レトロなほんわか感も介する部分もあり、ときにメロディはオールディーズなそれを盛り込む。そして、曲(インスト曲も少なくない)はどこかぎくしゃくした構成を持ち、ヴォーカルのテイストも過激なところは何もないのに生理的に素っ頓狂……。

 モーション・ブルー・ヨコハマ。日本先行リリースとなるセカンド作『サイクルズ・オブ・エグジステンシャル・ライム』をひっさげての、日本ツアーの初日。リード・ヴォーカル兼キーボード/ギター奏者(一応、リーダー格となるのかな)、黙々と弾くギタリスト(新作ジャケットで一番大きく映っているスキンへッド君。彼のみ、後から入った)、ときにはっとさせるフレイズを弾くベース奏者(1曲歌ったら、うまかった)、いろんなリズムを叩くドラマー、そんな4人で事に当たる。皆、水色のシャツ、黒の蝶ネクタイ、ベージュのスラックスを着用。しかし、日本の最初のパフォーマンスがここだと、その造型の立派さに驚くだろうな。彼らもこの日のトゥイッターで、“ザ・スーパー・ヴェニュー”と記していた。

 で、アルバムでの何だこりゃは、ライヴ・パフォーマンスにおいても同様。基本ほんわかしているのに、曲の構成やつなぎや決めはけっこうブっとんでいる。面々、下手じゃないのは明らかだが、気分としてうまいんだかそうじゃないんだかよく分らない感じのなあなあ感覚に満ち、いろんな中南米語彙とロック的バンド音とオタクっぽいポップネスをミキサーにかけ、なんか珍妙な歌ものせて……。いやあ、こんなバンド、ぼくは他に知らない〜。

 だが、生だとやはり音盤だけでは分らないところも分る。その新作1曲目はギターがちょいフランク・ザッパ的と感じさせる部分(『ホット・ラッツ』をチカーノ化したような……)を持つが、ライヴ・ヴァージョンだとそれがより濃く出て、おまえらザッパも好きなのかと思わされる。イビツな曲構成や妙な決めの作り方もそこから来ている? で、スペイン語歌謡調曲をやると場内は湧くのだが、彼らの根にあるエキゾ音楽語彙にしろ、他のポップ要素にしろ、その取り込み方はDJ感覚に近いとも感じさせられたか。彼らは、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」のインスト・ヴァージョンや断片的にサンタナの「ジプシー・クイーン」の発展部リフを引用するところもあった。ザ・アイズリー・ブラザーズ曲もやったな。

<今日の、バットマン>
 開演前に、いい感じのキャラを持つ面々に、楽屋でインタヴュー。全員、初来日。面白いのは、皆ブラジル音楽に興味を持っていると言っていたこと。彼らはスペイン語圏の血を引く人たちでそのバイリンガルだが、ブラジル音楽が好きだとポルトガル語でも歌ってみたくなるとも、言っていた。新作のアフロ・ビート語彙引用曲「ウェンズデイ・モーニング」の頭の方はポルトガル語で歌ってもいる。ちなみに、バンド名にある”バットマン”はアメリカの娯楽の象徴を意味するとか。

 TOKYO BOOT UP!は2010年(2010年9月3日、参照)から始まった、日本人ポップ・ミュージック系アーティストが集う音楽見本市。かつてのNYのCMJミュージック・マラソンや、現オースティンのサウスバイ・サウス・ウェストの東京版を目指すものと、言えるだろう。そのプリイヴェントを見たことはあった(2011年6月17日、2011年7月7日)ものの、本編を見るのは今年が初。この金、土、日と3日間の開催で、新宿を会場とする。MARZ(天井が高く。3会場の中では一番立派)、MOTION、MARBLE(異臭は気になったが、飲み物が安い。ジャック・ダニエルのロックを頼んだら、300円だった)と、同じ道の並びに隣接する3つのライヴ・ハウスが会場となる。そこに、次々にバンドが出て、その数は3日間で80組。

 各ライヴ・ハウスの入り口(そこから地下への階段を下りたり、5階にエレヴェイターで登ったりはするが)は徒歩20秒圏内にあるので、そりゃ頻繁に会場を行き来するようになる。ショーケースのライヴゆえ、各出演者のパフォーマンス時間は25分。3時半すぎから4時間近くの間に、ぼくは8組のアクトを見た。エラソーに上から目線で見るのはやめようと思って接したんだけど、成功を夢見る若いバンド群を見て、ぼくはちょっと甘酸っぱい気持ちになった。

 審査を経ての出演ではあるのだろうが、それら出演者は総じてちゃんとしている。かつて、ぼくは日本と海外のポップ・ミュージック勢の違いは喉力の差が一番大きいと感じていたが。みんな歌も良く聞こえる。ぼくは歌詞はどうでもいいと思う人間だが(2013年9月28日、参照)、耳に入ってくる言葉(8組は皆、日本語で歌っていた)にハっとできた瞬間はなかった。←って、普段もそうないか。なんか、自分に酔ったかゆい内容なら、意味のないおちゃらけた歌詞のほうがぼくはずっといいな。

 それから、みんな真摯。ちゃんと自分たちのことをアピールしたいという気持ちは伝わるし、TOKYO BOOT UP!への謝辞を表明する人たちも多かった。暴れたり、服ぬいだりとか、破綻を持ってこようとする出演者も皆無。って、そういうノリの担い手はこういう催しには参加しないのか。それとも、そういう時代ではない? 8組中7組が女性メンバーがいて、女性のバンド参画比率高し。ま、スポーツより、性差なく男女が渡り合える分野ではあるのだろう。

 スポーツと言えば、ぼくは彼らに接していて、Jリーグ/サッカー界との無謀な比較をしてしまっていた。当然、音楽だけで食べている人はいないだろうし、今回の出演者でちゃんと名をなす人が出てくるかどうかは分らない。大多数は、そのうち別の道を歩むようになるに違いない。だが、彼らは、これこそ自分たちの生きる道、最大の自己発揮の手段といった感じで、今はバンド活動に邁進している。自分の信じる音楽をやりたい、それが多くの人の耳に届けば……という、大志だけで。その様を見て、選手に対する報酬の低さやセカンド・キャリアに対するケアの薄さに言及されるサッカー選手たちは恵まれているのかもとも、ふと思った。選手キャリアの短さはあるが、サッカーのほうがそれとつながる職は得やすいかもしれない。それに、長友や香川らを生んでいるサッカーのほうが現実的な夢があるだろう。ここに出ている人はJ2どころかJFLより下の地域リーグでやっているようなもの。だが、彼らはなんの保証も得ることもなしに、ヤリタイコトハヤリタイ、と、音楽に邁進する。でも、それが、ポップ・ミュージックというものなのだ。だから、我々のものであり、自由でもいられる。

 僕が見たバンド群は、TOKYO BOOT UP!出演者のほん一部(よくまとめられているブックレットを見ると、本当にいろんなタイプのバンドがいるようだ)。そして、TOKYO BOOT UP!に出た人たちも、世にいるバンドのあまりにほんの一部。あちこちにライヴ・ハウスはあり、いろんなバンドが毎晩いくつかのバンドとともにやっている。マジ、知らないバンドが山ほど存在する。CDが売れないと、ずっと音楽産業の不振が叫ばれ続けているが、はたしてそうだろうか、なんても、ぼくは会場で思ってしまった。明日を求めて、自らの存在をかけて、音楽活動をしている担い手は本当に数多。CDが売れてもロクな音楽しかないのと、売れなくても続々と創意を抱えた担い手が控えているのと、どっちがいいだろう? ぼくは、ほんのちょっとの間にいくつかのバンドに触れて、なんか捨てたモンじゃないぞという心持ちを得た。

 以下、ぼくが見たバンドの簡単な感想だ。
▶toitoitoi
 ときに鍵盤を弾きながら歌う女性と男性ギタリストのデュオだそうだが、この日はベース、ドラム、打楽器奏者もサポート。歌声の精気と切実さ、多大。
▶ELECTRIC LUNCH
 響きに留意した、まっとうな今様ギター・バンド。リズム・セクションが女性だった。
▶Merpeoples
 おそろいの格好をしていた、女性バンド。見ていて、楽しい。採用する曲は普段洋楽を聞いているぼくからは少し離れた所にあると感じさせたが、それゆえ外からは個性的と受け取られる可能性もありそうで、海外需要はぼくがこの日見たバンドのなかでは一番ありそうとも感じる。
▶strange world’s end
 骨太な、男性3人組。出音が大きかった。真っすぐなのはいいんだけど、採用する曲がぼくにとってはフォーク調と感じさせるタイプで、ちょい趣味外。
▶星屑オーケストラ
 ベースが女性の、4人組ギター・バンド。ぼくがこの日に見た中で一番プロっぽいと思わせる質量感/安心感のようなものがあった。
▶Drop’s
 女性5人組バンド、ぼくが会場に入ったとき、シンガーがマラカスを持ちながら歌っていたのはR&B調のビート曲。その後、シンガーがギターを手にして歌ったじっとり目の曲はぼくの好みにあらず。
▶海月ひかり
 普段はキーボード弾き語りでやっているそうだが、この日はバックグラウンド・ヴォーカル、ギター、ドラムがついてのパフォーマンス。1曲やった弾き語りより、ぼくはサポート・メンバーがついたときのほうが好感を持てた。女性コーラスが効いていたし。自分の声や流儀を持っているが、それを“強弱”の“強”で出し過ぎと感じる。なんか、綾戸智絵(ぼくは、苦手です)のJ・ポップ版てなテイストあり。
▶軍艦オクトパス
 鍵盤を弾きながら歌う女性と、男性リズム・セクションの組み合わせのトリオ・バンド。主は女性だろうが、ベースとドラム(少しエコーを効かせ過ぎ?)の個性とワザあり具合におおいに耳をひかれる。最後の曲は、PE’Zがやっていてもおかしくなさそうと思った。

 その後、丸の内・コットンクラブへ。在NYブラジル人ギタリスト/シンガー(2013年5月26日)のアントニオ・カルロス・ジョビン曲を歌うという仕立てのソロ・パフォーマンス(セカンド・ショウ)に触れる。場内前方両側にマイクが立ててある。レコーディングしているのか。また、ナイロン弦ギターの音を拾うマイクも2つ設置。へえ。

 漂う感覚を持つ歌といろんな弾き方がなされるギター音が絡み合う簡素な音構成のショウだが、まるで飽きず。アンコールも含めて1時間のパフォーマンス時間だったが、もっとやってェという気分になった。淡々としたなかにある、振幅、積み重ね、技の膨大なこと。そんな彼は、譜面台なども置かず(なんか、譜面台置かれることに、ぼくは過剰に拒否感をいだくところがある)、本当に気ままな感じで、いろんなジョビン曲を鼻歌きぶんで、思うまま繰り出す。どうってことないのに、与える感興のデカさは相当なもん。ある種の魔法があった、とも書きたくなるか。

 そんな、経験と含蓄のカタマリのような彼も若い時分はロック・バンドをやっていた。そして、どんどん、自分やルーツを掘り下げ、可能性を追求し、住む所も変わり、現在はこんなシンプルなことをやるようにもなり、絶大な何かを与えている。TOKYO BOOT UP!出演者の人の中にも、こんな人が出てくるかなーと、ふと考えた。

<今日の、苦労>
 今年一個目の<年間ベスト・アルバム>選考依頼が来ていて、四苦八苦。毎年、そのつどそのつどメモを取って、年末のこの手の企画に備えようと思うんだが、残念なことに毎度できねえ。このブログは、CDはブツを引っぱり出せば追体験できるが、ライヴは2度と立ち合えないし、忘れちゃうから備忘録として書いておこうという気持ちが大で、1999年から書いている。なんだかんだ、よく続いているナ。ま、小野島大さんの当時張り切っていたブログの一コーナーとして書かないと頼まれたのが、発端だが。やはり、他者の手を介したり、他人の目に触れるとなると、一筆書き原稿(2000字1時間はかけまい、というペースか。誤字脱字や単語の重なりなど、後から気付き、直すのは日常茶飯事)でOKと思ってはいるものの、ちゃんと書くよな。そういえば、ずっとここの原稿は1週間ぶんぐらいためてエイヤっと書いて、まとめてアップするのが常となっていたが、考えるところがあり、この1ヶ月は1回ごとにちゃんと翌日午前中にアップした。その裏には、いくら酔っていても、朝に帰っても、無理して寝る前にだだだだと見たライヴの所感を打つようにしたから、可能となったのだが。でも、やっぱしカラダに悪いような気もするし、これからどんどん寒くなるし、年末は忙しくもなるだろうし、“勤勉ブログ”は一過性のもので終わるような気がする……。ま、なりゆきなりゆき。

 キャラクターに富む英国、巧みのリード奏者(2000年5月30日、2001年3月12日、2003年10月31日、2004年9月26日、2012年12月17日)の公演は、前々作をフォロウする昨年公演(ちょい“怪”な行き方ながら、ぼくは大推奨)と一転して、とても聞き手に両手を広げた2012年新作『House of Legends』(Destin-E)を基に置くもの。ジャマイカン/カリビアン圏が生んだ財産を愛でる同作にはエディ“タンタン”ソーントン(2005年7月29日、2013年10月18日)やリコ・ロドリゲス(2010年3月24日)らもゲストで入っていた。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。

 スティール・パン、ギター2、エレクトリック・スタンダップ・ベース、ドラムというバンドとともにパインはパフォーマンス。うちキャメロン・ピエール(ギター)、ヴィダル・モンゴメリー(ベース)、ロバート・フォージョー(ドラム)は前回公演も同行している。赤い帽子やジャケットをまとう立派な体躯を持つスティール・パン奏者は2つパンを並べて演奏。

 乱暴に言ってしまえば、汎カリブな音楽性のもと、ソプラノ・サックスをおおらかに吹き倒す。バリトン・サックスからクラリネットまで様々なリード楽器を吹きこなすパインではあるが、そのなかでもテナー・サックスがメインの楽器であるとぼくは考えている。が、『House of Legends』ではソプラノ・サックス演奏に専念。うーぬ、個人的にソプラノの音色は好きじゃないんだが、軽やかなカリビアン調には軽いソプラノ・サックスの音色が似合うとパインは考えているのか。ま、じっさい楽しく、快楽性を抱えつつ、トロピカルななかにときどき冬の感覚を差し込んだような演奏は無理なく楽しめた。なるほど、コレはUKジャマイカンの出し物とも、無理なく思わせられたか。マーリーの「リデンプション・ソング」も延々とソロでインサート。例によって、客扱いも手慣れていて、客も笑顔。最後は、総立ち。約100分のショウ。

<今日の、不毛>
 ソプラノ・サックスとともに、2、3曲で、彼はアカイのウィンド・シンセサイザー(平たく言えば、サックスのシンセ)のEWIも吹く。もう、ぼくはEWIの音が大嫌い。あんなに不毛な楽器も珍しい、と思えるほどに。もう、サックス奏者の個性を徹底的に削ぎ、まぬけな音をピーヒャラ出させる、イラっとせずにはいられない穀潰しの楽器……。故マイケル・ブレッカー(2000年3月2日、2004年2月13日)も一部使っていたが、彼の演奏も駄目。もっと、軽い方の奏者だと、もう世も末という感じ。アカイという会社はサンプラーではポピュラー音楽界に多大な貢献をしているが、ことEWIに限っては、音楽を破壊している企業と言いたくなる。パインはMCでアカイからもらったとか言っていたが、只でもらったんだから申し訳ないのでEWIを少し使いますという人もいなくはないはずで……アカイのバカ。とはいえ、パインのEWI演奏はコドモというかかなり極端な使い方をしていて、奇麗キレイな音は出さず爆音傾向で攻めていて、少しマルではあったのだが。
 おおおお、まさか、77歳の名サザン・ソウル歌手の実演にふれることができるとは。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。熱心なファンが集まっていました。

 バンドはキーボード、ギター、ベース、ドラム。ちゃんとした腕を持つ彼らは皆アフリカ系。1曲前説的演奏をした後に、盲目のクラレンス・カーターは女性に手を引かれて出てくる。で、彼は全曲ギターを弾きながら歌うわけだが、アンプやコントローラーはマイク・スタンドの横に置かれている。それは、すぐに手を伸ばして、いじることができるから。って、そんなにツマミをいじっても変化があるとは思えなかったが。彼は指弾きとピック弾きを併用。ソロをとるときは、親指で弾いていた。とか、そんなことをちゃんと確認できただけでも、胸高鳴る。そんなカーターはカポをつけて、エレクトリック・ギターを演奏。1曲はカポを付ける位置を間違えて、彼のギター音だけ調子っ外れで、アヴァンギャルドな伴奏音になったときも。彼は悠然とその曲を終えました。

 鮮やかな薄緑色のステージ衣装に身を固めた彼は、とっても元気そう。しゃきっと立ち、デカい声で、「スリップ・アウェイ」や「ルッキング・フォー・ア・フォックス」など、代表曲を威風堂々披露していく。少し歌声の音程が甘くなっているところもあるのかもしれないが、いやあうれしい味と風格あり。誇張して書けば、聞く者を米国ディープ・サウスにつれていく、そんな力にあふれる。

 いやあ、リジェンダリーな人物の、代えのないいいものに触れさせていただきました。

<今日の、回顧>
 俺は5回結婚し、5回離婚している。なんて、ユーモラスなMCも風情あり。うち、1970年代初頭に結婚していたのは昨年初来日したキャンディ・ステイトン(2012年7月1日)ですね。そういえば、ロンドンよりかパリよりか、東京でのギターの音はサイコーなぞとも、おっしゃっていました。彼は1986年に来日しているようだが、とんと記憶になし。見ていないのかな? 1984年のジョン・リー・フッカーの来日公演はとっても記憶に残っているんだけどな。そのとき(は、まだ編集者をやっていて)、(役得で)写真を撮ったのだが、ステージ前に押し寄せて来た観客に押しつぶされそうになり、怖い思いをしたんだよなー。

 あれれ、2010年代に入ってからも見ているような気になっていたが、4年ぶりの来日となるのか(2002年6月18日、2003年11月18日、2003年11月22日、2008年5月7日、2009年5月15日)。バカみたいにイケてて存在感あるベーシストであるのに、インスト中心のパフォーマンスだった2003年の来日公演以外はベース奏者を別に同行させていた彼女だった(つまり、彼女はまずシンガーたらんとしていた)が、今回はベースを全曲弾く彼女に加え、キーボード、ギター、ドラムというカルテットでの演奏。ンデゲオチェロ表現にはおなじみのギターのクリス・ブルース以外の二人は、今回初めて同行する人たちか。が、ブルースはもちろん、そのジェビン・ブルーニにしてもアール・ハーヴィン(全部、レギュラー・グリップで叩く)にしても、ロック/アーバン系のアルバムに名が見られる人たち。ひょろっとした白人であるブルーニはボブ・ディラン作でもオルガンを弾いていたりする。4人という少ない編成はもしかして、池袋サンシャインシティのホールでやった彼女の初来日公演(1990年代なかば? そんなに小さくないホールに客は50人いるかどうか。その際はベーシストをまっとう)以来か。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。以下、気付いたことを列記する。

▶冷めた感じで話すものの、けっこう1曲ごとに彼女は曲紹介を中心とするMCをちゃんとする。これは、初めてのことではないか。▶今回の来日公演は、大阪と東京、2ショウの公演を1日づつ。そのせいもあり、ちゃんとした入り。いつもの、この会場のアフリカ系アメリカ人公演の反応からみれば、拍手はかなりおとなし目。だが、彼女を好きで皆じっくりきいているのが伝わったいるのだろう、ミシェル・ンデゲオチェロは機嫌良さそうに(横から見ていたので表情はよく分らなかったが、MCからぼくはそう感じた)、悠々とこなす。▶演奏時間は、約90分。彼女のショウは照明が毎度暗いが、今回は途中からそれなりに暗くはなかった。▶ぜんぶヴォーカル・ナンバーで、裏声で歌う場合が多い。1曲目は、ザ・ビートルズの「トモロウ・ネヴァー・ノウズ」。▶以下、2012年新作であるニーナ・シモン・トリビュ−ト盤収録曲を中心に披露。クローザーは、同作のオープナーで、ザ・アニマルズのヒットでも知られる「悲しき願い」。▶ニック・ドレイクの曲もやった? そう感じさせたところに、今回のショウが持つ質感が顕われる? 今回、ここのところ感じさせていた”電波(/ニュー・ウェイヴ・ロック)”度は低目。何曲かでクリス・ブルースはアコースティック・ギターを弾いていた。▶しかし、やはりエレクトリック・ベースの音が良い。フレイジングも良し。電気ベーシスト単体として、もっともイケてる一人と言うしかないな。▶バンドも腕の立つ人をそろえ、きっちり整備されていた。ちょっとしたことがバシっ(としつつ、微妙な余韻を持っていたりして)と決まり、うわあと思う。▶インスト部にもそれなりに時間を取る。そんなにソロ部やインタープレイし合うという感じでないのだが、本当に風情を抱えつつ有機的に重なっていて、素晴らしいバンド・サウンド。▶暗いが、きっちりと今と自分を見つめた、何かがうごめく、含蓄ある大人のブラック・ポップ表現を披露。▶ミシェル・ンデゲオチェロはやはり“逸人”と言うしかない。

<今日の、赤とか白とか、緑とか>
 ハロウィーンが終わると、商業施設は、クリスマス色へと移行する。ビルボードライブ東京がある六本木ミッドタウンもすっかりそう。その飾り付けや、外にある複数のサンタの像と記念写真する人を見かける。クリスマスという事象をかかげることで、人々の購買意欲は増すものなのだろうか。昔ほど、トナカイというイメージは持たなくなっているよーな。。。

 まず、六本木・ビルボードライブ東京(ファースト・ショウ)で、シンガー・ソングライターの七尾旅人(2011年1月8日、2011年4月16日、2013年6月6日)を見る。1曲目はギターを手にしコードを覚え、世界が広がる様を曲にした素敵な素朴チューンで、未発表と言っていたか。その曲以降は梅津和時(2001年9月2日、2001年9月21日、2004年10月10日、2008年11月14日、2009年2月8日、2009年6月5日、2010年3月20日、2011年4月1日、2012年2月10日、2012年11月21日、2012年12月8日))が、少し退いた形で寄り添う。彼は4本のリード楽器を置いていた。

 サンプラーを駆使し、インプロヴィゼーショナルでもある、新鮮な風景を浮かび上がらせるアコースティック・ギター弾き語り表現を開いていくのは、過去見た実演の様と同じ。スタンダード・ソング好きを露にするのも同様で、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」や「星に願い」も独自の解釈で披露する。ストーリー仕立ての反核ソングも1曲やった。

 そんななか今回、僕が初めて接した七尾の新しい表情はJ・ポップ志向の行き方、1曲はプリセット音を流しギターを弾かずに歌い、後半の2曲は、やけのはら(ラップ)とDorian(キーボード)も加わり、やはりそっち傾向のノリで歌う。1曲はレコーディングしたばかりと言っていたか。人気曲「Rollin’ Rollin’」は客席側から少し合唱が起こったもしたが、1時間20分の本編が終わると、アンコールを求める拍手はなし。七尾のファンはサクっとしていると、書けるのか。

 その後は、現代ジャズ・ピアノ・トリオと、わざわざ“現代”を付けたくなる3人組のザ・バッド・プラス(2003年8月1、2日。2004年5月13日、2005年8月29日、2008年2月20日、2011年3月9日)に、ギタリストのカート・ローゼンウィンケル(2009年3月1日、2010年3月12日)が全面的に重なったライヴを見る。南青山・ブルーノート東京。

 すべて、ザ・バッド・プラスのメンバーのオリジナル曲をやったはずだが、ローゼンバーグはレギュラーのメンバーのようにフツーに重なり、ザ・バッド・プラス曲を引き立て、自分の持ち味もちゃんと出す。やはり、べらぼうな実力者だな。と、書きつつ、また他の人の賞賛の様を横目にしつつ、どこかぼくにはいらないギタリストであるかもと、思えたりも。なんか、単音主体の流麗なギター・ソロの取り方に、ぼくは微妙にして、狭い見解を取る方向になんかあるのだよな。ぼくは複音傾向でがちゃがちゃ行くタイプのギタリストが好きだということが、大きいと思われるが。それ、ファンキーなカッティングが好きなためか、それともソニー・シャーロックやジェイムズ・ブラッド・ウルマー偏愛から来るものか。

 ピアノのイーサン・アイヴァーソンはオーネット・コールマン(2006年3月27日)や菊地雅章(2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24、25日、2012年10月26日、他。ザ・バッド・プラスの2012年E-1発の新作ではポール・モーシャン曲を取り上げている)のシンパとして知られるが、ここらへんで審美眼に貫かれた変種性を出すソロ演奏作をきっちり出してほしいと思ったりも。彼、ライナーノーツ執筆業も繁盛してますね。MCは毎度のように縦ベースのリード・アンダーソンがするが、日本語を入れるようになっていた。ドラムのデイヴィッド・キングは今回おもちゃをスティック代わりにお茶目に用いるようなことはせず、すべてスティックで叩いていた。そんな3人はソロ活動やサイドマン参加など個別活動も盛ん。いい塩梅でグループ活動していると思わずにはいられない。

<今日の、暗い記憶>
 ザ・バッド・プラスの前回来日公演である、2011年の模様を本頁であっさり2行で記してしまっているのは、そのうち書いてアップしようと思っていたら、その2日後に大地震が起きてしまい、多くのことをストップせざるを得なかったから。震災のだいぶ後にそっけない記載を上げ、その後加筆しようかとも思ったが、あのときのダークきわまりなかった日々のノリが分るようにと、そのままにしている。

トリヨ、テテ

2013年11月21日 音楽
 フランスの2組が出る公演、新宿文化センター/大ホール。

 まず、最初に出て来たのはトリヨ。ギター2、ベース、カホン(曲によっては、ドラムを叩く。彼のみ、チリ人)という編成で、歌は3人が取り、レゲエとシャンソンをくっつけたような、アコースティック傾向表現を聞かせる。パリ郊外のコミュニティ・センターでの若者の集いみたいので顔見知りになった連中たちで1995年に組まれた4人組(その成り立ちは、オゾマトリと重なるか)であり、いまや本国では国民的な人気を持つようになったグループ。この2月にプロモ来日したときに取材し(大雪の日でした)、その好漢ぶりにポっとなったが、そのノリを気さくさにパフォーマンスで出す。彼らは和気あいあいとしつつ、一方では硬派なメッセージを掲げもし(グリーンピースとはかなり懇意にしている)、取材した際に、フクシマの歌も作りたいなぞとも言っていたが、そっちのほうのアピールはなかった。
 
 その後、テテ(2005年3月18日、2007年9月24日、2011年10月10日)が登場。今回はギター弾き語りではなく、多くの曲でエレクトリック・ベース奏者が入り、また数曲でトリヨのギタリストのクリストフ・マリがいい感じで加わる。生理的になあなあ感覚も持つトリヨのライヴの後だと、テテの実演は凛としていてとても鮮烈。よく通る張りのある歌、メロディもくっきりという感じで、彼は個のデカさをおおいに印象づける。過去3度触れているぼくも、テテってこんな威風堂々した担い手だったのかと息を飲んだ。で、本編最後は彼だけのソロ・パフォーマンス曲で、ノーPAで弾き語りするとともに、そのまま客席に降りてきて歌う。

 アンコールは、両者一緒に2曲。とにかく、2組とも、真心の出し方がとっても上手い。そりゃ、客が感化されないはずがない。どちらも基本アコースティックなノリであり、椅子付き会場であるにも関わらず、立ち上がる客が多かったことにも、それは顕われる。アンコール2曲目は、リフレイン部が日本語歌詞でも歌われる「オー・シャンゼリゼ」。臍まがりなぼくも、ニッコリ。両者によるこの曲、日本公演のためにパリで録られたものが配信されているよう。

▶過去のテテ
http://43142.diarynote.jp/200503240455360000/
http://43142.diarynote.jp/200709261218590000/
http://43142.diarynote.jp/201110141216048509/

<今日からの、方策>
 これまで過去見た公演は日付をアーティト名の後に記すだけで、すぐにとべるようにしていなかった(マジ、やりかたが分らない。分りたいとも、思わない)が、欄外にアドレスをペーストすればいいと、今さら気付く。今後、上出しているように、そうします。
 かつて、米国のストーンズなんても言われたブルース/R&Bベースのがちんこロック・バンドであるザ・J・ガイルズ・バンドのハーモニカ奏者だったマジック・ディックが、トミー・カストロという1955年カリフォルニア州生まれブルース・ロッカー(近年は、アリゲイター・レーベルからアルバムを出している)のバンドと重なる公演。両者は過去に絡んでいるようだが、今回の共演は日本公演だけのよう。トミー・カストロ&ザ・ペインキラーズは来年になると熟練白人鍵盤ブルース・レイディであるマルシア・ボール(彼女もアリゲイター所属)とともに米国でライヴをしたりもするようだ。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 ぼくはトミー・カストロのことを知らなかったが、CDをチェックするぶんには、彼自身が黒人音楽にヤラれたロッカーとして、かなりイケている人物であり、マジック・ディックうんぬんは別にしても、これは聞いてもOKと思わせる。全員初来日であるという面々はギター(1曲、スライド・バー使用)と歌を担当するカストロに加え、キーボード、ベース、ドラムという編成。皆、白人。実はカストロは思ったほど、ギターの存在感がないのにはちと片すかし。おやじ白人で馬鹿みたいにブルース基調ギターが上手い人いるからな〜。

 しかし、マジック・ディックって、すげえ芸名だな。彼は3度目の東京であるとか。少し丸くはなっているが、あまりはげてはおらず爆発したヘア・スタイルは昔と同じで、あまり外見が変わっていない感じも受ける。ちょいスーダラな雰囲気を振りまき、その声が若々しいのも印象に残った。そんな彼は、1945年コネチカット州生まれ。ザ・J・ガイルズ・バンドは1960年代後半にボストンで結成されたバンドだが、やはり東海岸のバンドっていう風情もポイントではあったよな。

 ぼくは、マジック・ディックは全面的にハーモニカ奏者としてカストロ・バンドに加わるのかと想像していたが、ブルース曲カヴァーが多かったはずだが、彼が半数以上の曲で軽い声でリード・ヴォーカルを取ったのには驚いた。だって、ザ・J・ガイルズ・バンド時代の彼は生粋のハーモニカ奏者で、歌うという印象はなかったから。彼のハーモニカ演奏はソロを取るとともに、リード・ヴォーカルとユニゾンで重なったり、ヴォーカルに間の手をいれるような感じの奏法を見せたりと、本当にイケていた。

 ザ・J・ガイルス・バンドの曲は、「ギヴ・イット・トゥ・ミー」(1973年全米30位。レゲエ調曲で、レゲエ導入ロック曲としてはかなり早い。ECの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は1974年)と、インスト曲の「ウォーマー・ジャマー」、そして「ルッキン・フォー・ラヴ」(1972年、全米39位。J・ガイルス・バンド、初のヒット曲)の3曲やったか。嗚呼、浮かれる。面白いことに、そのヴォーカルが入る2曲はカストロが歌う。「ギヴ・イット・トゥ・ミー」以外の2曲はカヴァーで、初期の彼らは黒人曲のカヴァーが少なくなかった。

 シングル・カットはされていないと思うが、実は「ウォーマー・ジャマー」は往年のロック・ファンにはよく知られる曲なはず。というのも、1970年代のFENのジングルに、この曲は執拗に使われていたから(1980年代に入るとFENを聞かなくなったので、使われていたかどうかは分りません)。しかし、このマジック・ディックの扇情的な演奏をフィーチャーせんとするインスト曲は、見事にフレイズが練られている。1971年のスタジオ・テイクも1972年ライヴ盤収録のヴァージョンもほぼ同じ吟味されたフレイズが披露されていたが、この日もそう。だが、その演奏は本当にブルース・ハープ(ハーモニカ)の醍醐味を伝えるもので、イエイ。彼のハイトーンの使い方は、マジ名人芸。蛇足ながら、ザ・J・ガイルズ・バンドが一番成功を得たのは1980年代アタマで、『フリーズ・フレイム』(EMI、1981年)は全米1位を獲得。そこから4曲シングルが切られ、うち2曲は一桁台の大ヒット(1位と4位)となった。

<今日の、希望>
 ザ・J・ガイルズ・バンドは学生時代、かなりの好物だった。浪人のときに友人の通っていた大学の学祭に出るためのバンドで「ギヴ・イット・トゥ・ミー」、大学生のとき後輩に頼まれてベースを弾いたバンドで「センターフォルド」とかをカヴァーしたこともある。ああ青春、ヒヒヒ……。同バンドにいたスター・ヴォーカリストのピーター・ウルフ(一時は女優のフェイ・ダナウェイと結婚していたこともある)はザ・J・ガイルズ・バンドを抜けた1980年代中期以降はソロとして活動、そのリーダー作は基本どれも大好き。彼、1990年代に渋谷のクラブ・クアトロで単独公演やったよな? どこでもいいから、ピーター様のことを、呼んでくれないかなー。1970年後期のJ.ガイルズ・バンドの驚愕の来日公演については、マヌー・チャオの2010年公演の項で、少し触れている。http://43142.diarynote.jp/?day=20101004

 フロリダ生まれの、ハイチ人とフランス人の両親を持つ新進の米国人ジャズ歌手だが、これはちょいとしたタマと持ち上げるしかないな。まだ25歳前で、出しているアルバムは2枚。1枚(2010年作『セシル』)はフランスにクラシック音楽を学ぶため留学していたときに録った(学校の先生に、キミの声はジャズに向いているからと勧められ歌うようになり、先生の力添えにより同国でデビュー作を録音)もので、フロリダに戻ってきて米マック・アヴェニューから、ウィントン・マリサリス(2000年3月9日)も重用するリズム・セクション(ロドニー・ウィテカーとハーリン・ライリー:2007年9月7日、2010年6月13日、2010年9月30日)を起用した〜自らの選択であり、ギター奏者にはバンジョーも弾かせた〜アルバムを1枚出しただけだが、これから一体どーなるんだー、てな、可能性を山ほど感じずにはいられない。そんなサルヴァント嬢はすでにミュージシャンズ・ミュージシャンで、渡辺貞夫(2013年9月29日、他)は昨年自己公演のために彼女を呼び、またジャッキー・テラソン(2009年5月18日、2010年5月6日、2013年2月8日)やアーチー・シェップらがリーダー作録音のさい、起用している。

 丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。2作目『ウーマンチャイルド』にも参加し大役をこなしていたピアニストのアーロン・ディール(やはり、マック・アヴェニューからリーダー作を出していたりもするが、優秀な弾き手で、彼のリーダー公演にも接してみたいとも思わせる)、若い頃のチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日、2009年9月10日)を思い出させる外見の白人ベーシストであるポール・シキヴィー、米国留学時代にロドニー・ウィテカーと親密にしていた岡部朋幸(ドラム)のトリオがサポート。

 ステージに出て来たサルヴァントを一瞥して、びっくり。若い頃のフィッシュボーン(2013年6月3日、他)のアンジェロ・ムーアのようなブっとんだ髪型をしていて。前日に彼女に取材したのだが、あれれ、そのときどうだったかと、少し頭が混乱。彼女は坊主アタマ、どうやら付け毛を部分的に付けて登場したようだ。このコットンクラブでの自己公演に先立ち、彼女はデューク・エリントン・オーケストラ(2005年4月13日、2009年11月18日、2010年11月24日、2012年10月17日)のブルーノート東京公演のゲスト歌手としても出演しているが、そのときは頭に何もつけずにステージに出ていたようだ。

 で、白いフレームが印象的な眼鏡をつけた(ラッパーの下町兄弟〜2005年12月8日、2006年12月21日〜と同じじゃん)彼女が肉声をだすやいなや、うおおおとなり、頭をたれまくり。もう、印象的な声のもと、流れとストーリーをしっかり作って、サルヴァントならではのジャズ・ヴォーカル表現をきっちり作り上げる。歌い方はとても多彩だし(サラ・ヴォーンからブロッサム・ディアリーまで好きだというが、まじその両要素も無理なく感じさせる)、びっくりするぐらいいろんな声質を出すが、それらがサルヴァントという大きな像に結実し、ひいてはジャズ・ヴォーカルという表現の決定的美点を照らし出すのだから、これはうなるしかない。

 彼女は著名なスタンダード・ソングはあまり歌わず、ブルースとジャズがちゃんと分化する前の1920〜1930年代の曲を好んで取り上げる傾向もあり、一方ではセカンドのアルバム・タイトル曲のようなちょいスピリチュアルなオリジナルも書いたりしている。アルバムではどこかレトロな何かを感じさせる一方、カサンドラ・ウィルソン(2013年5月31日、他)やサンダーキャットも好きであり、いまだクラシックにも未練を持っていてレッスンを受けている彼女……。そんなサルヴァントが今もっともしたいことは、何と……。12月下旬発売のCDジャーナルをご覧ください。とにかく、彼女はジャズ・ヴォーカルのブライテスト・ホープだ。

▶過去のウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
▶過去の、ハーリン・ライリー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20070907
http://43142.diarynote.jp/?day=20100613
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
▶過去の、ジャッキー・テラソン
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
http://43142.diarynote.jp/201005071023536171/
http://43142.diarynote.jp/201302091341485664/
▶過去の、チャーリー・ヘイデン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200909120650273142/
▶過去の、デューク・エリントン・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/200504151006160000/
http://43142.diarynote.jp/200911212112151307/
http://43142.diarynote.jp/201011250609539822/
http://43142.diarynote.jp/201210201219525855/
▶過去の、下町兄弟
http://43142.diarynote.jp/200612270253390000/
http://43142.diarynote.jp/200512091118360000/

<今日の、あ“〜>
 ライヴ会場に行くため地下鉄に乗ると、冷房送風を行っております、とのアナウンス。滅茶ヤバいことが強行採決されてしまって、皆カッカしているのか。直前退席(悪いことやっている自覚があるんだろう)とマンガな借用書提示と、2013年11月26日は国と都の長がとっても無様な所作をしたことで、いろんな人の記憶に残るだろう。

 キューバ人ジャズ・ピアニストであるチューチョ・バルデス(2009年9月14日、2010年3月25日、2012年5月1日、2013年2月28日)の実演は今年2月に見ている。そのときは、ソロのパフォーマンス。1年に何度も見たいというほど、彼の愛好家ではないものの、今回のサポートの4人(打楽器2人、ウッド・ベース、ドラム)のパーソネルに皆ヴォーカルと書いてあり、見てえ〜となってしまった。歌が溢れたパフォーマンスなら、触れたいよなあ。で、予習したら、なんと同名グループのアルバムが2010年に出ていたりもするし、今回の同行奏者は、彼のソロ名義の新作『Caridad Amaro』(Jazz Village)と結構重なっている。腕が立つ彼らは、皆キューバの若手の名手たちなよう。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 近年のアルバムに示されているように、インスト主体の表現で、ヴォーカル活用曲が次々に並ぶという感じではなかった。が、ぼくが見たバルデス実演の中では一番興味深いものであったのは間違いない。基本は、なんでもアリ。クラシック曲やジャズの曲のクォーテイションが散ったピアノ演奏から、ベース奏者がエレクトリック・ベースに持ち替えた(そのさい突然、スタンリー・クラーク〜2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日〜が大好きなのかと思わす演奏になる)ジャズ・ファンク曲まで。1曲目だか2曲目だかで早々に披露されたロドニー・バレットのドラム・ソロはジャズ・ビートかからもラテン・ビートからも離れたもので、あえて誤解を恐れずに書けば、あなたはロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日、2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日)のグループに入りたいのネ、と思わす叩き口のもの。他の曲でも、彼はけっこうそのノリで叩いたりもした。また、新作でも再演しているバルデスの雄大しっとりメロディアス曲「カリダド・アマーノ」も悠々活き活きと披露された。それから、2、3曲では、バタ・ドラムを叩いて歌うレイセル・ボンバレがフィーチャーされ、サンテーリアを根に置くようなそれは興味深すぎ&訴求力大。彼は、最後のファンキー曲のときは軽やかな踊りも披露した。

 その後、渋谷・サラヴァ東京で、ジュリエッタ・マシーンを見る。ライヴをやる回数が少ないためもあるだろう、満員。歌とキーボードの江藤直子(2013年7月13日、大友良英あまちゃんバンド)、ギターの大津真、エレクトリック・ベースの西村雄介、ドラムの藤井信雄(2001年9月22日、他。菊地成孔DCPRG)の4人からなる、広い視野と豊かな経験ありきの、しなやかで清新なポップ・バンド。この晩は<ジュルエッタ・マシーン・クワイエット・セプテット2013>と謳われていて、ヴォーカルの高遠彩子、チェロの笠原あやの、トロンボーンの青木タイセイ(2005年2月19日、2007年1月27日、2006年11月14日、2011年7月27日、2013年2月19日、他)が加わる。まさに悠々、甘いも粋も噛み分けた趣味的ミュージシャンたちによる洒脱ポップの聖なる宴……なんちって。優美さ〜流麗さの奥にある、あっち側を見据える冒険心〜刺の存在もまた麗しかった。

▶過去の、バルデス
http://43142.diarynote.jp/200909181205563624/
http://43142.diarynote.jp/201003271334102896/
http://43142.diarynote.jp/201205080621274204/
http://43142.diarynote.jp/201303070813066769/

▶過去の、クラーク
http://43142.diarynote.jp/?day=20080908
http://43142.diarynote.jp/201012051906481605/
http://43142.diarynote.jp/201212131141531884/

▶過去の、グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/

▶過去の、江藤
http://43142.diarynote.jp/201307160735048974/

▶過去の、藤井
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm

▶過去の、青木
http://43142.diarynote.jp/?day=20050219
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200611190319380000/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/


<今日の、ワープ>
 ライヴを見る前、駒込の六義園に紅葉を見に行く。初めて行ったが、ほう。徳川綱吉の時代に、彼に近い和歌山ルーツのお侍さんが作った大庭園で、今は都の所有で有料(300円)にて公開されている。わあ、木の薫りや、雰囲気がすごい。即、東京じゃないみたい、と、密かに高揚。もう少し後のほうが、紅葉は鮮やかか。16時ちょいに入園し、17時前からライトアップ。通常は17時に閉園するらしいが、この時期は21時まで開いているよう。陽が暮れるにつれて、どんどん入園者が増えていく。でかい池に映る、光を照らされた風景がとっても綺麗で、風情あり。写メがどれも絵になる、という感じ? 茶屋みたいなところで、日本酒のお燗を2杯。安酒だろうが、シチュエーションに勝る良スパイスなし。至福。で、青山に向かうが、ちょっとしたワープ気分を味わった。

 都立大学・目黒パーシモンホールで、クロスオーヴァー系列にある複数のピアニストが出る公演。出演は、ノラ・サルモリア、アンドレ・メマーリ、矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日)の順。いやあ、皆さん、個性をお持ちというか、それぞれに生まれた属性を出したピアノ演奏を披露していて、頷く。

 アルゼンチンからやってきたノラ・サルモリアは弾き語り、と言っていいパフォーマンス。思ったより歌声が荒かったが、随所にアルゼンチン土壌の語彙が入り込むとともに、奔放という名のジャズ流儀に愛着を持っているのが分る演目なり。続く、ブラジル人のメマーリはエグベルト・ジスモンチ(2008年7月3日、2013年3月27日)やミルトン・ナシメント(2003年9月23日)の曲を取り上げたりもした。やっぱり、言葉をこえて広がる、技と情緒を持つ。身体が大きいのには少し驚いたが、その柔らかさや繊細さは、車に例えるなら排気量の大きな自動車で悠々クルーズしてこその持ち味とでも言えようか。←こじつけ、だな。

 そして、最後に出て来たのは、矢野顕子。スキャット調歌を繰り出すアンコール曲以外はピアニストととして勝負。少し前は上原ひろみ(2012年12月9日、他)と四つにわたりあうデュオ公演(2009年9月4日、2011年9月9日、2011年12月11日)をしたりもしたわけで、まったくもって、私の考える閃きと歌心に富むジャズ・ピアノ演奏を披露。日本の童歌を崩してやっていると思ったら、クラシック曲だと説明したものもあったっけ?

 しかし、三者ともタイプは違えど、我あり。ちゃんと地に足をつけて、自分をきっちり出す。瞬発力あり、リスト強いぞと思わせる部分もあるし、足のストンプ音も効果的。ぜんぜん“クワイエット”じゃねえよなあと思ったりもし、またそこがぼくには素敵と思えた。最後はサルモネラとメマーリの連弾で、日本の曲「ふるさと」。その際は、メマーリは詠唱を少し披露したりもした。


▶過去の、ジスモンチ
http://43142.diarynote.jp/200807041128510000/
http://43142.diarynote.jp/201303290753133066/
▶過去の、ナシメント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
▶過去の、矢野
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200908221621447408/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/


<今日の、本>
 今、同業では一番飲む機会が多いと思われる1/2である村井康司さんの著書が届く。「JAZZ 100の扉」(アルテス、232頁、1600円)。ロックから音楽愛好人生に入り、大学ではジャズ研に入ってギターを弾き、俳人であり、酒好きであり……。高潔かつラヴリーな人間性を通過した、多様なジャズの、博識なディスク・ガイド+α本だ。同じ年の生まれだし、けっこう趣味も重なるはずなのに(ライヴでもよく会います)、ぼくが選ぶだろうセレクションとはあまり重ならないと思えたのにはへえ〜。で、少し我田引水になるが、それこそは村井康司の面白さであり、ジャズという音楽の奥深さなのだ。